目の前に止まった信号待ちのワゴン車のリアウインドウは、まるでちょっとしたスクリーンのようだった。四隅は青いが画面は殆ど雲で、それは静かに右に流れていた。

そうして、一昨日(25日)の「YOSOMI好きなヤツ」と銘打つ気まぐれ音楽集団のコンサートも、流れ去って行った。

昼までは、椅子並べの準備やリハーサルを出演者で行った。昼は、生田文化会館の1階にある食堂のテーブルに、弁当持参の人以外の10人ばかりが並んだ。シマさんが事前に注文を取ってくれていた。その為、順調に食事は進み、コーヒーブレイクの時間も十分に生まれた。

私は、ひろこさんがいつもビールを飲むので、それが羨ましくて仕様がなかった。今回は演奏も一番最後になった為、飲む事にした。3時間半は過ぎてからだから、それは大丈夫だ。4、5人が飲んだ。こんな事は、私には珍しい。

メンバーは大体いつもの同じ方々であるが、今回「Merrily」さんが加わった。ピアニカ3人組の内の2人が参加した。

大入り満員立ち見席なんて事はなく疎らではあるが、それがまたステージからもゆったりして見えたし、また観客も窮屈そうな感じがしなかったのが良かった。もっと宣伝したり誘ったりすれば集まるだろうが、兎に角コンセプトは楽しむ事にある。その点は、ステージも客席も満足だっただろうと思う。

休憩の前にある出演者全員でのコラボでは、いつもS.Sさん(ピアニスト)が伴奏して下さっている。皆はいつも感謝の気持ちでいる。今回は「二見情話」「埴生の宿」「夕焼け小焼け」の3曲。その伴奏はプロが我々アマチュアの力量を高めてくれると言った特別な存在と構図だ。S.Sさんはそれが済むと、用事の為に暫くして会場を後にした。

1組毎に感想などを書くのも良いが、長くなる予感がするし目も霞んで来るので、せめて8組の演奏曲目だけは載せておこうと思う。

始めのあいさつはシマ唄さん。前半の司会はオカリナママさん。後半の司会はそらの陽さん。終わりのあいさつは私(オカリナの詩)だった。司会は2人とも、オカリナのように上手くなって行く。これは感動もので、発見でもあった。

そらの陽
  歌の翼に
  サリーガーデン
  ノムスベ(彷徨)
  サライ

シマ唄やろう
  黒だんど節
  徳之島しゅんかねぃ節
  島かんつぃむぃ節
  ワイド節

昔はチッチとサリー
  リコーダー&ピアノ
   シチリアーノ
  ピアノソロ
   インベンションNo.1
   羊は安らかに草を食み
  鍵盤ハーモニカ&ピアノ
   ストリートタンゴ

Merrily
  花は咲く
  上を向いて歩こう
  川の流れのように

コラボ

(休憩)

夢☆チャンス
  シンコペーティッド・クロック
  サマーサンバ
  ティコ ティコ
  ダニーボーイ&スワローテイルジグ
  ヘイ ジュード

ふんず
  箱根八里の半次郎
  海雪
  First Love
  未来予想図Ⅱ

ひろこ
  大岡越前のテーマ
  風になる
  学生時代
  人生の扉

オカリナの詩
  船頭小唄
  My memory
  かもめが翔んだ日
  さとうきび畑
  愛の讃歌

誰かがアンコールと言った。アルコールと言って欲しかった。そんなアホな事はさて置いて、「アンコールがあったら吹くけれど、あんまり練習もしていないし、そんな事は絶対にないから、ここだけの話にしておいてね」と、コンサートが始まる前に言っていた。だから、本来なら会場からもない筈だし、もしかしてあったにせよ、私には自信のない曲だった。だから、誰がアンコールと叫んだかは分かっている。

ちょっと慌てた。だが、このアンコールは、私が最後だったから私なのであって、私は末席を汚しているのである。本来なら私以外は声が掛かる程、皆上手い。それで、私は皆を代表して、感謝の気持ちを表そうと思った。これが上手く吹けなかったらコンサート全てに関わる。何とか吹き終わったけれど、反省点は多々ある。自信のない曲は吹くものではないと思った。それは、リベルタンゴ。

コンサートを聴きに来て下さった方。最後まで残って聴いて下さった方々には、心からお礼を申し上げたい。感謝の気持ちで一杯だ。

来年のコンサートの日も、もう決まっている。鬼も呆れて笑わないと思うが、

    日時  【2019年11月24日(日)午後1時から】

    場所  【神戸市立生田文化会館】

同じ会場である。是非また聴きにお越し頂きたい。我々は、それを励みにまた頑張りたいと思っている。


さて、これがあるから止められないのが懇親会。反省してもどうしようもないから、反省会とは書かなかった。でもどちらの名称であろうと、頭を駆け巡るのは「生ビール」だ。それ急げ。

今回は11名の少人数なので、会場はシマさん達がよく集う板宿の「孫悟空」になった。地下鉄で幾つかの駅を過ぎなければならず今までよりも遠くなるが、ここは私もシマさん達の会に誘って貰って何度か来ている。11人にはとてもぴったりの所だ。奄美大島や徳之島縁の食べ物も出て来る。大皿や鉢に入ったものが向かい合った長テーブルに7つ並んだ。

大根などの煮物、キンピラごぼう、トマトを使った料理、骨付きの豚肉、キュウリの酢の物(ミミガー入り)、ポテトサラダ、お寿司(穴子の箱寿司と大きな巻きずし)。もう座ったら余り動けない。食べ物は、そのままだと満遍なく食べられない。時々大皿などを交換して小皿に取る。または小皿を誰かに渡して取って貰うと言った、如何にも庶民的な屈託のないこのような食事スタイルが楽しい。私は大満足だった。

生ビール。喉を流れる瞬間とその胃の中に納まる過程が、何とも言えない。これが皆と繋がる瞬間だ。

この店は貸し切りをしている訳でもなく、暫くすると他のお客も入って来た。我々は、演奏もして楽しむと言う事を含んでいる。女将に、数人の客にちょっとだけ演奏してもいいか聴いて貰った。それで、Nさんがギター、オカリナママさんがピアニカのコラボ演奏をした。お客さんも喜んでくれたようだ。

そらの陽さんが事前に提案してくれていた3重奏を、ふんずさんと私の3人で吹いた。「もみの木」の3つのパートを分担して吹いた。実は3人共明かりのグラデュエーションが透けて見えるプラスティックのオカリナを持っているので、それを灯しながら吹くと言う趣向だった。お客達に迷惑が掛かるといけないので、店の灯りを消したりする事は出来なかった。

色んな話で盛り上がり、そろそろ始まったカラオケ。向こうとこちらでエントリーして歌った。もうカラオケ文化が定着している所為か、例外なく皆上手い。拍手もし合った。

私が歌い出すと皆が笑った。だから歌いたくなかったのに・・。「千曲川」だが、何で笑ったか聞いた。何度も笑ったもんで・・。本人はその気になって歌っているのに。ここでクイズです、とは言わない。五木ひろしの物まねみたいだからと言うのが答えだった。私は透かさず言った。

「僕が彼に歌を教えたんだ」

馬鹿臭くて、そう言った私が最後に笑った。

省略するが、話も盛り上がり、一番端っこの私の隣りに座っているSさんと、ビールの次はトマト酎ハイを飲んだ。ビールもトマト酎ハイも、何杯お代わりしただろう。そうして、5時半から8時半までの反省なしの懇親会は終わった。

ワイシャツが汗で濡れている私。皆厚着をしているにも関わらず汗をかいていない。不思議だった。詰まる所汗かきなんだろう。暑いより少々寒い方が、私はずっといいのである。

西や東に別れ、私は家に辿り着いた。ちょっと飲み足りないかなと思い、焼酎を飲んだ。もうシャツの汗もすっかり乾き、今日1日の事が嘘のように去り、平常の夜の日常に静かに変わって行った。


参加して頂いた皆さん、本当にありがとう。こんな爺さんと自前で付き合ってくれて感謝です。紙屑の様に捨てないで、ね。
長いように見えても、それが終わると一瞬の出来事として終わってしまいます。でも、それは思い出の書庫に、長い歴史として残ります。

5年が何と短かった事でしょう。今年は11月25日(日)に、気まぐれ音楽集団「YOSOMI好きなヤツ」コンサートが行われます。6回目だなどとは、とても思えませんが。

素人集団ではありますが、一生懸命に演奏します。どうぞ、楽しさを共有する瞬間に出会う為に、是非お越し下さり励まして頂ければ幸いです。


【第6回 気まぐれ音楽集団 YOSOMI好きなヤツ コンサート】

日時  2018年11月25日(日)13:00~

場所  神戸市立生田文化会館(相楽園南西かど)大ホール

道順  地下鉄県庁前駅 3番出口5分
     JR元町駅西口 北の石段を上がりやや西北へ10分
     (ファミリーマートやフォレストや四宮神社が見えたら生田文化会館はすぐそこです)

※入場は、言わずもがな無料です。


集団ア・ラ・カルト

 ・シマさん、チッチとサリーさん、私を除いて、後はブログでご縁を頂いた方々です。

 ・YOSOMI好きなヤツはシマさんが名付けましたが、彼は風流で、YOSOMIは第1回目の出演者の名字の
 頭文字を並べて作ったもので、好きなヤツとなっているのは、アルファベット、漢字、平仮名、カタカナを全部
 入れたかったからだそうです。

 ・素人集団などと失礼な事を書きましたが、この中にはプロの方もいますし、殆どがセミプロの方々である事を  書き添えさせて下さい。


私達も楽しんで演奏しますので、皆さんも楽しんで下さいね。
トルネード? そんなものが2階を巻き上げたら、私の住む町も人も、皆吹き上がり飲み込まれてしまう。小さな竜巻でも大袈裟過ぎる。

階段を上がるに連れて、トルネードは急に暑の坩堝に私を巻き込む。今日の夕方は30度だった。大分暑さも落ち着いたかと思う矢先、部屋で茹だりそうだ。最盛期は35度を毎日のように越えていたのだが。

あれから4日が過ぎようとしているが、あの時、私の夏は終わった。

25、26日は、「2018オカリナフェスティバルin神戸」だった。18回目を数えた。

24日はリハーサルで、最後の私の番が18時50分だった。中ホールでの本番さながらのそれは、誰も殆どいなかった。10分間あるが、私はアカペラでの「ある愛の歌」とCD伴奏による冬のソナタより「My memory」の2曲を吹いて、その6分間で終えた。

その後、楽しみにしていた近くのラーメン屋さん「もっこす」へと歩んだ。満員だ。1人だったので他人に挟まれた椅子に座った。「チャーシュー」を注文。普通のラーメンではない。チャーシューが12、3切れ入っていて、それは麺を全て覆っている。

以前は800円位だったが少しずつ値が上がり、今回は1,000円になっていた。こってりとした「もっこす」のラーメンはそうそう食べられない。しかし、1年に1度食べるのは、まるで私はアルタイル(彦星)のようだった。汗だくになるのは最初から分かっていた。


第1日目(25日)は7時半前には家を出た。10名以上は関わっているボランティアの人達も、8時30分に間に合うように来ている。受付、誘導、リハーサル室、演奏者の待機それぞれの係に分かれるが、それまでに受付で渡すプログラムや記念品の袋詰めだ。

10時30分には中ホールの開場だ。オカリナや楽譜や小間物や演奏用のCDのブースが5ケ所に並ぶ。様々なオカリナに魅せられた演奏者達は、試奏を繰り返しながら、自分の好むオカリナをゲットする。これも楽しみの1つだろう。

挨拶、演奏、懇親会と3つの仕事が重なった。ロビーは社交場と化し、ここにいると誰か知人と会う。私も色々と出会ったが、ふんずさんとツッキーさん夫婦に会い、それで先ずはほっとしていた。

190組の応募に対し116組が抽選により出演出来る。計算上は74組が出演出来なかった事になる。2日間に58組ずつの演奏となるが、1日目は57組、2日目は56組の出演となった。3組が棄権したのだが、この3組に入りたかった人もいるだろう。

落選した人が次の年に応募した場合は、優先的に演奏出来るようになっている。これは、配慮した救済措置なのだ。運の悪い人は何度も落選を続ける事になるからである。

私の出番の何番か前まで、暫くシマさん夫婦と一緒に演奏を聴いていた。

私の演奏は昼過ぎの13番目だ。アカペラで「ある愛の歌」と、CD伴奏での「My memory」(冬のソナタより)を演奏した。ヨン様フィーバーからもう15年になる。ファンの人は今でもいる筈で、きっと懐かしさも伴って聴いて貰えると思い、選曲した。自分が会場の席に座って自分の曲を聴いている訳ではないので、どのように伝わっているかは皆目分からない。

こうして、ゲストである中原蘭さんのオカリナの演奏が始まった。ギター・オカリナは洋介さん。ピアノ・パーカッションは琴線計画さんだった。蘭さんは綺麗な人。美しい人。可愛い人。そう言って置きたい。童謡から自作曲。静かに、盛り上がって行った。アンコール曲は「コンドルは飛んでいく」で、頂上に上り切った形で終わった。

CDの周りには人が群れていた。サインをして貰い、2ショットをして貰っていたようだ。

懇親会は、昨年まではバイキングなどの出来る喫茶があったのだが、今年、店を閉めてしまった。そこで、今回は受付をしていた多目的室でやる事になった。ゲストの上に書いたような事情により、とても18時30分からは始まらない。19時になって、ゲストはいなくても始める事にした。

蘭さん達は、すぐに次の用事の為参加は途中までと聞いていた。懇親会を始めて暫くすると、蘭さんと琴線計画さんが懇親会場に入って来た。ステージでは水色のドレス風の衣装だった。この時は黒いタイトな衣装だった。2日目にゲスト出演の森下知子さんもやって来た。臙脂色の服装で。

皆は簡単なバイキング形式の立食で、この2人のゲストには誰かが質問して、それに答えて貰うようにした。基本的な、または応用的専門的なオカリナに対する質問はなかった。「好きな人のタイプは」とかの質問になった。質問した男の人が面白かったので、MCに振った。

暫くしてふんずさんに質問をお願いした。彼はお願いをされたなんて思わず、きっと振られたと思っているだろう。でも、後から入って来た洋介さんも含めて、4人に同じ質問を試みた。状況を読みながらこうして振って行くのもありかなと思った。

最後は、2人に演奏をお願いした。皆は大満足だったかと思う。そして、きっと私が無茶振りをしたと思った事だろう。その無茶振りこそ私の作戦で、午前中にリハーサルを終えた蘭さんの控室に挨拶に行って、その時に最後までいると言って貰ったり、懇親会では何か演奏して貰う事をお願いしていた。

森下知子さんには、懇親会に来てくれた時に、そっと耳打ちをした。オカリナは持って来ていなかったが、上で借りて来ると言ってオカリナの用意はしてくれた。

「1曲か5曲お願いします」

と言った。蘭さんは「ルパン三世」を吹いた。この部屋が響くのか吹き方が違うのか、大きな音量でそれは響いた。満足そうな参加者の顔・顔・顔。森下さんは「そして神戸」。蘭さんと同じような音量だし、これだけの音が出せる事に、その上手さと共に満足した。

オカリナにその秘密があるのだろうか。私は、森下さんになんと言うオカリナか聞いてみた。私は、そのオカリナにはとても興味があったし、いつか試奏したいと思っていた。自分的には沢山あって、もう買うまいとは思っていたが。

次の曲をお願いした時、2人は相談を始めた。「聴衆は固唾を飲んで、それを見守っていた」なんて小説では書くのだろうか。2人で演奏してくれる事になった。

「それでは、5曲目を演奏して頂きます」

と言った。まさか5曲ずつ吹いて貰ったのではない。流れたのは「ふるさと」だった。蘭さんはメロディーを、森下さんは少しアレンジした、所謂下の部分を吹いた。オカリナはそれぞれの息遣いを美しく奏でた。これ以上振る事はもうなかった。皆大満足で懇親会を楽しんだ。終わったのは、20時30分だった。


第2日目(26日)は、私の仕事は殆どなかった。現金も必要なかった。だが、昨夜から実現するかもしれないと言う気持ちが沸き上がっていた。兎に角、アルトのC管は買える金額だけ持って行こうと思った。もうこれ以上楽器三昧は許されないと思っていたし、極力オカリナには見向きもしないようにしていた。

10時半開場だが、10時にブースのあるロビーに入って行った。昨日は全く目に留めていなかったオカリナが、ずらりと並んでいる。昨夜森下さんが吹いた事で、火が点いてしまったオカリナの元に近寄った。隅の小部屋で試奏をさせて貰えるように言うと、ここでいいのではと言われ、それもそうだと思った。ブースの人、そして文化ホールの職員しかいない。

目の前には、脳内で蘇ったアルトのC管は、4本しかなかった。昨日だったらもっと沢山あったのだ。買う気が全くなかったのだから、仕方がない。私は、「残り物には福がある」と言い聞かせ、4本を試奏した。軽い! 200グラムもない。

この「吟」と呼ばれるオカリナは、淡路の制作者のものだ。980度で焼かれ、普通の焼かれるオカリナの温度(700度位)より高く、1,100度で焼かれるものよりは低いが、その温度が醸し出す音は「枯れた音」と言われているように、まろやかな美しい音とは少し違う。

ここに残された4本は、音色も、音の大きさも、息の強さも、土も違う。「枯れた音」ではない、亜音のように丸く膨れた持ち易いのもある。それは、綺麗な音色だが、私はアルトCは沢山持っている。それだけだったら、欲しくはなるが買うまでには罪悪めいたものすら感じるので、断念せざるを得なかっただろう。なかなかの逸物ではある。

後の3本も、息は強い方ではある。その中の2本は、ブースの2人も「吟」の制作者も、私の吹き方には勧めなかった。その残った1本が、意見も含めて、私の迷いを払拭した。「吟」の制作者は、「淡路には10本だけ未調整のものがあるんですが」と言った。

小さくて軽いのに大きな音。感情を込めて吹けるのは私好みだし、高音に行くに従って気持ちが入って行くのが良い。音は枯れて渋く、オカリナの中を息が駆け巡っているのが感じられる。軽薄な音ではなく、重厚な、味わい深い音なのだ。

そろそろ開場の時間だ。お客さんも並んでいる。私はそのオカリナをしっかりと手にして、ロッカーに仕舞い込んだ。

「吟」はまだ日は浅いが、淡路の工房で作っている。それでももう2、3ケ月待ちとなっている程人気が高い。瓦を焼く方法で作ると言うが、またいつの日か淡路の工房を訪ねたいと思った。アルトC、アルトG、アルトF、バスCしかない。バスCも吹いてみたが、とても深みを湛えていた。

hirokoさんが昨日来ていて、ふんずさんは会ったと言った。私は昨日所か、今日も会っていない。演奏はふんずさんのもhirokoさんのも聴いたが、hirokoさんに会えなかったのは残念至極である。

今日のゲストは「デュオ・セルリアン」としての出演で、森下知子さんと千井慶子さんのデュオだ。ピアノのは音楽家の大島忠則さん。最初から2重奏が続き、迫力も音楽性もジャンルもバラエティーに富み、その演奏はハートを貫いた。2人共、遜色のない演奏をした。どちらもサキソフォンの演奏家ではある。

ここまで演奏出来たらと今頃になって嘆いてみても、生まれた時からの流れには抗えない。比較は出来ないが、それも人生の流れだ。自分のやれる道を模索する事しかないが、ほんの少しの努力が、今の自分の道を歩ませてくれる事だろう。

模索? ああ、暗中模索と言う四語熟語がある。私が高校生の頃、誰かが広報のようなものに書いていたのを今も思い出す。可笑しくて忘れられないのだ。何だか変だ。

「『暗中模索』を英語に直し、それをまた日本語にしなさい」

「Aren’t you Mosaku?」

「あなたは、茂作さんではありませんか」

いらない事を書いたが、こうして2日間の「2018オカリナフェスティバルin神戸」は無事に終了した。もう少し沢山のお客さんが来てくれたら、ほんとは嬉しいのだけれど。

蝉の声もすっかり聴かれなくなったが、私の夏は終わってはいなかった。オカリナフェスティバルが終わって初めて、夏も終わるのだ。だが次の日、確かに「ジー」と言う蝉の声を聴いた。あの暴風雨に遭っても、まだ蝉が鳴くのかと思った。


吹きたくて吹きたくて朝が待ち遠しかった4日間(27、28、29、30日)。「吟」を吹き続けている。吹かないではいられないオカリナ。形は丸く太っていなくて少しだけ押さえ付けられている。そこまではないが、まるでヒロミチオカリナのよだ。焼いた後の模様がまた気に入っている。1音1音がとてもしっかりと出る。

吹き口が焦げ茶色に塗られているオカリナがあるが、「吟」もそうだ。まるで鼠色の瓦のような色で、その先の吹き口は焦げ茶色だ。だが、私のは半分斜めに焦げ茶が入り、後は鼠色で、何だかあんまり綺麗ではない。それで残っていたのかとも思われる。私はこの音色と音がオカリナの中でぐるぐる回っているのを感じられる事がとても気に入っている。

またすぐにブログを書かないと思う序でに、今日のプレバトでの俳句を2句並べて置こう。

才能あり第1位

生きた人も 死んだ人も 宿題かかえ 走る江ノ電   渡辺えり

(季語もない、形式もない散文、第1位になっている。並べ方を変えるとまるで散文。文字数は韻文みたいだ)

生きた人も
死んだ人も
宿題かかえ
走る江ノ電

名人10段から一歩前進

草茂る 洞窟のこと 他言せず   東国原英夫

(こと、に色々な意味や気持ちが込められている、そうだ)


明日も早く「吟」が吹きたい。まるで発酵を続ける大吟醸のようだ。
テレビを見ていたら、ワサビを作っている人が写っていた。彼には、一人っ子の高校生の息子がいる。後を継いでくれる事を望んでいるが、はっきりしない。

彼は、息子をこのワサビを使っている寿司屋さんに連れて行った。築地市場で仕入れて来た飛びっきりの材料で寿司を握った。一貫ずつ食べる一つひとつに、ワサビが挟まれる。シャリの上に乗りその上に乗せられた白身の魚に、薄緑色のワサビが透けて見える。美しい。

握る大将は、ワサビを力を入れないでゆっくり回しながら擂る。

「こんなに素晴らしいワサビには、気合いを入れて特上のネタを使うんです」

とは、大将の言葉。金目鯛や伊勢海老や雲丹が1貫ずつ出されて行く。最後には、マグロ丼が出て来た。これぞ大マグロのでかい切り身だった。ワサビがでんと乗った。ワサビ田の彼は、「美味い」とか「美味しい」とか「美味しいです」としか言わなかったが、表現力がないと言うのではないと思う。美味かったら、饒舌にはならないのだ。

私は昔、市場の中にあるお寿司屋さんに行った事がある。美味いとの評判の店だった。カウンターで握って貰ったらとても高くなっただろうが、私は握りの特上を注文した。何十年も前の事だったが、8貫乗って3千5百円位だった。

一口口に入れると、何故だ?! と思う程美味かった。同じものを食べに来ている人たちも、口に入れる度に、もう言葉が出なかった。静かな時が続き、驚きと感動があれば、言葉は出ないと知った。

マグロ丼にはご飯の上にマグロの赤身が放射線状にぐるりと並べられ、その上に1切れの中トロが乗っていた。ワサビ田の主人は乗せられていた自らのワサビを赤身に乗せて口に入れた。「ウオー」と声を上げて、

「辛い」

と言った。「美味い!」ではなかった。あんまりワサビを食べた事がなかったのか、マグロとの食べ方を知らなかったのか。

大将は、

「赤身は辛く感じても、中トロから大トロに至るまで、段々甘く感じるようになるんですよ」

と言った。更に、寿司を握る時、ワサビは赤身には少し、中トロには少し多く、大トロになると赤身の倍を使うと教えてくれた。最後に、

「これからも、よろしくお願いします」

と大将は言い、栽培する者と握る者とは、カウンター越しに握手をした。高校生の息子は、その一部始終と姿に、考えが変わったのだろうか。

私は、この事が書きたかったのではない。頭でっかちで尻すぼみなブログになるが、至福な時を描いてみたかったのだ。


さっき夕方の6時過ぎに餃子と余り物のシチューをあてにビールを飲んだ。シチューが食べたかった決め手はジャガイモだった。

私は発泡酒で十分だ。「のどごし生」と言うのが好きだ。最近、それに赤い色で「新」と言う文字が加わった。満足の缶ビールである。安くて美味いのだ。

これで私の夕食になるが、何だか貰い物のお菓子でお茶を飲みたかった。私にだって、こんな事もあるのだ。

台所のテーブルに「さゝ栗」の箱が置いてある。1本取り出して、大きめのソーセージのようなそれから、6~7ミリの輪切りを3つ皿に乗せた。創業は元治元年と言われる御菓子所川上屋のお菓子だった。岐阜県中津川市にある老舗だ。「栗きんとん」が有名で、「美濃路から木曽路にかけて採れる栗と国内産のよりすぐりの栗を無造作に荒っぽく砕いて餡に炊き上げ、そのまま茶巾で絞ったもの」と、説明書きにある。

更に、戸塚文子氏著「旅と味」の文章が載せられていた。

「さゝ栗」
『さゝ栗は、そんな一人秋を歩く旅の、そぼくで、田舎びて、ほんの少し、わびしさもある情趣を、秘めているようだ。その土地でなければ、生まれなかったと思える郷土の味わいが、野性的な匂いと舌ざわりと、形と包装と、つまりそのすべてに、こめられている・・・・』

と。これが美味いのだ。でも、そのままは食べない。お茶の出番だ。

これも貰い物で、何度も飲んでいる。抹茶や煎茶や番茶ではなく、宇治茶「祇園辻利」のほうじ茶なのだ。これがまた香ばしい味がして、お菓子には合うのだった。

先に書いた上質なワサビと特上の寿しのように、辻利のほうじ茶と川上屋のさゝ栗(栗きんとんが外郎のようなものに包まれている)は正にお互いの味を高めていた。美味い! あの、ワサビ田を営む経営者と同じ言葉が生まれただけだった。美味い! それは、感動以外の何物でもなかった。

これこそが、私の至福の時だったのである。
夏の思い出を拾っていた。すると、随筆を書いて製本したものが出て来た。それは、37年ほど前のもので、短文乍ら129編が綴られていた。

短編と言うのか、その文章の中に唯一散文詩紛いのものがあった。随筆みたいなものはまたの機会に譲る事にして、小学2年生の夏の思い出を散文詩のように書いたものをここに載せててみようと思う。

母の里が岡山の備中(高梁川に沿ってバスでガタガタ揺られながら上って行った)で、それはそれは出雲が都会だと思われるくらいのど田舎と言っていい、山と田んぼと小川と水車のある所だった。おばあさんが1人で住んでいる。私はこの母の母を備中ばあちゃんと言っていた。

7、8人のいとこ達が集まっていたが、ここに出て来る実名ではない2人は、出雲から行った私と名古屋から来た従妹(1ケ月半ほど私が生まれたのが早い)の事である。

部屋には薄暗い裸電球が・・。風呂は五右衛門風呂だ。トイレなどと言うと雰囲気が壊れるが、いとこは誰も1人では行けなかった。部屋は畳だったと思うが、筵に座って食べる食事は、何か楽しくもあり思い出深くもある。昭和28年の夏休み。



逆流

夏が来た。
姿を変えて、夏が来た。
思い出が遠ざかる。
またひとつ、遠ざかる。
それなのに、
空洞になった心の片隅で、
線香花火の牡丹が、ちっとはじける前の、
ぐわぐわ丸くなる火の玉のように、
洞の中で息衝いていた。

用水路をうんと小さくした小川が、
水車小屋のわきを、伝って流れる。
ラムネの瓶が揺れて見える。
沢蟹が透明な水の底で遊ぶ。
ウ、タラン、チ。
ウ、タラン、チ。

「ハエを百匹取ってきたら、百円やろう」
谷の上のじいさまが、
三郎に向かって、つぶやいた。
百匹、
百匹。
小さな穴の幾つもあいた蠅たたき。
はげ落ちた壁。
粗いむしろの台所。
汲み上げポンプの錆が匂う。

「おじいさん、百匹とってきたぞ」
じいさまは、うなった。
かもいに下げた細長い蠅取り紙。
じいさまの目の前で、
くるりくるりと舞っている。
でっかい百円紙幣を手にして、
意気揚揚。
おにやんまが、
目の前を行ったり来たりしていた。

暮れなずむ薄桃色の陽の下を、
乳色の冷気が流れる。
せせらぎの音。蝉時雨の喧噪。
釜風呂の湯気が、
格子を伝って消える。
美知に湯をかける。
嫌われては困るので、
恐る恐る、そっとかける。
美知の顔がほころぶ。
「はよう大きくなりね」
おばさんは、
三郎の体もたんねんに洗う。
三郎は、
釜風呂から身を乗り出している
美知の方にチラッと目をやり、
いたずらっぽく笑う。

薄暗い裸電球の下で、おばさんは、
美知の爪を切る。
プチ、プチ、
三日月のような爪が、
畳の上ではじける。
おばさんは、
三郎の爪も切ることを忘れない。
大きな鋏が器用に動く。
プチ、プチ、
プチ、プチ。

東雲の道を
牛を引いていく百姓のシルエット。
日もすっかり明けた頃、
いっぱいの秣を積んで、
百姓はひきかえす。
モーッ。
一声が、
山々に谺する。

美知の頭と
三郎の足が、
遠慮なしに触れ合う。
無意識の破廉恥。

「この水、冷たいね」
小川の水で、顔を洗う。
母の真似をして、
首からかけたタオルで、
顔を拭く。
美知の皓歯が、キラッと光る。

高梁川の淵へ
総出で水浴びのひととき。
腐りかけた、小川に渡された板。
三郎の差し出した手に、
美知の指がからむ。
ズキンズキンと鳴る動悸が
電流となって指を走る。
グワン、ドドドド、
グワン、ドドドド。

湿った岩陰に
カラスアゲハが小きざみに震える羽を
豊かに拡げて休む。

美知との別れの日が
柔らかな明かりに変えられた障子の穴から
執拗に覗いていた。
バスを追っかけて
砂ぼこりの舞いあがった透き間から
川ぶちの山椒の匂いが漂う。
夏が終わった。
姿を変えた、夏が終わった。



昭和は64年が始まるとすぐに平成に替わった。私は昭和20年から43年間昭和の時代を過ぎ、平成の時代の30年を過ぎようとしている。そして来年には平成31年と新しい年号が入れ替わる事になっている。