神戸駅に改札口ではない所から現れたのは、セレブと見紛う、また彼女をエスコートするハズバンドだった。2月21日の18時が約束の時間だったが、私は30分近く前に着いて、構内をゆっくり1周して、また元の場所で待った。

 

ひと昔と言うのは、会わなくなってから10年が経っていたからだ。年賀状では「今年は会いましょう」と言う文面が10回続いた事になる。今年になって事態は急に動いた。彼女が会う事を提案し、場所を設定したのだ。

 

以前ピアノの伴奏をして貰っていた人で、旦那さんとも顔見知りとなっていた。私とは一回りも違うこの2人のこの日の姿は決まっていた。旦那さんは背広を決め、魅力的なネクタイをしていた。もう私は忘れていた姿だった。彼女は、白い衣装で決め、どちらも10年前より若く、溌剌としていた。

 

もう1人は、よく知った人で、この人も連絡を受けていた。

 

10年会っていないと言っても、服装はどうしようかと考えはした。グリーンのジャンパーにオフホワイトのメンパンでどうかと。しかし、余りにもラフ過ぎはしないかと、急遽スタンドカラーの落ち着いたワイシャツに黒いブレザーを着た。

 

それでも2人の感じとはかけ離れていた。オーソドックスとカジュアル。ネクタイあるなし。靴が磨かれた先の尖った革靴。私は黒ではあるが、スニーカーだった。10年の歳月が、こんな事にも気を遣わせた。

 

「別人種だね」

 

と私。

 

「今、仕事から帰りですから」

 

何気なく彼はそう言った。これが仕事人の姿か。改めて、服装とオーラは大切なのだと思った。しかし、年金暮らしの私には、私なりの服装がある。気にしない装い。それと爺さんスタイルだ。

 

居酒屋に入ると、もうそんな事は針の穴程も思わなくなっていたが、矛盾する言い方になるけれど、時折彼の姿に瞬間見惚れる時があった。馬子にも衣裳とはよく言ったものである。

 

私が現役の50歳代に知り合った、製薬会社の社長がいた。文化ホールのオカリナフェスティバルで私の6分間の演奏を聴いて、上手いとかではなく、神戸にこんな人がいるのかと、親しみをもって近付いて来た人だった。この社長は、オカリナを習っていたようだった。それから、とても親しくして貰った。1、2歳上だったように思う。

 

今日の4人は、社長とはとても親しくなり、私に取っては歳が行ってからの親友となった。たらっと垂らした赤いマフラーが、今でも強い印象と共に彼を蘇らせる。真夜中に、彼が横断歩道を歩いていて、車に飛ばされて亡くなった。それは大きなショックだった。

 

私は、葬式の時に「千の風になって」を吹いて欲しいと依頼を受けた。こんな悲しい事もそんなにない。彼はいつか、他人にも私にも言っていた事がある。

 

「どうしてオカリナ教えてくれないのかなあ。教えて貰いたかった」

 

とね。私は、そこまで出来る器でもなかったし、そんな事考えも、思いもしなかった。社長は、実力のある人に習っていたから尚更の事ではあった。私の頭は石頭だ。化石だと言われる位だから、満更当たっていないとは言えないが。

 

教えると言う響きと固定観念が災いした。一緒に練習する、と言った乗りで良かったのだ。彼は、私とオカリナをしたかったと思った時に、目頭が熱くなるのを覚える。

 

社長の奥様からは年賀状を頂く。まだ手を合わせに行っていない。時期を逸した感がある。社長が亡くなってから10年になる。今日のこの日は、何だかとても意味のある日だった気がする。私は、何気なく口を開いてみた。

 

「奥さんを呼んで、いつか5人で話しがしたいねえ」

 

微かに首肯する3人の姿を見た。今更言う訳でもないが、社長はとっても素敵な、風格のある人だった。

 

とりとめのない話が10年を急激に縮めてしまったようだ。食べ物も飲み物も美味くて、丸眼鏡をした店長が来た時には、私は賛辞を送った位だ。口が閉まらない。飲むと喋るとで。

 

最初はビールで、ああ私の話。次は芋焼酎(黒霧島)のお湯割り。いつしかグラスが3つ。夫婦と私のものらしく、フラスコに入ったみたいな日本酒だった。3分の2も入っていない。日本酒はそれぞれの味に幅がある。これは旨い。冷だから余計に旨い。

 

先ずは小鉢を4つ注文し、皆で取り分けた。カキフライがまた美味い。野菜サラダはふんだんに注文された。私は鰤のかまの塩焼きが食べたくて、それは1つ注文。皆で少しずつ食べた。残りは全部私がひっくり返したりして隅々を漁った。

 

日本酒は4度か5度注文しただろうか。幾らでも入りそうな味。

 

「ラストオーダーです」

 

この店、もう満員だった。だが、釜飯をとる事にした。30分掛かると言うので、30分延長してこの場にいられる事が判明。喋りが続いた。

 

「料理も良く、人も楽しかったら、良い店だ」と、勝手な三段論法を思い浮かべた。外に出ると、地下から階段を上って店長が姿を見せた。私は、余り酔ってはいなかったが、

 

「ブラボー」

 

と言った。優しい丸眼鏡が、更に優しい姿をしていた。

 

1人は東に私は西にJR、夫婦は地下鉄へと別れて行った。

 

1冊の本が閉じられたように、10年分のペ-ジはその空間をあっという間に埋めてしまった。何故だか表紙には、あの店長の顔がちょこんと乗っている。こんな印象深い特徴のある丸眼鏡の顔は、最近とんと観た事がない。

まるでそれは衝動のようだった。

 

観たいと思って調べた上映時間が、11時45分から。それに余裕を持って間に合う高速バスの発車時刻には後2分しかなかった。次の上映は、14時45分。それでは流石に間延びする。次の映画ではなく次のバスを選んだ。

 

バス停は寒いばかりではなく、風が強かった。薄くなったと感じる髪が乱れた位だから身震いもした。

 

三宮でバスを降りると、東側にはすぐに9階に映画館を擁したビルが迫っている。時間はまだありそうだが、風は相変わらず寒く、強い。春一番かなと思った。だが、定義では、風は強いけれど南の海側から吹く暖かい風だと言われている。これはとても冷たい。気象庁がどのような見解を示すかは又の情報を観る事にして、私はただこの寒い風に、震えながら酔い痴れていた。童謡にある「たき火」の歌詞が思い出されていた。頭の中では、思い出深い、遠い昔の木枯らしのようだったから。

 

あんまり慣れていないパネルでチケットを購入した。60歳以上はシニア料金で観られる。何年か前1,000円だったが、今回は1,200円だった。2時間を越える長時間の映画だからなのか、値上がりだったからなのか。

 

無性にホットドッグをお腹は要求していた。暫く我慢比べをしていたが、私が勝利した。10分前からゲートを通る事が出来た。長いエスカレーターで上がり、上映される6番の部屋、L11番に座った。

 

「パラサイト」と言う名で、第92回アカデミー賞4部門を獲得したこの作品は、昨年来人気が落ちる事なく、その勢いは続いていた。急に観たくなった。韓国映画のタイトルは「キセンチュン」で寄生虫の事だが、それを態々英語にして「パラサイト」と名付けられた。

 

副題は「半地下の家族」と銘打ってある。ここでこれからまだ観に行く人も沢山いると思われるので、あらすじとかは喋る積もりもない。ただ、鮮烈な映画であり、韓国人の気質のようなものも感じられる映画であり、幾らかのテーマも感じられる映画でもあった。しかしながら映画である以上、そこには娯楽性もなければならなかった。あんな状況の中の映画でありながら、それも十分に楽しめた。リアリティーの中に娯楽性が同居していた。

 

韓国語は日本語とその組み立て方が殆ど同じで覚えやすいし、神戸には韓国の人達も沢山いるし、現実的だと思って少しだけ勉強した事があった。今回のそれは吹き替えではなく韓国語でキャストがそれぞれの声で喋っているので、二重の臨場感があった。そして、少しだけ韓国語が思い出された。

 

看板に「ウリ シュポ」と書いてある韓国語が見え、何か懐かしい気さえした。「私達のスーパー」なのだが、それが小さな看板だったのが面白かった。

 

涙が流れて立てなくなるような作品ではなかったが、もう一度観てもいいと思える映画だった。それは言葉を少しだけでも知っているからなのであろうが、現代の混沌とした不条理の映画でもあると思った。

 

映画は終わり、館内は暗いまま文字だけが流れていたが、私は音楽と共にそれをずっと観ていた。今までも、すっかり終わるまでは出ない派なのである。矢張り、少しずつ立っては出て行く人たちが見える。今回は、浸ると言う感じはなかったので私も出ようかと思ったが、癖なのかやっぱり最後までいた。そんな人が結構いたのに安堵感を覚えながらも。

 

外はまだ強くて寒い風が吹いている。暖かかったらきっと春一番だと思いながら、それでもあの歌を心の中で歌っていた。不条理ではなく矛盾のありそうな歌詞ではあるが、そんな事思って歌った事はない。

 

♪かきねのかきねの まがりかど たきびだたきびだ おちばたき あたろうかあたろうよ きたかぜぴいぷう ふいている

シマさんの三線教室が他の教室とも一緒に楽しんでいる、つまり新年会が尻池の或るセンターの一室で行われた。30人位の集まりで、そらの陽さんも一緒だが、オカリナ吹きが輪に加えて貰ってから久しい。

 

場所もいつもの所と違っていて分からないので、新長田駅で待ち合わせをして7人程でバスに乗り、降りてから少し歩いた。

 

この部屋も、十分広くはなかったが凄く狭くもなかった。皆コの字型に並んだ。

 

1時からだが、皆が揃うまで結構待った。だが、待ち草臥れた人達(私達もそうだが)もいて、もう始めようと言う人あり、1時からだからそれまで待とうと言う人あり。この時12時45分だった。

 

「練習しよう」

 

誰かが言った。よく使われる常套手段である。誰も反対はしない。アサヒスーパードライがなみなみと注がれた。野球場で観戦する時のあの大きな紙コップだ。三分の一はスーッと腑に落ちた。

 

他の教室の師匠が、自分で釣った魚を刺身にして持って来ていた。生きのいい色だ。シマさんと私は並んで座っていた。この日(26日)は千秋楽の日で、まだ優勝力士は分からない。今は27日だから、勝った力士は幕尻の徳勝龍と分かっている。彼は「自分なんかが優勝していいんでしょうか」と言って館内の爆笑を誘ったが、徳勝龍の人柄がとてもよく分かった一コマだった。長くなったが、それが言いたいのではなく、その言葉を自分が座った席に重ね合わせていた。「自分なんかがこんな前に座っていいんでしょうか」と。

 

刺身が美味くて、美味しそうな弁当はそのままで、最後まで食べなかった。家へのお土産にしようと思って鞄に入れて持って帰ったのだが、気が付いたのが今朝だった。流石に食べない方がいいと感じ、残念ながら廃棄した。

 

また、主題から遠く離れて行った。ビールが終わってからシマさんは黒糖焼酎「島のナポレオン」のお湯割りを飲み始めた。私もあの大きな紙コップにシマさんが注いでくれて、飲んだ。美味い焼酎で、何の抵抗もなく喉元を過ぎる。

 

私は少ししか飲めない体質だ。飲める人はウイスキーでも1瓶位は軽々飲めると言う。ワンフィンガーの水割りでも私は3杯位が丁度いいだろう。飲める人と同席は出来ても同じ様に飲む事など地獄に真っ逆さまだ。

 

その時は大袈裟に言えば水の様に感じられた。私のジャイアント・ペーパー・カップが空になったと見るや、シマさんがまたお湯を入れ、「島のナポレオン」を注ぐ。釣りたての刺身に酢味噌を付けて食べるから、更に美味い。

 

三線の音が響き、唄も聞こえる。そんな中でまた薄いカップの縁が揺れる。もう飲むまいと思いながら、一先ず飲み干して、テーブルの左方向に置く。それをシマさんがまた見付ける。

 

彼の3倍位早いペースだ。彼の相方のMさんも回って来て、注ぐ。後から気持ちが悪くなるだろう事は長い経験で分かっている。それでも、入っていると口にする。なくなると略満タンになっている。最早頭が回らなくなっているのかも知れない。

 

ついこの間、認知機能検査を自動車学校で受けて来て、3日後に結果が送られて来たが、これは異常なしだったから、これが原因でもなさそうだ。

 

オカリナを吹く番になった。そらの陽さんに1人で吹いて貰おうと思ったが、コラボ曲を3曲吹く事にしていたので、前に出た。最初に勝手に他の曲を吹き、次に2人でデュエットで3曲吹いた。3曲目は譜が良く読めなくてそらの陽さんの音を止めてしまった。もう1度止めた。多分でたらめだったと思う。よく分からない。

 

「もう、間違ったりして済みません。お詫びに1曲吹きます」

 

と言って、「シルクロード」をトリプルオカリナで吹いた。聞いている人も、もう結構と思っているかも知れないのに、それさえ認知出来なかった。おまけに、呂律が回らなかった。認知機能ではなくて言語機能がどうかなったかと思ったが、それが分かっているだけまだマシか。

 

暫く三線の音と唄が響きを取り戻していたが、なんともそらの陽さんに悪かった。いつもにこにこしてくれているので少しは気分も和らいだと思うが、こんなに飲んでいるので、和らいだ事さえ気づいてはいない。そらの陽さんのオンパレードで良かったのに。

 

4時半位だったか、楽しく閉会した。こんな状態でも私も楽しかった。酔ったとは思っても見なかったが、ドーパミンが頭の中で弾けていたのだろう。

 

次、つまり希望者は2次会に行く事になった。孫悟空と言う店。シマさん夫婦は帰ると言ったが、私が呼び止めた。シマさん中心の会なのに、これではなあと思い。

 

タクシーで行った。カウンターには常連さんが何人かいた。私達は反対側の座敷。10人いたかどうか。普段なら人数は数えてみるのだが。

 

「何にする?」

 

誰かが聞いた。

 

「トマト酎ハイ」

 

と私は言った。数人がそれに倣った。何故かそれも拒否せずに飲めた。

 

数人は人が違ってはいるが、このメンバーで、ここで、12月末には忘年会をしている。その時のように豪華ではないが、美味さは絶品だ。その片鱗を感じさせてくれる小皿が並んだ。

 

前にいた女性が、透明なアルコールを持ちながら、

 

「次は何にする?」

 

と聞き、

 

「それと同じので」

 

と答えた。やっぱり呂律は回っていそうになかったが、こんな事は初めてだ。気分が悪い訳でもなかった。もう止めた方がいい、とも思わなかったのは、きっと思考が停止していたのだろう。笹船が川を流れているように。

 

それでも、歌を歌ってしまった。谷村新司の「群青」と言う歌を。恥を知らない者のように歌った。

 

帰る時間が来た。

 

そこからの記憶は薄らいで、どのようにして家まで帰り着いたか分からない。かつて自分の適量以上に飲んで気分が悪くなった時は、それ以後の事は分からなくなった事もある。しかしこの時は孫悟空以後は、思い出せない。1人で帰ったが、プラットホームから落ちていなくて良かったと、身震いしながら思っている。

 

ただ、忘年会の時に私のオリジナルの拙いCDを買ってくれた他の教室の師匠IさんとFさん。そのIさんがこの新年会で会った早々、私に「あのCDはとっても良かった」と言ってくれて、呂律の回らなくなった勢いで皆に宣伝してしまった事。いつも思うが、プロのコンサートでもCDを買う人が少なくなったと思うし、私なら特には買わない。

 

それなのに、タクシーを待っている間、初めて会う昨年から仕事をしていると言う22歳の初々しい青年が、CDを買ってくれたのだ。本当はただで上げたい位だが、かつて皆買ってくれているので、喜んで買って貰った。鞄の中には大抵2、3枚入れている。

 

「音が綺麗だったから」

 

その初々しい青年はそう言って・・。

 

酔って吹いたオカリナ。そんな音でもこんな事を言ってくれた。多分、それはオカリナそのものが出す音を感じてくれての事だっただろう。私は、とんでもない事をしたと思った。まあ、こんな飲み会なのだからそれもあるにはあるが、ここまで飲んでから吹くのは聴いてくれる人にも、何よりもオカリナに悪いと思う。次からは、状況がそうであっても、それなら飲み過ぎないようにしなければならないと思った。肝に銘じたとはとても言えない。言った事を守れない時が私にはあるからだ。だが、極力そうしたい。プラットフォームから落ちない為にも。

 

この青年、私と同じ区内に住んでいると言った。またいつか会えるだろう。「あの時の音の方が良かったです」なんて言われたら、心は折々になるに違いない。

或る新聞社が私に取材を申し出て来た。阪神・淡路大震災からもう四半世紀になると言って。

 

記者とは9時半に垂水駅の東口で会う事にしていた。駅の構内にあると言ってもいいドトールコーヒーショップに入って行った。満員に近く、向かい合って座る小さな席を辛うじて確保出来た。

 

ずばり震災の事から入らずに、私自身の事を聞いて来た。ちょっとオカリナの事を話したら、前置きより長くなってしまった。彼は長身の、感じのいい好男子だった。30歳にもならない彼は、私の話を興味深く聞いている風だったので、

 

「何か音楽やっていますか」

 

と聞くと、

 

「ドラムをやっています」

 

と言った。音楽をやっていると感じたが、当たった。

 

周りの人達にも話が聞こえていたと思うが、何も変化はなかった。彼は一番大きなカップのレギュラーコーヒーを、私は普通のコーヒーを注文した。2人共コーヒーは好きだった。途中でもう1杯ずつ飲む事にしたが、私は今度こそ今までに1度もなかった一番大きなコーヒーにした。2時間が瞬く間もなく過ぎた。

 

私が関わっていた避難所の様子の1995年1月17日午前5時46分からの事を、彼は記者らしい質問で私に尋ねた。その日はとても寒く、毛布が全く足らなかった事から思い出していた。

 

その現場に行きたいと言うので、案内した。もう既に、完全に復興していた。25年過ぎた今、大切な人を失ったり、家が全半壊したり、揺れに任せて恐怖を味わったりした人様々だが、幸せだった人達に圧し掛かったこの悲惨な大災害は何を残して行ったのか。

 

それは人の優しさや思いやりだった。皆が1つになれる絆の強さだった。体験した者にしか分からなかったとしても、この事実は風化だけはさせてはならないと思う。余り巷では話題に上らなくなってはいるが、命を失った人の親族や友達や仲間は、今でもその心の空洞は開いたままだ。

 

もうじきまた1月17日がやって来る。三宮にある東遊園地には、悲しみを湛えた人達が訪れる。多くの並べられた竹の切り口に蝋燭の明かりが灯され、追悼の行事が行われる。私も、行ってみた事がある。前を向いて歩もうとしている傍ら、そこには遣り切れない悲しみが漂っている。

 

代表の挨拶。また、被災した方の話。市長の挨拶と続く。そして、一人ひとりの献花がある。私が行った時は、あの時の様に、とても寒かった。

 

例年は、行けなくてもテレビの前で様子を観る。そして、集いに参加している人達に共鳴しながら手を合わせる。

 

若い青年記者と別れ、私は三宮のそごうデパートが阪急デパートに替わってから初めて中に入ってみた。中は変わっているようには見えなかった。多くの人達が、何事もなかったかのように、静かに動き回っている。寒いのは寒いが、数本のクレーンが三宮駅周辺に聳え、空は青く、点々とした雲を抱いていた。

 

 

朝早く、高速バスに乗った。

 

5日間は休日用の時刻表で運行すると書いてある。2つの時間のどちらかを選ぶ積もりだった。7時の初めの方、終わりの方の選択。三ノ宮からの帰りのバスの時間を考えていた。去年は早く出て、帰りに三宮のバス停で9時半まで暫く待った経験があるからだ。

 

バスに乗る前は青と白が半々位の空だった。寒空に晴れているのは気持ちが良い。

 

初日の出などはとんと観た事がない。バスの中からは雲のカーテンの後ろに光る、まるで小惑星の爆発のような光を見た。何度かちらちら太陽の方に目を向けていた。すると、ベールが剥がれてまともな太陽が目に入った。瞬間的に目を反らせたが、バスの中は周りが緑色に光っていた。

 

太陽の燦々たる光の雫を、精一杯に吸い込んだ。バスから水平な線を伸ばし、その上に角度を付けて見ると、凡そだが15度の辺りに太陽は在った。

 

三宮は静かだが、時折若者たちの叫び声が聞こえる。相変わらずゴミは散らばり、たばこの吸い殻は散乱している。

 

「おい」

 

突然声を掛けられた。何と生田神社の初詣を済ませてこちらに歩いて来るN君だった。

 

「おっ」

 

ここで会話を書いていったら、長い上にも長いブログになってしまう。帰りの9時30分に間に合うかも気になってはいた。しかし、この2020年初の逢い初めに内心驚きと喜びがあった。何と言う奇遇か。遅いバスを選択していなかったら、会う事など結果的にだが、なかった筈だ。

 

生田神社に詣でる前に人に会って、立ち話は暫く続いた。

 

「また飲みながら話したいなあ」

 

と言って別れた。1年は会っていなかった。神社に近付くにつれ、少し賑やかになった。大声を出すのは決まって若者だ。酔っているから傍には近付かないように鳥居を潜った。屋台の数は半端ではない。その陰に隠れた清め所で柄杓に水を汲んで清めの作法をした。

 

若い女性が1人同じ事をしていたが、誰も殆どそんな事には無頓着だ。私も、ひょっとして形式的なのだろうが、汚れちまった、あれ? 中原中也みたいだ、汚れた私がそのまま天照大神の和魂(にぎみたま)稚日女尊(わかひるめのみこと)または妹と言われている神に手を合わせる事は、出雲大社に何十遍となく詣でた染み込んだ習慣を放棄するに等しかった。

 

お参りをしてすぐ後でお御籤を引いた。巫女さんが2人ずつ組になって、番号を書いたひごを見てはお御籤を手渡している。三十八番、吉だった。去年は四十八番だったと思う。番号は余り関係ないだろうが、でも果たして一番はどんなんだろう。とても可愛い巫女さんだった。何故か。1000円出してお釣りを貰う時、丁寧な感じのいい、最高の渡し方をしてくれた。それに、笑顔が素敵だったから。私とは真反対だった。

 

神社で大きな音で「春の海」が流れている。尺八と琴の音。私はオカリナで吹くが、それはそれ、でもやっぱり正月の音はこれだ。

 

9時半には少し時間があった。遠回りをしてバス停に行こうと考えた。生田神社は東門街と接している。歩くと色んな店がある。勿論夜は全く姿を変え飲み屋街となる。知る人ぞ知る歓楽街だ。

 

北から抜けると目の前は、道を隔てて西村珈琲店がある。途中に、昨年マリーさんを夜皆で送って来た「DAIICHI GRAND HOTEL」があった。

 

まだ9時半までには30分以上あったが、ゆっくり歩いて停留所に行った。1人コンクリートの土留に座っていた。時刻表を見た。ひゃー、と心の中で叫んだ。9時30分など何処にもない。次は11時だった。

 

仕方がない。JRに乗り、垂水からはバスで帰る事にした。

 

新快速が来た。しかし、これは須磨にも垂水にも止まらない。次は神戸。その月は明石だ。三宮から元町を過ぎて神戸まで行って降りた。普通に乗り換えて、垂水に着いた。JRに乗っている時は海が見える席ではなく、その反対の席に座った。随分空いていた。ドアや反対側の戸に、私の背中方面の空に雲が浮かんでいるのが写っていた。

 

だが、気が付いた事がある。駅に止まる度に乗って来るのは女性ばかり。新長田位で、それが女性専用の車両だった事に。慌てて隣の車両に移ったが、何が何だか考え事をしていて分からなかった。ああ、なんて不便な電車だ。

 

垂水のバス停のベンチに座ると、空は全く青かった。段々雲が何処かに行って、晴れ晴れとして来た。まるで、子供の頃の運動会の空のようだった。

 

こうしてブログを書いている時に娘の家族が4人来た。12時に。私はこのブログが終わらないと皆と話せない。このPCの下のバーに「*」が出たらお仕舞だ。バックアップの方法を知らないからだ。今も慌てている。あっ、閃いた。ここでアップして置いて、後を書いたら再びアップすれば、今まで書いたものは消える事はない。

 

さあ、戻って来た。台所では皆雑煮を食べている。食べたい、食べたい。もう文章もなにも、無茶苦茶になっている。ま、いいか。彼は、「大吟醸 龍力 米のささやき」の一升瓶を下げて来てくれていた。ああ、早く飲みたい、飲みたい。日本酒が飲みたかったし、買ってもいなかったから、今からが楽しみだ。普段は焼酎だし。

 

もう、雑煮と日本酒の限界だ。皆、もう食べ終わっているようだ。お御籤の一部を載せて、いざ台所へ。

 

「生田神社おみくじ 第三十八番 吉幾三」

 

居明かして君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に 霜はふれども  (作者未詳 二・八九)