やっぱ最初はこれだよね




はじめまして!!

私の名前はIbn Miriamですがあだ名が"ボル"なのでボルと呼んでください!


……と、長々と自己紹介したい欲を押さえ込み、早速始めていきます読書感想


​ここからは誰得自分語りという名の前置き 

私は小さい頃からどういう訳か歴史が大好きで、誰にも教えられたわけでもなく、誰かにやれと言われたわけでもなく、暇な時間(但し学校にいる間に限る)があれば国語辞典を開いて歴史上の人物の名前を探したり、小学三年生でありながら高学年図書室で歴史に関する本を探したりしていた幼き頃。

そんな訳で周りよりも少しだけ詳しいなんて事にもなったりして(他の科目を犠牲にして)。


でも、そこに"読書をしている"という意識は無かった。


では、なんの為に図書室に篭ってたの?


と、言われると答えに困る私。

後付けで理由を述べるとしたら、

「新発見がしたかったから」


なので、元来本を読むということをそもそもしなかった。

そんな私の生活に変化があったのは大学も二年の時の文化祭。

そこで私は昔の版の『レ・ミゼラブル』を発見。七冊二百円で売られていたので私は即購入してしまった。


「レ・ミゼラブルってあれでしょ?当時のフランスの歴史を背景にしている小説でしょ?読んだことないけど名前は知ってるし面白いって」


そんな事を考えていた私。

そしてその時の直感は間違っていなかったと後になって思い知らされる。

何故なら、これがすべての始まりだったからだ。


我は如何にして読書家となったか?


古い版の『レ・ミゼラブル』がきっかけで

"本を読む"という行為にハマった私。

更には当時、本が好きという友人に恵まれた私は彼らを伴って神保町(古書店街として有名)に何度も通っては読みたかった本や欲しい本を買い漁るなんて事を日常としていた。

すると不思議な事が起きる。


本を読めば読むほど新しい発見があるのだ。


「いやいや、そんなん当たり前だろ」


と、思うかもしれないがそういう意味に留まる訳では無い。


例えば。

イギリスの歴史を解説した書物を読んでいると、必ずと言っていいほどいつまで経っても二世が現れないジョン王が出てくる。

そのジョン王の解説に、


『アイヴァンホー』でも暗愚な王として描かれ……」


と書かれているではないか!


ん?『アイヴァンホー』とはなんぞ?

という事で調べるとこれまた歴史小説と判明。

よし!じゃあ読んでみよう!

ん?『アイヴァンホー』って第三回十字軍が背景なのか!他の十字軍が絡む話は無いかなぁ……。第四回十字軍とかどうかな?→えっ?

『バウドリーノ』

以下ループ


と、いうような似た事例が何度も何度も重なった結果……


私の部屋に高く積み上がってゆく本の山


こうして、私は歴史(歴史上の人物、事件、事柄、国など)が大きく絡む本だけを読むようになり、

積読すらもマスターしてしまったのだ!!


さて、ここから本題


そこで今回取り上げるのは

『ギルガメシュ叙事詩』


あれ?さっきまで長々と『レ・ミゼラブル』だの『アイヴァンホー』だの言ってたのにいきなり

『ギルガメシュ叙事詩』?

どういう事?


と思うかもしれない。

だが、これには訳がある。


私も当初は読みたい本を片っ端から読んでいたのだが、私が持つのは"歴史もの"のみ。

古代の時代を扱った物語を読んだと思ったら次はとんでもなく未来に飛び、その次に読んだ本ではとんでもねぇ古代に逆戻り……。

なんか気になる!!集中出来ない!


……そこで閃く私。


せや!これからは読む本の順番を変えよう!!

作中の時代設定が古代になっている物から

始めて、徐々に未来に……即ち現代に

近付けるように本棚を並び替えてしまおう!

そういう訳で『ギルガメシュ叙事詩』なのだ。


そもそも『ギルガメシュ叙事詩』とはなんぞ?

歴史改め世界史をご存知の方々ならば既に知り得ているだろうが一応解説しよう。

ギルガメシュ叙事詩とは、メソポタミア文明の都市ニネヴェ(現:イラク)で発見された、

人類史上最古の文学作品のひとつだ。

世界史においても謎の民族とされ、陰謀論の題材でも人気のシュメール人が粘土板に書き残した、実在した(とされている)ギルガメシュ王の治世をドラマチックに描いた奇跡の物語なのだ。



城壁に囲まれた都市、ウルク。

そこを治めるギルガメシュ王は身体の三分の一が人間で、残りの三分の二が神で出来ていた言わばハーフ。

非常に逞しく、武器の扱いで他に並ぶものはいない程強い彼であったが非常に暴君であった。

昼も夜も横暴は止まらず、民は恐れ戦くのみ。

しかし、耐えられるものではない。

そこで、ウルクの人々は天の神に直接訴える事にした。

人間の声を聞いた神々は、粘土から人間に似た猛者"エンキドゥ"を街外れの野原に置く。

その猛者ははじめ全身が毛で覆われ、その辺の獣と変わらない生活をしていた。

そんな情報が王の元にも伝わったのだろう、王は狩人に「娼婦を連れて奴の所へ行け」と命令をする。


娼婦との出会いで動物性を忘れ、徐々に人間らしくなるエンキドゥ。

時を同じくしてギルガメシュは夢を見た。

それは、エンキドゥが街にやって来るという内容のものだった。

ギルガメシュは宴会を開いて彼をもてなそうとするが、エンキドゥはこれを拒否。

「俺と闘え!」ばりに挑むエンキドゥ。

ギルガメシュも応じて彼と拳闘を始める。

しかし、実力が拮抗するためか中々決着が付かない。

その間にギルガメシュ王の怒りは静まり、仲間意識を抱く。

こうして、王はエンキドゥという仲間を得たのだった……。

ある時、ギルガメシュは森へ遠征しようとエンキドゥに提案する。

森へ行った二人だったが、そこには恐ろしい怪物にして森の門番フワワが居たのだが、二人はフワワを倒し、森に生える杉の木を切り倒した。


そんな勇姿を見た女神イシュタルは逞しいギルガメシュに惚れてしまい、彼に求婚する。

しかし、ギルガメシュはイシュタルがどのような女神であるかを知っている。

これでもかと罵倒すると、イシュタルは父神に泣きついた。


イシュタル「パパー!😭😭ギルガメシュを滅ぼすために天の牛を創って!」


アヌ「だが断る」


イシュタル「さもなくば、死者を蘇らせて生者よりも多くしてやろう」


アヌ「えぇ……(ドン引き)」


と、嫌々ながら天の牛を下界に解き放つ。

ギルガメシュとエンキドゥは協力して牛を倒すことに成功するも、フワワと天の牛を殺した事でエンキドゥに呪いがかかってしまった。

十二日間病に苦しんだのち、ギルガメシュに見守られてエンキドゥは息を引き取る。


これに強いトラウマを覚えたギルガメシュはいつしか不死の命を求め、旅を始めたのだった。

その結果、神から永遠の命を与えられた賢者ウトナピシュティムを訪ねるも、

「神は人間に死を与えたから無理」

と言われてしまう。

それでも諦めきれないギルガメシュは彼から

大洪水の話を聞き、更には妻の勧めもあって

「海底に永遠の命の植物があるからそれを取ってこい」と提案する。

見事に植物を手にしたギルガメシュだったが、そこからウルクへと帰る途中、その植物が蛇に食べられてしまう。(故に蛇は脱皮=不死性の象徴になったとか)


「なんの為に私は苦労したのだ」


と悲嘆に暮れて物語は終了する……。


感想


まぁ普通に面白いですよね。

ギルガメシュ王が実在したと仮定すると

紀元前2600年ほどの時代。

この頃には音楽もあって(Youtubeに動画有)、

文学もあって、粘土板を使って読み書きをしていた。

遺跡から出土した粘土板に宝石店のクレームが書かれていたという話を聞いたことがあるが、それはつまりシュメールの人々が日常的に読み書きをしていたということ。

イメージしにくいが、そこには既に非常に高度な文明があったのだ。


そんな時代に編み出され、人々の娯楽となり、

そして世の王を称えたこの物語は、神話であると同時に当時の価値観、死生観が表れている研究材料とも言えるのではないだろうか。


たとえ神のハーフとはいえ人間である以上、死は逃れられない。

人間は必ず死なねばならない。

生きる者は必ず死ぬのだ。


この物語が成立した遥か未来において、不死は苦しみであるとして批判する動きはよく見られる。

例えば、十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かうキリストを罵倒したユダヤ人はその罪から永遠に彷徨う運命となってしまったり(さまよえるユダヤ人)、兼好法師やマルクス・アウレリウスも「死はすぐにやってくるから適当に生きるな」とも言っている。

そんな彼らよりも二千年以上早くこのような考えに至り、物語として残すその文学性……恐るべし


また、特筆すべきは洪水伝説が出てくるシーンだろう。

安っぽい英雄譚ならばギルガメシュが世界を包む洪水を止めるなり、それを目撃するという筋書きでもいいはずなのに、まさかの賢者から話を聞くという所が面白いところだ。


バビロン捕囚などで故郷を追われたユダヤ人たちもこのギルガメシュと同じような立場にあったのだろうか?と私は考えてしまう。


バビロニアで見た文化に強い衝撃を受けた彼らは現地の民から伝え聞いた洪水伝説を自らの聖典に組み込み、今に伝えた……。


当時の人々が何を思い、何を込めて世に残したか


そのような事を、幾千年を経た先の未来を生きる我々が考えてみるのも少し面白いかもしれない。