或る新聞社が私に取材を申し出て来た。阪神・淡路大震災からもう四半世紀になると言って。

 

記者とは9時半に垂水駅の東口で会う事にしていた。駅の構内にあると言ってもいいドトールコーヒーショップに入って行った。満員に近く、向かい合って座る小さな席を辛うじて確保出来た。

 

ずばり震災の事から入らずに、私自身の事を聞いて来た。ちょっとオカリナの事を話したら、前置きより長くなってしまった。彼は長身の、感じのいい好男子だった。30歳にもならない彼は、私の話を興味深く聞いている風だったので、

 

「何か音楽やっていますか」

 

と聞くと、

 

「ドラムをやっています」

 

と言った。音楽をやっていると感じたが、当たった。

 

周りの人達にも話が聞こえていたと思うが、何も変化はなかった。彼は一番大きなカップのレギュラーコーヒーを、私は普通のコーヒーを注文した。2人共コーヒーは好きだった。途中でもう1杯ずつ飲む事にしたが、私は今度こそ今までに1度もなかった一番大きなコーヒーにした。2時間が瞬く間もなく過ぎた。

 

私が関わっていた避難所の様子の1995年1月17日午前5時46分からの事を、彼は記者らしい質問で私に尋ねた。その日はとても寒く、毛布が全く足らなかった事から思い出していた。

 

その現場に行きたいと言うので、案内した。もう既に、完全に復興していた。25年過ぎた今、大切な人を失ったり、家が全半壊したり、揺れに任せて恐怖を味わったりした人様々だが、幸せだった人達に圧し掛かったこの悲惨な大災害は何を残して行ったのか。

 

それは人の優しさや思いやりだった。皆が1つになれる絆の強さだった。体験した者にしか分からなかったとしても、この事実は風化だけはさせてはならないと思う。余り巷では話題に上らなくなってはいるが、命を失った人の親族や友達や仲間は、今でもその心の空洞は開いたままだ。

 

もうじきまた1月17日がやって来る。三宮にある東遊園地には、悲しみを湛えた人達が訪れる。多くの並べられた竹の切り口に蝋燭の明かりが灯され、追悼の行事が行われる。私も、行ってみた事がある。前を向いて歩もうとしている傍ら、そこには遣り切れない悲しみが漂っている。

 

代表の挨拶。また、被災した方の話。市長の挨拶と続く。そして、一人ひとりの献花がある。私が行った時は、あの時の様に、とても寒かった。

 

例年は、行けなくてもテレビの前で様子を観る。そして、集いに参加している人達に共鳴しながら手を合わせる。

 

若い青年記者と別れ、私は三宮のそごうデパートが阪急デパートに替わってから初めて中に入ってみた。中は変わっているようには見えなかった。多くの人達が、何事もなかったかのように、静かに動き回っている。寒いのは寒いが、数本のクレーンが三宮駅周辺に聳え、空は青く、点々とした雲を抱いていた。