26日の事である。

 

時には食べてみたくなるのが、私に取って缶詰がある。こんなに小さくて中味は大丈夫かと思える焼き鳥。鮪フレーク。それより倍位は大き。この日の晩酌は、私には考えられない程遅く、7時半過ぎとなっていた。

 

ずっと焼酎で、たまにビールがあったり、日本酒があったり、ワインがあったりする。最近メインの焼酎がウイスキーのソーダ割りに替わっていたが、不意にマッコリが飲みたくなった。炭酸のマッコリは好きではないのでジンロのマッコリを買った。乳酸菌が入っているので、キムチやヨーグルトを飲み始めている私には、それらが摂れなくても、マッコリで代用できると理由付けをした。

 

度数は6度位だから高くはなく、1合は入るグラスでぐいっと飲める。あては、先ず鮪フレーク。ああ、何度か食べたあの甘辛い味。美味いとは思っていなかったが、不味いものでもないけれど、味は忘れていた。兎に角、久々のマッコリが美味い。それから、焼き鳥。これは、時には食べたくなる味が脳裏に残っていて、少しずつ抓む。もっと大きい缶があるようだが、まだお目にかかった事がない。かき込んで口に入れたい欲望が目覚める。この缶では、欲求不満になりそうだ。

 

鯨焼肉の缶詰はきっと美味いと思うから、これは次に置いておこう。一度に3つも食べるなんて、先ず勿体ない。韓国海苔もある事だし、今日の所は止めておこう。と気持ち良く飲んでいると急に時間に気付いた。7時50分になっていた。ネオワイズ彗星が見られると、どれだけ心が踊っていた事だろう。ほろ酔いで、残りはそこに置いて外に出た。

 

雲の間に10秒ほど見えた、確かに彗星だと確信を持っていた何日か前のあれはいったい何だったのか。そう思えた理由は、伝えられている彗星の軌道から90度以上左側だった事だったからだ。あれが彗星だったとはもはや自信がない。あんなに明るく大きく見えたのに。嫌な疑問が残る。

 

それから、雨の日もこの時間になると雨だけは降らなかったが、全面雲に覆われたり星が1つしか見えない位雲が多かったりして、彗星を探すのは断念する事があった。8時前から9時までの間に見えると言うのも、なんだかなあ。

 

それで外に出ると星が沢山見えるではないか。だが、相変わらず大きな雲は、所々を覆っていた。これなら見えるかも知れない。そう思って、門の一番上の石段に立って見ていたが、右手に街燈がありそれが眩しくて、その辺りは空がはっきりは見えない。手を翳すと途端にそらの周りがよく見える。雲も多くてがっかりはするけれど。

 

家の中に戻って、新聞紙1日分を持って出た。いつか時間内に見えるだろうと思い、石段に新聞紙を敷いて座った。だが、木の葉が街灯を隠してくれず、眩い位だった。座って、手を翳して、情報で知ってはいる軌道と、この前見た90度左側とを首を動かしながら見た。前兆も全くない。8時は過ぎた。10分位だろうか。もう1度部屋に戻って携帯を持って出た。これで時間が分かる。

 

三日月が出ていたが、ここからは目の前にも家があり、月は見えなかった。これは好都合だ。

 

もっと広い方がいいと思い、門を出るとすぐ前の家の塀を背にして、今度は自分の家が見える方に向かって立った。左に見えるようになった街燈の光は増して眩く、両方の手を代わる代わる街灯を遮るように上げた。ずっと上げてはいられないが、時々上げると、その度に空は暗いなりにはっきりした。

 

言われている軌道の方と、この前彗星だと勝手に確信した方を、交互に眺め返していた。よく見える筈の北斗七星は見えない。ずっと立っていた。8時30分を過ぎた。もうここまで来たら9時まで立っている覚悟が定まった。

 

おっ?! と思ったが、それは飛行機だった。車が1台、私の前を通り過ぎた。その前に1度自分の家に戻っていた車だ。暫くしてだから、私に気付いていた筈だ。彗星の事を知らなければ、よその家の前に立って空を見つめている人間をおかしく思わない者はいない。そんな疑心から、私の前を通り過ぎたかも知れない。本当は、こんな姿、人に見せたい訳がない。毎日こんな事をしていたら、何と思われるか知れたものではない。けれど、何日か続くかも知れない私の未来像だ。流星群が近付いたり、惑星が地球に大接近したりするとまた見たくなるし。

 

45分になった。もう忍耐比べだった。後15分。後10分。その時私の突っ立っていた体がよろけた。自由が利かなくなっていた。固まったまますぐ後ろの溝に落ちるかと思った。ひっくり返って頭でも打つかも知れなかった。咄嗟に塀がある事を思い出し、体を捩って塀に手を当てた。辛うじて転ぶのを避ける事が出来た。これだけの時間で体が動かなくなるなんて、初めての体験だった。病院のベッドで動けなくなるだろう事と繋がった。後5分。後2分。9時が目の前だった。飛行機は、あれから3機見た。今はただ空しかった。でも、マッコリが待っていた。

 

いつか見られる日もあるだろう。そんな達観、嘘だと思った。それは、悔しさの裏返しでしかなかった。お前はそれでいいのか。これを見逃すと、5,000年以上経たないとみられないのだぞ。

 

27日は、近くのドラッグストアかスーパーマーケットに行って、そこから全天を見回して見てやろう。方位磁石も持って行こう。そう思った。

 

何で毎日悪天候が続くのだろう。そう思うのも、それは私の戯言にしか過ぎない。以下に今一度、自分にも興味のある人達にも分かり易く、可能な限りシンプルに整理してみたい。宇宙ショーはまだ終わっていないから。

 

〇 日没から9時までに見られる。時間的には、よく分からないが、兵庫の日の入りは今日(27日)は7時6分と言う。もう少し後から9時頃まで、にしておこうか。

〇 西の空。北斗七星(大熊座)を見付ける。柄杓の水を飲む方の少し下の方から見られる。

〇 月あかりが邪魔になるかも知れない。この彗星は5等星前後でやや暗く小さい。

〇 時間と見える場所(北斗七星)は大体同じで、ただ毎日5度ずつ上に見られるようになる。

〇 8月7日まで見られると言う。4日は満月。いつか晴れると信じている。

● 地球も彗星も自転しているから、時間が正確には分からない。他の情報では、彗星は段々光が薄くなり、7月末では5~6等星に落ちると言うから、私は7月の31日で、観察は終えようと思っている。8月以降は肉眼では見えなくなると予測しての話だ。7月29日30日31日に賭けるしかない。

● 位置や時間は○に挙げた事を信じるしかないが、他の情報の言葉を書いてみる。【7月31日は、午前8時前後に北東の地平線から現れて午後11時前後に北西の地平線へ沈む】

なので、日没後30分頃から9時までは、上の○に書いてあるように観察をすれば、明るい町中ではなく暗い場所で、5~6等星位で見えるのではないかと期待している。●は29日に追加。

〇 町明かりより暗い所の方がよく見えるのは当たり前だが、天文台で観測させて貰えたらなあ。

 

これ位の情報しかないけれど、何とか見られるのではないだろうか。

 

 

メダカの卵を手で抓んでは別の小さな容器に移していたが、26日に5mm位の稚魚が1匹孵っていた。ほんとに見え難いが、動きはいい。後沢山卵は溜まっているが、まだ2匹目が生まれて来ない。2日間はまだ体に養分が残っているので、3日目から細かい餌を耳かきより小さなもので掬って、与えようと思っている。

 

 

27日の今日、11時に胃部の尿素呼気試験の結果を聞きに行った。

 

内科の診察室に入ると担当医から、

 

「お久し振りです。成功しました」

 

との言葉を貰った。

 

「そうですか。よかった」

 

と、言った。

 

「0.5だから、殆どピロリ菌は死んでいます。胃がんのリスクは3分の1か又は2分の1になりました。でも、2年に1度は胃カメラを飲んで下さい」

 

と言われた。安堵したため、あの時の苦しみを忘れていた。まあいいか。2年後だし。そう言って、どちらの顔も笑みを浮かべて、その場を去った。1次では失敗でどうなるものかと思っていたが、2次除菌では成功した。3次があるとしたら、それは保険が効かない。

 

家に帰り、小さな容器を覗いて見たが、まだ他は孵っていなかった。今日条件が良かったら、ドラッグストアーかスーパーに行って、観察を続けようと思った。変な人と思われない為にも。いやいや、スーパーは10時まで開いている。お客さんに見つかったらまた変だと思われるかも知れない。場所は、人目を避けられる場所の方がいいのかもなあ。

やっと蝉も鳴き出し、普通に夏が来たようだった。でも、世界的パンデミックだと思ったら直にオーバーシュートで、まさかと思う人が命を失った。こんな事って、本当にあった事なのか。私の頭の中は、確実に混乱し始めた。これは夢を見ているのか、又は現実なのか。足が地に着かないとは、この事なのだろうか。

 

ウオーキングのコースはいつもの通りだが、つい最近まで鶯が鳴いていた。何十年も聞かなかったキリギリスの声も聞いたりして、少しずつ自然は変化しているのが分かる。まるでそれは世界中に新型コロナウイルスが広がっている事など知らないかのように。事実知らないだろう生き生きとした姿を見せていた合歓の木の花も、今では咲き誇った数と色合いを殆ど失っていた。

 

今日は業者が草刈りをしていた。時には竹の匂いがする事もあったが、この日は田舎の匂いを呼び覚まさせた。まるで、桑の葉の匂いがした。少しは違ったけれど、蚕を自分で飼っていた子供の頃が思い出された。真っ黒な卵から、真っ黒な小さなケゴが出て来た時は、流石に驚きと喜びを隠せなかった。繭を作り始めるまで、桑の葉を与え続けた。毎日のように仕事で歩いていた祖母が、その度に適量の桑の葉を貰って来てくれていたので、私は幼虫に与えるだけだった。

 

こんな日、7歳年下のかつての同僚から留守電があった。本当に長い間会っていなくて、私は毎年彼はどうしているだろうと思っていた矢先だった。数日前、ウオーキングをしながら彼の事を考えていた。その彼から、家の黒電話に留守電があり、再生して驚いた。その彼からだったからだ。

 

電話番号を知らせてくれていたので、お昼過ぎ、早速電話をした。電話に出なかったのでまた夕方にでもと思っていた所に、間もなく携帯に掛かって来た。随分久し振りで、声は昔の若々しさはなく年を取ったゆったりした声だったが、元気そうに思えた。だが、会わない間に6回も手術をしていた。自分も含めて、人にはそれぞれに色々あるものだと思った。暫く話して、彼は又電話すると言った。

 

すると夕方また電話があり、とても気持ちがすっきりしたので、早速だが明日会いたいと言って、午前中に会う約束が出来た。こんな事ってあるんだなと思った。

 

今日は、夜8時前から9時までの間に彗星が通ると言う情報を得ていた。ネオワイズ彗星は新しく今年発見された(2020年3月28日米航空宇宙局『NASA』の赤外線天文衛星NEOWIZEに依る)彗星である。何とか晴れていたので、神戸では見られると思っていた。出雲の妹にその事を知らせると、雨模様だと言う。この彗星は、時間と方向は違うだろうけれど、8月の始め頃までは見られるそうなので、その事も伝えた。雲のない夜なら全天の何処かに見られると思うのだが、雲が多ければ見るのは並大抵ではないだろう。

 

8時前に、北斗七星の出ているだろう方向を見た。だが、雲がアジア大陸のようで、海や湖がぽっこり見えるだけだった。目を凝らすとやっと1つ星が見え、すぐに雲に隠れた。諦めて部屋に戻った。だが、もしかしての気持ちで、8時30分過ぎに玄関の外に出た。雲の量が心持ち減っていたとしても変わりなく、星は1つ2つしか見えなかった。今日は新月で、見るのには好条件だったのだが。

 

すると35分頃、ここから見ると10センチ位の棒状に見える尾の明かりが、まるで宇宙ステーションのように西側に動いて行った。宇宙ステーションは、いつも西から東に向かって来るから、方向は真逆である。3等星位には見えるだろうとの話だったが、これなら3等星以上にはっきり見える。距離は全然違うが、まるで宇宙ステーションと同じような速さで、幾らでも目で追えた。身が震えるような感動を覚えた。まもなく大きな雲に隠れて出ては来なかったが、次に見えるのは5,000年位先だと言う。後10日やそこらは見える筈だが、時間は大体この時間で、方向は日没後の北西の空に、少しずつ高度が上がった方向に見えるようだ。雲のない晴れた夜に、もう1度だけ見たいし、観続けたい。だが、明るさは日を追う毎に暗くなって行くようだ。

 

コロナ禍の後は夢か現かボーっとした空間にいるが、同僚の電話といい、ネオワイズ彗星といい、これは現だと確信しなければならない。明日はカフェでお茶を飲みながら、話が発展して行くだろう。また、水星が、尾を引きながら、その行方を見定めさせてくれるだろう。そうして、現実だったと分からせてくれるのだろう。

 

ネオワイズ彗星を見た後、幾つもの動くものを見た。それは、両翼の明かりが点き、真中は薄いオレンジ色と赤の光が点滅している飛行機だった。あちこちに4、5機は赤い蛍のように飛んで行った。これも一番近い所を飛んでいるのにも拘らず、彗星や宇宙ステーションと同じ速さに人の目には見える。だが、秒速で比べたら、宇宙ステーションも更に彗星も、途轍もない速さだと分かるだろう。そうと知るや、また、夢か現かの世界に紛れ込み、微睡んで行く自分を想像する。

 

 

2020年7月4日には、私は見る事が出来なかったが惑星が水星、金星、地球、火星、木星、土星、冥王星の順で1直線に並ぶ惑星直列があった。

 

全ての惑星が地平線上に並ぶのも7月21日の明け方の空で、これも見られなかった。これは西南西の地平線近くの木星、土星、海王星、火星、天王星、金星、それに東北東の地平線近くの水星まで並んだそうだ。これは、10万年後まで観測出来ないほど、天文学的確率だとも言った。

 

家から地平線上に並ぶこれらの惑星直列を見る事が出来るだろうか。これからどうなって行くのかは分からないが、試しに明日の明け方に外に出て見る事にしようと思っている。低いから見えるか見えないか。まだ直列に並んでいるかどうか。これはどうも期待出来そうにないが、数個の惑星が並んでくれていたら嬉しい。明日の明け方が、晴れたらいいな。

マスクは綿パンの後ろのポケットに入れた。財布は持った。買うのはCD-Rと振りかけだから、財布の中のジャラ銭だけで十分だ。それでもと思い、1,000円札を1枚入れた。

 

雨は止んだのだろう。降っていなかった。傘は持たなかった。途中で私専用の袋を忘れたのに気付いた。ヤマダ電機で袋に入れて貰おう。袋代の3円は仕方がない。すると、雲の水滴が重くなって、ぽつぽつと落ち始めた。急には大降りにならないだろう。

 

先ず、予定外のキリン堂に寄った。何を買う訳でもない。マスクのコーナーをいつも覗いて見るので、入って行った。すると、50枚入りの箱が、最近は20箱位置いてあり、人も素通りする位だった。同じ箱が積まれている。ちょっと前までだったら、少々高くても買っていただろう。今は、大体50枚で2,400円位で売られている。流石に1枚50円前後になるマスクは、買う気にならない。いつか20円か10円になったら買おうと、値段の下がるのを見ていたのだ。

 

所がどっこい。今日のキリン堂には、箱入りのマスクはごっそりなかった。店で聞く訳にも行かず、訝しがりながら店を出た。娘がちょっと前に50枚1,000円で売っていたよと言った事があった。20円位にまでだったら下がるだろうと、今でも思っている。

 

すぐにヤマダ電機に入り、エスカレーターに乗った。いつも置いてある場所がCD-Rに限って大きなテレビがずらっと並んだ端っこにあって、暫く店内を回ってしまう羽目になる。

 

ちょっとだけ高いCD-Rを手に持ち、会計へと向かった。すぐその近くに、種類の違うマスクの箱がそれこそ20箱位積まれていた。1,500円と書いた箱を見ると、「3D立体不織布マスク50枚入り」と印刷されていた。以前来た時には、買うのが勿体ない値段の高さだった事を覚えている。

 

これなら税込みで1枚約33円になる。だったら、買って置いて悪い筈もないと直感した。手に持ったCD-Rを元の場所に置いて、もっと安いのに替えた。マスクもレジに持って行き、どうして安いのかを聞いた。はっきり耳に入らなかったが、ヤマダ電機の何か特別の日で、値段を下げているとの事だった。今週一杯はこの値段だと言う。商売も上手いのだろうが、普段は税別で2,980円だと箱に書いてある。これが税別1,500円なのだから、私は即買いを決めた。

 

CD-Rとマスクと袋で2,445円だ。何とかあるだろうと思い、先ず1,000円札を出し、後は500円、100円、50円、10円硬貨を財布から出して行った。瞬間不安が訪れた。最後に5円が3枚と1円が2枚だけになった。足りるか足らないか。そこが大問題だった。だが、2円を残して、何とか間に合ったのだ。

 

けれど、振りかけは無理だった。大して高くはないから、CD-Rだけ買っていたら楽勝だったのだ。この振りかけに最近嵌まってしまったのだった。まあ華々しいネームとレイアウトだ。場所も様々に、文字の大小も色まで違う。「カリカリ」「赤しそ」「梅」「夏の暑さに」「ソフトタイプ」。他にも「今だけ10%増量」「夏の塩分補給におにぎりにも」「クエン酸550mg配合」、ご丁寧に「調理イメージ」とあり、ご飯に振りかけの写真が写っている。「楠 大森屋 OHMORIYA」と、一番大事な事も書いてあるのだ。どう読んだらいいのか。

 

ご飯にかけて食べると、その美味さは私には永遠のヴィーナスだ。おにぎりにして食べるともっと美味い。だが、今は諦めるしかないが、マスクがこのレベルで買えたのは、まあまの満足度だった。

 

ヤマダ電機を出ると、ザーザー振りだ。じっとしていても仕方がない。オーストラリア人は傘など差さないと聞く。私は、初めて雨の中に突進した。どんどん濡れて行くが、CD-Rとマスクだけは濡らす訳には行かず、しっかり抱えて、ゆっくり歩いた。走っても一緒だ。帰って風呂に入ればいい。

 

雨に濡れるのが大嫌いだった私が、自ら濡れながら歩いている。マスクを買って、もう店をマスクの為に覗く事がなくなったから、1つ、思いが飛んで行ったからかも知れなかった。

 

熊本県南部に豪雨をもたらした梅雨前線は北上して、川の氾濫や浸水を引き起こした。新聞は「九州全域に豪雨」と伝え、福岡・佐賀・長崎に特別警報と書いていた。死者も出た。私は自らずぶ濡れになったのだからそんな事は何でもない。九州で起きた豪雨や濁流は道に溢れ家庭の部屋の中にまで容赦なく侵入する。そして、人の命をも奪って行くのだ。「雨」はここまで大きな災害を残して非常にも行ってしまうのだ。自分がそんな目に遭っていたらどうだろう。そう思うだけで、九州の災害は痛ましい。いつも思う、そこまで行かないで、と。今は、言葉がない。

玄関の上に、わりとよく見る直方体の届け物があるのに目が行った。「誰からだろう。誰にだろう」。それは2人のオカリナを練習している女性からで、私にだった。これにはコロナ禍が関わっている。いつか落ち着くまで休ませて欲しいと言うのと、退会すると言うものだった。

 

こんなに長く続いているコロナに、私も身も心も萎え始めていた。5月6月にも、お世話の中心になっている男性から相談や連絡が入った。その人Kさんはオカリナが大好きで、今にもやりたいと言う風だった。だが、皆からは「まだ練習する気になれない」と言う返事が返って来たそうだ。私だって、気は乗らなかった。あんな狭い部屋で、最近流行の言葉ソウシャルディスタンスは、とても取れない。

 

Kさんから要望されて初めてオカリナを教える事になったのが2013年6月14日の事だった。その時から、退会すると言ったSさんは、それはそれは頑張って練習して来た。何しろ初めてだったのだから。いつとは分からない自分の気持ちが皆の迷惑になるからと、苦渋の決断を下したのだった。真面目で穏やかで兎に角素敵な人で、最近はお孫さんに聴かせたいと「パプリカ」を練習していた。

 

Oさんは2015年12月13日から一緒に練習し始めたが、私が明石海峡大橋の孫文の建物の前と言うか広場の方でオカリナの演奏をしていた時、「宗次郎が吹いている」と思ったらしい。その時丁度「故郷の原風景」を吹いていた。この曲は特に、彼のCD伴奏さえあれば誰でも宗次郎の音に聴こえるのだ。

 

私の演奏が済むと「どこかで教えているのですか」と聞いてきた。何人か一緒に練習している人も来ていたので、「話を聞いてみて下さい」と言って紹介し、暫くして私は帰った。

 

そのOさんが、それから間もなく練習の場所に姿を現した。彼女も、オカリナは初めてだった。この人は習い事が多く、しかしどんなものでも極めようと努力する人だった。皆も努力はしている。していないのは、私だけだ。Oさんの書道の腕は素晴らしく、その腕は師範級と言ってもいい。二胡も素晴らしい音を奏でる。1度持って来て貰って、皆は聴かせて貰った。

 

彼女は伴奏CDを持って来ていたので、2人で二胡とオカリナのコラボをした。「昴」だった。そんな楽しい思い出もある。音楽性など、私とは比べられない程の素質を持っている。もう、誰かに教えられる実力は十分だ。

 

彼女は、今とてもオカリナに嵌まっていて、楽しくて仕様がないそうだ。コロナに関して家庭でのお許しが出たら、また通うと言う事だった。これなら、2人は仲良しになっていたので、Oさんが戻ればSさんも再びやり出すかも知れないと、楽観的な気分になった。Oさんだって、私なんぞより凄い指導者は五万といるのだし、退会してそちらに行く事だって考えられたのだ。

 

7月は2回ではなく、1回だけ。8月然りで、今はそんな流れになっている。重い腰は昨日の卓球で上がった。オカリナの練習も首をうな垂れているばかりだったが、きっと楽しいと思われるプログラムが頭にある。15日は、どんな顔をして会えるかな。

 

 

長い長いブログの癖は、誰にも喜ばれない。キーを打つ指だけが先へ先へ行き、終わらせてくれない。下手をすれば内容も支離滅裂になってしまう。ああ、今日もまた房総半島か。

 

全然タイトルの領域に入って行けないでいた。こんなに長いブログなのに。と言う事で、初めてタイトルに迫りたい。多分、数行で終わる事だろう。

 

このSさんとOさんが、お酒を送ってくれていたのだ。「お礼」と書いた日本酒を。だが、私はぶっ魂消た。その酒に。悲しい酒ではなく嬉しい酒ではあるけれど。

 

伏見の酒で、純米大吟醸「招徳 延寿万年」と言う。720mlだから、1度に飲む事も出来なくはない。しかし、このお酒は35%まで磨いた山田錦を使用し、洗米から搾りに至るまで、全て手造りで醸した逸品なのだ。恐れ多くて、1合さえも勿体なくて飲めない。ああ、どうしよう。ちょっとだけ飲もうか飲むまいか。暫く誰か来るまでとって置こうか置くまいか。また、私の悩みの虫が目の前に浮遊する。

 

この「延寿万年」は、黒色の箱に入り、紫色の寝床に光沢のある渋い桃色の冠を被って寝ていなさる。起こしちゃならねえと思いながら、何度起こしてしまった事か。どこかに隠して置けば、暫くは忘れている事だろう。だが、そこまで私は意志が強くない。今晩が山だ。ちょっとぐらい、ちょっとぐらい。それには屁理屈も要るだろう。

 

昔、朝日新聞の4コマ漫画「サザエさん」を見た時に大笑いして、それが今も忘れられないでいるものがある。カツオ君が机に向かって勉強をしている。教科書の歴史の部分を声を出して元気に読んでいる。サザエさんは不思議そうな顔で、冷蔵庫に買って来たアイスクリームを入れる。横目で見るカツオ。何が入れられたかを見逃すカツオではない。冷蔵庫の中が気になって仕方がないカツオは、大きな声で教科書を読む。「その時、藤原のかたまりは・・」。

 

餌を前にして「待て」と言われている犬とカツオが重なり、「延寿万年」を前にしてどうしようかと固まっている私とが弥が上にも重なってしまう。

 

因みにこの招徳酒造、正保2年つまり1645年に始めたそうな。これは、恐れ多くも私の頭の中をかき乱す、罪作りな女性2人からの贈り物だった。

中々腰は上がらない。だが、私はコープ卓球に出掛けた。踏ん切らなければ、いつまでたっても始まらない。

 

7月から再開された。1台の卓球台に5人を超えるコープ卓球の其々の会場の場合、2班に分けると言う話だ。私達の場合は、2台の卓球台に11人以上の会員がいる。それで2班に分かれ、第1第3日曜と第2第4日曜に分かれた。私は1班だった。

 

体温を測って行く。マスクをして行く。消毒液で手を洗う。換気をよくする。30分早く終える。そう言った条件だ。

 

何故かみんな新鮮な顔をしていた。

 

「皆、痩せたんじゃないですか」

 

私の最初の印象だった。

 

「コロナ太りで太ったのに、そんな事ないでしょう」

 

だが、私には皆スマートになったと思われた。それだけ久し振りだったのだ。

 

100日以上休んでいたので、変わった所は、ラケットのボールがラケットに当たらない所だった。ダブルスの練習は密接になるから駄目だったが、先生とは1台を2人で出来て楽しかった。

 

先生は、滅多に言わないのに今日は、

 

「くそー」

 

と言った。

 

「先生が、生徒にそんな言葉を発したらいけませんねえ」

 

と私は言って皆も笑ったが、これも言葉の遊びで、どちらもそれを楽しんでいる。私と先生の実力はよく分からないが、いい勝負かそれとも先生の手加減か。

 

終わると、片づけをし手を消毒して、速やかにその場を離れた。次は2週間後だ。

 

 

娘がTVで観ていて、今日(5日)垂水区で、30代の男の先生が感染したと言った。いつどこで感染するか分からない。こんな近くでも。出雲に帰らない決心をして良かったかなと思った。

 

卓球は午前中で終わったが、午後6時30分からのテレビ、「池上彰の緊急生解説“人類VS.コロナ危機”どう第2波に備えるか」を今観ている。ジョニーウオーカーがなくなったのでニッカウイスキーと炭酸水を買って来て、それを2杯飲み、その後頂いたゑびすビールを飲みながら。

 

最前線の医師が陽性になってからの格闘が凄まじかった。高齢者であれば、命を失っていただろうと思われる。若くて元気なこの医師は、様々な手を尽くされて、死なせてくれと言う程の苦しみの19日間の淵から快復した。

 

医師や看護師さんの、最前線で患者の命を救う仕事をしている方々の使命感が尊く、眩しかった。改めて医療関係の仕事の過酷さを思った。

 

全くコロナの話は飛ぶが、医師との出会いは運命とも言えるかも知れないと思った。誰に診て貰うかは、略避けられない事でもあるからだ。初めて医師になった人に診て貰うのか、またはベテランの実力のある人に診て貰うのか。これだけは、殆どが運命の如く避けて通れない。この為に、患者は生死を委ねる事もあるだろう。

 

しかし、医師も人である。どんな仕事でも、最初はインターンから始まると思ってもいい。それは皆が歩む事なのだ。ただ、自分や自分の力や現実をどう思っているかに掛かっているようだ。飽くまで自身を信じて最善を尽くすのはいいとしても、その状況を明確に判断して動いて頂ければ、それが患者と正対する姿だと思う。コロナとはちぐはぐな内容になってしまったが、何故かそんな事も頭に浮かんで来て、書いてしまった。

 

医療関係の方々の過酷さを思い、ただ無力の私は、感謝するしかないのだ。

 

今、ウイスキーの炭酸割に嵌まっている。酔っ払う為ではなく、1、2杯は、肩から力が抜けて行き、リラックス出来るのである。だから、不謹慎だとは思わないで頂きたい。

 

コロナ禍を肯定する気は更々ないけれど、このコロナ禍から今までに考えなかった事を考えた事は、私に取っては大きな反省と発見でもあった。ぶれた考え方の幅が船酔いするほどの幅から小さな揺れになったような感じになったのは、不思議な体験でもあった。

 

私の住んでいる同じ区内で、今日コロナの感染者が出た。たった1人でも、それは怖い。