紀元前480年 テルモピュライ



テルモピュライの戦いというものをご存知だろうか。

恐らくだが、一般の方にはあまり聞き覚えがないものかもしれない。

だが、歴史好き……特に世界史を学んでいる者ならば誰もが一度は目にし、そしてその虜になるのではないだろうか。


それは、圧倒的な戦いだった。


敵は当時世界最強と喩えても差し支えない大帝国、ペルシア

そんな国が、領土拡大の野望とそれまでの禍根を抱えて攻めてきたのだ。

その数なんと二十万人以上

対して、迎え撃つスパルタの兵力はたったの三百

何故こんな無謀な戦いが起こってしまったのか。

疑問は尽きないが、この戦いは実際にあったものである。

まずは、この作品のあらすじから入っていこう。


物語のあらすじ


物語は、アケメネス朝ペルシアの王、クセルクセス一世に仕えている歴史家、アルタバゾスの子ゴバルデスの記録から始まる。

ギリシア本土アテナイに通ずる隘路テルモピュライにて、両軍は激突。

物語開始時点で既に戦いは終わっていた。

我らが不死部隊に打撃を与えたスパルタが全滅したとあっては、謎に包まれたその歩兵戦術が闇に葬られる。それを惜しみ、また、多大なる興味を抱いた大王であったが、その時アフラ・マズダ神の思し召しが下された。


兵士や馬、驢馬、そして戦車と車輪によってうず高く積まれた死体の山から生存者が一名発見された。

その男は、自身をクセオネスと名乗った。

捕虜として保護され、傷のため治療も受けさせた。

クセオネスは担架に運ばれたまま大王の面前に引き出される。

そして、求めるがまま語り始めた。


自分は何者で、如何にしてスパルタ人として生き、そしてテルモピュライの戦いに臨んだのかを。


この物語は、スパルタが全軍玉砕するだけに留まる話では無い。

一人のラコニゾンデスの紡ぐ、一人の人間の一生にして、熱き友たちとの日常と戦い、そして青春の全てが詰まった壮大なる抒情詩なのである。


感想


なんという事だ。

あまりにも熱い。熱すぎる。そうとして思えない、素晴らしい作品ではないか。

私はとんでもない小説と出会ってしまった。読後この作品のスケールの大きさに私は暫し放心状態となってしまった。ただ一言"面白い"では済ませない感情がこの作品から生まれている。


イギリスのブラックジョークに、ドイツの歴史書を手に取って「負けたと書くだけでこの厚み?」と言うものがあるが、私もこの本をはじめて手にした時は同じような感情を抱いたものがあった。

だが、今となってはそんな過去の自分を殴りたい。

いくらなんでも失礼すぎた。

とはいえ、六百ページ近くもあるので厚いのは確かだ。しかし、ひとたび読んでしまえばそんな厚さも気にならなくなるのではないだろうか。


この物語は主人公が話者となりこれまでの人生を語るというものなのだが、少しばかり特に冒頭部分の自己紹介が冗長に感じるかもしれない。

とはいえ、彼はスパルタの戦士としてペルシアと戦ったものの、実はスパルタ人ではないこともかなり早い段階で分かるので、何故小さなヘイロタイに過ぎない主人公がスパルタ人として、一人の戦士として育ったか、その顛末も分かっていくので楽しめる点ではあると思う。


だが、この作品の一番の特徴はその構成だ。

主人公クセオネスはあくまでも、ペルシアの大王に対して語るだけの、語り部でしかない。

そんな語り部の話を大王が面前で聴き、その傍らで歴史家がその声を聞き取り、文字として記録する。


そう、我々読者は記録家の文書に目を通すという形でこの作品に触れることになるのだ。

あくまでもこの作品は西暦二〇〇〇年に刊行された、トリニダード・トバゴ出身の作家スティーブン・プレスフィールドの書いたものである。

だが、その事実を忘れてしまうのではないかと思えるほど緻密にして精巧に作られたこの世界観には感嘆を吐かずにはいられない。


テルモピュライの戦いを描いた作品には映画『300(スリーハンドレッド)』があり、こちらも素晴らしい出来ではあるのだが、実はこの映画は作中で敵方として登場するペルシアを侮辱するように描いているとして一部から批判が上がっている。

実際、私の知り合いにもそのように言う者が居た。

しかし、この小説は違う。

敵として描くペルシアをも尊重している。

「スパルタがズバ抜けてヤバかったけど、ペルシアも凄いよね」となるのが今作なのだ。

そりゃそうだ。作中冒頭にもある通り、アケメネス朝ペルシアといえば南はアフリカ、西は中東地域から小アジア、東に至ってはインダス地域の広大な地域を支配した大帝国だもの。

また、この作品は史実に忠実なのもポイントが高い。

主人公のクセオネスは架空の人物ではあるのだが、スパルタの王レオニダスは当然として隊長として活躍するディエネケスの存在も眩しい。


ヘロドトスの記録にて、こんな一幕がある。

ある者がペルシア軍の強さを説明するためにこう例えた。

ペルシアの大軍が忽ち矢を放てば、空が覆われて太陽が隠れてしまう、と。

それを聞いたスパルタ軍の隊長ディエネケスはこう言った。


「有難いことだ。我々は日陰で戦える」と。

実際こう述べる描写もあるので、史実を知る人ならば思わずにやける事間違いないだろう。


 TODAY'S
 
余談(いつもの)


悲劇的ではあるが勇敢にして見事に戦場に散った三百人のスパルタ戦士ではあったが、そもそも何故こんな戦いが起こってしまったのか、また、史実ではどうだったのかを解説していこう。


この時代、オリエント地域は群雄割拠の無法地帯と化していた。

そんな中、紀元前七世紀にこの地域に覇を唱えた国があった。アッシリアである。

そんなアッシリアから、メディア王国が独立した。

そんなメディアと新バビロニアからの攻撃を幾度も受け、遂にはアッシリアは滅亡。オリエントの覇権は新バビロニア、メディア、リュディア、そしてエジプトに集約された。

紀元前六百年ごろ、ペルシアの王のもとにキュロスという名の王子が誕生した。

キュロスは紀元前五百五十年ごろにはペルシアの王になったとされている。

キュロスは大軍を率いると広大な土地を持つメディア王国の反乱に加担、遂には滅ぼすことに成功する。

さらにはこの後すぐにリュディアを征服し、新バビロニアとも戦い、この地も支配した。

この際、バビロン捕囚を解いて多くのユダヤ人を解放したことで『旧約聖書』にも記録されることとなる。理想の君主として崇められ、油を注がれた者ではないにも関わらず救世主(メシア)として称えられているのだ。

メディアに代わって広大な地域をペルシアは支配した。ここに、世界史全体に影響を与えるアケメネス朝ペルシアが誕生した。

あれ?創始者はキュロスなのに「アケメネス」朝なの?そのキュロスも「二世」なのはなんで?


偉大な征服王キュロスは戦いの最中に死に、その後をカンビュセス二世が、その跡を更にダレイオス一世が継ぎ、その次の代が今作の戦いに関わることとなるクセルクセス一世となるのだ。

これが、大まかなペルシアの歴史である。


一方ギリシアでは。

今作の舞台となるスパルタの歴史は非常に古い。

ホメロスの『イーリアス』ではスパルタの名が出てきており、トロイア戦争時には既にスパルタがあったのでは、とする説もあるがどうやら考古学的には紀元前千百年代には、伝承では千百四年に建国されたものらしい。

その始祖の名はエウリュステネス。ギリシア神話の英雄ヘラクレスの子孫を名乗り、それ故にスパルタ人は自身らをヘラクレスの子孫を称したという。

スパルタはその名に恥じず常に戦争をしていたようで、数多の隣国を打ち倒し、征服しては多くの奴隷(農奴とも。ヘイロタイ)を得たという。このヘイロタイへの扱いは凄まじいものであり、ことある事にスパルタ人から命を取られていたという。この蛮族ぶり……鎌倉武士かな?

このスパルタを維持するため、頑強な体制が求められた。それを確立したのが伝説的な立法学者、リュクルゴスである。(実在したかどうか定かでは無い)

リュクルゴスの法は神託に寄るとして絶対とされた。

スパルタに二人の王が居るのも、過酷な教育の代名詞となっているスパルタ教育が確立されたのも、すべて彼が編み出したものである。

そんなスパルタは相変わらず周辺諸国との戦いに明け暮れた。多くのヘイロタイを生み出したメッセニアの戦争が特に有名である。

いつしかスパルタはペロポネソス半島において影響力を強めていた。そんな最中に起きたのが今回の舞台である戦いのきっかけともなる戦争ペルシア戦争が勃発する。

このペルシア戦争はペルシアが支配している地域イオニアで発生した反乱にあり、この反乱にギリシアの都市国家アテナイが加担したのがきっかけだった。

かくして始まったペルシア戦争だったが、アテナイとスパルタは同盟を組み、ペルシアに臨む。

戦いの結果、連合軍はペルシア軍を撃退させることに成功。ペルシア側からすればダレイオス一世の一軍団を倒されたに過ぎない程度の損害だったが、世界最大の国を相手に戦ったという実績がアテナイとスパルタには付いた。

そんな中途に発生したのが今回の戦い、テルモピュライの戦いなのだ。

なので広義でいえば、テルモピュライの戦いとはペルシア戦争を構成する一要素である。


ところで、何故この戦いにおいてスパルタは三百人の兵しか集められなかったのか。

それにはとある重要な事情が絡んでいた。

この時期、スパルタではカルネイア祭が行われていた。

この祭りはオリンピアと非常に似ている。

アポロンに捧げる点が細かい部分においては異なるが、この祭りの間は一切の軍事行動が停止させられる。

そのためもあって、レオニダス王の元には三百人の男子しか集まらなかった。

なお、この時レオニダス王は家を絶やさないため、子供が生まれている家の男のみに限定して兵を集めたという。つまり死ぬ事前提なのがこの時点から分かりきっている……。ちなみにこの部分も今回の作品ではしっかりと描かれている。


また、レオニダス王の三百人部隊はペルシア軍撃退のための兵ではなく、断崖絶壁の隘路テルモピュライに布陣するための先遣隊という扱いだった。

また、よくある誤解だが世界史においてはしばしばこの三百人の部隊が十五万から二十万とも言われるペルシア兵を倒した、と言われがちだが正確ではない。

実際としては、レオニダス王麾下の部隊が三百人であったのであって、スパルタ全体を含めたギリシア軍の全体数は七千人ほどとされている。

なので、この戦いは三百人対二十万人ではなく、七千人対二十万人というのが正しい数値となる。(それでも圧倒的である事に変わりないが)


この戦いで黄泉の国エリュシオンへと旅立ってしまったスパルタ人たちであったが、その勇敢さが忘れられる事は無かった。

この戦い自体がスパルタの強さを象徴する戦いとなり、そんな戦地となった"炎の門"と呼ばれた(温泉が湧き出ているため)今日のテルモピュライには石碑が建てられている。


レオニダス王がペルシアの使者に対して放ったとされる言葉「Molon labe」(=欲しくば取りに来い)が刻まれた銅像が。


そしてもう一つ。

古代の詩人シモニデスが書いたとされる碑文が。


旅行くものよ、スパルタ人に伝えよ。

われらはその掟に従いて、ここに眠りてあると。


この戦いのあと、一致団結していたはずのアテナイとスパルタは対立を激化させ、内戦に至った。

ペロポネソス戦争である。

ギリシア全土を巻き込み、三十年近くに渡って繰り広げられた戦争はアテナイの降伏、スパルタの勝利に終わる。


戦争に負けたアケメネス朝ペルシアではあったが、その影響力が失われることは無かった。

度重なる反乱に悩まされることはあったものの、オリエント地域において強大な国であり続けた。

紀元前三百三十年にアレクサンドロス大王が現れるまでは。


また、この戦いを描いた作品は他にもある。



『アサシンクリード オデッセイ』という所謂洋ゲーの歴史シュミレーションゲームだ。

こちらの主な舞台は紀元前四百三十一年から四百四年のペロポネソス戦争下のギリシアではあるが、冒頭部分はテルモピュライの戦いであり、レオニダス王を操作する事が出来るし、そもそもこのゲームの主人公がレオニダス王の孫という位置付けにある。

DLCではペルシアがガッツリと絡んだストーリーも用意されており、非常に楽しめるゲームとなっている。PS4と時間をお持ちの方は是非ともプレイしてみては如何だろうか。


これらの作品に触れることでラコニゾンデス……

"スパルタかぶれ"となること間違いなしである。