紫源二の啓示版 -36ページ目

 皮膚と肉と夢と


 
  
あの人を見ていた
 
ぼくの尊敬する人
 
身体がボロボロだ
 
それなのに全身全霊で闘っている
 
 
そこまでしなくてもいいのではないか
 
 
もっと楽した方がいいのではないか
 
 
そのようにアドバイスしたこともあるけど
 
  
きっと酬いられるだろう
 
 
カミは見ている
 
 
 
努力するにも選ぶ権利がある
 
でも本当は選べない
 
どこに向かっているのか
 
本当のところはわからない
 
 
それが偶然に船に乗り合わせた航海で
 
甲板で走り回ってるのと同じだ
 
 
太平洋か
 
大西洋か
 
わからない
 
 
その海の真ん中で
 
たった一人で
 
 
おおきな航空母艦に
 
たった一人で乗っている
 
 
食料も10年分
 
水も10年分ある
 
 
ベッドも風呂もトイレもある
 
 
放浪する必要なんかない
 
船自体が漂流しているのだから
 
 
もうだれかに向かって表現する必要もない
 
 
たったひとりで瞑想していれば
 
それが自分にとってのアートだから
 
 
夢の中で出会った見ず知らずのオバサン
 
どんな会話をしたのかも忘れてしまった
 
 
イルカの顔はなぜ笑っているのだろう
 
 
あなたの快楽のことなんて知らないが
 
僕は僕の快楽のことは知っている
 
だれもあんたの快楽なんて垣間見ようなんて思わない
 
僕は僕の快楽で忙しいのだから
 
 
それが地下鉄だろうと洞穴だろうと知ったこっちゃない
 
どっちだって同じだろ
 
そこが君のねぐらだとしても
 
鋼鉄のベッドよりはましだと思わないかい
 
 
こんなに柔らかいのに
 
 
皮膚と肉と夢と
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

不思議な女性


 
 
もう何年も何年も前の話し。
 
とっても不思議な人と出会った。
 
ある学会に来ていた。
 
ぼくはまだ若くて貧しかった。
 
人見知りで、誰とも話さなかった。
 
学会が終った後、懇親会があった。
  
あるレストランを借り切っての夕食込みの懇親会だ。
 
お話をきいてみたい先生がたくさんいた。
 
でも、参加費も高かったからぼくは出席しようなんて思わなかった。
 
学会が終って、皆が会場から出てきた。
 
これから懇親会が始まるまでに30分ほどあった。
 
お目当ての先生も、会場から出て来て、ざわざわと立ち話などをしていた。
 
声をかけようと思ったが、なんて言っていいのかわからない。
 
ただ、いろいろな先生方が立ち話をされているのを見ているだけだった。
 
すると、ぼくに声をかけてきた女性がいた。
 
ちょっと変わっているなと思ったのは、
 
その人は、名札を付けていたことだ。
 
銀行に勤めているという。
 
気づくと、なぜかその女性と一緒に歩いていた。
 
会場から出て、外の道をその女性と歩きながら、
 
ぼくがお話をきいてみたい先生について、
 
彼女に一生懸命話をしていた。
 
彼女はその先生についてあまり詳しく知らないらしい。
 
ぼくはその先生の本を読んだこと、
 
とってもすばらしい先生であること、
 
できれば直接お話ししてみたいことなどを
 
彼女にべらべら語っていた。
 
その女性は、ぼくと一緒に歩きながら、
 
熱心にぼくの話をきいてくれていた。
 
やがて、自然に辿り着いたのは、
 
懇親会の会場になっているレストランの近くだった。
 
でも、ぼくはそこでさよならをした。
 
参加しないのですか? と訊かれたが、
 
参加しないと応えた。
 
彼女は、ぼくがお金を持っていないのを察したようで
 
よければ私が参加費を出しますから一緒に行きましょうよ、とまで言ってくれた。
 
でも、ぼくは断った。
 
初対面の人にそこまで甘えることはできない。
 
別れ際に、ぼくの話していた先生に声を掛けて、お話しをしてみたいと
 
彼女は言った。
 
 
ちょっと失礼かもしれないが、
 
彼女は、ドラキュラのように見えた。
 
とても美しいのだが、ドラキュラのような歯をしていた。
 
でも、なにか言い知れぬ魅力があった。
 
 
その学会には、それからまた何年かして行った。
 
 
偶然、彼女が来ていいるのに気づいた。
 
彼女はとても変っていた。
 
最初にお会いしたときは、どちらかと言うと地味な服装だったが、
 
今回は、真っ赤な服を着ていた。
 
もともとが美しい人だから、真っ赤な服を着るととても目立っていた。
 
そして、帽子もかぶっていた。
 
髪の毛も染めていた。
 
彼女を見れば、きっと誰でも魅力的に感じるだろう。
 
それも少し奇妙な魅力。
 
もし声を掛けられたら、いろいろとお話をしたくなるだろう。
 
どんな偉い教授でも、彼女に質問されたら答えたくなるだろう。
 
 
とても不思議な女性だった。
 
 
とても美しく、
 
そして・・・
 
犬歯が長く鋭くとがっていた。 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 

 瞑想?


 
 
瞑想とは何か?
 
座禅を組んで座ることか?
 
マントラを唱えることか?
 
光の世界をイメージすることか?
 
呼吸を数えることか?
 
 
それとも、
 
どんな言葉でも言い表わせないことか?
 
言い表したとたんに、嘘になってしまうことか?
 
方法論もマニュアルもないことか?
 
 
どんな宗教にも、団体にも属していないことか?
 
 
達成したり、訓練したりできないことか?
 
 
それとも、
 
日々、続けることか?
 
習慣的に持続させることか?
 

目的もなく、ゴールもないことか?
 
それとも、
 
悟りのためにすることか?
 
 
クリアにしたり、
 
本来の姿に戻るためにすることか?
 
 
空っぽになることか?
 
 
 
 
 
 
 
 

ロイヤル・ウエディング?


 
 
ロイヤル・ウエディング
  
まったくどうでもいい
 
未だにそんなことやってるのか?
 
何がおめでたいのだろう?
 
失業者が溢れているのに
 
王族だから?
 
強いから?
 
国を作ったから?
 
そんな国なんていらないんじゃない?
 
ピラミッド型の階級社会なんて
 
一番醜い
 
幸せそうな新婦は美しいかもしれないが
 
本当は何が幸せなのか、まったく分かっていないのだろう
 
たぶん、理解力が乏しいに違いない
 
二人は愛し合っているのだろうか?
 
その愛はどんな愛なのだろう?
 
憧れだろうか?
 
夢だろうか?
 
階級化された結婚
 
王族の婚姻
 
もはやそんなものは
 
まったくおめでたくもない
 
グレート・ブリテンには悪いが
 
私は嫌いなのだ
 
貧富の格差と
 
人間の階級付けが
 
大嫌いなのだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 社交?


 
僕は人見知りだ。
 
だからパーティーとか好きじゃない。
 
自分の個展のオープニング・パーティーだって好きじゃない。
 
知らない人と雑談なんて、何を話していいのかわからない。
 
だから、たいていは黙っている。
 
まして、他の人の懇親会だとか、なんとかとか・・・には出る気がしない。
 
例えば、私が知っている人がいる。
 
その人が講演会を開く。
 
あるいは、演奏会、パフォーマンス、ライブをやる。
 
あるいは、セミナーを開く。
 
その会に誘われる。
 
そして、そのイベントが終ったあとに、懇親会があるから参加してね、と言われる。
 
確かに、参加したいのだが、
 
参加したとしても、私だけがなんだか浮いている気分になってくる。
 
何を話をするのでもなく、ただ、その会が終わるのを待っている。
 
そんな感じなのだ。
 
だから、私には”人脈”というのができない。
 
いろいろと大勢の人を知っている”顔の広い”友人がいる。
 
そういう人は、パーティーが大好きで、
 
名刺を交換し、メルアドを聞き出し、
 
そして、後日必ず連絡する。
 
また、人脈を作ってのし上がっていく人もいる。
 
そういう人を何人か見かけた。
 
利用できる人は利用して、自分の名前を売っていく人がいる。
 
そういうマメな人を見ると、
 
僕には絶対できない芸当だと思う。
 
 
でも、
 
もし機会があったら、
 
今度、重要だと思う人の懇親会には参加しようと思う。
 
ただそこにいて、
 
黙って、ニコニコしているだけだろうが・・・
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

 なにかが変わった


 
 
なにかが変わった 
 
地震、津波、原発事故
 
一カ月が過ぎて
 
危機というのはすぐそこにあり
 
破綻というものがあり得るし
 
世界がなくなることだってある
 
もしかしたらこのままマヤ歴の終わりのごとく
 
終わってもおかしくない
 
1号機の格納容器が爆発し
 
3号機のプルトニウムが飛散し
 
東京が壊滅することだってあり得る
 
日本経済がめちゃくちゃになり
 
世界同時株安で経済破綻し
 
大混乱のパニック状態になり
 
富士山が爆発し
 
東京から脱出する車で溢れ返り
 
世界では世界戦争が勃発する
 
そんなことだってあり得る
 
やがて太陽活動が活発化し
 
太陽風が吹き荒れ
 
地上の電磁気が異常になり
 
コンピュータが使えなくなり
 
情報も通信も交通も途絶え
 
なにがなんだかわからなくなることだってあり得る
 
 
そう
 
あり得るように思えてきた
 
あり得ないはずだったことが
 
あり得ると思えるように・・・
 
なにかが変わってしまった
 
ように思える
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 光になりたい


 
 
聖なるものに浸っていたい
 
光を浴びて
 
光になりたい
 
 
人間でいるより
 
ただの光でありたい
 
 
小鳥は舞い、歌うけれど
 
 
光の時間は持続するだろうか
 
 
小鳥と同じように
 
 
空を飛べるだろうか
 
 
生きていようと死んでいようと
 
 
輝いているなら
 
 
光になりたい 
 
 
 
 
 
  
 
 
 

 戦場に向かう心境の日々


 
 
ほとんどの時間、走り回っている
 
それなのに時間がない
 
自分の時間など皆無だ
 
喰って、風呂に入って、寝るだけ
 
それが労働なのかもしれないが、
 
労働だとは思わない
 
それが私の人生なのだ
 
私が生きていること
 
それは一日中、仕事で走り回っていること
 
 
自分の仕事に生きがいを感じろとか
 
仕事を楽しめとか言うけれど
 
なかなか難しい
 
私にはやりたいことがある
 
趣味ではない
 
趣味ではないから、
 
仕事の気晴らしにできるというものではない
 
それに全身全霊を打ち込まなければできないことだ
 
 
最近はなぜか朝早く起きてしまう
 
4時頃目が醒める
 
そして、あと3時間は眠れると思う
 
とろが、本当に寝てしまうと3時間なんて一瞬だから
 
あと3時間をもっと長く使いたいと潜在意識で思っているのだろう
 
それから寝ようと思っても眠れなくなる
 
 
うとうとと眠たくなるのは、本当に起きなければならない時間になる頃だ
 
それがまた皮肉なところだ
 
 
朝は戦場に赴く前のようだ
 
いつもそのように覚悟して仕事場に向かう
 
駅に向かうサラリーマンを見ていると
 
ニコニコ喜んで仕事場に向かう人はほとんどいない
 
否、一度もそのような人にお目に掛ったことはない
 
だいたいは、イライラしているか、時間に追われている
 
眠くて、やる気がなさそうな奴もいる
 
長年、おんなじような仕事をしていて見るからにマンネリ化しているんだろうなという奴もいる
 
偉そうな管理職ぽい奴もいる
 
そういう奴はきっと、一日中会社でなにをやってるんだろうと思う
 
時間をつぶして偉そうな能書だけこいているんじゃないだろうか、と思う
 
中には戦闘モードになっている奴もいる
 
私は、駅に近づくにしたがって増えてくるサラリーマン、OLの波を避けようとして
 
細い路地をなるべく通って行く
 
だいたい太陽を見ている
 
だんだん日が経つにつれて、左方向に太陽が異動していっている
 
下弦の月が見えることもある
 
下弦の月は、だんだん欠けていく月だ
 
もうすぐ新月だということが分かる
 
天体の運行は、日々変わらないが
 
私の日々は、いろいろな出来事が起こる
 
それらに臨機応変に対処しなければならないのだから、
 
やっぱり戦場に向かうサムライの心境なのだ
 
どんな状況にも素早く対応しなければならない
 
どんな苦境にもめげない
 
だめだと思ったら負けだ
 
自分自身に負けたことになる
 
どんな苦境でも必ず解決し、勝機を見出す
 
それを信じて前に進むしかない
 
 
  
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

あと3日、もしくは、あと3年で死ぬとしたら


 
  
仕事や身の回りのことで忙しく追われていて
 
本当に自分のやりたいことが、できないのだけれど・・・
 
もし、あと3日で自分は死ぬとわかっていたら、何をするだろうか?
 
いや、3日だと、やりたいことを成し遂げるには短かそうだから、
 
あと3年で自分は死ぬと解っていたら、何をするだろうか?
 
という問いに変えてみる。
 
3年あれば、全力でそれに打ち込めば、
 
たとえば、絵を描くことなら、
 
相当の大作が描けるだろう。
 
あと3年しか、自分の寿命がないと解っていたら、
 
なにもかも捨てて、ただ絵だけに打ち込むだろうか?
 
そう考えてみて気付いた。
 
たとえ、そうだったとしても
 
未来は未知のはずだ。
 
そして、今やらなければならないことを放棄することもできない。
 
もし、3年で自分が死ぬと解っていたとしても
 
私は、今やらなければならない現状に
 
最善を尽くすだけだろう。
 
現状を放棄して夢に突き進むことはできない。
 
それは、未来を想定して、現状を見ていないことになる。
 
未来がわかったとしても、
 
現状を変えられる訳ではない。
 
だったら、現状で最善を尽くし、全力を傾けることしかできないだろう。
 
たとえあと3日、あるいは、3年で死ぬとわかったとしても・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ごめんなさい


 
ごめんなさい、と謝らなければならない。
 
私の絵を引き取ってくださった方に。
 
このブログで喧嘩を売るようなことを書いたが、
 
私の誤解でした。
 
私は、そのように、いつも短気で喧嘩を売っては
 
後悔しているのですが、
 
いつも、寛大に許していただいているのです。
 
私の絵は、貨幣経済の範疇では取引せずに
 
バーターすることにいたしました。
 
私にパワーをくださるものとです。
 
謝ります。
 
でも、これは、私の独りよがりな思い込みかもしれませんが、
 
以前よりも余計に、彼とは親しくなったような気がしています。
 
これに懲りずに、私の絵のファンでいてください。
 
そうしていただけると、嬉しいです。