「NOH-AGE 玉葛」スペシャル対談 高橋憲正vs坂口貴信 vol.1
和の会公演「NOH-AGE 玉葛」開催記念!宝生流能楽師高橋憲正さんと観世流能楽師坂口貴信さんのスペシャル対談をお届けします。舞台のこと、プライベートのこと、どんな話が飛び出しますか、どうぞご期待ください。
"出会い"
―お二人が初めて出会ったのはいつ?
高橋:東京藝大に入学した時に初めて会ったかな。
坂口:入学試験の時ですね。観世流と宝生流合わせて受験者が7人いたんですよ。私たち二人が同級生で、後は年上の方だったので自然と近づきましたね。
―出会ったころのお互いの印象は?
高橋:もう、このまんま(笑)全然変わってない。
坂口:他人という感じがしなくて、地元の友達という感じでしたね。入試の時に一緒に遊びに行く約束をして、入学式の前に二人でプロレスを見に行きました。お互い、子供の頃から子方として舞台に立ち、中学・高校生活も楽しみながら、稽古もしてきました。そんなところが似てたんですよね。
―初対面の時にすぐわかったんですか?
坂口:そうですね。入試の時には「試験の曲目は何にしたの?」なんて話したりしてね。
高橋:そうそう。
"プライベート"
このコーナーは、インタビュアーが用意したカードをお二人に交互にめくってもらい、書いてある質問に答えてもらいました。
―こいつに言われて「これショックだった!」(高橋さんへの質問)
高橋:あったかな?割と、坂口はガンガン言うし、僕も気兼ねなく言い返すので、ショックってことはない。「あ、そっか」って受け入れてますね。
坂口:憲正君は基本的に全部受け入れますからね。
高橋:「坂口が言うたら、そうやな」って。
坂口:ケンカしたことないよね。
高橋:うん、もめたことがない。もう、最初からこの人には敵わないと思っていたから、素直に受け止めてましたね。だから、ショックだったことはないです。
(続く)
プロフィール
高橋憲正(たかはし のりまさ)
1976年金沢市生まれ。宝生流シテ方。東京藝術大学邦楽科卒業後、宝生宗家の内弟子となり、2007年独立。初シテは2004年の「草薙」。2007年に「石橋」を披(ひら)き、同年独立。これまでに「翁(千歳)」「道成寺」「乱」などを披く。
坂口貴信(さかぐち たかのぶ)
1976年福岡県生まれ。観世流シテ方。東京藝術大学邦楽科卒業、在学中に安宅賞受賞。
観世宗家の内弟子となり2009年独立。2004年に「乱」、2011年「石橋」、今年6月「道成寺」を披く。2005年より地元福岡で小中学生の能楽普及、2012年より国立劇場養成所(歌舞伎役者育成所)での指導にもあたる。
「和の会」5周年記念特別対談 宝生和英×福井利佐 vol.3
―福井さんから家元に聞いてみたいこと等はありますか?
福井:そうですね。
昔は演者の方が自分で面を彫ったりすることも
あったんですか?
ただ、最後の一彫りだけをカーンとやって
「これは僕が彫りました」ということにしてしまうことは
あったみたいですけど。
やはり必要とされる技術が全く違いますから。
いいものを知っているからといって、
いいものを作れるわけではないですよね。
また、舞台人として見る能面と、
道具として見る能面では、それぞれ見方が変わってきます。
理論に基づいた評価となると、感性だけでなく
知識も必要ですし、どんどん奥が深くなってきます。
そうすると、楽しいものではなくなってきてしまうんですよね。
―そう考えると、福井さんが能面がお好きで、
楽しく描いていらっしゃるのは大きいですよね。
宝生:福井さんの作品は、ただ面を描いているのではなく、
物語を描いているというのがあるからでしょうね。
物語抜きで考えると、面白くなくなっちゃうんです。
―福井さんは、「和の会」に関わるようになって、
能に対する印象が変わった部分はありますか?
ますます能が好きになりましたね。
観に行ける公演はできるだけ観に行って、
もっともっと知っていきたいと思っています。
面の本を見ながら、「この面が使われる演目を見たいな」
というのもありますね。実際使われているのを見ると、
また違った印象だったというのもありますし。
面をかけていると、役そのものになっているという感じで、
それがすごいな、といつも思います。
―面をかけていると、息苦しいと思うのですが、
見ている方にはそういったところを全く感じさせないですよね。
宝生:僕に関して言えば、面をかけていても苦しくないですし、
かえって楽なんです。
むしろ、面をかけていないと恥ずかしくて謡えないですね(笑)
昨年末の「乱能」で狂言をやってみて思ったんですが、
能楽師は面をつけるから何でもできるんですよね。
福井:初めて公演を観た時に、家元の声がお話している声と
舞台の上での謡の声があまりに違うので驚きました。
声の音域は広い方なんです。「船弁慶」や、
それこそ今回の「葵上」など、前半と後半で役が変わる
演目での声の切り替えは得意な方かなと思っています。
逆に、「小鍛冶」なんかはあまり得意じゃないですね。
福井:でも「小鍛冶」は動きがすごかったですよ!
宝生:昨年の企画公演の「雷電」で大分鍛えられたので、
今ならもっと動けると思います。
一番つらかったのは「鉄輪」でしたね。
かえって気持ちが入りこんでしまって。
―家元が特に心に残った公演はありますか?
宝生:「船弁慶」ですね。
何度もやっていますが、今までで一番良かったと思っています。
―何度もやっている中でも、「和の会」の公演では違う、
ということでしょうか
ご一緒できるので刺激になりますね。
能楽の中だけで戦っていても、すごく小さい世界ですからね。
自分のやっていることが、歌舞伎や演劇、絵画など、
他の芸術と同じところにある、ということを
前回はとても意識できたように思います。
―今回の「葵上」を勤める上での意気込みを教えて下さい
宝生:心構えとしてはいつもと同じですが、
品格は特に大事にしたいですね。
僕は、女性の役の時には霧がかった高原の朝のような
清らかな空気感を出したいと思っているんです。
後半も、“狂気”というよりは、京都の夜のような
不思議な雰囲気を出せれば。
「葵上」に限らず、荒い曲や怖い曲の時には、
そちらに思いっきり偏ってしまうのでなくて、
“楽しさ”や“綺麗”といった正反対の要素も
意識するようにしています。
去年ぐらいから、そうしたイメージが
少しずつ自分の中にできてきたように思うので、
今年はそれをもっと形にしていきたいと思っています。
福井:私も、今回の「葵上」の六条御息所は、
色々な文献にあるように、
鬼にはなっても気品を失わないことが
最も重要だと思って描きました。
―「和の会」の今後の展望があれば教えて下さい。
僕自身、「和の会」を通して色々な方と
交流することによって、舞台人とはどうあるべきか
ということを学んでこられたように思います。
能楽師は、小さい頃からやっていることもあって、
どうしてもライフワークの延長のようになりがちなので。
多くの、たくさんの方に見て頂く、
というより先にお弟子さんや身近な人に見て欲しい、
という気持ちだと、どうしても甘えも
出てきてしまうんですよね。
福井さんのチラシのバリエーションのように、
どんどん進化していこうとする努力をしないと
いけないなと思います。
今後は、「和の会」が一つの能楽公演のモデルケースと
なるようにしたいですね。今までは公演するだけでしたが、
いかに能楽界に影響を与えるか、ということも考えています。
ただの「家元の公演」では終わらせたくないですね。
お二人とも貴重なお話をありがとうございました。
いよいよ今週末に迫った「葵上」、
どうぞお楽しみに!
「和の会」5周年記念特別対談 宝生和英×福井利佐 vol.2
―福井さんが能面の中で一番好きなのはどの種類ですか?
福井:私が一番好きなのは、「鉄輪」の後シテでも使われた
〔生成(なまなり)〕です。
中途半端に半分人間で半分鬼というのがいいですね。
宝生:今回の「葵上」の後シテでは完全に鬼になっている
〔般若(はんにゃ)〕を使います。
福井:「葵上」の前シテの方の面は、何とも言えない表情ですよね。
少し間の抜けた感じにも見えたりするのですが。
宝生:この〔泥眼(でいがん)〕は憔悴した顔を
表しているので、覇気がないんですよね。
前回の「船弁慶」の前シテ(静御前)で使った
〔増女(ぞうおんな)〕(一般的には〔若女〕)なんかは、
鼻がシュッと通り、眼もキリッとしていて、
現在生きている女性を表現しています。
それに対して、〔泥眼〕というのは、
ちょっと〔生成〕の一歩手前のような雰囲気があって、
「葵上」の前シテで使う時には、
特にボヤーッとした感じが出ます。
福井:確かに魂が抜けかけた感じがしますよね。
今回、「葵上」のビジュアルを制作するにあたって、
この前シテと後シテの“二面性”を
出したいなと思ったんです。
それで、少しきわどい印象にはなるけれど、
思い切って二つの面を合体させた構図にしてみました。
ただ、それぞれ眼の位置などが全然違うので、
ぱっと見た時に、おかしい比率にならないように、
自然に見えるように工夫しました。
これは絵でしかできないことですね。
完成した「葵上」メインビジュアル
―今回は、撮影にも立ち会われたんですよね。
福井:はい。撮影中に家元がかけていた面を、
別のパターンでは他の方がかけたりしていたんですが、
それぞれ全然違う雰囲気に見えるので驚きました。
あと、カメラマンさんが「葵上」ということで
“葵”のような造花を用意していたんです。
他にも、蔦やつつじなど。それを見て、
そういうモチーフを持ってくるのもアリだなと。
面だけだと、気味が悪く見えそうで心配だったんですが、
こうやって周りに植物を配したおかげで
ちょっと緩和されたかなと思います。
それと、〔般若〕って、ものすごくおどろおどろしい
イメージで見られていますが、
私としてはもう少し綺麗な、芸術的なイメージで
表現することを目指しました。
とは言っても、どうしても怖い感じには
なってしまうのですが(笑)
それでも、少し違うもの、
例えば“希望”といった要素も感じて頂ければ
いいなと思っています。
宝生:能面は、それだけだととかく表情がないと言われますが、
それを演者がかけることによって
内面から表情を出していくようなところがあります。
この〔般若〕にしても、「葵上」だけでなく、
「紅葉狩」や「黒塚」など、
色々な曲の“鬼”に使います。
でも、同じ面を使っても、それぞれ全部違う鬼なんですよね。
面だけでとらえてしまうと、全部同じ絵になってしまう。
福井さんの絵は、面を表面的にトレースしたのではなくて、
面の持つ潜在的な力がとても良く表現されていますよね。
福井:能面は、人がかけている状態で完成するものなので、
ただ能面をドーンと描いただけでは
勝負しきれない部分もあります。
例えば、この「鉄輪」の図柄も、〔生成〕の面に加えて
“乱れた髪”という要素が入ってこないと、
やっぱり物語が立ち上がって来ないんですよね。
2011年「鉄輪」メインビジュアル
―前回の「船弁慶」のビジュアルも印象的でしたね。
福井:やはり、チラシだと一枚絵でどこまで中身を
伝えることができるか、というのがあって。
「船弁慶」も、お話を知らない人に向けて、
何を伝えるべきか考えました。
海を表現したり、魚を入れたり……説明的になるので
本来はあまり好きではないのですが、
チラシのビジュアルがそのまま情報源にもなるので、
そうした表現も時には必要だと思っています。
船弁慶の後シテ(平知盛の亡霊)については、
装束をつけて動きを見せて頂いた時に、
この髪の部分(カシラ)の動きが、海草にも見えて、
そこで海の表現もできるな、と。
宝生:同じ黒ガシラでも全然印象が違うんですよね。
「船弁慶」と「小鍛冶」の前シテ(童子)の髪は、
全く同じものを使っているんですが、
全然違うように見えますから。
福井:本当は面の絵だけで勝負したいところなんですが、
色々アイディアが出てくると
私自身楽しくなってくるので(笑)
“化け物感”が出るように、それまでは、正面向きの構図で
勝負していたのを、振り向きざまのような角度にしてみたり。
あとは、バリエーションも意識しています。
前回このパターンはやったから
今回は違うようにしようとか。
毎回違うものを出していきたい、というのがあります。
2012年「船弁慶」メインビジュアル
―和の会のメンバーも、毎回福井さんのビジュアルを
楽しみにしていて、それを見てから
「さあ、本番に向けて頑張ろうかな」と、
やる気をもらっています(笑)
福井:あぁ!その感じはわかります。
私も、昨年自分の個展でデザイナーさんに
チラシを作ってもらった時に、
チラシで個展の雰囲気が“決まる”というのを
味わいました。そのチラシの頑張りによって
“これは失敗できないな”という、
最初の発破をかけられるというか。
これだけ頑張っているんだから頑張ろうっていう
一体感が出てきますよね。
宝生:それこそ、チラシのビジュアルは、
企画そのものの“顔”になるものですよね。
今までの能公演のチラシは、どうしても舞台写真を
メインにしたものが多かったですから。
作成者も、その曲の内容を写真によって見せるという
以上の意図はないと思うんです。
和の会では、前回は『平家物語』、
今回は『源氏物語』というように、世界観も含めて
楽しんで頂きたいというコンセプトがあるので、
福井さんのチラシのビジュアルは
大きな意味があると思っています。
―能楽堂の公演チラシのラックの中でも
間違いなく目立っていますよね。
福井:私も、他の公演のチラシはいつもチェックしていて、
他と同じ感じにならないよう、
自分ならではの表現をしていこうと気をつけています。
【この続きは次回の更新でアップします】