
毎日、日課のようにペタを沢山の仲間に付けていますが、実際は会ったこともないし、言葉を交わしたこともない人も沢山います。というか、本当の知り合いはフェイスブックなんかで付き合っているから、僕の場合はペタを付けあっている人達は知り合いでは無い人達が100%です。でも、こうやって毎日ペタを付けあっていると何だか皆仲間を通り越して家族のような気がしてくるから不思議です。
こんな風に思っているのは僕だけなのかもしれないし、実際にはひたすら機械的にペタをつけ続てているだけの人も少なからず居るのかもしれません。
でも、一人一人の本当の気持ちはともかく、こうやって、毎日ペタという挨拶をし続けていると、本当は知らないのに知り合いみたいだし、本当の知り合いでも友人でも毎日は挨拶しないから、やっぱりこんなに毎日必ず挨拶するのはもう家族でしょ?みたいな感じになってくるのかもしれません。
もし、こうやって毎日ペタを交わしている仲間に何か不幸でもあろうものなら、とても心配になるし、とても悲しい気持ちになると思います。
逆に彼らに良いことがあると、自分のことのように嬉しく思えます。やっぱり、そう思うともう家族でしょ?って感じです。フェイスブックの友達でも、そんな思い入れは無いから何だか不思議な感じです。
そう感じているのは僕だけなのでしょうか?
こんな風に思っているのは僕だけなのかもしれないし、実際にはひたすら機械的にペタをつけ続てているだけの人も少なからず居るのかもしれません。
でも、一人一人の本当の気持ちはともかく、こうやって、毎日ペタという挨拶をし続けていると、本当は知らないのに知り合いみたいだし、本当の知り合いでも友人でも毎日は挨拶しないから、やっぱりこんなに毎日必ず挨拶するのはもう家族でしょ?みたいな感じになってくるのかもしれません。
もし、こうやって毎日ペタを交わしている仲間に何か不幸でもあろうものなら、とても心配になるし、とても悲しい気持ちになると思います。
逆に彼らに良いことがあると、自分のことのように嬉しく思えます。やっぱり、そう思うともう家族でしょ?って感じです。フェイスブックの友達でも、そんな思い入れは無いから何だか不思議な感じです。
そう感じているのは僕だけなのでしょうか?
ブログネタ:第六感ってあると思う? 参加中人間だけでなく、動物にも第6感みたいなものはあるらしいということは良く知られています。
ということは人間の場合も本来は誰にでも普通に第6感はあるけど、人間は論理的な思考能力を身につけたので、注意のほとんどがそちらの方に向いており、たとえ、第6感的な情報を受け取っていても、あまりそれに気付かないだけだと思います。
というか、話を本質的な原点にまで戻すと、人間が認識している世界というのは、あらゆる可能性を含む無数の情報の中から、普通の秩序だった生活が送れるように、一種のフィルターを通して、必要不可欠な情報だけが外界に投影されて知覚されていると言った方が正確かもしれません。
そして、時としてそのフィルターにちょっとした不備があると、必要以上な情報がどんどん知覚されてしまい、生活に混乱をきたしてしまうので、論理思考を身につけた人類は、第6感的な情報に頼る必要も減ったので、それらの情報までフィルター機能で排除されている場合が多いのかもしれません。
また、第6感的情報というのは、人間の潜在意識の中の様々な思いや希望や願望や恨み妬みなどの渦の中を掻い潜って浮かんでくるので、本来の情報が様々な感情によって色付けされてしまってる場合の方が多いのようです。
更に、単なる個人的な思い込みや雑念を、第6感的な情報として、勘違いしてしまう場合も多々あります。
従って、いわゆる霊感の強い人の言う事も、全く利害関係のない所で突然浮かんでくる情報は以外と本物の場合が多いようですが、プロの霊感師のようなそれで生活しているような人の場合は、利害関係が大ありなので、その霊感の内容も雑念だらけで、しかも、その本人に情報をもたらす存在がいたとしても、それを商売にするようなことに協力する存在というのは、それなりの者でしかないので、およそそのような情報など本人の為になるようなものは無く、興味本位のものばかりです。
ということは、余程の厳しい修行を経た人でない限り、そこらの霊感師の言うことなどは、信用しないのが一番安全であると言えると思います。
人間というものは、自分で考えて、自分で失敗して、様々なことを学んで行くのが一番堅実な生き方なのであり、安易な即席情報に頼るのは、まじめな生き方とは言えないと思います。
最近ネットでよく宣伝している新しい英語教材は
日本の英語教育は意味がない?日本人が英語を話せない理由が唖然
などと、日本人が英語を話せないのはこれまでの日本の英語教育が間違っていたからだとコテンコテンにこき下ろしていて、この教材は全く違う方法によるものであることを強調しているようです。
しかし、大変残念なことに、そもそものその宣伝の一番最初のタイトルが
大きな文字で、Let's English ! となっているではありませんか?
とてもネイティブが監修していると思えないタイトルの付け方で、かりにも日本の英語教育をこき下ろす宣伝なのなら、その宣伝を作っているスタッフの英語教育が先ずは先決なのではないかと思わせるものです。
日本の英語教育をこき下ろす宣伝を作っているスタッフ自身が日本の英語教育の程度を誰よりも典型的に代表しているというのは、なんともまあ皮肉というか、ネタとしても出来すぎの感があるけど、実はガチで大真面目な宣伝なので余計にとめどもない可笑しさかこみ上げてきて久しぶり大ヒットでした!
ブログネタ:怖い体験したことある? 参加中昔インドにいた頃、仕事でヒマラヤの麓近くの山岳地帯に行った帰り道、夜遅くなったので、道路は完全凍結していて、凄い急な下り坂の連続で、運転不能状態に陥りました。しかし、一緒にいた同僚が学生の頃ラリーレーサーをしていたので、彼の運転技術でハンドブレーキと逆ハンを使ってスケーティングしながら降りて来ました。
途中何ヵ所かガードレール代わりのレンガが崩れている所があり、そのうちのひとつは、出来たばかり車のワダチが直撃しており、車の姿はどこにも見当たらず、最悪の事態を想像させるものでした。
一応、車を何とか停めて、崖下を見ましたが、数百メートル以上の高さで底なしの暗闇が拡がっているだけで、何も見えませんでした。
その後、僕らは何とか無事に下山でき、地元の警察に先ほどの車の件を報告しておきましたが、あの車が実際どうなっていたのかは不明のままでした。
僕らの車もああなっていても不思議では無かったと思います。
ブログネタ:あなたの趣味はお金がかかる?かからない?
参加中
本当は趣味じゃなくて、それを本業にしたいんだけど、それで食べて行けるほど世の中は甘くないので、一応趣味ということになっていますが、癒し系のシンセサイザー音楽を創っていて、一応アマゾンでもI-TUNESでもダウンロードできるようになっています。
しかし、機材だけでも高級車を買えるほどのお金が掛かかっているのに、売れるのはお小遣い程度なので、全く割に合わない、これぞ正に金のかかる趣味と言えるのかもしれません。
ブログネタ:束縛されるの平気? 参加中束縛されるのが嫌で自由を求め続ければ、最後は孤独な人生が待っていると思います。
僕は相手を束縛したことはないし、したいとも思いませんが、相手が束縛したがる人でも全然平気です。それだけ一緒に過ごす時間を大切にしたいと思っている訳ですから、それに付き合うのはパートナーとして当然だと思います。
お互いの自由を尊重して、それぞれ別々に行動することが普通になると、それはそれで、成り立っている場合も多いですが、往々にして、少しずつ意思の疎通が充分でなくなり、お互いの間に隙間風か吹きはじめ、最後はお互い完全に自由になりましょうという話になりやすいと思います。
やっぱりずっとラブラブでいようと思うと、最低限の一緒に過ごす時間と話をする時間があった方が良いと思います。
それをどちらかの一方的な要求によるのではなくて、互いの暗黙の了解により、そうできるような関係でいるのが一番理想的だと思います。そのバランスが崩れて、どちらかがより多くの自由を求めようとするから、もう一方の方がそれを阻止するべく束縛してしまうのだと思います。
つまり、思いやりのある所には、束縛もその必要もないという事だと思います。
バンドとしてのゲスの極み乙女は、久しぶりにその音楽性と演奏技術の高さに関心を寄せていたが、その中心人物の川谷絵音という人間は彼の音楽的才能は別にして、人間としては正にゲスの極み男であると思う。
今まで苦楽を共にして来て、ようやく結婚したばかりの伴侶を、彼にとっては数段もランクが上だと判断したであろう有名タレントが近づいて来たからと言って、ホイホイと使い捨てカイロのごとく取り替えようというのはあまりにも人間性が欠如し過ぎているのではないだろうか?
正に「ゲスの極み」とはこういう人間のことを指す言葉であって、図らずも、彼がバンドを結成して名前を付けるときに今のこういう事態を予見してつけたのか、あるいは、元々彼自身が自分自身に人間性が欠如しているという事実を認識していて、それを告白するがごとくバンド名にしたということも考えられるが、それならば「ゲスの極み乙女」ではなく「ゲスの極み男」であるべきで、他人事ではなく自分のことをであることを表明すべきであったと思う。
ベッキーも相手が妻帯者であることを知りながら、相手の離婚を期待するなど、彼の妻の気持ちを一切考えない極めて自己中心的な発想してか持っておらず、相手の妻がどうなろうと知ったことではない的なその言動は彼女こそ正に「ゲスの極み乙女」であると思う。
もうこうなったら、二人で新たにバンドを組んで自分たちの人間性の欠如を前面に出して「ゲスの極み男女」として売り出した方がいっそのことすっきりするかもしれない!?
今まで苦楽を共にして来て、ようやく結婚したばかりの伴侶を、彼にとっては数段もランクが上だと判断したであろう有名タレントが近づいて来たからと言って、ホイホイと使い捨てカイロのごとく取り替えようというのはあまりにも人間性が欠如し過ぎているのではないだろうか?
正に「ゲスの極み」とはこういう人間のことを指す言葉であって、図らずも、彼がバンドを結成して名前を付けるときに今のこういう事態を予見してつけたのか、あるいは、元々彼自身が自分自身に人間性が欠如しているという事実を認識していて、それを告白するがごとくバンド名にしたということも考えられるが、それならば「ゲスの極み乙女」ではなく「ゲスの極み男」であるべきで、他人事ではなく自分のことをであることを表明すべきであったと思う。
ベッキーも相手が妻帯者であることを知りながら、相手の離婚を期待するなど、彼の妻の気持ちを一切考えない極めて自己中心的な発想してか持っておらず、相手の妻がどうなろうと知ったことではない的なその言動は彼女こそ正に「ゲスの極み乙女」であると思う。
もうこうなったら、二人で新たにバンドを組んで自分たちの人間性の欠如を前面に出して「ゲスの極み男女」として売り出した方がいっそのことすっきりするかもしれない!?
ブログネタ:男性の育休は賛成? 参加中子供が二人の愛の結晶であることには昔も今も変わりはありません。二人の宝物であるならば二人で面倒を見るのは当然のことだと思います。奥さんに子育てを任せっきりなんて亭主は種馬以下です。ライオンでもオスはぐうたらしているようにこれまで思われてきましたが、実は夜は家族を守るために寝ずの番をしているそうです。だから昼間は寝ているのだそうです。
そういう意味では、家族をほったらかして自分だけ仕事だの付き合いだのにうつつを抜かしているダメ亭主はライオン以下ということになります。
また、日本の社会もそういうライオン以下のダメ亭主を容認する風潮があり、亭主が子育てに積極的に参加するための育休などはまだまだ取りにくい雰囲気が漂っています。もっと法律的にも男が育休を取ることを奨励するような法整備をするべきだと思います。
