自己との対話
精神科医というのがいる。
以前は少し憧れたかもしれない。
でも最近はちがう。
頭のおかしな人たちを相手に、
来る日も来る日も改善されない相手の自分勝手な話を聞いているのは、
さぞ大変だろうと思う。
きっと、まったくクリエイティブではない仕事にちがいない。
以前は、人間の心の深淵を探究できる魅惑的な職業に見えた。
ところが、そんな高尚なものではないということが、最近になって分かる。
本当に心の深淵を理解したかったら、自己を見つめるのが一番いい。
他人の、精神を病んだ人を見ていても、心の神秘は見えてこない。
むしろ、彼らのエゴが見えるだけだ。
話しは変わるが、
このブログを読んでいる人は、
この男は自分のことばかり書いているな、と思っていることだろう。
そう、私は自分のことばかり書いている。
自分のエゴのことを書いている。
誰かが読んでいるには違いないが、
これは、自己との対話なのだ。
なんか最近、神との対話というのが流行っているようだけど、
神って、いったい何?
初めに、神っていう言葉があって、
全知全能とか、至高の存在とか...
でも、その神が本当は何か、だれも分からないはずなのに、
その神と対話しているなんて、
僕には、理解できない。
私には、自己との対話が、
この心の、この存在の、この神秘の
等身大の探究方法なのだ。
心理学も、精神分析も先入観にしかならない。
それらをかじったりしたが、
理論に当てはめて、自己を理解したと思っても、
それは、ただ、∞を既存の思考モデルでカテゴライズしただけだ。
いろいろな精神病の他人の言動を分析しても、その人の精神構造まではわからない。
自分の心、思考、感情、記憶を見つめるしかない。
悟るためではなく、
先入観を一切なくして、
自己との対話をする。
その不思議さ。
その不思議さに、17才の頃、初めて気付いたのではなかったか?
そう。
この不思議に誰かが答えてくれると思った。
例えばグルとか、師とかが・・・
でも、誰も答えてはくれない。
言葉であれこれ話してくれたとしても、
言葉はいくらでも否定できる。
いくらでも別に解釈できる。
だから、やっぱり、自分で見極めるしかないのだ。
この不思議の在りかを。
続き
研修のことについて、ついでに書いておく。
同じ年齢の研修で、同年齢の彼女ら彼らの話に退屈したのと同時に、
研修の講師にも退屈したのだ。
どこかの人材研修を専門に受注している企業の講師で
大学の講師もしていると自慢していたが、
心理学をかじったのだろう、
コミュニケーションやエゴグラムの話をしていたが、
僕にとっては、とても退屈だった。
通り一辺の心理学、自己実現、コミュニケーション論などは、
目新しくもなく、逆に、もうすでに使い古されていて、
僕は、もっと実践的、実験的、過激な”心理学”を体験したから・・・
つまり、自己の精神を破壊させるほどの心理学的実験、実践。
意識の変容、自己実現、霊的、アストラル的自己分析
それらを十代の頃から体験してきたから、
今更、エゴグラムだの、とおり一辺の対人関係心理学、行動心理学などを
さも得意げに講義されても、まったく関心しなかった。
他の人たちは、目を輝かせて頷いている人、関心している人もいたが、
僕だけは、退屈で退屈でしかたがなかった。
グループディスカッションなども、
バカバカしくて、話す気にもなれなかった。
それでも、率先して話をする人たちがいて、
なんとかその場しのぎで時間が経過してくれたので、
事なきを得たが、
僕にとっては、とてもつまらない研修だったことは確かだ。
でも、アンケートには、
全ての項目で、役に立ったという所に丸印を付けておいた。
今後の仕事に活かすようにしたいと、ありきたりの感想を書いて出した。
それで、このボンクラ講師は、また、つまらない十把ひとからげ人間達相手の
ありきたり人材育成研修を受注することができるだろう。
つまらない群れから外れている自分を確認できて安心した
今日は研修があって、同年代が集まった。
そこで感じたことがある。
私だけ、同年代の群れから外れていた。
そして、彼ら彼女らを観察していて、少し安心した。
群れになじめないことに安心した。
これでいいのだと思った。
明らかに、彼ら彼女らは人生に退屈しているように見えた。
私もそんな傾向がないわけではない。
でも、私は、彼ら彼女らよりも挑戦してきた。
いろいろと・・・
安易な道を選ぶより、困難な道を選んだ。
だから、彼ら彼女らと、結果的に違った感受性、考え方、雰囲気になったのだと思う。
彼ら彼女らは、群れていると安心できるし、楽しいに違いない。
私はそうではないから、同情される立場にあるかもしれないが、
たぶん、彼ら彼女らには、私のことは見えないはずだ。
ごう慢な言い方を承知で言うと、
私には彼らが手にとるように見えるが、彼ら彼女らからは、私の全体は決して見えない。
体験してきたことが違いすぎる。
考えてきたことが違いすぎる。
話してきた人間の種類が違いすぎる。
だから、私がなにをどう感じ、何を考えているか、彼ら彼女らには類推できない。
でも、私には、彼ら彼女らの思考、嗜好、日常が、透けて見える。
だから、少し安心したのだ。
キャリア研修というのだったが、
キャリア、つまり、今までの経験が違いすぎるのだ。
なにを選び、何に価値観を置いて、どう行動したか、
同じ職業のなかで、接触した人間関係
同じ職種の中で挑戦したことに比べ、
私が接触した人間は、もっとカテゴリーが広いし、
守られた柵を越えて、挑戦してきた。
挑戦というよりも、生死がかかっていた。
だから、彼ら彼女らのように凡庸には、なり得なかった。
そのことが確認できて、
僕は少し安心した。
彼ら彼女らとぜんぜん違うということを確認できた。
凡庸で、退屈な、つまらない群れから外れている自分を確認できた。
私とは
私とは、単なる思考、記憶ではないのか。
私とは、単なる肉体、食欲、性欲、睡眠欲ではないのか。
それ以上に高尚な精神だの、哲学だの、芸術だのがあるとは思えない。
それ以上に切実な神だの、仏だの、悟りだのがあるとは思えない。
僕は美を創造したい
しゃべっていて思うことがある
こいつはだれだろうって
自分のこと
こいつはカッコ良くない
制作もしない
それでいて、口から出まかせのようにしゃべっている
でも、書いたり描いたりはするかもしれない
それを額縁に入れて飾ったりするかもしれない
できれば、とびきり奇妙なものを生み出したいと思っているかもしれない
美って、ありきたりじゃないから
奇妙って言ってもいいくらい目新しい
でも、醜くはない
美しいという感情は驚きだから
見たこともないような線
見たこともないような色彩の配列
美の追求
美への試行錯誤
それらを集中して行い
自らの美意識を高めていく
そのような日常を送りたい
そんなことをこいつは考えている
考えているんだなと、もう一人の自分が観察している
でも、だんだん老いぼれていってるなと
こいつを見ながら、思っている
なかなか現実というやつは難しい
働いて、移動して、買い物をして、飯を作って、飯を食って、飯を食わせ
肉体が80%、精神は20%にも満たない
義務が95%、自由は5%にも満たない
瞑想
ドローイングという瞑想
色彩は色鉛筆で描けばいい
できれば、水に溶ける色鉛筆がいい
世界堂に買いに行かなければならない
ベッドの上で描いていると
シーツが汚れる
僕は美を創造したい
快楽
僕は快楽が好き
あらゆる快楽
目に心地いい、美しい景色、色彩、姿形
耳に心地いい音楽、もしくは、全き静寂
いい香り、いい匂い、もしくは、無臭
清潔な身体
空腹でも満腹でもないこと
ふかふかのベッド、もしくは、浮遊
眠くも覚醒もしていないこと
暑くも寒くもなく、涼しく、暖かいこと
変化もせず、退屈もしないこと
これら、すべての快楽のひとつも欠けずに、さらに心地いいこと
僕は快楽が好き
夢の話(ダンスとYさんの夢)
今日、面白い夢を見た。
私には弟はいないのだが、弟のような男の子が、僕の手をとってダンスを始める。ぐるぐる回ったり、飛び跳ねたり、とても激しいダンスだ。お陰で、奈落の底に落ち込んでいたのに、可笑しくなって笑いだし、すっかり元気になってしまった。
それから、
珍しく、Yさんに会う夢を見た。
今はもうないYさんのお宅に伺う。
でも微妙に生前のお宅とは違っている。生前のお宅よりもひと回り小さい。仮住まいのような感じもする。
「けっこう遠かったでしょ?」とYさんは言う。たしかに少し遠く感じたが「そうでもなかったです」と応えてYさんが座っている部屋に入る。
そこで目が覚めてしまった。
Yさんには、3つのことを訊いておきたかった。それを質問したかったが、できなかった。
1,私は絵描きになんてならないと言われたこと。
2,私が「人のためになにかしたい」と言ったとき、「貴方はそんなことを考えなくてよい」と言われたこと。
3,原水爆禁止運動について、私が素晴らしい平和運動だと関心して言うと、そんなことはないと否定されたこと。
など。
それから、もっと対話すればよかったのに、できなかったこと。
私の最高傑作の油絵の自画像を捨てられてしまったこと。
など、
お話しを伺いたかったが、
なにも聞けずじまいだった。
昔のこと
薄暗い押入れに入って
赤チンを両手に塗り
鬼のふりをして
ロボットを作った
あの時、僕は鬼に取り付かれていたのかもしれない
あのロボットは捨てられてしまった
その腹いせに考えついた復讐だった
今、血液の好酸球が高くて、
手の指が痒い
甲状腺ホルモンのせいで
心臓がドキドキしている
まるでボロいマッチポンプのように
耳鳴りも続いている
昨日見た夢
眠れないので、昨日見た夢を書く。
公園のような所に誰かと一緒に行っている。
鉄棒のある辺りを歩いていると、
そばを体育会系の団体が通る。
10人足らずの男女だ。
僕は彼らを見て感心して言う。
「身体を鍛えている若者だな。見ただけでわかる」
スポーツウエアを着ていて、歩き方から違う。
見ていると、男子が何十メートルもある金網に向かってジャンプする。
数十mジャンプし、金網を蹴って、地上に落下し、着地する。
すごい運動神経だ。
見ていると、男子が次々にジャンプし、金網を蹴って地上に着地する。
すごいなあと関心している。
でも、最後に一人、着地に失敗してお腹から地面に落ちてのたうち回る。
苦しんでいる彼の所にグループが駆け寄り、
救急車を呼んでいる。
そんな意味不明の夢だ。
それから、
僕が小さなボストンバッグを一つだけ持って引っ越しをする。
だれかもう一人いる。
そのもう一人は、あまり親しくない人のようだ。
ルームシェアする人のようだ。
小さな1階のアパートの部屋に入り、荷をほどく。
荷物といってもほとんどなにも持っていない。
そんな意味不明の夢だ。
もうひとつ夢を見たような気がするが、忘れてしまった。
以上。
心臓がおかしい?(あの世が近い?)
心臓の鼓動が止まらないから救心を飲んで
矛盾してるけど赤ワインを飲んで
小心者だから
非ステロイド系の痛みどめを飲んで
最悪の事態を自分で招くために
春紫苑を飲んで
そうでもしないと
この脳、心臓、身体は
もう自分ではコントロールできないのだ
矛盾しているけど
最悪のことを並べる条件が整った
僕は破滅するかもしれない
ある人が言ってくれた
僕は宇宙的な貴重な存在かもしれないと
ぼくの半身はどうも、そのようなものかもしれない
でも、ぼく自身はどうにもならない
ダメなのだ
どうしようもないくらい怠け者らしい
神のような人に
ぼくの役割を聞かされたが
でも、そんなの
ぼくは否定した
予言なんて、当たった試しがない
物質的世界は、
理想のようにはいかない
滅んでは再興する繰り返しだ
文明が滅びつつあるだけだ
このたいしたことのない文明
その最後を見届けられるだけ生きられるかわからないが
それを救うことなど、もちろんできないだろうし
そこから再興させることなどもできないだろう
智慧が発揮されることはないのだ
ただ滅ぶだけだ
僕のアートは自分だけのスケッチブックの中だけで
誰にも見られることなく終わるだろうし
芸術も哲学も生まれない
宗教だけはあるだろう
この世がなくなっても
あの世が無くなることはないから