C.Loewe : String Quartet No.1 in G-major, Op.24 No.1
知人が年賀状に書いていた「あと4000日」がいまだに気になっている。すべての人間は限られた時間の中で生きている。自分の最期の時をどう心構えすべきか、という宿題にふと立ち戻るのだが、正しい答えなど見つけようもない。腕時計をしなくなってから久しい。高度成長期には、しきりに腕を上げて時計を見るのがビジネスマンの一つのポーズだった。今は労働から放免されたので時間をあまり気にしなくなったのだが、砂時計の砂は日々確実に減っているのだ。
ふとカール・レーヴェ(Carl Loewe, 1796-1869)の歌曲「時計」(Die Uhr) のことを思い出した。久々にYoutubeで聞いてみた。声にどこか甘美さを感じるヘルマン・プライや深い声の響きのクルト・モルの魅力も捨てがたい。ザイドル(Saidl)の詩は、時計と人生の時間とを同一視して歌ったものだ。
Hermann Prey "Die Uhr" Loewe
Kurt Moll "Die Uhr" C. Loewe
レーヴェはバラードを含むドイツ歌曲だけでなく、宗教曲、交響曲や室内楽も書いていたことはだいぶ前に知っていた。シューベルトとほぼ同年代の生まれで、音楽史的にも知られているこの人の室内楽作品に見落としがあるとすれば注目すべきだと思っていた。数年前から Youtubeに彼の弦楽四重奏曲全4曲の演奏が載っていたが、最も気に入ったのは第1番だった。CDはライプツィヒ近郊都市のハレで活躍する演奏家たちが結成したハレンシア四重奏団(Hallensia Quartett)による貴重なものだが、録音の制作音量が小さくて聞きにくいのが残念。
String Quartet in G Major, Op. 24, No. 1: I. Allegro
Hallensia Quartett(独文)
https://www.hallensia-quartett.de/
この曲の作曲年代は1821年ということで、彼は25歳だったことになる。ベートーヴェンは存命中(51歳)だが、いわゆる後期の弦四群はまだ書いていなかった。ベートーヴェンは1810年までに中期の傑作「ハープ」と「セリオーソ」を作曲していた。しかし1812年から1821年までの10年間は室内楽、特に弦四の空白期になっている。レーヴェと同年代のシューベルト(Franz Schubert, 1797-1828)が通称「ロザムンデ」と呼ばれる弦楽四重奏曲イ短調を作曲・出版したのも3年後の1824年になる。音楽史的にはこの「ロザムンデ」や「死と乙女」およびベートーヴェンが書いた12番から16番の後期の弦楽四重奏曲だけが重要視され、レーヴェの曲は見過ごされることとなった。彼自身の活躍の場が中央から遠く離れたポーランドとの国境の町シュテティン(Stettin)(現ポーランドのシュチェチン Szczecin)だったことも原因の一つと思われる。しかしながら古典派後期からロマン派初期への過渡期に、レーヴェが歌曲のみならず、伝統に基づいた確かな作品を残していたことはもっと評価されてもいいと思っている。
楽譜は、1832年ベルリンのワーゲンフュール社(Wagenführ) から出た初版譜がIMSLPに収容されているが、印刷の不鮮明な部分もある。
https://imslp.org/wiki/3_String_Quartets%2C_Op.24_(Loewe%2C_Carl)
米国のレアもの専門の室内楽の楽譜出版社シルヴァートラスト社でも取り扱っている。楽曲と作曲者の紹介も的を得たもので、その着眼点に同調できることが多い。
Edition Silvertrust : Carl Loewe
String Quartet No.1 in G Major, Op.24 No.1
http://www.editionsilvertrust.com/loewe-string-quartet-1.htm
第1楽章:アレグロ
冒頭は静かな朝の湖畔の水面を思わせる。
続いていきなり悲壮的なモチーフが第1ヴァイオリンから出てくる。このように平静さのあとに荒々しさが来るモチーフの交換が間髪を入れずに次々と続いていく。そこにはテーマの展開よりも異質なモチーフのパッチワークのような組合せが見えて、ロマン派初期の新しい試みの一つなのかと思わせる。
第2主題に相当するテーマは、従来の慣例の優しいおとなしい性格のものとは正反対の、ちょっとおどけて飛び跳ねるような動きを見せる。
第2楽章:アダージォ・コン・アドラツィオーネ
String Quartet in G Major, Op. 24, No. 1: II. Adagio
Hallensia Quartet
ハ長調、6/4拍子。コン・アドラツィオーネ(con adorazione)という珍しい発想記号が付いている。「憧れをもって」という意味のようだ。しみじみとした味わい深い楽章である。ベートーヴェンの後期弦四第13番のカヴァティーナ(Cavatina)楽章を思わせるが、レーヴェの方が先に作っている。古典派からロマン派への過渡期の感情表現(時代の空気)なのだろう。実際演奏する側でも充足感が得られる。
第3楽章:スケルツォ、プレスト
String Quartet in G Major, Op. 24, No. 1: III. Presto
Hallensia Quartet
ト長調、3/4拍子。薄暗い霧の中を、地中を這うモグラのようにチェロが一人で進んでいく。14小節目からヴィオラが入り、さらに10小節進むと第2ヴァイオリンが合流する。和声のバランスは取れているものの、まだ方向性が定まらない。さらに18小節先で第1ヴァイオリンが加わる。4人での模索がしばらく続く。
Beethoven : SQ No.10 Harp
このチェロの独歩のパッセージは、ベートーヴェンの弦四第10番「ハープ」のスケルツォ楽章の中間部からの影響もあるかも知れない。
81小節目で突然霧が晴れるように明るいテーマが姿を現わす。この内心の安堵感は素晴らしい。このテーマは倍速ながら第2楽章の音型と似通っているので、親近感がわく。
第1ヴァイオリンの音型に合わせる伴奏側の動きが面白い。最初は頭打ち(1拍目)4回、次いで中打ち(2拍目)3回のあと全員が揃う。これが気持よく合っただけで嬉しくなる。
第4楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ
String Quartet in G Major, Op. 24, No. 1: IV. Allegro
Hallensia Quartet
ト長調、2/4拍子。ビー玉を小太鼓の上に落下させて反発する様子を見る理科の実験のようで面白い。平板的・無機的な音型は、音楽の奇抜さであり、面白さでもある。
Beethoven : SQ No.7 "Rasumovsky No.1" mov.2
平板な音だけのリズムの変化は、すでにベートーヴェンの弦四第7番「ラズモフスキー1番」第2楽章冒頭のチェロの動きでも出会っているが、音階が動かない状況ではリズムに注目というか注耳するしかなくなるのだ。
中間部では、別のテーマがヴィオラのソロでも歌われ、各パートにも広がっていく。レーヴェの曲は、全体的に見ても古典派の様式美からまだ抜け出せていないことがよくわかる。この時代は、最晩年のベートーヴェンが第九をはじめとする最後の傑作群を生み出す時期にも重なるので、レーヴェもその時代の挟間で生きていたのだと改めて感じる。
*参考サイト:日本カール・レーヴェ協会、カール・レーヴェの生涯と作品
http://carl-loewe.sakura.ne.jp/carl%20loewe.html