ウオーキングの車道側は、シャリンバイのベッドが連なっている。白い花盛りの長いブロックを過ぎると、まだ花を見ないブロックがある。葉の色に元気のないブロックもある。日当たりや土の違いも関係があるのかも知れない。
4月16日から更新は休止されている。どうなるのかと心配していたが、兵庫県の緊急事態宣言が解除されたので、5月25日(月)に警察本部西にある別館、神戸更新センターに出向いた。バスも地下鉄もそこそこの人が乗っている。マスクが板について来たこの頃は、日常が逆転したように見えた。
10時からの受付より10分過ぎていたが、早く新しい運転免許証を貰って、一件落着としたかった。「高齢者講習修了証明書」が必須だが、認知機能検査や高齢者講習の1月、2月の日々が思い返された。
①更新に必要な書類を出す ②更新申請書を作成 ③更新手数料の支払い ④視力検査を受ける ⑤専用窓口で登録受付 ⑥写真撮影 ⑦(講習受講) ⑧新しい免許証を受け取る
このような番号の前で、其々の用を済ませた。私には、⑦は関係がなかった。視力検査が心配だったが、輪っかが切れている方向を3つ答えるだけだった。あまりに呆気なく、立つのに若干時間がかかった。
写真撮影は、よく写ろうとして顔の角度を考えて顎を引いたり、姿勢をよくしたりして見たが、免許証の写真が今迄で良かった例がなかった。新しい免許証を受け取るまで少し待ったが、全て20分掛かっただけだった。
3年は短いと思いながら外に出たが、何となく浮き浮きした気分になった。免許証を手にした安堵感と、緊急事態宣言が解除された開放感からだったかも知れない。けれど、3密は守らなければならない、マスクは外せない、それに手洗いをしなければならない事が解除された訳ではなかった。先々の不安が残る。
27日(水)は午後も何とはなしにテレビを観ていた。何気なBSにチャンネルを替えると、「ライムライト」の英語文字が目に入った。午後1時丁度だったが、これはチャプリンの映画だった。今までチャプリンの無声映画は飛び飛びに見た事はあったが、最後までは観なかった。それも、お決まりの姿と顔だと思っていたから。
でも、折角だから最後まで観ようと思った。カルベロ(チャプリン)とテリー(クレアブルーム)との愛の話だが、あらすじはPCで読んで頂けたらと思う。これは1952年のアメリカ合衆国の制作で、チャプリンが原作、脚本、制作、監督、音楽、主演の6役を担当している。
映画で音声が聴けるのが驚きだった。喜劇王としてのチャプリンではなく、実際の顔も十分に見る事が出来た。
若い女性と年寄りの年齢差は十分に感じられる。そんな中で繰り広げられる愛の感じ方考え方の違いが滲み出て、喜劇では終わらない切ない哀しさが溢れていた。
「献身は美しいが、愛ではない」と言うフレーズが考えさせられたり、無声とは違い言葉が全てをリードし彩った映画だった。
カルベロを愛した若いテリーに彼は言う。
「私は年寄りだ。修道士のように世を捨てるのか」
「別れるなら死ぬわ」
言葉がとても真摯なのに驚くが、幾つか載せてみたい。
「みんなに親切にされると孤独に感じる」
「心臓と心。何と言う謎だろう」
「私は雑草だ。刈られてもまた生える。正真正銘だ」
最後のバスターキートンとチャプリンの掛け合いこそ無声映画のような姿だったが、それは愛とかは関係なく楽しめた。2つのチャプリンを見る事が出来て、私はこの137分間に感謝する。更に、美しい「ライムライト」の曲が流れていたのは感動的だった。
テレーズを演じたクレアブルームはバレーがとても上手かったが、生まれた年が1931年で、1952年に制作されたなら、当時21歳だった事になる。とても綺麗な女性だった。
カルベロを演じたチャプリンはヴァイオリンとピアノは実際にも上手かったのではないかと思う指使いだったが、彼は1889年生れだ。クレアブルームとは42歳違うから、この映画が制作された時は63歳になっていただろう。そうなると、「私は年寄りだ」と言ったのは言葉通りだ。
彼女は調べてみると今も生存しているが、もう89歳になっている。そんな事は此処では言う必要もない事だろうが、映画と現実での歳がどちらでも同じように感じられるのが誠実さを思わせる。愛する事に歳の差はない。この年寄りと孫ほど歳のかけ離れた2人。カルベロとテリーの恋は、チャプリンとクレアブルームの恋ではなかったかと想像している。
もう1つ良かったのは、実際の声が聞けた事。そして、英語が字幕もある所為か、シンプルで、少しは分かった所もあって楽しめた。英語の教材にもいいと思えた。今度機会があったら、英語だけ、しっかりと聴いてみたい。
歩道の両隅には、オオイヌノフグリもタンポポの綿毛さえもない。橙色のポピーが咲いていたり、コバンソウがやたらにシャリンバイの間から背丈を競っているかのようにザクザク音が聴こえるかのように急に目に付き始めている。ツツジの花は何処にも見られない。
まるでサヤエンドウを小さくしたような緑色のカラスノエンドウが、いつしか膨らんで、今はもう真っ黒な硬い鞘になっている。燕は凄い速さで虫取りに追われ、鶯はまだ時には鳴いており、朝から煩い位に鳴きっ放しだった鳥の声が、殆ど聴かれなくなっている。あれはシジュウカラだったのだろうか。それにしても、姿を1度も見ていなかった。