V・プレミアリーグで、久光製薬が優勝した。JTとの2試合目だったが、1試合目も圧勝だった。今回も3-0の圧勝である事は間違いなかった。大相撲もある中、私はオカリナの練習をして、TVの前に座ったが、大相撲は4時25分からの放映だった。

バレーはまだ続行中だった。久光が3セット目の優勢だった。優勝すると思った。大相撲も早く観たかったが、バレーを見守った。久光は、あの世界選手権のメンバーが殆どで、再びあの試合を観た気がした。石井、神鍋、岩坂、古藤・・、まるであの時のメンバーそのもののようだった。監督は去年から変わったが、まるで世界の戦いをを観ている感じだった。

どっちが勝っても良かったが、あのメンバーを観た時、心の底では、久光を応援していた。今日の試合は、応援というより、もう勝つだろうと思っていた。ユニフォームで決まる訳ではないが、綺麗なユニフォームである。私は、久光を応援していた。余りにも知り過ぎた顔だったのだ。

気を許せば一気に逆転するのがスポーツの世界だ。JTだって優勝出来たと思う。だが、今回は久光にその流れが来た。2年振りの、6回目の優勝だった。

インタビューが終わり、監督の胴上げが始まった。男達が6、7人、監督を放り上げた。私は、選手が胴上げをするものと思っていた。それは今時の事情なのだろうか。私が監督で選手達に胴上げされたら言っていただろう。「お前達に胴上げされて、ほんとに嬉しいよ」と。

チャンネルを変えた。隠岐の海と豊山の一戦だった。隠岐の海の勝ち。これで5勝2敗となった。私は隠岐の海を応援していた。隠岐の海は同郷なのだった。強い時も弱い時も、やっぱり贔屓はある。

戦いはちょっとの事で負けたり勝ったりする。勝つと言うのは、相手があるけれど自分に勝つと言う部分も大きい。精神力の問題である。私は、久光製薬のメンバーの戦いが勝った訳を、少なくとも分かった気がした。私と言えど中学時代は陸上競技をやっていた。

もう駄目だとはその時は思わなかった。結果、走り高跳びで県下で2位だった。私は出雲、優勝者は湯里。初めて出会った彼に会って話したいと思う事もある。中学校の放送陸上での話だ。

今、オカリナで、この年でコンクールに出場しようとしている自分がいる。古稀を過ぎてまで何故出場するのだろう。オカリナが好きだからだ。だから、精一杯オカリナで歌い尽くして、それで最後にしようと思っている。恥を忍んでまで聴いて貰う理由がないからである。

明鏡止水ではないが、雑念をなくし、集中して、最後まで歌い切ろうと思っている。上手く行くとかそうでないとかは、結果に過ぎない。出来る限り、楽しく歌い切りたい。久光が頑張って優勝をものにした時の心意気で。


一昨日は、新長田でSさんS.Sさんシマさん夫婦、そらの陽さんと私の6人で、お好み焼き屋さんで短い時を過ごした。皆で分かち合って食べると言うのは、殊の外美味い。食べて、喋って、飲んで、それが楽しい。私とSさんは、トマトチューハイ、生ビール、ハイボールの順で飲んだ。いつもと違う順序に面喰いながら、それでも飲める幸せを味わった。

シマさん夫妻は用事があって2次会には来れなかった。外に出て、別れた。残りの4人はカラオケ屋さんに入って行った。順番に歌った。私は終わりの頃はリタイアーした。咳が酷く、この日の前日医者に掛かっていた。健診をし、花粉症の薬を貰い、喘息の吸引薬を貰った。花粉症や喘息など、考えてもいない診断だった。

皆、歌が上手い。また、私の知らない歌をとてもよく知っている。途中でオカリナやリコーダーやピアニカを手に取って合奏をした。これも楽しかったが、私は喉がさっぱりだった。私はもう歌うのは限界だった。皆の歌を聴くだけでも楽しいと思った。

Sさんは90点台をいくつも取った。S.Sさんは1、2度90点越えを果たした。私はどんなに歌っても85点以上は取れなかった。最下位だ。鼻声だったからだろうと思う事にした。これでは今日は無理だ。

日本オカリナコンクールはもう5回目になるが、この日から後6日目となった。その時、たった1曲のピアノ伴奏の為にS.Sさんが来てくれる。普通、こんなプロの人が、自分の仕事の段取りをしながらアマチュアの私の演奏の伴奏をしてくれるのかと思う。

いつも勝手に思うのだが、これって何なのだろう。深くは考えないが、恩恵を受けている。初めてリリースしたオリジナル曲のCD12曲の伴奏をして貰った。私にとっては夢のようなCDなのだ。

同期の友が私に言う。「次のCDはいつ出すのだ」と。何年もそう言われ、「機会があったら」と答えていた。後20曲はオリジナルがある。次も12曲を選んで、いつでも出来るようにはしている。だが、そう簡単なものではない。彼は言う。「幾らかかるのか」。

本当かどうかは分からないが、彼は私のオカリナCDの制作に出資すると言うのだ。つまりスポンサーを申し出てくれた。彼は、3千万円のオーディオで私のCDを聴いてくれ、それから屡々第2集目のCDの事を聞いて来る。

第1集を聴いて、彼は感動してくれたのだ。「3曲まで聴いて、勿体なくて電話した」と言った。「自分のオーディオでも、十分に聴ける録音だった」とも。1度聴きに行った事もある。そこまで彼が言うのが不思議でもあったが、愛想で言ったとは今になってはもう、そうではないと思えるようになった。

特に親しい訳でもなかったのに、そんなに私のCDを聴いてスポンサーを名乗り出てくれるとは。第2集がリリース出来なかったら、私の残りのオリジナルは日の目を見ない。大したものではないが、編曲やピアノ伴奏が素敵だ。古稀を過ぎたけれど、生意気だと思う人もいるかも知れないが、第2集を聴いて頂きたいと思い直し、この1、2年で制作しようと思った。

編曲、ピアノ伴奏、スポンサー。素敵な3拍子が揃った。後は良きエンジニアを見付け、下手糞な私の演奏を、精一杯やる事だけだ。ああ、まだやってみたい事があるものだな。これも、人との繋がりで出来るものなのだと思う。