ゲスの極み男? | Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

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 バンドとしてのゲスの極み乙女は、久しぶりにその音楽性と演奏技術の高さに関心を寄せていたが、その中心人物の川谷絵音という人間は彼の音楽的才能は別にして、人間としては正にゲスの極み男であると思う。
 今まで苦楽を共にして来て、ようやく結婚したばかりの伴侶を、彼にとっては数段もランクが上だと判断したであろう有名タレントが近づいて来たからと言って、ホイホイと使い捨てカイロのごとく取り替えようというのはあまりにも人間性が欠如し過ぎているのではないだろうか?
 正に「ゲスの極み」とはこういう人間のことを指す言葉であって、図らずも、彼がバンドを結成して名前を付けるときに今のこういう事態を予見してつけたのか、あるいは、元々彼自身が自分自身に人間性が欠如しているという事実を認識していて、それを告白するがごとくバンド名にしたということも考えられるが、それならば「ゲスの極み乙女」ではなく「ゲスの極み男」であるべきで、他人事ではなく自分のことをであることを表明すべきであったと思う。
 ベッキーも相手が妻帯者であることを知りながら、相手の離婚を期待するなど、彼の妻の気持ちを一切考えない極めて自己中心的な発想してか持っておらず、相手の妻がどうなろうと知ったことではない的なその言動は彼女こそ正に「ゲスの極み乙女」であると思う。
 もうこうなったら、二人で新たにバンドを組んで自分たちの人間性の欠如を前面に出して「ゲスの極み男女」として売り出した方がいっそのことすっきりするかもしれない!?