本当の事を言おう。

 

私は音楽に疎い。

 

オカリナは田舎(出雲)に住んでいた小学6年生の時に或る人から頂いて、間もなく壊れて、そのまま大人になった。神戸に出て来ると、垂水駅に並ぶ商店通りに楽器屋さんがあった。何気なく目に入ったのが、オカリナだった。私の内では買わない筈がなかった。20代半ばの頃だった。

 

今のようにオカリナは知られていず、全くマイナーな世界でしかなかった。時たま、難しくない童謡や唱歌を吹くだけで、年に何度か自分で吹く事しかなかった。1度も吹かない年もあった。

 

疎らにでも吹き出したのが阪神・淡路大震災から後の事で、他の楽器を演奏出来るとは思えなかった。クラリネット、サックス、フルート、トランペット、ヴァイオリンなどなど、これらは私には想像の欠片でしかなかった。少しでも接触していたのがオカリナ。

 

音楽の基礎も分からない私に、オカリナだけは傍にいた。簡単な曲が吹けるようになって、オカリナに愛着が出て来た。それで、出来る訳もないと思いながら、オカリナの為に無謀にも曲を作ってみようと思った。それが22年位前だっただろうか。

 

それから10年ばかり、作曲法も分からぬ私が、思い浮かぶ音を必死で書き写すと言う事態が生じ続いた。それ以後は作曲などと大それたことはしていないが、30曲ばかりが出来ていた。気を付けていた事は、オカリナで演奏出来る音階の範囲で作れる事だった。オカリナが好きだったから、オカリナで吹けなかったら意味がない。いい曲が作れるなら今も続いていただろうが、素人の私にはそこまでだった。

 

昨夜、自分の作った曲名をみていた。その1つに「平安京~忍ぶれど~」がある。副題に引っかかった。「忍ぶれど」と百人一首にはあるが、「忍ぶ」は「偲ぶ」ではないかと思い始めたのだ。辞書には、「忍ぶ」は秘密にする、「偲ぶ」が恋いしたう、とある。暫く後の漢字で考えてみて、やっぱり最後は初めの漢字に戻った。ここでは議論する積もりはないが、時は、また違った事も考えさせてくれる。

 

すると、小倉百人一首の私が名付けた副題の和歌が、頭の中をさっと流れた。平兼盛の、

 

   忍ぶれど色に出でにける我が恋は 物や思ふと人の問ふまで

 

これは、「忍ぶ恋」の題で村上天皇が開いた歌合せで詠まれたものだ。それの対抗した和歌に壬生忠見の、

 

   恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか

 

どちらも、三十六歌仙の一人だが、決着が着かないに程拮抗していた。それで、天皇が口遊んだ「忍ぶれど」の方が選ばれたと言う言い伝えがある。

 

ここで選ばれると言う事は、2人には生死に関わる位のものだっただろう。鬼がそれを誘導した話を聞いた事がある。

 

正月の数日は孫達も来たりしていたが、とうとう百人一首を使った坊主捲りを楽しむ事はなかった。私が子供の頃は、これが主流だった。凧揚げもない、羽根突きもない、独楽回しもない、私に取っては少し寂しい気もしたが、歴史は繰り返すと言われてはいるにしても、それはまた違った概念ではないだろうか。時代は、そんな事全く関係ないとでも言いたそうに、超速の進歩を遂げている。

 

誰もが、嵌まったら抜け出せない程のゲームから目を離さない。何か独り言を言っているのかと思ったら、イヤホンで友達とそのゲームで話している。戦いだから、目の前にいない相手と闘っているような荒っぽい言葉も聞かれる。

 

だが、私達の時代はゆっくり流れていた。今の子供たちのような時流には乗れないが、自分がこの時代に生まれていたら、きっと夢中になっていただろう。しかし、のめり込むのではなくその止め時、つまりけじめをどうつけるかが問題だ。周りが止めさせるのか、自分で止めるのか。

 

話が飛んでしまった。今の子供たちには、忍ぶと言う気持ちも様変わりしているのだろうか。古代から現代までの流れが、私の頭の中を疾風のように巡った。

 

ずっと以前から、色んな事がシンクロするようになっている。この「忍ぶれど」を昨夜見て、今朝TVを観ていたら20年間やっている女性の写真家が出ていて、その店の名が「しのぶれど」だった。毎日のようにシンクロには驚かされるが、私の拙い曲名も、「平安京~忍ぶれど~」ではなく「平安京~しのぶれど~」にしていれば、悩む事もなかったと思う。

 

寒いが、外の霙は止んでいる。