いつしか、ブログを書いても今まで来てくれていた人達も来なくなった。それはそうだろう。損得感情を持ったとしても、こんなに長くて、だらだらしていて、面白くないブログも他にはないからだ。写真や動画を入れればまだしも、それすらない。私だって、人が私のようなブログを書いていたら、せめてスクロールしたとしても、読んだりしないし、またコメントする気にもならない。
忍耐で長い間来てくれていた人達には、心からお礼を言おう。そして、それでも来てくれてコメントまでしてくれる数人の人には、何とお礼を言っていいか分からない。読んでも、それだけ時間の無駄を私は提供しているのだから。
気儘で、不定休みたいに、いつ書くかなど自分にも分かっていない。11年前に始めた頃は、真面目に、殆ど毎日のように書いたが、このていたらくは説明のしようもない。これだけ無駄な前置きだから、推して知るべしだ。売れない作家の気持ちや困窮振りが、手に取るように分かると言うものだ。
それでは気を取り直して、と大抵の人はここでそんな事を書くだろう。だが、私は気を悪くしているのでも何でもない。だから、また普通のように書き始めるだろう。半地下じゃなくて、ブログは半日記とでも呼びたい。日記を公開しているのだから、誰がどのように見てくれてもいいし、気に入られるように書こうとも思っていない。気の向くままに、長ったらしくても短くはしないかも知れない。そんな、いや損な性分なのだ。
※ ※ ※ ※ ※
台風10号は、西側に進路を寄せて北上しているようだ。神戸からはやや遠退いているからか、これからどうなるかは分からないが、9月の7日10時頃は、木々がやや揺れて、曇っている状態だった。私は三宮にどうしても行きたかった。
高速バスがバスストップに止まる時間が迫るに連れて、木々が激しく揺れ出した。何と雨も降り出した。それでも暫くして出掛けた。雨風に向かってビニール傘をすぼめ乍ら歩いた。だが、煽られて傘は朝顔のようになった。素早く元に戻し、差すのは止めにした。骨に分解するよりも、まだ濡れる方が良かった。やっとの事で着いたバスストップで、はたと気が付いた。マスクを忘れていたのだ。
三宮のバスストップに着いたら、コンビニでマスクを買えばいいと、心の何かが囁いた。だが、1枚20円位で不織布のマスクを売っているなら躊躇はしない。だが、洗えるマスクは売っているような記事を見た事がある。それでもいいが、高価だったら絶対に勿体ない。また、マスクをしないでバスに乗ったら、他の人が嫌な気分になるだろう。私は、引き返した。ちょっとだけ歩いた所で、高速バスが角を右折したのが分かった。
余分のマスクを2枚鞄に入れ、1枚は今までに使ったマスクをする事にして、15分位家で待機した。
バスに乗ると、マスクがない事で逡巡とする気持ちは全くなくなった。バスは発車した。三宮に着けば昼になるだろう。バスから眺める景色は雨と風を透かして見えた。激しい暴風雨だった。降りたら少しは歩かなければならない。傘など役に立つ筈もなかった。しかし、着くまでに一縷の望みを繋いだ。ひょっとして風は弱くなり、雨も止むかも知れないと。
乗った時と打って変わって、三ノ宮で降りた時は、雨も風もなかった。難なく東門の横の東急ハンズに着く事が出来た。地下1階のCフロアを探した。階数の少ない階段を降りたら、それが私の行きたい場所だったのだ。
昨日の今日ではないが、初めてこんな画家がいて、ボールペンを中心に色鉛筆やサインペンなどで絵を描く画家を見た。明日は必ず観に行くと、決めた。縁とは、こちらが動いた時に始まると思っている。そうしたとしても、必ず出会える訳でもない。先ず、海外で活動し出した橋本薫さんと会えるかどうか。また、こんな台風の時期に、中止になっているかも知れないではないか。
調べていたら、9月3日から9月8日まで、11時から20時まで、東急ハンズの地下で絵を販売する傍ら、そこで絵を描いていると言うのだ。今日は7日。えっ、と思った。心が揺れた。今日と明日、絵が観られるばかりではなく、彼女と会えると言うより、姿が見られると思った。絵も彼女も、どちらも実物で本物だ。
神戸出身だと言う事と、絵画が学べる明石高校に通っていた事は分かっていた。また、外国を回り、出展したりして精力的に動いている人だと言う事は分かった。有名な俳優やスポーツ選手など有名人ともよく出会うと言う。
明石高校では自分の思いと合わなくて、絵が嫌いになったと言った。それから10年位は、絵とは何の関係もない仕事をしていたと言う。それが4年前、ちょっとしたきっかけで絵を描く事になったのだそうだ。それから水を得た魚のような発展を遂げつつある。
東急ハンズの地下に行くと、こんな天候でも3、4人の男達が、その並べられた絵を観ていた。私も自分のラッキー振りに歓喜した。勘でしかないが、20畳位の中に、吊られたり置かれたりして、かなりの量の絵が並んでいた。どんな絵かは昨日パソコンで少し観て分かっている。どんな画家の絵とも違う、実にユニークなそれでいて昭和を思わすような、また違った感覚を呼び覚ますような、1枚1枚が飽きない絵だった。
値段が気になっていたが、殆どA4の大きさで、1枚17,000円、少し大きめのが22,000円だった。一通り観たが、もう一巡してじっくり観たかった。彼女は、誰かから電話があって、話していた。下を向いているので、顔も良く分からない。こちらと絵を描いている場所とは、透明な大きなアクリル板で遮ってあった。
満足したので帰ろうとした。電話は済んでいた。皆もそそくさと踵を返していた。私も帰ろうとすると、「ありがとうございます」と言われたような、そうでないような。目が合ったのは確かだった。何も言わずに帰るなんて出来なかった。
「ありがとうございました」
と言うと、向こうも立ち上がった。もう黙っていられない。
「素晴らしい絵ですね。誰にもない才能が、この辺にちょっと」
と、右脳の辺りを指差した。
「私、変わっているんですよ」
と言って笑う。
「こんな描き方を自分で生み出すなんて、誰にでもある才能ではありません。目の付け所が違いますね」
「東京でいきなりこんな絵を出展しようとしても、そう簡単に受け入れてくれません。外国から逆輸入して、活動の場を作らなければと思っているんです」
「東京って、そんな所なんですね。難しい所ですが、あなたの絵ならきっと注目されます」
「外国では、そこに入っている日本の百貨店などが、『やって貰っていいですよ』と言ってくれます」
「それは、あなたの絵が素晴らしいからです。所で、私は垂水から来ましたが・・」
「雨の中を来て下さったのですね」
「昨日初めて観て、吃驚でした。是非来て、観たいと思いました。所で橋本さんはどこの出身ですか」
「板宿ですよ。そこから毎日電車で明石高校まで通っていました」
「もう自分の生き方が出来て、それだけでも素敵じゃないですか」
「上手く行くかどうかは分かりませんね」
「あなたなら大丈夫です。きっと大成功されますよ」
「ならいいですが」
「ああ、長い事お手を止めてしまいました。これで失礼します」
「また日本でやる時に来て下さいね」
「きっと行きます。ありがとうございました」
本当は1枚でも、こんな中から選べるのだから欲しかった。次は、もっと値段が跳ね上がっているかも知れない。それでも、今すぐ買う積もりはなかった。買う為に来たのではなかったから、持ち合わせだってない。しかし、離れ難い素敵な絵には違いなかった。
雨は、傘を差しても差さなくてもいい程のもので、池のようにちょこっと覗いた青空が、大きな怪物のような雲に隠されて行く所だった。
感動あるうちに感動あることを書け、そう思ってこのブログを書いた。「光あるうちに光の中を歩め」はトルストイの短編で、50年以上も前に読んだ事がある。なんだかこのタイトルを思い出して付けた私のブログのタイトルが、これだった。
橋本薫さんの生き方も素敵だし、「私はイエスマンになる!」と言う言葉も味があり、裏もある。「嫌だからと拒否していたらそれまでで、釣りに行こうと誘われた時に付いて行くと、また違った体験をする。釣りの絵だって描けるようになる。ルアーの美しさだって、釣りに行っていなかったらずっと描けなかったかも知れない」。そう言うイエスマンなら、私は大賛成だ。
思い立ったが吉日とは、ずっと昔聞いた事のある文句だ。私は、この人の絵を観る為に、この大きなチャンスを捉えた。それだけの事だが、こんな台風の中でも兎に角行ってみた。今日と明日しか残っていない展示会。行って良かった。昨日知らなかったら、このチャンスも縁も、海の藻屑と消えた筈だった。絵と出会え、それを生み出した橋本薫さんとの初対面も果たした。それでいいと思う。それこその人との出会いだったのだ。
感動は、心の中に散らばって、確かに息衝いている。こんな絵もあるんだ、と。この部屋にいて、木々は乱れてはおらず、青空が広がり出し、ただ、近くの雲の動きは随分速い。東急ハンズの一瞬の出来事が、嘘のようだ。