暖かな春の日差しの今日。鶯の声が聴こえて来た。自然を生き物が占有しているのではなく、自然の中に生き物は泳ぎ、育まれている。まるで自然には意思があるかのように、厳しさは容赦なく直撃する。

もう夕方近く、マルハチに買い物に行った。勿体ないので買い物は極力避けるようにしている。だが、芋焼酎が無くなったからであり、ちょっと目先を変えようと思ったからである。赤い缶の本麒麟を買う為に。350ミリリットル缶は当然安いが、今回は500ミリリットルを求めた。150ミリリットル違うのを6本買えば900ミリリットルの違いが生じ、少しのお得感があるからである。

トンカツも買うと、目もくれずに家へと急いだ。急ぐ理由など全くないのだが。流石に卯月から皐月に変わろうとしている今、もう桜の花はない。躑躅も、盛りを少々過ぎている。これを写真に撮ろうとは思わない。ちょっと過ぎた物でも、そこにはもう旬は感じられないからである。

ただ、楠木の葉はつるつるしている。何気なく見ていた葉も、それは人生や人の姿を教えてくれる。限りない宇宙の、それは考えに入れないでおこう。広がる青空。歩く私の目に、山が写る。多分その中に迫れば木々が密集しているだろう。それも頭から外しておこう。

1本の木が、何本も植えられている帰りの道。楠が目立つ。接近すると、1本の木だったものが、葉を貯えたその塊が目に入り、それはもう1本の木ではなくなった。そうして足は緩く、その葉の下に佇む。1本の木が1枚の葉を捉える。数多ある葉の中の1枚が、私の心を掴む。美しい。1枚の葉が、何故こんなに綺麗なのだろう。小さな葉っぱ1枚が。

この美しさは、尋常ではなかった。ああ、綺麗だ。これ以上に美しいものがあるだろうか。1つがどれだけ美しく、感動を与えるものかと知ったのである。理由は簡単だ。どんなに小さいものでも、それと全く同じものがこの世に存在する事はないからだ。無数の葉っぱ、たかが葉っぱ。しかし、その葉っぱに、1つとして100%重なった葉っぱがあるだろうか。

人間然り。マラソンのスタートを見ても、1つに重なった者は1人も見当たらない。これはただ例に過ぎないが、もし完全に重なっているものを目にした人は、知らせて欲しい。

人間も、たった1枚の葉も、1人しかいない、1枚しかない、個性そのものであるのだ。なんて事を考えながら、家に着いた。焼酎を残りがなくなる迄飲んで買い物に行った帰りである。小さな葉っぱ、小さな花までが、私に新鮮なまでの神秘を齎した。

ビールは明日から飲む事にして、トンカツと、茶碗に少々足りない残り物のご飯を食べた。無性にトンカツの特上の味を噛み締めたくなった。最高に美味いトンカツ。どこかの店で食べてみたいものだ。食べ物だって感動が欲しい。高価だろうが、安いものを5回食べるのを辛抱して1回食べれば、その感動は味わえる筈だ。感動さえも味わえる。

いつも美味いもの高価なものを食べているセレブには、その味に感動出来るだろうか。私は、食の感動は私のような貧しい者にしか味わう事は出来ないのだろうと思ってしまう。セレブだって人間に変わりはなく感動はあるだろう。極端だったが、感動の落差を想像する為に引き合いに出してしまった。

昨日は、北と南のドラマをリアルタイムで観させて貰った。本当か、嘘か。本物か、嘘物か。劇的な真実か、重ね塗られた虚偽か。だが、どちらでもいいとは思わない。ここから、平和への道が開ける事を、やっぱり願っている。あの葉っぱ1枚のように、尊い、それは多くの命の上での会談ではないのか。こんな簡単な道理が、何故曇り、道を外してしまうのか。歴史は繰り返すと、耳にタコが出来る程聞かされて来た。

人間とはそう言ったものだとか、歴史は繰り返すとか、エゴがなくならない限りそれは実現不可能だとか。1人と1人が対した時、そこに喧嘩が起きる事は実証済みで、国と国が争う事を否定する者は少ないだろう。それを抑えるのは、世界が1つになる願いと心が発動しなければ、無理だろう。平和に変えられる心の動きは、世界を制覇しようとする限りない権力志向と自己中心的思考を抑えられる理性でしかない。

昨日の出来事も、何らかの駆け引きが無かったら、38度線は渡る事が出来なかっただろう。私も、殺されても自己責任だと言う事にサインをさせられて板門店のあの部屋に入った。勿論先輩や仲間をソウルに案内した時の副産物として入る事が出来た。あの部屋には38度線は引かれているが、中ではそれを越えても兵士は何もしなかった。今にして見れば恐ろしい事ではあったが、それが今頃、しかも昨日、テレビで観るとは思わなかった。

世界が注目している中、画期的な出来事だったように思われる。だが、勝手な想像はしてみるものの、それがどう進展して行くかは分からない。

昔英語の参考書で読んだ”Love your neighbors as you love yourself.”と言う言葉を連想するが、それを実行するのは実に難しい事だと思われる。人間の思いは十人十色、しがらみで絡み合う姿しか浮かんで来ない。平和は夢。それは哀しい絵空事なのだろうか。