今日の朝は5時に起き上がり、何年振りかでジョギングを試みた。少し走っただけでハーハーと、肩と背中で苦しい息を吐けば吸い、吸っては吐く。足の速さと言えばウオーキングより遅いような気がする。こんな筈ではと思い道路を挟んだ遠く反対側を見ると、女性が1人ウオーキングで私と並進している。それを見ても遅いのはよく分かる。

鈍った体を前に進めようと必死だった。ここまで錆び付いていたとは。

7年前に2年位続けたジョギングで10kgは落ちていた体重も、最早その跡形もない。一念発起したものの4kmには足りない同じコースであっても、遅過ぎて半分走ったか歩いたか分からない辺りで、本当に歩き出した。明日からジョギングで走り通す自信はない。7年も経つと心まで腐っていた。

見慣れた雑草が道端に咲いている。それでもセイバンモロコシ、ナガミヒナゲシ、ヒメジョオン、ヨモギは、よく目に入る常連だ。その雑草の中でも、特にコバンソウはよく目を惹く。ずっと「水戸黄門」を見続けている所為か、悪代官が悪商人から懐に入れる大量の小判に見えて仕様がない。

昨日の事を思い出しながら、大木になった合歓の木の花の横を通り抜け、汗だくになった体が玄関の戸を開けた。


昨日は、随分前から依頼された演奏の為に、先ずは北神急行の鈴蘭台駅に向かった。シマさんと半分ずつの演奏で、2時から開演。彼とは1時にこの沿線伝いに歩き、踏切を渡った所にある、会場のすずらんホールで落ち合う事になっていた。だが、私は11時過ぎには鈴蘭台駅に着いてしまっていた。

シマさんに電話をすると、まだ家にいた。だが、12時35分頃には駅に着くと言う。私は以前ハンキーパンキーと言う食堂で、何人もの音楽好きが1曲ずつ演奏して2度回る音会(おとかい)に来ていた事がある。懐かしく、工事中の所を大回りして、このハンキー食堂でカレーを食べた。ココナッツの入ったグリーンカレーを注文した。かなり辛いと言われたが、私は自信あり気に大丈夫を気取った。

軈て出来上がり、ご飯の上にルーを全部掛けてスプーンで口に入れた。急に辛さが喉元に達し噎びそうになった。大丈夫と言った手前、気付かれないように、咳返すのを我慢した。慣れて行くもので、その辛さが快感となった。また来た時は、グリーンカレーのリピーターだ。

1時前頃だったかシマさんが覗き込んで手招きした。コーヒーの残りを素早く飲んで、2人の女性経営者の笑顔が優しく背中を押してくれたこの店を出た。この2人は姉妹で、姉はプロの声楽家、妹はピアノを始め何某かの楽器を奏でる。

彼の他に相方のMuさんがいた。着物を着ていた。「暑くないですか」と、ピンぼけな問いを発した。「暑いわよ」、案の定の答えが返って来た。私は重い荷物を始め4つ抱えている。雨だったらどうしようもなかった。重いのはどうしようもないが、曇天で本当に良かった。

すずらんホールの大ホールは500人は入るが、そんな所で演奏するのではなく、1階にある多目的ホールなのだ。椅子を70も並べれば一杯になるが、大体55人が集まった。神戸北ふれあい活動「ミニコンサート」と言う訳で、それまではなかったものをシマさんが去年から係になって発案したものだった。よく集まったと思う。

2時になり、Maさんが司会をし私のプロフィールを話した。そうして私から始まった。何が何でもきちんと45分で終えようと決心し公言した。余り代わり映えのしない選曲だが、喋った内容は外して、演奏曲を並べて置こうと思う。

1.故郷の原風景
2.千の風になって
3.崖の上のポニョ
4.津軽海峡・冬景色
5.かあさんの歌
6.クレオパトラの夢
7.剣の舞
8.My memory

ジャスト45分で終え、シマさんにバトンタッチをした。その前に10分間の休憩だった。同期の仲間も数人来てくれていて良かった。

シマさんは、三線を鳴らし、唄い始めた。相方のMuさんもシマさんが唄い終わると呼応して唄い出すし相方の役目を十分に発揮している。シマさんの声も艶があり、裏声にしてもよく出るものだと感心して聴いていた。Muさんは女性だから、彼の裏声を更に高く発声する。その違いが引き立っていた。

彼のプログラムもここに書いて置きたい。

1.朝顔節
2.黒だんど節
3.犬田布節
4.井之川ぬ いぶぃガナシ
5.ワイド節

私は極力話は避けて笑わせただけだったが、彼は十分に奄美や徳之島の唄の解説をした。初めて聴く人も多かっただろう。彼の説明を食い入るように聴いていた。2人で休憩を挟んで100分間の演奏だった。

さて、愈々飲み会。これを私は待っていた。鈴蘭台でと言えば白木屋がある。やっていなかったら三宮に行こうと言う事になっていた。私とシマさんとMuさんが鈴蘭台駅の側の白木屋を見たが、どうもやっているようである。だが、そこは止めにして、三宮で飲む事になった。所謂反省会と言うやつである。

もう1人、この会の担当をしていて、しかも週に数時間はFMラジオのパーソナリティをしている女性も、仕事を終えたらすぐに来る手筈になっていた。シマさんに紹介されて私は2度目のその店に入った。まだ了解を得ていないので、店名や場所は明かしていないが、彼の知り過ぎた店なのであった。

先に着いた3人は、早速生ビールで乾杯した。「うまい、うまいと、しんからうまそうにしてそれをのんだ」。えっ、何だか木下順二の「あとかくしの雪」の1節に似ているなあ。そのように飲んだ。先付も一緒に。

そうこうしている内にパーソナリティのKuさんが到着した。彼女は赤ワインを注文。再び乾杯をした。それからは、話が止まらない。4人が喋くり通した。しかし、流石に人の関心を逸らさずに聴いたり機転の利いた問い返しをする。また、話題を切り替えたり、仕事柄とは言え、私は感心して聞いていた。いや、聞いたり喋ったりした。

ビールの後はワインにした。私は白ワインに。Kuさんは、やっぱりワインがいいと言ったので、白ワインを勧めた。そして飲んでいたが、やっぱり赤が好きなようだった。無理強いではなかったが、これで好みははっきりした。

此方も飲んでいるし、好きな事を喋っている。シマさんもMuさんも私もその上に開放感を感じていたから、尚更の事だった。話は止まる所を知らず、シマさんがお開きにしようと言わなかったら、無限に話していたかも知れなかった。そのとき9時を回っていた。3時間半を越えていたのだ。楽しい反省会だったから、仕方のない事だった。

鈴蘭も可憐で綺麗だが、小判草は雑草と言われながらも逞しく、あんな姿で私を魅了する。悪代官にでもなってみるか。いや、あの小判草から小判を全部摘み取って、100均でプラスティックの千両箱を買って、小さすぎる小判を入るだけ入れて毎日眺めていようかと、「水戸黄門」は、私をそんな男にする。「わっはっはっはっ」、黄門様の高笑いが耳から離れない。

その名も「出羽桜」。

自分は、幸い酒は強くなく、楽しむ方である。

仲間と飲む時は、最初は生ビール。それがない場合は瓶ビールで、次は芋焼酎がパターンだ。ワインとか紹興酒だとかウイスキーは、お店の条件に依ってしか飲まない。

つい昨日(20日)、お酒が届いた。私が受け取っていないので、見たのは今朝起きてからだった。1年以上前から気になっていた日本酒だが、「獺祭」同様、自分から買って飲める代物ではなかった。同じ酒の名前でもランクがあるのは衆知の事実である。

桐の箱に納まり、箱書きの山形県「出羽桜」の墨色は堂々として美しかった。桜の花の落款。これらは勿論印刷であるが、それでも存在感が半端ではない。

金色の布に納まって、山吹色の房の付いた紐で結ばれている。純米大吟醸原酒「出羽桜」の瓶は、720mlである。他人から送られて来たとは言え、だからと言ってすぐに飲む訳には行かない。ゆっくり熟成されたもので、氷点下熟成と書いた青色のシールが貼ってある。

置く場所や常温保管か冷蔵保管もあるが、「生酒」ではないので常温で良い。「原酒」は発酵した醪を絞ったそのままのもので、加水処理がされていない。それで度数も加水された普通の酒(15度位)より5度位高い。さぞ芳醇だと思える。だが、今すぐに飲む訳には行かない。1合ずつ大切に飲んだとしても4日で飲み干す事になる。6月に咲いた遅咲きの桜が4日で散ってしまうなど、寂しい限りではないか。


17日父の日には、岩手県の「あさ開」日本酒飲み比べセットが届いた。300mlの瓶が5本入っていた。同じ酒造の酒でも、随分味が違った。17日から1本ずつ飲んでいるので、今日で最後の1本となった。純米大辛口「水神」、「純米酒」昭和旭蔵、純米吟醸「夢灯り」、南部流「伝承造り大吟醸」、純米吟醸冷奨「夏季限定」の5本。

日本酒は、そんなに好きな方ではなかったが、この数年味わい深いと思えるようになった。今晩で、「あさ開」は最後の1本となる。

5本の酒は嬉しかったが、昨日の原酒もとても貴重だった。それは、頂く事でもなければ生涯飲む事もなかった「出羽桜」だったからだ。幻のように、6月の桜は儚く消えて行ってしまっただろう。

6月か、7月か、8月か知れないが、桐の箱書きを見つめながらいつ飲めるだろうと楽しみが残った。何か先に実現する事が分かっている楽しみは、どんなに小さい事でも胸をわくわくさせるものである。「出羽桜」の下で花見が出来るまで、暫く満開である事を信じていたい。いや、信じている。

因みに、出羽桜酒造株式会社は、箱の中にこんな言葉を入れていた。

東に蔵王、西に月山。最上川が日本海を駆けくだる。
北国の人々が待ちわびた春には梅、桃、桜が一斉に咲き誇る。
ふるさと山形、天童。その故郷の人々が愛する酒 出羽桜。
伝統の手造りを守りながら最先端の貯蔵技術も駆使して醸した
純米大吟醸原酒はぜいたくで貴重な日本の酒。
果実の様にふくよかな香り、辛口でキレの良い喉越しと確かな旨み。
特別な日に、大切な人と、豊かな時間を。
その名も「出羽桜」。

自分は、幸い酒は強くなく、楽しむ方である。

仲間と飲む時は、最初は生ビール。それがない場合は瓶ビールで、次は芋焼酎がパターンだ。ワインとか紹興酒だとかウイスキーは、お店の条件に依ってしか飲まない。

つい昨日(20日)、お酒が届いた。私が受け取っていないので、見たのは今朝起きてからだった。1年以上前から気になっていた日本酒だが、「獺祭」同様、自分から買って飲める代物ではなかった。同じ酒の名前でもランクがあるのは衆知の事実である。

桐の箱に納まり、箱書きの山形県「出羽桜」の墨色は堂々として美しかった。桜の花の落款。これらは勿論印刷であるが、それでも存在感が半端ではない。

金色の布に納まって、山吹色の房の付いた紐で結ばれている。純米大吟醸原酒「出羽桜」の瓶は、720mlである。他人から送られて来たとは言え、だからと言ってすぐに飲む訳には行かない。ゆっくり熟成されたもので、氷点下熟成と書いた青色のシールが貼ってある。

置く場所や常温保管か冷蔵保管もあるが、「生酒」ではないので常温で良い。「原酒」は発酵した醪を絞ったそのままのもので、加水処理がされていない。それで度数も加水された普通の酒(15度位)より5度位高い。さぞ芳醇だと思える。だが、今すぐに飲む訳には行かない。1合ずつ大切に飲んだとしても4日で飲み干す事になる。6月に咲いた遅咲きの桜が4日で散ってしまうなど、寂しい限りではないか。


17日父の日には、岩手県の「あさ開」日本酒飲み比べセットが届いた。300mlの瓶が5本入っていた。同じ酒造の酒でも、随分味が違った。17日から1本ずつ飲んでいるので、今日で最後の1本となった。純米大辛口「水神」、「純米酒」昭和旭蔵、純米吟醸「夢灯り」、南部流「伝承造り大吟醸」、純米吟醸冷奨「夏季限定」の5本。

日本酒は、そんなに好きな方ではなかったが、この数年味わい深いと思えるようになった。今晩で、「あさ開」は最後の1本となる。

5本の酒は嬉しかったが、昨日の原酒もとても貴重だった。それは、頂く事でもなければ生涯飲む事もなかった「出羽桜」だったからだ。幻のように、6月の桜は儚く消えて行ってしまっただろう。

6月か、7月か、8月か知れないが、桐の箱書きを見つめながらいつ飲めるだろうと楽しみが残った。何か先に実現する事が分かっている楽しみは、どんなに小さい事でも胸をわくわくさせるものである。「出羽桜」の下で花見が出来るまで、暫く満開である事を信じていたい。いや、信じている。

因みに、出羽桜酒造株式会社は、箱の中にこんな言葉を入れていた。

東に蔵王、西に月山。最上川が日本海を駆けくだる。
北国の人々が待ちわびた春には梅、桃、桜が一斉に咲き誇る。
ふるさと山形、天童。その故郷の人々が愛する酒 出羽桜。
伝統の手造りを守りながら最先端の貯蔵技術も駆使して醸した
純米大吟醸原酒はぜいたくで貴重な日本の酒。
果実の様にふくよかな香り、辛口でキレの良い喉越しと確かな旨み。
特別な日に、大切な人と、豊かな時間を。
愛媛県西条市に甘味処を営んでかれこれ10年になる夫婦は、人柄ゆえに親しまれていたこの店を畳み、東大阪市のある町に移り住んだ。移ると戻るとは意味合いが随分違うが、正確に近い言い方をするなら、戻りて新しい生活を始めたのである。

私やシマさんは西条には2度行った。それだけ魅力的な店でもあり、素敵な夫婦でもあったのだ。ご主人はChaさんと言い、奥様はTenpさんと言うが、中国人やフランス人ではない。今住んでいる所は、奥様の由緒ある郷の近くなのだ。

(戻り住んで)落ち着いたので来ませんかと、お誘いを頂いた。それで、シマさんとお伺いする事になった。それが6月15日の事だった。

行き方はブログに丁寧に教えて貰った。阪神三ノ宮駅からの乗り換えの駅や到着時刻から出発時刻まで。10時42分発の近鉄奈良行き快速急行の時刻から教えて貰っていた。だが、シマさん夫婦との待ち合わせを少し早めたので、到着している電車に乗ってしまった。それから1時間15分程でNu駅に着き、コンビニで聞き、通りの人を捕まえては聞き、そうしてマンションに到着した。

ここで折角の好意に迷惑を掛けてしまったのだ。白亜城のようなマンションの最上階に辿り着くとコールホーンを押した。Tenpさんに迎え入れて頂いたのはいいとして、Chaさんが駅まで迎えに行っていると言う事だった。時間は言われた通りに行くと断言していたにも関わらず少しずつ微妙に早まって、私達はこの白亜城に、城主のChaさんは駅にいると言う真逆の箱に入り込んでしまったのだ。

部屋にはもう1人、西條にから同じ時期に神戸市の兵庫区に住んだ紙人形を作られるNomさんがいらっしゃった。季節が変わったのでと、紙人形を棚に並び替えて居られる所だった。私達も1度ならずお会いしている。

そんな所にChaさんが帰って来た。赤いシャツが極めて高いインパクトを与えた。こんなとても親切な所のあるお二人に、ちょっと申し訳ない気がした。

ここから書き始めればいいのにと、いつも前置きが長くなるだらだら文章に辟易する。


さて、始まり始まり~。

素敵な音楽が流れ、それは「キャッツ」のメロディーだった。美しいメロディーは、更に夢見心地の一流ホテルを彷彿とさせた。食事の用意がしてあり、それがまた感動的なものだった。Chaさんの料理の説明を聞いていると、傍に総支配人を感じた。ミシュランの料理長はTenpさんである事は言うまでもない。

部屋は片付いており、目を遣る所々に重みのある古いもの、また花や飾りなどの癒し系のものがあった。周りは静かで、心がとても落ち着く。線路より大分上り坂になっていて、列車の音は聞かれなかった。

「アベノハルカスが見えますよ」

とChaさんは言って、私も曇り空の左斜め遠くを見つめた。確かにあれはアベノハルカスだ。たばこの箱を側面から見て、それに半分上を切った箱をくっ付けたような形をしていた。遠くに臨めるのがなによりだ。晴れていたらさぞくっきりと見えた事だろう。

「そのユリの花もう最後の花ですが、西条に行った時に持って帰ったものですよ」

と、今度はTenpさんが言った。西条に行って初めに頂いて、庭に植えたユリだったそうだ。上部だけが見えていたが、窓の外を見下ろすと、1メートルに近い背丈をしていた。テーブルには黄色い薔薇が10数本も飾られていた。私はシマさんに、

「これ、造花だよ」

と言ってみた。怪訝そうだったが、私はあの西条の甘味処の庭のバラのアーチを思い起こしていた。田んぼもあり、蛙の合唱も聞かれると言う西条の、古民家風の広いお店から眺める自然も美しかった。住むとは、それを毎日のように眺め得る事で、環境に溶け込む事だ。私達のように、行くとは大違いなのである。そうしてChaさんもTenpさんも、美しい四季折々の自然が身に沁み付いている。

まるで器から楽しめる豪華なバイキングだった。牛肉だけのミンチのハンバーグ。これを可愛らしいシンプルな絵柄の皿に取り込む。シュウマイあり、蒸した海老シュウマイもあり、席に戻ると舌鼓を打つ。テーブルに乗せられているのは、10種類ほどのトマトや豆などの食材が甘酢に浸けられているもの。Chaさんが嵌まっていると言う。私も嵌まったも同然だった。

それからニンジンなどを炒めて、そこに豆腐を潰して入れ最後は玉子でとじる、所謂玉子とじであるが、そこが職人技である。私が作るような物とは精度や味が全く違うものだ。美味い! と手放しで感動するプロの味。何処が違うかって、そこにはきらっと輝くプロの魂が1皿1皿の世界を作っているのだ。自ずと味わっている自分を客観的に眺める事さへ出来るのである。

甲南漬が出された。所謂奈良漬だと思っていたし奈良漬は好きな漬物の1つだ。だが、これは違った。奈良漬とはまた違った味で、それが何とも美味い。ここでご飯を頂いた。小振りの茶碗がまたいい。余りにも美味しい味なので、何処のお米か聞いた。北海道のものだそうだ。ななつぼしとか言っていた。

満足な食事が終わりほうじ茶を飲んだ。この器はコーヒーカップ位の大きさはあったが、重量もあり、或る人の作品だと言う。茶托は、カップと同じ陶器の受け皿だった。こういう雰囲気が私は気に入っているのだ。

カウンター越しの台所は、話のやり取りも身近に出来る。カウンターの上には普通のもののように黄色っぽくなく、また少し小さいパイナップルが2つ並んでいた。少し赤みを帯びている、美しいパイナップルで、ミニピーチパインと言った。葉っぱの部分とその底の部分を切り落とし、縦に4つに切って皮の部分と実の部分を切り離し、横に4つ位に切ったそのパインを頂いた。

如何にも高級なものだと思われた。ChaさんとTenpさんがアルバイトで1年には満たないにしても或る農家でこのピーチパインの手伝いをしたと言った。それが何と西表島だったのである。そこから送って来たパインだった。テレビに私が出演していたら、目を丸くして、「あまっ!」と大声を上げた事だろう。

普通のパインアップルと糖度が違い過ぎる。Chaさんは、13度あると言った。まるで蜂蜜のような感じもする甘さだった。当然、食べた事もなく、素敵な初物となった。

次から次から出して頂くが、今度はぜんざいだ。お餅が焼いてあってお焦げが見えるのが胃をそそる。小豆が型崩れせず、大きく、これがまた美味い。美味いのはTenpさんの料理上手の所為ではあるが、お蔭で本物を本物の手に依って作られたものを食す事が出来た。

お茶が、今度はお猪口のような器で頂いた。味わうと言う醍醐味の秘密が分かったような気がした。笑われるといけないので、見解は述べないで置こう。

こうして話も途切れる事なく、時間が過ぎた。訪問は2時間、とマナーの本などには書かれているが、何と4時間近くになっていた。流石にタイミングを逸した気はしたが、心地良さに甘えてしまった。

Chaさんは人から話を聞き出すことが上手く、私も要らんことを喋ってしまったようだ。今度は標的にならないように気を付けよう。Tenpさんは模様替えが好きだと言うのも分かった。ここまで綺麗にされているなら、さぞかし楽しくものを動かすことが出来るだろう。

「女性3人は同じ月の生まれですよ」

とTenpさんが言った。1月2日と11日と17日。

男性は私だけ6月5日。あと2人は11月4日と29日だった。何だか面白い。

長々と、と言う訳で、お暇する事にした。駅まで送って下さることになった。坂を下りながら、2箇所桜並木を見せて貰った。春はとても美しいと話して貰い、そんな並木のトンネルを潜るのはさぞ幸せな事だろうと思った。

デカいが、もう終わりなのか余り美しくないピンクのアジサイを見た。実は、その塊が花だと思っていたがそれはがくで、花はがくに隠れた小さいものである。がくとは葉っぱが花を守る為に変形したものなのだ。世の中、知らないものが多過ぎる。象も、あの大きな耳で音を聴いているのではなく、実は足の振動で聴いている。お互い10キロメートル離れた仲間の声を聴く事が出来るそうだ。

白亜の城に伺った事は、まるで小旅行のようだった。いい思い出は、こうして作られて行くのだと思った。ちぐはぐだったが、駅まで迎えに来て頂いた親切。こうして駅まで送って下さった温かさ。それは駅から駅までの午後のひと時が切り取られ、それが「お・も・て・な・し」の絵となって、心の中に飾られて行く。

午前中の雨も、そのおもてなしの心に驚いて、すっかり、その滴さへ見せなくなっていた。
午前中、オカリナの練習に行った。

早くから来て練習している1人の女性のオカリナは、私がその部屋に行くまでに素敵に響いている。9時半から始まるので、私は10分ちょっと前に着いた。テーブルも並べ、その後その人は練習している。

私にお土産だと言って、焼酎をくれた。鹿児島が故郷だと言うその人は、鹿児島の南に実家がある。偶然にも彼女も5月に鹿児島に帰り、私は鹿児島に行った。

kangoxinaは16世紀にヨーロッパで描かれた地図に記載されている。黄金のジパングの入り口kangoxina「カンゴシナ」は、新進の気質に富んだ主要な都市「鹿児島」の事を意味する。

芋焼酎が造られ始めた頃、間接的にもろみを温めて蒸留する製法が採られていた。明治の焼酎はアルコール度数28度と言われており、kangoxinaもその度数で瓶詰めされている。佐多宗二商店では休売していたが、「西郷どん」の放映でkangoxinaの問い合わせが多く、それではと、この本格焼酎が作られたのだ。さつま芋の黄金千貫が使われ、米麹はタイ米だ。

平成30年2月から今年の12月までの今回限りの焼酎なのだ。

この製法は初期の作り方で、しかも普通の焼酎のように誰でも飲めるものではない。つまり、初垂れ(はなたれ)と言われるように、蒸留した最初に溜まったものが瓶詰めされている。杜氏とかその酒蔵の関係者しか飲む事の出来ない代物である。28度で500mlと言うのは、値段的にもかなり上級のものだ。

ウオーキングをしても家に戻ると汗でびっしょりだ。風呂に入るに限る。上がると5時を過ぎていた。kangoxinaの、まるでワインのコルクを引き抜く感じの詰め方だった。コルクを抜いて、切子に28度の初垂れを注いだ。あては冷凍の鯖を焼いたものと、玉ねぎを切ってレンジでチンし、ポン酢とマヨネーズをかけたものを用意した。

テレビを付けるとNHKで3人の女性のグループがバンド演奏をしていた。2018年に作られた「私の夜明け」。酔うに付け、この初めて聴いたロックバンドをチャンネルチェンジをしようとは思わなかった。20代位の若者がキャアキャア言いながら聴いている。別に美人でもない。私は70歳を越え、しかもついこないだ誕生日を迎えたばかりだった。

焼酎が、そのリズムの心地良さを受け入れていた。スリーピースのロックバンドを。ロックなど、殆ど関心を持った事がなかった私が。

「熱帯夜」。♪電話してもいいかな・・。歌詞に酔う私ではないが、メロディーは悪い気はしない。宮崎朝子は23歳、ボーカル・ギターだ。松岡彩は22歳、ベース。吉川美冴貴は23歳リーダーでドラムス担当である。

リクエストは1位の「恋する」で、宮崎朝子の作詞作曲である。♪ついこないだまで私なんとも思わなかった・・。

歌詞を気にしなければ、メロディーは魂を高揚させるのに問題はない。グループの年齢など知らなかったら、そのまま受け入れられる範囲なのだ。芋焼酎cangoxinaは思考を停止させる魔力を持つ。

1瓶飲めそうな気がした。しかし、それは何ぼ何でもひっくり返って、病院に運ばれるだろう。瓶に残る量を見乍ら、適当な所で飲むのを止めた。マイルドな、これが芋なのかと訝る位だった。旨い。それは正しく本当だった。

ああ、飲むと頭がこんがらかる。水戸黄門の昨日観た台詞が蘇る。飛び猿と風車の弥七とのやり取りが。

風車の弥七 「飛び猿、風流な所があるんだな」

飛び猿 「俺にだって、山が綺麗に見える時もありますよ」

関係ないのに、何でこんな台詞が?

美肌にいいのはちりめんじゃこ。

上司は「ほうれん草」を部下や新人に説く。報告、連絡、相談。誰でもが知っている言葉だ。だが、上司の心構えは「おひたし」が大切だと言う。つまり、「お・怒らない。ひ・否定しない。た・助ける(困り事あれば)。し・指示する」。

支離滅裂な項目が、ばらばらに浮かんで来る。何故か? 芋焼酎のcangoxinaの介入に他ならない。思考停止だ。

もう少し言ってみろだって?

ああ、頭が働かない。出雲大社の近くの温泉宿に泊まってみたい。高価だが、新しいホテルだ。それは「月夜のうさぎ」。こんな素敵なホテルがあったのだ。

バラバラな、単発的な事項が並ぶ。

吹田市にある天ぷらを食べてみたい。所詮年金生活者の私には遠い世界だが、数年連続のミシュラン、「つちや」。夜のコースは10、800円からである。貯金、貯金! 年金暮らしとは、ため息の生活である。

SHISHAMO? 私も楽団を作ってみようかな。勿論出来っこないしその積もりもないが、バンド名はすぐに浮かんだ。「NAMA SHIRASU」。

16年前に作ったCDが、10枚位残っていた。今日、「もしよかったら」と言ったら殆ど買って貰えた。16年前も今も、演奏はそんなに違ってはいない。昔の方が、情感はある。つまり16年間、殆ど進歩がないと言う事か。