紅白歌合戦が終わり、除夜の鐘が新年を跨いだ0時15分まで続いた。妹のメールや恵那の娘の電話を受けて、後は寝床に入った。冷たい布団に入り込み、振動の速い身震いをした。NHKの深夜便のスイッチは入れなかった。

気が付くと、5時半頃に目が覚めた。徐に起き上がると、初詣に行く準備をした。首にマフラーを巻くかどうかを考えた。外が暖かいと結局は首の回りに汗を掻く事になる。この決断が良かったかどうかは、いつでも外に出た時が勝負だった。

6時45分過ぎに、高速バスに乗る為に家を出た。どんよりした感じの空だったが、首の回りは寒くも暑くもなかった。黒いマフラーが失敗だったとは思えなかった。

鴉がカーと鳴き、電線に止まった。5羽の鴉だった。どんよりしてはいたが、雨の気配は全くなかった。

バスの中でうとうとし、時たま空を見ると色が明るくなって行くのが分かる。雲はなく、青色でもない。

三宮のバス停に着くと、7時20分だった。セブンイレブンでリポビタンDを飲み、生田神社に向かった。ゴミは落ち、大きな袋に入れられたものや段ボールが積んである。まるで夜の繁華街の姿ではなかった。

一晩中騒いでいただろう男女入り乱れた若者達が、屯したり気分が悪くなったのだろう男がしゃがみ込んでいた。出店は50を越えている。唐揚げや焼き飯やベビーカステラなどを売っている。帰りの土産に3枚位買って帰ろうと思ったが、値段を見て唖然としたお好み焼きも売っていた。1枚500円。元町駅付近で以前見たお好み焼きは1枚100円だったから、そう思っていた。

朱塗りの鳥居をくぐる前に、手を清め口を漱いだ。ここは誰も余り知らないようで、出店の後ろに隠れていた。私と女性が1人、柄杓を使った。

去年よりは人出が少ないようだ。8時になっていないのだからそんなものだろうが、若者の騒ぐ声や叫ぶ大声が耳を劈き、疑った。「ニイハオ」。側で声を聞くまでは、日本人ばかりだと思っていた。

賽銭を入れ、昨年のお礼と、今年のお願いをしてそこを去った。ずらっと並ぶお御籤を売る巫女さん達の数は2人1組で10組に上る。300円を渡して、小さな穴から出て来る竹の籤のようなもの、または占いに使う筮竹のようなものが1本出て来た。36と書いてあるので、その番号のお御籤を貰った。すぐには見ずに、そこら辺を見て回り、遂には生田神社を後にした。出店でベビーカステラを買ったビニールの袋を持って。

一端バス停に行って時間を見た。8時30分があるが、今まだ7時45分だ。その後は9時。その次は9時30分と言う風である。もう少し遅く家を出ていたら、効率的に家に帰る事が出来たと思う。来年はそうしようと思った。

空は段々青色が増して来た。雲は見当たらない。何も買う積もりはないが、サンチカに入って行った。時間潰しに歩いて見たのだが、途端に夜の三宮に替わったかと思うほど、店は開いていないが、それは皓皓と、夜の灯りだった。

ここに正家の支店がある。ここにトンカツ屋さんがある。ここに串カツ屋さんが・・。そうして阪神電車の改札口に来て、そこを通り過ぎエスカレーターで地上に出ようとした。すると、全く正月の雰囲気のなかった地下に、門松が見えた。三本の松の上が鋭く削られ、松が飾られ、南天があしらわれていた。その上には注連縄飾りがあり、橙が付けられ、稲穂が垂れ下がっていた。

OPAの前の両側に飾られたものだった。三宮周辺地区の再整備の為に、店仕舞いをする。福袋の宣伝がしてあった。

地上に出ると吉野家があり、晩のご飯と銘打って、「肉鯖味噌煮定食」680円、「肉肉定食」680円とあった。肉肉は、カルビと肉丼の肉が並んだ定食だ。吉野家で鯖のイメージはなかったが、果たしていつか肉鯖味噌煮定食を食べる時があるだろうか、と思いながら歩いた。ちょっとしたウオーキングをやった気になっていた。

ちょっとお御籤を見た。第36番大吉と言う文字が見えた。滅多に大吉を引く事がなかったので、素直に嬉しかった。ポケットに、丁寧に戻した。

バス停に行ったが、私1人だった。暫くバスを待っていたが、安心して乗るのにはトイレに行く必要があった。走ってJRの改札口に行くと、にっこりとして改札の内側に入れてくれた。仕事を終えると礼を言って出た。また笑顔で送り出してくれた駅員さんの顔が、まだ印象に残っている。親切とはとても有り難く、笑顔とは100万ドルの夜景にも匹敵すると思った。

バス停に戻ると4人並んでいた。もう余り待たなくていい時間になっていて、軈てバスはやって来た。バスの中からは空の色は一段と青く、刷毛で刷いたような雲が、そこらに浮かんでいた。

お御籤を出して中味を読んでみた。

うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春べと なりにけるかも    大伴坂上郎女 8・1433

何て素敵な歌なのだろう。しかも、坂上郎女とは、高校生の頃に聞いた人物の名前である。懐かしさが蘇って来た。

後はお決まりの項目の託宣が書かれており、開運の鍵のところに、「蛭子神社のかえるの彫刻を探す」とのミッションがあった。これはまた探せばいいと思った。

12時前に、1番下の娘夫婦と女子の孫達が4人、雑煮を食べに来た。彼が持って来てくれたのは、正に今欲しかったものだった。「千寿久保田」だった。1升瓶を下げてきてくれたのだ。皆と鰤や牛蒡や芹や岩海苔の入った雑煮を食べた。これで正月を迎えた気になった。

孫達が飛魚の野焼きを好んで食べたのには驚き、蕪の酢の物を食べたのにはさらに驚いた。食べ終わると、ベビーカステラを食べさせた。彼には、妹が出雲から雑煮の材料と共に送ってくれた河豚味醂のこま切れにしたのをフライパンで炙って食べて貰ったが、「これは好物です」と言って食べてくれ、日本酒のお返しが出来たと思って喜んだ。

2人の孫が諺のカルタを探して来て、「爺ちゃん、やろう」と言う。あちらの部屋に行って、絵札を並べた。小学2年生対年中さんだ。私が字札を読んだ。勝ち負けは明瞭だ。それで、年中さんは10枚取れば勝ちにした。そして、最後は取った枚数が多い方が勝ちだと宣言した。

結局は、年中さんが14枚取り、合計枚数では足りなかった。1対1の引き分けとなった。やっぱり読みたいのだ。年中さんが読んだ。すらすらとは読めない所が可愛い。だが、小学2年生と古稀2年生。私は真剣になった。ガチンコ勝負だったのに、私が負けた。

次は2年生が読みたいと言う。すると母親も加わって、年中組は5枚取れば勝ちにした。母親は、私にはガチで臨んだ。私も懸命に挑んだ。だが、どちらも20枚で引き分けとなった。

また2年生が読むと、私と年中さんは2人で母親と戦う事になった。2人は奮闘した。その結果、母親に対して24対24の引き分けとなった。私にしてみればガチンコなので勝ちたかった。だが、引き分けと言う事は、年中さんが数枚取ってくれていたからの引き分けだったのだ。旦那も立って見ていたが、私の発言に笑っていた。

多井畑神社に行くと言う。外の車の所まで出て、嫁さんと送った。明日はまた別の孫達が来る。これは男の子の孫達だ。

部屋に戻ると、今日とばかりにまた日本酒を飲んだ。そして飲みながら書いたお正月のブログがこれなのである。

頭の中には、高速バスが家の近くに着いて歩いていると、家々の隙間から覗いた眩しい程の太陽が私に光を浴びせかけていたのが浮かんで来る。一瞬まともに見た太陽は、自らのその周りを幾筋もの後光で取り囲んでいた。太陽は、黒ずんだ緑色に見えた。それは瞬間だったが、瞬間以上に太陽を見つめる事は出来なかった。

生田神社の祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)で、これは天照大神の幼い時の名前とも妹の名前ともまた荒魂に対する和魂であるとも言われている。私は、素戔嗚尊と誓約をした姉の天照大神との出来事を目の当たりにしたような感覚に陥る。

天照大神は素戔嗚尊の剣を3つに折って口に入れ、それを吐きだして生まれた3柱の姫命。素戔嗚尊は天照大神の5つの髪飾りを噛んで吐きだした5柱の男尊。天照大神は、自分の髪飾りから生まれた男尊は自分のものだと言って、自分の子供にした。素戔嗚尊はその姫命が自分の子供になったのだった。

男尊の事は、古事記にほんの少し出ている。素戔嗚尊は、出雲の大蛇退治をして、最後の生贄になろうとしていた稲田姫を救い結婚をしたした事で有名だ。私が行く生田神社に初詣をするようになったのは、そんな関係のある出雲で生まれたからかも知れない。大国主命も関係しており、出雲大社こそが祭神としている大社なのだ。

出雲は字の如く雲が美しい。今、レースのカーテンを退けて見ると、薄い青色の空に、雲の群れが集まっている。美しい雲は、心を穏やかにしてくれる。

元日は、酒が飲める。いつ飲んでもいい。ブログを終えて、今からまた腰を据えて日本酒を飲んでみたい。義理の息子に貰ったとは言え、千寿でも何でも久保田は久保田だ。今度は私が河豚味醂を炙って、久保田と河豚の相乗効果を味わってみようではないか。