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和の会能楽師インタビューPart2. Vol.4 宝生流シテ方 亀井雄二さん

好評につき第2弾!
能にかける思いから、舞台裏やプライベートの話まで。

宝生流期待の若手能楽師5人の生の声を週替わりでお届けします。

Vol4.宝生流シテ方 亀井雄二さん
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Q1.能楽師になったきっかけを教えて下さい。

A1. 私の家は祖父から私で三代続く能楽師の家系ですが、最終的に決意したのは高3の時のある出来事がきっかけです。
5歳で初舞台を踏み、変声期を迎える12歳まで子方をつとめ、中学生を経て、子どもの頃は言われるがまま、そんな環境が至極当然のものだと思って育ち疑問に思ったことはありませんでした。
しかし、高校生になった頃から、「このまま続けていてもいいのか」「色々な他の道もあるのではないか」と疑問を抱き始めました。明確な理由があったわけではないのですが、警察官を志し公務員模試を受けたりと現実的に模索している時期でしたね。
そんな時、高3の頃でしたね。私には兄がいるのですが、彼が大怪我をし、能楽師への道を辞めざるを得なくなる出来事がありました。こうした状況下で父親と私で改めて話をした時です。前述の通り、当時、自分は「どの道を進もうか」という漠然とした迷いと悩みがありました。
私が能楽師の道へ進むことを内心では望んでいるであろう父からは、「俺(父)一代でいい、好きな道を進みなさい」との言葉を受けました。その夜、一晩考えていたら、なぜかしら泣けてきてしまって。なかなか簡単にできる職業ではないですし、子どもの頃から多少なりとも培ったものがあると思い、自分の意志で、もう少し自分がやれるところまで続けてみようと決断し、今に至っています。


Q2.休日はどのように過ごしていますか?

A2.休みは大体家でゆったり過ごしていることが多いです。車の運転が好きなので一人でドライブに行くこともあります。最近おすすめの場所は「夜の首都高」です。特に荒川沿いを走る中央環状線は、川向こうに東京全体を見渡せ、夜景を一望できます。昼の風景よりも夜景がいいですね。ロマンチスト、なんでしょうか。


Q3.今後の抱負を聞かせて下さい。

A3.能のさらなる普及です。
今、文科省でヒップホップが必修化されるなどしていますが、伝統芸能全般を必修化できるような動きがあればいいなと思います。
それも、得手不得手により数値化して成績をつけるというのではなく、成績に関係なく、ただ伝統芸能を知ってもらう時間、生徒が体感できるようなカリキュラムができないかなと。
具体的には、小学校の先輩が教えている高校でワークショップをやったところ好評で、毎年やってくれないかという話ももらっています。もっともっとこうした活動ができればと切に思います。
日本の伝統芸能に子どもの頃から触れ知ることは、その先の人生において有用であると思うんですよね。
こうした普及活動に自分が少しでも携わり、全く能の体験のない人が自分を通して能を体感し興味をもってもらえたら嬉しいですね。

プロフィール
1979年東京生まれ。
東京藝術大学邦楽科卒業。
十九世宗家故宝生英照及び父亀井保雄に師事。
2010年2月内弟子を卒業、独立。
2012年「石橋」、2013年「道成寺」披キ。




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和の会能楽師インタビューPart2. Vol.3 宝生流シテ方 澤田宏司さん

好評につき第2弾! 能にかける思いから、舞台裏やプライベ ートの話まで。
宝生流期待の若手能楽師5人の生の声を 週替わりでお届けします。

Vol.3 宝生流シテ方 澤田宏司さん  
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Q1.能楽師になったきっかけを教えて下さい。

僕は能楽師の家系に生まれた訳では無いのですけど、母親が渡辺三郎先生について、ずっと宝生流を習っていました。
それで母親について先生のお宅に伺って稽古を見ているうちに、興味がわいたのでしょうね、小学2年の時に仕舞の稽古を始めました。
渡辺先生の素人会で子方も2番勤めたのですが、小学6年で一旦やめてしまいました。学校のクラブ活動なんかが始まって、そちらに興味が移ってしまったのですね。
高校生までは全く能楽に触れる事も無かったのですが、大学で京都に行って、サークルを探している時に「能楽部宝生会」を選んでしまったのです。
今から思えば、「体育会系は厳しそうだし、能楽部なら一応経験者だから、ちょっと楽にできるかも‥」という程度の理由だったと思います。
それが、その京大宝生会が非常に熱心なサークルで、365日24時間使い放題の舞台もあって、2回生になる頃にはすっかりのめり込んでしまったのです。
大学の講義には行かず、Boxと呼ばれる部室に毎日行って、謡ったり舞ったりしていました。
大学院にも行ったのですが、途中でどうしても能楽の道に進みたいと思い、師匠の故辰巳孝先生に相談して、東京芸大を受験した訳です。
芸大卒業が30歳、内弟子を出たのが39歳でした。
おそらくこれまで最も遅い経歴なのではないでしょうか。


Q2.休日はどのように過ごしていますか?

1日休み、という日は殆ど無いのですが、ちょっと時間があると、古本屋を見るのが好きです。
地方でも、渋い古本屋を見つけると、つい入ってしまいます。
色々見て、結局100円の文庫本を買ったりするのですが‥。ジャンルは雑多で、今はバイコフというロシア人が書いた虎の話と、何故か「妖怪アパート」シリーズを平行して読んでいます。
それで、移動が多いので、新幹線などで謡を覚える合間にそれらの本を読むのが、一番の楽しみですかね‥。
こう言うと地味な感じですね。
本当は山歩きやダイビングも好きで、いつかまとまった休みがとれたら、また行ってみたいです。


Q3.今後の抱負を聞かせて下さい。

先程も言いましたが、始めたのが10年遅いので、人よりも不利な事もあります。
しかし逆に、他の人に無い経験も10年分あると思うので、それらの人生経験がいつか舞台に生かせたら、と思います。
それから、やはり大学生の能楽サークルは僕の故郷なので、今後も大学の宝生会活動が盛んになるように、力を尽くしていきたいです。


プロフィール
1969年三重県生まれ。
京都大学農学部卒業後、東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。
宝生宗家の内弟子として修行後、2008年独立。
2011年「石橋」、2012年「道成寺」披キ。

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和の会能楽師インタビューPart2. Vol.2 宝生流シテ方 辰巳大二郎さん

好評につき第2弾! 能にかける思いから、舞台裏やプライベ ートの話まで。
宝生流期待の若手能楽師5人の生の声を 週替わりでお届けします。

Vol.2宝生流シテ方 辰巳大二郎さん  


Q1、能楽師になったきっかけを教えてください。

実は自分の道はこれだ、と思うようになったのはわりと最近のことなんです。
親が能楽師でしたので、子供の頃はお能ごっこをして遊んでいるくらいで、舞台に立つのは当たり前のことのように思っていました。
しかし中学生に上がる頃になると、将来の道が決まっているのが嫌になり、窮屈に感じ始めたんです。
それからは能の稽古を続けつつもダンスを始めてみたり、演劇に興味を持ったり、とにかく他のことをやってみたくなりました。同時期に声変わりで舞台に立つ機会が少なくなって、続けなくてもいいのかもしれないと思ったりもしました。

それが中学2年の時に祖父である辰巳孝に稽古をしてもらえるようになって意識が変わりました。
稽古は厳しかったですが、単純におじいちゃんに可愛がってもらえたのが嬉しかったのかもしれません。
高校に入ってからは大阪能楽養成会でも学ぶようになり、学校、養成会、祖父の稽古と忙しかったですが、苦にはならなくなってきました。たまにサボったりはしましたけど(笑)


芸大に行くつもりだった僕に叔父の満次郎が「東京行っても遊ぶだけだろ」と言い、そのまま養成会で学び続けることになりました(笑)
そのぶん高校を出てからはバイトも経験出来て楽しかったです。飲み屋にガソリンスタンドに引っ越し屋に、いろいろ大変な経験をする中で好きな仕事につけるのはすごく幸せなことなんだと気づかされました。
そういった体験を経て、現家元の最初の内弟子になりようやくこの道で生きていく本当の決意が出来た気がします。

Q2、休日はどのように過ごしていますか?

単発の休みは謡いを覚えたり、能に関することをしていることが多いです。あとはサウナが好きなので、水風呂にダイブしたりしてます(笑)

この間のまとまった休みは内弟子の後輩の田崎はじめ君と尾瀬に行きました。尾瀬に行く以外ノープランの旅だったので、その後唐突に「牛タン食べよう!」ってことになって仙台まで車を走らせて、せっかくだから中尊寺金色堂も見て、平泉温泉も入って、めちゃくちゃ楽しかったです!



Q3、今後の抱負を聞かせてください。

現在内弟子が12人いる中で頭をやっています。
もともと人を引っ張るのが苦手で、後輩の面倒をみるので手一杯になってしまって自分のメンタルの低さに悩んだりします。でもこの道で生きていくと決めたのだから、言いたくないことも言ったり、後輩にまかせたり考えさせたりする勇気を持とうと思うようになりました。
役者としてはとにかくずっと一線で活躍し続けられるようになって、観に来て良かったと思ってもらえるような舞台を作っていきたいです。

プロフィール
1983年 大阪府寝屋川市生まれ。
高校卒業後大阪能楽養成会にて学んだ後、
宝生流二十世宗家のもとにて現在内弟子修行中。


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