お尋ね者を探しているのではない。会いに行くのである。こんな日に限って寒いが、薄着で出かけるから震える。

寒波襲来で各地で雪が降るとまで予報されていたから、寒いのは容易に感じられる。セーターも着、ジャンパーも着、その上にハーフコートを覆い、今日はマフラーを巻いた。頬が寒風にピリピリするが、その他は温かく感じられた。特に首回りが温かい。

大阪駅へ着くと環状線の内回りに乗り込み、次の駅福島で降りた。「CoCo壱番屋」に入った。カレーが食べたくなったからだ。しかも、電車の中でカツカレーにしようと決めていた。

「この、勝つカレーをお願いします」

「ご飯の量と辛さはどうしましょうか」

「量は普通で。普通って言うけど分かり難いなあ。どの位の量なの」

そうするとウエイターが答えた。

「ご飯2杯分です」

「えっ? それだったらもう1段落としてくれない? 辛さは3辛(カラ)で」

運ばれた勝つカレーは、ご飯の量がイメージより少なく感じられた。デミグラソースが付き、更に濃いソースが付いて来た。デミグラソースをカツの上にかけた。濃いソースもかけた。おっと、辛い!

まだ勤めている時、同じ名前の店に何度も入った事があって、数字が大きくなるに連れて辛さが増すと言う事は知っていた。5辛までは誰でも注文出来るが、6辛からは5辛を体験した者でなければ注文出来なかった。3辛がとても辛い事はその時に分かっている。だが、まあ、私には刺激があって美味く感じられた。

或る時シマさんと行った事がある。彼は3辛だったか何だったか忘れたが、私は5辛に初挑戦をした。美味いとか味が良いとか感じる術はなかった。ただ無性に辛かっただけだった。キムチなどの辛いものは好きで平気だが、これは味わって食べると言った代物ではなかった。

5辛は体験したが、その後6辛から10辛までのどれにも挑戦する事はなかった。そこまでしてピリピリだけを感じようとは思わなかったからだ。美味しく食べる事が1番で、魯山人だって、そんな辛いものは敢えて食べなかったのではないだろうか。因みにだが、5辛は1辛の12倍の辛さである。

そんな事があるので、私はその美味さの限界の3辛にしたのだった。美味い、ピリピリ、美味い、ピリピリの波の中で、勝つカレーを楽しんだ。衣がサクサクで、こんなに美味いカレーも久し振りだった。

ザ・シンフォニーホールの前の短い並木道を通るとそこに丸くなった鳩がいた。ふくら雀ならぬふくら鳩で、私と同じだと思った。こんな小さな鳥にも、知恵がある。空気を取り込んで丸くすれば体が温もる事を知っている。

また会いに来れたヴァイオリニストとは、右側のほうれい線にホクロのある川井郁子だった。白いドレスが清楚だ。バレンタインデー間近の今日は、様々な愛の心が表現された名曲を中心に演奏すると言う。

第1部

リチャード・ロジャース : サウンド・オブ・ミュージック

ヨハン・シュトラウス2世 : 春の声

アラム・ハチャトゥリアン : 「仮面舞踏会」よりワルツ

サミー・フェイン : 慕情

エンニオ・モリコーネ : ニュー・シネマ・パラダイス

ニーノ・ロータ : ロミオとジュリエット

アラン・メンケン : ホール・ニュー・ワールド

川井郁子 : 追憶の海(映画「北のカナリアたち」より)

カミーユ・サン=サーンス : 白鳥

ピョートル・チャイコフスキー/編曲:川井郁子 : ホワイト・レジェンド~「白鳥の湖」より~

ロシア民謡 : 黒い瞳

ヴィットーリオ・モンティ : チャールダーシュ

(休憩20分)

第2部

エドワード・エルガー : 愛の挨拶

アンヘル・ビジョルド : エル・チョクロ(キス・オブ・ファイヤー)

マルグリット・モノー : 愛の讃歌

エリック・サティ : ジュ・トゥ・ヴ

ジョルジュ・ビゼー : 歌劇「カルメン」よりアラゴネーズ、ハバネラ

マイク・ウィルシュ、マイク・ディーガン : オー・シャンゼリゼ

ジョン・ウィリアムズ : ジョーズ

宮川 泰 : 宇宙戦艦ヤマト

ヨハネス・ブラームス : ハンガリー舞曲第5番

ホアキン・ロドリーゴ/編曲:川井郁子 : 恋のアランフェス(レッド・ヴァイオリン)

アストル・ピアソラ : リベルタンゴ

久々の1階席だったが、それも一番後ろから2列目。双眼鏡を持って来て良かった。

「ジョ-ズ」は曲目の変更をして、「ふるさと」になった。その理由は、こうだ。

「そんなに難しい曲ではありませんが、暗譜しても何か上手く行かないのです。今日は全部暗譜でやっているので、これだけ譜面台に置いて演奏したくなかったのです」

「私はよく上の方を向いて演奏しているのですが、何処を見て演奏しているか聞かれます。実は少し上の辺りに大きな楽譜を張っています。それを見て演奏するから、その辺りを見ているのです。目つきが怖いと言われます」

私には、それが大いにセクシーさを感じさせていた。だが、この事実は冗談ではないだろうかと思った。

第2部では薄いピンクのドレスに、銀色に光る大きな模様が刺繍してあるようだった。ラメが施され、キラキラとも虹色とも取れる光を、まるで星の煌きのように放っていた。

女の子が1人いて、もう10歳になったと言った。双眼鏡の中の川井郁子は十分に楽しんで演奏していたが、それにも増して、とても美しく魅惑的だ。それにスタイルは抜群と言っていい。ファンもきっと多い事だろう。

単にヴァイオリニストと言うだけではなく、作曲家でもあり大阪芸術大学の教授でもある。それだけに止まらず、女優でもあるのだ。東京藝術大学を卒業し、その大学院を修了している。それに、ホセ・カレーラスや熊川哲也らとも共演している。

羽生結弦、荒川静香、ミシェル・クワンなどの世界的なスケート選手も川井郁子の手掛けた音楽と共に、リンクを華やかにして来た。パリ・オペラ座公演を成功させるなどその行動範囲は多彩で、類稀なる才能を欲しいがままにしている。

今日のコンサートは、今日初めて会って演奏したと言う若い演奏家と一緒だった。ヴァイオリンもヴィオラもチェロもコントラバスも、ピアノはフェビアン・レザ・パネと言い、9人の弦楽合奏団と11人で演奏した。

最後はアメージング・グレースを無伴奏で演奏して終わった。兎に角その美貌と才能には唯々音さえも観ている他はなかった。

彼女の演奏は短編小説のようで、長いものはない。丁度いい塩梅の曲ばかりだし、敢えて選んで聞かせてくれているのだろう。長いと、私のブログのように飽きたり、退屈してしまう事をよく知っているのだろう。前回に買ったCDもそんな曲が目白押しだ。

ほうれい線のホクロを双眼鏡のお蔭で観る事が出来たが、それはつまり1階の1番前の席で観ているようなものだったのである。そのほうれい線のホクロは、今度程庶民的な川井郁子を感じさせてくれた事はなかった。演奏中の視線の訳まで聞かせてくれて、それは親しみと庶民性とに拍車を掛けた。

顔にもどことなく柔らかさが出てきたように、双眼鏡は伝えて来た。離婚をして、母として娘を育てて来た健気さが、そんな変化を齎したのだと思った。

外はそんなに寒くは感じなかった。歩いて大阪へ向かい、ラーメン屋に入った。まるで冒険だった。TVでいつか食レポもして美味い! と誰かが叫んだチェーン店だった。1度食べて置かないと、何時まで経っても気になって仕方のないラーメン屋として残るだろう。

〇〇〇〇と言うこの店での1番のお薦めはラーメンで、こってりとしたもの、普通のもの、薄味のものがあった。店員はこってりしたものがお薦めだと言った。それを注文したが、最後に持って来てくれるよに頼み、最初はビールやライム味の酎ハイを餃子と共に飲んだ。

何だか自分が酒場放浪記をしているような気分になる。豚キムチと飲んだ後は、ラーメンを持って来てくれるように言った。麺は細いのと太いのがあってそれも選ばなければならない。ちょっと面倒なラーメン屋のように思えた。

こってりして濁り、美味そうだと言う実感は湧かなかった。不味くはないが、美味くはない。店員が口は優しく見せかけているが、客の方に心が向いていない。ラーメンを持って来て貰おうとして手を上げても、長い間こちらを見ない。厨房の男と何やら楽しそうにじゃれ合っている。こんな姿を見せられたら、美味いものも不味くなると言うものだ。そうでなくても、ここのラーメンをもう1度食べようと言う気にはなれなかった。大声を出したら不快そうな顔をしてやって来た。

これで一件落着だ。もっこすのラーメンがどれだけ美味い事か。こうして自分の中で淘汰されて行く。勿論ファンもいる事だろうし、私がそうだからと言ってその通りではないだろう事は承知済みだ。

高速バスに乗り、家路を急いだ。真ん丸な月がくっきりと光っている。秋の十五夜の月のように感動はしなかったが、今日の月は満月に違いない。確かに1月28日の新月から指を折り畳んでみると、15夜目ではある。

川井郁子のヴァイオリンに出会えた事と大した味ではなかったラーメン屋に入れた事に感謝して、明日からのダイエットを目指しながら布団に潜り込もう。またあの最初の冷たさに吃驚しながら。


【2月11日のブログ】
朝起きて、歯を磨いて、顔を洗って、頭の形を決めて、ご飯を食べて、バスに乗った。

こんな作文を小学生、特に低学年はよく書くと思う。でも、私の今日(10日)の朝はこうだった。

8時10分過ぎに家を出て、名谷駅までバスに乗った。そこから地下鉄で大倉山まで行き、文化ホールへと。9時半から実行委員会があった。それが終わると、新大阪まで新快速に乗り、そこからは各駅停車で次の駅の東淀川駅で降りた。

いつもは駅のすぐ前の食堂で天ざる蕎麦を食べるのだが、常々気になっていた店「㠀人(しまんちゅ)」へ初めて入ってみた。結構広くて、向かい合わせの席、4人掛けの席、10人近く座れる席などが10も並んでいた。

入った理由は、シマさんに連れられて奄美で食べた鶏飯がここにあったからだ。だが、

「1時過ぎて暇になったら作ります」

と言われた。これではブログのネタにもならない。しかし、

「では結構です」

と言って席を立つ訳には行くまい。

「では、店の前に書いてあった新商品を下さい」

と言った。

「ああ、牛バララーメンですね」

「はい、そうです」

それは、牛のバラ肉が結構入っていた。餡かけになっていて、熱い位だ。具は、人参と蕪だった。朝方雪がちらっと舞った程だから、寒い体がすぐに温まって、外に出るとコートを手に持つ程だった。

1時からオカリナの練習をする事になっている。まだ1時間もあった。そこで、「ミスタードーナッツ」でコーヒーを飲んで時間を潰す事にした。お腹はあのラーメンで十分だったが、ドーナッツがあるのに食べない訳には行かない。ポンデリングを始め、2個食べる事にした。コーヒーはお代わり自由だ。

歩道が丸見えの横に長い席に座った。1人だから、4人座りのボックス席は避けた。行き交う人がまるで動物園の檻のようによく見える。それに、女性が間歇泉のようにではなく不規則に右から左から歩いて過ぎる。個性的でセンスのある女性を見て、路上のファッションショーのようだと思った。綺麗な女性が多いのも或る発見でもあった。

まだ時間は30分も経っていない。コーヒーのお代わりをするのと同時に、今度は小さなまん丸いドーナッツ8個入りのものを貰った。時間潰しの為には仕方がなかった。

30人以上のファッションショーを見た。こちらが檻の中なのだろうが・・。男性は、年配の無職風のおじさんや、昼食を食べる前か後かの背広だけの寒そうに背中を丸めた中堅の男達だった。

もう1時に15分前だ。練習会場に行った。もう来ていた。何と、1時間前には来ていたと言った。ラーメンだけで済んだものを、また2キロは増えているだろう。

次の予定があるので、5時にそこを出た。まあ4時間練習をしたが、今迄で一番長い時間だった。

次は三宮のチキンジョージへ行く。6時30分開場、7時30分開演だ。6時には三ノ宮に着いていた。こんな中、外で待つのは辛い。松屋に入った。しじみ汁と漬物付きの牛丼を注文した。味は吉野家とは違うが、それは好き好きだろう。

しじみ貝は小さくはなかったが、中の身は滅法小さかった。宍道湖などのものとは違って余り美味しいとは言えないが、全部身は食べた。漬物の皿に貝殻を入れ、全部食べたら再び汁椀に戻した。

チキンジョージには6時20分頃に着いた。私が1番だった。それから、2人の女性が来た。1人はよく知っていた。知っていた人は80歳にはなっていなくて、初めて会った人は80歳を超えていた。どちらも若く見え、品のある顔形だった。

1番に入ったので70人は準備されている席の何処でもより取り見取りだった。2人の女性と一緒の席に座る事になった。最前列の次の席を選んだ。大きなスピーカーの側は、3人共避けた。大ホールですぐその傍だった事のある3人は、その時ガンガン響いて、聴く場合ではなかった事が共通していた。

ヴォーカルの小林エミの「Birthday Live」だったのである。私が親しくさせて貰っているお寿司屋さんの女将の妹だ。知ってから14、5年になる。エミさんは高校生の頃からオールディーズやジャズを歌っている。佐川満男とも一緒に歌う程の仲良しでもある。

エミさんの同級生も沢山駆けつけている。ギター松下誠、ベース藤岡敏則、サックス春名正治、ピアノ・キーボード倉田信雄、ドラムス宮崎まさひろのメンバーだ。エミさんの自然体のMCはとても面白い。貫録と言おうか、ハイヒールモモコに似ている。だが、テレビ番組の「よ~いドン!」などに出たら、多分堂々としたものだろう。

61歳になると言う。2月10日は、エミさんの誕生日だ。私は、毎年行ける時は聴きに行っている。元気が貰えそうな、凄い張りのある声をしている。喉の鍛え方が違うのだ。

バックのメンバーも活躍している人が多い。倉田信雄もさだまさしのバックをずっと続けていて、今年は西日本を中心に巡業するそうだ。「さだ商店」? とか言うチーム名で。

7時30分から8時30分まで演奏し15分の休憩。8時45分から9時55分で一応終わったが、アンコールで再び歌い始めた。聴きたかったが、葛藤の末10時5分に私1人、その場を去った。最終の高速バスに乗る為だった。JRなら幾らでもあるが、垂水駅まで行っても、そこからのバスは10時30分で最終バスとなる。そのバスには間に合わない。そうなると、あの寂しい路地などを通ったりして、家まで1時間10分を歩く事になる。2,500円に近くなるタクシーなどには乗りたくないのだ。

高速バスには乗る事が出来た。これは楽ちんだった。ひらっと目の前を花びらが散ったようだった。桜の花びらのようではなく、雪柳の花びらのように小さかった。一瞬の事だったが、確かに一片の雪だった。

チキンジョージを出た時の寒さと言ったらなかった。多分、今年中で一番寒いと感じた瞬間だった。

月が朧になっているが、何だか真ん丸に近い。明日が望月なのだろう。

星座占いの今日の運勢は90点だった。いちいち信じる訳ではないが、点数が良いと気分も良く、点数が低いとテンションも下がるのが不思議だ。影響されるのだろうか。

ただ恋愛運と言うのがあって、それが5つのハートが全開だった。恋愛がどうのと思ったり、そこに書いてあることを考えたりする積もりもないが、「抜群の恋愛運」とはどう言う訳なんだろうとは思ってみた。それは路上のファッションショーだったり、朝バスに乗る時にいた女学生が履いていたいた靴が私と同じ数日前に買った「ニューバランス」と同じだったり、新大阪から各駅の電車を待つ時にいた矢張り女子学生が履いていた靴が、Nのマークの入った「ニューバランス」だったりしたのだった。恥ずかしくて側には寄れなかったが、そんな事さえ抜群の恋愛運と言える事だったのではと思う。

断って置くが、恋愛などと言うにはほど遠い毎日である。

同じ靴。路上のファッションショー。ライブを一緒に聴いた80歳前後の2人の婦人。「抜群の恋愛運」と言う言葉の意味が分かるようである。点数など気分の問題だろうが、それでも今日は女性日和だった。電車の中の向かい合ったボックス席でも、私は通路側に座っていたが、窓際に寄って行って私の横に座ったのは若い女性だったし、私の前に座ったのは目鼻立ちのはっきりした女性だった。

8時から22時45分まで鉄砲玉だったが、約15時間の出ずっぱりだった。会社員だったら2日分働いた時間だっただろう。忙しくも面白い1日だった。
夕方に訳あって「いぶきの森球技場」に行った。フットサルが出来るような広い芝生に、そこまで小さくはないゴールが10基、前後面や側面や真ん中にも並べられていた。

先ずは寒い。1階はトイレが中心で2階は休憩したり温まりながら芝生に目を遣る、大きなヴィッセル神戸のマークの付いた建物がある。その前と横には、4つの飲料自動販売機があった。先ずは午後の紅茶のプレミアムに目が行った。温まろうと思ったのも束の間、ボタンを押したのが冷たい方だった。

震えながらその間中身を飲み干すと、透かさず今度こそはと温かい方のコーンの粒入りのポタージュを選んだ。芝生に立つ小学生の女の子を見た時、ほんの瞬間だったが、恰好いいと思った。これも、世界へと広がる夢を含んだ上での思いだった。

そんな頃、私は走ったり跳んだりしていた。長距離だけは絶対に無理だったが、短距離とか瞬発力を必要とするものには自信があった。だがもしその頃サッカーがこのように在ったとしたら、どうだったか。走り続ける体力も無く、それは自ずと淘汰されていただろうなあ。

空を仰いで見た。何と地の端から地の端まで全く途切れる事もなく、飛行機雲かと思われる真っ白な虹のようなアーチが弧を描いて、完全な巨大な橋になっていた。幅は虹の二色分位の細いものだった。単なる飛行機雲はこんなアーチは描かないし、そんなものは見た事もなかった。だが、一体何だろう。大きな雄大なものだった。珍しく思え、何遍か仰いで見たし、端から端まで自分の目で渡ったりもした。

昼過ぎから昇り始めていただろう半分以上に成長した月が、60度位の目の先にあった。白い月だった。日はまだ暮れてはいなかったが、もう規模の小さなナイターの灯りが点いていた。だからと言って、緑の芝生が美しく映える程、光は強くはなかった。

学年が違うのだろう。4つのグループが、大きなエリアを独占しながら練習していた。小学生の頃から、若しくはそれ以前から、親がかなりのプロなら2歳頃からでも自然にやれていたら、その夢は遥かに実現の可能性が出て来る事だろう。普通の生まれなら、親が通わせるか自分で選んでやり出すかの方法でしか、やりたいものに出会う事もない。

少々遅くても、将来自分の楽しみや喜びになる事は間違いない。趣味が高じて生活の一部になる事だってあり得るのだ。そんな究極の言葉に、「六十の手習い」がある。何か一つと思ってみるが、何が最後まで残るのだろう。

2階の暖かい部屋から一連の指導と子供の動きを観ていた。帰る時にはアーチの雲所か、真っ黒になった空に一番星が、でかい指輪のの石のようにきらっと光っていた。月は黄色味を帯び、80度位の所に昇っていた。




やっと今日届いた「空が青いから白をえらんだのです(寮美千子編)」を捲ってみた。さみしい、母親のいない事を友達の前で話してから変わった奈良少年刑務所にいるこの少年の新たな詩が載っていた。


言葉

言葉は 人と人をつなぐ

ひと言だけで 明るくなり

ひと言だけで 暗くなる

言葉は魔法

正しく使えば

たがいに楽しいし 気持ちがいいけど

間違えば  

自分も相手も傷ついて 悲しくなる

言葉はむずかしい

けれど 毎日使うもの

大切に使って

言葉ともっと なかよくなりたい




昨日(7日)は、朝から加古川の公民館に行った。オカリナ演奏とお話のためのリハーサルに。

加古川の駅には既にKi君とO君が待っていた。9時30分の待ち合わせだったが、私は9時20分に着いた。Ki君は律儀と言うか性格と言うか、8時半には着いていたと言うから、大したものだ。

加古川公民館に着くと、間もなくHiさんとKikさんが来た。どちらも公民館のサークル全体の会長だったりの役員だったりだが、最初に加古川で演奏した時から親しくなった人達だ。態々私のリハーサルに立ち会ってくれた。Hiさんは忙しく、終わった後にはすぐに帰って行ったのだけれども。

私に要請をした女性の職員は色々3階のホールでの準備をすると降りて行ったが、4人の男は色々と、どちらがいいと言った事まで、その都度伝えてくれた。聴く場所を替えたりし乍らも。

スピーカーは仮設ステージの後ろ上方左右に2つある。音が広がってよく聞き取れないが、私には集中力が要求される所だ。途中で狂ったら最後に、「ちょっとずれましたね」と言おうと思っている。兎に角音響に関しては物凄く気を遣う。

4人それぞれの言葉からそうしようと思った事が3つある。これは、私には演奏している場所からは分からない事だった。

1つ目は、ホールの厚いカーテンを全部閉めると言う事だった。私は、響かせる為に窓ガラスを剥き出しにして、カーテンは開ける事を要求していた。だが、このホールは響きが良過ぎて、カーテンを閉めて丁度いい位になっていると言う。

2つ目は、CD伴奏はスピーカーから音を出すが、オカリナはマイクを使わないと言う事。これは、マイクとオカリナとの距離感がとても難しい上に、ソプラノC管に至っては、「耳がキンキンする」と言うからである。それは私も好まないが、それならばとマイクなしでオカリナを吹いてみた。皆、腕を丸くした。「それがいい」と言わんばかりだった。その動作で、十分に響いている事が分かった。

3つ目は、CDの各曲の音量である。基準のボリュームを決め、後は曲によって上げたり下げたりする。それはKi君に係をお願いした。ここにはそんな機器が無く、ラジカセに繋いで音を出して調節する。Ki君には今回はずっと聴いて貰おうと思ったが、またまたお願いをする事になった。

このリハーサルをしなかったら、とんでもない事になっていたに違いない。とても有り難い時間が持てたと思う。結局、1時間半を費やし、皆さんにはお世話になった。



Hiさんは帰り、Ki君、O君、Kikさんと私は、駅に近い酒場に入った。4人でセットになったあてを注文し、生ビールで乾杯した。これがあるから演奏だってリハーサルだって出来る。これがあるから頑張れる。だから集まれる。

豆腐もあるが、これは何杯でもお代わり出来るらしい。特別のたれを付けて食べると、殊の外美味い。皆お代わりをしたが、流石に3回目も貰ったのは私だけだった。天ぷらあり、刺身あり、それはあてにはベターなものだった。グッドは超えている。ベストはそう頻繁にあるべきものではないので、ここでは最高の意味を込めて、ベターと書いてみた。

ここで私は、健康食品の話をした。私の言葉を信頼してくれているのか、歳が歳の3人は健康に非常に関心が高いのか、しっかりと私の話に耳を傾けていた。

「会社から、何ぼか貰っとるな」

とか、

「その会社の回し者と違うか」

などと冗談を言いながら、それでも電話番号の段になると、しっかりとメモをし出した。全員がである。と言っても3人。

「明日、電話してみます」

と言う人も。Kikさんだ。我々より1、2歳上だと思う。ディスクプレーゴルフの上手い人だ。

会社名は本当に私が宣伝していると思われてもいけないので、TVではよく放映しているから興味とチャンスがあれば観て頂けたらと思う。

私がこのユーグレナを飲み始めてから4、5日が経ったばかりだった。健康補助食品で、もう何年も続けていた青汁を止めてからの転換だった。水に溶かさなくてもよく、1日1回3錠の美しい緑色のカプセルを飲みさえすればいい。59種類の栄養素を持つユーグレナの魅力は隠せず、飲む為に朝が待ち遠しい位のインパクトと納得性がある。

3種類の国産野菜を独自に配合してあるのも凄い事である。まるで青汁に入っているものが入れられていると言ってもいい。このユーグレナには、「大麦若葉、明日葉、ケール」が配合されていると言うのだから。

まだ数日経ったばかりだから成果までは言えないが、何となくそうではないかと言える事がある。夜3回位は目が覚めてトイレに行くのが習慣みたいだったものが、朝6時頃まで目が覚めず、それから7時までだってトイレが楽に我慢出来るのだ。まだはっきりした事は分からないが、他に心当たりがない。

昨日は4人で加古川で飲み、Ki君とは明石で降りてまた飲んだ。生ビールと焼酎は、2人に取ってセットのようなものだ。違いは、私が芋焼酎、彼は麦焼酎だ。芋は匂いが嫌だと言っているが、私には堪らなくいい香りだ。色々違っていい。だから人間、会えば楽しいと思う。



そして夜になり寝たが、その前に体重計に乗った。沢山食べ沢山飲んだので、いつもの重さより2キロも増えている。朝になって減っていなかったらどうしよう。恐怖が諦めと努力の間を、右往左往した。

ここから聞いて頂きたい。これもユーグレナの何かの作用としか思えない事だ。真夜中12時に床に入った。トイレに行って寝たのに、堪らなくなって目が覚めた。体を起こして録音室へ。まだ12時40分位だった。戻って布団を顎まで掛けた。するとまたすぐに模様して来た。1時過ぎだった。寝た。起きた。行った。その繰り返しが、朝6時までに6、7回続いた。最高記録である。喜んでいいものかどうか。

しかしである。よくぞ模様してくれたと思った。病気かと思う程だった。溜まった水分をどんどん夜中構わずに排出し続けてくれていたのだ。余程水分が増えていたに違いない。

この2、3日は、寝る前にペットボトルの水を沢山飲んで寝るのに、朝6時まではトイレに行く事はなかったのだから。緑茶やコーヒーを飲んで寝ればどうしても利尿作用の為に起きてしまうのは必定だとは分かっている。

朝起きて体重計に乗った。何と、2キロ減っていたのだ。水分をこんなに排出すれば軽くなるのは分かる。けれど、2キロ減でも、毎日朝見る体重よりも800グラムは更に減っていた。これはユーグレナのお蔭ではあるまいか。今もそう思っている。

因みに「グレナ」と言うサプリメントもあるが、それはよく眠れる為のものだそうである。最初は、これを購入したいと思っていたのだが、何故か「ユーグレナ」に軍配が上がってしまった。DHAやEPAの話は素晴らしい。

ユーグレナに含まれる59種類の栄養素を全部書き出してもいいが、それこそ回し者と言われるといけないので、概要だけ書こう。

ビタミン類(14種類)。生きていくために必要な種類の」ビタミンをカバー。

ミネラル(9種類)。女性に不足しがちなカルシウムや鉄分などのミネラルが補える。

不飽和脂肪酸(11種類)。青魚のサラサラ成分DHAやEPAなど、食からしか補えない成分。

アミノ酸(18種類)。体内ではつくれない9種類の必須アミノ酸をはじめ多彩に含有。

その他注目成分(7種類)。注目のスッキリ成分パラミロンやリラックス成分GABAも含有。



今から何をするかって。勿論寝るけれど、芋焼酎か梅酒かのどちらかを飲んで、水を沢山ごくごく飲んで寝る積もりだ。自らに実験を課しているのである。そうしないと、ユーグレナも日の目を見ないのではないだろうか。

明日(9日)は近畿地方も広範囲に雪が降ると予報されている。10日は更に寒くなるそうだ。寒さの所為で何度も起きると言う結果にだけはならないようにしたいと思っている。ユーグレナのカプセルの色の美しいのが嬉しい。明日の朝、夕暮れなのにまた出会えるのが楽しみで仕方がない。
2度味わったからと言って、何ら珍しい事でも何でもない。シンガポールやマレーシアでは、4度味わう事が出来るのだ。探せば、もっと味わえる国があるかも知れない。

神戸には、元町商店街に入ると南京町広場がある。そこからすとんと南には海榮門があり、東には長安門、西には西安門がある。そのエリアを南京町或いは中華街と呼んでいる。

午前中の卓球教室が終わると、家でシャワーを浴びた。すぐに準備をして、高速バスに乗った。日本ではかつて旧正月と言って祝っていたが、今は殆ど姿を消した。しかし、アジアではこの旧暦によるお正月が祝日となっていて、新暦の1月1日に当たる日が、今年は1月28日となっている。

当然南京町では前日(27日)から春節祭が催され、お祝いの真っ只中となる。本当は昨日が旧暦の元日なので行ってみようと思ったが、ただ疲れていると言う理由を付けて、行かないでいた。だが、バスに乗れば行ける範囲だ。遠くの人達は、行きたくても行ってみる事もあるまいが、矢張りその祝いの中に入ろうと考えた。卓球に行く前の事だった。

今日でイベントはお仕舞いになる。私が着くと音楽が終わった所だった。二胡や琵琶の演奏で、これこそ中国を感じさせるものなのだ。ロープが張られたりして、人だかりはその中でステージを見つめている。爪先立ってもよくは見えなかった。イベントを見に来た訳ではないが、次は太極拳があると言う話だ。座っても疲れるのだろうから、ステージイベントはスルーしよう。

お正月の初詣のように、凄い人だ。だが、どう見ても、そう思うからかも知れないが、中国人が多いように思った。若い女性は明らかに中国人の顔をしていた。とても日本人には見えない。

少しずつ、服が触れ乍ら、長安門の方へと流されて行った。中華そばを食べようと思っていたが、余りの人出と行列の為に、食欲も萎えて行くようだった。ここに来た目的は、雰囲気を感じる為と、1番は豚まんを買って帰る事にあった。

商店街から入って近くに老祥記はある。ここは大正4年(1915)に店を開き、「ぶたまん」と言う呼び名の発祥の店ともなっている。小振りで一貫楼や551の蓬莱の豚まん程大きくはない。掌に乗せて軽く包める程の大きさだ。何かに例えるなら、ゆで卵よりほんの少し大きい位かと思う。形は豚饅頭だ。

味は、他の豚まんのようにタマネギや肉が生々しく口に広がるのではなく、最後の一噛みで醤油が混ざったような独特の味が広がって消える。打ち上げ花火のように展開する、素早く懐かしい響き。最後はシンバルの一打で終わるようだ。癖になる味とはこんな味なのだろう。

この店は閉まっており、販売場所が矢印で示された紙が貼ってあった。すぐ近くだが、その店を半分は探しながら、長安門まで行ったのだった。

戻ると、老祥記から遠くない曹家包子館で販売していると書いてある。普段私が見る老祥記は、2~30人の行列が出来ている。今回はお正月と言う事もあり、もっと並ぶだろう事は見越しているのである。

商店街から入って最初の角を左に曲がった所にある。それでも4~50人は並んでいるようだった。最後尾に並ぼうとする寸前に2人の男女が並ぼうとして、最後尾はずっと後ろの黄色いプラカードのある所だと言われた。私はその2人の行為に助けられ、何事もなかったかのように本当の最後尾に行って並んだ。或る店の前だから、そこには人が並んでいなかったのだ。

多分150人は並んでいたと思う。一瞬或る考えが過ぎった。態々こんな日に買わなくても、いつだって買えるだろう、と。すると、すぐにそれを退ける考えが擡頭した。何の為に来たのだ。豚まんを買う為ではなかったのか。

私は行列に恐れをなしていただけで、いつかは曹家包子館に着くのだ。これだけ並んでいたら、中々行き着かないとの先入観があったからだった。

すぐ前の夫婦の声が耳に入った。「意外と回転は速いんじゃない」。そう言えば、少しずつ動いている。酷い渋滞でもないのだ。すぐに誘導されて、あの最初途切れた最後尾に渡った。本当に動きがスムーズで驚いた。

「出来るだけ前に詰めて下さい」。整理する男の声は、半分は空しかったのではないだろうか。前に詰める気配もない。中国の人などなら、何を言っているか分からない状況だから。

やっと中に入れたが、また中で並んでいる。まあ、これは状況が見えているからもう直だろう。

店員が回って来た。「10個単位でお求めになる方がいらっしゃいましたら、こちらにお並び下さい」と言った。私は10個買う積もりでいたから、対象者だ。ちょっと早く貰って帰る事が出来ると思った。10個に対して1枚のカードが手渡される。暫くじっとしていたが、どうせならと1枚貰う事にした。

前の女性が「30個」と言う。悩んだ。20個にすべきかどうかを。もうあちらに行ってしまうので即決しなければならない。10個買う訳は、2人で10個あれば十分だろうと計算していたからだ。でも、と瞬間不安になり「もう1枚」、とカードを要求した。一瞬の出来事だった。

10個は食べて後10個が残っても、孫に持って行くか冷蔵庫かの選択肢がある。それでも、余分な出費だと思っていた。2枚のカードと2,000円を渡して20個の豚まんと200円を受け取った。店の外に檻から解放された熊のように飛び出したが、どんよりした空のように、心も晴れなかった。今にも雨が降って来そうだった。

もう、南京町には止まらなかった。10個包んだ豚まんが2つ入ったビニール袋を下げて、元町から三宮へと歩いた。雨がぽつりぽつりと落ちて来る。両側がびっしり店になって並んでいる狭い路地のように続くピアザkobeを歩いた。雨とは無関係だ。

財布の店、鞄の店、服の店、靴の店・・。安かったり高かったり、共通しているのは個性的な品物が並んでいる事だった。その店は39,000円の財布が多かった。靴でも65,000円と書かれている値札。どちいらにしても、私のものとはケタが1つ違った。

その狭い商店の犇めき合う通りを抜けると、三宮駅に着く。すぐにバス停に行った。ぽつりぽつりの雨の為に、傘まで買う事もない。20分待つとバスが来た。数人が乗っただけで、この高速バスは出発した。高速道路を走っている間、暖房の所為もあってか気持ち良く眠っていた。

三宮からは歩いて元町へ行き、帰りも同じ事だったが、家に着いてみると全時間2時間30分と言った最少時間記録を打ち立てた。元町の森谷肉店に並んでいた人が思わず浮かんで来る。いつもはやっぱり2~30人並んでいるが、今日は、店の角を折れ曲がっても並んでいた。

肉屋さんが揚げる1個90円のコロッケを買う為に並んでいるのだ。その場で熱々を食べる為の者もいれば、お土産に買って帰る者もいる。私は、行列がある時は買わない。全く並んでいない時もあるからだ。今気が付いたが、コロッケと豚まんが同じ値段なのだ。

昼はご飯を食べていない。豚まんを食べる事にしていたからだ。途中でラーメンの誘惑には遭ったけれど、それは人出の多さに阻止された。4日前から再びダイエットを決意した私には、幸いな事であった。

ポン酢がなかったと思いながら、コープで買う事を忘れていた。仕方がない。冷蔵庫を開けてみた。すると底に5ミリ程溜まっていた。救いの神だ。王将の餃子みたいにたれなど入っていないのだ。もしなかったら、酢と醤油を混ぜてたれを作ろうと思った。

昼食には遅く夕食には早い豚まんを開けた。紙が湯気で濡れていた。まだ、少しの温もりがある。台所の椅子に座り、すぐに口に入れた。大きな口を開ければ1口で食べられるが、殆ど2口で食べた。ああ、この味だ。美味い!

口の中を他の如何なる豚まんとも違う味が擽る。最後の最後に、打ち上げ花火のように口中の夜空に広がったかと思うと、堪らなく懐かしい、言わば醤油のような香りを貼り付けて消えた。

また1つ、また1つ手に掴むと、口に頬張った。4つ食べると、下に6個並んでいる。私が6個食べても後4個残れば文句はあるまい。だが、久し振りの老祥記の豚饅頭は私の手を止めさせなかった。

ポン酢を付けたり、昨日ふろふき大根に乗せる為に作った柚子味噌を付けたりして食べていたが、気が付いても付かなくても、あと1個しか残っていなかった。満腹感はあるが、名残惜しかった。最後の花火が姿を消すように、10個の豚まんは私の視界から全部消えてしまった。

一番に思った事は、20個買って、あの店で葛藤して良かったと言う事だった。もう絶対に後の10個は、1個たりとも食べないと誓った。半分以上は残るだろう。そうして、冷蔵庫で冷やされる。レンジでチンして、残りは明日食べようと思っている。だが、今のお腹の様子ではそうとは断言出来ない。

ああ、それは明日考える事にしよう。

Tomorrow is another day.

高校生時代に覚えたこの言葉。こんな所で使う事になろうとは。「明日は明日の風が吹く」とか「明日はまた明日の陽が昇るのだ」とか、どっちの訳が良いかとそんな事で悩んだ時もあったなあと、それは老祥記の豚まんの味のように懐かしい。
昨夜からのNHK深夜便を聴かれた方もあるだろう。涙腺の緩んだ私は、その話に泣かされてしまった。この夜こそは寝ようと思っていたが、習慣なのか、ラジオのスイッチに手が伸びたのが原因だった。

寮美千子さんは1986年に毎日童話新人賞を受賞。2005年に泉鏡花文学賞を受賞している人だ。東京生まれで千葉育ち。外務省勤務もし、コピーライターでもあった。

いつしか奈良に住み、奈良少年刑務所を知った。そこで詩の授業をする事になった話が、対談形式でオンエアーされていた。

以前は定員696名で、700人を超えていた事もあるそうだが、今は減っていると言う。17歳から25歳までの何らかの罪を犯した少年たちが入っていると言う。

ひと月に1回1時間半ずつの詩の授業をする事になり、6回で終わる事になっていたそうだ。もう9年も続いていて、その詩集も出版されている。

収容されている少年たちの、言葉は変だが、最初は選び抜かれた10人が授業を受けた。言ってみれば囚人には変わりない少年達だ。お互いにも、寮さんにも、心の隙間を見せる事はなかった。寮さんは、途中から、彼らが作った詩を元に授業を始める事にした。それが奇跡を生むのである。

「今から、詩を作ってもらいます」

寮さんは、そう言った。すらすらなんて勿論書ける筈もない。

「何にも書くことがなかったら、好きな色について書いて下さい」

A君の書いた詩だ。

『空が青いから白をえらんだのです』

それだけだった。すると、他の子が口を開いた。

「この詩を書いたことが、A君の親孝行だと思いました」

「A君のお母さんは、真っ白でふわふわな人だと思いました」

「僕はお母さんを知らないので、この詩を読んで空を見たら、僕もお母さんに会えるような気がしました」

私は、ここら辺りで涙腺が確実に緩んだ。目の周りが、目薬を入れた時のようになった。

みんなの心に届き、ゆさぶったことを感じたA君は、実にはればれとした表情を見せ、そして、劇的に変わっていったそうだ。A君がどんな罪で少年刑務所に入っているのかは分からないが、体の弱い母親は、

「辛い事があったら空を見て。そこに私がいるから」

と言い残して亡くなった。題名は「くも」。白い雲はお母さんだったのだ。


それを受けてB君が書いた詩。

『ぼくのすきな色は青色です。つぎにすきな色は赤色です』

流石に寮さんも言葉に詰まってしまう。或る人は、自分なら「これが詩ィか? まじめにやらんかい」と言ってしまっただろうと言う。ところが、2人の生徒が手を挙げる。

「ぼくはB君の好きな色を、1つだけじゃなくて2つ聞けてよかったです」

「ぼくも同じです。B君の好きな色を2つも教えてもらってうれしかったです」

「B君はほんま赤と青が好きなんやなって、よく伝わってきました」

寮さんは言う。

「仲間になったんです。仲間です」

と。そして続けた。

「誰かがこんな声をかけて上げたら、刑務所に来る人間はいなくなると思います。どんな犯罪者も生まれた時は、宝の子なんですから」

私は凄い授業を見せて貰った気がした。鎧を着て斜に構えて誰をも近付けさせなかった子が、言葉の琴線に触れて背筋がまっすぐに伸び、口を開いたと言う事も。真の言葉は、暗く固い孤独の世界さえも開き、仲間を作って行く。そして、人間を意識させる。そうして、覚醒させる大きな力を持つのだ。

加害者のこの子達が、実は愛に飢えた被害者だったのではないだろうか。私は、「空が青いから白をえらんだのです」。この言葉の文字以外の部分を、何度も思い涙する。この奈良少年刑務所は、この3月で閉所されると言う。明治五大監獄の1つで、立派な威容を誇っている。

本屋さんに、やっぱり電話してみよう。

「新潮文庫の『空が青いから白をえらんだのです』はありませんか」