ans003_07コミュニケーション・スペース | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

ミケ様

こんにちわ。
にゃんこ先生です。

   ☆

今回は下の図から行きます。

先のお話の最後でた「コミュニケーション・スペース」です。


【fig010コミュニケーション・スペース】
(まいどキタネー図ですいません)

こりゃ結局、【fig009反転】の図のBだけを取り出して描いたものですな。

 

【fig009反転】

「コミュニケーション・スペース」。

なんつう長ッたらしい名前。

なんでそんな名前にしたん?

うーんとね、それは、ワタシらがそれに取り囲まれてそこに住んでいると思っている、三次元時空(物質界)中で想定されている個人どうしのやりとりは(コミュニケーション)、実は、この空間を通じて行われている……と、想定したからです。

個人間のやりとりの仲立ちをすることが、この空間のメインの役割ではないんだけどね。

個人間のみならず、いわゆるガイドやマスター、ハイヤーセルフとか、高次元的な存在とのやりとりも、この空間が仲立ちになっているんじゃないかと……まあ、そのように想定しているわけです。

   ☆

高次という話がでたけど、このコミュニケーション・スペースにも、階層または構造といったものがあります。

「ある」というか、想定することができる。

図では、三次元時空を取り囲む同心円(同心球)状の破線でテキトーに描き込んでおいたけど、こんな層になっているかどうかはわかりません。

コミュニケーション・スペースは「可塑的」なんです。

可塑<かそ>ってのは、粘土みたいに自由に形を創れるってこと。

   ☆

コミュニケーション・スペースの構造または階層がはっきりしないというのは、これを書いているにゃんこ先生も、読んでいるミケさんも、依然、個人として、物質界に存在しているから。

個人、または個人が集まって出来た社会的、文化的、時代的文脈によってその構造(または階層)は、フレキシブルにその姿を変えます。

宗教や、神秘学、錬金術やカバラなどの秘教、そして、個人個人の考えによってもその記述はちがってくる。

三次元時空のことを「合意的現実」といったけど、絵の上でこれを囲んでいるコミュニケーション・スペースのレベルでは、三次元時空のレベルほど、合意して「ない」ってわけ。

でもね。

合意してない分、ある意味、フロンティアなんですよ、この領域は!

   ☆

ところで、この空間は個人的なものじゃあない。

ということは、地上的な(三次元空間的な)誰にとっても「これしかない」ともいえるわけで、それってつまり、この空間=「ひとつのもの(タオ)」ってこと??(「ans003ひとつのもの」参照)と、ききたくなるかもしれませんが、これがすなわち、道(タオ)かどうかってことは、にゃんこ先生にも正直よくわかりません。

直感的にはビミョーにちがうと思う。

「タオ」はおそらくもっと根源的。

ただまあ、方便的にはほぼ同義といってもいいかもしれません。

   ☆

三次元時空(物質界、日常空間)は、「fig010コミュニケーション・スペース」の絵では、可塑的なコミュニケーション・スペースに取り囲まれ、萎縮しているようにみえます。

萎縮しているというより、それはつまり、コミュニケーション・スペースによって三次元時空が「象<かたど>られている」ってことなんです。

言語もこのコミュニケーション・スペースの一部で、三次元時空を「象る」一役を担っています。

端的にいえば、コミュニケーション・スペースは物質の鋳型であるということができます。

物質の鋳型。

つまり「エーテル空間」だね。
少なくともこの三次元時空の近傍は。

たぶんそこから先は、絵の上では同心円がひろがっていくにつれて(秘教的想定に従うなら)魂的領域、霊的領域……となっていくのだと思う。

   ☆

(Q003) この世界とはどんなものなのでしょうか?
捉えているスタンス(視点・出発点)を
明確にしてもらえますか?

ずーっと、この質問に答えているわけだけど、やっとコタエもだいたい終わった感じです。

   ☆

ご承知のとおり、私たちに観えるエーテルの流れは、多くの人間たちには観えません。

昨日も、昼下がりの「風」を観てたら、小さな女の子がよってきて、

「ね〜こちゃ〜ん、なに見てるの〜」

だってさ。

人間の子供はおっかないから、即刻逃げましたが。

つづく。

   ☆

LINKS

→ミケさんの質問
→ans003ひとつのもの