夏の思い出を拾っていた。すると、随筆を書いて製本したものが出て来た。それは、37年ほど前のもので、短文乍ら129編が綴られていた。
短編と言うのか、その文章の中に唯一散文詩紛いのものがあった。随筆みたいなものはまたの機会に譲る事にして、小学2年生の夏の思い出を散文詩のように書いたものをここに載せててみようと思う。
母の里が岡山の備中(高梁川に沿ってバスでガタガタ揺られながら上って行った)で、それはそれは出雲が都会だと思われるくらいのど田舎と言っていい、山と田んぼと小川と水車のある所だった。おばあさんが1人で住んでいる。私はこの母の母を備中ばあちゃんと言っていた。
7、8人のいとこ達が集まっていたが、ここに出て来る実名ではない2人は、出雲から行った私と名古屋から来た従妹(1ケ月半ほど私が生まれたのが早い)の事である。
部屋には薄暗い裸電球が・・。風呂は五右衛門風呂だ。トイレなどと言うと雰囲気が壊れるが、いとこは誰も1人では行けなかった。部屋は畳だったと思うが、筵に座って食べる食事は、何か楽しくもあり思い出深くもある。昭和28年の夏休み。
逆流
夏が来た。
姿を変えて、夏が来た。
思い出が遠ざかる。
またひとつ、遠ざかる。
それなのに、
空洞になった心の片隅で、
線香花火の牡丹が、ちっとはじける前の、
ぐわぐわ丸くなる火の玉のように、
洞の中で息衝いていた。
用水路をうんと小さくした小川が、
水車小屋のわきを、伝って流れる。
ラムネの瓶が揺れて見える。
沢蟹が透明な水の底で遊ぶ。
ウ、タラン、チ。
ウ、タラン、チ。
「ハエを百匹取ってきたら、百円やろう」
谷の上のじいさまが、
三郎に向かって、つぶやいた。
百匹、
百匹。
小さな穴の幾つもあいた蠅たたき。
はげ落ちた壁。
粗いむしろの台所。
汲み上げポンプの錆が匂う。
「おじいさん、百匹とってきたぞ」
じいさまは、うなった。
かもいに下げた細長い蠅取り紙。
じいさまの目の前で、
くるりくるりと舞っている。
でっかい百円紙幣を手にして、
意気揚揚。
おにやんまが、
目の前を行ったり来たりしていた。
暮れなずむ薄桃色の陽の下を、
乳色の冷気が流れる。
せせらぎの音。蝉時雨の喧噪。
釜風呂の湯気が、
格子を伝って消える。
美知に湯をかける。
嫌われては困るので、
恐る恐る、そっとかける。
美知の顔がほころぶ。
「はよう大きくなりね」
おばさんは、
三郎の体もたんねんに洗う。
三郎は、
釜風呂から身を乗り出している
美知の方にチラッと目をやり、
いたずらっぽく笑う。
薄暗い裸電球の下で、おばさんは、
美知の爪を切る。
プチ、プチ、
三日月のような爪が、
畳の上ではじける。
おばさんは、
三郎の爪も切ることを忘れない。
大きな鋏が器用に動く。
プチ、プチ、
プチ、プチ。
東雲の道を
牛を引いていく百姓のシルエット。
日もすっかり明けた頃、
いっぱいの秣を積んで、
百姓はひきかえす。
モーッ。
一声が、
山々に谺する。
美知の頭と
三郎の足が、
遠慮なしに触れ合う。
無意識の破廉恥。
「この水、冷たいね」
小川の水で、顔を洗う。
母の真似をして、
首からかけたタオルで、
顔を拭く。
美知の皓歯が、キラッと光る。
高梁川の淵へ
総出で水浴びのひととき。
腐りかけた、小川に渡された板。
三郎の差し出した手に、
美知の指がからむ。
ズキンズキンと鳴る動悸が
電流となって指を走る。
グワン、ドドドド、
グワン、ドドドド。
湿った岩陰に
カラスアゲハが小きざみに震える羽を
豊かに拡げて休む。
美知との別れの日が
柔らかな明かりに変えられた障子の穴から
執拗に覗いていた。
バスを追っかけて
砂ぼこりの舞いあがった透き間から
川ぶちの山椒の匂いが漂う。
夏が終わった。
姿を変えた、夏が終わった。
昭和は64年が始まるとすぐに平成に替わった。私は昭和20年から43年間昭和の時代を過ぎ、平成の時代の30年を過ぎようとしている。そして来年には平成31年と新しい年号が入れ替わる事になっている。