今年11月15日(日)に予定されていた、

 

気紛れ集団 「YOSOMI好きなヤツ」コンンサート

 

を、中止する事に致しました。

 

各地から出演して下さる方、また聴きに来て下さる方には、楽しみにして下さっていた事を思うと残念な気がします。特に1つの部屋で行われる音楽の事ですから、もしもの事態にならないとは限りません。どうか、遠い話ではありますが、17か月先にまたお会い出来るのを、首を長くして(戻らなかったらどうしよう)お待ちしております。

 

 

 

全く別の話ですが、2012年5月21日は皆既日食(金環日食)がありました。今日(21日)は部分日食があります。午後4時から6時の間だそうです。次の部分日食は3年先のようです。観たとか観なかったとかは全く関係のない事ですが、興味のある方で「日食グラス」(真っ黒に加工したフィルム状のものやガラス状のもの等)をお持ちの方は、直接太陽を見る事なく、ご覧ください。太陽が見えればいいのですが。

 

 

ピロリ菌の結果を聞きに、病院に行った。程なく順番が回って来て、主治医の話を聞く事に。1次除菌は成功しなかった。流石に心の中はショックだった。

 

結果値が残留ピロリ菌の割合を占めるのは分かるが、基準値が2.5以下であれば成功だったのだ。私の結果は9.4。まだ残っているなと言う事だけは分かる。完全にゼロでなくても、基準値以下が成否を決定する。

 

「残ったピロリ菌には耐性が出来ています。抗生物質などに慣れて来たからでしょう。それで、2次除菌をしなければなりません」

 

「2次除菌で、成功するでしょうか」

 

ショックを隠しながら聞いた。

 

「成功率は9割位です」

 

「そうですか。それで駄目だったらどうなるんでしょうか」

 

「3次除菌も考えられますがそれはしません。その場合はまた胃カメラを飲んで貰う事になります」

 

9割は成功だが、1割に入る事がなくもない。皆、自分は10人の内の9人になると思っている。しかし、1割には入りたくないのは当然だ。

 

また7日間、朝夕薬を飲まなければならない。5個の薬の中で4個は同じ錠剤。もう1個だけが違う。この前は、「ボノサップパック400」を真面目にトライした。今度は、「ボノピオンパック」を朝夕1週間飲まなければならないのだ。今度は成功したい。

 

薬局で薬を貰った。薬剤師はこう言った。

 

「今度の薬の1つは、飲むと酔ったようにふらふらする事もあります。それで、お酒は飲まないようにして下さいね」

 

「えっ? 7日間もですか」

 

「そうです」

 

薬剤師は、優しい顔をこちらに向け、素敵な声でそう言った。その途端、私は観念した。1個だけ違う薬を交換した5個の錠剤を、明日から飲む事にした。11日から17日まで。とても覚えやすい1週間だ。

 

酒をん先ずには居られない依存症でもないし、寧ろちょっと飲めば気分も良くなるタイプの人間で、しかもちょっとしか飲めない。だから、1週間位飲まなくても平気なのだ。それで、さっき焼酎をコップ1杯、薄めて飲んだ。

 

今度検査に行く時は7月の下旬になる。何と気の長い話だろう。コロナもどうなるだろう。これは世界的な大問題だ。私の中のヘリコバクター・ピロリは、3密を回避しなくても、確実に薬の世話になれば、どちらかの結果が分かる。熱も出ない。比べるべきものでもない。ピロリ菌は私だけの問題だし、コロナウイルスは、世界中を巻き込んでいる。

 

思わぬ所で、我々は日々、切なさと闘っている。

思わせ振りなタイトルにすると、覗いて見ようと思う人がいたら手間を取らせるので、迷惑掛けたら罪だと思って、スルー出来るようにしました。時は初夏。日は朝(あした)。短いブログと致します。

 

 

初めての胃カメラ検査で、ヘリコバクター・ピロリが私の胃の中にいる事が確認された。4月の下旬1週間、朝夕薬を飲み続け、4週間以上空けた今日(6月3日)、窒素呼気試験を受けに病院へ行った。

 

昨夜は晩酌など考えずに、幾分早く床に入った。しかしラジオに手は伸び、結局はNHKラジオ深夜便を聴いてしまった。その内眠るだろうと思いながら・・。夢うつつの中でも、3時過ぎてからの「日本の歌心の歌」で五木ひろしの「千曲川」が流れた。今はもう見られぬ顔や腹になっているが、まだちょっとはマシだった頃、「千曲川」は私の番が来たら、いや来なくても、必ず歌ったものだった。その顔で。

 

おっと、逸れて長くなる所だった。食べるのは元より、水も飲んではいけなかったが、うっかり食べたくなってしまう。無意識を意識化させねばならず、習慣は恐ろしいものだと思う。

 

来院時間午前8時50分。検査時間午前9時00分。早く着きそうだったが、中央受付で受付して貰って、検査の受付へと向かった。すぐに私の名前が呼ばれ、ベッドに座ったまま、息を吸い5~10秒息を止め、そこから袋にその息を溜めた。

 

ユービットと言う錠剤を、紙コップの水全部で飲むよう指示された。その後、左を下にして、5分だけ横になるように言われた。ベッド周囲のカーテンが閉められた。まさか、内視鏡? そんな事はない。重々しいベッドでも部屋でもなかったし、説明書には「胃カメラを飲まずに呼気(吐いた息)を採取するだけで、除菌ができたかどうかを判定できるものです」とあった筈だからである。カーテンを全面閉めると言う行為は、確認していた事までがぼやける程の疑念を抱かせるものなのか。

 

私の横たわっている姿が、人に見られて悪い筈はないし、恥ずかしいとも思わない。カーテンなどしないでそのままだったら、5分間、逡巡する事もなかったろうに。そりゃあ、外に居る人が私のそんな姿を見るのが嫌なのかも知れないという配慮だったとも言えない事はないが、それはないだろう。一応私が主役だから。

 

5分経つと、テーブルのある部屋に移されて、15分間座っているように言われた。うろうろすると、飲んだものが腸の方へ速く回ってしまうと言う理由だった。神妙に15分が過ぎるのを待った。

 

再び呼気を袋に溜め、看護師さんは「これで終わりです。今度予約した日に、先生から結果を聞いて下さい」と言った。約20分間は本当で、病院のイメージからは随分早く終わったと思う。毎年胃部検査はする方がいいと聞いていたが、胃カメラはもう嫌だ。色々調べてみるとこの尿素呼気試験でも(ヘリコバクター)ピロリ菌があるかないかは分かる。これなら1年に何度やってもいい。

 

6キロくらいしか離れていない病院ではあるが、家を出てから帰るまで1時間半も掛からなかったと言うのには気が抜ける位だった。

 

朝食は食べていないが、今はおやつの時間みたいなものだ。ここで食べて昼食を食べたら、最悪な状態になる。朝食の代わりに食べるのなら、昼食は摂らない。昼食を抜く積もりなら朝食の代わりを食べる。書きながら、1人で笑った。既に1食は食べている。ト-ストにマーガリンを塗り、「MEIDI‐YA つぶつぶブルーベリージャム」をたっぷり乗せて、それは正におやつではなかったか。

 

もうすぐ昼である。食べるか食べないか。これは、私の名誉の為に、誰が聞いても事実だけは告げないようにしようと思っている。「ごはんだよ」。小学校は休みで、ここにきている孫の声が聞こえた。

ウオーキングの車道側は、シャリンバイのベッドが連なっている。白い花盛りの長いブロックを過ぎると、まだ花を見ないブロックがある。葉の色に元気のないブロックもある。日当たりや土の違いも関係があるのかも知れない。

 

 

4月16日から更新は休止されている。どうなるのかと心配していたが、兵庫県の緊急事態宣言が解除されたので、5月25日(月)に警察本部西にある別館、神戸更新センターに出向いた。バスも地下鉄もそこそこの人が乗っている。マスクが板について来たこの頃は、日常が逆転したように見えた。

 

10時からの受付より10分過ぎていたが、早く新しい運転免許証を貰って、一件落着としたかった。「高齢者講習修了証明書」が必須だが、認知機能検査や高齢者講習の1月、2月の日々が思い返された。

 

①更新に必要な書類を出す ②更新申請書を作成 ③更新手数料の支払い ④視力検査を受ける ⑤専用窓口で登録受付 ⑥写真撮影 ⑦(講習受講) ⑧新しい免許証を受け取る

 

このような番号の前で、其々の用を済ませた。私には、⑦は関係がなかった。視力検査が心配だったが、輪っかが切れている方向を3つ答えるだけだった。あまりに呆気なく、立つのに若干時間がかかった。

 

写真撮影は、よく写ろうとして顔の角度を考えて顎を引いたり、姿勢をよくしたりして見たが、免許証の写真が今迄で良かった例がなかった。新しい免許証を受け取るまで少し待ったが、全て20分掛かっただけだった。

 

3年は短いと思いながら外に出たが、何となく浮き浮きした気分になった。免許証を手にした安堵感と、緊急事態宣言が解除された開放感からだったかも知れない。けれど、3密は守らなければならない、マスクは外せない、それに手洗いをしなければならない事が解除された訳ではなかった。先々の不安が残る。

 

27日(水)は午後も何とはなしにテレビを観ていた。何気なBSにチャンネルを替えると、「ライムライト」の英語文字が目に入った。午後1時丁度だったが、これはチャプリンの映画だった。今までチャプリンの無声映画は飛び飛びに見た事はあったが、最後までは観なかった。それも、お決まりの姿と顔だと思っていたから。

 

でも、折角だから最後まで観ようと思った。カルベロ(チャプリン)とテリー(クレアブルーム)との愛の話だが、あらすじはPCで読んで頂けたらと思う。これは1952年のアメリカ合衆国の制作で、チャプリンが原作、脚本、制作、監督、音楽、主演の6役を担当している。

 

映画で音声が聴けるのが驚きだった。喜劇王としてのチャプリンではなく、実際の顔も十分に見る事が出来た。

 

若い女性と年寄りの年齢差は十分に感じられる。そんな中で繰り広げられる愛の感じ方考え方の違いが滲み出て、喜劇では終わらない切ない哀しさが溢れていた。

 

「献身は美しいが、愛ではない」と言うフレーズが考えさせられたり、無声とは違い言葉が全てをリードし彩った映画だった。

 

カルベロを愛した若いテリーに彼は言う。

 

「私は年寄りだ。修道士のように世を捨てるのか」

 

「別れるなら死ぬわ」

 

言葉がとても真摯なのに驚くが、幾つか載せてみたい。

 

「みんなに親切にされると孤独に感じる」

 

「心臓と心。何と言う謎だろう」

 

「私は雑草だ。刈られてもまた生える。正真正銘だ」

 

最後のバスターキートンとチャプリンの掛け合いこそ無声映画のような姿だったが、それは愛とかは関係なく楽しめた。2つのチャプリンを見る事が出来て、私はこの137分間に感謝する。更に、美しい「ライムライト」の曲が流れていたのは感動的だった。

 

テレーズを演じたクレアブルームはバレーがとても上手かったが、生まれた年が1931年で、1952年に制作されたなら、当時21歳だった事になる。とても綺麗な女性だった。

 

カルベロを演じたチャプリンはヴァイオリンとピアノは実際にも上手かったのではないかと思う指使いだったが、彼は1889年生れだ。クレアブルームとは42歳違うから、この映画が制作された時は63歳になっていただろう。そうなると、「私は年寄りだ」と言ったのは言葉通りだ。

 

彼女は調べてみると今も生存しているが、もう89歳になっている。そんな事は此処では言う必要もない事だろうが、映画と現実での歳がどちらでも同じように感じられるのが誠実さを思わせる。愛する事に歳の差はない。この年寄りと孫ほど歳のかけ離れた2人。カルベロとテリーの恋は、チャプリンとクレアブルームの恋ではなかったかと想像している。

 

もう1つ良かったのは、実際の声が聞けた事。そして、英語が字幕もある所為か、シンプルで、少しは分かった所もあって楽しめた。英語の教材にもいいと思えた。今度機会があったら、英語だけ、しっかりと聴いてみたい。

 

 

歩道の両隅には、オオイヌノフグリもタンポポの綿毛さえもない。橙色のポピーが咲いていたり、コバンソウがやたらにシャリンバイの間から背丈を競っているかのようにザクザク音が聴こえるかのように急に目に付き始めている。ツツジの花は何処にも見られない。

 

まるでサヤエンドウを小さくしたような緑色のカラスノエンドウが、いつしか膨らんで、今はもう真っ黒な硬い鞘になっている。燕は凄い速さで虫取りに追われ、鶯はまだ時には鳴いており、朝から煩い位に鳴きっ放しだった鳥の声が、殆ど聴かれなくなっている。あれはシジュウカラだったのだろうか。それにしても、姿を1度も見ていなかった。

ははっ、真実年金暮らしの私が、こんなタイトルを書く事さえ、夢のまた夢だ。

 

私の仲間に、私の自作のオカリナを気に入ってくれた友がいる。こんな事、書く必要も何もない。仲間と言っても、私がオカリナを演奏していなかったら、ここまで親しくはなっていなかっただろう。

 

私の、オリジナルのオカリナCDの2、3曲を聴いて、すぐに電話があった。同期として退職した人物だ。もっと親しい仲間はいるが、彼が電話して来るなんて、初めての事だった。

 

「感動した。誰でも知っている曲ではなく、オリジナルの曲でここまで演奏するなんて、あと聴くのが勿体なくて電話した」

 

はっきり言って、大したCDでも何でもない。タイトルは「望郷」と名付けている。一発勝負で演奏するのは、かなり緊張する。時間が勝負だったからだ。エンジニアとの約束時間は2時間だった。12曲録音出来たら、それでCDの制作となる。今では欠陥が耳に付くが、制限があるから仕方がなかった。その前に、実力がないのが問題ではあった。

 

彼は、そんな私を驚いてくれたのだ。私が、オカリナを演奏するなんて思ってもいなかったからだろう。彼は、年金暮らしの私の比ではない。誘われて、彼のオーディオルームに1度だけ行った。彼はオーディオマニアで、年に何度か彼の仲間とCDを聴く会を持っている位だ。

 

壁面のCDの数には驚いた。彼が手掛けたオーディオの費用は凡そ3,500万円だ。私の自慢出来るラジカセは、15,000円位だ。彼は、私のCDをこのオーディオで聴いても、何の歪みもないと言った。エンジニアは私に言っていた。NHKで流されても、音響は通用する、と。それが、ここで実証された。私の実力ではなく、音の再現がである。防音の部屋で、私は思いがけない私を聴いた。

 

退職以来、10数人の同期の仲間は年に3度は会って来た。その帰りに、彼は私に近付いた。

 

「オリジナルが良い。早く次のCDを出して欲しい。幾ら位で出来るの」

 

と。

 

「お金は有り余るほどあるから、僕が出すから」

 

と言った。そして、その日だけではなく、何度彼は会う度にそんな事を言ったか。私は、言った。

 

「30万円あったら出来ると思うけど」

 

「いつでも言って。そんなもんでいいの?」

 

私は、彼の気持ちは嬉しかったが、「では、作るから30万頂戴」なんて言える訳がない。まだ、更に12曲入りのCDは作れるが、また自分で作るだろう。彼が仲間でなかったら、スポンサーと見做して出して貰ったかも知れない。けれど、売れる筈もないCDに、スポンサーなんている筈もない。私は、プロではないし、自分で作るのが当たり前だろう。

 

下らない前置きがまた長くなった。

 

メルローはご存知だろうか。フランスのブルゴーニュで作られるワイン。タイトルの「シャトー・ル・パン」は、1.9ヘクタールの小さな農園で作られる上質のワインだ。これは、流通価格で大体1本30万円だ。年間7,000本しか出来ないと言う。年金暮らしの私が、無関係な超高価なワインの話をするのも、自分でも疑問がある。無理にくっ付けるなら、このワイン1本と、CD制作の値段が一緒だと言う、それだけの事だ。

 

さてさて、これからが私が書きたい事である。22日の夕方から1日2回飲むピロリ菌退治の薬の服用が、今日29日の朝で終わった。1週間の服役。

 

ボブサップじゃなくてボノサップパック400。長かった。朝飲んだ時は、感動すらあった。1週間守るのは、そんなに楽ではない。1回抜けたら、ピロリ菌に効かなくなるのだから、飲んだかどうかに緊張もした。

 

何が嬉しいかって、飲酒が解禁となる。昨日(28日)スーパーで選びに選んで買った葡萄酒が、メルローだった。安いと言えば「シャトー・ル・パン」の300分の1の値段である。3桁の値段だ。それでもワクワクした。明日は飲める、と。

 

今、750mlのボトルが、半分になっている。また注ぐ。少し前に夕陽に照らして見た。そのワイングラスに透けた透明の深紅。 美しい。 美味い。 このまま飲めば、1本は開いてしまう。でも、1週間断って来た結果の芳醇な至福の時。 美しい。 美味い。

 

まだ検査があるが、1ケ月後だ。それから1週間後に裁断が下される。

 

それより、フランスブルゴーニュのワインがここにある。「シャトー・ル・パン」の、幾ら安くてもひ孫のようなワイン。十分。これで十分だ。自分の丈に合わせて満足する事が、幸せの極意である。

 

私が今、万一可能と言うことさえも絶対にないが、今飲んでいる3桁のワインと、6ケタのワインをほんの少しでも、比べて飲めたら、と言うアホな希望を持つ自分が可笑しい。

 

4月は明日で終わる。今日の丑三つ時、ラジオ深夜便を聴いた。ポルトガルのパド、「ポルトガルの4月」と言う曲を。何故か懐かしく、楽譜があればオカリナで吹きたい。パドの切ない音を、オカリナで奏でられるように。

 

1週間も断酒した私を褒めてあげたい。