紫源二の啓示版 -37ページ目

よくない傾向


 

 
甲状腺がチリチリと痛む
 
まさか放射能の水のせいでもあるまいに
 
持病のバセドウのせいで
 
甲状腺が敏感になっている
 
再発したらやばい
 
まずい気がする
 
 
自分で自分の感情をコントロールできない
 
 
ガンになることも・・・
 
死ぬことも・・・
 
死ぬほどの苦しみを味わうことも・・・
 
 
自分ではコントロールできない
 
 
これは
 
やばい気がする 
 
 
よくない傾向 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

誰かが言っていた


 
 
 選挙のポスターを貼る大きな看板
 
 死体を運ぶのに使えると誰かが言っていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

冷たい雨の休日に思うネガティブなこと


 
 
大地震、大津波、原発事故が起きて
 
当面、このニュースが続くのだろう。
 
それとリビアのカダフィだ。
 
 
一週間いろいろとあった。
 
自分も、仕事で忙しく、
 
毎日が戦争のように走り回っていた。
 
連休も昨日、出勤して仕事をした。
 
 
年度末の〆日が週明けで、7割の人たちが出勤して仕事をしていた。
 
私は休日なのに、なんで仕事しなきゃいけないのだろうというモードで、
 
すこし気分が悪かった。
 
でも、休日だというのに、はりきっている人もいて、
 
普通の出勤日モードで走り回っている。
 
どうにも波動が合わない。
 
ガンガン仕事しているのを見ると、なんだか嫌になってきた。
 
しかも、私に、あれはもう終わったか、これをやったかと聞いてくる。
 
わかってますよ。それは〆と関係ない仕事だから休み明けにやりますから、と、ムカついて答えた。
 
私にはできない。
 
休日だというのに通じるところには朝から電話をかけまくり、
 
要件を早口でしゃべっている。
 
私なら、休日なので遠慮するところだ。
 
私にはできないと思った。
 
 
私にはできないこと・・・。
 
私の絵を引きとられたが、
 
送金する口座をSMS上で教えてくれとの依頼。
 
住所も電話番号も解っているはずだ。
 
SMS上で口座番号など教えたくはない。
 
遠慮して断った。
 
お金はいりませんと言って。
 
そうしたら、そのまま、なんの返信もなかった。
 
わたしは、なにか返信があるかと思った。
 
ところが、あとから、
 
いただいた絵の画像をネット上で使ってもいいかとの問い合わせ。
 
勝手に自分の絵の画像を使われるのは少し嫌だったが、
 
(それも、タダであげた絵だからなおさら・・・)
 
まあ、どうでもいい、
 
捨ててしまった絵もあるし、
 
ハードディスクがいかれて、再生できなくなった画像もたくさんある。
 
それに、どこかへ失くしてしまった傑作もたくさんあるのだからと
 
開き直って、
 
どうぞご自由に、好きなようにお使いくださいと答えた。
 
 
べつにどうでもいいのだが・・・
 
絵に値段などないのだから・・・
 
でも、どうせタダであげるのなら、
 
彼女に全部あげればよかったと思った。
 
それに、もし、
 
ブログで、欲しい人はタダで差し上げますと書いていたら、
 
もっと多くの人が欲しいと言ってきたかもしれない。
 
 
絵に値段を付けるのも難しいのだが、
 
私は、4号の油絵に、2500円というタグを付けた。
 
決して高い値段だとは思わない。
 
(4号で3万で売った絵もある。)
 
コンビニのレジでアルバイトした方が、それを売るのよりも儲かる値段だ。
 
画材もタダではないし、時給に換算したら、それ以上の時間を費やして描いている。
 
展示した時は、その倍の値段を付けていた。
 
でも、欲しいという人には安く提供しようと思って
 
展示していたタグの値段を消して、半額にした。
 
もし、買っていただけるなら、値段が明示されている方が相手にとっても払いやすいだろうと思ったからだ。

それに、6枚も買っていただけるなら、一枚の値段を半額にしてもいいと思ったのだった。
 
でも、結局は、ゼロだ。
 
 
私の絵は、
 
そのように、
 
売れないのだ。
 
 
友達は、もっと高く買ってくれた。
 
悪いことをしたと思う。
 
 
私の絵は・・・
 
捨ててしまった絵もあるし、
 
Yさんのお宅に置いていた絵は・・・
 
その絵は、自分でも最高傑作だと思っていた絵で、
 
原色の油絵具で描いた、自画像だったのだが・・・
 
最高の絵だったから、Yさんに、これは喜んで差し上げたのだったが・・・
 
結局、粗大ごみに出されてしまった。
 
その絵を撮った写真があったのだが、
 
いくら捜しても見つからない。
 
結局、あの絵は、
 
そして、あの画像は、
 
永遠にこの世から失われてしまったのだ。
 
もう二度と同じものは描けない。
 
同じものは二度と描けない。
 
あの画像は、今となっては、
 
存在しないも同じことなのだ。
 
だから、絵には価値があると思うのだ。
 
二枚として同じものは存在しないから。
 
でも、私の絵なんて、
 
市場で流通しているものではないし、
  
美術年間で号あたり何円という値段も決まっているわけでもない
 
無名の絵だから
 
まあ、
 
売れるわけはないのだ。
 
 
でも、少し、
 
絵を描くモチベーションが低下してしまったのは
 
確かだ。
 
 
こればかっかりは、
 
自分で自分を説得しても
 
どうにも回復できない。 
 
 
世の中が貨幣経済が流通している中で
 
私だけ孤立している感じがする。
 
 
そして、そんな自分が、
 
なんだか割が合わない気がするのも確かだ。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

今日は寒い


 
 
今日は寒いな。

寒いけど気持ちいい。

なんだか眠いのに

最近、眠ったという気がしない。

むしろ、気を失うという感じしかしない。

すやすや眠る、ということができなくなってしまった。

そして、朝の五時に目が覚める。

そして、苦しいので、助けてくれと叫びたい気分だ。

夢も見ない。

でも、今日は、金曜日だ。

明日は、お休み。

そう思うと嬉しい。

夜更かししたくなる。

夜更かしできる。



 
 
 


獅子舞の仮面が笑ったような顔


 
 
けっそうをかいて、苦情を言って来た。
 
「部屋に勝手に不法侵入された! 今すぐ一緒に来てほしい!」
 
話を訊くと、ちょっと・・じゃなくて、だいぶおかしい。
 
「どうしたの。最近、あなたおかしいよ」
 
病院の先生からはどうしたらいいかと困り果てて電話が掛ってくるし、
 
仕事場からも大声を出して手がつけられないと電話がかかってきていた。
 
「どうして最近、そんなにカリカリ怒ってるの? おかしいよ」
 
そうしたら、彼は急に下を向いて、獅子舞の仮面が笑ったような顔をして無言で固まった。
 
それからまた急に表情を変えて、怒り始めた。
 
不法侵入されたとか、訳がわからないことを大声で、唾を飛ばしながら訴えてきた。
 
「ぜんぜん不法侵入じゃないよ。トイレを直しに来てくれただけでしょ。
 
 だったら、怒るんじゃなくて、ありがとうって感謝しなきゃ」
 
と言うと、また、下を向いて、獅子舞の仮面のような顔をして無言で固まった。
 
表情がデジタル的に変化する。
 
それと同時に感情もデジタル的に変化する。
 
痛いところを突かれると、急に下を向いて獅子舞の笑った表情で固まる。
 
それから思い出したように、また怒り出す。
 
「来てください! 家に来てください!」
 
「どうして行かなきゃならないの? なにも問題ないじゃない」

いくら、論理的に説明しても納得せずに、今度は
  
「来てください! 来てください!」
 
の一点張りになったので、
 
「じゃあ、行くから」と言った途端。
 
「わーい。ありがとうございます!」
 
と事務所中に響き渡るような大声を上げて、天にも昇らんばかりに大喜びして、
 
獅子舞が口を開けて笑ったような顔をして帰って行った。
  
午後、彼のアパートに行くと、
 
いつも、つまらなそうにぼそぼそしゃべっていたのに、
 
なんだかずいぶんと嬉しそうに笑って、
 
唾を飛ばしながら、しゃべりだした。
 
30分も居ただろうか、
 
「もう、なんの問題もないでしょ?」
 
と言うと、「はい!」と元気よく答えた。
 
帰ろうとすると
 
「もう帰っちゃんですか?」ときかれた。
 
30分もいたのに、まだ足りないのだろうか?
 
きっと、だれかとまともに会話することができていなかったのだろう。
 
それに、自分のことを心配してかまってくれることに、子供の頃から飢えていたのだろう。
 
なんだか、最近はずいぶんと荒れて、
 
病院でも、仕事場でも大声を出して手が付けられない状態だったようだ。
  
少し話しただけで、大喜びして、”不法侵入”の件も、もう大丈夫だと言うので、
 
帰ってきた。
 
今日は、ずいぶんと春のように暖かい日だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

中東で起きていることが・・・


 
 
中東で大変なことが起きている。
 
日本も、政治が機能しなくなってきている。
 
中東の独裁国家に限らず、世界的に時代の変わり目に来ているのかもしれない。
 
日本では、
 
年金制度、税制、健康保険などの社会保障制度、
 
そして、議院内閣制、地方自治、立法行政司法
 
要するにすべてを、
 
0(ゼロ)から作りなおした方が良さそうだ。
 
今ある制度をちまちま変更するのではなく
 
思い切って、建物を全部ぶっ壊して
 
ゼロから新しいものを作り直す。
 
もちろん、古い考えで凝り固まっている政治家も全取り換えする。
 
既存の団体や企業、財閥が権力を掌握するのではなく
 
一般市民が自ら、税制、社会保障、立法行政司法制度を運営し、監視し、利用する。
 
文字通りの”市民革命”だ。
 
その際、気を付けなければならないのが、
 
力(金とか暴力とか)のある既存の組織、団体に、
 
市民革命の権力を横取りされてしまうことだ。
 
せっかく既存のパワーを打倒したとしても
 
新しい独裁者を産み出すだけだったら、意味がないだろう。
 
往々にして、今までは、例えばアメリカとかソ連とかが介入して
 
傀儡政権が出来てしまったわけだが、
 
今度は、既にアメリカも、もちろん今ではロシアも、
 
先進国と言われている国の秘密機関が既にそれほど機能できない状況になっているのだから、
 
今ほど、市民による本当の平和革命が実現できるチャンスはないはずだ。
 
ついでに、第二次大戦での戦勝国がとり仕切る”国連”なんかとは別に、
 
新しく、世界的な市民会議を作って、貿易や食糧問題を話し合ったらどうだろう。
 
すべて、全部、ゼロから作り直すのだ。
 
既存の建物をちまちま修復するのではなく、
 
既存の絵が描かれたキャンバスを真っ白に塗り潰して
 
新しい絵を、
 
既存の力も金も暴力も持たない一般市民が
 
常識を使って新しくゼロから描き始めたらどうだろう。
 
もう、そんな時代に来ているのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

なにがどうなっているか


 
 
なにがどうなっているのだろう
 
つまり夜は暗く
 
だから何万光年も遠い星の光が見えるが
 
昼間の白い雲は灰色にしか見えない
 
 
寒い夜もベッドの中は暖かいが
 
部屋の中の空気は汚れていて
 
熟睡できない
 
 
過去の記憶は自分生誕の記憶を超えて
 
ついには生物進化の過程を遡るというが
 
系列から外れた絶滅種の記憶は失われている
 
 
だからぼくはベッドの上で寝返りを打ち
 
右に向くと死が
 
左を向くと天国があるが
 
左を向くと心臓が動悸し
 
右を向くと心地いい夢を見れなくなる
 
 
つまり、宇宙に浮かぶ天体の運行のように
 
幾何学的な法則のもとに
 
乱れることなく永続するのではなく
 
自分自身の内面は
 
いったいどこにどんな秩序があるのかも定かではなく
 
ただただ混乱し
 
行き場を失っている
 
 
明日、太陽が光り輝くのとは無関係に
 
私の目玉はまどろみから覚めず
 
地球の運行とは無関係に
 
 
そう
 
麻痺して
 
感覚も思考も感受性も
 
働かなくなれば
 
そこには一切の矛盾もなくなり
 
疑問も不満も解消するわけだ
 
 
つまりは

硬いせんべいを持って
 
お茶を飲めばいいのだ
 
 
歯には硬いが
 
溶かせばなくなる
 
 
疑問も不満も
 
歯で噛んで消化するのではなく
 
ゆっくりと口の中で溶かせばいい
 
歯で噛み砕くのではなく
 
お茶と一緒にふやかして
 
柔らかいものにしてしまえばいいのだ

 
 

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

打たれ強い?


 
 
最近、ちょっと忙しくて
 
そのせいでもないのだけれど
 
まともな文章を書くのが面倒だから
 
思いついたことだけ書いてみようと思う。
 
 
最近、考えていたのは
 
”打たれ強くなるということ”
 
ずっと、ボディブローのような精神的ダメージを受け続けて
 
いつまで我慢できるのだろうと思っていた
 
たぶんそのうちに”打たれ強くなって”
 
だんだん痛みも麻痺してくるのかもしれないと思ったが
 
そうはならなかった
 
でも、今日、やっと解決の糸口が見えた
 
あまりに長い間、思い悩んでいたから
 
ちょっと逆に信じられないような気もしたが
 
やっぱり間違いなさそうだ
 
解決の道が開けてきたのだ
 
これからは、その道に従って行動すればいい
 
それを信じたいが、まだ少し半信半疑のところもある
 
つまりは、ボディブローを打たれ続けて
 
耐え続けていたのが
 
今度は打たれなくなったのを
 
逆に信じられない状態
 
だんだんと
 
このようなダメージを受ける”修行”をしながら、
 
そのうちに、少しのパンチだったら効かないくらい
 
打たれ強くなっていくのかもしれない
 
そんなことを思った。
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 

すこし絵を整理した


 
 
 
 
今日は、無印で買ってきたクリアフォルダに、昔書いたいたずら描きの絵を入れた。
 
主に中学から高校にかけて描いた小さなA4にも満たない大学ノートやレポート用紙の切れ端に描いたいたずら描き。
 
昔、銀座で個展をやったときに、クリアファイルのような透明ファイルに入れて、裏側に両面テープを貼って、画廊の壁に一面に貼り付けたことがあった。
 
それをはがしてから、そのままになっていた。
 
あるものは、そのまま、透明ファイルに入れたまま、クリアフォルダの中に入れた。
 
透明ファイルに両面テープがくっついていてべとべとするものや、透明ファイルが大きすぎてクリアフォルダに入らないものは、絵を中から出して、クリアフォルダの中に入れた。
 
A4のクリアフォルダは何十枚入るかよく分からないが、2冊分になった。 
 
A4より大きな絵は、まとめてケースの中に入っている。
 
中学、高校、20代のときは、小さなノートの切れ端に書いていた絵も、だんだん歳をとるにしたがって大きくなっていったことに気付いた。
 
こんどは、それらを入れる大きなクリアフォルダを買ってこようと思った。
 
たぶん無印にはないから、世界堂かどこかに行って捜してみるしかない。
 
今までほとんど、自分の絵を整理してみたことはなかったのだが、
 
今回、ある人にあげる絵をネット上にUPするためにスキャンしたのがきっかけで、
 
今度、他の絵も整理して、データ化して、ネットにUPしようと思った。
 
だんだんと大きい絵を描くようになって、1mも2mもあるような絵は、写真に撮らなければならないが、僕は写真が苦手なので、ちゃんと撮っていない。
 
とりあえずは小さい絵を、スキャンできるものは、スキャンしておこうと思った。
 
けっこう、いろいろな絵を描いたのだということが改めてわかった。
 
 
ただの”絵画”として描いているのではないので、
 
一枚一枚がそのときの自分の心象風景なのだ。
 
その頃なにを考えなにをしていたのかが思い出されてくる。
 
 
これらの絵をまとめて展示したら、さぞ面白いだろうと思う。
 
たぶん、ユニークと言えばユニークに違いないだろう。 
 
 
芸術だけに没頭できる人たちが羨ましい。
  
僕はそうではないのに、
 
たくさんの絵を描いてきた。
 
まあ、売るような絵では決してないが、
 
売るような絵ではない絵を、芸術として専門に探究して描くこともできるだろう。 
 
なにも美の基準は、デッサンとか写実とかのテクニックに限られない、もっと豊かな無限なものだろうと思う。
 
だから、たった一本の鉛筆のいたずら描きでも、それが芸術になることも可能だろう。
 
そして、そのような芸術を探究することも可能かもしれない。 
 
 
ここだけの話、僕は少し病気なのかもしれない。
 
でも、完全に病気にはなっていないから、
 
社会生活が送れている。
 
でも芸術にとっては、社会生活よりも病気の方が相性がいいのかもしれない。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

どうでもいい奴らと、中学の不気味な友人


 
 
あれから
 
コメントを受け付けなくした
 
僕の全部のブログ
 
不愉快という感情はコントロールできない
 
だれか一人でも貴重なコメントをくれるのを待つよりも
 
不愉快なコメントをまったく受け付けなくする方がましだ
 
 
そうしてから
 
つまらない人間によくでくわすようになった
 
以前は多少は同情していたのかもしれない
 
が、今は、つまらない人間を見ると
 
なんだか自分までみじめに思えてくる
 
 
自分ではなにもできない人
 
能書ばかり言ってて
 
精神薄弱な人
 
そういう人に遭遇すると
 
以前は多少同情していたが
 
なんだか、そういう人のつまらなさが
 
最近、つくづく無意味に思えてきて
 
なんだか自分まで嫌になってくる
 
 
できればかかわり合いたくない
 
そういう人はそういう人で
 
勝手に生きていってほしい
 
私にかかわらないでほしい
 
 
すべてがネガティブに思えてきて
 
 
たまには尊敬できる人に出会いたい
 
共感できる人に出会いたい
 
 
でも、そんなに大勢でなくてもいい
 
友人は少なくていい
 
5人いれば十分だ
 
1人か2人がベストかもしれない
 
むしろ、1人もいなくてもいいのかもしれない
 
  
中学の友人OSMのことを思い出した
 
彼は直感に従って生きて
 
直感の矛盾にずたずたにされた 
 
ひとつも理性を働かせようとしなかった 
 
嫌いだと思えばとことん憎み
 
好きだと思えばとことん気に入った
 
その好き嫌いには、なんの根拠もないように思われた
 
彼は直感に従っていたのだと思う
 
僕は彼となぜかとても気が合った
 
でも彼が嫌う奴らでも、僕は嫌いではない奴もいたが
 
彼は、一度嫌いとなったら、とことん嫌った
 
一度ムカつくと
 
殺すのではないかと思うほど
 
ムカついた相手を痛めつけた 
 
手加減というのを知らなかった
 
奴は、シンナー漬けになって
 
ホテルの一室で首を括って死んでいたという
 
 
奴と一緒に、一度
 
とことん直感でめやめちゃに行動したことがある
 
電車にめくら滅法に乗って
 
キセルして
 
まったく知らないところに行った
 
 
なぜかそこに”アカシア公園”という大きな公園があった
 
ぜんぜん楽しくはなかったが
 
今では想い出になっている
 
 
あとからそのことがなぜか担任の先生にバレた
 
二人が自慢して話していたのを
 
だれかがパクッたのかもしれない
 
教室にモデルガンを持って行って
 
机の中に隠していた
 
それを担任に取り上げられたのも
 
誰かがパクッたのだろう
 
中一のときだ
 
僕はそれほど気にもしなかった
 
でも奴は復讐したに違いない
 
僕の知らない所で
 
奴はいつも暴れていた
 
なにが理由なのか判らなかったが
 
奴の敵
 
奴の気に入らない奴
 
直感的に嫌いな奴
 
先生にパクる奴を
 
殴って蹴って、とことん痛めつけていた
 
僕はそこまでやらないし
 
あまり気にもしていなかった
 
でも奴は最後に滅茶苦茶になって
 
自ら死を選んだ
 
奴と最後にあったとき
 
もう、僕の知らない別人になっていた
 
僕のことを気ちがいだと言っていた
 
僕は「お前こそ」と思った
 
それが最後だった
 
最後には、まったく解り合えなくなっていた
 
多少、奴を怖ろしくも感じた 
 
相手も、不気味に感じていたようだ 
 
でも正直、奴のほうがよっぽど不気味だった