ans004_06反転 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

ミケ様

にゃんこ先生です。

お元気ですか。
億万長者より時間長者の方がいいなあ……と思う、今日この頃です。

   ☆

ところで、前回の絵には説明していないところがありました。

【fig014自己の境界の拡張】

「三次元時空」と「反転」ってとこを見てください。
下線が引いてあります。

真ん中の☆は「原初の衝動」。

「ひとつのもの」が、それ自身をつつく。
その「つつこう」とする思い、です。

大幅にはしょって、それが生命を生み、さらに大幅にはしょって、個人を成立させる。

その段階で「卒業」していく人も多いけど、個人、人格というレベルを超えて、自己の境界を拡張していこうとする人たちもいる……

というのは、前回説明したとおりです(→「ans004_04個人を超えて」)。

この後者の人たちの話ですが、この人たちはやがて、上の絵では「反転」と描かれた「境界」に達するわけです。
この部分には黒く太い双方向の矢印が描かれています。

なにが反転するん?

   ☆

反転については、

「ans003_05作リモノ」
「ans003_06ココロという広がり」

で、ちょっとふれました。

もう一度、絵を載せておきます。

【fig009反転】

一般的にはAの世界観が信じられていて、皆、そのような合意のもとに暮らしています。

でもそれはまったく逆で、Bの様にココロという空間がこの三次元時空を構築し、支えているという観方もできます。

そんな話でした。

全く同じかは断言はできないけど、Bの空間は「ひとつのもの」と「ほぼ」同じと思ってよろしいかと思います。

Bの空間は、現代の一般的な世界観(A)からすれば、未踏の空間です。

Aが悪くてBがいいという、そういう話ではありません。

Aが錯覚でBが真理とかいう、そういう話でもありません。

大事なのは、「両方とも」ってこと。

最初は頭で解ることも大事だけど、最終的には、実感として、自由自在にAとBの両方を行ったり来たりすることができるようになることが、まあ、当面の目標ということになるのでしょう。

だから、「fig014自己の境界の拡張」と「fig009反転」の絵には反転の所に「双方向の」矢印を描いたわけです。

このふたつの絵は、結局同じことを言ってるんですね。

「fig014自己の境界の拡張」の絵でいうなら、易システム的には、個人のレベルから自己の境界を拡張していって、「3次元時空」の淵くらいまでの「枠組み」があると思います。

「fig009反転」のBの空間の枠組みも、ちょっとだけあります。

ミケさんの質問はこうでした。

(Q004)「易システム」がわかることで、どんなことができるのですか?
私たちの生活に何か利点がありますか?
どんな風に活かしていくことができますか?

「易システム」がわかると、さっきの「当面の目標」、AとBを自由自在に行ったり来たりすることが、できるようになる……「かもしれません」。

で、その目標を達成したら、生活にどんないいことがあるのか?

答えはありません。

それは、にゃんこ先生も含めた、皆の宿題。

以下のようなキーワードがヒントになるかもしれません。

Aは局在。Bは遍在。
Aに時間はあり、Bに時間はない。
Aは部分、Bはすべて。
Aは粗大(グロス)。Bは微細(サトル)。
Aは具体。Bは抽象。
Aは低次。Bは高次。
Aはマクロ。Bはミクロ。
etc,etc……

そう、お気づきのとおり、質問の答えは、にゃんこ先生が、あるいは皆が、この宇宙をどうとらえているか(コスモロジー)ということと表裏一体です。

だけど、あくまでも「枠組み」なので、「易システム」を知ったからといって、自動的に「そうなる」わけではありません。

結局はやっぱり「その人次第!」なのかな。
ずるいようだけど。

それいったら、なんでもそうだけどね。

じゃ、また。

つづく。


   ☆

LINKS

→ミケさんの質問

→ans004_04個人を超えて

→ans003_05作リモノ

→ans003_06ココロという広がり