暖かな春の日差しの今日。鶯の声が聴こえて来た。自然を生き物が占有しているのではなく、自然の中に生き物は泳ぎ、育まれている。まるで自然には意思があるかのように、厳しさは容赦なく直撃する。

もう夕方近く、マルハチに買い物に行った。勿体ないので買い物は極力避けるようにしている。だが、芋焼酎が無くなったからであり、ちょっと目先を変えようと思ったからである。赤い缶の本麒麟を買う為に。350ミリリットル缶は当然安いが、今回は500ミリリットルを求めた。150ミリリットル違うのを6本買えば900ミリリットルの違いが生じ、少しのお得感があるからである。

トンカツも買うと、目もくれずに家へと急いだ。急ぐ理由など全くないのだが。流石に卯月から皐月に変わろうとしている今、もう桜の花はない。躑躅も、盛りを少々過ぎている。これを写真に撮ろうとは思わない。ちょっと過ぎた物でも、そこにはもう旬は感じられないからである。

ただ、楠木の葉はつるつるしている。何気なく見ていた葉も、それは人生や人の姿を教えてくれる。限りない宇宙の、それは考えに入れないでおこう。広がる青空。歩く私の目に、山が写る。多分その中に迫れば木々が密集しているだろう。それも頭から外しておこう。

1本の木が、何本も植えられている帰りの道。楠が目立つ。接近すると、1本の木だったものが、葉を貯えたその塊が目に入り、それはもう1本の木ではなくなった。そうして足は緩く、その葉の下に佇む。1本の木が1枚の葉を捉える。数多ある葉の中の1枚が、私の心を掴む。美しい。1枚の葉が、何故こんなに綺麗なのだろう。小さな葉っぱ1枚が。

この美しさは、尋常ではなかった。ああ、綺麗だ。これ以上に美しいものがあるだろうか。1つがどれだけ美しく、感動を与えるものかと知ったのである。理由は簡単だ。どんなに小さいものでも、それと全く同じものがこの世に存在する事はないからだ。無数の葉っぱ、たかが葉っぱ。しかし、その葉っぱに、1つとして100%重なった葉っぱがあるだろうか。

人間然り。マラソンのスタートを見ても、1つに重なった者は1人も見当たらない。これはただ例に過ぎないが、もし完全に重なっているものを目にした人は、知らせて欲しい。

人間も、たった1枚の葉も、1人しかいない、1枚しかない、個性そのものであるのだ。なんて事を考えながら、家に着いた。焼酎を残りがなくなる迄飲んで買い物に行った帰りである。小さな葉っぱ、小さな花までが、私に新鮮なまでの神秘を齎した。

ビールは明日から飲む事にして、トンカツと、茶碗に少々足りない残り物のご飯を食べた。無性にトンカツの特上の味を噛み締めたくなった。最高に美味いトンカツ。どこかの店で食べてみたいものだ。食べ物だって感動が欲しい。高価だろうが、安いものを5回食べるのを辛抱して1回食べれば、その感動は味わえる筈だ。感動さえも味わえる。

いつも美味いもの高価なものを食べているセレブには、その味に感動出来るだろうか。私は、食の感動は私のような貧しい者にしか味わう事は出来ないのだろうと思ってしまう。セレブだって人間に変わりはなく感動はあるだろう。極端だったが、感動の落差を想像する為に引き合いに出してしまった。

昨日は、北と南のドラマをリアルタイムで観させて貰った。本当か、嘘か。本物か、嘘物か。劇的な真実か、重ね塗られた虚偽か。だが、どちらでもいいとは思わない。ここから、平和への道が開ける事を、やっぱり願っている。あの葉っぱ1枚のように、尊い、それは多くの命の上での会談ではないのか。こんな簡単な道理が、何故曇り、道を外してしまうのか。歴史は繰り返すと、耳にタコが出来る程聞かされて来た。

人間とはそう言ったものだとか、歴史は繰り返すとか、エゴがなくならない限りそれは実現不可能だとか。1人と1人が対した時、そこに喧嘩が起きる事は実証済みで、国と国が争う事を否定する者は少ないだろう。それを抑えるのは、世界が1つになる願いと心が発動しなければ、無理だろう。平和に変えられる心の動きは、世界を制覇しようとする限りない権力志向と自己中心的思考を抑えられる理性でしかない。

昨日の出来事も、何らかの駆け引きが無かったら、38度線は渡る事が出来なかっただろう。私も、殺されても自己責任だと言う事にサインをさせられて板門店のあの部屋に入った。勿論先輩や仲間をソウルに案内した時の副産物として入る事が出来た。あの部屋には38度線は引かれているが、中ではそれを越えても兵士は何もしなかった。今にして見れば恐ろしい事ではあったが、それが今頃、しかも昨日、テレビで観るとは思わなかった。

世界が注目している中、画期的な出来事だったように思われる。だが、勝手な想像はしてみるものの、それがどう進展して行くかは分からない。

昔英語の参考書で読んだ”Love your neighbors as you love yourself.”と言う言葉を連想するが、それを実行するのは実に難しい事だと思われる。人間の思いは十人十色、しがらみで絡み合う姿しか浮かんで来ない。平和は夢。それは哀しい絵空事なのだろうか。
「女性を肉体として扱うような人間」。とトランプ大統領に言ったのは、前FBI長官のコミー氏である。トランプ大統領の選挙とロシアの関係を調査している時、解任された。その言葉は凄い。その時、トランプ大統領は彼の事を「slimeball」と言った。米語ではこんな言葉で言うのだと、改めて米語の面白さを知った。「嫌な奴」とか「下種野郎」と言う意味だそうだ。言葉の山を崩すことがこれだけ面白い事だとは、もう古稀を過ぎた私には、好機を過ぎた(失った)。ああ英語様!

一昨日、オカリナを練習しているSuさんが、

「素敵な場所にお連れしたいが、時間はありますか」

とメールをして来た。Ocさんも一緒だと言う。2人共ご婦人だ。私は時間は有り余るほどある。その旨伝えると、

「オカリナの演奏をしてほしい」

とまたメール。私で良ければ、と言った具合。私は言った。

「だったら1曲用意するので、2人も1曲ずつ吹いたらどうですか。チャンスだから」

そして今日が来た。待ち合わせ場所を聞いたが、Ocさんが家の側まで迎えに来ると言う。お願いした。午後1時前にその場所に行くと、もうすでに2人は来ていた。でっかい日産のワゴンだった。

名谷インターの近くにその車を置いて、後は歩いて行った。私の持ち物は、オカリナ数本。それとラジカセと譜面台。右腕は痛くて簡単には持てないが、何とか持って歩いた。坂を上る。途端に森のような世界が広がった。全くの別世界のようだった。

坂は険しいが、到着すると主人(80歳を超えた女性)が私達を迎えた。Suさんは、この人と知り合いになり、一緒に旅行をする程の仲になった。短時日の間に・・。この家、まるでイギリスの家屋のようで日本の良さを併せ持っている、素敵な家だった。

40年前にこの家を建てたと言うが、なんと静寂な、文豪が住んでいるかのような家。芥川龍之介の文章がペン書きにしてガラスのケースに収められていた。本棚には、昔の本が箱に入れられて並んでいた。

一つひとつ観るものが新しく古く、その感動は胸を貫く。何をどう説明していいか分からない。垂水のバス道のすぐ上った所に、こんな家があったとは。そして主人は、決まった日にオープンガーデンにして人を受け入れているのである。

どんな人かって? ぴったり来るかどうか分からないが、小林秀雄や青山二郎などと交流のあった白洲正子を彷彿とさせる。私のようなものが接するような人とは違う。本当はどうか分からないが、まるで華族の親戚のような気品に満ちた人だったのである。

2階も自由に見ていいと言う事で、3人で階段を上った。窓に竹林が迫る。小さな筍が4、5本目に付いた。掘って持って帰りたいと思った程だ。元気なご主人が、家に帰って2時間もしたら手枕をした形で亡くなられたそうだ。野村佐知代さんと同じ病状だったと言った。そんな死に方があるのか。突然で、迷惑も掛けない・・。

2階にはまた娘さんの部屋もあったが、1人で暮らしている主人は、自由に見て貰っていいと言った。ご主人の年賀状が10枚程、ガラスの中で掲げられていた。浮世絵の女性などの絵に文章が書いてある。文字も絵も、これはプロのものとしか思えない。それを、元気な時には2千枚は書いていたと言ったのには驚いた。

今の一人住まいの女主人も書の上手さはプロはだし。そのほか、色々な事が出来る人だ。テーブルなどは自分で作ると言う。まだまだ凄いものを秘めている人だと思った。私がこんな人と会うなどとは思いもよらなかった。2人の女性がやって来て、1人は初めてだったのだろう、その感動振りは尋常ではなかった。また1人、また1人来た。

主人が作るチーズケーキに抹茶ムース。これが絶品だ。安堵感の中に、微かな緊張が宿る。

ここに来たと同時に、私のCDを今も聴いていた所だと言った。Suさんがプレゼントしたものだった。こんな風に聴いて貰える人が1人でも多くいる事が、私には歓喜であり感動だった。

他の人もいる中、オカリナの演奏をする事になった。Suさんはアカペラで、OcさんはCD伴奏で吹いた。上手いもんだ。私の番になったが、私は「いのちの歌」を吹いた。BC管で吹き、最後の辺りはAC管に持ち替えた。BC管がいい響きを齎したようだった。そう言えば、AC管より低いオカリナは滅多に使ってはいなかった。

アンコールがあった。4曲提示して、選んで貰ったのを1曲吹く事にした。結局、主人が「白鳥」と言った。立って吹いたのでやっぱり座ってばかり練習していた私には、立つ事がこれ程音をゆすってしまうのかと驚いた。何故か指が震えていた。それでもそんな事は全く意に介されず、拍手を頂いた。

最後に3人で1曲演奏して終わった。後、もうオカリナに対する質問攻め。こんな事想像もしなかった。実際の音を聴いて、何か感じるものがあったのだろう。今度はいつ演奏に来るのかと、そんな質問があった。私はそんなに楽しんで頂けるなら、いつでも来たいと言いたかったが、それはもし実現するならいつでも来ようと思っている。こんな楽しみ方は、オカリナ吹きには勿体ないのだった。

そろそろ帰ろうと言う事になり、出会えた事にお礼を言い、おもてなしに感謝して席を立った。昔の簡素なガラスの笠に電球のような灯り。昔のコーヒー豆を蒸す器械。豆を挽く器械。目の止まる所々が発見であった。もう1度きっと来るだろうと思うし、もし遠くから来た人や外国から来た人があったら案内する絶好の場所が出来た事を喜んだ。

こんな日、今日訪れるなんて考えもしなかった。
V・プレミアリーグで、久光製薬が優勝した。JTとの2試合目だったが、1試合目も圧勝だった。今回も3-0の圧勝である事は間違いなかった。大相撲もある中、私はオカリナの練習をして、TVの前に座ったが、大相撲は4時25分からの放映だった。

バレーはまだ続行中だった。久光が3セット目の優勢だった。優勝すると思った。大相撲も早く観たかったが、バレーを見守った。久光は、あの世界選手権のメンバーが殆どで、再びあの試合を観た気がした。石井、神鍋、岩坂、古藤・・、まるであの時のメンバーそのもののようだった。監督は去年から変わったが、まるで世界の戦いをを観ている感じだった。

どっちが勝っても良かったが、あのメンバーを観た時、心の底では、久光を応援していた。今日の試合は、応援というより、もう勝つだろうと思っていた。ユニフォームで決まる訳ではないが、綺麗なユニフォームである。私は、久光を応援していた。余りにも知り過ぎた顔だったのだ。

気を許せば一気に逆転するのがスポーツの世界だ。JTだって優勝出来たと思う。だが、今回は久光にその流れが来た。2年振りの、6回目の優勝だった。

インタビューが終わり、監督の胴上げが始まった。男達が6、7人、監督を放り上げた。私は、選手が胴上げをするものと思っていた。それは今時の事情なのだろうか。私が監督で選手達に胴上げされたら言っていただろう。「お前達に胴上げされて、ほんとに嬉しいよ」と。

チャンネルを変えた。隠岐の海と豊山の一戦だった。隠岐の海の勝ち。これで5勝2敗となった。私は隠岐の海を応援していた。隠岐の海は同郷なのだった。強い時も弱い時も、やっぱり贔屓はある。

戦いはちょっとの事で負けたり勝ったりする。勝つと言うのは、相手があるけれど自分に勝つと言う部分も大きい。精神力の問題である。私は、久光製薬のメンバーの戦いが勝った訳を、少なくとも分かった気がした。私と言えど中学時代は陸上競技をやっていた。

もう駄目だとはその時は思わなかった。結果、走り高跳びで県下で2位だった。私は出雲、優勝者は湯里。初めて出会った彼に会って話したいと思う事もある。中学校の放送陸上での話だ。

今、オカリナで、この年でコンクールに出場しようとしている自分がいる。古稀を過ぎてまで何故出場するのだろう。オカリナが好きだからだ。だから、精一杯オカリナで歌い尽くして、それで最後にしようと思っている。恥を忍んでまで聴いて貰う理由がないからである。

明鏡止水ではないが、雑念をなくし、集中して、最後まで歌い切ろうと思っている。上手く行くとかそうでないとかは、結果に過ぎない。出来る限り、楽しく歌い切りたい。久光が頑張って優勝をものにした時の心意気で。


一昨日は、新長田でSさんS.Sさんシマさん夫婦、そらの陽さんと私の6人で、お好み焼き屋さんで短い時を過ごした。皆で分かち合って食べると言うのは、殊の外美味い。食べて、喋って、飲んで、それが楽しい。私とSさんは、トマトチューハイ、生ビール、ハイボールの順で飲んだ。いつもと違う順序に面喰いながら、それでも飲める幸せを味わった。

シマさん夫妻は用事があって2次会には来れなかった。外に出て、別れた。残りの4人はカラオケ屋さんに入って行った。順番に歌った。私は終わりの頃はリタイアーした。咳が酷く、この日の前日医者に掛かっていた。健診をし、花粉症の薬を貰い、喘息の吸引薬を貰った。花粉症や喘息など、考えてもいない診断だった。

皆、歌が上手い。また、私の知らない歌をとてもよく知っている。途中でオカリナやリコーダーやピアニカを手に取って合奏をした。これも楽しかったが、私は喉がさっぱりだった。私はもう歌うのは限界だった。皆の歌を聴くだけでも楽しいと思った。

Sさんは90点台をいくつも取った。S.Sさんは1、2度90点越えを果たした。私はどんなに歌っても85点以上は取れなかった。最下位だ。鼻声だったからだろうと思う事にした。これでは今日は無理だ。

日本オカリナコンクールはもう5回目になるが、この日から後6日目となった。その時、たった1曲のピアノ伴奏の為にS.Sさんが来てくれる。普通、こんなプロの人が、自分の仕事の段取りをしながらアマチュアの私の演奏の伴奏をしてくれるのかと思う。

いつも勝手に思うのだが、これって何なのだろう。深くは考えないが、恩恵を受けている。初めてリリースしたオリジナル曲のCD12曲の伴奏をして貰った。私にとっては夢のようなCDなのだ。

同期の友が私に言う。「次のCDはいつ出すのだ」と。何年もそう言われ、「機会があったら」と答えていた。後20曲はオリジナルがある。次も12曲を選んで、いつでも出来るようにはしている。だが、そう簡単なものではない。彼は言う。「幾らかかるのか」。

本当かどうかは分からないが、彼は私のオカリナCDの制作に出資すると言うのだ。つまりスポンサーを申し出てくれた。彼は、3千万円のオーディオで私のCDを聴いてくれ、それから屡々第2集目のCDの事を聞いて来る。

第1集を聴いて、彼は感動してくれたのだ。「3曲まで聴いて、勿体なくて電話した」と言った。「自分のオーディオでも、十分に聴ける録音だった」とも。1度聴きに行った事もある。そこまで彼が言うのが不思議でもあったが、愛想で言ったとは今になってはもう、そうではないと思えるようになった。

特に親しい訳でもなかったのに、そんなに私のCDを聴いてスポンサーを名乗り出てくれるとは。第2集がリリース出来なかったら、私の残りのオリジナルは日の目を見ない。大したものではないが、編曲やピアノ伴奏が素敵だ。古稀を過ぎたけれど、生意気だと思う人もいるかも知れないが、第2集を聴いて頂きたいと思い直し、この1、2年で制作しようと思った。

編曲、ピアノ伴奏、スポンサー。素敵な3拍子が揃った。後は良きエンジニアを見付け、下手糞な私の演奏を、精一杯やる事だけだ。ああ、まだやってみたい事があるものだな。これも、人との繋がりで出来るものなのだと思う。
ローソンにコーヒーS(100円)を買いに行って、ひょっとおにぎりの棚を見た。しばらく頭に浮き沈みしていたおにぎりがあるではないか。朝9時半頃の話である。

数日前、朝10時頃コピーしに行って、店員さんに恥ずかしさを忍んで聞いてみた。とっても感じのいい2人の女性店員さんだった。

「吉永小百合の握ったおにぎりありませんか。小百合さんが握ったおにぎりを売る訳ではないですけどね」

「ありますよ。でも、すぐに売り切れてしまいます。お昼2時半から3時頃に来て貰ったら、ひょっとして手に入るかも知れません」

これだけ聞くのがやっとだった。

期待はしていなかったが、2つあったピンクのパッケージに、微かに胸が躍った。古稀を過ぎた爺さんの胸が躍るなんて、笑止千万。私は何処まで好奇心が強く、ミーハーなんだろうか。

実は北の三部作の最終章がこの3月10日に全国公開される。「北の桜守」だ。吉永小百合出演の一作目は、2005年の「北の零年」。二作目は、2012年の「北のカナリアたち」。

「北の桜守」で、吉永小百合演じるてつは食堂を営んでいた。それをイメージしたおにぎりがそうだ。「北の桜守 てつさんのおにぎりおかずセット 税込み380円」である。おにぎりは小ぶりで、「北海道産 生漬たらこ」「北海道産 日高昆布」の2つ。おかずは「ザンギ(鶏唐揚)」「玉子焼」「沢庵2枚」が付いている。

何故買うのかは性格なのだろうか。だが、イメージしながら食べるのか、美味いと感じるのだから変な爺さんだ。

太平洋戦争も末、1945年に日本の領土だった樺太を追われ、2人の息子を連れて網走まで辿り着いた。何もあらすじを借りてまで書き写す気はないし、それが目的でもない。

因みに、吉永小百合は1945年3月13日生まれだそうで、私とは3ヶ月違うが、学年は私の方が1つ下になる。それでと言う訳でもなく、てつが握っていたおにぎりは吉永小百合が握ったと錯覚させてしまう、そんな錯覚マジックによって買ってしまったと言ってもよい。

ずっと続けて売られるとは思わないが、もう1度食べてみたいと思っている。でっかい「おかか」や「明太子」や「昆布」のおにぎりを3つ買っても、それよりも高めではあるけれど・・。この「北の桜守」で120作目だそうだ。


もう1つは、レトルトのカレー。色々試してきたが、どれもどこか特徴があり美味いと思うが、最近嵌まったカレーがある。グリコのカレーだ。一通り食べて見たが、どれも私の気持ちを惹くのには十分だった。300円台とか500円台とか1,000円台とか値が張るものは沢山あり、それは肉の塊も大きくて上質なものが入っている。

私が1日に1度は食べるレトルトは、高価なものではない。これは、箱に入って税抜き78円だったり98円だったりする。今食べているのは「カレー職人シリーズ」で「スパイシーチキンカレー辛口」「なすとトマトのカレー中辛」「老舗洋食カレー中辛」「バターチキンカレー中辛」「ビーフカレー中辛」の5種だ。

これが、スパイスが効いているのか、どれを食べても美味いのである。以前のものはなく、今はこのシリーズが台所の小さな棚の一角を席巻した。どれを取っても美味い。なすも数切れ入っているのが憎い。今日も買いに行ったが、家には1週間は食べられる程ストックされている。吃驚したのは、ある1種類のこのレトルトが、ごっそりなかった事だった。

ついこの間から売られ始めていたのに、もうこの人気には開いた口が塞がらない。人の視覚や嗅覚は凄いものだと思う。


またいつ書くか分からないので、テレビで観た玉子焼きを実践したのでその味の事を書いて置きたい。少し甘めではあるが新鮮な味がする。

玉子焼き器に油を引いて、3個の卵を溶き塩を一つまみ入れる。それに麹から作った甘酒を大匙4杯入れて混ぜる。3回位に分けて中火より弱い火で出汁巻きのように巻く。ラップに包んで形を整えるかどうするかは自由だが(笑)。それで出来上がりだ。その上に醤油を垂らすとかの調味料は試したが、私には必要なかった。

何て不思議な味だろう。私の食への拘りは、今は朝昼うどんかカレー。夕方は水戸黄門を観乍ら焼酎を飲んでいる。あては何でもいいが、玉子焼きか秋刀魚や鯖の缶詰、またはその両方と言う事にしている。たまにもやしをケチャップで炒め、ソースをかけて食べる事もある。キュウリが食べたくなると、2センチくらいに切ってその上に味噌を乗せ、そのまま食べる。

あてだけはあまり拘らない。極たまにノドグロの一夜干しを貰ったりする事もあるので。仄かなピンク色の「てつさんのおかずセット」を見て、今日がひな祭りの日だと言う事を知る。
朝、車からの外気温は2度だった。孫を母親と共に保育園に送り、母親、つまり私の娘は言う。

「昨日も雪が舞い散ったりして寒かったけど、今日はそんなに寒くないね」

と言った。示す温度にしては確かに寒くない。さっさと孫を預けると娘を高速バスの停留所まで送った。家に帰ると程なく私は家を出た。10時に予約していた床屋さんに行ったのだった。そこの主人も、

「昨日より今日は寒くないですね」

こうして、人間は周りの空気を感じているのだ。実は、私も寒いとは思っていなかった。

環状線の福島駅に着くと、そこでも寒くは感じなかった。CoCo壱番屋でカツカレーを食べてザ・シンフォニーホールに着くと、やっぱり寒くはない。横浜の妹が、夕方6時47分に北西に宇宙ステーションが見えるとメールして来たので、暫く曇った空を見上げていた。四囲を見回すが、星は全く見えず、宇宙ステーションも目に入らなかった。7時からコンサートが始まるので、ホールに入って行った。

「ライト・シンフォニックコンサート~大人の贅沢・アメリカ~」。30人程の編成の大阪交響楽団にピアノの細川千尋が加わる。昨年初めて2月14日に大阪交響楽団との熱演を披露して、その大好評の結果が今日2月14日の2度目の演奏となった。仕草が新鮮で自然で可愛く、好感を持って彼女のジャズ演奏を聴く事が出来た。

クラシックからジャズに転向したと言うが、動きはまるで妖精そのものだった。

前半初めの2曲はピアノのソロ演奏。後はピアノとコラボのオーケストラ。指揮者は松村秀明。慶應義塾大学法学部を卒業して指揮者になった異色なのだ。

後半の最初の3曲はオーケストラのみの演奏。後はピアノが入った。羽川英樹は昔「11PM」などでよく見たアナウンサーだった。彼がMCを担当した。今はフリーアナウンサーだが、流石に面白い話を交えての話は、演奏の前まで嫌味なく自然に聞けた。

「今の若い者は昭和の人間が分からないと言います。その主な5つの1つ目は、何処でも煙草を吸っていた事。バスの中でも病院の待合室でも吸っていた事が理解出来ないようです。2つ目は、ゴールデンタイムのテレビの後ろをスッポンポンの女が駆け抜ける所などを放映していた事。3つ目は、部活などで、運動が終わるまで水を飲んではいけなかった事。4つ目は、留守にしていて荷物などが来たら隣の家で預かってくれている事。5つ目は、1ドルが360円で、しかも固定していた事など、理解出来ないらしいのです」

今日はバレンタインの日で、横浜の妹から今年もチョコレートが届いた。ハートの赤いチョコレートが瞬時に目に入るが、5個、皆美味しそうだった。私は、その心臓から食べ、次々に口に入れ、あっと言う間に全部食べ終えた。流石に胸焼けをしたような感じになった。

更にこのコンサートが、私にはチョコレートに次いでバレンタインの贈り物になった気がしている。

プログラム

クロス:映画『ミスター・アーサー』より「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」

エリントン:A列車で行こう

チャップリン:映画『ライムライト』より「エターナル」(編曲:なかむら たかし)

         映画『モダン・タイムス』より「スマイル」(編曲:なかむら たかし)

アームストロング:映画『グッドモーニング、ベトナム』より「この素晴らしき世界」(編曲:森 隆一郎)

ロータ:映画『ゴッドファーザー』より愛のテーマ(編曲:なかむら たかし)

R.ロジャース:マイ・ファニー・ヴァレンタイン(編曲:なかむら たかし)

エリントン:スウィングしなけりゃ意味がない(編曲:三宅一徳)

ジョプリン:ジ・エンターテイナー(編曲:なかむら たかし)

20分休憩

アンダーソン:フィドル・ファドル(編曲:なかむら たかし)

          プリンク・プランク・プランク

         タイプラオター(編曲:なかむら たかし)

ガーシュウイン:サマータイム(編曲:三宅一徳)

          ス・ワンダフル(編曲:三宅一徳)

          サムワン・トゥ・ウオッチ・オーヴァー・ミー(編曲:三宅一徳)

          アイ・ガット・リズム(編曲:萩森英明)

アンコール:雨に唄えば

ピアノソロで始まった「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」のなんと繊細な弾き方なのだろう。ワインレッドのスカートの上を覆う黒いレースが、その色をキャンプファイヤーの残り火のように暗く透かし揺らしている。スポットを思い切り浴びた細川千尋の2つの腕はそれだけを誇張した怪しげな、しかも眩い程の生き物に変えていた。

「A列車で行こう」も私を引き込んで止まなかった。

どの演奏も素晴らしいものだった。エリントンとジョプリンはこれも聴かせた。ジャズはいいものだ。

後半はやはりガーシュウィンの世界である。この4曲は秀逸で、「アイ・ガット・リズム」に至っては、編曲も然る事乍ら、10分間をあっと言う間に聴かせてしまった。2時間が短い時間に思えた。もっと浸っていたいジャズの可能性の広く深い、魔性の世界にどっぷりと浸かっていた。

私にはこれらの一かけらも演奏出来ないが、心と体が一体となって今日の「贅沢なアメリカ」を受け入れていた。
 
この10日近くコートを着ていても寒さを感じていたが、今日は脱ぎたくなる程の温さを感じていた。やっぱり今日は、昨日より確かに暖かかったようだ。

三宮から最終の1つ前10時22分の高速バスに乗ろうとしたが、20分は待たなければならない。コンビニに行って桜の花がプリントしてある缶ビールが鮮やかに目につき、買おうと思った。だが、無性にのどが渇いていてビールは断念した。その代わり、いろはすの桃味を買い、雪見大福を買った。

バスを待つ場所に戻り、ゆっくり飲んで食べようと思った。確かに桃の味がして美味しい水だった。2つ入ったアイスの大福を取り出して噛もうとしたが固く、そのまま口に入れた。ちっとも融けてくれず、このまま口に入れていたら喉に詰まりそうに思え、慌てて口から出して元に戻した。瞬間、恐怖を感じたからだった。

大分して取り出すと柔らかくなっている。今度は柔らかいお餅のように食べる事が出来た。続けざまにもう1つも口に入れたが、難なく食べ終えた。そして、いろはすの桃味を大方無くなる位まで飲んでしまった。軈て、バスがこちらに向かって来るのを見た。