加古川へ向かう電車の窓から、彼岸花の群生が見えた。それが彼岸花だとはすぐに分かるが、鮮やかな夕焼けの後の衰退した、色を失う前の様にくすんでいた。

 

彼岸花の呼び名は幾つか思い出せるが、実際には500もそれ以上もあると書かれた本や新聞のコラム欄で知って久しい。信じられない程の数だが、いつか調べてみたいと思いながら今日になっている。

 

リハーサル。こう書くと私が著名な演奏家だと捉えられなくもないが、これは言葉のマジックで、私はホールの様子やCDの伴奏を流せる機材はどうなっているかを確認して置くだけのものだった。演奏は至って上達遅々たるオカリナ吹きである。本番に備えての練習を、分け訳あってこの日にさせて貰っているのである。

 

3時に友達のKi君と加古川駅で待ち合わせ、自動車整理場で迎えに来て頂いている主催側の副会長さんの車に乗る手筈になっていた。

 

時間は正確に計画出来ない。少し早めに家を出ていたので、2時半頃に加古川駅に着いた。Ki君はいつも1時間以上前に着いて、その辺を散歩したりカフェでコーヒーを飲んでいたりするのが常だ。だが、この日(9月30日)は、構内の柱の周りの腰掛けに座って頻りに手帳を覗いていた。私はちらっと見ながらその横を通り過ぎて外に出た。待合場所の確認をして置く為だった。すぐに戻った。Ki君と2人はその時出会ったが彼は何も知らないものだから、

 

「いつ来た?」

 

と、呑気に言った。驚く様子もなく、当たり前のような会話を暫く続けた。3時前だったが、もう待ってくれていると思い自動車整理場に歩いた。すぐそこだ。工場のような名前が付いているが、つまり所謂駐車場の事だ。

 

どうもこの人らしいと思い近付いた。どちらからともなく話しかけ、副会長さんだと分かった。5分や10分なら歩いて行く積もりだったが、遠いからと言う事で態々のお迎えと言う事になった。気さくな人だったが、海側まで行ったので、かなりの距離だった。神戸製鋼の工場もある。

 

Ki君がCDを流す係をやってくれる。有り難い事だが、こういうのをアシスタントと言うのだろう。

 

こじんまりとしたホールで、今度の180人の参加者なら十分に入れる広さだ。電動で立てかけられた段が90度倒れて来るようになっているが、私にはフロアーを直に共有したいから必要なかった。

 

雰囲気は分かったので、後は音出しをしなければならない。Ki君や何人かの人で、音量のつまみを押し上げたり色んな所を動かしてみたのだが音が出ない。当日はラジカセを持って来るのが安心だとの声が聞こえる始末だ。カバンに8本のオカリナ。これだけでも重いが、ラジカセを持参する事は何としても阻止したかった。

 

副会長さんの横にいつ現れたのか会長さんもいる。私を紹介した人。ここの当番の人。私の友達がいる。誰かが、ある詳しい人を呼んでくれた。その人は、

 

「寝ていたのに」

 

と冗談を言いながらホールに入って来た。機器のDVDのつまみを上げると音が鳴り出した。CDのつまみばかり探していたので、これが盲点となった。しかし、曲を順番に入れたCDも、ここでは順番の番号が出ず、そのままずっと流れて行くと言われた。

 

するとそのNさんが、自分のCDラジカセに線を繋ぎ、音量の事なども含めてKi君や私に説明してくれた。

 

いい音の響きがする。全曲を吹いて終わる積もりだったが、この日が演奏会ではなし、時間を弄ぶ人もいると思い、数曲の音出しで終わる事にした。

 

けれどNさんはよく動いていた。スタンドマイクも横にして動かせるものに替えてくれたり、また私のすぐ傍にスピーカーを持って来て繋ぎ、ストレートにCDの伴奏が聴けるようにしてくれた。これなら会場中に反響する音が聴こえ辛かったりするのを防ぐ事が出来る。またマイクの方は、譜面をどのような距離にしても邪魔にならない形で演奏出来る。

 

音の事も良く知っていて、ここでちょうどいい音でも実際には人の服などに吸収されて音が小さくなる事などを喋っていた。私は経験からよく知っていたので、Nさんの話はいちいち尤もだった。それにしてもこんなに色々やってくれる人は珍しい。PCの先生をしていると誰かが言ったが、納得!

 

7人の男達に聴かれていたが、終わった後Nさんには、

 

「寝ている人を起こして済みませんでした」

 

と言った。兎に角よく動く人だった。

 

 

話が長くなったので、メインはこれからだったが、付け足しで終わる事にしよう。

 

この男の内私も含めて5人がこれから始まるメイン会場に行った。加古川での演奏の後は必ずと言っていい程この5人は集まる。これこそ待ち侘びている懇親会だ。後5人の内3人がやって来た。1人は唯一の女性だそうだがお母さんの看護で来られない。もう1人は仕事が終わらないのでこの日は来られないと言う事になった。2つの空席をそのままに、8人で飲んで食べて喋った。オカリナはアカペラで、何曲も要望に応じて吹いた。

 

アルトC管は10本は持っているが、それぞれ音が違うので主に吹くオカリナと曲に合わせて吹くオカリナを区別している。音質や息量が違い、強く吹けるが息が続かないとか、弱く吹くが響きが足りないとか、色々な問題が生じる。主に吹いているアルトCの3本も、そんな違いがある。数年使っていたのを替え、1年位でまた替え、半年位で替え、そして数年使っていたAオカリナが今また良さを発揮し出した。ついこの前まではGオカリナとMオカリナだったのだが。

 

結論は、この3本のオカリナはやっぱり曲に合わせて使う事にしよう。ただ吹き易さなどから、いつでも使えるようにメインは決めて置きたいと思った。

 

瓶生ビール、生ビール、焼酎(芋、麦)、日本酒(加古川の銘酒)など、ウイスキーは飲まなかったけれど何でもある。VIPルームと言えば言えそうな部屋。もう何度この部屋で飲み会をした事だろう。リーズナブルな料理で酒と戯れ、広島カープファンもいるのでその話や、今正に中日ドラゴンズと戦っている阪神タイガースの話も当然のように出た。

 

まだ結果は分からなかったが、阪神が優勢だと・・。セリーグ3位は広島になるのか阪神になるのか、大一番の勝負だった。阪神が中日に負ければ広島が3位。阪神が勝てば阪神が3位。まるで一か八かの勝負に見えた。結局は阪神が3位となった。

 

Ki君と私は神戸方面に帰る。後の6人は加古川の人達だ。今度は山陽電車に乗って、しかも各駅停車で。ゆっくりゆっくり2人の車内同窓会をしながら帰った。あの彼岸花のようにではなく、ほろ酔いの2人の口からは次々と、紅潮した曼珠沙華の花が咲き出ていた。

凄く暑くはない。ちょっと暑いかと感じる中、朝10時に家を出た。試合は10月半ば。真っ赤なメンバーの試合ユニホームを着たままで。

 

陰から陰を渡り歩いて歩く頭上に、太い飛行機雲が優しい秋の雲を席巻するように緩やかな弧を描き、視線を青空に釘付けにしていた。太くなった部分は途切れることなく、まるで両端に掛かる虹の様に左方の建物に消えていた。反対側の細い先端に目を遣ると、ゴマ粒のようなジェット機がその元凶を自認しているかのように、ゆっくりと先頭を走っていた。

 

もう50年近くになる卓球だが、退職してからは毎日続けて来た訳でもなく、それでも楽しく続けている。しかも今の方が自分としては強いと思っている。私の得意はサービスで、今もついこの間新しいサービスを取得した。緩いけれど、相手のネットの近くに落ちるので、レシーブは大抵ネットを越えないか、こちらの台を越えてしまうかのどちらかである。試合は全部ダブルスだが、これも使ってみようかと思っている。

 

右回転の横切りのサービスを出すと、相手のボールは激しくこちら側のコートの左側を越えて出てしまう。慣れられたり、上手い人に当たればそれも正しく読まれたレシーブをされるが、試合では大いに効き目がある。下カットとこの横切りを入れ乍らのサービスだが、横に切ると思わせて下切りにするとかその反対だとかがかなりの効果を齎すのである。

 

まあ、面白くない事を書いてしまったが、明日はオカリナ演奏のリハーサルに加古川迄出掛ける。老人大学で演奏と話を、つまり公演と講演を半分ずつやってほしいとの要望がある。普通どっちかだろうが、両方考えないといけない。1時間30分をどう組み立てようかと考えている。180人程ではあるが、私の思う10数曲と硬くない話をしてみたい。夕方近くのリハーサルにしたのは、10数人の人が飲むのを待ってくれているからだ。そんな事でもなければ、行って帰るだけなんて、電車の中で寂しさを感じるだけだろう。

 

12時に卓球は終わった。ふと思い出して空を見上げた。2時間そのままと言う訳はない飛行機雲だが、それでもそれはかなりぼやけてはいたにせよ、さらに広い川になって10時に見上げた空を蘇らせていた。確かな飛行機雲を作って飛ぶジェット機のように、そんな生き方をしたいものだと、瞬間思ったりした。

4時位には目はあいているが、起き上がったのは7時だ。ご飯に生卵と醤油を混ぜ紫蘇若布を振りかけ、お茶の葉ように巻いているスプーン1杯の若布に湯を注ぎスープで朝食にした。7時半からBSプレミアムの「なつぞら」を観て、8時過ぎまでその延長でTVを観た。

 

8時15分に家を出て、クリニックに降圧剤を貰いに歩いた。9月27日も昨日と同じで、暑さがぶり返していた。9時から診察開始だが、8時30分に入口が開く。今日は、2番目の受付だった。

 

この間の30分は備え付けの雑誌を見る。「今日の料理」はもう座っていた人が読んでいた。私は「暮しの手帳10-11月号」をラックから取って来て、見始めた。捲った途端、数ページに渡って俳句と短歌が載っている。

 

俳句は、夏目漱石や松尾芭蕉、その他の有名な俳人たちの句が並んでいる。その中によく知っている句が目に付いた。おばあちゃんも師事していた原石鼎の、子供の頃からよく名前を知っていた唯一の俳人の句が。

 

秋風や模様のちがふ皿二つ

 

私は職に就いて以後、小学校だったと思うが国語の教科書に載っていたのを見ている。島根県出雲の俳人だが、彼は医者を継ぐ事はなく家を離れた。正岡子規や高浜虚子のようには取り上げられていないが、知る人ぞ知る俳人であると思う。

 

模様の違う皿が2つ、卓袱台に乗っている。小学生はどう思って読んだのだろう。ここに秋風が肌寒い。模様が同じではない皿が、2人の関係を感じさせるような俳句ではないか。解釈は色々あるだろうが、温かいものは更々感じられない。

 

昔は季節がはっきりしていて、暑さ寒さも彼岸までと言っても略その通りだった。最近は、秋になっても秋風やとは簡単に使えない。温暖化はここまで季節を狂わせる。温暖でも、決して心が温かい訳ではないのが辛い所だ。

朝の激しい雨風も、長くは続かなかった。

 

昼過ぎに西宮北口に着くと、マルゲリータとフリードリンクで昼食にした。コーラ、十六茶、レギュラーコーヒー2杯。窓際から外の木々の緑がちょっとの安らぎを齎し、低い雲の下を飛行機が飛び、軈て雲に隠れた。

 

芸文センター大ホールは、9割位の入りだった。世界最古と言われているゲヴァントハウス弦楽四重奏団は1809年に誕生と言う歴史を持つ。

 

ハイドン:弦楽四重奏曲第77番ハ長調「皇帝」op.76-3Hob.Ⅲー77

            第1楽章アレグロ

            第2楽章ポーコ・アダージョ・カンタービレ

            第3楽章メヌエット,アレグロ

            第4楽章プレスト

 美しい、端正な曲を聴いた。

 

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番へ短調「セリオーソ」op.95

            第1楽章アレグロ・コン・プリオ

            第2楽章アレグレット・マ・ノン・トロッポ

            第3楽章アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ・マ・

                  セリオーソ

            第4楽章ラルゲット・エスプレッシーヴォ

 変化のある勢いのある曲だ。セリオーソとは、厳粛なとか真剣なとかの意味があるそうだ。

 

ハイドン(1732-1809)とベートーヴェン(1770-1827)の曲想の比較が出来、それは際立っていた。これの演奏者は、フランク=ミヒャエル・エルベン[第1ヴァイオリン]、チョ・ユンジン[第2ヴァイオリン]、アントン・ジヴァエフ[ヴィオラ]、ユルンヤーコプ・ティム[チェロ]。20分の休憩の後、第2ヴァイオリンの女性が抜け、コントラバスの加藤雄太が入った。そこに仲道郁代のピアノが加わった。これは流石に神業と言って良かった。

 

シューベルト:ピアノ五重奏曲イ長調「ます」D.667

            第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ

            第2楽章アンダンテ

            第3楽章スケルツオ,プレスト

            第4楽章アンダンティーノ

            第5楽章アレグロ・ジュスト

 

「ます」をここで初めて終わりまで聴いた。昔々学校で「ます」の曲や歌を教わったが、それが「ます」だと思って来た。第4楽章が正にその「ます」を見せつけた。何と素敵なのだろう。そんな気持ちになったのは、恐らく初めての事だったろう。コントラバスはお腹に響き、ピアノは圧巻だった。それは、第1楽章から第5楽章まですべてに言える事だった。仲道郁代のピアノはここまで心を華やかにしてくれた。4楽章の1部分でいいから、オカリナで吹きたいと思った。シューベルトの素晴らしさが窺える「ます」だった。

 

アンコールの拍手は演奏するまで続いた。アンコール曲は第3楽章のスケルツオ,プレストだった。今日の演奏者6人は、これが自分の人生を掛けたものなのだ。ここまで演奏出来たら、これは一生続く営みになるだろう。

 

第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ。一人ひとりが違った楽器で、ここまでのスゴ技の演奏でハーモニーを奏でる。この2時間は、まるで1年位が集約されたような素敵なひと時となった。

 

仲道郁代さんのあのウスバカゲロウ色をしたステージ衣装が美しく、3階の遠くから俯瞰したのにも拘らず、あの譜面を立って捲る時しか動かぬ黒色の衣装で黒子に徹していた女性と共に、いつかまた思い出すだろう鮮明さが脳内を巡っていた。

今朝だけは、毛布をすっぽり被って寝ていた。昨日までは大抵、毛布を足を使って蹴り下げ、その薄い小山に両足を乗せて寝ていた。左手を真横に伸ばすと、そこには目覚ましの用にも役立っているガラケイとエアコンの温度調節器を置いている。今朝は、初めてエアコンの用がなかった。

 

昨日の雲の事を思い出している。子供の頃が豊かだったのか、田舎の自然だったからなのか、ここまで科学は先に行っていなかった頃に、ゆったりと流れる雲を眺めていた。そんな時に教えてもらったのが「ひつじ雲」だった。まだ他にも呼び名があった。それは「うろこ雲」「いわし雲」、はたまた「さば雲」だったりした。

 

皆同じようだが、ひつじ雲は他のうろこ雲やいわし雲よりも少し低い所にある。代表して、いわし雲は巻積雲、ひつじ雲は高積雲の一種と言われ、いわし雲は鱗が小さく、ひつじ雲は毛の塊が大きい。それでは、懐かしく見上げた空の雲は、鰯の鱗だったのか羊の毛の塊だったのか。秋は天が高くなると言われているが、いわし雲かと思っても高く感じない。低そうだからと言ってひつじ雲の毛の塊のように大きくもない。

 

そんなに拘ることもないか。子供の頃に見た空や雲や木々の緑、そんな自然が今にも見られる感動と懐かしさが続いている事の方が嬉しく思われる。

 

幸いにして、今日も良い天気だ。昨日見た雲も夕方だったから、今日も夕方になる頃ウオーキングをして、そして空を見上げてみよう。鱗のように見えたのも、昨日の夕方は風を感じたので、上空ではもっと強い風が雲を鰯の鱗や羊の毛の塊にしたからだったからか。今日は風がなさそうだ。全く違った雲を見るかも知れない。

 

私の中で何十年も、半世紀以上も連綿と続いて来た空と雲。縄文や弥生時代から見ていたとしても、その色や形が全く一緒だった事は、恐らくないだろう。そして歴史の極短い区切りの中の私は、今日も空を見上げ、雲を眺める。