コロナで時は過ぎ、いつの頃からかマスクは何処にもなくなっていた。なくなる1週間位前に、今までそんなことした事なかったが、店の人に案内されて、一番奥の棚に向かった。1、2枚買う積もりだったが、もっと使う時があるだろうなと思い、30枚入った1箱を買った。「三次元」と言うマスクだった。マスクには詳しくない。ここはキリン堂。

 

確かに次に行ってみた時は、マスクの棚には1枚のマスクもなく、そこだけ広く、伽藍洞だった。買っておいて良かったかなと思った。

 

他のものを買う目的ではあるが、何回行ってもそこはもぬけの殻だった。

 

或る日娘が、

 

「あったら買っといて」

 

と言った事がある。店は9時に開く。朝早く並べば手に入るかも知れないと思い、暇な私は7時40分頃に行ってみた。何台か車があったが、殆どがコインランドリーに用事があった。待つのは長かったが、TVで時を過ごした。向こう側がキリン堂で、その前に車が集まり始めた。私は車を降り、傘を差してシャッターの前に並んだ。8時40分頃だった。2人がさっき来た人だったが並んだ。暫くすると10人は並んでいたようだ。

 

9時にシャッターが開いた。私は3番目だから買えるだろうと信じていたが、それは甘かった。

 

「今日は、マスクは入っていません」

 

と言われた。私はがっかりしたが、歯磨き粉を買ったように思う。またか、と思っている人は、そんなような当たり前のような顔だった。

 

次はそれから数日した時、今度は8時20分頃に着き、シャッターを見た。張り紙があって、「マスクは今日はありません」と、車の中からも見えた。すぐに踵を返したが、やって来た人とすれ違った。それ以外の人はいなかった。それから並んだ人はいるかも知れなかったけれど、30分も早くこうして知らせてくれるのは有り難かった。

 

もう1度、同じ様にして来た事があったが、その前と同じ時間に、同じ張り紙を見た。私も、ガッカリもせず、当たり前のような顔をしていた。それから、日数は過ぎて行ったが、マスクの為に店に行ってみる事はなかった。

 

私はどうしたか。娘に少し分けた残りの三次元マスクを1枚、丁寧に使った。勿体ないので、石鹸を付けて洗って、ドアのノブに引っ掛け、乾かした。次の日にはすっかり乾いていた。そのようにしてもう5回は使っている。少なくとも3週間は使っている。新しいのと比べると効力は落ちるだろうが、気持ちの問題だ。今まだこの1枚が捨て切れずに、ウオーキングの時のお供をしてくれている。

 

今日のお昼下がりにパソコンを弄っていた。ブログを観たりしていたのだが、そこに「スギ薬局」の事が書いてあり、ダメもとで行ってみたら時間は過ぎていたが、マスクが籠に並べられていて買った、とあった。こんな事をしてくれるのは、嬉しいとも。

 

私には、マスクの事が蘇った。すぐに車を走らせた。半信半疑と言う言葉を、久し振りに使う。有る筈もない事を想定して、なかったら焼き鳥を買いに方向転換をする事にしていた。

 

やっぱり何も書いてない。そうして何気なくレジの横を見ると、上下が青のマスクとピンクのマスクの袋入りがあった。青が1袋、赤が5袋残っていた。10袋ずつは並んでいなかったと思う。籠が小さいからだ。私は、青の1袋残っているマスクをしっかりと手に持った。1人1袋だったから、どちらがどうかも分からず、少ない方を取ったのだった。

 

間隔を開けてレジに対して並ぶようになっているが、それが余りにも離れているので、私は籠からすぐの隣りのレジから呼ばれ、さっさと会計を済ませた。遠くに並んでいるのは大きな男の子とその母親で、2人共マスクを握っていた。どこかで情報を得ていたのに違いなかった。

 

悪かったかなと思ったが、文句も言わずに並んでいたので、私は10枚入りの「3層フィルター構造 不織布マスク」を持って店を出た。販売時刻は誰にも知らせていないだろうこの店で、それでももう、すっかりなくなっているだろう。一瞬の出来事に、今ここにその袋があるのが不思議でたまらない。

 

「顔にフィットするノーズワイヤ」とか「耳が痛くならないソフトゴム」なんて印刷されているが、そんな事はこの際どうでもいい。孫達の前で作ってみせた、靴下で作るマスク。4か所鋏で切れば出来上がり。古い、運動用の白い靴下を使って作ってみた。孫が言った。

 

「おじいちゃん、外ではしないでね」

 

思わず笑ってしまった。

 

それから、悠々とスーパーマーケットに行って焼き鳥を買ったのは予定通りだった。

病院へ検査に行った事を凄い長文で書いた後、そのまま放置するのはどうあれ締まりがないと思う。誰が読む読まないは意識せずに、出来るだけ短く半日記として残そう。

 

午前中に病院に車を走らせた。いつもの自動ドアが開くと正面にコーナーが出来ていて、2、3人の職員が構えていた。すぐに体温を測られた。額に近付けてそれは一瞬だった。熱があれば引っ掛かる所である。

 

消毒液で手を洗うように促され、受付から待合室に進んだ。ここはそこそこの人が、並んだベンチの端と端に座っていた。マスクは誰もが当たり前のように付けて。

 

呼ばれるのに長く掛かるかなと覚悟を決めていたが、予約の強みで待ったと言う程待たなかったように思う。

 

内視鏡の検査をしてくれていた医師が、結果をPCの画面を見乍ら説明を始めた。

 

「大腸の方ですが、3つ取りました。これが一番気になっていましたが、全部良性でした」

 

と言った。つまり、癌にはなっていなかった事を話した。この次は3年したら来るようにとのお達しがあった。

 

「胃の中にはピロリ菌がいるので退治しますか」

 

何だか、ピロリ菌を残してもいいような話し方だった。その言葉につられて、

 

「ちょっとは居た方がいいのではないでしょうか」

 

と、また内視鏡を差し込まれるのは嫌なので、咄嗟にそう聞いた。

 

「とんでもない。全部やっつけないと駄目ですよ。薬でそれをします。1週間飲んで貰います」

 

ああそれならいいと、ほっとした。

 

「1週間飲んで、その後4週間過ぎてもう1度、ピロリ菌が除菌出来たかどうかの検査をします。これは袋に呼気を吹き込み、それで調べる方法です。それから1週間後に結果をお知らせします」

 

「そしたら、4週間後の検査と1週間後の検査結果を聞きに来る日を予約して置きたいですが」

 

と言い、日が決まり、お礼を述べて会計に向かった。

 

隣りの薬局で、初めての薬を貰った。「ボノサップパック400」で、朝夕飲む薬がパックになった仰々しいもので、「胃酸の分泌を抑える薬」と「抗菌薬」の三種類で、1回分で5粒飲むようになっていた。朝夕1回でも飛ばすと次から効かなくなる事が心配だ。この薬は、今まで飲んでいる薬の効き目を強くする効力があるそうなので、血圧が下がり過ぎたり、出血し易くなると言うのも心配の種だ。

 

パンフレットにあるどれかの異変があったら医師に相談する事が求められている。取りあえず、潜めていた息を強く吐いた。

私は自由。何書いても、誰も殆ど見てくれない。笑っちゃうけど、ブログってそんなもの。でも、深く付き合える人もいる。そんな人を大切にしたい。だって、人間だもの。一番孤独を嫌う人間だから。こうして、数人と交流出来る不思議が、人間だ。そして、泣きたい程嬉しい事だ。それしかないんじゃない? 人間の世界には。

 

腹筋運動をして、たった50回だけどスクワットをして、それからウオーキングだ。それの良い所は、周りの景色がはっきりと見える。有酸素運動もいいけど、私はジョギングしてる時期もあった。しかし、少しずつ衰える人間。2011年から始めたジョギングを、ウオーキングに切り替えた。

 

いい事? それは、歩きながら色んな事を考えられる事。3.5キロの道のりの帰りに、烏を見た。疑問が涌いた。どうして烏と言う漢字は鳥と違って1本線がないのかと。

 

鳥の横線は、象形文字では目を表すけれど、烏の横線がないのは、黒くて目が見えない所から来ている。象形文字、凄い! 何か疑問を持てば、調べるとすぐに解決する。

 

一瞬太陽を見る。眩しいから一瞬だ。表面の温度は6,000度だと、子供の頃から知っている。けれど、フレアが凡そ200万度だなんて事は、最近知った事だ。陶器の素焼きが700度位で、オカリナはこの位で焼く。けれど1,000度前後の高温で焼く事もある。それは音の響きが違うのである。それが言いたいのでも何でもないので、これはスルー(笑)。

 

昔って、いつ頃まで、この形で太陽を見ていただろう。満月位の大きさの太陽を。昔はこれが神だった。しかし、科学が進んで、太陽の大きさが途轍もない大きさだと分かった。地球が109個? 並ぶ大きさ。私が1粒の砂だったら、どの位の大きさだろうかと、ウオーキングは考えさせてくれる。太陽は地球が何個分か。調べてみると、約130万個分。現在1番大きい星は、おおいぬ座のVY星で、太陽の約60~90億個分と言われている。なんと言う、気の遠くなる宇宙の広さ。

 

帰って、炭酸焼酎を飲んでいると、「YOUは何しに日本へ」をやっていた。

 

外国人の女性が成田空港にいた。日本の男性に会いに。コニーと言う女性だった。55歳だろうか。知り合ったのが、彼(やすし)が26歳で、コニーは21歳だった。素敵な出会いだなあと思う。

 

1889年以来会っていない。忘れられないと言う。成田空港で、インタビューが為され、彼女は彼に5日間会っていたと言った。もう明日には帰ると言う。インタビュアーはエアポートホテルに行って話を聞いたり手紙を見たりした。彼から貰ったカセットテープもあった。「カスマプゲ」(胸が切ない)。

 

「また会いますか」

 

「分からないわ。時が経たないと」

 

そして言った。

 

「また、再会すると思う」

 

私は思った。絶対に会うと。やすしは独身だった。コニーは? 独身だった。素敵なラブストーリーだと思う。生きているうちに、この世界で起こる奇跡は、一歩先の分からない人間にとって素敵な事なのだ。そんな道が決められていたとしても、人間には1秒先が分からない。

 

若田光一さんに憧れて、同じ学部の九州大学に行った外国人がいた。宇宙飛行士になりたいと、この大学に入った男。飛行士候補になれるのは、12,000人に8~10人だそうだ。なる人しかならない世界。宇宙飛行士が第1の職業の人はいない。皆凄い職業を持ちながら、この世界を目指す。

 

私は、アルコールの勢いで何が言いたかったか。人間の可能性と素晴らしさ。前向きに、思った事をやる素晴らしさ。仲良く出来る人間の出会いの素晴らしさだった。愛の素晴らしさ。それは微笑みから始まる人間の奇跡。素敵な人間の持っているもの。それは「愛」。持たない人のものは「哀」だと言う事を。言うには簡単な事だ。愛こそ全てだと・・。

 

コロナウイルスで反目する姿。怒る姿。自己中の姿。これが人間の本質だとしても、これが「哀」だとは。仲良く、海の様に融合する事は出来ないか。そうなれば、コロナなど目ではないだろう。

 

素敵な世界を、「YOUは何しに日本へ」で観るとはねえ・・。

読んで楽しいものではない。ただ、自分の為にだけ、記録しておきたいと思った。今回のような不安と恐れを感じないように。

 

久し振りのブログだが、それでも来て頂いた興味のない方々が早めにスルーされるように、記載事項だけはすぐに書いて置こう。

 

内視鏡的大腸ポリープ切除術を受ける日が今日(4月7日)だった。序でに胃内視鏡検査も一緒に受ける事になったので、タイトルが「ダブルヘッダー」。

 

3月30日に、大腸検査では有名なS病院に行った。気が付いた時は、以前ポリープを取って貰った時から5年が過ぎていた。その時は、今度2、3年したら来るように言われていた。いつ行ったかなど、しっかり覚えてもいず、記録さえしていなかった。実際はもう7、8年は経っていると思った時、恐怖が襲って来た。ポリープは放って置くと癌化すると言われていたからだ。だが、2、3年したらの言葉とか、もう少し育ててから来るようにとかの言葉が、私の脳内を暈していたのだ。

 

また、以前の時一緒になった貴婦人が言った言葉に、ある種の安堵感みたいなものが漂ってしまっていたのかも知れない。

 

「私は、もう10年位来ていませんわ」

 

内心驚いたが、そんなものかと刷り込まれてしまっていたのだ。

 

新型コロナウイルスの世界的広がりの中で、また3密(密閉、密集、密接)まで言われるようになり、今日緊急事態宣言が出されるようになった昨今、その始まりの辺りで大腸検査の事をはっきりと思い出したのだ。「もう7、8年経っている。10年過ぎていたらもうどうし様もない」と、自暴自棄の状態のなかで体中が強張った。でも、選択肢は、病院に行く事しかなかった。

 

3月30日は、マスクをしてS病院に行った。受付で恐る恐る聞いた。

 

「この前来たのは何年前だったでしょうか」

 

恐る恐るは確かだったが、一か八かの掛けのような一面もあるにはある。宣告を受けるようでもあり。

 

「5年前ですね」

 

「ああ、そうですか」

 

まだ5年しか経っていなかったのかと思うのが、本当の所だった。だから、本当は恐ろしい年月が過ぎて行っていたにも拘らず、思っていた年月よりも短くほっとして、力が1度に抜けて行ったと言うのがその時の気持ちだった。

 

 

4月7日(月)は、9時からの予約だった。案内のパンフレットは詳しく書かれ過ぎていて、5年前にやった同じ事が思い出せなかった。ぺっとボトルに入った水は3本持参した。大腸内視鏡検査を受ける人達は、少しずつ集まって来る。年齢の幅は広い。

 

モビプレップが2リットル入った袋と紙コップが手渡された。待合室のテーブルの上でこれから始まる事をやろうとしている人もいれば私のように部屋に2つあるブースの1つに導かれ、これからやる事を開始した。今回は誰かと話す事もなかったが、隣の衝立だけのブースには、背中だけが見えたり見えなかったりする、黒い服を着た女性がいた。

 

モビプレップをコップに入れて、1杯あたり10~15分かけて飲むのだ。最初の1杯目で白い錠剤(モサプリド)も飲む。腸の働きが良くなる薬だ。今回は何故か10分かけて1杯を飲めばよかった。

 

1リットル飲むのに約1時間掛かる事になる。このブースにある部屋にトイレが4つある。ブースの隣りがどんな人か気になってちょっと体を反らして右を向いたが、その女性も同じく私の方を向いた。どちらも一瞬驚いた。気恥ずかしくなって、それからは1度も見る事はなかった。トイレに行き出すようになる前までは。

 

1時間経っても催しなかった。心配になったが、この前もそんなだった事を思い出していた。

 

「中々催しませんね」

 

貴婦人も、もう恥じらいを捨てて笑いながら言った。

 

「ええ」

 

と。

 

1リットル飲むとまた、今度は水で錠剤を飲み、その500mlの水を30分程度でゆっくり飲むように指示してあった。それから、後1リットル残っているモビプレップを500cc、30分掛けて飲む。

 

その辺りで、トイレに行く人がぼちぼち出て来て、私も催して来た。入って、鍵をかけ、流して、出る。手を洗う。座る。また飲み始める。と言うルーティーンとなる。待つ事はなかった。自然と、かち合わないような流れが出来た。

 

隣りの女性の顔も、手を洗ってこちらに来る時に見える。見えない時には気になるが、見えた途端、まったく気にならなくなった。こんな所で気になっても、どうしようもないのだ。

 

色が1から5段階あり、水分だけになった時の色が略透明な水のようになったら5段階目で、服用終了となる。

 

この500ccを飲み終わると今度は水を250cc15分掛けて飲む。そこまでに私は7、8回トイレに通った。誰が入ったとかそんな事全く気にならない。早く入り込まないと、その漏れ方は尋常ではない。モビプレップも最初は白ワインの味を感じ乍ら飲んでいたが、もう飲みたくなくなっていた。何故って? 1.5リットル飲んで、水まで750cc飲んでも酔わないんだから。一升瓶以上飲んでいるのになあ。

 

5段階になったと思ったら、トイレの内側の呼び出しボタンを押して看護師さんを呼ぶ。そこでOKかNGの言葉を貰う。言ったり来たりする人の往来も段々少なくなって行ったが、まだまだの人もいるし、通う回数が半端ない人もいた。いつしか隣りの女性が消えた。その後、私は消えないが、外に出て名前を呼ばれるのを待った。ブースは、程よい暖房が効いていたとその時思った。

 

看護師は皆優しくて、説明も気持ち良く聞けた。胃の内視鏡検査の事が気になっていた。何時に何処でするのだろうと。しきりに看護師が胃の検査の事について話しかけて来る。腑に落ちない。私も、手術の服に着換えた。寝台に横になった。マウスピースがどうのこうのと言っている。

 

「それでは、今から胃の中を観て行きます」

 

優しそうなH先生が言った。

 

「胃の検査はした事がありますか」

 

「いいえ、初めてです」

 

喉にスプレーを掛けた。痺れて来たので、麻酔だなと思った。睡眠剤の投与は、私は止めにした。モニターが観られなくなるからだ。

 

「唾液はそとに吐き出して下さい。飲み込まないようにして下さい」

 

看護師が言った。

 

「内視鏡が喉を通る時が一番苦しいです」

 

とH先生は言った。

 

30日の日の相談した医師が実は胃の検査を勧めたが、その時は、

 

「胃の検査は、大腸検査より楽だと他の人は言いますよ」

 

と言われて少し安心していた。

 

「おえっ」

 

「ここが1番苦しいので、我慢して下さい」

 

抉れるような吐きそうな瞬間だった。それからげっぷのような声が、何度も漏れた。

 

医師の言葉を聞いていると、すぐに治まった。それでも、そんなにいい気持ちはしない。

 

「はい、楽にしましょう。大きく息を吸って。癌は心配しなくていいですよ。以前、ピロリ菌が悪さをした跡がありますね」

 

話を聞き、モニターを観ている間に終わった。最初3分位だと言われていたが、

 

「嫌な思いしましたね。3分より長くなりました」

 

と医師は言った。それから続けざまに看護師が、

 

「今度は大腸の内視鏡検査をします」

 

と言って、寝台を上下反対にした。再びH先生がやって来た。

 

「痛いですか。お腹が張っていませんか。今、腸の中を曲がっています。痛くないですか。痛くて済みません」

 

私が観て貰っているのに済みませんなんて言われると「痛い」なんてとても言えない。麻酔もしないでやって貰っているので、それはそれは気持ちも悪ければ、痛い時は痛い。だが、私は辛抱しなければと思った。

 

「そんなに痛くないですよ。大丈夫です。うっ」

 

「ここが大腸の一番奥です。ここに大きいのがありますね」

 

「癌ですか」

 

「どっちとも言えませんが、これは電流を通して切除しましょう」

 

画面には、ものすごく大きなポリープが写っている。

 

「1センチ以上になると危ないです」

 

それからもう1度奥を確認してから、内視鏡を少しずつ引き出して行った。

 

「ここにもありますね」

 

「よく見つかりますね」

 

「沢山観ていると、すぐ分かるようになります」

 

「これはどのくらいの大きさですか」

 

「これは5ミリ位です」

 

それでも画面では大きく見える。看護師さんに輪っかを広げるように指示して、適当な所を縛り、焼き切る。

 

「はい、取れました」

 

てな調子で、幾つかが取られて行った。

 

「痛かったですね」

 

「いえいえ、とんでもありません。ありがとうございました」

 

そうして、終わった。9時から2時半頃まで掛かった。1度に2つの検査で、しかも内視鏡検査と切除は初めての事である。胃の検査と大腸の検査。同時に行った事で腑に落ちたのである。

 

結果は2週間後だ。予約を取って、会計を済ませ、外に出た。

 

皆、どうしてこうも優しくなれるのだろう。医師も、看護師も、スタッフも、皆優しかった。それは、経験と自信がそうさせるのだろうか。ひょっとして、自らの滲み出る誇りなのかも知れないとも思った。

 

そらの色は雲もなく青く。ただ、コロナウイルスが、ここにもちらほらといるのではないかと思ったりした。1年前との余りにも替わってしまった世界的なコロナ事情。こんな日に、7都府県(東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡)に緊急事態宣言が出された。4月7日から5月6日までと言う。考え方や生活事情の違う人達の数多いる中で、世界の、日本の、兵庫のコロナ事情はどう動いて行くのだろうか。

 

 

絶食をしていたお腹に色々詰め込んだら、夜になって今頃お腹が調整されているのだろうが、グルグルグーと、音を鳴らし始めた。思わず焼酎に手が向かいそうになる。ポリープ切除の後、合併症の予防の為に1週間飲まないようにと言われた。

 

1日も早いコロナウイルスの終息を、皆で力を合わせて願おう。祈ろう。助け合おう。だが、1人ひとりを思うと、誰にも分らぬ先行きに、心が痛い。

2020年2月22日2時には、西宮の芸文センターへの通路の途中のイタリアン系の店にいた。このぞろ目には吃驚だが、3時から開演のワンコイン・コンサートを聴く前だった。

 

マルゲリータが食べたかった。フリードリンクで、コーラやオレンジジュースやエスプレッソやカフェオーレを飲みながら、マルゲリータを口にした。手で抓んで食べると美味しい。マルゲリータとマルガリータはちょっとした発音の違いがあるが、内容はかなり異なる。間違えないようにしないとなあと思った。

 

ワンコイン・コンサートがワイン・コンサートに読めて仕方がないが、何を聴いたかだけ記して、今日の日記としたい。

 

橋本桂子さんの筝の演奏で、宮田晴奈さんのヴァイオリンが加わった。和洋のコラボであるが、この2人は大阪音大の同級生だそうだ。筝は和装の艶やかさが目立った。ヴァイオリンはドレスだが、片方は狭いながら鮮やかな模様が縦に流れていた。

 

プログラムを載せると、その流れから筝だけでは殆どやらない曲もある。そこが魅力でもあったが、1時間で終わったのは如何にも短かった。しかし、ワンコインなら有り難い演奏ではある。

 

八橋検校:六段の調べ ♦

 

J.Sバッハ:フーガ ト短調「小フーガ」BWV578 ♦♥

 

宮城道雄:春の海 ♦♥

 

       瀬音 ♦♥

 

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集op.8-1 《四季より》「春」ホ短調 Ⅰ.アレグロ ♦♥

 

モンティ:チャールダーシュ ♦♥

 

三木稔:筝譚氏詩集第一集「冬」より

 

      Ⅳ.人形の子守唄 ♦

      Ⅴ.やがて春が ♦

 

宮城道雄:「手事」より

 

      Ⅲ.輪舌 ♦

 

感動よりも先ず、その余り聴かないコラボに驚かされていた。素晴らしかった事は間違いない。正にブラボーと言うに値していたと思う。

 

盛んに、CDのお願いをしていた。買う事はしなかったが、録音ならではの工夫をして収めてあると言ったのが印象に残った。大ホールが満員に近いのは、こ橋本桂子さんを知るファンが聴衆であっただろう事や、筝やワンコインへの興味があったからなどの事情が考えられる。

 

そんな事、分析したって何の効用もない。良かったと言う事以外に、心は何の判断もしなかった。午前中は雨で、しかも暑く感じていたのに、ちょっと1杯飲んで店から出ると、途端に寒さが感じられた。

 

楽器を演奏する人は数多いる中で、こうして集客して生業にする人は随分少ないだろうと思う。そう出来る要素がなければならず、音の洗練された美しさと何よりも感動させるものがなければならないだろうと、ちょっと思ってみる。