神戸駅に改札口ではない所から現れたのは、セレブと見紛う、また彼女をエスコートするハズバンドだった。2月21日の18時が約束の時間だったが、私は30分近く前に着いて、構内をゆっくり1周して、また元の場所で待った。
ひと昔と言うのは、会わなくなってから10年が経っていたからだ。年賀状では「今年は会いましょう」と言う文面が10回続いた事になる。今年になって事態は急に動いた。彼女が会う事を提案し、場所を設定したのだ。
以前ピアノの伴奏をして貰っていた人で、旦那さんとも顔見知りとなっていた。私とは一回りも違うこの2人のこの日の姿は決まっていた。旦那さんは背広を決め、魅力的なネクタイをしていた。もう私は忘れていた姿だった。彼女は、白い衣装で決め、どちらも10年前より若く、溌剌としていた。
もう1人は、よく知った人で、この人も連絡を受けていた。
10年会っていないと言っても、服装はどうしようかと考えはした。グリーンのジャンパーにオフホワイトのメンパンでどうかと。しかし、余りにもラフ過ぎはしないかと、急遽スタンドカラーの落ち着いたワイシャツに黒いブレザーを着た。
それでも2人の感じとはかけ離れていた。オーソドックスとカジュアル。ネクタイあるなし。靴が磨かれた先の尖った革靴。私は黒ではあるが、スニーカーだった。10年の歳月が、こんな事にも気を遣わせた。
「別人種だね」
と私。
「今、仕事から帰りですから」
何気なく彼はそう言った。これが仕事人の姿か。改めて、服装とオーラは大切なのだと思った。しかし、年金暮らしの私には、私なりの服装がある。気にしない装い。それと爺さんスタイルだ。
居酒屋に入ると、もうそんな事は針の穴程も思わなくなっていたが、矛盾する言い方になるけれど、時折彼の姿に瞬間見惚れる時があった。馬子にも衣裳とはよく言ったものである。
私が現役の50歳代に知り合った、製薬会社の社長がいた。文化ホールのオカリナフェスティバルで私の6分間の演奏を聴いて、上手いとかではなく、神戸にこんな人がいるのかと、親しみをもって近付いて来た人だった。この社長は、オカリナを習っていたようだった。それから、とても親しくして貰った。1、2歳上だったように思う。
今日の4人は、社長とはとても親しくなり、私に取っては歳が行ってからの親友となった。たらっと垂らした赤いマフラーが、今でも強い印象と共に彼を蘇らせる。真夜中に、彼が横断歩道を歩いていて、車に飛ばされて亡くなった。それは大きなショックだった。
私は、葬式の時に「千の風になって」を吹いて欲しいと依頼を受けた。こんな悲しい事もそんなにない。彼はいつか、他人にも私にも言っていた事がある。
「どうしてオカリナ教えてくれないのかなあ。教えて貰いたかった」
とね。私は、そこまで出来る器でもなかったし、そんな事考えも、思いもしなかった。社長は、実力のある人に習っていたから尚更の事ではあった。私の頭は石頭だ。化石だと言われる位だから、満更当たっていないとは言えないが。
教えると言う響きと固定観念が災いした。一緒に練習する、と言った乗りで良かったのだ。彼は、私とオカリナをしたかったと思った時に、目頭が熱くなるのを覚える。
社長の奥様からは年賀状を頂く。まだ手を合わせに行っていない。時期を逸した感がある。社長が亡くなってから10年になる。今日のこの日は、何だかとても意味のある日だった気がする。私は、何気なく口を開いてみた。
「奥さんを呼んで、いつか5人で話しがしたいねえ」
微かに首肯する3人の姿を見た。今更言う訳でもないが、社長はとっても素敵な、風格のある人だった。
とりとめのない話が10年を急激に縮めてしまったようだ。食べ物も飲み物も美味くて、丸眼鏡をした店長が来た時には、私は賛辞を送った位だ。口が閉まらない。飲むと喋るとで。
最初はビールで、ああ私の話。次は芋焼酎(黒霧島)のお湯割り。いつしかグラスが3つ。夫婦と私のものらしく、フラスコに入ったみたいな日本酒だった。3分の2も入っていない。日本酒はそれぞれの味に幅がある。これは旨い。冷だから余計に旨い。
先ずは小鉢を4つ注文し、皆で取り分けた。カキフライがまた美味い。野菜サラダはふんだんに注文された。私は鰤のかまの塩焼きが食べたくて、それは1つ注文。皆で少しずつ食べた。残りは全部私がひっくり返したりして隅々を漁った。
日本酒は4度か5度注文しただろうか。幾らでも入りそうな味。
「ラストオーダーです」
この店、もう満員だった。だが、釜飯をとる事にした。30分掛かると言うので、30分延長してこの場にいられる事が判明。喋りが続いた。
「料理も良く、人も楽しかったら、良い店だ」と、勝手な三段論法を思い浮かべた。外に出ると、地下から階段を上って店長が姿を見せた。私は、余り酔ってはいなかったが、
「ブラボー」
と言った。優しい丸眼鏡が、更に優しい姿をしていた。
1人は東に私は西にJR、夫婦は地下鉄へと別れて行った。
1冊の本が閉じられたように、10年分のペ-ジはその空間をあっという間に埋めてしまった。何故だか表紙には、あの店長の顔がちょこんと乗っている。こんな印象深い特徴のある丸眼鏡の顔は、最近とんと観た事がない。