10日がすぐに11日になる真夜中に車で出発した。
九州に入ると左側を縦に走る九州自動車道を南下した。久留米や八女や熊本や八代を抜けて加治木JCTへと。更に鹿児島へ。そこから指宿駅へ。正直な話、こんな所に指宿があるとは思わなかった。ずっと想像で思っただけだっから、途中から桜島が見える事が信じられなかった程だ。
午後3時に加古川の義理の兄夫婦と指宿駅で待ち合わせをしていた。もう車はしんどいと見えて、新幹線でやって来た。2人を乗せ嫁さんと4人で薩摩半島最南端の長崎鼻へ。朱色の竜宮神社が目を引いた。
にしき屋には限定の幻の焼酎があり、名取裕子さんも毎年購入しているそうだ。「さつま竜宮」「赤竜宮」が芋で「白竜宮」が麦だ。芋のそれ(900ml)をと思ったが、話し上手な女(ひと)の話につられ、本格焼酎秘蔵黒麹仕込「薩摩藩」(720ml)にした。
そこで義理の妹とその従弟と出会った。妹は羽田から飛行機で大分空港に着き、従弟の車でここまで来た。開聞岳が目に入る。実物を見るのは何にしろ感動ものだ。桜島も初めて見て、その噴煙にも大いに心動かされるものがあった。
指宿の宿舎「休暇村」で義理の長兄夫婦と会った。今回の設定は長兄が段取りをしていた。体験の為に、この「休暇村」内にある砂むし風呂に入った。長兄夫婦を除いて、6人が入った。
黒い温かい砂をスコップでかけられると、その度に重みがずしんずしんと加わて行った。15分埋まっていようと思ったが、2人は10分で抜け出した。私も13分で起き上がろうとした。左腕や手はすっと抜けたが、右がなかなか重みで上がらなかった。体験は想像より強いが、これは1度だけでいいと思った。
6時半からの食事会は広い場所で沢山の人と一緒だった。刺身(鰹と鯛の食べ比べ)、鍋物(鰹と鯛のしゃぶしゃぶ)、蒸物(雲丹のの茶碗蒸し)、焼物(黒牛の焼しゃぶ)。鹿児島プレミアムと言う事だったが、格別に美味いとは思わなかった。内容は夫々違うが、どこでもそんなに違わない。
食事が済むと、男は私と従弟が同室になった部屋で飲み直しを行った。私だけ運転した訳ではないが、870キロの道中が堪えたのか、暫くして私は眠ってしまった。4時には目が覚め、従弟も目を覚まし、それから7時まで話し続けた。グランドキャニオンに行った話など、面白おかしく聞いた。東雲の空はまだ明けず、向こう岸には町の灯りが緩やかな直線を描きチカチカしていた。大隅半島側の光だ。
日の出を見ようとしていたのに、すっかり日は上ってしまっていた。携帯が鳴り、もう食堂に来ていると言う。
昨夜の「長参」での朝食。まあまあのバイキングだった。コーヒーはここでも飲んだが、何故かオレンジジュースが美味かった。長兄夫婦は12日は一緒にいる筈だったが急に佐賀に行く予定が出来、この「休暇村」で別れる事になった。
6人は池田湖から開聞岳を望み、それから知覧特攻平和会館へ足を踏み入れた。石碑には6人の特攻隊員と知覧の母と呼ばれた女性の写真、それに石原慎太郎氏の文章が刻まれていた。会館の中には顔写真が貼りだされ遺書が並び、それは悲痛に感じられた。落ち着いて読めるものではない。
零戦の実物を見る事も出来たが、想像よりも大きいものだった。これも、ただの飛行機だとは到底思ってみる事は出来なかった。色んな事が脳内を錯綜する。
石原慎太郎氏の文章を載せて、知覧特攻平和会館の扉は閉じたい。
短い青春を
懸命に生き抜き
散っていった
特攻隊の若者たちが
「お母さん」
と呼んで慕った
富屋食堂の女主人
鳥濱トメさんは、
折節にこの世に現れ
人々を救う菩薩でした。
その後昼食を共にしたが、知覧茶屋だったか、に入った。ここは鳥濱トメさんが創設した店だった。若い特攻隊員の母となり笑顔で送り出し、心の支えとなったこの人だ。そんなお店で私達は天丼を食べた。どこで食べるかも、記念に残るためには重要な事である。
それから大名の庭園を見に行った。そこからは鉄道を挟んで桜島が見られる。美しい白い煙だが、いつ火を噴くか分からない不気味さもないとは言えない。その麓に、家々が並んでもいるのだ。
島津家の別邸は見ずに名勝仙巌園だけにした。それだけでも1,000円である。プラス300円は、入る気になったら中で払えばいいと言う事だったから。確かに広い庭園だが、全部回り切る気はなかった。
さつま揚げを食べた。神戸で食べた事はあるが、そんなに美味いものとは思っていなかった。しかし、ここで食べたものは、別ものだったかのように、満足できる美味さだった。傷むので、持ち帰れなかった。
薩摩切子が見たくて、私1人足早にさっと見た。小さい物でも3万円前後する。見るだけで良かった。が、大阪の切子もとても魅力的である。
加古川の次兄夫婦は従弟の車に乗り、鹿児島駅まで送って別れる。
12日は豊後高田市で1泊する事にしていた。シンプルでリーズナブルな「亀の井ホテル」。これは名称が変わり、現在は「AZホテル」になっている。1階には「長参」と言う居酒屋がある。
今度は私と従弟とが運転する2台の車に女2人が1人ずつ、途中で乗り換えて、「AZホテル」まで九州自動車道を戻り、鳥栖JCTからは大分自動車道に乗った。日出JCTで降り、従弟(今後Kさんと呼ぶ)の行く後を追った。どう見ても夜9時より早く着く事はなかった。
着くや否や荷物を部屋に置き、すぐに「長参」に入った。Kさんは自分の家に帰るが、一緒に夕食を食べようと言う事になった。もう客は誰もいない。6時前後に皆済ませてしまっているのだろう。
生ビールが美味かった。Kさんは最初から芋焼酎を飲む。彼の流儀だろうなと思った。あても色々取って、4人で飲み食い談笑した。10時がラストオーダー。終了は10時半だ。すぐに時間は経った。Kさんが、行きつけの飲み屋さんがあると言って私を誘った。ホテルを出てコの字に曲がるとそんな近くにその店はある。私にしてみれば、もう10年以上もスナックなる所には行っていない。
兎に角喋りの好きなKさんだし、私も冗談を言うし、ママもどんどんそれに突っ込んだりする。店も終わりとなったのが1時だった。彼は、車の代行を予約していて、そのまま帰っていった。
私も焼酎も飲んで、ラジオ深夜便も聴かず眠ったので、5時間はぐっすりだった。こんな事は珍事だ。普段はだらだらラジをを聴くので、まあ2、3時間しか眠っていないからだ。
13日は8時から朝食のバイキングを食べた。腹の足しにはなるけれど、種類は少ない。だが、お腹は一杯になった。
ホテルを出ると、海産物を買いに行った。流石に海苔など、極上の物もある。沢山買えないので、少しだけ買った。スーパーなどにある有明海苔10枚入りなどとは、味も次元もちがうと言うので、兎に角帰ってから食べるのを楽しみにしている。
Kさんの車が置いてある所まで行くとKさんが出て来た。Kさんからすれば従姉を大分空港まで送る積もりにしているのだろう。昼は「一緒に食べよう」と言っていた。どこに連れて行ってくれるかと楽しみだったが、「両子で蕎麦を食べよう」と言った。多分美味い蕎麦だろうと期待した。
大分空港より離れた方向に進んで行く。雨脚は酷くなって来た。だが、着いた所は田舎ではあるが素敵な佇まいだった。店名は「両子川原座」と言ったが、六郷満山の内の1つの場所の名でもある。中の雰囲気もいい。こんな所にも味を求めて来るお客さんで、満員に近かった。
私とKさんはざる天そばにした。女子2人は温かい天そば。どちらも1,350円だ。ずいぶん待ったが、海老が3尾。大葉。南瓜。椎茸。それに蕗の天ぷら。美味いなあ。蕎麦も感動する位美味かった。満足の昼食で、もう1度食べに来たいと思った。
雨が止まないので少し外で話しをしたが、それでも止まない。4時55分発なので時間は十分にある。兎に角道の駅などに寄りながら、大分空港へと。駐車スペースが殆ど埋まり、空いた場所がすぐには見つからなかった。何とか止める事が出来てほっとした。
食堂でお茶を飲む。皆、懐かしいので「やせうま」を食べたいと言い出した。私にはちんぷんかんぷんだ。子供の頃よく食べたと言う。お殿様の側で育てられない子供を、八瀬が遠く離れて育てた。その時、その子が「八瀬、旨・・」と言った事が、「やせうま」となった。「八瀬、旨いそれが食べたい」と言ったからだと。
きしめんのような平らにしたうどん状のものに黒蜜をかけたものだ。私も少し貰って食べたが、子供の頃だったら美味かっただろうと、納得の「やせうま」だった。
天候の加減で、ANA4時55分発の飛行機は降りられないかも知れず、欠航になる可能性もあるとの案内があった。掲示にも、そのテロップが流れる。だが、5時5分には出発できるだろうと言う事になった。最終的には10分になり、30分前に義理の妹、Kさんに取っての従姉は、搭乗口に向かって歩き出した。
大分空港から羽田空港には、我々が門司を渡って下関を過ぎる頃には着くだろうと思っていた。正にその頃電話があって、もう着いてモノレールに乗っていると言う事だった。やっぱり飛行機は早い。
空港も九州には結構あり、鹿児島空港の文字が目に入った時、そこの管制塔に勤務しているそらの陽さんの息子さんの事が思われた。
Kさんと別れ、自動車道路が繋がった東九州自動車道に乗ると、門司まで1時間半位で行けたのには驚きだった。かなりの時間短縮だったからだ。
5時過ぎに大分空港の駐車場を出た時、そこにある鹿児島空港ではない管制塔を、意識して改めて見た。
日は暮れ、雨も略止み、車のテールランプの灯りを見つめながら、帰路を急いだ。下松では8時になっていた。夕食を取った。かつ丼にしたが、何故かしら美味いなあと言う感じにはならない。どこのかつ丼を食べれば満足するのだろう。美味いかつ丼探しの旅はまだ続きそうだ。
暗い中を運転するのは、車の流れを見つめているだけで疲れる。
どこかでどちらも眠くなって休んだら、きっと朝方に着いただろう。だが、SAにちょっと寄るだけで休まなかったので、車のパネルに出ている予定は1時15分頃となっている。只管走って家に着いたのは1時過ぎ。真夜中だ。
真夜中に出て真夜中に帰った、2,100キロの旅だった。帰り着いたからいいものを、こんな距離の旅は車の運転ではいつまで出来るのだろう、と思う。
「薩摩藩」? いやあ、旨い。あの店で言われたように、氷は入れないでストレートで飲む方がいい。マイルドで、とても味のある、今までに飲んだタイプではない芋焼酎だった。