正直に言うと、横浜の妹は気が向くと宇宙ステーションが見られる時間を知らせて来る。

 

正直に言うと、私はいつISSが見られるかは調べれば分かる域に達している。

 

正直に言うと、最初に教えてくれたのは妹だが、今の私はまるでオタクだ。

 

寒いとか、積んで来た経験で、もういいかと言うのが今の気持ちだった。だが、こうして知らせて来ると、まるで操られているかのように、オタクになる。

 

30分前に伝えて来たメール。オカリナの練習をそそくさと止めて、心はカインズの屋上駐車場に飛んだ。準備をすると、もう暮れてしまった秘密基地へと、車を飛ばした。午後6時9分から15分までの観察が出来る。比較的温かな夕暮れ。震える事はなかった。

 

磁石で何度も西側を確認した。予定では、一番高くなるのが北西で、消えて行くのは北北東だった。西に、小さな星が1つ、ぽつんと弱々しく輝いている。今までの経験で、「低い所に現れて」と書いてあっても、それよりは随分上に見られた。

 

首を上に上げて見るが、突然現れるから、気持ちを楽にしていなければISSをキャッチするのはそんなに容易ではない。西に、点滅する飛行機。北北東にも現れる。全くいい迷惑だ。だが、経験は自分の心を豊かにする。いくら飛んでいても、それは飛行機だと断定出来た。殆ど星はまだ見えない状態で、現れた時は頬の筋肉が緩んだ。

 

もう、目を離す事はない。しっかりとその小さな動く星をゆっくり追った。なんと至福な時間だろう。9分から15分まで見られると言う喜び。その度に、上って来る車、下りて行く車。その前照灯の明かりは眩かった。私は、きっと変な人だと思われているのだろう。その度に上の方を眺めた。誰か車を止めて、「何があるんですか」と聞いてほしいなと、何度も思った。でなかったら、本当に変な変なお爺さんだ。

 

6分掛かって見えなくなった。満足以外の何物でもなかった。妹がメールをくれなかったら、絶対に見ていなかった。何故なら、見る事に一生懸命でもなく、細かく調べてもいなかったからだ。

 

カインズの駐車場のコーナーの街灯が眩いのが欠点だが、北から西を中心に南にかけてのパノラマは、正に私の観測秘密基地なのだった。

 

すっと消えて、自分が90度体を回転している事を知った。南の空の高い所を見ると、上弦の月である半月が美しく、その上か横か下か、そんなに離れていない所に、火星が月が首にかけているペンダントに見えた。明日は雨だと言う。よくぞこのISSと月と火星のコラボの宇宙を見せてくれた。妹からのメールがなければ、何度でも言うが、ISSは絶対に見てはいない。

 

暗くなった道を戻った。もう1度、月と火星を見て、家の中に入った。日本盛を飲み、鶏の唐揚げをあてにして、TVを観た。一番気が落ち着く時だ。もう1杯、日本盛を飲んだが、追加のあては5種類の千切りの野菜、それとサンマの缶詰だった。サンマは最近獲れ難くなっていて、値上がりも噂されている。スーパーからなくなってしまうまでにゲットする為に、サンマの缶詰を幾つか買って来ていた。ついでに、鯨と鯖の缶詰も忘れなかった。缶詰なら数年は大丈夫だから、少しずつ買って置くのもありかと思う。

 

オカリナの練習かISSのオタクか。オカリナは明日も練習出来る。今日は、25日に加古川での集まりで演奏する予定の曲を練習した。まだ、確認はしていないが、中止と言う話はない。ギリギリに、そんな話があったとしても、練習した分、何かの肥やしになっている事だろう。だが、指は曲げると痛い。低いラの音が、簡単には出ない。指がバネのように跳ねたりもする。もう演奏の限界に来たのだろうか。

 

それでも、オカリナに食らいつく。「赤いスイートピー」「ワインレッドの心」「ある愛の詩」「紅蓮華」。これが演奏曲だ。アンコールがあれば「いのちの歌」「まちぶせ」を用意している。アンコールは、適当な時に止めなければ飽和状態になって、もう聴きたくない頂点に達する。もし拍手も止まる事がなかったら、あとは何にしよう。「白鳥」や「アランフェス協奏曲」があるだけだ。それでも、となったら? 「津軽海峡・冬景色」がある。この曲は、アルトC管で演奏するが、8種類のアルトC管で吹いてみた。どのオカリナが一番石川さゆりの気持ちを表現するのに近いかを知る為に。

 

19歳の頃の「津軽海峡・冬景色」と今のそれとも聞き分け乍ら、どの辺りの演奏をすればいいのかと逡巡する。

 

指がもっと動けばなあ。こんな時が来るなど、つい最近まで考えてもいなかった。確実に歳は過ぎて行く。人生は、そんな風になっているのだろう。火が炭になって消えて行く寸前まで、満身創痍でもオカリナは吹き続けていたい。満身創痍で、吹けるかい? 

 

結局、25日は中止になったが、取りやめにしたKiさんの判断は、緊急事態宣言に則っての賢明な判断だった。

もっと早く観る事が出来ただろう宇宙ステーションを、2021年になってから初めて観たのは17日、今日の夕方だった。

 

横浜の妹から久し振りにメールが来て、今日の観られる時間と方角が知らせてあった。もっと前から見られただろうが、私は今年になって、そんなに関心を持たなかった。昨年、どれだけ観た事だろう。観ればわくわくするが、もう寒さは沢山だった。

 

何だかんだ言っても、数年前に宇宙ステーションが見られると教えてくれたのは妹だった。今日は、6時7分から10分までと書いてあった。それは横浜辺りの時間帯で、神戸辺りは6分から9分の3分間だ。時間の範囲は全国的にも1分位の差しかないから、微小な違いでしかない。だが、それが問題で、7分から見たとして9分には消えるから、2分しか観られないのは如何にも残念である。

 

妹のメールには、「・・18:07ごろ南の空低くに見え始め、左へ動き18:10に見えなくなります。・・」とあった。メールを見たのは17時30分前だったから、見るには見られる。けれど、暖房の部屋で、仮想の寒さと闘っていた。だが、体は勝手に動いていた。15時55分にカインズに向かった。

 

南の低い空を見た。辺りは黄昏ていたが、雲がないのは空の環境から分かった。南の高い位置には、13日の新月から5日目の上弦の月が明るかった。下の方を漠然と見ていた。星は輝き始めていたが、ISSは何処にもない。腕時計は6分になっていた。また見えないのか、と思っていた。それも、ぶるぶる震えながら。コートは着ていなかったから、この寒さは矢張り耐え難い。

 

すると、南の目平より上の方に、左に少しずつ動く小さな星を見つけた。30秒位は見えなかったから、結論を言えば、消えるまでの2分30秒は確実に観る事が出来た。もう、飛行機には騙されない。如何にもISSかと思わせるそれは、こんなややこしい時間に限って1機は飛ぶ。タイミングが良すぎるので、最初の頃はそうだと信じていた。大きな違いは、飛行機は赤く点滅しながら飛んでいる。それには騙される事はなくなった。

 

速くなったり遅くなったりする事はなく、宝石のようなISSは空の線路を弧を描いてゆっくり移動して行く。

 

山の後ろや建物の間から出て来る訳でもなく、又そのような所に隠れて消えるのではない。太陽はそうであるが、ISSは地球の陰から突然出て来るから、どこに見え出すかは分からない。突然見え出すのだ。

 

段々高くなり、オリオン座の下の方の星リゲルとサイフの間に入り、真中の3つの星ミンタカとアルニラムとアルニタクを通りベラトリックスとペテルギウスを抜けた。壮大なロマンだった。暫く観ていると、急に暗くなり、まだ空にあると言うのに、消えてた。地球の陰に隠れてしまったのだ。

 

こんなに美しく見えた事もそうそうはない。これ以上眺めてはいられない。寒さが蘇って来た。今後もISSは愚か宇宙ショーが目白押しだろうが、暫くは宇宙ステーションはお預けにして置こう。うーん、どうかな。寒くなくなったら又出掛けるかな。オリオン座のペテルギウスは太陽の約1,000倍の大きさだと思うと、それだけであのオリオン座の左上の赤い星を見たくなる。

 

宗次郎は「天空のオリオン」と言う曲を作り、オカリナを吹き始めた頃私は、この曲を得意になって吹いたものだった。下手な時に限って自分の音に酔い痴れるのだから、一体どうなっているのだろうと思う。今は、吹いていて酔い痴れるなどと言う事はない。

 

高く空に上がって行くほどに、益々澄んで輝くオリオンの星。今日の黄昏は、人口の宇宙ステーションと天空のオリオンの、またと見られないだろう美しいショーを観た思いだった。

本当の事を言おう。

 

私は音楽に疎い。

 

オカリナは田舎(出雲)に住んでいた小学6年生の時に或る人から頂いて、間もなく壊れて、そのまま大人になった。神戸に出て来ると、垂水駅に並ぶ商店通りに楽器屋さんがあった。何気なく目に入ったのが、オカリナだった。私の内では買わない筈がなかった。20代半ばの頃だった。

 

今のようにオカリナは知られていず、全くマイナーな世界でしかなかった。時たま、難しくない童謡や唱歌を吹くだけで、年に何度か自分で吹く事しかなかった。1度も吹かない年もあった。

 

疎らにでも吹き出したのが阪神・淡路大震災から後の事で、他の楽器を演奏出来るとは思えなかった。クラリネット、サックス、フルート、トランペット、ヴァイオリンなどなど、これらは私には想像の欠片でしかなかった。少しでも接触していたのがオカリナ。

 

音楽の基礎も分からない私に、オカリナだけは傍にいた。簡単な曲が吹けるようになって、オカリナに愛着が出て来た。それで、出来る訳もないと思いながら、オカリナの為に無謀にも曲を作ってみようと思った。それが22年位前だっただろうか。

 

それから10年ばかり、作曲法も分からぬ私が、思い浮かぶ音を必死で書き写すと言う事態が生じ続いた。それ以後は作曲などと大それたことはしていないが、30曲ばかりが出来ていた。気を付けていた事は、オカリナで演奏出来る音階の範囲で作れる事だった。オカリナが好きだったから、オカリナで吹けなかったら意味がない。いい曲が作れるなら今も続いていただろうが、素人の私にはそこまでだった。

 

昨夜、自分の作った曲名をみていた。その1つに「平安京~忍ぶれど~」がある。副題に引っかかった。「忍ぶれど」と百人一首にはあるが、「忍ぶ」は「偲ぶ」ではないかと思い始めたのだ。辞書には、「忍ぶ」は秘密にする、「偲ぶ」が恋いしたう、とある。暫く後の漢字で考えてみて、やっぱり最後は初めの漢字に戻った。ここでは議論する積もりはないが、時は、また違った事も考えさせてくれる。

 

すると、小倉百人一首の私が名付けた副題の和歌が、頭の中をさっと流れた。平兼盛の、

 

   忍ぶれど色に出でにける我が恋は 物や思ふと人の問ふまで

 

これは、「忍ぶ恋」の題で村上天皇が開いた歌合せで詠まれたものだ。それの対抗した和歌に壬生忠見の、

 

   恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか

 

どちらも、三十六歌仙の一人だが、決着が着かないに程拮抗していた。それで、天皇が口遊んだ「忍ぶれど」の方が選ばれたと言う言い伝えがある。

 

ここで選ばれると言う事は、2人には生死に関わる位のものだっただろう。鬼がそれを誘導した話を聞いた事がある。

 

正月の数日は孫達も来たりしていたが、とうとう百人一首を使った坊主捲りを楽しむ事はなかった。私が子供の頃は、これが主流だった。凧揚げもない、羽根突きもない、独楽回しもない、私に取っては少し寂しい気もしたが、歴史は繰り返すと言われてはいるにしても、それはまた違った概念ではないだろうか。時代は、そんな事全く関係ないとでも言いたそうに、超速の進歩を遂げている。

 

誰もが、嵌まったら抜け出せない程のゲームから目を離さない。何か独り言を言っているのかと思ったら、イヤホンで友達とそのゲームで話している。戦いだから、目の前にいない相手と闘っているような荒っぽい言葉も聞かれる。

 

だが、私達の時代はゆっくり流れていた。今の子供たちのような時流には乗れないが、自分がこの時代に生まれていたら、きっと夢中になっていただろう。しかし、のめり込むのではなくその止め時、つまりけじめをどうつけるかが問題だ。周りが止めさせるのか、自分で止めるのか。

 

話が飛んでしまった。今の子供たちには、忍ぶと言う気持ちも様変わりしているのだろうか。古代から現代までの流れが、私の頭の中を疾風のように巡った。

 

ずっと以前から、色んな事がシンクロするようになっている。この「忍ぶれど」を昨夜見て、今朝TVを観ていたら20年間やっている女性の写真家が出ていて、その店の名が「しのぶれど」だった。毎日のようにシンクロには驚かされるが、私の拙い曲名も、「平安京~忍ぶれど~」ではなく「平安京~しのぶれど~」にしていれば、悩む事もなかったと思う。

 

寒いが、外の霙は止んでいる。

ことしもよろしくおねがいします。

 

 

おめでたいとはどうしても言えない、2021年が来た。2020年の大晦日は、毎年欠かしたことのない「紅白歌合戦」を観た。誰が本命かとかはないが、もう歌謡曲一色と言う時は去った。

 

AKB48と言えば「ヘビーローテーション」が印象的だったが、今は似たようなグループが混在している。私は、NiziUが孫達のように可愛かった。Lisaも「紅蓮華」も私を過ぎた。パヒュームがもう20年も経つのかと思うと、それも偉業だ。

 

Eテレでは、村治佳織が出演するようだ。どんなに彼女のギターが聴きたくても、それは諦めなければならない。

 

無観客で終わったけれど、却って演出が面白く感じられた。それが終わると「ゆく年くる年」が始まり、先ずは永平寺の鐘の音を聴いた。境界線を跨いで、更に15分。2021年に切り替わった。それからは、おとなしく布団を被った。

 

朝携帯の時間を見た。いつもなら3時だとか4時だとかに目が醒めていたが、今日は6時9分で驚いた。ぐっすり眠ったものと思われる。月並みな言葉で言えば、飛び起きた。

 

初詣に三宮にある生田神社に行く。風はそこまで勢いがあった訳ではないが、首巻、あっ今はマフラーと言うんだっけ。それを巻くと、首が温かい。手袋もして、高速バスに乗った。

 

雲も真っ白で美しい。青い空から下に目を下ろすと、色は水色に変わる。それぞれの雲はクジラやイルカに見え、熊にも兎にも見えた。その単純な形の回りを、ニクロム線の熱が輪郭をなぞったようなオレンジ色の枠で囲んで、バスに向かって来るようだった。

 

天使の梯子と言われている幾つもの太陽の光の筋を見た。厳かとしか言えない程のそれが、タイミングよく十数秒見えた。バスがくねるからだった。幸先のいい元日の朝。

 

7時30分頃だったが、バスの窓を通して、大きな雲の塊りから太陽が頭の先を覗かせた。朝の太陽だから、数秒見つめていても、そんなに眩くはなかった。私に取っても、バスに取っても、初日の出でしかなかった。バスから見るそれは、初めて見るものとなった。しっかり見つめてから目を閉じた。赤いキャンバスに、緑色のハートがピンクの流れの上に乗っかっているのが見えた。じっと見ていると、ピンクの流れは何処かに行き、緑のハートだけが残った。

 

神戸の初日の出は、凡そ7時5分頃のようである。それが雲の頭から初めて見られたのだから、明らかに私の初日の出だった。

 

三宮でバスを降りると、生田神社の方に向かう。他人の姿も三々五々、若者が殆どだった。歩道には紙屑や空き缶や紙袋が散らばり、神戸の文化などとは程遠かった。5人の若者の内1人が女性で、女性が4人の男達の写真を撮るところだった。歩道の幅の端から端までを独占し、私も向こうから来る男の人も、その真ん中を通る訳にも行かず、女の後ろをぐるっと回るしかなかった。私達に済まないと言う気持ちは英語で言えばinchもなかった。日本人の培われて来た思い遣りや繊細さの文化は、もう廃れてしまったのか。

 

でも、今年の私は違っていた。マイナスに思える事は心に残さず貯め込まずに唱える呪文を考えたのだ。すぐに「ポジティブポジティブ」と唱えた。若者に対するそんな状況と悪意は消えた。

 

この言葉は、素敵な発見だった。まるで「桑原桑原」と言っているようだが、内容は違う。マイナスの状況には関与しない呪文だ。「ポジティブポジティブ」。嬉しい呪文。今年は、これで行こうと思う。爽やかになれるのが不思議だった。

 

屋台が無い。第二鳥居から入るようになっているが、数少ない参拝者は、QRコードに頻りにスマホを向けている。それに対してボタンを押すと、番号が出る仕組みだ。それに依ってお御籤を貰う事が出来るのだ。私はガラケーだから、そんな事は思ってもいなかった。お御籤は引けないのかと思った。

 

何人も巫女さんが並び、マスクの確認と消毒の確認をしていた。

 

参拝を済ますと、西側の門に誘導された。大回りをして三宮駅に行かなければならなかった。そこに巫女さんが横並びになって、スマホの人にお御籤を渡していた。一番左の隅に、普通のお御籤が用意され、そこにも2人の巫女さんがいた。私は300円を渡し、さっとお御籤を手にした。コートのポケットにしまうと、駅に向かった。

 

高速バスは、何故か11時頃からしか動かない。JRに乗る事にした。快速はすぐに来て、それに乗った。余り人のいない向かい合う席に1人座り、徐にお御籤を取り出して、中味を開けてみた。

 

「大吉」が目に入り、次に第三十一番が目に。

 

歌を読んだ。

 

高圓の 野邊の容花 面影に見えつつ妹は 忘れかねつも   大伴家持 八・一六三〇

 

草むらにひるがおの花を見付けて、離れて暮らしている人の事を忍んでいる歌です。望の達成は難しいように見えても、不動の気持ちで臨めば目標に到達できます。決して運気は悪いわけではありません。初志を貫徹して下さい。

 

天照大神のもう1つの姿を祀る稚日女尊(わかひるめのみこと)は、そう私に今年の過ごし方を指示しているようだった。

 

垂水駅に着くと、すぐに路線バスに乗った。列は長かったが、席には座れた。家に着いても、まるで元日の朝、今起きたかのような時刻だった。9時前に着いたので、1時間半で行って来れたのだった。

 

10時過ぎて、年賀状を見ながらTVを観ていた。そっと横の窓のレースのカーテンを捲って太陽を見た。もう、1秒たりとも見つめる事は出来ない程、その輝きは神のような姿だった。

 

 

12時を過ぎた頃、近くに住んでいる娘夫婦と女の子の孫2人が来た。必ず日本酒を持って来ると、昨夜から思っていた。それが、旦那が1升瓶を持って来て、私に渡した。喜んで受け取った。「大吟醸龍力 米のささやき」と言う。ウイスキーはとっくになくなり、ビールも後1缶。CHOYAの梅酒も甘く、マッコリもなくなった。望みは日本酒だけだった。

 

じゃあと言ってガラスコップに注いだが、私は車に乗って行く所があった。残念ながらお預けとなったが、あの待てをされる犬のような緊張感はない。さっそく雑煮を食べた。美味いではないか。餅3つ。お代わりに又、餅3つ。10個以上食べていた昔の私ではなく、これでパンパンだった。昔から代々継がれる雑煮に入る物は、鰤の切り身。十六島(ウップルイ)海苔。芹。牛蒡。豆腐。勿論餅。これがないと、私の1年は始まらない。

 

其々に雑煮は様々だが、その家で食べる雑煮こそ、1番美味しい雑煮なのだ。

 

話の中に「鬼滅の刃」が上った。私は5巻しか持っていなく、最後の23巻目もあると言った。その瞬間、5年生の孫は22巻まで読んだが、23巻をまだ見ていないと言った。あるよと言ったら、喜んで読んでいた。買っていてよかったと思う時だった。

 

2時半を過ぎた頃、多井畑神社に行くと言った。まだまだ楽しい遊びがあったのだが、向こうの予定もある。楽しかった時を終え、別れた。

 

石川啄木のこの歌が好きだ。毎年思い出している。風は少しあって冷たかったが、啄木の歌には風は吹いていないようだ。

 

  何となく、今年はよい事あるごとし 元日の朝、晴れて風無し

 

もう1つある。歌集「悲しき玩具」に。

 

  年明けてゆるめる心! うつとりと 来し方をすべて忘れしごとし

 

2020年に、長い長いブログを書いた。だが、インターネットに繋がらないと言う事で、載せる事が出来なかった。とても残念だったが、何か訳でもあったのだろう。さて、これはどうだろうか。比較的長い文章だが、上手く乗れるかどうか。今年を占いたい。

見る、見ない、無関心。

 

人の思考や感情や行動は、全て似通っていても、同じではない。不思議と絡まって、様々な状況を生み出す。今日(21日)の397年振りと言われている木星と土星の超最接近の姿を見る事にしても、先ず上の3つに分かれるだろう。

 

山陽電車で別府(べふ)駅に着くと、バス停で1人、私に手を振っているK君がいた。スタバでO君とコーヒーを飲んで待っていると言っていたので、私もその店に行こうと思っていた。O君は私を探しに行ってスタバから戻って来た所だった。まだ20分はあると言うのに。

 

普通のバスが半分になったような可愛いバスは、15時14分に発車した。バスストップで降りると、すぐ近くの「しのべクラブ」へと歩いた。2人は、関心を持っていた。3人の心は、見る事に決まった。

 

桜の間は、20人は入れる。そこは最高の部屋だ。午後5時半からなのでロビーで話していたらHさんがやって来て、

 

「部屋に入っていましょう」

 

と言った。すると三々五々、人が集まって来た。時間までにちゃんと集まって来るのが面白い。開会時間が迫っていた。私とK君とO君は外に出た。私は場所は分かるので、その姿に静かに感動していた。余りの接近に、誰が計算しているのだろうと思った。2人は、どこに見えているのか把握し難かったようなので、指で示した。まだそんなに暗くなっていないので、見え難かったのだろう。Okさんがやって来て、一緒に見た。

 

下が明るくて大きい方の木星。その上の少し右側の暗くて小さな方が土星だ。先ず私の中の第1ミッションは無事に終わった。

 

もう始まろうとしていた。13人集まる事になっていた。この時世に忘年会と言って騒ぐのは憚られた。宴会も言葉が派手だ。私は、密かにマスク忘年会と思って自制していた。

 

「乾杯」

 

以前の公民館長が音頭を取った。鍋は1人に1つのすき焼き鍋で、後は幾つかの皿に入れられた枝豆やポテトチップス、唐揚げ、鰯のフライ、玉子焼きなどが並んだ。遅くなると言っていた2人が入って来て、またまた

 

「乾杯」。

 

1人は女性。それからまた入って来たのが女性だった。

 

「乾杯」

 

これで13人が揃った。最後に入って来た女性は、何だか中島美嘉さんに似ていた。

 

K君と私はまた外に出たが、暗くなっていて、初めよりはよく見えた。ビールも喉を通っており、気分も良かった。部屋に戻って、

 

「今、よく見えますね」

 

と言ったら、数人が出て行った。それでも、見ない人や無関心な人はいた。どうしても見なくてはならないものではないから、それはどうでもいい事だ。

 

戻るとまた、ビールを飲んだり食べたりした。ビール、焼酎、ウイスキーがある。日本酒も後から出て来るそうだ。私は決して飲める口ではないので、後はウイスキーの水割りにした。一人ひとりにトングが置いてあり、それで皿から取るようになっていた。

 

やっぱり人は集まると楽しい。況して飲んだりするのは晩酌程度で、語りながらの機会が全くなかった。話が弾んでいた頃、Kiさんが、今から私がオカリナの演奏をすると言った。K君はO君が持って来たラジカセに、私の伴奏CDを入れて流す役目をしてくれた。

 

譜面台を立てて準備した。

 

最初は、プラスチックオカリナで無伴奏のクリスマスソングを吹いた。もうすぐクリスマスなので、そんな雰囲気も味わって貰おうと思った。「きよしこの夜」「ジングルベル」。そして「ホワイトクリスマス」を吹く前に、白い半透明のプラスチックオカリナのボタンを押した。赤、緑、青の明かりが目まぐるしく点滅した。これを見て貰う為のオカリナだった。私は飲んでいるので息が荒かったが、皆はその明かりをじっと見つめていた。

 

「そのプログラムに書いてある演奏をしますが、アンコール用の曲を4曲用意しています。アンコールがある場合は、声を上げて下さい」

 

そう言っておいた。

 

「飲んでしまったので、上手く吹けません。飲んだら吹くな、吹くなら飲むな、と言う言葉があるのに、飲んでしまいました」

 

と言ったら、皆が笑った。私の中では、もう間違いがあっても気にしないぞと、大きな心になっていた。

 

坊がつるは、Kiさんの故郷だ。大分県竹田市がそうで、「坊がつる讃歌」はそこで生まれた。Kiさんが好きな歌で、私は秋田のUさんにギター伴奏でCDを作って貰っていた。Kiさんの為にと言っても良かった。九州大学の学生が1952年に小屋番のアルバイトで暇に任せて9番まで作ったと言う。後に4番までを芹洋子が歌うようになり、1978年第29回紅白歌合戦に、この歌で初出場を果たしている。

 

2番まではC管なので皆に歌って貰い、3番はF管で吹くようにギター伴奏をして貰っているので、オカリナを持ち替えて私だけで吹いた。多分歌い難いと思ったので。

 

「皆に歌って貰って、嬉しかったです」

 

と、Kiさんは言った。

 

次の「虹の彼方に」は、知らない人もいたようだった。これはE♭管で、吹く方も音階面で変化があって面白い。ポポロ独特の、掠れた音のするのも面白い一因だ。

 

次は「シルクロード」をトリプルオカリナ「アニバーサリー」で吹いた。アルトC管だけでは、高音を1オクターブ下げて吹かなければならず、少なくとも私には面白くない。これは、喜太郎が作った曲だが、かつて「NHK特集 シルクロード」の番組で流されていた曲だ。この曲が大好きなHさんは、その事を頻りに、私に3回も話した。こんな時、吹いて良かったと思うのだ。選曲の大切さは、そんな所にもあるように思う。

 

「ウイスキーもある事だし、最後は『ウイスキーが、お好きでしょ』を演奏します」

 

と言った。伴奏が色っぽいので、こんな雰囲気の場では喜ばれるのではないかと思って選んだ。一つひとつ拍手をしてくれるのが演奏冥利なのだが、ちょこちょこ間違った所もあった。それでも、皆も酔っているだろうと思って、気は依然として大きかった。

 

アンコールの掛け声が、やっぱり掛かった。最初にあそこまで言っているので、掛けてもらえなかったら惨めだろう。

 

「それでは4曲用意していますが、アンコールで4曲も吹くのは皆さんも疲れます。1曲でいいと思いますが、4曲の中で2曲決めて下さい」

 

そう言って、曲目を伝えた。本当は吹きたかった「紅蓮華」だが、鬼滅の刃のテーマ曲だと言っても、反応しない人もいた。これは仕方なく止めにした。「花は咲く」は長い(5分)し変化に乏しいので、ここの今の状況では吹かない方がいいと判断して止めた。

 

「第九~歓喜の歌~」はすぐに決まった。1分で終わると言った所為もあるかも知れない。どうしても吹きたかったのが「東京ららばい」だった。最後は、これで締めたいと思っていた。1週間前に楽譜とCDが届いたが、練習し出したら、なんと楽しい曲だろうか。歌詞は寂しく、すねて諦め、それでも探す愛と幸せ。そんな事知ってか知らずか、これも決まった。

 

♪午前三時の東京湾(ベイ)は

  港の店のライトで揺れる

                 ・

        ・

        ・

  東京ララバイ 地下がある ビルがある 星に手が届くけど

  東京ララバイ ふれ合う愛がない だから朝まで

  ないものねだりの子守歌

 

  午前六時の山の手通り

  シャワーの水で涙を洗う

                ・

        ・

        ・

  東京ララバイ 夢がない 明日がない 人生は戻れない

  東京ララバイ あなたもついてない だからお互い

  ないものねだりの子守歌

 

  

   東京ララバイ 部屋がある 窓がある タワーも見えるけど

  東京ララバイ 倖せが見えない だから死ぬまで

  ないものねだりの子守歌

   

歌詞は悲しく曲は楽しい。だが、悲しさを楽しくは演奏出来ないから、私は歌詞は、♪午前三時の東京ベイは、と♪午前六時の山の手通り。そして♪東京ララバイ、だけを演奏の時に頭の中で歌うことにしている。

 

曲は踊るようなリズム感があり、伴奏にとてもパンチがある。歌う人も、果たして悲しい気持ちで歌うのだろうかと思ってしまう。オカリナ吹きの私にしてみれば、曲も伴奏も面白くて止められない止まらない「東京ららばい」だ。

 

この曲を知っている人が少なからずいたし、途中、間奏が始まる時に起きた拍手が半端ではなかった。これは、私が何処かで吹く時には、一番最後に入れようかと思った程だ。オカリナも喜んでくれると思う。

 

オカリナの音色が好きだと、何人もの人が言った。ざわざわと「鬼滅の刃」と言う声が上がっていたが、ここでしっかりと終わりにした。過ぎたるは及ばざるが如しだ。

 

嬉しかった事がある。トロンボーンを吹くと言うOkさんが、遠くの席からも、私の席に近く来た時にも、こう言った。

 

「音程がしっかりしていて、4百4十・・」

 

「442Hzですね」

 

「それが正確に合っていて、とても感動しました」

 

と言った。中島美嘉さん似のピアノをやっていると言うSさんも、Okさんの方を向いて頷いていた。音程の事には以前は余り関与しておらず、強過ぎて高いと言われていた事はあった。だが、今はとても関心がある。自分の音の高さを確認しながら練習する。それを今回音楽の分かる人に言われて嬉しかったのだ。

 

Okさんの言ったこの言葉がそれを証明してくれたし、褒めてくれたのもお世辞ではないと分かった。

 

「あの最初の曲は音程は合っていなかったですね」

 

それは初めから分かっていた。。プラスチックのオカリナは、余程強く吹かなければ442Hzには合わない。何度も、穴の全部を少し開けて半音は高くなるように、吹き易く調整しようかと思っていたからだ。アカペラなら、どんな音程でも、メロディーが確かなら聴いて貰えると思っていた。しかし、音楽をやっている人は、しっかりと音を聴いているのだと、飲んでいるにも拘らず耳はしっかりしているのだと思い知らされた。ピアノの出来るSさんも2人共絶対音感の持ち主かも知れないと思った。

 

8時半にはお開きとなった。私とK君は別府駅までバスに乗り、電車に乗った。話も尽きず喋っていると、山電垂水駅に着いた。K君は何処かで地下鉄に乗り換えて、名谷駅で降りなければならない。彼も、私のオカリナを喜んでくれた1人だ。

 

 

1晩寝て起きて、今日(22日)も午後5時半過ぎだったが、木星と土星のコンジャンクションを見た。ちゃんと見えたのはラッキーだったのかも知れない。木星は左。土星は右に並んでいた。晴れていたら暫くは毎日見てみたい。離れ具合や位置などを確認するだけでも、楽しさが増す。

 

2つの星のグレートコンジャンクションは、正にスケールの大きい、400年の夢の実現だった。