「YOSOMI好きなヤツ」とは、ブログで繋がっていた仲間の事だ。それが襖から飛び出して来て、旧知のように知り合いになった。そして、神戸で演奏し出して5年目が終わった。今年は、11月25日(日)13時30分から、生田文化会館で第6回目が予定されている。

今日(30日)も頗る寒い。どんな出で立ちでその仲間達と新年会で会おうかと、色々寒い部屋で脱いだり着たりしていた。ワイシャツを着てブレザーを着るのが一番いいが、下のTシャツの首回りが見える。どうも変だ。それで、最終的にはコンサートなどで演奏することにしているスタンドカラーのワイシャツにした。これだと、下に何を着ているかは分からない。

ズボンは渋い茶系にしようとそれを穿いてみたが、こりゃまたどうしたことだ。ズボンが小さくなったか私のお腹が大きくなったのか、前でボタンが止まらない。無理に止めると、お腹の肉が西瓜のように食み出る。それにTシャツやワイシャツを押し込むと、駄目だと言う事は誰にだって分かる。我慢より断念を選んだ。

下も演奏するときに穿く、黒いズボンにした。

靴はニューバランスのジョギングシューズを履いて出掛けようとしたが、この服装とはどうしても合わない。靴も、演奏会で専用に履く、革靴にした。そうこうしているうちに、4時半になった。オカリナを4本入れた鞄と譜面台を持って高速バスの停留所に向かった。

真っ白だったり灰色掛かっていたりした、それも大きな雲が、青空を埋めようとしている所だった。北側には、六甲山の山並みが続く。久し振りに見る山が、半分は懐かしく、半分は新鮮なものに見えた。

そごうデパートの北側に止まる筈のバスは、このバスに限って三宮東に止まった。ここから、余分に歩かないとJR三宮駅はやや遠い。西口は阪急電車の乗り場と繋がっている。今回は、阪急六甲駅で降りた。

MASSAと言うカフェで、10人が会う事になっている。PCで調べてはいたものの、すぐには分からない。6時半に集合だが、5時半には阪急六甲駅に着いていた。ずっと坂を上った。「六甲登山口」の標識が見える五叉路に来た。更に上に歩き、六甲学園まで来た。いくら何でもこれは遠すぎる。また、「六甲登山口」まで戻った。時間はたっぷりある。

店に電話をしてみた。周りの状況を伝えると、そこを南に下がった所にあると言う。

「6時30分が約束の時間ですね。もう少しお待ちください。すみません」

「いやいや、お店が分からないから早めに来て探す積もりだったのです。時間は幾らでも潰しますから」

そう言って、ゆっくり行ったり来たりした。余分な話だが、韓国語ではワッタガッタ(行ったり来たり)と言い、もう数十年前に関空で韓国人のおばちゃん達がハングルで話していた時、この言葉を聞いたのだ。その時はとても新鮮に響いた。今はハングルも薄らいではいるが、この言葉は忘れようにも余りにも強烈だった。

こんな風に話にも道にも逸れ乍ら、セブンイレブンでパウチに入ったビタミンなどの詰まったジェリーを口の中に押し込んだ。そしてまた、ワッタガッタ。その内に、阪急六甲駅に戻った。双六ではないけれど、振り出しに・・。

6時10分になっていた。すると、そらの陽さんと出会った。彼女は、スマホで場所を探している所だった。私は、

「任せなさい」

と言った。

誰かが駅から降りて来るだろうと思い、暫く待った。6時20分になり、もうよかろうかと歩き始めた。シマさんから携帯に・・。もう店にいると言う。待っていたのだが、奥さんとバスで来ていた。店に入るとその2人とオカリナママさん夫婦が来ていた。この2人も別ルートだった。

徐々に集まり出して、6人はテーブルに、4人はカウンターに座った。カウンターも6人座れるので、この店のキャパシティーは12人と睨んだ。メンバーはシマさん夫婦、Sさん夫婦、オカリナママさん夫婦とその仲間のNさんと、よく知っているのに名前を忘れてしまっているXさん、そらの陽さんに私の筈だった。

そして最後に入って来た11人目は、後からメールで増えた旨聞いたMKさん(女性)だった。私より若く、還暦を迎えたばかりのNさんよりは年配の女性だった。背に背負ったヴァイオリンのケースが素敵で恰好良かった。ヴァイオリンを弾く人だとは聞いていた。

これで貸し切りとなった。食べ物は各自の大きな仕切りのあるプラスチックの皿に取り分けた。MKさんが来る前に生ビールで乾杯していた。MKさんはその後だったので、もう1度乾杯をした。皆よく食べているのに、私は一向に入らない。昔はこんな筈ではなかったのに・・。それで、意を決して一気に食べた。

後は私は赤霧島のお湯割りにした。それを3杯飲む頃には、赤い顔も普通に引いていた。・・と思う。最初は何故か必ず赤く火照るのだ。

「えっ? 大阪フィルですか。夢のような人がこんな所に。MKさんですね」

「MKタクシーね」

「頭の回転がいいですね」

私は、驚いてそう言った。

「こんな方と一緒にいるなんて驚きです」

「私はハイだから。能天気ですよ」

「ハイは見るからに分かるけど、能天気は違いますよ」

大阪フィルハーモニーでヴァイオリンを弾いている人だったのだ。

以前にS.SさんはMKさんとコラボをし、その会場では所長さんはコントラバス、奥さんはビオラを一緒に弾いたそうだ。そんな関係や、オカリナママさん達のバンドが「ラ・クンパルシータ」を演奏した時、後からMKさんが入って、一緒に演奏を楽しんだらしい。そんな繋がりがあったとは。

「演奏は、楽しむ事よ」

とMKさんは言ったが、誰もがそう言うのだけれど、MKさんが言うと当たり前に思える事でも、凄い重みがある。独演会をして貰ってもいい程だった。東京フィルハーモニーのコンサートマスターのあの女性とも友達だと言う。私が以前友達関係で家まで連れて行って貰った、大阪フィルの第1ヴァイオリン奏者TIさんも勿論よく知っていると言った。

誰かが言ったが、まるで神様みたいな人がここにいる。オカリナママさんは、ヴァイオリンの音を聴いた時、鳥肌が立ったと言った。今、1メートルも離れていない所で、そんな人の音が聴けるとは思わなかった。

少し経って、MKさんはS.Sさんのピアノ伴奏で「チャールダーシュ」を弾いた。次すぐに「タイスの瞑想曲」が始まった。どんどん弾いて行く。それから、オカリナママさん達の「ラ・クンパルシータ」が始まった。ヴァイオリンが途中から切ない音を入れる。これがヴァイオリンなのだと思った。次から次へと楽団の演奏は続く。ヴァイオリン、ピアノ、ピアニカ、ギター、オカリナ。私はじっと聴いては拍手をした。

その内そらの陽さんが加わり、「ふるさと」を一緒に演奏して欲しいと言った。彼女は、オカリナではなくタケリーナで吹いた。私は気取っている訳ではないが、殆どソロでしか吹かないので、そのまま聴いていた。感動しながら、拍手をしながら・・。

それでも、ここで行動を起こさなければ、オカリナも譜面台も持って来ているのに、オカリナも持つ事すらせずに帰る事になる。

「あのぉ、一緒にやって貰えませんか」

とMKさんに言った。気楽に、何でもすぐに演奏して貰える人だった。つまり、大阪フィルで指揮者の指揮棒を見ながら演奏している人だ。そんな人が、S.Sさんの伴奏でオカリナとのデュオをしてくれるのだ。すぐに、ピアノが鳴り出した。「白鳥」。

トリプルオカリナのイカロスで吹いた。「白鳥」だけはこのオカリナでなければ私は吹けない。他のトリプルでは吹きたくない程、イカロスで吹き続けて来たからだった。MKさんと並んで、至近距離で吹いた。大阪フィルと並んで吹いている、そんな気持ちだった。

ヴァイオリンが安定したクオリティの高さで奏で、私はその音に魅せられて吹く。ピッチなど、余り考えなかった。きっと揃っているだろうと信じながら、ピアノの伴奏にも耳を傾ける余裕が何故かあった。隣りは日本の代表的交響曲楽団大阪フィルのヴァイオリニストだ。

緊張もしなければ、時々目を見つめ合いながら吹く。これは決して私の余裕ではないが、そんな演奏が出来るようにMKさんが仕組んでいると思った。大船に乗ったような感覚だった。安心して吹く事が出来たMKさんの力量に驚く。

「もう1曲、私が作った拙い曲ですがお願いします」

と言って、すぐに譜面台を組み立てた。

「『モンゴルの少女』です」

自分の作曲だが、それでも間違ってはつまらない。MKさんに楽譜を見て貰う事に重きを置いた積もりはなかった。これは、黄緑色のアルトC管で吹いた。このオカリナでなければ、何故か気分が出ないのだ。自分勝手な拘りと言うものなのだろうか。

ヴァイオリンが加わっただけで、厚みと幅が出て来た。何て素敵なのだろう。全体のテンポがやや遅かったのか酒の所為か、最後は息切れがした。それでも満足だった。握手をして、お礼を言った。こんな事があっていいのだろうか。こんな日があっていいのだろうか。今日は、予期せぬ、こんな日だったのである。MKさんは、「モンゴルの少女」が演奏し終わってから、最初の部分を正確に耳コピで弾いていた。

するとすぐに、「悲しい酒」を弾き出した。おっと、私も三連のオオサワオカリナを取り出して、途中から勝手に、一緒に吹いた。それも酒の力か。演歌も吹く事が出来て、今日は何て日だ。暫くすると豚汁が出て、よく考えられた量のご飯が出て、その頃になると食べない人も出て来るからだろう。

S.Sさんに言われていて、「アメージング・グレイス」で、ピアノ伴奏も付いているのを選んで皆の分を用意していた。それを配って演奏した。

そろそろお仕舞いとなり、誰も帰りたくはなかったかも知れないが、店の都合もあったのだろう。それでも、3時間も楽しめたのだ。そんなに居たのに、あっと言う間とはこの事か。美味しい食べ物。綺麗な女主人。我々が楽しかったのは、この女将さんの支えがあった事も十分に感じられる。女将さんのお母様が聴いて下さっていたとは、これも嬉しいハプニングだった。

上に行く者、下に降りる者、MKさんとも皆名残惜しそうに話しながら、店の前で別れた。私達数人は阪急六甲駅に向かって歩いた。三宮に着くと、無性に粒餡の入った御座候が食べたくなってそれを買った。そらの陽さんはJRに乗り、私は高速バスに乗るべく、道を大きく隔てたそごうの前のバス停へと歩いた。

大きかった月も空高く小さな姿を皓皓と輝かせていた。明日は見事な皆既月食のショーが見られる事になっている。スーパームーンの月食とは、どれ位感動するものなのだろう。今日の大阪フィルMKさんとの出会いとヴァイオリンの感動を、この皆既月食と重ねて感動してみようと思う。

感動は、胸が打ち震える事であり、その中に異物を迎え入れる事がない。明日は幸いにして、今の所晴れる見通しとなっている。

今年の「YOSOMI好きなヤツ」の演奏会の日時はブログの頭に書いた。今日の話で、大阪フィルのこのMKさんに演奏して貰える事が実現しそうなのだ。まだまだ先の事なので、予定は未定だが、その時は更に沢山の人に聴きに来て貰いたく、今から、そんな予告をさせて頂きたいと思う。
ここまで来ると、応援したくなるのが人情ではなかろうか。大相撲、栃ノ心が12勝1敗で今日を迎えた。鶴竜も高安も3敗している為、今日松鳳山に勝てば明日の千秋楽を待たずして初優勝だ。どうしても今日勝たなければ、かなり不利になるだろう。今日の1勝を願わずには居られなかった。

一瞬危なそうな場面もあったが、そこからは押し返して、土俵際に追い詰めて押し出した。国技館も大歓声だった。栃ノ心はインタビューで言った。「今日が一番嬉しい日です」と。最高の日だっただろうと、想像するまでもない。私も、喜びが込み上げて来た。明日は遠藤だが、もう、負けても優勝だけれど、栃ノ心は言う。「明日も精いっぱいやって、勝ちたいです」。これぞ勝負師の鏡である。


6時19分から23分までISS(国際宇宙ステーション)が見られると言う情報を得た。西から北に向かうらしい。私は、17分過ぎに玄関の戸を開けて外に出た。暗い西の空に、瞬かない星のような物体がまっすぐに進んで来るのが目に入った。確実に進んでいるが、ゆっくりと真上を過ぎると、家の屋根の上に隠れた。すぐに家に入って北側の窓を開けた。それは更に北へと進み、対峙する家々の向こうに隠れて消えた。ほんの2、3分の出来事だった。

以前情報を元に同じように外に出たがその時は曇っていて、目を凝らした時に微かに動いているのを確認しただけだった。

調べてみると、1日におよそ16回は地球を回っているそうだ。今日のISSは「きぼう」と名乗る国際宇宙ステーションで、3人が乗っている。日本人は大西卓哉宇宙飛行士で、それまではジェットの機長だった人だ。あの、ゆっくり動く小さな星に、人間が乗っている。4ケ月間のとんでもない飛行の為に。

大きさは73m×108.5mあり、それは太陽光パネルを開いた状態で、サッカー場位の大きさだそうだ。

地上400kmをどの位の速さで飛んでいるのだろうか。調べてみて、思いは想像の彼方に飛んで行った。秒速8km。時速27,600km/h。自動車の時速と比べてみるといい。高速道路でも80km/hで、比べる事自体、野暮と言うものだ。ライフル弾より速いのだから。

超音速旅客機コンコルドも、マッハ2.04で、時速2,450km/h。最も速い戦闘機(マッハ3)と比べても、10倍前後の速さなのだ。地球を90分で一周するのである。毎日16周、地球を回っている。でも、日本の上空を飛ぶのは毎日ではないので、情報を待たなければいつでも見られる訳ではない。

ジョギングやウオーキングをしていて、暗くなる前に今日と同じ動きをするISSを見た事があったのを思い出す。今日は、好条件の夕方に、私は見た。家政婦は見た、じゃないよ。

西の空をこちらに向かって揺れもせず瞬きもせずゆっくり進んで来る宇宙ステーション。しかも、3人の宇宙飛行士が乗っている。これを感動と言わないだろうか。そうして、西から北に進むISSに向かって、チカチカと明かりを瞬かせながら飛行機がすれ違った。

華やかな宇宙ショーとまでは行かないが、くっきりと確かに記憶に収める事の出来たこの星紛いは、正真正銘の宇宙ステーションだったのである。
午前中はオカリナの練習日。去年の12月の発表会では、私はその1つ、「SAKURA」をトリプルオカリナで吹いた。私にその楽譜を提供してくれた女性の為に、喜んで貰おうと思って吹いた。今日の練習日に、その彼女は、「今年の発表会では、『SAKURA』が吹けるようにしたい」と、決意を会報(Kaさんが毎月発行し、この会報で56回目)に書いていた。

発表会と言うが、それは今年の12月だから、約1年を掛けての気合いの程が知れる。皆の今年に掛ける思いが、それぞれに綴られている。

もう1人の女性が、昨年「北の旅人」の楽譜と音源を皆にくれていた。どうしても、私に吹いて欲しいと言っていて、年が代わったら必ず吹くと公言していた。きっと、その言葉を忘れてはいなかっただろうと思う。「SAKURA」を吹いて「北の旅人」を吹かなかったら、きっと叱られるだろう。

基本練習を、今日は沢山やった。4分の4拍子で、スラー、テヌート、スタッカートと来て、その後は三連符、16分音符のブロックが4つずつ。結構、タンギングも、変化も、難しい。これらを含む曲と言えば「アランフェス協奏曲」がある。納得して貰う為に、楽譜をローソンに人数分コピーしに行った。

「この曲に、皆さんが今練習した基本が入っています。この曲は私は好きですが、私の実力では、すぐに吹ける訳ではありませんでした。1ケ月で出来なかったら3ケ月。それでも駄目なら6ケ月。まだ出来なかったら1年掛かっても挑戦してみて下さい。値打ちのある曲ですよ」

と。

「一度にやろうと思わなくていいです。難しいと思って放棄したら、二度と演奏出来るようにはなりません。1小節、2小節と言う風に少しずつやっていたら、いつしか吹けるようになっている自分を発見出来るでしょう」

「ボレロ」や「春の海」を練習し出した頃の自分を思い出しながら、そう言った。いつか、「聴いて下さい」と言って来る人がいるのではないかと、楽しみにしている。村治佳織のギターから「アランフェス協奏曲」が聴こえて来る。

「北の旅人」を提供してくれた女性は、「とても満足した」と返した。何故か、私が吹くのを聴きたいと言った。

私は音楽の専門家でもなく、音楽をやって来た者でもない。人に教えるなんて更々出来ない。単にオカリナが好きで、オカリナ吹きに過ぎない。それが、Kaさんに「教えて貰えないか」と言われ考えた。それで現況に至っている。もう4年を数える。こんな爺さんでいいのかと、古稀を越えた爺さんは、ゆっくり首を回してみる。


さて、時間は過ぎ、4時半に家を出た。元町の大丸デパートの北側に、割烹三ツ輪はある。ここの料理を楽しみにして来た。最後はメインの牛肉が4切れ、一人ひとりに小さな平べったい、縁は皿のように反った鉄板で焼くようにと出される。焼肉屋さんのように決して豪快ではない。だがその4切れが、無性に愛しいと感じられるのだ。最後ばかり書いたが、最後のデザートは、これがまたすっきりと料理全体を終えられる合図。丸いアイスクリームが絶妙だ。

最初に終わりを書くのは、それが印象的だったからである。この会はもう数十年続くが、最初は「新年を祝う旅」と名付け、大先輩からそういう会をするように言われた。数台の車を連ね、色々な地を訪ねた。それも、必ず神社仏閣があった。大先輩Nさんの薀蓄に耳を傾けながら、そんな旅が楽しみだった。

そしていつ頃からか、それは「新年を寿ぐ会」と誰かが名称を変えて、このような会になった。人数も随分減って、今日(13日)は11人の出席。その大先輩も、点滴が最後の日に当たり、今回の出席は叶わなかった。

この会では、もう1人大先輩のTさんがいて、人脈教養話術も並の人ではない。私達は、この2人の良き先達に恵まれた。

再会を楽しみ、傘寿となるこのもう1人のTさんの変わらぬ元気な姿に勇気付けられる。ビール、酒、焼酎で和みは続く。6時からの会は、8時を回った。店の人に終わりの時間を告げられ、皆重い腰を上げた。

外は寒く、冷える。東へ西へ北へと散った。北と言えば、もっと寒い所に住んでいるシマさんも一緒である。

三宮のJR西口の改札を潜ると、ここでは2人は東へ、2人は西へと電車に乗った。Tさんと私は、西へと向かった。

2人は垂水駅で降りた。改札を出た所でもう1軒行く事になった。Tさんはここからタクシーで帰るのだが、行ったのは東口側にある「王将」だった。私が案内した。生ビールに餃子を抓み乍ら、一番奥の席で話しは止まらない。久し振りに懐かしい語らいをした。と言うよりも、色んな話を聞いた。

バスの最終は10時30分頃。村田英雄ではないが、「王将」を出たのが10時10分だった。バス停でTさんと別れ、大先輩は西口のタクシー乗り場へと歩いて行った。

見上げた明度は限りなく黒に近い空に、何故か星はたった1つ見えるだけで、それも輝きはなく暗く、瞬かなかった。だが、心の中にも空があり、その空は真っ黒な帳で、多くの星が輝きの光は変わらねど、まるでクリスマスの電飾のようにチカチカと瞬いている。
三宮に向かう高速バスから、青い空と、やけに大きな真っ白な雲たちが空の面積を埋めているのが見えた。凄いとしか言いようのない、大きな犬のような羊のような牛のような雲の顔が、前の同じ程大きな蛙の足で潰されそうになっていた。

1時からのコンサートには、1時間20分近くあった。吉野家で牛丼の並を食べる積もりだった。だが、吉野家でもたまには違ったものをと、時間があるに任せて探った。それで、すき焼き風定食にした。値段は650円と高かったが、結構な味だった。この時ばかりは牛丼が霞んだ。ここでは生ビール(350円)が飲めるのが初めて分かった。

タワーマンションは、三宮の高層の市役所1号館の南、東遊園地を南に外れたすごそこにあった。34階建てのマンションだ。その1階だと思っていたが、どう考えてもここではなさそうだ。誰でも中に入れない。自分と関係のある部屋番号をプッシュして、呼び出しボタンを押して話すと、ガラスの扉が開くようになっている。

おかしいなと思いながら、南に向いて右に移動してみた。ここではないか。そこには、ピアノが並んだスタインウェイサロンがあった。ここしかない。1時の開始まで35分あった。中の暇そうな男の店員さんに聞くと、ここであると言う。

「30分から受付なので、もう暫くお待ちください」

「バスなどの関係で、早く来てしまいました」

「こちらのテーブルに座ってお待ち下さい」

「ありがとう。ここはスタインウェイばかりですか」

10台近く並んでいる。馬鹿な事を聞いたと思ったが、後の祭りだ。正式には「スタインウェイ&サンズ」と言うが、他のピアノを扱う訳がない。

「綺麗ですね。いつ開店したのですか」

照れ隠しに聞いた。

「去年の7月2日です。まだ半年です」

と言った。

「道理で、綺麗ですね」

その内、

「どうぞ受付をなさって下さい」

と言われた。

そこに、蘭奈さんが現れた。

「来れたのですか。良かったのですか」

と私に聞いた。

「ええ、大丈夫ですよ」

予定があって、行けないかも知れないとメールに返事をしておいたのだ。

それから、椅子に座って30分待つ事になった。左右5脚ずつ、10脚。まるで源平合戦の旗のように別れて、真ん中が通路。縦に6列、椅子が並べられている。誰が計算しても椅子は60脚。それで一杯であった。中々のステージである。階段の1段程もない高さではあるが。

早く着いたので、席は何処でも座れた。3列目に座った。だが、これではきっと折角の演奏者が見えなくなるだろうと思い、気の弱い私は、2列目に席を替えた。それでも、どうせなら一番前が何の障害もなく、演奏者を見る事が出来る。

今日は、願ってもない状態の中に私はいた。すぐに真ん前の左側の右端に移った。知ったかぶりだが、飛行機では、アイルシートと言う。音も普段のコンサートでは聴けないような小さな音までも聴けると思った。言わば、儲けものだった。

そうそう、受付で蘭奈さんに、

「ワンと言って下さい」

と言われ、

「ワン」

と、可愛く吠えた。

「はい、結構です」

と言って、1,000円が500円になった。ワンコインにね。

7時からの演奏は2,000円で、ワンと言えば1,500円となる。

下は薄いピンクのドレスが覗き、上にはジャージを羽織っていた蘭奈さんが、ドレスだけになってチェロを持って出て来た。ピアノの楊美希さんと共に。楊さんは、てらてらしない、基調が金色のタイト風のドレスだ。どちらもスタイルは抜群だが、楊さんは背が高い上にとても細かった。

「お正月」をチェロとピアノのデュオで。真ん中に「春の海」を少し加えて、また「お正月」に戻った。何だかほっこりする。プログラムが無いから、今こうして思い出しては書いているので、かなり忘れてしまっている。いい加減なのはお許し頂きたい。

次に出て来たのは、ウイーンで活躍の、ベネディクト・ツィアフォーゲルさん。コントラバスの名手である。蘭奈さんと2曲奏した。コントラバスの低音と弓が弦を擦る音。大きく、小さく、速く、ゆっくり・・。小さく終わる音は、きっと後ろの人には分からないだろう。チェロも共に、指の動きは素晴らしく速い。チェロも何の臆する事もなく、ゆとりで弾いている。やっぱりプロだねえ。

ベネディクトさんは、何でも自由に編曲して弾いてくれるらしい。こんな所で、500円で聴けるのが凄い。芸文センターでは、よく小ホールでのワンコインの演奏がある。それとはまた違う。目の前で、弾いている。細かな所まで全部目に入る。臨場感あふれていたのは、最前列の者達の特権のような気がした。

ロッシーニのチェロとコントラバスのソナタ。バッハのチェロ無伴奏曲。素晴らしい。心が融けて、解放されて行く。惜しみない拍手を送った。送る事が出来たと言った方が当て嵌まる。それ程演奏に魅力があった。

ピアノの楊さんが出て来てソロを始めた。最初は「子犬のワルツ」を弾く筈だったと言った。それを今日、他の曲とアレンジして弾きたいと思ったと言い、ショパンの数曲と、間に「子犬のワルツ」を入れて弾いた。強弱がとても柔軟に出されていた。勿論ホールは、響きもよく作られている。

ステージの上に乗ったスタインウェイは殆ど周囲に余裕もなく君臨していた。舞台がピアノなのかピアノが舞台なのか。恐ろしい存在感だった。ピアノ演奏に最適な音場設計になっていて、「フルコンサートグランド『D-274』」が常設されている。

次は、コントラバス2台での演奏。ベネディクトさんは左側に椅子に腰を掛けて弾く。まるでもう骨董品かと思うような渋い焦げ茶色。昔の木造校舎の手摺のような色や柄や古惚けた艶だ。森田さんの一般的な柿渋色のコントラバスとは調律の仕方が違い、自分にはとても弾けないと言った。

もう1人の森田良平さんは、奄美大島観光大使をしている。彼は、立って弾く。2人は、曲名は忘れたが、ヴァイオリンとビオラの2重奏を、ベネディクトさんがヴァイオリン、森田さんがビオラのパートを弾いた。よくやるなと言うのが私の感想だった。惜しみない拍手を送った。

森田さんが1人でソロの演奏。今、関西方面を演奏して回っていて、1月13日は和歌山公演。14日はこの会場で演奏するそうだ。4曲入ったCDの宣伝もしている。その中に、「行きゅんにゃ加那」と田端義夫の「島育ち」が入っていた。奄美には新民謡と言うのもあり、その1つが「島育ち」だと教えてくれた。

「行きゅんにゃ加那」の触りをコントラバスで弾いてくれると、また、新鮮な感じがした。

最後に4人が揃って演奏する。

蘭奈さんは森田さんに、

「長かったね。CDの話してたからよ」

と冗談を言って笑わせてくれた。彼は、1,500円の所を、ここだけ1,000円にすると言った。私は今回は遠慮した。蘭奈さんのCDも買っていないし。

「ふるさと」が流れ、「冬景色」が流れ、「雪やこんこ」が流れ・・。日本の曲はここまで気持ちをよくしてくれる。昔から馴染んだ曲ではないか。もう1度、童謡や唱歌を見直してみたい。編曲しながら、そんな日本の曲の原点に立ち返ってみたいと思った。

この前卓球の新年会に、毎年アカペラで2曲位吹いているが、今回は誰も期待をしていないか私が吹くものと思っているのか分からないまま、悩んだ末ラジカセも持って行った。最初に吹いたのが、あの光が代わる半透明なプラスティックのオカリナで、「富士山」を吹いたのだった。正月に相応しいと思い・・。これだけがアカペラだった。

結果的に、皆は喜んでくれた。去年から、新しい指導者になっている事もあって、どうかなと思っていた。「富士山」も唱歌だったなと思ったものだから。

4人は、その後、ベネディクトさんがウイーンで演奏するので、ニューイヤーコンサートでウイーン・フィルハーモニー管弦楽団が最後に演奏する定番を演奏した。まるであの「ウイーン楽友協会大ホール」にいるようだった。あの部分に差し掛かると、誰からともなく拍手が始まった。私は原則として聴きたい方なので手拍子など殆どした事がない。が今回は一番前と言う事もあり、皆に合わせた。気持ち良いものだった。また、リズムを外れてメロディーになるとベネディクトさんが手拍子を制した。「ラデッキー行進曲」ね。

再びリズムに戻ると、皆大きな手拍手になり、金色に輝くウイーンの大ホールを思い浮かべたのだった。

万雷の拍手をした積もりだが、人数がそこまでは行かなかった。音量は小さくても、みな満足の拍手だった。アンコールも望んでいただろう。だが、ここで終わったから特に印象に残ったと思う。

最初に出口に向かった。森田さんがCDの前に座っている。頭を下げて通り過ぎた。外には、ピアノと一緒に蘭奈さんがいた。

「ワンコインでは、勿体なかったね」

「そうでしょう。私もそう思う」

と言ったが、正しく500円で聴く演奏ではなかった。1時間もあり、その技術などから、それはないだろうと思った。

蘭奈さんがステージで、

「皆さんの手拍子、ワンダフルでした」

と言ったので、私はそれが言えなくなり、「ワンコイン」と言ったのだった。

素晴らしい、素敵な、凄い演奏だった。こう書くと小学生の作文みたいだが、良い言葉が浮かんで来ない。兎に角、満足だった。

三宮のヤマハに行き、楽譜集を買い、高速バスに乗ろうとした。20分以上時間がある。駅に戻りセブンイレブンでレギュラーコーヒーのカップを買った。自分で淹れるようになっている。だが、150円だった。私の家の近くのセブンイレブンは、同じものが100円なのに。

角の店でシュークリーム(1個180円)を2個買い、バス停に戻った。コーヒーを飲みながらバスを待つと、そんなに苦にならない。軈て来た高速バスに乗った。

高速に乗ると、左手には海が見える。遠くには島が見える。四国だろうか。その遠く遥かな上に、灰色の雲が連なっていた。どう見ても雪が降っているのだろう。長崎でさえ豪い事になっているのだ。あの雲は雪雲だ。

青い空に白い雲が目に入った。それはシロナガスクジラのように巨大だった。その横っ腹を灰色の雲が細長く横に刷毛で刷いたようにへばり付いていた。そのまま、バスは第2神明道路に入って行った。
紅白歌合戦が終わり、除夜の鐘が新年を跨いだ0時15分まで続いた。妹のメールや恵那の娘の電話を受けて、後は寝床に入った。冷たい布団に入り込み、振動の速い身震いをした。NHKの深夜便のスイッチは入れなかった。

気が付くと、5時半頃に目が覚めた。徐に起き上がると、初詣に行く準備をした。首にマフラーを巻くかどうかを考えた。外が暖かいと結局は首の回りに汗を掻く事になる。この決断が良かったかどうかは、いつでも外に出た時が勝負だった。

6時45分過ぎに、高速バスに乗る為に家を出た。どんよりした感じの空だったが、首の回りは寒くも暑くもなかった。黒いマフラーが失敗だったとは思えなかった。

鴉がカーと鳴き、電線に止まった。5羽の鴉だった。どんよりしてはいたが、雨の気配は全くなかった。

バスの中でうとうとし、時たま空を見ると色が明るくなって行くのが分かる。雲はなく、青色でもない。

三宮のバス停に着くと、7時20分だった。セブンイレブンでリポビタンDを飲み、生田神社に向かった。ゴミは落ち、大きな袋に入れられたものや段ボールが積んである。まるで夜の繁華街の姿ではなかった。

一晩中騒いでいただろう男女入り乱れた若者達が、屯したり気分が悪くなったのだろう男がしゃがみ込んでいた。出店は50を越えている。唐揚げや焼き飯やベビーカステラなどを売っている。帰りの土産に3枚位買って帰ろうと思ったが、値段を見て唖然としたお好み焼きも売っていた。1枚500円。元町駅付近で以前見たお好み焼きは1枚100円だったから、そう思っていた。

朱塗りの鳥居をくぐる前に、手を清め口を漱いだ。ここは誰も余り知らないようで、出店の後ろに隠れていた。私と女性が1人、柄杓を使った。

去年よりは人出が少ないようだ。8時になっていないのだからそんなものだろうが、若者の騒ぐ声や叫ぶ大声が耳を劈き、疑った。「ニイハオ」。側で声を聞くまでは、日本人ばかりだと思っていた。

賽銭を入れ、昨年のお礼と、今年のお願いをしてそこを去った。ずらっと並ぶお御籤を売る巫女さん達の数は2人1組で10組に上る。300円を渡して、小さな穴から出て来る竹の籤のようなもの、または占いに使う筮竹のようなものが1本出て来た。36と書いてあるので、その番号のお御籤を貰った。すぐには見ずに、そこら辺を見て回り、遂には生田神社を後にした。出店でベビーカステラを買ったビニールの袋を持って。

一端バス停に行って時間を見た。8時30分があるが、今まだ7時45分だ。その後は9時。その次は9時30分と言う風である。もう少し遅く家を出ていたら、効率的に家に帰る事が出来たと思う。来年はそうしようと思った。

空は段々青色が増して来た。雲は見当たらない。何も買う積もりはないが、サンチカに入って行った。時間潰しに歩いて見たのだが、途端に夜の三宮に替わったかと思うほど、店は開いていないが、それは皓皓と、夜の灯りだった。

ここに正家の支店がある。ここにトンカツ屋さんがある。ここに串カツ屋さんが・・。そうして阪神電車の改札口に来て、そこを通り過ぎエスカレーターで地上に出ようとした。すると、全く正月の雰囲気のなかった地下に、門松が見えた。三本の松の上が鋭く削られ、松が飾られ、南天があしらわれていた。その上には注連縄飾りがあり、橙が付けられ、稲穂が垂れ下がっていた。

OPAの前の両側に飾られたものだった。三宮周辺地区の再整備の為に、店仕舞いをする。福袋の宣伝がしてあった。

地上に出ると吉野家があり、晩のご飯と銘打って、「肉鯖味噌煮定食」680円、「肉肉定食」680円とあった。肉肉は、カルビと肉丼の肉が並んだ定食だ。吉野家で鯖のイメージはなかったが、果たしていつか肉鯖味噌煮定食を食べる時があるだろうか、と思いながら歩いた。ちょっとしたウオーキングをやった気になっていた。

ちょっとお御籤を見た。第36番大吉と言う文字が見えた。滅多に大吉を引く事がなかったので、素直に嬉しかった。ポケットに、丁寧に戻した。

バス停に行ったが、私1人だった。暫くバスを待っていたが、安心して乗るのにはトイレに行く必要があった。走ってJRの改札口に行くと、にっこりとして改札の内側に入れてくれた。仕事を終えると礼を言って出た。また笑顔で送り出してくれた駅員さんの顔が、まだ印象に残っている。親切とはとても有り難く、笑顔とは100万ドルの夜景にも匹敵すると思った。

バス停に戻ると4人並んでいた。もう余り待たなくていい時間になっていて、軈てバスはやって来た。バスの中からは空の色は一段と青く、刷毛で刷いたような雲が、そこらに浮かんでいた。

お御籤を出して中味を読んでみた。

うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春べと なりにけるかも    大伴坂上郎女 8・1433

何て素敵な歌なのだろう。しかも、坂上郎女とは、高校生の頃に聞いた人物の名前である。懐かしさが蘇って来た。

後はお決まりの項目の託宣が書かれており、開運の鍵のところに、「蛭子神社のかえるの彫刻を探す」とのミッションがあった。これはまた探せばいいと思った。

12時前に、1番下の娘夫婦と女子の孫達が4人、雑煮を食べに来た。彼が持って来てくれたのは、正に今欲しかったものだった。「千寿久保田」だった。1升瓶を下げてきてくれたのだ。皆と鰤や牛蒡や芹や岩海苔の入った雑煮を食べた。これで正月を迎えた気になった。

孫達が飛魚の野焼きを好んで食べたのには驚き、蕪の酢の物を食べたのにはさらに驚いた。食べ終わると、ベビーカステラを食べさせた。彼には、妹が出雲から雑煮の材料と共に送ってくれた河豚味醂のこま切れにしたのをフライパンで炙って食べて貰ったが、「これは好物です」と言って食べてくれ、日本酒のお返しが出来たと思って喜んだ。

2人の孫が諺のカルタを探して来て、「爺ちゃん、やろう」と言う。あちらの部屋に行って、絵札を並べた。小学2年生対年中さんだ。私が字札を読んだ。勝ち負けは明瞭だ。それで、年中さんは10枚取れば勝ちにした。そして、最後は取った枚数が多い方が勝ちだと宣言した。

結局は、年中さんが14枚取り、合計枚数では足りなかった。1対1の引き分けとなった。やっぱり読みたいのだ。年中さんが読んだ。すらすらとは読めない所が可愛い。だが、小学2年生と古稀2年生。私は真剣になった。ガチンコ勝負だったのに、私が負けた。

次は2年生が読みたいと言う。すると母親も加わって、年中組は5枚取れば勝ちにした。母親は、私にはガチで臨んだ。私も懸命に挑んだ。だが、どちらも20枚で引き分けとなった。

また2年生が読むと、私と年中さんは2人で母親と戦う事になった。2人は奮闘した。その結果、母親に対して24対24の引き分けとなった。私にしてみればガチンコなので勝ちたかった。だが、引き分けと言う事は、年中さんが数枚取ってくれていたからの引き分けだったのだ。旦那も立って見ていたが、私の発言に笑っていた。

多井畑神社に行くと言う。外の車の所まで出て、嫁さんと送った。明日はまた別の孫達が来る。これは男の子の孫達だ。

部屋に戻ると、今日とばかりにまた日本酒を飲んだ。そして飲みながら書いたお正月のブログがこれなのである。

頭の中には、高速バスが家の近くに着いて歩いていると、家々の隙間から覗いた眩しい程の太陽が私に光を浴びせかけていたのが浮かんで来る。一瞬まともに見た太陽は、自らのその周りを幾筋もの後光で取り囲んでいた。太陽は、黒ずんだ緑色に見えた。それは瞬間だったが、瞬間以上に太陽を見つめる事は出来なかった。

生田神社の祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)で、これは天照大神の幼い時の名前とも妹の名前ともまた荒魂に対する和魂であるとも言われている。私は、素戔嗚尊と誓約をした姉の天照大神との出来事を目の当たりにしたような感覚に陥る。

天照大神は素戔嗚尊の剣を3つに折って口に入れ、それを吐きだして生まれた3柱の姫命。素戔嗚尊は天照大神の5つの髪飾りを噛んで吐きだした5柱の男尊。天照大神は、自分の髪飾りから生まれた男尊は自分のものだと言って、自分の子供にした。素戔嗚尊はその姫命が自分の子供になったのだった。

男尊の事は、古事記にほんの少し出ている。素戔嗚尊は、出雲の大蛇退治をして、最後の生贄になろうとしていた稲田姫を救い結婚をしたした事で有名だ。私が行く生田神社に初詣をするようになったのは、そんな関係のある出雲で生まれたからかも知れない。大国主命も関係しており、出雲大社こそが祭神としている大社なのだ。

出雲は字の如く雲が美しい。今、レースのカーテンを退けて見ると、薄い青色の空に、雲の群れが集まっている。美しい雲は、心を穏やかにしてくれる。

元日は、酒が飲める。いつ飲んでもいい。ブログを終えて、今からまた腰を据えて日本酒を飲んでみたい。義理の息子に貰ったとは言え、千寿でも何でも久保田は久保田だ。今度は私が河豚味醂を炙って、久保田と河豚の相乗効果を味わってみようではないか。