ローマの建国神話
ギリシアにはホメロスという偉大な詩人がいた。
一方、ローマには彼に並ぶほどの芸術家は中々現れずにいた。
その中で誕生した、後世偉大な詩人とも呼ばれることとなるウェルギリウス。
彼のその生涯において、最後に記した作品。
それが『アエネーイス』だ。
それはただの叙事詩ではない。
ローマの全てを詰めた一大叙事詩であると共に、ローマという国の名誉と歴史を背に世に生まれた一大プロジェクトとも言えるのではないだろうか。
そんな作者とは
この作品の作者は古代ローマを代表する大天才ウェルギリウス(プブリウス・ウェルギリウス・マロー)。
四世紀の文献学者ドナートゥスによると、彼は紀元前七十年十月十五日に生まれたとしている。
父は正直何をしていたのかよく分からないが、徐々に裕福になったことによって子であるウェルギリウスに十分な教育を施したという。
ウェルギリウスの住む地方にはケルト系の民族が多く、特にエトルスキー(エトルリア人)の影響が強かったようだ。
そのため、「ウェルギリウスもエトルリア人であり、ケルト人だったのではないか?」と唱える者も居ることにはいるが、それは今となっては証明のしようが無いだろう。ローマに住まうラティウムの人々からすると異民族であるエトルリア人の末裔がローマを代表する大詩人となった事はそれはそれで大変興味深いが
いつ頃かは分からないが、ウェルギリウスはガイウス・アシニウス・ポッリオという当時の執政官というパトロンを得て『牧歌』という作品を完成させる。
更にその『牧歌』がのちの皇帝オクタウィアヌスの寵臣ガイウス・マエケナスの目に留まり、以後彼の援助を受けて次なる作品『農耕詩』を完成させる。
なお、このガイウス・マエケナスという男がメセナ運動(文化保護活動)の語源になったという。
その作品の出来を大変気に入ったオクタウィアヌスは遂にこう命じる。
「ローマ建国にまつわる詩を作れ」
そんな壮大な物語のあらすじ
トロイアは陥落した。
アイネイアスは父を背に抱え、息子の手を引きながら、燃え盛る故郷を後にする。
そんな彼ら一行は、トロイアを憎む女神ヘラことユノに発見されてしまう。
最恐の女神からは逃れられない。しかし、アイネイアスの母親もアフロディーテことウェヌスだ。
彼には多くの神々が味方につく。
アイネイアスは遠くへスペリアの地へ行かんと船出をするも、ユノは風の神アイオロスを使って難破させようとする。
その不運を嘆く母ウェヌス。だが、そんな姿を知ってか知らずか、意外な助っ人がアイネイアスの前に登場する。
海の神ポセイドンことネプトゥヌスだ。
彼は自身の海域で好き勝手暴れたユノに怒り、アイネイアスを助けることにしたのだ。
ネプトゥヌスの力で暴風は止み、船はアフリカの北岸へと停まる。
そこは、女王ディードーが治めるカルタゴ。
アイネイアスはディードーの庇護(と恋)を受け、歓待を受ける。そこで、アエネアスは此処に至るまでの海の冒険を語り始めた……。
しかし、いつまでもカルタゴに留まる訳にはいかない。
アイネイアスには新トロイアを造るという使命があるのだ。
愛するディードーと使命。
深く悩むアイネイアスだったが、運命に逆らうことは出来ない。
アイネイアスはディードーに黙って夜のうちにカルタゴを去った。
それを見たディードーは裏切られたと思い込み、アイネイアスから贈られた大切な剣を自らに刺して命を絶つ。
「わたしの遺骨から、わたしの仇を討つ者が、いつの日か現れるだろう」
そう言い残しながら。
アイネイアスはその後も航海を続けたが、悪天候に見舞われてシチリアに戻ったり、冥府に赴いて父の魂(この時既に亡くなっている)から予言を受けたりと、その後も冒険を続ける。
そしてその果てに、アイネイアスは遠く西の国ラティウムへと辿り着く……。
感想
まさに大天才の綴る、最高の物語だ
めちゃめちゃ面白い。ただそれだけ。
これまでのホメロスの作品も面白さを感じる点は幾つもあったが、それに影響を受けているという特徴のために注目ポイントが多い。
それを知るとこの作品に対する好感度が上がる。
また、こう思うのは私かもしれないが、『イーリアス』から『オデュッセイア』に至るまでは「この話のどれかが、史実なのかもしれない……。と、なるとここの部分は盛っているのかな?」と変に疑いながら読むこともあったのだが、今回の作品は完全に後世の人間が書いた創作である。
変に疑う余地がそもそも無いのも気持ち良く読めたポイントであった。
さて、特筆すべきは全体的に対照であることだろう。
あらゆる場面で、ホメロスの作品の影響が強いのは明らかだが、ただの模倣と言うよりは若干のオリジナルを加えて描き、時として対照的にも描いてはいる。
以下、それらを幾つか紹介しよう。
・カルタゴに到着したアイネイアスの語り
アイネイアスは長い長い船旅の末にカルタゴに到着するのだが、その後にディードーにこれまでの長旅のエピソードを披露する。これは、『オデュッセイア』における、オデュッセウスのナウシカに語る構成と一致している。ディードーもナウシカと重なる。
・アイネイアスを助けるネプトゥヌス
『アエネーイス』では救いの神として描かれるネプトゥヌスではあるが、『オデュッセイア』では海の神ポセイドンはオデュッセウスの船を沈めている。
・船旅の途中で立ち寄った島の話、そこで登場する一人の男とサイクロプス
カルタゴに着く前の話、アイネイアスはひとつの島(シチリア)に立ち寄る。
外には一つ目の巨人サイクロプスが歩いており外には出られない。アイネイアスは洞窟を見つけ、そこに姿を隠す。
そこで、アイネイアスは一人の男と出会う。
その名はアケメネイデスと言い、ギリシア人で、仲間と共に船でここまで来たが、はぐれてしまったという。
その仲間とは実はオデュッセウスのことであり、即ち、かつてオデュッセウスが訪れた島に到着した、ということなのだ。
つまり、アイネイアスの前に居るのは故郷を滅ぼした憎き敵の仲間。
しかし、アイネイアスはアケメネイデスの話を聞くと彼を救い、サイクロプスの島から脱出を果たした。
ここも『オデュッセイア』との対比であり、巨人の目を潰して倒したオデュッセウスとは対照的にそうはしないアイネイアスと、敵であれ味方にする寛容性を表している。
・冥府に下るアイネイアス
カルタゴを離れたアイネイアスはシチリアの巫女から冥府に行くように告げられ、そこで父の魂と再会する。
『オデュッセイア』でもオデュッセウスはかつての仲間たちと冥府で会うシーンがある。
また、このシーンはダンテ・アリギエーリの『神曲』にも影響を与えている。後述。
・ラティウムに着いたアイネイアスは先住民トゥルヌスと戦争を起こす
物語後半、アイネイアスはラティウムの先住民トゥルヌスと戦いを起こし、最後は一騎打ちで決着を付けようとするが、このシーンおよび『アエネーイス』の後半は『イーリアス』の影響が強く表れている。
いかがだろうか。
如何にホメロスの作品が世界に与えた影響が大きいかが分かることだろう。私がこれまで二度(実質三度)に分けて紹介した理由もここにあるのだ。
さて、ここまで紹介したシーンにおいて、特に一つ目の巨人のエピソードにおいて興味深い意見を見つけたのでそれも紹介したいと思う。
人によっては、このシーンを"国民性の違い"とか、"ギリシアとローマとの決定的な違い"として挙げることがある。
それは寛容性、クレメンティアだ。
ギリシアは異民族をバルバロイとして見下し、差別した。
一方ローマは異民族であっても仲間として扱い、たとえ奴隷であったとしてもローマの民として市民権を与えた場合もあった。
そこにローマが世界帝国として発展した理由があるのだ、と。私はそこまで思わないな。だってポエニ戦争でカルタゴ破壊し尽くしたじゃん
カルタゴで思い出したが、特筆すべき点があとふたつある。
それは、ディードーの遺言とこの作品の結末である。
この作品は一般的には未完であるとされている。
作者であるウェルギリウスがその途中に亡くなったからだ。
そのためか、ウェルギリウスは死の間際に『アエネーイス』は燃やしてしまえ、とも言ったという。
実際にアイネイアスがローマに到着したあたりからは展開が早く、適当にも感じる。実際に読む際は後半部分のその点に注意すべきだろう。
しかし、一方でこういう見方もある。
作品の後半部分、アイネイアスがトゥルヌスと戦う直前の話。
神々はその光景を見て哀れんだ。
「ローマという地はこれより遥か未来において苦難があるというのに、何故アイネイアスを戦わせるのか」と言う。
結局アイネイアスはその後トゥルヌスと戦い、その戦いが終わった直後に作品は終わってしまう(ために未完だと人々は言う)のだが、この時神々は未来の話をしている。
つまり、アイネイアスが勝利し、ここに新たな国が造られるのも既に決まっていて、それでいて苦難が訪れると言っている。この物語はトゥルヌスとの戦いまでで十分である。
つまり、途中で結末が語られているので完結している、と。
話が脱線しかけたので、ここでディードーの最期の言葉を見てみよう。
「わたしの遺骨から、わたしの仇を討つ者が、いつの日か現れるだろう」
実はこのふたつのシーンは共通している。
勘のいい人ならばきっと分かるだろう。
未来における苦難とは。仇を討つ者とは。
そう。ハンニバルである。
ローマを三度に渡って苦しめ、一時は王都が攻められる、そんなギリギリな局面を迎えローマ人に大いなる恐怖を与えた、世界史全体を見ても勇将として今日になっても名が上がる程の超有名人、カルタゴの英雄だ。
ウェルギリウスが活動していた時代は既に最後のポエニ戦争が終わったあとであるとはいえ、その名が忘れられることはなかった。
『アエネーイス』はローマを建国するロムルスとレムスの兄弟が現れる遥か前の時代としているので、少し違和感というかナンセンスとも感じる部分ではあるのだが、当時の政治観、ウェルギリウス含め当時のローマ人の感性が見て取れる部分とも見ると面白いものではなかろうか。
最後に
Q.あれ?『アエネーイス』が史実かどうかは検証しないの?
A.できません。これは完全な創作物であるから。
もしも、これを期待する者がいたら申し訳ない。
このように評することしか出来ないのだ。
とはいえ、気になる点もある事にはある。
これは私が読んでて思ったことだ。
「『アエネーイス』の物語はウェルギリウスが書いた。では、その全てがウェルギリウスに依るのだろうか?」と。
例えば。
カルタゴの女王ディードーは?
ラティウム改めラウィニウムを建設したという伝説は?
流石のウェルギリウスもそこまで"発明"した訳ではない。
ディードーの伝説はウェルギリウスの述べたものとは少し違うバージョンのものもあるし、トゥルヌスを倒してラウィニウムを造った話はそのままローマ神話へと繋がる。そこでロムルスとレムスというローマで最初の王が現れる。
つまり、『アエネーイス』は『アエネーイス』以前の資料(聖書研究で言うQ資料みたいなやつ)が存在していたかもしれないし、『アエネーイス』がその後のローマ神話を作ったきっかけになったかもしれない。もしくはローマ神話と『アエネーイス』をウェルギリウスは繋げようとしたのかもしれない。
この点のはっきりとした答えを、私は今回見つける事が出来なかった。
もしも、ウェルギリウスがこの作品を本当に完成させていれば、また違った結末になっていたのだろうか?
興味は尽きない。
もしもその答えに辿り着く者が居たとしたら、この記事がそのきっかけになったのだとしたら。
私はこれほど嬉しいことはないだろう。
最後にこの作品を読む際の注意点を。
私が今回読んだのは、過去に岩波文庫から出ていた、泉井久之助という言語学者が訳したものであったが、この版は韻文で書かれている。
七五調で全体を占めているため、本来の本と同じように読もうとすると大きく混乱すること間違いなしなので、そこに気をつけていただきたい。
その影響からか、水車を(みずぐるま)と読んだり、南風を(はえ)と読んだりと普通じゃまず見られない表現が多いのも特徴といえば特徴かな
未完で終わった作品とはいえ、ラテン語で書かれた、ラテン文学の最高傑作という評価は未来永劫変わることはないだろう。
伝承では、アイネイアスの子孫レア・シルウィアと軍神マルスの間に生まれた子がローマを建国し、王となったロムルスであるという。
その後、長く永く時を経てローマは地中海世界を統一した。
ローマで生まれた諸制度は国を越え、そして時代を超え、今の我々にも届いている。
ローマはいつしか滅び、世界は暗黒の時代を迎えることにはなるが、想いが滅びることは無かった。
ウェルギリウスの『アエネーイス』は後の世において、ダンテに強く影響を与え、彼は『神曲』を生み出した。
そこから、人類は文化復興を見出すに至る。
歴史はその時代を再生を意味する言葉で表した。
ルネサンスと。
すべての道は、ローマに通ず。
すべては、ウェルギリウスから、そしてホメロスから始まったと言っても過言ではないだろう。
これより、『イーリアス』から始まった叙事詩による物語は今後こそ、真なる終わりを迎える。
次回からはまた新たな物語が始まることだろう。