「このプロジェクトを通じて伝えたいことは、ベートーヴェンも私達と同じように一人の人間であったということです。当たり前のように聴こえはしますが、音楽を通してベートーヴェン像を美化していってしまっている私がどこかにいるので、彼自身も努力をして私達が知る名曲を作ったということを伝えられればと思います」 河村尚子

午後2時から始まったピアノ・リサイタル。ベートーヴェン紀行第1回。2020年にベートーヴェンは生誕250年を迎える。その2年間4回のシリーズの、今日は第1回目だ。

芸文センターの大ホールは、略満員である。河村尚子のピアノ演奏だが、初めて知ったピアニストだ。数々の賞を獲っている事と、現在、ドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授である事だけをここには書いて置こう。

小学生の頃、私はクレヨンに金と銀の色があるのを見て、それはそれは驚いた。しかし、その金色は王冠のように輝いた色ではなく、くすんだ鉛光のような色。金色(こんじき)とは程遠い色だった。そんな腕丸出しの衣装を着て現れた。

頭には、小さな長方形の髪飾りが乗っている。まさかダイヤモンドとは思わないが、カットされたガラス玉が数個、並んでいた。それが、時々、きらっと虹色に光る。4階の、しかも最後列から1つ前の真ん中辺の席。いい位置で俯瞰する。何故よく分かるのか。それは双眼鏡のお蔭であった。

まるで1階の、ステージから3、4列の席に座っているような、髪の1本1本がはっきり見えるのだった。露出した右腕の筋肉が、黒光りしたように弾む。か弱い、細いピアニストの反対を行っている。

これからの4回を、全部ベートーヴェンで迫る。どんなベートーヴェンを味わえるのだろう。兎に角、第1回を聴きに来たのだ。

ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7
 第1楽章 アレグロ・モルト・エ・コン・ブリオ
 第2楽章 ラルゴ・コン・グラン・エスプレッショーネ
 第3学章 アレグロ
 第4楽章 ロンド ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ

ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13 「悲愴」
 第1楽章 グラーヴェ アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオ
 第2楽章 アダージョ・カンタービレ
 第3楽章 ロンド アレグロ

休憩20分

ピアノ・ソナタ 第7番 二長調 op.10-3
 第1楽章 プレスト
 第2楽章 ラルゴ・エ・メスト
 第3学章 メヌエット アレグロ トリオ
 第4楽章 ロンド アレグロ

ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
 第1楽章 アダージョ・ソステヌート
 第2楽章 アレグレット
 第3楽章 プレスト・アジタート

2時から4時過ぎまでの熱演だった。繊細なショパンが得意のようだったが、今回はベートーヴェン一筋。ドイツに居るからなのかそうでないのかは分からないが、それは挑戦ではないのかと見た。冒頭にも引用したが、こんな事を言えるミュージシャンはそうざらにはいない。

「・・ベートーヴェンを美化してしまっている自分がどこかにいるので、彼自身も努力をして名曲を作ったと言うことを伝えられれば・・」

その演奏は、激しくもあり繊細でもあり、強弱の幅が他のピアニストとは違っていると感じた。小学校の教室の後ろの壁に並んでいる楽聖ベートーヴェンを、人間として同じ目線で捉えた河村尚子の演奏に、私は目を見開き、耳を集中させながら見聞きした。その瞬間、彼女の姿はベートーヴェンの姿に変身した。

特別な思いで、このコンサートを聴いた。アンコールは、ベートーヴェンの「月光」に因んで、ドビュッシーの「月の光」が奏でられた。凄いとしか言いようのない音が、4階の私の所まで十分に響いた。水面が、月の光に照らされて、きらきらと照り返っていた。聴けて良かった。出会えて良かった。こんなピアニストがいた事に。

また今日も、神々に遣わされた1人に出会う事が出来た。神に愛された稀有の化身に出会えた幸せを感じている。果てしなく遠く、届かぬ所にいる河村尚子。人間なのか神の申し子なのか。それは分からないが、餃子がセットの生ビールを2杯飲み、冷やし中華を食べ、西宮を後にした。

家に着くなり、オカリナで「月の光」と「月光」を吹いた。余りの下手糞加減に呆れながら、それでも女神の足元にひれ伏している切ない自分を振り返る。
そこに紙があるからだ、なんて気取った事は言わねえよ。ありゃ、言葉が変だ。水戸黄門の見過ぎに違いねえ。
ありゃ?!

土日は流石にないが、もう何十日も観ている。黄門ラッシュ。3時になると1時間物が立て続けに2本。それが終わると今は大相撲を観る。その後は、6時からのBSでの水戸黄門をまた観るのだ。

「言わせておけば田舎爺の分際で。この者どもを召し取れい」

「助さん格さん、もういいでしょう」

「静まれ、静まれい。この紋所が目に入らぬか。此方ににおわすお方を何方と心得る。さきの副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ」

「御老公の御前である。頭が高い。控え居ろう」

「恐れ入りました」

この台詞を聞くために、1時間ほどの「水戸黄門」を観るのだ。状況は違うが、パーターンはいつでも一緒である。黄門様役は今の所5人を確認しているが、誰が適役だろうかなんて考えない事にしている。特徴はあるが、誰が演じても衣装と台詞は同じだからだ。

助さん格さんは強過ぎる。冷や冷やして観た事は1度もない。そこがいい所だ。ストーリーも安心して観られる。お銀、弥七、飛び猿も強いを越している。また、この3人の連携が楽しい。黄門様を守る命を持った飛び切りの忍びで、漫画のように面白い。

今迄観た事はなかったのに、何故ここまで観てしまうのか。答えは簡単だ。勧善懲悪に憧れる訳でもないのだろうが、要は涙脆くなったのであり、歳を取ったと言う事だ。

話がどんどん変に進んで行く。もう、水戸黄門は幕引きだ。


朝は、歩いて1.2キロ先のクリニックに行った。ひと月に1度、アムロジピンとイグザレルトを貰う為だ。8時25分に家を出た。すると、クリニックの前の横断歩道の所に、救急車が赤色灯を点けて止まっていた。その前には自転車が倒れていた。救急車の後ろには青色の乗用車が止められ、その運転手らしい人と警察の人か誰かが話をしていた。

私は、立ち止まって見る事はしないで、クリニックの中に入って行った。9時からだが、もう5人位は待合室に座っている。この位の時間なら、大体1時間でクリニックを出る事が出来る。

すぐに「きょうの料理」をラックから取り出して見始めた。待合室では、事故の話で持ち切りのようだった。どうしても耳に入ってしまうが、自転車に乗っていた人は年配の女性だと言う事だった。「この人、どうなっただろうねえ」「危ないねえ」「怖いねえ」「大丈夫かなあ」「私は横断歩道を渡る時は車が止まってくれたらちょっと頭を下げて渡るようにしているよ」そんな話が続いていた。私は、どの料理をしてみようかと、そのレシピ収集に余念がない。

お決まりの血圧測定に呼ばれて検査室に入る。薬を飲んでいるお蔭で、いつも上は120、下は70位だ。9時になってから暫くすると名前が呼ばれた。先生は、その横断歩道には今のように信号がなかったけれど、事故があってから信号機が付けられたと言った。色が変わるのに2分掛かるとも。

最近右腕の関節を中心に、曲げ方の調子で痛かったりする事を話した。卓球をするとその後痛み、1週間しても余り痛みが治まらない。それでも日曜になると2時間の趣味の卓球に通う。実は、トリプルオカリナを持って練習するとその痛みは特に酷くなる。こんな事はなかったのに、と思う。

ちょっとした問診だけで、先生は「湿布薬を出しましょう」と言った。

近くの薬局で、1日に貼るのは2枚までだと言われた。この痛みの為に何度か家にあった湿布薬を貼っては見たが、痛みがそれでは治まらなかった。所が今、腕を回しても、痛みを感じない。2枚までと言う事はよく効く事の例なのではと微かな期待を抱いてはいた。

経皮吸収型鎮痛消炎剤ロコアテープと言う。早く次を貼りたいと思った。どのように効くかはまだ1枚貼っただけだから分からないが、この効き方には瞠目する。

クリニックで読んで覚えた簡単な料理。その材料を買って昼試してみた。これが殊の外美味い。酒のあてにはまた作る事にして、折角なのでここに記して置きたい。言葉は悪いが、パクリとは思えない。どちらにしても、試して爽やかで美味かったものだから、是非皆さんも、と。

必死に覚えて帰る程の事もなく、これならここに再現出来る。知っている方もおありとは思うが、多分飽きない1品だと確信している。

レシピのタイトルは記憶し損なったが、材料と作り方は書ける。簡単過ぎて拍子抜けするだろうが、1度如何だろうか。


モズクの波に浮かぶトマト島 (私が勝手にこんなタイトル名にした) 

材料(2人前)

モズク (スーパーなどで売っている味の付いたもの 2個)
トマト 1個
ミョウガ 1個
大葉 2枚

作り方

1 トマトは食べやすいように切る
2 ミョウガと大葉は千切りにする
3 器にモズクを入れトマトを乗せる
4 3の上にミョウガと大葉を置く(散らす)

本当に書きたかったのは、このレシピだった。
5月も後半に入ったと言うのに、朝方は無暗に寒い。ちょっと着込んで、西宮北口へ行った。久し振りの芸術文化センターだった。

ドリーム・コンチェルト。2時から始まった。

ロッシーニ:歌劇「セビリャの理髪師」より

  序曲
  ”私は町のなんでも屋”[バリトン:桝 貴志]
  ”今の歌声は”[ソプラノ:長町香里]
  二重唱”それじゃ私だわ・・・嘘じゃないわね?”

リムスキー=コルサコフ:トロンボーン協奏曲[トロンボーン:藤原功次郎]

  第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
  第2楽章 アンダンテ・カンタービレ
  第3楽章 アレグローアレグレット

休憩

ビゼー:歌劇「カルメン」より

  第1幕への前奏曲
  ”諸君らの乾杯を喜んで受けよう(闘牛士の歌)”[バリトン:桝 貴志]

オッフェンバック:歌劇「ホフマン物語」より

  ”小鳥はあかしでの木にとまって(人形の歌)”[ソプラノ:長町香里]

ラフマニノフ*ピアノ協奏曲 第2番ハ短調[ピアノ:生熊 茜]

  第1楽章 モデラート
  第2楽章 アダージォ・ソステヌート
  第3楽章 アレグロ・スケルツァンド

大ホールは略満員だった。アンコールの仕様がなくそれはなかったが、拍手は続いた。オーケストラは兵庫芸術文化センター管弦楽団。60人に足らない編成だった。指揮者は、佐渡裕に替わって期待の若手角田鋼亮。休憩が20分あったが、実質1時間45分位の演奏だった。

私が知っている人は1人もいなかったが、全て期待のコンサートだった。この楽団にして、素晴らしい音を出していた。

バリトンの桝貴志と言いソプラノの長町香里と言い、その声量と音域に驚かされた。聴衆がよくぞ集まった理由がこれだ。トロンボーンのどでかい音とその上手さにも驚くばかりだった。

圧巻は「人形の歌」でのソプラノ長町香里だった。声は4オクターブ位は出せそうなソプラノだが、演技も中々なもので、最初出て来る時に、体を横に抱えられて出て来た。マネキンではないかと本当に思った程、立たされた時も、歌い出すまで本物とは思えなかった。

歌い出してやっと信じられた。しかし「人形の歌」である。まるでロボットのような仕草をやりながら歌った。途中でネジが切れたような動作になり歌い、指揮者がネジを巻いた。それは、ガリガリと巻く音を出し、それに合わせて動作した。笑いが起こった。これは何処かで聴き、見た事のある演技と歌声だったが、楽しい演技だった。

ピアノの生熊茜の演奏も初めて聴いたが、管弦楽団の団員と指揮者、そしてピアノの姿を見ている内に涙が出そうになった。三位一体の姿と、ピアノの余りの旨さに感動したからだった。

様々なソロがある中で、だからアンコールは無理だと思え、その通りだったが、満足できる演奏だった。これからの希望を一緒に見た気がした。

さてさて、それから餃子の王将を探して、生ビールを飲み、半チャンの餃子、50周年記念の5月限定と言う豚肉の生姜焼き(名前はよく覚えていない)を注文して喉を潤した。結構な量でもう注文できなかったが、野菜炒めと麻婆豆腐に未練が残った。

やっぱり外は寒く、さっと風が通り過ぎると、冬になる時の感じがした。それはまるで木枯らしのようだった。春のたき火。そんな事を想像して、そんな自分が可笑しかった。何故なら、70歳をとうに超えた爺さんの想像だったからだ。

三宮で551のシュウマイを買った。でかいシュウマイだが、10個。そして、明日の楽しみに粽を2つ買った。「マツコの知らない世界」でシュウマイのTVを観たからだった。シュウマイの研究家がまさかの551のシュウマイを紹介したからだった。焼酎によく合った。レンジで温めれば、更に美味いだろうと感じた。
10日がすぐに11日になる真夜中に車で出発した。

九州に入ると左側を縦に走る九州自動車道を南下した。久留米や八女や熊本や八代を抜けて加治木JCTへと。更に鹿児島へ。そこから指宿駅へ。正直な話、こんな所に指宿があるとは思わなかった。ずっと想像で思っただけだっから、途中から桜島が見える事が信じられなかった程だ。

午後3時に加古川の義理の兄夫婦と指宿駅で待ち合わせをしていた。もう車はしんどいと見えて、新幹線でやって来た。2人を乗せ嫁さんと4人で薩摩半島最南端の長崎鼻へ。朱色の竜宮神社が目を引いた。

にしき屋には限定の幻の焼酎があり、名取裕子さんも毎年購入しているそうだ。「さつま竜宮」「赤竜宮」が芋で「白竜宮」が麦だ。芋のそれ(900ml)をと思ったが、話し上手な女(ひと)の話につられ、本格焼酎秘蔵黒麹仕込「薩摩藩」(720ml)にした。

そこで義理の妹とその従弟と出会った。妹は羽田から飛行機で大分空港に着き、従弟の車でここまで来た。開聞岳が目に入る。実物を見るのは何にしろ感動ものだ。桜島も初めて見て、その噴煙にも大いに心動かされるものがあった。

指宿の宿舎「休暇村」で義理の長兄夫婦と会った。今回の設定は長兄が段取りをしていた。体験の為に、この「休暇村」内にある砂むし風呂に入った。長兄夫婦を除いて、6人が入った。

黒い温かい砂をスコップでかけられると、その度に重みがずしんずしんと加わて行った。15分埋まっていようと思ったが、2人は10分で抜け出した。私も13分で起き上がろうとした。左腕や手はすっと抜けたが、右がなかなか重みで上がらなかった。体験は想像より強いが、これは1度だけでいいと思った。

6時半からの食事会は広い場所で沢山の人と一緒だった。刺身(鰹と鯛の食べ比べ)、鍋物(鰹と鯛のしゃぶしゃぶ)、蒸物(雲丹のの茶碗蒸し)、焼物(黒牛の焼しゃぶ)。鹿児島プレミアムと言う事だったが、格別に美味いとは思わなかった。内容は夫々違うが、どこでもそんなに違わない。

食事が済むと、男は私と従弟が同室になった部屋で飲み直しを行った。私だけ運転した訳ではないが、870キロの道中が堪えたのか、暫くして私は眠ってしまった。4時には目が覚め、従弟も目を覚まし、それから7時まで話し続けた。グランドキャニオンに行った話など、面白おかしく聞いた。東雲の空はまだ明けず、向こう岸には町の灯りが緩やかな直線を描きチカチカしていた。大隅半島側の光だ。

日の出を見ようとしていたのに、すっかり日は上ってしまっていた。携帯が鳴り、もう食堂に来ていると言う。

昨夜の「長参」での朝食。まあまあのバイキングだった。コーヒーはここでも飲んだが、何故かオレンジジュースが美味かった。長兄夫婦は12日は一緒にいる筈だったが急に佐賀に行く予定が出来、この「休暇村」で別れる事になった。

6人は池田湖から開聞岳を望み、それから知覧特攻平和会館へ足を踏み入れた。石碑には6人の特攻隊員と知覧の母と呼ばれた女性の写真、それに石原慎太郎氏の文章が刻まれていた。会館の中には顔写真が貼りだされ遺書が並び、それは悲痛に感じられた。落ち着いて読めるものではない。

零戦の実物を見る事も出来たが、想像よりも大きいものだった。これも、ただの飛行機だとは到底思ってみる事は出来なかった。色んな事が脳内を錯綜する。

石原慎太郎氏の文章を載せて、知覧特攻平和会館の扉は閉じたい。

短い青春を
懸命に生き抜き
散っていった
特攻隊の若者たちが
「お母さん」
と呼んで慕った
富屋食堂の女主人
鳥濱トメさんは、
折節にこの世に現れ
人々を救う菩薩でした。

その後昼食を共にしたが、知覧茶屋だったか、に入った。ここは鳥濱トメさんが創設した店だった。若い特攻隊員の母となり笑顔で送り出し、心の支えとなったこの人だ。そんなお店で私達は天丼を食べた。どこで食べるかも、記念に残るためには重要な事である。

それから大名の庭園を見に行った。そこからは鉄道を挟んで桜島が見られる。美しい白い煙だが、いつ火を噴くか分からない不気味さもないとは言えない。その麓に、家々が並んでもいるのだ。

島津家の別邸は見ずに名勝仙巌園だけにした。それだけでも1,000円である。プラス300円は、入る気になったら中で払えばいいと言う事だったから。確かに広い庭園だが、全部回り切る気はなかった。

さつま揚げを食べた。神戸で食べた事はあるが、そんなに美味いものとは思っていなかった。しかし、ここで食べたものは、別ものだったかのように、満足できる美味さだった。傷むので、持ち帰れなかった。

薩摩切子が見たくて、私1人足早にさっと見た。小さい物でも3万円前後する。見るだけで良かった。が、大阪の切子もとても魅力的である。

加古川の次兄夫婦は従弟の車に乗り、鹿児島駅まで送って別れる。

12日は豊後高田市で1泊する事にしていた。シンプルでリーズナブルな「亀の井ホテル」。これは名称が変わり、現在は「AZホテル」になっている。1階には「長参」と言う居酒屋がある。

今度は私と従弟とが運転する2台の車に女2人が1人ずつ、途中で乗り換えて、「AZホテル」まで九州自動車道を戻り、鳥栖JCTからは大分自動車道に乗った。日出JCTで降り、従弟(今後Kさんと呼ぶ)の行く後を追った。どう見ても夜9時より早く着く事はなかった。

着くや否や荷物を部屋に置き、すぐに「長参」に入った。Kさんは自分の家に帰るが、一緒に夕食を食べようと言う事になった。もう客は誰もいない。6時前後に皆済ませてしまっているのだろう。

生ビールが美味かった。Kさんは最初から芋焼酎を飲む。彼の流儀だろうなと思った。あても色々取って、4人で飲み食い談笑した。10時がラストオーダー。終了は10時半だ。すぐに時間は経った。Kさんが、行きつけの飲み屋さんがあると言って私を誘った。ホテルを出てコの字に曲がるとそんな近くにその店はある。私にしてみれば、もう10年以上もスナックなる所には行っていない。

兎に角喋りの好きなKさんだし、私も冗談を言うし、ママもどんどんそれに突っ込んだりする。店も終わりとなったのが1時だった。彼は、車の代行を予約していて、そのまま帰っていった。

私も焼酎も飲んで、ラジオ深夜便も聴かず眠ったので、5時間はぐっすりだった。こんな事は珍事だ。普段はだらだらラジをを聴くので、まあ2、3時間しか眠っていないからだ。

13日は8時から朝食のバイキングを食べた。腹の足しにはなるけれど、種類は少ない。だが、お腹は一杯になった。

ホテルを出ると、海産物を買いに行った。流石に海苔など、極上の物もある。沢山買えないので、少しだけ買った。スーパーなどにある有明海苔10枚入りなどとは、味も次元もちがうと言うので、兎に角帰ってから食べるのを楽しみにしている。

Kさんの車が置いてある所まで行くとKさんが出て来た。Kさんからすれば従姉を大分空港まで送る積もりにしているのだろう。昼は「一緒に食べよう」と言っていた。どこに連れて行ってくれるかと楽しみだったが、「両子で蕎麦を食べよう」と言った。多分美味い蕎麦だろうと期待した。

大分空港より離れた方向に進んで行く。雨脚は酷くなって来た。だが、着いた所は田舎ではあるが素敵な佇まいだった。店名は「両子川原座」と言ったが、六郷満山の内の1つの場所の名でもある。中の雰囲気もいい。こんな所にも味を求めて来るお客さんで、満員に近かった。

私とKさんはざる天そばにした。女子2人は温かい天そば。どちらも1,350円だ。ずいぶん待ったが、海老が3尾。大葉。南瓜。椎茸。それに蕗の天ぷら。美味いなあ。蕎麦も感動する位美味かった。満足の昼食で、もう1度食べに来たいと思った。

雨が止まないので少し外で話しをしたが、それでも止まない。4時55分発なので時間は十分にある。兎に角道の駅などに寄りながら、大分空港へと。駐車スペースが殆ど埋まり、空いた場所がすぐには見つからなかった。何とか止める事が出来てほっとした。

食堂でお茶を飲む。皆、懐かしいので「やせうま」を食べたいと言い出した。私にはちんぷんかんぷんだ。子供の頃よく食べたと言う。お殿様の側で育てられない子供を、八瀬が遠く離れて育てた。その時、その子が「八瀬、旨・・」と言った事が、「やせうま」となった。「八瀬、旨いそれが食べたい」と言ったからだと。

きしめんのような平らにしたうどん状のものに黒蜜をかけたものだ。私も少し貰って食べたが、子供の頃だったら美味かっただろうと、納得の「やせうま」だった。

天候の加減で、ANA4時55分発の飛行機は降りられないかも知れず、欠航になる可能性もあるとの案内があった。掲示にも、そのテロップが流れる。だが、5時5分には出発できるだろうと言う事になった。最終的には10分になり、30分前に義理の妹、Kさんに取っての従姉は、搭乗口に向かって歩き出した。

大分空港から羽田空港には、我々が門司を渡って下関を過ぎる頃には着くだろうと思っていた。正にその頃電話があって、もう着いてモノレールに乗っていると言う事だった。やっぱり飛行機は早い。

空港も九州には結構あり、鹿児島空港の文字が目に入った時、そこの管制塔に勤務しているそらの陽さんの息子さんの事が思われた。

Kさんと別れ、自動車道路が繋がった東九州自動車道に乗ると、門司まで1時間半位で行けたのには驚きだった。かなりの時間短縮だったからだ。

5時過ぎに大分空港の駐車場を出た時、そこにある鹿児島空港ではない管制塔を、意識して改めて見た。

日は暮れ、雨も略止み、車のテールランプの灯りを見つめながら、帰路を急いだ。下松では8時になっていた。夕食を取った。かつ丼にしたが、何故かしら美味いなあと言う感じにはならない。どこのかつ丼を食べれば満足するのだろう。美味いかつ丼探しの旅はまだ続きそうだ。

暗い中を運転するのは、車の流れを見つめているだけで疲れる。

どこかでどちらも眠くなって休んだら、きっと朝方に着いただろう。だが、SAにちょっと寄るだけで休まなかったので、車のパネルに出ている予定は1時15分頃となっている。只管走って家に着いたのは1時過ぎ。真夜中だ。

真夜中に出て真夜中に帰った、2,100キロの旅だった。帰り着いたからいいものを、こんな距離の旅は車の運転ではいつまで出来るのだろう、と思う。

「薩摩藩」? いやあ、旨い。あの店で言われたように、氷は入れないでストレートで飲む方がいい。マイルドで、とても味のある、今までに飲んだタイプではない芋焼酎だった。
光は、同じ風景やものを、その量や輝度に依って違ったものに変える。写真はその違いを、克明に映し出す。人間はそれを、敏感に感じるように出来ている。

昼過ぎ重い腰を上げ、ウオーキングに出掛けた。今はやっていないジョギングの、全く違わぬコースを歩く。4キロもない程の道のりだ。

昨日は出掛けて暫くすると雨が降り始め、それを感じるが早いか踵を返した。家に着く頃には既にポツリポツリだった雨滴は既に止んでいたが、再び歩く事はなかった。五月空はどんよりとして、周りの草木を目立たさなかった。

打って変わった今日の日和は五月晴れ。光が眩く、木々の葉が光に反射して、より若々しく、つるつるにして見せてくれていた。歩道側に植えられて続くシャリンバイの幅広の帯は、その葉っぱをも生き生きとさせ、今が盛りと白い可憐な花が咲き乱れていた。私は少し戻って、ガラケイを取り出すとその花を写した。こんな事をしたのは、ジョギングを始めてから7年になるこの時までなかった。

鶯の美しい声が聞こえた。ホーーーホケキョケキョ。えっ? 耳を疑った。もう練習の時は過ぎ、立派な声だったからだ。暫くして、また同じ流儀で鳴いた。仲間に自分を誇示する為に歌い方を変えたとは思えないが、私にはその可笑しさから、親しみを覚えた。姿は見えないが、またあの娘が鳴いている・・。

つるつるした楠木の葉も、アングルを決めて撮った。光と影が良い塩梅で、その状態を余計に若々しいものにしてくれたようだった。

陸上競技のトラックのようにスターバックスとローソンの距離までを2周して戻るのだが、2周目の時ローソンに寄って、ジャンボモナカのアイスを買った。それを食べ乍ら歩く。暫く行くと鳩のつがいが歩道の何かを忙しなく突いていた。もうジャンボも最後のモナカになっていて、この鳩に残りをやろうと思った。側を歩いても逃げなかったので、ほいと投げた。途端に2羽は逃げ去った。

またしても失敗だった。浅はかであった。両手を楽に振りながら歩いていたのだから、その指にあるモナカを揺れに任せて何気なく落としさえすればよかった。後の祭りではあるが、この年になって尚、こんな事の予測が立たなかったとは。情けなく、歩きながら2度も振り返った。モナカの残りも見えなければ、ハトの姿もなかった。

スウェーデンで行われている昨日の卓球世界団体選手権は、男子は準々決勝で韓国に敗れた。ほんの少しずつ負けた集積が、全体の敗北する事となった。韓国がやや強かった事だけはよく分かった。口惜しさが滲んでいた。

その反対に、女子も韓国と当たっていたが、急遽決められた韓国と北朝鮮が合同チームを組んだコリアと当たる事になった。韓国も北朝鮮も強いのに、その両国の合同である。それぞれの1位や2位だけが加われば、日本が不利に思えるのは自明の理だ。だが、日本の女子は、どうあれ精一杯やるだけだとその準決勝に臨んだ。

伊藤美誠は3-0で勝った。こうして数字だけ見ればかなり強くて勝ったのだと思ってしまうが、その中にはテレビを観ていればこその気力の勝利だった事が分かる。この戦いに勝てば決勝戦が待っている。日本の女子は、男子もその悲願を抱いていたが、何よりも金メダルを獲得する事を念頭に置いている。

次が石川佳純だった。相手は北朝鮮のキム・ソンイ。カットマンでありながらスマッシュなど技も巧みな選手で、石川選手も勝ったり負けたり、どちらかと言えば苦手な相手だった。5ゲームの試合で、3ゲーム先取だが、2-2となった。そこまでは流れだ。しかし、力は拮抗していた。勝つと負けるでは大違いだ。

11点先に取ったものがそのゲームをものにする。10-10でジュースになると、2点を先に取ったものが勝ちだ。その5ゲーム目で石川選手は9-10。相手が1点取れば万事休すだ。だが、観ている私も汗を握った。キム・ソンイのアウト。10-10となった。ここで石川選手にアンラッキーなエッジボールが返って来た。卓球台の角に当たって弾けるので、普通の軌道で戻らない。素早いイレギュラーな動きで落下する。殆ど取れないボールとなるのだ。それで10-11。マッチポイントを握られた。

そして13-12と、石川選手がマッチポイント。ここでまたキム・ソンイのエッジボールが。それで13-13。石川選手はここで失点し、13-14。絶体絶命のピンチ。それを撥ね退け、14-14とした。更に2点を先取して、この最難局をものにした。石川選手は普段はない程に飛び跳ねた。そして、その顔に涙があった。苦しさから脱却した思いからの解放された涙だっただろう。

壮絶なドラマを、この戦いに観た。平野美宇も3-1で勝ち、決勝進出となった。もうすぐ20時54分からテレビ大阪で世紀の一瞬と言ってもいい試合が観られる。相手は卓球の王者中国だ。銀メダルは確定しているが、日本女子には銀メダルは脳内にない。ここまで来たのは、金メダルを獲る為だ。長い長い道のりのすぐ先に、どんな結果が待ち構えているだろう。勿論簡単に金メダルをくれるような相手ではないが、確実に実力を縮めている事だけは確かだ。

まだまだ書きたい事は他にあるが、余りにも長くなり過ぎる。もうすぐ始まる中国との決勝戦を、しかと見届けたい。

ウオーキングの帰りにマルハチに立ち寄った。焼酎が切れているので、それを買う為だ。芋焼酎が1番好きなので、それを見ていた。すぐに買えばいいのだが、ずっと見ていた。1.8リットルのもの、900ミリリットルのもの、720ミリリットルのもの、180ミリリットルのものまである。1.8リットルより900ミリリットルや720ミリリットルのものが1.8リットルのものよりも高価だ。同量にすれば2倍以上高いのだ。

私はついに1.8リットルの「こくいも赤」に決めた。900円位の値段だったと思う。説明は卓球が始まるので避けるが、紙パックには「焼酎甲類乙類混和」と印刷されている。

ぶらぶら下げながら歩いていると、少し遠くで鶯が鳴いた。ホーホケキョケキョ。あ、あの鶯だ。

目には見えないが、正しくあの鶯に違いない。帰りにまた聞くとは。鶯に親しみを感じるなんて。1人でにやっとしながら、シャリンバイの花の咲く道をぶらりぶらりと歩いた。

画面は昨日のコリア戦を映し出している。まだ中国との試合は始まっていない。家に帰ってから「こくいも赤」を飲んだが、もうすっかり醒めてしまっている。さて、この芋焼酎を飲みながら、私は観戦しながら応援をする。夢を共有したい。

「頑張れ、日本!」