A Night In Tunisia (ディシー・カレスピー作曲/マイケル・フィリップ・モスマン編曲)
太陽がいっぱい (ニーノ・ロータ作曲/宮川真由美編曲/BandArr小林充)
風のささやき (ミシェル・ルグラン作曲/広瀬未来編曲)
タイスの瞑想曲 (シュール・マスネ作曲/小林充編曲)
Sing Sing Sing (ルイ・プリマ作曲/角田健一編曲)

休憩20分

歌劇“蝶々夫人”より
「ある晴れた日に」~映画「慕情」のテーマ (プッチーニ作曲/サミー・フェイン作曲/広瀬未来編曲)

映画“りんご園の少女”より
「津軽のふるさと」 (米山正夫作曲/小林充編曲)

ミュージカル“キス・ミー・ケイト”より
「ソー・イン・ラヴ」 (コール・ポーター作曲/小林充編曲)

Latin Song Medley
Bēsame Mucho~Quieerme Mucho~Solamente Una Vez 
(コンスエロ・ヘラケス作曲/コンサロ・ロイ作曲/アクスティン・ララ作曲/小林充編曲)

アメリカの祈り
(Traditional/広瀬未来編曲)


アンコール
「スペイン」


夜7時から9時までの、加藤ヒロユキ×The Symphony Hall[BigBand」~MUsic Director菊池寿人~
を聴いて来た。13回目だと言う。

前半は楽しいジャズ的な演奏。サックス5人。トロンボーン4人。トランペット4人。ドラムス。ダブルベース。ピアノ。16人の編成である。今日は2度目だ。これだけの楽器が鳴れば、迫力が凄い。ブンブン胸に迫り、ちょっと意味合いが違うが、迫力に浄化されるようだった。

パイプオルガンにも照明が当たり、パイプが原色に染められている。天井からは美しい照明がトロンボーンのスライドされるバーに美しく注ぐ。ピンクと水色に近い青色の光が、私に白内障の手術を思わせた。手術は10分で終わったが、始まる前は音楽が流れていた。始まるや凄い機械音が不気味に鳴り、目にはピンクと薄い青色が揺れ動いた。全く、このシンフォニーホールのこの照明の色が正にその色だった。

オレンジ色や緑色、黄色など、様々な色がステージを照らす。凄まじい音は、1階席に移されたからだった。2階の安い席だったが、入り口で、チケットを交換するように言われた。それが、1階席だった。値段も略倍もしたが、交換する前の値段そのままで、場所が変わった。こんな得した事は今までになかった。

前半の演奏は、45分程で終わったが、ピアノの宮川真由美はノリノリである。体が、くねくねと動いた。白い衣装だったが、まるで白い青虫だった。表現が適切ではないかもしれないが、「はらぺこあおむし」が白くなったと思って貰えれば。他の表現をするなら、新幹線白虫。または、オウム白虫。そうだ、蚕だ。よくまあそれだけくねくねと、ピアノを弾きながら体をくねらせられると思った。

今日のスペシャルゲストは加藤ヒロユキ。説明書を見ると、テノール歌手だった。作詞・作曲家でもあった。京都大学経済学部在学中に・・と書いてあったが、学校は殆ど関係ないだろう。話はとても上手く、引き込んで行く。「毎日放送・朝日放送ラジオや他局テレビ番組にも数多く出演し、分かりやすい語り口で人気パーソナリティとしても定評がある」とあった。なるほど・・。

後半は、全部彼が歌った。

アンコールの2曲のうち、初めの曲名は忘れた。だが、スペインは満足出来る長さと内容だった。


9時に終わり、福島駅から大阪駅まで一駅だ。そこから閉まりかけの快速に飛び乗り、三ノ宮駅まで立っていた。そのまま垂水駅まで行き、バスで帰る方法もあるが、三ノ宮で降りると暫くしてやって来た高速バスに乗った。渋滞や事故さえなければ20分少々で家の近くのバス停に着く。三ノ宮駅から垂水駅まで行き、そこからバスに乗ると、最短45分はかかる。高速バスに乗る方が、絶対に時間は短く、また料金も少し安い。うつらうつらして目を開ければ、到着している、と言う訳だ。

バスを降りて家まで歩く途中、皓々と月が輝いていた。昨日より小さかった。昨日はスーパームーンであるかのように、その威容を誇っていた。今日の月は、丁度うさぎの耳が横に靡いている辺りが少し削れているように見えたた。しかし、満月がかけ始めるのは下からだ。しかし、もう、どう見ても満月ではなかった。

改めて、昔ウサギが餅を搗いていると聞いてて久しいその図柄を、今はっきりと見つめる事が出来た。こんなに頭と耳が右側に曲がっていたとは。

家に着くなり、1升瓶の日本酒をグラスになみなみと注ぎ、昼食べないでおいたコロッケをあてに、日本酒をゴクンと喉の関所に通した。飲みながらブログを書いたが、もうすっかり正常の自分に戻っている。と言うか、まったく酔っていないのだ。さてさて、これでブログは終わりにして、今日中にもう1杯グラスでグビッと胃の中に流し込み、アルコールの池にしようか。満濃池の1つに。

あと1分ちょっとで、今日が終わる。
数年続いていた「六甲オカリナ会」が2年間公けにはならず、今年から復活した。

1月5日(土)15時から17時までがオカリナ会、17時半から19時半までが懇親会の予定だった。

バスなどの関係で1時間早く阪急六甲駅に着いた。30分ぶらぶらして、それから神戸学生青年センターに入って行った。時間を潰す必要はなかったのだ。もう既に沢山の人がホールや別の部屋で、演奏の練習をしていたのだった。

ソロやアンサンブルなど1組10分以内の演奏だ。それが、出演者が16組。予定では2時間。今まではそれでも時間が余る位だったが、今回は数字上2時間では終わらない。更に40分も超過する。主催者Hさんは、貸し切りだから時間は大丈夫だと言った。懇親会は当然遅れる事になる。

40人程の参加者の演奏が凡そ3時間で終わった。私の公けの今年初めての演奏は終わり、頭の中は後の懇親会。今年は中華のテーブルが幾つ並ぶだろう。スイッチはそちらに切り替わっていた。今までは、多い時でテーブル3つ。大体2つが常だった。

足は自然と懇親会の「六甲苑」へと向かっていたが、参加表示の挙手をする人数が少なかった。えっ!?  と思いながら、6人がもう暗くなった歩道を、六甲苑へと向かった。駅の近くで、オカリナ会の会場も近くだから、すぐに着いた。

奥の予約席に着くと、Hさんが戸締りをして、少し後からやって来た。

演奏会の時は殆どの人を知らなかった。初めての参加者が滅法多く、しかも大阪からの人が殆どだった。懇親会の参加者が少ないのは納得出来たけれど、和気藹々の演奏会と言う訳には行かなかった。遠いので、帰路を急ぐのも分かる。

テーブルに着いたのは7人だった。1人の女性を除くと、全員知った者ばかりで、遠慮しないでずけずけと喋る事が出来た。他の人も同じ思いだった事だろう。しかし、この1人の女性は初めてホールに入った時、私は一番後ろに座り、そらの陽さんとその女性は私のすぐ前に座っていた。すぐに話して、気心が知れた。この人は何と京都から、それも中心地ではない遠くからだった。

知らなかった男性1人は演奏だけでグループで帰って行ったが、懇親会には4人の男性は皆参加した。この男性は皆ソロ演奏で、しかも演奏順が13番目から16番まで並んだ。

そらの陽さんはタケリーナも3種類で吹き、注目を集めた。演奏が終わって中間の5分休憩の時は、何人もの人がその周りに集まった。初めて聴いた人も多かったと思う。竹の音は、美しく、ボリュームたっぷりに心地良く響いていた。

懇親会でも、皆が興味津々だった。もう購入したい人がいた位だ。説明によると、竹は10年間、乾燥させて置かないといけないそうだ。私は前にそらの陽さんにお願いして、アルトCとソプラノCを購入しているので、欲しい人の気持ちはよく分かる。

楽しい2時間はすぐに過ぎ、そこで解散となった。京都まで帰る人はJR六甲駅まで歩いて行った。私とそらの陽さんは阪急六甲駅まで行き、西行きのプラットフォームに。男性のOさんとAさんは東行きのプラットフォームにいた。後の人は歩道で別れた。

オカリナを指導している女性のYさんは、買い物をしてから帰ると言っていた。そらの陽さんとプラットフォームのベンチで電車を待ちながら話していると、何とYさんが買い物を終わったのかこちらにやって来た。3人で話した。私は懇親会で自分のCDの話をしていたが、有名人のCDでも買う人の少ない昨今、どんな演奏かも分からない私のオリジナルなど、誰も買う筈がないのは分かっていた。

それが、このベンチでYさんが、

「CD買えるのですか」

と聞いた。寝耳に水だったが、何故買ってくれるのかは分からないまでも、この1枚をYさんが買ってくれるのが嬉しかった。

「帰ったら、早速聴きます」

と言った。12曲入れているが、10曲目にある「モンゴルの少女」の楽譜をあげた。そらの陽さんはずっと前に買ってくれていたので、そらの陽さんにも。このCDは、録音や部屋の借り賃や時間、ピアノ伴奏のS.Sさんの都合などで、12曲を一発勝負で入れなければならなかった。言い訳しても仕様がないが、少なくとも十分に気に入ったものにしたかったのが本音である。

Yさんはどのように聴いてくれたか分からないが、買ってくれた喜びは大きかった。

電車が来た。西方面の駅は、次が王子公園。その次が春日野道。そして三宮だ。Yさんは春日野道で降りた。そらの陽さんと私は三宮で降り、そらの陽さんはJRに乗り換え姫路まで。私はそこから高速バスに乗り換えた。

未熟な演奏に終わったが、それでもこの機会は有り難く楽しかった。CDをYさんが買ってくれた事は、その何倍も嬉しい出来事だった。
あけましておめでとうございます。
ことしも、どうぞよろしくおねがいします。
みなさんのごたこうとごはってんをいのります。


ラジオを聴き終わったのが朝7時だった。窓を開けると、飛び飛びの小島のような雲が赤かった。これは正しく朝焼けで、最近では見た事がない。だが、残念ながら燃えた後の色だった。

8時半前の高速バスに乗り、三宮に向かう。重装備はしたものの、バスの中は暖かい。空は晴れていた。何となく気持ちの良いバスの中には、数人しか乗っていない。運転手は、乗る時に「おはようございます」と言った。「あけましておめでとうございます」でなくてもそれでいいと思い、私も咄嗟に同じ言葉を返した。

チラッとバスの外の太陽を見た。私の初日の出。瞬間的にしか見られない。バスの中に熱が伝わる。分け隔てなく人類に向けて燦々と降り注ぐ光。人のような残像が緑のような青のような色でゴルフのクラブを持っているか刀を持っているかのように上段の構えのように振りかぶっていた。

じっと見つめられない偉大な天体が、人間などものともしない存在として、そこに君臨していた。高速線が下り坂になっている所から瀬戸内の海が見える。海の表面が、太陽の光に反射して、投網のように広がって。それも銀色が輝き、じっと見る事が出来なかった。人知を越える光こそ、竦んでしまうほど偉大なもののように思えた。

バスは9時前に三宮に着き、私は生田神社へと歩みを向けた。たばこをポイと捨てた若い男に出会った。屋台が並び始めた。生田ロードの北に神社は鎮座する。若者が多い。手水舎に行って手を洗い、清め、口を漱ぐ者は殆どいない。

お祈りを済ませ、すぐに踵を返した。お御籤を引いた。「第四十八番吉」の札とひごのような番号棒とを交換した。16人の巫女が2人ずつで、左右のお御籤場に分かれて仕事をしている。バスの乗り場に戻ったら読もうと思って、ポケットに入れた。

昼には孫がお雑煮を食べにやって来る。私は毎年、ベビーカステラを買って帰る事にしていて、今回も当たり前のように買った。もう15人位が並んでいた。ベビーカステラは4つ位屋台があるが、ここ三宝屋のが一番美味いとの定説になっている。

生田ロードは参拝客が多いので、左の交番のある通りに曲がり東門街に入って、そこを抜けて元来た道を歩いた。たばこを銜えた女が歩いて来た。よく見ると、道の周りにはポイ捨ての、姿形の違ったものが、無造作に散らばっていた。

バス停に着くと、9時10分だった。発車は9時30分。1人でバスを待ちながら、お御籤を読んだ。

「馬柵越しに 麦食む駒の のらゆれど なほし戀しく 思ひかねつも」(作者未詳 十二・三〇九六)

今年は、調和を大切にしなさいと諭されている。後の願事、待人、失物、旅行、商売、学問、恋愛、転居、出産、病気、縁談とあるが、半分は関係のないものだ。最後に、開運の鍵とあり、お御籤を引いた時にしっかり見るべきだったと思った。何と、「拝殿前の吽形の狛犬に触れる」と記してあった。これはまた来た時に触れる事にしよう。

やっぱりバスには5、6人が乗った。乗る時に、「おはようございます」と、ここに来る前に乗った運転手さんの事を思って実践した。何の返事も返って来なかった。何も見返りを求めている訳でもなく、だからどうなんだと言われても仕方がないので、その事はすぐに消えて行った。

それにしても、家に着いたのが10時頃。往復1時間半と言う早業だ。無駄のない動きだった。

郵便受けに来ていた年賀状を読んで、ブログを書き、「第63回全日本実業団対抗駅伝競走大会」を見ながら、孫達が来るのを待っている。テーブルには、ベビーカステラも袋に入ったまま待っている。

今年は日本中が関心を抱いているだろう平成31年が終わり、新しい元号になる。どんな元号かが分かるのは4月1日だ。そして、その元号の元年が5月1日から始まる。30年前に昭和が平成になった時の様に、今度は平成が○○になる、新しい事が2つになると言う年となる。

安と言う文字が入るとか入らないとか言われているが、どんな2文字になるだろう。安心、安寧、安泰、安穏などの意味のある元号が決まり、その先に安堵した日本中の多くの人達の顔が見えて来るようだ。人的災難は真っ平ご免だが、自然災害が最小限に止められる2019年とならないものだろうか。


何となく今年はよい事あるごとし元日の朝晴れて風なし (石川啄木「悲しき玩具」より)
① 12月2日(日) 奄美・徳之島忘年会

13時から始まった。16時30分過ぎまで。この会の事は、この前のブログ「烏鷺」(12月2日)に書いているので割愛する。


② 12月4日(火) ふれあい大学OB会

9時40分から最後10時40分を厳守する要望があった。 リハーサルをしたいので、8時45分に駅まで迎えに来て貰う事になっていた。CDの伴奏の音が、設置されている機器から出るのか。マイクの通りはどうなのかを調べたかったからだ。

家を出たのは7時半前。余裕を持って約束の時間30分前に着いた。Ki君も来ていて、やっぱり1人コーヒーを飲んでいた。私も飲んで40分に店を出た。初めて会う人が車で迎えに来ていた。

会場に着いた。リハーサルの時は呼びに来ると言われ、控室で待っていた。全然来てくれない。会場に入って行った。駅まで迎えに来てくれた代表者のその人はきょとんとしていた。リハーサルの意味が分かっていなかったのだろう。何の為に早く出て来たのかと思える程だった。

会場には、もう人々が集まっていた。そんな中で、私に焦りの気持ちが涌いた。CDから音が出たのはほっとした。ステージに上がってマイクに向かってオカリナの音出しをした。スピーカーがステージの外側に付いているので、私には余りよく聞こえなかった。これも焦る原因だった。ステージを下りると、上よりは大きく聞こえた。もう、ここで演奏するしかない。

軈て、150人程の前で演奏が始まった。何だかはっきりしない。「前に演奏した人も、そんな事言っていました」。まるで他人事だった。このような類は今までも何度もある。そこは開き直って切り抜けるしかない。1曲目が終わって2曲目の時だった。これは聴かせる為の曲で、この曲で何かを感じて貰いたかった。

「さとうきび畑」。短い一塊のメロディーの後、おかしくなった。何と「花は咲く」を吹いているではないか。どうしても元の曲に戻らない。曲を止めて貰った。やり直しだ。それでも、同じ事だった。もうやけくそで無茶苦茶なメロディーを自分で作って吹いた。でも、どうにもならなかった。言葉で濁すしかない。そうして、その曲は演奏しなかった。

後の曲を何とか間違いなく演奏する事が、この急場を救う事になる。火照る顔をぽっぽっさせながら、丁寧な演奏と喋くりで通した。何としても笑わさないといけない。こんな事になるなんて想像もしなかった。「花は咲く」はここでは演奏しなかったが、少し前から、面白くて何度も吹いていた。それが、「サトウキビ畑」に伝染してしまったと言えよう。

けれど、今になって思うのは、決してリハーサルと言えど人の所為ではない。曲が途中から違ったものになったとしても、それも更々人の所為ではない。自分の不甲斐なさなのである。けれど、何日も練習してこんな事になろうとは。

この日、仲間と後から飲む事になっていた。6人が集まった。これは楽しかった。もうそれからは、全く今日の出来事を悔やむ気持ちなどどこにもなかった。演奏も然る事乍ら、開き直りのテクニックで、自分は通り過ぎたと思った。これが、古稀を過ぎた男の処世術と言ったら、それこそ大きな開き直りになる。


③ 12月15日(土) 老人ホーム

Ki君の奥様からの依頼だった。Ki君と三宮で待ち合わせ、ポートライナーに乗った。これは14時から15時までの演奏だ。デイサービスの利用者さん35人程の前で演奏するのだが、綺麗な施設だし、中心になっていた女性の職員が、気持ちの良い対応をしてくれた。

市民広場駅で降りると、凄い人数の若者達がずらっと並んでいる。その横をKi君と歩きながら、なんだろうと訝しがりながら歩いた。きっと誰かのコンサートだろうと思いながら。

会場では、皆さんよく反応してくれる。皆で歌う歌を増やして、皆で歌った。しっかりした女性の方がいると思ったが、後で聞くともう80歳近く、痴呆が入っていると言う。分からなかった。また、聴いている人の中には97歳の人がいるとも聞いた。凄い所で演奏したと思った。

ここではアンコールがあり、それはみんなで歌う事だった。「上を向いて歩こう」を、元気に歌って終わった。

駅へ行く時も、更に行列が長くなっていた。道の反対側にも、角を回っても。駅に入って行くその時に、案内をしている男性に意を決して聞いた。What is this? じゃない。「これは、何ですか」と。

「三代目って知っていますか」

何ぼ古稀でも、それ位知っている。また、私は三代目に何故か興味もある。

「知ってるよ」

このワールド記念館に、ソロツアーで登坂広臣が来るそうだ。2人が別々にソロツアーをしているようで、もう1人は今市隆二である。何故か、今市と言う名前にも引っ掛かる。私は出雲市の今市町で生まれたのだ。他愛のない理由だけどね。17時からのコンサートに、早くから並んでいるのだなあ。

駅に降り立った時、「チケット譲って下さい」と書いたパネルを首から下げた女性がいた。演奏が終わってこの駅に着いた時も、この女性はまだ、同じ姿でいた。

この後Ki君を誘って、ミュンヘン大使館に行った。ビール3杯飲んで、カマンベールチーズが乗ったピザを食べた。勿論、唐揚げが食べたいばかりに。至福の時だった。彼も私も、満足だった。


④ 12月17日(月) しのべクラブの忘年会

これに参加した。4日のメンバーは元より、更に加わって17人が集まると言う。17時30分から予定されている。Ki君と山陽別府駅で会い、小さなバスに乗ってしのべクラブに着いた。O君が遠くでこちらを向いているのが分かった。

欠席者が3人出て、結局は14人になったが、それでも知らない人が4人位いた。後は、皆知っていた。この日、オカリナを吹くように言われていた。1時間遅れて女性のMaさんが、CDラジカセを持って来た。紅1点だ。それから、私の出番が回って来た。これだってオカリナ演奏会である。

きっと、この会に私は2、3度参加しているが、アカペラでないのは今回が初めてだった。CDは大体買ってくれないが、4枚だけカバンに入れて置いた。恐る恐る宣伝したが、4枚全部売れた。もう1人も手を上げてくれたが、今度の機会に持参する事にしている。こんな事、珍しい。1人はトロンボーンを吹いていると言ったが面白い若い(と言っても限度があるが)人だった。

「単なるエロ親爺だと思っていたけど、こんな特技があるなんて」

と言って、CDにサインもする羽目になった。買って貰えたのは嬉しい。そうでなければ、私が作った曲が人目を見る事がないからだ。それにしても、この日は余程運が良かったのだと思う。1枚でも売れたら嬉しいのに。

こうして、オカリナに付き物の、私の懇親会(飲み会)は終わった。


⑤ 12月22日(土) ライブハウスでの誕生会

Ki君と知り合いの女性をたまたまKi君が8月25日(土)のオカリナフェスティバルに誘った。彼女とは昔職場が同じだったそうな。それで、私の吹いたMy memoryに興味があったようだ。つまり、あのドラマ「冬のソナタ」や韓国が好きになったようだった。

奄美大島の物産展で私も演奏させて貰った10月28日(日)に、Ki君と聴きに来てくれていた。後から、3人で焼き鳥屋さんで飲んだ。彼女Kaさんは用事がある為少し早く帰ったが、私とKi君は引き続き飲んだ。その時が初めての出会いだった。

Ki君を通じて12月22日にMy memoryを1曲演奏して貰えないかと聞いた。それからはKaさんと携帯で演奏の事を何度か話したが、最後は15分位演奏する事になった。つまり、ゲストの1人として3曲吹く事になったのだ。

この日は彼女の誕生日で、ライブハウスを貸し切っていた。10時から16時まで借りていたが、実際に始まるのは13時からだった。彼女は、実際の仕事の他に長い間歌を歌っていた。ソプラノで、本格的だった。それにピアノも上手い。11人が集まった。歳も殆ど違わない妹さんも歌えるし、ピアノも出来る。

ゲストのもう1人の女性も、歌も上手いがピアノも上手かった。つまり、仕事仲間だった者達が、この日は寄り集まっていた。ゲストの1人のドラム演奏の女性も同僚だった。ピアノ演奏の女性も同僚。

私は、兵庫駅で降り、Ki君と2人でするための差し入れのキンパ(韓国の巻きずし)を買った。目の前で巻いて貰った。Ki君とは三宮駅の阪急電車東口で落ち合い、夙川まで乗る。

そこにこのライブハウスはある。音出しをさせて貰った。流石にライブハウスだ。CDの音から、また私のマイクを通すオカリナの音まで、ちゃんと調整してくれる。専門家がいるのだ。こんな嬉しい事はなかった。音に関しては文句の付けようがない。後はやるだけである。

其々がリハーサルを始めた。Kaさんソプラノの声が素晴らしい。こんなに素敵な歌声を聴かせて貰えるなんて、と思った。

13時になると、第一部が始まった。Kaさんの部である。

第一部

 “You Raise Me Up”

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より
 “I Dreamed A Dream”
 “On My Own”
 “Do You Hear The People Sing” (ここに男性のテノールKobさんが友情出演)

ミュージカル「オペラ座の怪人」より
 “Music Of The Night” (Kobさん友情出演)

「美女と野獣」より
 “Something There” (Kobさん友情出演)
 “The Beauty And The Beast”

ミュージカル「キャッツ」より (伴奏 Ikさん)
 “Mwmory”

「アナスタシア」より
 “Once Upon A December”

 ★O Holly Night★

聴き惚れてしまった。こんな特技があったとは。

こうして休憩が始まった。
♪HAPPY BIRTHDAY♪ ゲスト紹介 ※ドリンク&軽食   

ピアノの横には花束が幾つも。薔薇の花は花瓶に入っている。まだ開き切っていないが、きっと歳の数だけあると思う。とっても綺麗な赤い薔薇だった。Kaさんは、数人から銀色の箱や手提に入ったお祝いを手渡されていた。

サンドイッチや乾きもの、キンパも各テーブルに並べられている。好評のようで良かったと、Ki君と胸を撫で下ろした。

Kaさんが好きで集まった人達。遠くから来ている人もいた。神奈川や金沢からだったかは忘れたけれど。

素晴らしいKaさんやKobさんの歌が終わり第二部が始まった。

第二部 ゲストの方々の友情出演

ドラム演奏 「ららら」 “Autumn Park” Kuさん

オカリナ演奏 「My memory」 「花は咲く」 「リベルタンゴ」 私

ピアノ演奏 Koさん 枯葉をジャズ調にアレンジして弾いた

独唱 「ペチカ」 「サンタルチア」 「慕情」  Ikさん

♪人生の扉♪

♪いのちの歌♪ (伴奏 Ikさん)

Ki君が、CDを持って来るように提案してくれた。だが、私は全くそれは考えていなかった。それでも、Kaさんには言って置いたと言うので、しぶしぶカバンにしのばせた。

自分の演奏が終わった後で、CDの事を少しだけ話した。どうせ買ってくれる筈はない。況して音楽には精通している人達なのだ。それを言い終わると、私はKi君とKobさんの座っているテーブルに戻った。全く、素振りも何もなかった。Kaさんには初めて会った時、Ki君に促されて、買って貰っている。

私は、この日のライブハウスに大満足だった。だが、ライブハウスは時間には厳しい。16時には全て明け渡さなければならない。進行のKaさんも気を遣っただろう。だが、その時が近づいている。その時、KobさんがCDを貰ってくれそうな素振りをみせた。と同時に、神奈川から来ている女性が傍に来て、買ってくれた。自分より1歳年下の男性が、癌で余命幾ばくかと言われていたが、オカリナを練習していてついこの間、コンサートを開いたと言うのだ。目に涙を溜めながら、その人にプレゼントしたいと。

その後、Kobさんもオカリナを目の前で初めて聞いたのだろうと思うが、オカリナ吹きなら誰でもが欲しい言葉を発した。「感動した」と言った。そうして、私のCDを手にしてくれた。

Kaさんや妹さんに挨拶をして帰ろうとすると、「ペチカ」を歌ったIkさんが買ってくれた。3枚も売れた。本当の気持ちは只でも聴いて貰えたら嬉しいと思っている位だが、元手が掛かっているので仕方なく幾らか差し引いて渡した。

12月の演奏は、全てKi君絡みの演奏となった。こんな事もあるのだと思った。有り難い竹馬の友。そしてマブダチだ。CDが12月に7枚買って貰えたのも、Ki君の思い遣りのお蔭だと思う。この後は2人での男子会である。

キンパを買った店に興味を持ったので、そこに連れて行った。テーブルは2つしかない。もう私達2人が入ると満員で、来た客来た客が入れずに帰って行く。結構繁盛しているなと思った。私は、ここで食べたのは初めてだからである。ここではエゴマの唐辛子で漬けた葉っぱが好きで、やっとまた買う事が出来た。キムチやキンパも買って帰るだけのものだと思っていた。

生マッコリと黒豆のマッコリの2本を2人で空けた。学校で出る、昔のアルマイトの食器に取っ手が付いたものが出て来て驚いたり昔を思ったりしながら、感動しながらマッコリを味わった。チヂミやナムルや豚肉の辛くしたもの等をあてにして食べた。豚肉は兎に角、頭から湯気が出そうなほど辛かった。

2時間くらいいて、2人はJR兵庫駅から電車に乗った。彼は新長田駅で降り、私はその西の垂水駅で降りた。12月は、Ki君と飲む事が多かった。


⑥ 12月23日(日) 演奏発表会

午前中は、オカリナを練習している者7人と私で、オカリナ演奏の1年を締め括っての演奏発表会をした。Kaさんは7人の中の唯一の男性で、この練習グループをずっと引っ張ってくれている。毎月会報を作ってくれている。

彼が仕切ってくれて、先ずは抽選で順番を決め、1順目はテキストの中からどれかを演奏した。2巡目は得意曲を演奏。3巡目は2人でコラボをしてもいい事にしてあった。これでお仕舞だが、寿しが注文されていて、久し振りに美味しいものを味わう事が出来た。皆、うまいうまいと言いながら食べた。桶に入っているから尚更だ。

お茶も、柿の葉のお茶から煎茶から。その前はコーヒーや紅茶。みかんの差し入れもあった。昼からは誰も部屋を使わないので、そのまま使ってもいいと言う事だった。入る入らないと言いながら、すぐ後にケーキを食べた。やっぱり別腹である。

それでも1時過ぎには解散となった。オカリナは奥が深い奥が深いと言いながら、帰る者と居残って練習したりしながら女子会をする者に分かれた。私は、引き上げた。


帰って暫くしていると、Maさんから電話があり、

「トリプルオカリナ、落として壊してしまいました」

「あらま」

MaさんとOcさんが今年から練習し始めている三連オカリナが、トリコルトリプルAC(17,280円)である。トリプル(三連管)とオカリナ単管を比較すれば同じような値段なので、続けるにも止めるにも最初は適したトリプルオカリナと言える。

「テレマン楽器に聞いてみます」

と言うから、もう少し高くなるけれど、これからトリプルオカリナを続けるなら、同じものではなく颯(かぜ)オカリナを勧めるけど」

と言った。やたらと買える値段ではないが、これは43,000円する。だがこの音は素晴らしく、この値段で損はない。また、オオサワトリプルとなると、120,000円を超える。これは垂涎の的である。いきなりトリプルの練習を始めた者に、それは酷と言うものだ。段階を踏む必要がある。それでも、颯トリプルなら、十分にやっていける。更に高価なものを求めたくなれば、最早財布と相談するしかない。

暫くしてまた電話があり、

「明日、発送すると言っていました。詩さんの名前を出させて貰いました。すると、『今度もし不都合な所があったら交換しますから、送り返して下さい』との事でした」

颯トリプルにしたそうだ。オカリナ全般については、どのオカリナがいいなどと、そう簡単に勧められるるものではない。音や形や色や重さや穴の大きさなど、個人個人によって様々な要素があるし好みもある。種類も豊富だからである。

颯トリプルに就いては高価とは言え、いい音がするのは確かだし吹き易い。神戸のオカリナフェスティバルで試奏して、確認している。

「Ocさんがきっと羨ましがるよ」

と言うと、

「きっと買うと思います」

と言ったので笑った。

もうこれで今年のオカリナ関係は終了した。後29日に、新開地にあるメトロの卓球場で卓球をする事になった。この5、6人の中で勝てそうで勝てない2人には絶対に勝てないが、何とか1セットでも取りたいと、これから作戦会議を1人でする積もりだ。後、また酒が飲める。


おっと、皆様、来年もまたよろしくお願いいたします。
何だろう、この膨満感と実際のお腹の突出。簡単に言えば食べ過ぎの結果である。いいものを食べているのでは決してなく、結果的にカロリーの高いものを食べているのだろう。また、そう言ったものこそ美味いのだ。

今日は、日頃動かしていない体を叱咤激励して、普通に朝ウオーキングに出掛ける事にした。

途中道ばたの黒い鳥が目に入った。スズメ2羽分くらいある。歩きながら接近して行くが、全然動かない。気味が悪かったが、それは黒いビニル袋に何かが入れられ、口を結んで捨てられているものだった。それが鳥に見えたのだと分かるや、ひょっとして爆発しないだろうかとの疑念が涌き、そそくさとその場を過ぎた。

暫くして向こうの道にUターンすると、石で見栄えをよくした崖があり、その間に直径10センチくらいのポリエチレンの筒が埋め込まれているのが目に付く。鼠色のものが幾つも幾つもだ。遠くのその1つに、白い鳥が顔を覗かせている。さっきは黒く、これは白い。だが、近くになると、それが透明のビニル袋だと分かった。分かれば何ともないが、そんな形でビニル袋が2つも鳥だと見紛ったのは初めてだ。動かぬ鳥には流石に参った。

囲碁の事を烏鷺(うろ)と言うのを知ったのは、40年前の事であり、囲碁は全く強くなれずに放置されているが、それを懐かしく思い出させていた。烏は字の如くカラスであり、鷺はサギである。

ウオーキングから帰り道、何人もの人が落ち葉を大きな袋に集めていた。奉仕活動以外に考えられないと思った。今まで全く知らん顔をして通り過ぎていたが、近くに来ると私は声を掛けた。言葉がすらっと出て来る。

「ご苦労様です」

吃驚したようにその人はこちらに顔を上げる。怪訝そうだったが、

「ああ、いや」

と返事を返して来る。次に出会った人達にも同じことを言ってみる。何の衒いもなく声が出る自分に驚く程だった。打てば響くのではないが、こちらが働けば向こうは動作にしろ声にしろ、何らかのアクションで返して来る。これからそうしようと言うのでもないし、それに爽やかさを感じた訳でもないが、ただ声が出るのが不思議だった。

10時からの卓球にはまだ時間があったが、何も食べずに10分前に出掛けた。卓球台を出したり、ネットを設置したりする為に、久し振りに早く行った。私が1番乗りだと、日頃の様子から信じて疑わなかった。先生はいつも1番だから除外するが、私が着くと私より早い人がいた。

今日は何だか変な日で、準備が済んでラジオ体操をする段には大抵4、5人しかいず、それからぼちぼち来ても7、8人なのに、この日は準備体操が終わってみると12人はいた。全く変な日だ。

私は12時までいる事は出来ず、11時15分には帰った。

これからが本題なのに、前置きが何と長い事だろう。題名からしてこの辺で終わるのが順当であろう。しかし、もっと楽しみにしていた忘年会の事を書かねばなるまい。だが、2、3行で終える事も出来るだろうが、成る丈短く、要点だけにしよう。長いブログは、私だって読む事はしない。けれど、それでも読んでくれるブロ友がいる。大事な時間をこのブログの為に拘束する人の事を思うと、慙愧に堪えない。


12時すぐのバスで名谷駅に行き、地下鉄に乗って2駅先の板宿駅まで行った。その先に「孫悟空」と言う食堂ともスナックとも言えぬ店がある。先月の我々のコンサートの後懇親会をしたその店だ。1週間後にはまたこの店に来たが、食べ物がとても美味い。今回も11人集まったが、あのコンサートで演奏したり聴いたりした人は6人いた。

奄美の匂いのする店である。料理の量は半端ではない。11人いても平らげる事の出来ない程だ。美味いからと言って、そうそう胃袋に入る訳もない。オカリナ組は私とそらの陽さんの2人だ。この会は、元々シマさんを中心とするシマ唄の会の人達の忘年会である。そんな会に呼んで貰って、自分も島人(シマンチュ)の仲間に入れて貰えている事が有り難く、人の繋がり、それも音楽で繋がっている妙を感じている。

ここでブログを終えようと思った。でも、これでは本末転倒としか言いようがなく、せめてあらすじだけでも書いておきたい。そもそも奄美の忘年会の、これだけ書くのが目的だった。本当に仔細に書くと収拾が着かなくなる。

話をして、食べて飲んで、一番中心となる三線が奏でられ唄われ、奄美の雰囲気が醸し出されて行く。

シマさんの喉は、極めて順調で良好だった。よくこれだけの声が出るものだと思う。長年歌い続けて来た喉は、それはプロ歌手と同じレベルだろう。

何となく私とそらの陽さんに矛先が向けられて来た。オカリナを吹けと言う思い遣りだろう。そらの陽さんが持って来た楽譜2曲を吹き(『きよしこの夜』『星の界』)、私の用意していた楽譜(『千曲川』『故郷』)もコラボで吹いた。「きよしこの夜」だけは明るさを落としてグラデーションの光が美しいプラオカで吹いた。後は2人共ソロで吹いてオカリナを終えた。

それから再び三線と唄。島に馴染み島そのものであるシマ唄は、味わうほど深いものがある。私は聴き手として、まだまだ序の口だ。

テーブル半分で2つに分かれて話したりしているが、何か共通事項があると皆1つに寄り添い盛り上がる。向かい合ってはいるが、2つに分かれざるを得ない程、席が長い。11人もいれば自ずと分かれるのは仕方がないとして、それでも盛り上がるのが楽しい。

軈てカラオケタイムとなった。これは独占出来ない。また、皆が1曲ずつでも歌う方が満足度が高いと思う。私はコンンサートの後の反省会と同じ隅っこの席にいた。私の隣にはシマさんがいる。

私の斜交いに、初めて今日初めて会った女性がいた。三線は、シマさんとMさんと同じお師匠さんについていたそうだ。このMaさんが、向こうを向いて左側の顔面を見せる時、石川さゆりによく似ているのを発見した。本当に良く似ていた。私は「津軽海峡・冬景色」を所望した。だが、もっと得意な歌があったのだろう。美空ひばりの歌を歌った。シマ唄を歌っているからと言うのもあるだろうが、上手かった。

シマさんは「雪椿」を歌った。彼のこぶし入れて歌う様は逸品と言う他はない。私は「契り」を歌った。この前の「千曲川」と同じ歌手の歌になった(苦笑)。

4時半には終える事になっていた。これ以上盛り上がる事は出来ない。3時間半の忘年会は無事に終わり、皆ちりぢりに方向を異にした。


4日と15日と22日はオカリナ演奏を依頼されている。9日と23日はオカリナの練習日。23日は特に発表会で、1年の集大成の日だ。きっと何か楽しい事のある予感がする。

普段は余り演奏に呼ばれる事もないが、12月のオカリナに関する予定はこの位で、私には多い。もう今年も終わるのかと思うと、寂しいと言うより余りにも師走が来るのが速いのに驚嘆する。この時代だからかと思ってみるがそうでもないみたいで、古い言葉に「光陰矢の如し」と言うのがある。それでも、今の速さは昔以上だろう。烏鷺烏鷺しながら、今年も熱したフライパンに落ちる一滴の水だと感じずにはいられない。