当たり前だが、記録は「しなければ残らない」。興味のある人とそうでない人があるのはこれも当たり前の世界だが、こんな事ばかり書いていたらオタクだと思われたり、誰も近寄ってくれなかったりするだろう。況してや私のブログは長い。

 

長話は嫌われたり飽きられたりする。何かで読んだ事があるが、それにはこう書いてあった。「メールが長い人は嫌われる」と。話だけではなく、ブログもそうだ。短く纏められないのは、私の頭のだらだらした都合によるものだろうと思う。2、3日考えて、タイトルのような事は書いても仕様がないと思って放って置いた。読む値打ちも何にもないが、今この瞬間に、やっぱり残して置こうと思った。それは何故か。簡単な事だ。自分勝手だが、美しかったからである。

 

14日は、未明から明け方まで一番近い位置の月と金星を観られると言う。ラジオ深夜便を付けっ放しにしている事が多く、それでもしっかり眠っている時間もある。ラジオが聞こえ出したのは5時前位からだった。兵庫県の日の出は何分かは忘れたが、6時ちょっと過ぎた頃だと聞いた。そして、月と金星の共演の事に気が付いた。携帯を持って外に出るとまだ暗く、木々は黒く見えていた。

 

17日には新月になる盃のような月が東の空に明るく見えた。その斜め右下にひと際輝く金星が在った。かなり接近していて、その共演は美しかった。15日もその頃に家の中からちらっと見たが、2つの距離は随分離れていて、14日の共演がどれだけ美しかったかを思った。

 

もうオリオン座の星たちは少し薄くなっていた。写真に残そうと思って共演を写した。車の通る道に出て写すまで、5、6枚撮った。空もページを捲りそうな雰囲気になったので、家に入った。家からは沢山の電線が邪魔になるが、もう月も金星も見る事は出来なかった。時計は6時頃だった。

 

日の出までの刻々と過ぎ行く20分位の推移を、携帯カメラは実証していた。真っ黒の画面の月と金星。真っ黒な家の屋根や木のシルエットの上に見える月と金星、空は群青色に見える。日の出前の青い空に写る月と金星、電柱や電線がはっきり写っている。もうすぐ明けそうで下の部分は明るい空、見えなくなるのを惜しんででもいるかのような月と金星。

 

時間の推移をここまで感じたのは、携帯の写真からだった。

 

どうこうないブログになったが、月と金星の最接近の共演を観たと言う事実を書く事は出来た。やっぱり面白くないブログだと思う。

 

序でに、10月の私が観たいと思っている天体事情を書いておきたい。最初に書くのは見ないだろう事実だ。

 

 

〇14日(一昨日)から11月4日までは水星が逆行する期間で、その後は又順行すると言う。公転する途中で反対に回るなど有り得ない。これは、そのように見えると言う但し書きがある。

 

その間、感情が乱されるとか、不安になったりするとか、怒りっぽくなったりするとか、人に要らない事を言ったりするようになるとか書いてあったが、気を付けるに越した事はないと思った。

 

〇21日の深夜から22日の明け方まで、オリオン座流星群が観られる。しかし、これはその間何個見られるかは分からない。こんな時間だ。家の玄関先で、見られたら見ようと思う。

 

〇31日の23時50分頃に真ん丸になるが、その前後であっても見えるのは真ん丸だ。際どいが、31日が終わるギリギリまでなら、10月は満月を2度見る事になる。最も地球から遠いので小さな満月だろうが、2度見られる月も多くない。だからどうなのだと言う話ではある。天体事情は晴れていたらの話だが、是非このブルームーンを私は観たい。

 

 

コロナの収束は皆の願いだが、一大事を起こし様々な連鎖を起こした2020年は、どのように終わっていくのだろう。

昨日(5日)の18時52分の反省から、今日の18時6分を完璧に観たいと思った。

 

先ず、自分でも思うが、短パンとTシャツはお笑いでしかない。寒くて震えていたが、宇宙ステーションと言っても星が移動しているようにしか見えなかったその星を観ている時だけは、麻酔が効いているような感覚だった。

 

18時52分に北北西の方角の低い所に見え始めるとあったが、時刻は同じでも見る場所も違うし見える状況も違う。その時刻にカインズの駐車場から見える低い山から姿を現すと思っていた。中々現れず首を右に捻って空の上を見た。そんなに明るくはない星が、ゆっくり動いていた。これだと思い、少し追って行った。目を外してもう1度見た時には、その星はもう姿がなかった。

 

これが昨日の様子である。

 

反省を踏まえて、今日の私は家での短パンを長いメンパンにはき替えた。Tしゃつの上から長袖のシャツを着た。車は使われていたので、17時40分に家を出た。十分な時間を計算したので、見られなかったと言う理由にはしたくなかった。比較的ゆっくり目に歩いた。まだ日は暮れなずんでいて、この時間は明るくさえ感じられた。

 

17時55分に、2階に並行してある広い駐車場に着いた。北北西が見える車のカーブになった坂道の角に立った。なだらかな山は黒くなって見えたが、暮れなずんでいた日の薄れた色が星を1つだに見えない青黒い空を残していた。18時になり、後5、6分となった。昨日は、その時間になっても現れないと思ったが、既に上空に星は動いていた。反省点は、見え始める時間より2分位前にはしっかり見ていなければならないと言う事だった。

 

カップヌードルではないが、3分待てば現れるだろう時間になった。しっかり北北西の辺りを見つめていた。18時6分が来た。だが、空に配置される星は見えないから、1つだけの星を見つけるのは簡単な事だった。あれ、まだ見えない。

 

見えたと思ったが、それは銀色に光り、まるで星のように動いていた。今日はこんな風に見えるのかと感激しかけていた。だが、点滅している。軌道もやや変である。きっと飛行機だ。数十秒してから昨日の事が思われた。すぐに首を捻って上を見た。1つそんなに明るくはない星が昨日と同じ場所にいて、それは動いていた。どうしてこんな時に紛らわしいものが飛んでいるのだろう。

 

全く昨日と変わらぬ位置から、星になった宇宙ステーションを追った。そこから動かなくても見えたとは思う。駐車場の小屋のような建物が少し邪魔になる。だから、広々と空が見える所までほんの少し歩いた。

 

星は一定の速さで動いている。向こうの山陰に隠れるまで見届けられると思っていた。だが、山陰に消えるまでに見えなくなってしまった。それはそうだろう。本当の星ではないのだから、比べ物にならない位低い所を飛んでいるこの1つの星が小さくなって行くのは飛行機と同じ事だった。

 

神戸の娘は仕事帰りの車を止めて見た、とすぐに携帯にメールが来た。動画も撮ったと書いてあった。まだ私が駐車場にいる時に。出雲の妹からは、何も見えなかったと残念なメールだった。月のように、すぐに見えるものでもない。これも、見るまでに慣れもいるだろう。

 

こんなに小さな星にしか見えないのに、実態は幅が約100mもある宇宙ステーションで、それが空を飛んでいる。宇宙飛行士はどんな気持ちでいるのだろう。志願する位だから、興味津々であろうと思う。

 

地上400kmの上空を秒速7.7km、時速27,700kmで飛んでいる。ライフル銃の初速の2倍以上速いのには、驚くしかない。地球を90分で1周すると言うから、1日に約16周している事になる。調べてみて初めてと言うか、そんな事、考えてみようと思った事もなかった。

 

それなら、1日に16回も宇宙ステーションが見られる理屈になる。だが、軌道などでそうそうは見られない。けれど、見ようと思えば、案外よく見られるものだと知った。夕方に、銀色に光って飛ぶ時間に見るのが感動出来るように思う。そんな時間を探して、今度からは良い条件で見たい。10日までは毎日見られるが、台風14号の状態で見られなくなる事も考えると、これで満足する他はないだろう。

 

後を見ると顔を上げた所に木星と土星が並んでいた。随分離れたなと思った。帰り道、何処までも付いて来るこの惑星たち。風が吹いている。頬に風が当たり冷え冷えする。だが、その他は心地良い風に感じる。それは服装の所為ではある。暗い夜道を1人歩いて行く。芒が首を垂れている。

 

今日2度目の宇宙ステーションは19時42分だった。星が沢山出ていて、もうその動く星は流石に見られなかった。家の前からは広いようで狭く、制限される。やっぱり不審者に思われる事が耐えられない。遠くても、私の観察場所はカインズの駐車場である。

 

もう23時13分。地球に一番近くなっている頃だ。ちょっと火星を見て来るとしようか。

 

ああ、何と綺麗なんだろう。頭上に、ひと際明るい火星。大きい訳ではないが、今が一番地球に近くなっている。今度は火星が公転して出会う2年2ヶ月先の事になる。望遠鏡で観られたらどんなに感動する事だろう。

 

火星は地球と兄弟惑星と言われている。水があった形跡がある。生物がいただろうと言う話は、以前からされて来た。火星人がいると言う話も、子供の頃からの関心事だった。その星をここまで興味を持って見上げた事はなかった。本当にもっと近付いて、バスケットボール位の大きさに見えたら、おったまげる事だろう。

 

 

もう暗い。車は使うと言うので18時30分に、歩いてカインズの2階の高さにある駐車場に歩いて向かった。短パンにTシャツ1枚。ウオーキングから帰ってごそごそしていたから、そのままの出で立ちとなった。

 

まだ明るく暑かったあの夏の日が嘘のよう。暗く、寒い。

 

カインズに着いたのが18時40分過ぎ。中に入ってメダカを見ていた。48分頃に外に出た。寒いが、感じ方は鈍っていた。方位磁石に合わせて、北北西の方を確認した。51分になっても現れない。低い方から上って来ると言うから、山の方を見ていた。52分になった。これだけ用意周到にやったのに、と思った。

 

何気なく暗い空の上を見た。何となく、余り明るくない星が動いているように思った。少しずつ少しずつ移動しているのが分かった。これだ!

 

今まで見た宇宙ステーションは明るい空にはっきり見えていたが、今は全くの夜のようだ。初めて見る人は、要領が分からないかも知れない。動いていなかったとか、見られなかったと言うレベルだろう。

 

私は、その4等星か5等星位の、まるで微妙に動く星を目で追った。カインズから帰る車のライトが眩かった。動く方向に場所を少し移動した。見えている。星のような宇宙ステーションが。

 

途端、雲があったのだろうか。追っていたその星から目を離した事によって、もう目を戻しても何処にも動く星はなかった。急に寒くなった。半分満足して、車が下りて行くスロープを歩いて下りた。

 

相変わらず、馴染んだ木星と土星が、くっきりと見える。暗い、寒い道を戻った。明日は1時間弱早く見られる。天気予報はばっちりだ。明日に期待を寄せた。地球に一番近くなった火星も見る事が出来る。素晴らしい条件だ。

 

台風14号が、それ以後に影響を及ぼすかも知れない。兎に角、明日見られたらそれで満足しようと思った。

 

暗い、寒い道を、震えながら戻って行った。

 

明日は、メンパンで、長袖で、皆と同じような姿で出掛けて行こう。家からでも見えるだろうが、広い空の空間を求めて、宇宙に思いを馳せて。

 

今年は気持ちの変化も見逃せない。今までに、ここまで宇宙に執心した事がなかったから。昼に見えていた草花は、よく見えない。ただ、銀狐の尻尾のような芒の穂が、キラキラと揺れているのは分かった。

神無月に入った。だが、私は神無月とは言わなかった。生まれて此の方それは神在月だった。出雲には出雲大社がある。そこに全国の神々が集まるから、出雲は神在月。他の地域は神々がいなくなるから神無月と言う。実際に、48メートルはあっただろう、その神殿を支える柱の跡が出現した。神話が神話ではなくなった瞬間である。

 

私は、そんな出雲大社の近くに生まれていて、松本清張の「砂の器」でも有名な、出雲弁の通用する地域で育った。こんな話をして行くと、原稿用紙10枚など、全く足りない。

 

昨日は10月1日だった。私は、この日私だけにしか感じる事の出来ない喜びに浸った。第7回日本オカリナコンクール事務局から、私のエントリーした動画が届いたと言う知らせだった。それは、私が送った動画ではなかったからだ。

 

9月28日に、ピアノ伴奏をしてくれるSさんのお宅を訪ねた。10時20分が約束の時間だった。時間調節の為に、阪急王子公園駅の外で少し待った。そろそろかと思った所でトイレに行こうと考えた。敬老優待乗車証をゲートのタッチ場所に押し付けて、中に入った。出る時に、またその優待者証を軽く押し付けた。ゲートが閉じた。競馬なら開くけれど。

 

何度か試みてそれがうまく行かないと知った時、焦りが出た。職員のいる筈のドアを叩いた。何の反応もない。焦る気持ちが、私に変な考えを起こさせた。もう、このゲートを飛び越すしかないのか、と。しかし、そこはそこ。そんな事をすれば、犯罪者の烙印を押される事だろう。少し冷静になろうと思った。20分が30分になっても、理由を言えばSさんには分かって貰えると思った。

 

じっとして、途方に暮れる暇はない。ウロウロしていると、連絡出来る赤いボタンが目に入った。

 

「はい。どうされました」

 

「トイレに行こうと思って、誰もいないので優待者証で入りましたが、いくらそれを入れても、ゲートは開きません。どうすればいいですか」

 

心の中では、ほっとした気分が満ち始めていた。

 

「そこのカードを置く所に優待者証を置いてみて下さい」

 

「ああこれですね。置きました」

 

「そうしたら、そのよこのゲートから出て下さい。今回は結構ですから」

 

飛び越して出なくて良かったと思った。どうせ、監視カメラに写る事は必然だからだった。こんな駅、初めてだった。大抵、言えば入らせてくれた。出る時は、にっこり微笑んで、「ありがとう」と言えば良かったのだ。

 

日差しが殊の外きつく、汗が滲みそうだった。

 

Sさんのお宅に着く瞬間、工事の車が2、3台並んでいた。きっかりに着いた。

 

すぐにSさんが出て来てくれた。1時間位の内に、練習と本番で終わると思っていた。

 

「練習しましょう」

 

と言われた。私は、急にやっても上手くなる筈はなく、

 

「あんまりしなくてもいいと思いますが・・」

 

歯切れの良くない言葉が口を衝いた。時々、工事の音がした。このまま動画にしてもいいのではないかと、私は感じた。

 

「12時過ぎまで待ったら静かになりますけど。工事の人がピンポン鳴らしてくれて、そこからお昼休みで1時間は音がしないようになっています」

 

と言った。やっぱり練習は大事だ。リハーサルの積もりで、私は練習に心が傾いた。

 

442Hzの音になるように吹いてみたが、その都度息の力が違った。この時は、かなり強く吹かないと、ピアノに合わない。審査員が、そんないい加減な音程を見逃す訳がない。私は、息の調整をした。結果的にだが、練習をして良かったと思った。音程を正しく取ると言う事はオカリナでは難しいが、コンクールに出す以上、それは重要な事だと感じたからだ。

 

ちょっと休憩をしてティータイムとなった。えらい美味いお茶だった。お茶畑を経営している人に頂いたお茶だそうだ。久し振りにお茶を飲んだ気がした。

 

「ピンポーン」

 

12時15分頃だっただろう。

 

「それでは、本番行きましょう」

 

スマホに収まる構図を確認して、Sさんが椅子に座って6、7秒してから私が課題曲を吹く事になった。その後の自由曲は、オカリナを手に持ってから伴奏をして貰うように話し合った。全て終わると、暫くしてからSさんが徐に立ち上がり、スマホを止める事になった。私は、それが終わるまでピアノの前にじっと立っていた。

 

何だか、アカペラの課題曲がせかせかしていた。

 

「そんなに慌てなくてもいいのに」

 

とSさんは言った。加工は許されないので、時間も6分以内で終わらなければならない。私はシニアの部なので、課題曲は「早春賦」だった。家では、1分15秒で終わるようにしていた。自由曲は、三連での「タイスの瞑想曲」。家では、カラオケで練習するので時間は寸分違わない。6分以内で出来て、15秒前には終わるように練習していた。

 

1発で終えようと思っていたが、そんな習慣でか「早春賦」がせっかちになったのがよく分かった。

 

「これではよくないですね。もう1度お願いします」

 

時間があれば、ぎりぎりやれると思ってはいけない。ステージなら1発で終わりだからだ。

 

「そんなに速くならなくてもいいと思うけど。やれば切りがないから、これで最後です」

 

そう、Sさんは言った。アカペラの「早春賦」は、ゆったり吹こうと思った。ヒントや忠告を貰ってそれを実行する事が、大きな進歩へと繋がる。

 

「タイスの瞑想曲」の伴奏が鳴り始めた。普段より強めに吹き始めた。集中するように努めながら吹いた。音を1音でも間違えたり、変な指遣いになったりしたらお仕舞だ。けれど、緊張する事は内心許されなかった。この伴奏はカラオケではない。カラオケが如何に単調なリズムを刻み面白くないかを改めて思い知った事だった。今日来て、今日緩急を表しながら演奏する事の大切さと素晴らしさを思った。余り長い時間ではなかったが、改めて生のコラボの素晴らしさを教えられた気がした。

 

「最初のより、この方がよくなっていますね」

 

そう言って、スマホの音を聴かせてくれた。なんてスマホの音は素晴らしいのだろうか。私は、ガラケイとおさらばをして、スマホに替えなければと確信した。

 

「言って置かなければならない事があります。このスマホは2年位前のもので、バージョンアップしなければ事務局に送る事が出来ません。私が勉強してギガファイル便にバージョンアップしないと届きません。頑張るけど、駄目だったらごめんなさい」

 

今まで打ち込んで来た私には、それも仕方のない事かと諦めも覗いた。だが、それでは余りにも悲しかった。Sさんの結果待ちとなった。恐ろしい程忙しいSさんだ。私の思いとは比重が違うだろう。

 

工事中の人達が、迷惑を掛けたと私に挨拶してくれた。いい人達だなと、私は思いながら、あのゲートを入って行った。電車の来る音がして、階段を脱兎とまでは行かないが急いで上った。電車のドアが開き、私は飛び乗った。

 

こんなに美しい音でスマホには入るのか。オカリナの音が綺麗に入るのはCDを聴いても中々ある事ではない。記念の動画になるだろうと思った。事務局に届こうと届くまいと、自分の手元に残したいと思った程だ。

 

地下鉄名谷駅まで行く事にした。力が抜けていて、どうしても生ビールが飲みたかった。垂水飯店に入り、そのほかに酢豚を注文した。美味い! へなへなになった。美味い! すぐそこはバスターミナルだ。私が乗るバスが、もう待っていた。乗ると、間もなく出発した。

 

取り敢えず、動画に出来た事で安堵感があった。もう、何もする気はなかった。

 

10月1日になった。今夜は仲秋の名月だと言う事は前から分かっていた。今、朝を迎えたばかりだった。

 

9時を過ぎた頃、携帯が鳴った。オカリナコンクール事務局からだった。

 

「動画、届きましたよ」

 

えっ? 半信半疑だった。届いている? Sさんが、バージョンアップの勉強をして、動画を送ってくれていたのだ。

 

「事務局から電話がありました。動画届いているそうです」

 

すぐにメールを送った。

 

「第5週だったから教室やピアノ伴奏もなく、凄くパソコンでやり方を読んで頑張りました。事務局には届いたか聞いてみました。お知らせしようと思っていましたが、届いていて良かったです」

 

メールが返って来た。

 

凄く頑張ってくれたと思い、感動した。締め切りは、実は11月10日だから、まだまだ研究する日はあったのだ。驚きの中の安堵感を、しみじみと感じていた。

 

仲秋の名月と満月は大抵同じ日なのだが、10月1日は仲秋の名月だけれどまだ満月にはならず、満月は2日の朝6時10分頃だと認識していた。

 

1日の真夜中に玄関の戸を開けて空を見た。何と美しい月だろう。名月と言われる由縁だ。じっと見つめながら体を動かして空に反り返ると、そこにはオリオン座が見えた。他の星も、チカチカと瞬いている。暫く見てから布団に入った。

 

3時過ぎになり気になってまた外に出た。寒い。こんな感覚になったのは今年初めてだ。やや南に移動していた。そう思うからなのか、動画が届いた安ど感からなのか、殊更に小さな月は美しかった。火星がやや離れた所に繋がっていた。赤い色をしていた。

 

NHKラジオ深夜便は昭和の歌声を流していた。軈て4時になり、ニュースが終わると左手のピアニスト舘野泉さんの話があった。これは聞かないとなと思い聴いていたが、最後の方は眠っていたようだ。軈て5時30分頃になり、又外に出て見たが、何処にも月はいなかった。着替えて車に乗った。凄く大きくなった月が美しかった。写真に撮ろうと思い、家に帰った。ガラケイを持って再び、あの流れ星を見たカインズの駐車場に歩いて上った。車はその道路に横付けにして。

 

ああ、何と言う事だ。群雲の間から顔を見せる体たらくだった。他の場所に移ったが、それで綺麗に見える訳でもない。そこでは、月は見えなかった。もう満月(6時10分)に近い時間だった。またカインズに戻った。全く見えなかった。完全に雲に隠れてしまっていた。

 

3倍も大きく見える月も、山や建物が近いと錯覚で大きく見える事は分かっている。まさか月が大きくなる筈はない。だから、大きいと思って写真に写しても、小さな月と同じ様に小さく写るだけだ。それでも、瞬間的にだったかも知れないが、それはそれは大きく美しく、殆ど満月だった。

 

あの動画が、まるで満月、いや名月のように思われた。やった事はないが、団子を供えて動画が届いた事に感謝の気持ちを表したいと思った。きっと私の事だ。団子はみたらし団子。それも、日本酒を飲みながら、あてになって行く事だろう。抓んで口に入れている自分が、透けて見える。

 

今日(2日)は十六夜。なんて美しい言葉だろう。明日は立待月。立って待つ程月が出るのが遅くなると言う意味だ。なんて豊かな言葉だろう。

いつしか、ブログを書いても今まで来てくれていた人達も来なくなった。それはそうだろう。損得感情を持ったとしても、こんなに長くて、だらだらしていて、面白くないブログも他にはないからだ。写真や動画を入れればまだしも、それすらない。私だって、人が私のようなブログを書いていたら、せめてスクロールしたとしても、読んだりしないし、またコメントする気にもならない。

 

忍耐で長い間来てくれていた人達には、心からお礼を言おう。そして、それでも来てくれてコメントまでしてくれる数人の人には、何とお礼を言っていいか分からない。読んでも、それだけ時間の無駄を私は提供しているのだから。

 

気儘で、不定休みたいに、いつ書くかなど自分にも分かっていない。11年前に始めた頃は、真面目に、殆ど毎日のように書いたが、このていたらくは説明のしようもない。これだけ無駄な前置きだから、推して知るべしだ。売れない作家の気持ちや困窮振りが、手に取るように分かると言うものだ。

 

それでは気を取り直して、と大抵の人はここでそんな事を書くだろう。だが、私は気を悪くしているのでも何でもない。だから、また普通のように書き始めるだろう。半地下じゃなくて、ブログは半日記とでも呼びたい。日記を公開しているのだから、誰がどのように見てくれてもいいし、気に入られるように書こうとも思っていない。気の向くままに、長ったらしくても短くはしないかも知れない。そんな、いや損な性分なのだ。

 

                   ※   ※   ※   ※   ※

 

台風10号は、西側に進路を寄せて北上しているようだ。神戸からはやや遠退いているからか、これからどうなるかは分からないが、9月の7日10時頃は、木々がやや揺れて、曇っている状態だった。私は三宮にどうしても行きたかった。

 

高速バスがバスストップに止まる時間が迫るに連れて、木々が激しく揺れ出した。何と雨も降り出した。それでも暫くして出掛けた。雨風に向かってビニール傘をすぼめ乍ら歩いた。だが、煽られて傘は朝顔のようになった。素早く元に戻し、差すのは止めにした。骨に分解するよりも、まだ濡れる方が良かった。やっとの事で着いたバスストップで、はたと気が付いた。マスクを忘れていたのだ。

 

三宮のバスストップに着いたら、コンビニでマスクを買えばいいと、心の何かが囁いた。だが、1枚20円位で不織布のマスクを売っているなら躊躇はしない。だが、洗えるマスクは売っているような記事を見た事がある。それでもいいが、高価だったら絶対に勿体ない。また、マスクをしないでバスに乗ったら、他の人が嫌な気分になるだろう。私は、引き返した。ちょっとだけ歩いた所で、高速バスが角を右折したのが分かった。

 

余分のマスクを2枚鞄に入れ、1枚は今までに使ったマスクをする事にして、15分位家で待機した。

 

バスに乗ると、マスクがない事で逡巡とする気持ちは全くなくなった。バスは発車した。三宮に着けば昼になるだろう。バスから眺める景色は雨と風を透かして見えた。激しい暴風雨だった。降りたら少しは歩かなければならない。傘など役に立つ筈もなかった。しかし、着くまでに一縷の望みを繋いだ。ひょっとして風は弱くなり、雨も止むかも知れないと。

 

乗った時と打って変わって、三ノ宮で降りた時は、雨も風もなかった。難なく東門の横の東急ハンズに着く事が出来た。地下1階のCフロアを探した。階数の少ない階段を降りたら、それが私の行きたい場所だったのだ。

 

昨日の今日ではないが、初めてこんな画家がいて、ボールペンを中心に色鉛筆やサインペンなどで絵を描く画家を見た。明日は必ず観に行くと、決めた。縁とは、こちらが動いた時に始まると思っている。そうしたとしても、必ず出会える訳でもない。先ず、海外で活動し出した橋本薫さんと会えるかどうか。また、こんな台風の時期に、中止になっているかも知れないではないか。

 

調べていたら、9月3日から9月8日まで、11時から20時まで、東急ハンズの地下で絵を販売する傍ら、そこで絵を描いていると言うのだ。今日は7日。えっ、と思った。心が揺れた。今日と明日、絵が観られるばかりではなく、彼女と会えると言うより、姿が見られると思った。絵も彼女も、どちらも実物で本物だ。

 

神戸出身だと言う事と、絵画が学べる明石高校に通っていた事は分かっていた。また、外国を回り、出展したりして精力的に動いている人だと言う事は分かった。有名な俳優やスポーツ選手など有名人ともよく出会うと言う。

 

明石高校では自分の思いと合わなくて、絵が嫌いになったと言った。それから10年位は、絵とは何の関係もない仕事をしていたと言う。それが4年前、ちょっとしたきっかけで絵を描く事になったのだそうだ。それから水を得た魚のような発展を遂げつつある。

 

東急ハンズの地下に行くと、こんな天候でも3、4人の男達が、その並べられた絵を観ていた。私も自分のラッキー振りに歓喜した。勘でしかないが、20畳位の中に、吊られたり置かれたりして、かなりの量の絵が並んでいた。どんな絵かは昨日パソコンで少し観て分かっている。どんな画家の絵とも違う、実にユニークなそれでいて昭和を思わすような、また違った感覚を呼び覚ますような、1枚1枚が飽きない絵だった。

 

値段が気になっていたが、殆どA4の大きさで、1枚17,000円、少し大きめのが22,000円だった。一通り観たが、もう一巡してじっくり観たかった。彼女は、誰かから電話があって、話していた。下を向いているので、顔も良く分からない。こちらと絵を描いている場所とは、透明な大きなアクリル板で遮ってあった。

 

満足したので帰ろうとした。電話は済んでいた。皆もそそくさと踵を返していた。私も帰ろうとすると、「ありがとうございます」と言われたような、そうでないような。目が合ったのは確かだった。何も言わずに帰るなんて出来なかった。

 

「ありがとうございました」

 

と言うと、向こうも立ち上がった。もう黙っていられない。

 

「素晴らしい絵ですね。誰にもない才能が、この辺にちょっと」

 

と、右脳の辺りを指差した。

 

「私、変わっているんですよ」

 

と言って笑う。

 

「こんな描き方を自分で生み出すなんて、誰にでもある才能ではありません。目の付け所が違いますね」

 

「東京でいきなりこんな絵を出展しようとしても、そう簡単に受け入れてくれません。外国から逆輸入して、活動の場を作らなければと思っているんです」

 

「東京って、そんな所なんですね。難しい所ですが、あなたの絵ならきっと注目されます」

 

「外国では、そこに入っている日本の百貨店などが、『やって貰っていいですよ』と言ってくれます」

 

「それは、あなたの絵が素晴らしいからです。所で、私は垂水から来ましたが・・」

 

「雨の中を来て下さったのですね」

 

「昨日初めて観て、吃驚でした。是非来て、観たいと思いました。所で橋本さんはどこの出身ですか」

 

「板宿ですよ。そこから毎日電車で明石高校まで通っていました」

 

「もう自分の生き方が出来て、それだけでも素敵じゃないですか」

 

「上手く行くかどうかは分かりませんね」

 

「あなたなら大丈夫です。きっと大成功されますよ」

 

「ならいいですが」

 

「ああ、長い事お手を止めてしまいました。これで失礼します」

 

「また日本でやる時に来て下さいね」

 

「きっと行きます。ありがとうございました」

 

本当は1枚でも、こんな中から選べるのだから欲しかった。次は、もっと値段が跳ね上がっているかも知れない。それでも、今すぐ買う積もりはなかった。買う為に来たのではなかったから、持ち合わせだってない。しかし、離れ難い素敵な絵には違いなかった。

 

雨は、傘を差しても差さなくてもいい程のもので、池のようにちょこっと覗いた青空が、大きな怪物のような雲に隠されて行く所だった。

 

感動あるうちに感動あることを書け、そう思ってこのブログを書いた。「光あるうちに光の中を歩め」はトルストイの短編で、50年以上も前に読んだ事がある。なんだかこのタイトルを思い出して付けた私のブログのタイトルが、これだった。

 

橋本薫さんの生き方も素敵だし、「私はイエスマンになる!」と言う言葉も味があり、裏もある。「嫌だからと拒否していたらそれまでで、釣りに行こうと誘われた時に付いて行くと、また違った体験をする。釣りの絵だって描けるようになる。ルアーの美しさだって、釣りに行っていなかったらずっと描けなかったかも知れない」。そう言うイエスマンなら、私は大賛成だ。

 

思い立ったが吉日とは、ずっと昔聞いた事のある文句だ。私は、この人の絵を観る為に、この大きなチャンスを捉えた。それだけの事だが、こんな台風の中でも兎に角行ってみた。今日と明日しか残っていない展示会。行って良かった。昨日知らなかったら、このチャンスも縁も、海の藻屑と消えた筈だった。絵と出会え、それを生み出した橋本薫さんとの初対面も果たした。それでいいと思う。それこその人との出会いだったのだ。

 

感動は、心の中に散らばって、確かに息衝いている。こんな絵もあるんだ、と。この部屋にいて、木々は乱れてはおらず、青空が広がり出し、ただ、近くの雲の動きは随分速い。東急ハンズの一瞬の出来事が、嘘のようだ。