ことしもよろしくおねがいします。

 

 

おめでたいとはどうしても言えない、2021年が来た。2020年の大晦日は、毎年欠かしたことのない「紅白歌合戦」を観た。誰が本命かとかはないが、もう歌謡曲一色と言う時は去った。

 

AKB48と言えば「ヘビーローテーション」が印象的だったが、今は似たようなグループが混在している。私は、NiziUが孫達のように可愛かった。Lisaも「紅蓮華」も私を過ぎた。パヒュームがもう20年も経つのかと思うと、それも偉業だ。

 

Eテレでは、村治佳織が出演するようだ。どんなに彼女のギターが聴きたくても、それは諦めなければならない。

 

無観客で終わったけれど、却って演出が面白く感じられた。それが終わると「ゆく年くる年」が始まり、先ずは永平寺の鐘の音を聴いた。境界線を跨いで、更に15分。2021年に切り替わった。それからは、おとなしく布団を被った。

 

朝携帯の時間を見た。いつもなら3時だとか4時だとかに目が醒めていたが、今日は6時9分で驚いた。ぐっすり眠ったものと思われる。月並みな言葉で言えば、飛び起きた。

 

初詣に三宮にある生田神社に行く。風はそこまで勢いがあった訳ではないが、首巻、あっ今はマフラーと言うんだっけ。それを巻くと、首が温かい。手袋もして、高速バスに乗った。

 

雲も真っ白で美しい。青い空から下に目を下ろすと、色は水色に変わる。それぞれの雲はクジラやイルカに見え、熊にも兎にも見えた。その単純な形の回りを、ニクロム線の熱が輪郭をなぞったようなオレンジ色の枠で囲んで、バスに向かって来るようだった。

 

天使の梯子と言われている幾つもの太陽の光の筋を見た。厳かとしか言えない程のそれが、タイミングよく十数秒見えた。バスがくねるからだった。幸先のいい元日の朝。

 

7時30分頃だったが、バスの窓を通して、大きな雲の塊りから太陽が頭の先を覗かせた。朝の太陽だから、数秒見つめていても、そんなに眩くはなかった。私に取っても、バスに取っても、初日の出でしかなかった。バスから見るそれは、初めて見るものとなった。しっかり見つめてから目を閉じた。赤いキャンバスに、緑色のハートがピンクの流れの上に乗っかっているのが見えた。じっと見ていると、ピンクの流れは何処かに行き、緑のハートだけが残った。

 

神戸の初日の出は、凡そ7時5分頃のようである。それが雲の頭から初めて見られたのだから、明らかに私の初日の出だった。

 

三宮でバスを降りると、生田神社の方に向かう。他人の姿も三々五々、若者が殆どだった。歩道には紙屑や空き缶や紙袋が散らばり、神戸の文化などとは程遠かった。5人の若者の内1人が女性で、女性が4人の男達の写真を撮るところだった。歩道の幅の端から端までを独占し、私も向こうから来る男の人も、その真ん中を通る訳にも行かず、女の後ろをぐるっと回るしかなかった。私達に済まないと言う気持ちは英語で言えばinchもなかった。日本人の培われて来た思い遣りや繊細さの文化は、もう廃れてしまったのか。

 

でも、今年の私は違っていた。マイナスに思える事は心に残さず貯め込まずに唱える呪文を考えたのだ。すぐに「ポジティブポジティブ」と唱えた。若者に対するそんな状況と悪意は消えた。

 

この言葉は、素敵な発見だった。まるで「桑原桑原」と言っているようだが、内容は違う。マイナスの状況には関与しない呪文だ。「ポジティブポジティブ」。嬉しい呪文。今年は、これで行こうと思う。爽やかになれるのが不思議だった。

 

屋台が無い。第二鳥居から入るようになっているが、数少ない参拝者は、QRコードに頻りにスマホを向けている。それに対してボタンを押すと、番号が出る仕組みだ。それに依ってお御籤を貰う事が出来るのだ。私はガラケーだから、そんな事は思ってもいなかった。お御籤は引けないのかと思った。

 

何人も巫女さんが並び、マスクの確認と消毒の確認をしていた。

 

参拝を済ますと、西側の門に誘導された。大回りをして三宮駅に行かなければならなかった。そこに巫女さんが横並びになって、スマホの人にお御籤を渡していた。一番左の隅に、普通のお御籤が用意され、そこにも2人の巫女さんがいた。私は300円を渡し、さっとお御籤を手にした。コートのポケットにしまうと、駅に向かった。

 

高速バスは、何故か11時頃からしか動かない。JRに乗る事にした。快速はすぐに来て、それに乗った。余り人のいない向かい合う席に1人座り、徐にお御籤を取り出して、中味を開けてみた。

 

「大吉」が目に入り、次に第三十一番が目に。

 

歌を読んだ。

 

高圓の 野邊の容花 面影に見えつつ妹は 忘れかねつも   大伴家持 八・一六三〇

 

草むらにひるがおの花を見付けて、離れて暮らしている人の事を忍んでいる歌です。望の達成は難しいように見えても、不動の気持ちで臨めば目標に到達できます。決して運気は悪いわけではありません。初志を貫徹して下さい。

 

天照大神のもう1つの姿を祀る稚日女尊(わかひるめのみこと)は、そう私に今年の過ごし方を指示しているようだった。

 

垂水駅に着くと、すぐに路線バスに乗った。列は長かったが、席には座れた。家に着いても、まるで元日の朝、今起きたかのような時刻だった。9時前に着いたので、1時間半で行って来れたのだった。

 

10時過ぎて、年賀状を見ながらTVを観ていた。そっと横の窓のレースのカーテンを捲って太陽を見た。もう、1秒たりとも見つめる事は出来ない程、その輝きは神のような姿だった。

 

 

12時を過ぎた頃、近くに住んでいる娘夫婦と女の子の孫2人が来た。必ず日本酒を持って来ると、昨夜から思っていた。それが、旦那が1升瓶を持って来て、私に渡した。喜んで受け取った。「大吟醸龍力 米のささやき」と言う。ウイスキーはとっくになくなり、ビールも後1缶。CHOYAの梅酒も甘く、マッコリもなくなった。望みは日本酒だけだった。

 

じゃあと言ってガラスコップに注いだが、私は車に乗って行く所があった。残念ながらお預けとなったが、あの待てをされる犬のような緊張感はない。さっそく雑煮を食べた。美味いではないか。餅3つ。お代わりに又、餅3つ。10個以上食べていた昔の私ではなく、これでパンパンだった。昔から代々継がれる雑煮に入る物は、鰤の切り身。十六島(ウップルイ)海苔。芹。牛蒡。豆腐。勿論餅。これがないと、私の1年は始まらない。

 

其々に雑煮は様々だが、その家で食べる雑煮こそ、1番美味しい雑煮なのだ。

 

話の中に「鬼滅の刃」が上った。私は5巻しか持っていなく、最後の23巻目もあると言った。その瞬間、5年生の孫は22巻まで読んだが、23巻をまだ見ていないと言った。あるよと言ったら、喜んで読んでいた。買っていてよかったと思う時だった。

 

2時半を過ぎた頃、多井畑神社に行くと言った。まだまだ楽しい遊びがあったのだが、向こうの予定もある。楽しかった時を終え、別れた。

 

石川啄木のこの歌が好きだ。毎年思い出している。風は少しあって冷たかったが、啄木の歌には風は吹いていないようだ。

 

  何となく、今年はよい事あるごとし 元日の朝、晴れて風無し

 

もう1つある。歌集「悲しき玩具」に。

 

  年明けてゆるめる心! うつとりと 来し方をすべて忘れしごとし

 

2020年に、長い長いブログを書いた。だが、インターネットに繋がらないと言う事で、載せる事が出来なかった。とても残念だったが、何か訳でもあったのだろう。さて、これはどうだろうか。比較的長い文章だが、上手く乗れるかどうか。今年を占いたい。