私の身体が辿り着く運命の場所
私の身体と世界は裏返しになって
歩いても歩いてもまた元に戻って来る
大きな球体の上
空を見上げれば
私のハートは強く鼓動し
この身体に乗っている時間は
もうすぐ終わるのだと告げる夜空
星座は三角形に並び
あなたの故郷はどこか
あなたはどこから来たのか、と尋ねるように
輝き、瞬いている
私の故郷は裏返しになって
忘却の果てで
私が乗り込む汽車を待っている
でもその汽車がどこへ行くのかは
私にはわからないと答える
脳の中の記憶のどこを探しても
漠然とした郷愁こそ覚えはすれ
私はどこから来たのか
また、どこへ行こうとしているのか
明快な答えなど見つけられぬまま
私の身体は老い、やがて朽ち果てるのだろう
脳を形作る神経細胞が
ひとつひとつ死んでいく音と
ボロボロになった記憶の断片が作る
ちょっと不気味で支離滅裂なストーリーを
ただ虚しく鑑賞していることしかできないまま
私は、運命という言葉の意味を自問しつつ
やがてたどり着き朽ち果てる
故郷と呼べる場所を
探す旅に出る
iPhoneからの投稿
まったく違うリアリティーに目覚めるには
こんばんは。
私はもう寝るところです。
でも、本当の眠りについたら、
私の身体は腐ってしまいます
だから、本当はこれから、
私は夢を見るのです
この世の事象は
何かの法則があるようでいて、
まったく脈絡がないほどにも
自由奔放です
だから私は何をやってもいいのですが、自分に課した制約があります
でも、本来は、制約などまったく必要ないのですが、
私は何もできないと思って、
自分で自分に制約をかけているのです
英語のコミック誌を読み、
時間を潰した時に私がいたのは
カリフォルニアの誰の家だったのか?
何故あのときは、英語がスラスラ読めたのか?
自分だけ外に出て、みんなが出てくるのを永遠と待っていた、あの誰もいない裏路地に、いつか必ずもう一度戻って来ると願をかけたあの場所は、カリフォルニアのなんていうストリートだったのか?
まるで小さな子供が遊ぶようにコックリさんをして、降霊したあの美しい人は、カリフォルニアで、私と何をしたかったのか? 何をさせたかったのか?
それはとってもスケールが大きな 冒険
最後にエジプトに行き
王の間に入り
そこで眠り
別の転生で目覚める
iPhoneからの投稿
言葉の根底
神は、あらゆる言葉を超えている言葉
過去、現在、未来、全ての時間を含んだ時間
総体としての宇宙全体の質量を超えて
悲しみ、願い、愛に感応する
単なるエネルギーではなく
意志を持ち、感情を持ち、知恵を持っている存在
初めであり終わりであるもの
そんな崇高な存在が
ぼくの精神を通じて知ることができ
ぼくの魂を通じて感じることができ
ぼくの意識を通じて認識することができるなんて
とても幸せなことだ
こんなぼくでも言葉をしゃべることができるなんて
言葉がぼくに神懸かったから
ぼくは言葉を話すことができるのであって
その逆ではない
ぼくが言葉を覚えたのではなく
初めに言葉があって
それがぼくに天下り、降りかかり、脳を操り、言語を作り出した
ぼくは言葉を認識する
ぼくの内にある言葉を
そしてぼくは、自分の意識を言葉に向ける間だけ
思考と一体となり
自分を忘れる
では、この私とは誰だ?
宇宙の総体の一部であり
まだ自分でも未知な
存在の根底であり、命の源である様々な智慧の集積された
考えるぼく自身にとっても未知な被造物
存在の神秘は
どんな思想、哲学、宗教、数学でも解けない
無言の言葉によって語っている
そして、ぼくの意識も
その無言の言葉の根底によって
支えられている
存在している
智慧であり、存在であるもの
脳を温めても、暖かい夢を見るわけではない
あたたかい暖房からの風が頭を熱くさせる夜
誰でも同じように齢をとるこの地上で
わたしもあなたも、虫も木も
ただただ齢をとっていくこの時間の中で
あたたかいエアコンからの空気は
熱力学の第三法則によって拡散していく
より冷たい空気を求めて
平衡を保とうとする
ぼくの頭は熱くなり
脳みそも
目玉も
ちょうどいい具合に
おでんの具のように煮えてきたら
たぶん精密機械は誤動作し
その現れとして
この認識している世界が変形したり
イエローとグリーンの光に見えたり
シュリヤントラの三角形と円の無数の組み合わせに見えたりするのだろう
ほんの0.数グラムの神経伝達物質の作用によって
この世の主観的認識は変貌し得るが
ぼくの精神によっては
この意識は驚くほど堅牢に変化せず
思想によっても
なにもまったくかわらない
あの頃の実験は、生々しく、リアルで逆説的だった
ノートパソコンが持って行かれたから、iPhoneで書くしかない。
そういえば、彼女と待ち合わせした喫茶店が懐かしい。
その頃は、明日のこともわからなかったから、逆になんでも出来た。
彼女は現実主義者だったから、僕がやりたかったことを全て、夢のようなもので、あなたは夢見ているだけだと言った。
でも、あなたと喫茶店でコーヒーを飲むことも、僕にとっては夢だった。
それなのに今ではこうしてあなたとコーヒーを飲んでいるのが現実となった。
もっと話が合えばもっとよかったんだろうけど、僕の目の前にいるきみこそが僕の一番大切にしている夢だということが、最後まであなたには理解してもらえなかったみたいだ。
そりゃあ物理学的なことや、さらに生物学的なことにも憧れたけど、それよりも僕が興味を持っていたのは宗教だったから、あなたの魂の開放を祈った。
たまには心理学的なことにも興味を持って、愛と恋の違いを確かめてみたりした。
僕には、恋の方が楽しかったけどね。
熱くなり安いたちだから、恋に恋することもあった。
僕はこういった複雑な問題を解くことに関しては得意中の得意だから、つまり、そのうってつけの相手があなただったから、いろいろ心理学的な実験もできたし、さらに、神秘的領域まで手を広げる冒険まで冒しもした。
結局、とろけるほど甘い夢見は、逆説的なことに、もっとも苦い味と一緒に味わうほど、強烈になることを実地で学習し、実験し、知ったのだった。
そういえば、彼女と待ち合わせした喫茶店が懐かしい。
その頃は、明日のこともわからなかったから、逆になんでも出来た。
彼女は現実主義者だったから、僕がやりたかったことを全て、夢のようなもので、あなたは夢見ているだけだと言った。
でも、あなたと喫茶店でコーヒーを飲むことも、僕にとっては夢だった。
それなのに今ではこうしてあなたとコーヒーを飲んでいるのが現実となった。
もっと話が合えばもっとよかったんだろうけど、僕の目の前にいるきみこそが僕の一番大切にしている夢だということが、最後まであなたには理解してもらえなかったみたいだ。
そりゃあ物理学的なことや、さらに生物学的なことにも憧れたけど、それよりも僕が興味を持っていたのは宗教だったから、あなたの魂の開放を祈った。
たまには心理学的なことにも興味を持って、愛と恋の違いを確かめてみたりした。
僕には、恋の方が楽しかったけどね。
熱くなり安いたちだから、恋に恋することもあった。
僕はこういった複雑な問題を解くことに関しては得意中の得意だから、つまり、そのうってつけの相手があなただったから、いろいろ心理学的な実験もできたし、さらに、神秘的領域まで手を広げる冒険まで冒しもした。
結局、とろけるほど甘い夢見は、逆説的なことに、もっとも苦い味と一緒に味わうほど、強烈になることを実地で学習し、実験し、知ったのだった。
明日、寒い?
ねえ、明日は寒いの?
さあね、きっと寒いんじゃない
やだな、でも、べつにいいけど
さむくなったら考えれば
なにを?
さむくなったなって
それは考えるもんじゃなくて、感じるものだよ
じゃあ、こう考えればいい
リアルな雨粒が他のリアリティーに飽和状態
まず、とてもいい言葉をひとつ選ぶとしよう
夜の雷、真っ暗な中の豪雨、轟音轟き、稲妻が光る
そして、それらをリアルな出来事にするための魔術
落雷が突然発生し、雨雲があとから現れ、轟音を轟かせながら、大雨強風が吹き荒れる
夜の裂け目の中に入っていき、そこで別のルートを見つける
エンターテインメントのリハーサルをしているリアリティーに突然巻き込まれる
そこを通らないと、別ルートには行けない
もう義務もない、隠し事もない、明日食べる心配もない
好きな車を使いたいだけ使える
ブラジルあたりで乗られていたらしいトヨタのピックアップトラック
2人乗りだけど荷台にいろいろ積める
ピックアップトラックに乗って、トパーズを売りながら、持ち株が高騰して、投資した先が全部急成長
金が金を生んで、今ではもう使いきれそうにない。
お似合いのがらくたは厳重に監禁されている
なにもやることがなくて、夕方の空気を感じて、好きなことができるとき
だれも来ないあの山の裏にあるあの池で、ひとり裸になって泳ぐ
寒くて震えるが、このくらいの寒さで凍えたりはしない
どうせぼくは凍え死ぬんだから、でもまだ、今日じゃない、こんな寒さじゃない
夜中、雑誌の編集者に呼ばれて、バイクを走らせる
真冬なのに、マフラーもしないし手袋もしない
途中で凍え死にそうに身体が冷たくなった
でも、これくらいじゃ死なない
ぼくはいずれ凍え死ぬが、今じゃない、もっと先に、もっともっと寒くて、凍えそうになる
そんな日がいずれ来るはずだ
そうしたら、あの子のところにバイクを走らせ、死ぬところを見せつけよう
彼女とは結局、付き合えなかった
だから最後には、かっこいいところを見せて、
つまり命懸けで来たんだというところを見せて
あの世の3丁目3番地のトンネルをくぐろう
死のトンネルは、ジメジメしていて、薄暗いんだ
臨死体験者の言うような光輝くトンネルとは別物なんだ
ぼくは薄暗いトンネルの中に入って行った
そして、なつかしいんだ
ここにはずっと昔いたことがある場所だってことがわかる
ここではあらゆる天才があらゆる芸術を創造していた、そして今でも天才が創造している
でも誰にも見えない聞こえない 音楽、絵画、建築、彫刻
ここにはインスピレーションが溢れている
なぜなら、インスピレーションの泉があっちこっちにあって
今にも死にそうなぼくなんだけど
泉からあふれ出るインスピレーションがぼくをうっとりとさせるから
死は怖いものではなく、あちらに行くだけのことだということだとわかってくる
あらゆるものが無秩序に溢れて、周りの固定化された秩序を容赦なく流している川に
創造がぶちまけたガラクタが漂っている
ぼくにはそういうガラクタがお似合いだから、
浮かび漂うガラクタを集めて、ガラクタ箱にいれて集めていく
ちょっとした現代美術のインスタレーションに使えそうだ
きっと、なにもわかっちゃいないキューレターが大勢押し掛けてくるのだろう
ガラクタこそ現代美術館に展示する価値があると本気で思っているが、
それ以上の感性がないから
覗き穴から見たら、彼らの言うことばは醜悪で、美を生産するどころか、奇形にしているのがわかる
大脳の丸い脳みそがひとつひとつ神経細胞のつながりで出来ているから、
ぼくはときどき、魔法をつかう
マギックってやつだ
ぼくがカリフォルニアの生暖かい風を感じたときは、サンフランシスコ通りで迷ってしまったときだったし、
知らない異国の道を炎天下、延々と歩いていると、ぼくは呪術的マジッシャンとなって、知らないひととでも真理について話を始める
夜は、至福の中で終わったし、
朝は、新しい冒険で始まった
ぼくの内側の欲望がどんどんオオカミのようにはっきりしてくると
どんな所に自分を連れていくのか、
ぼくはただ、直感に従っているだけだ
直感は至福、神秘、デジャヴを感じるような考え、思いつき
そのデジャヴを感じていると、我が内側の欲望は至福を伴う冒険に大金を掛けた
それがマギックってやつだ
高貴なマナーを知っていて、ゲームのルールを知っていること
大金を掛けて、すばらしいことを手に入れる
それは、明日知らずになることだ
チョコレートの包み紙を開けずにチョコレートを喰っても
まずいだけだから
そんなことはしないだろう
だから、これからは、チョコレートをたくさん食べて
いらない脳の機能を、それ独自の方法で始末していくことだな
だれだって何度も通って馴染みになれば、客としてもてなしてくれる
なじみ客でなければ味わえない裏メニューなんかもあるみたいだし
あしたはそれを食べに行って
帰りは車に乗ってガラクタを買ってこようかな
いやな義務と本当の義務
僕が義務を最初に感じたのは、初めて会社らしい会社に就職してノルマを課せられた時だった。
ダイヤモンド、ルビー、サファイヤ、エメラルド、パール、オパール、アレキサンドライト、キャッツアイ・・。
宝石を売り歩くんだけど、車に乗って、その車が日産のローレルのターボだったり、サニーだったり、助手席にはデパートの外商部の人を載せて走るんだけど、月々幾ら売れなきゃならないっていうノルマがあって、僕は一度も達成したことがなかった。今ならもっと上手に売れるだろうし、ダイヤやルビーの価値だって、その美しさ以上には不当に付けられているものではないと思えるけど、僕は当時、こんな商売、詐欺みたいなものじゃないか、と思っていた。
一度、社長が直々にベルギーで買い付けてきたダイヤのルースがあって、クラリティーもカラーもプロポーションも最上級品で1カラット未満の小さな石だったけど、何百万円もする石を、僕は3,4,5個も預けられて、ビニールの小さな密閉袋に入れ、それを胸の内ポケットに入れて持ち歩いていたことがあった。
売るあてなどなかったのだが、たまたまその背広を着て出かけたのが霊能者と科学者による「オーラの測定会」だった。電気関係の特許をいくつも取っているいる科学者がオーラの測定装置を開発したという。それで実際にオーラを測定し、霊能者が見えるオーラと違うのか同じなのか、違っていたらどう違うのか検証しようという会だった。
霊能者は北条キクという元女優の美しい方だった。オーラ測定器をつくった先生も、名前は忘れてしまったが、エレクトロニクスの権威であるらしかった。
実験のため、オーラを測定してもらいたい人を募ったとき、僕が手を上げた。
さっそくオーラの測定を始めた霊能者の北条さんは、黒板に私の身体のシルエットを描いた後、その周りに拡がるオーラを色々な色のチョークを使って描き始めた。それはまるで燃える炎のようで、描いている北条さんがまるで興奮しているように、大きく上に燃えるような火のような絵を描くのに全身ですごい勢いで描いていたから、それを見学している人たちの目も丸くなって釘付けになった。どこからか、「ワンダラーだ」という声が聞こえた。見学している若い大学生風の男二人が「ワンダラーだ」「そうに違いない」と話しながら、持ってきていたノートに黒板のオーラの絵を写していた。そして、さらに、北条さんは、「なにかクラクラしてしまいそうな光が見える」と言った。さらに、「外地の聖光が見える」と言った。
そのあとオーラ測定装置を使って僕のオーラを測定したが、とても強いらしく、機械がきちんと反応した。私のあとに測定した人は、機械があまり反応しなかった。疲れているらしく、オーラが弱かったようだ。
北条さんは僕のオーラにとても興奮した様子だった。光が放射されてキラキラして、目がくらみそうになると言っていたのは、これではないですか、と言って、僕は背広の胸ポケットに入っていたダイヤモンドのルース石を見せた。これは大きさは1カラット未満ですが、クラリティーもカラーもプロポーションも最高のダイヤなのですと僕は説明した。北条さんは、ほらね、わたしの言ったとおりでしょ。ダイヤの輝きを見ていたのね。と話した。そしてさらに、北条さんは、僕の頭の後ろの方に「外地の聖光」が見えるとおっしゃったけど、それはなんなのでしょうかと質問すると、どこかの外国の聖なる人の光だと言うので、それはもしかしたら、インドのグルRのことではないかと言うと、そのことを皆さんに紹介してあげてくださいと言うので、僕は高校のときにインドに言ってグルの弟子になりましたと話をした。
そのあと、何かの精神世界の会合で北条さんとまたお会いしたとき、僕のことを覚えてくださっていて、あなたも仲間にならないかと言われた。あなたにもその資格があるからというニュアンスだった。その後、その会場にきていた4,5人の若い男女を紹介された。皆、僕と同じ20そこそこの若者で、男性も女性もとても魅力的な人だった。とくに目がキラキラ輝いていた。その目の光が普通ではないので、本物のサイキックなのだと思った。僕はとくにサイキックでなにができるということもなかったので、その仲間にはならなかった。でも、彼女ら彼らも、僕と同じように”ワンダラー”だったのかもしれない。
僕は、宝石を月に230万円売らなければならない・・などといった義務を課せられていたが、もし、僕の義務が、サイキックの仲間とオーラを見る能力を向上させなければならない、といったような義務だったら、喜んで従っていただろう。
僕は宝石をローレルのターボに乗って売りながら、ゲーテの色彩論、植物論を読んでいた。そして、大学ノートを持ち歩いていて、宝石を売るのがいやになったときなどは、青と赤と黒のボールペンでいたずら描きをしていた。それを見た他のセールスマンは、すごい絵を描いてるなあと感心していたが、僕が宝石が売れない理由はこれだったんだなと、妙なことを言う人もいた。
夢、命を救うことと、芸術に殉教すること
昨日見た夢
前後関係が解らなくなってしまったのだが、つまりどっちを先に見て、どっちを後に見たのか曖昧になってしまったのだが、2つの場面があった。
僕は言葉の通じない、どこか外国の女の子の命を助ける。女の子はまだ背も低く、まるでお人形さんのように髪の毛を両肩に垂らしている。ちょっと浅黒い肌のインド人か、アラブ人か、アフリカ人かの混血のようだ。
なにか戦争のようなことをやっていて、殺されるところを、僕が救った。そして、まるで小さなお人形さんを抱っこするようにその子を抱いて、走って安全な場所に逃げている。そして、走りながら、きみを助けたのは、○○××(紫源二の本名)だと何度も何度も告げている。その女の子を助けたことが、僕の犯した罪の償いになったと感じている。だから、僕は堂々と自分の名を名乗ることができるようになった。そして、誰よりも、その女の子に、僕の名前を覚えてほしい。そう思って何度も自分の名前を言い聞かせている。
もう一つの場面には、怪物が登場する。
人間の形をしているが、人間よりも三倍くらいおおきな生き物が、怒り狂ったように暴れている。広場で何かを振りまわしている。こんな怪物を見るのは初めてなので、とても珍しいことが起きているもんだなあと、関心している。でも、その怪物は明らかに感情的に大荒れで、なにかその怒りを爆発させるように暴れているのだ。そして、なぜかそれは三島由紀夫であることがわかった。
以上、なんの意味もないような、面白くもなんともない夢だったが、自分の名前を名乗れるのは、とても名誉なことなのだと感じた。僕は、未だかつて、自分の名前を堂々と名乗るだけの何事もしていないから、自分の名を名乗ることが恥ずかしいのだが、誰かの命を救ったとしたら、その人には自分の名前を覚えておいて欲しいだろうと思うだろうと思った。
三島由紀夫が出てきたのは、ドナルド・キーンが日本人になったというTVのドキュメンタリーを見ていたせいかもしれない。ドナルド・キーンが三島と映っている写真がとても印象的だった。あのような天才が僕がまだ幼かったときに、この日本で共存していたと思うと不思議だ。彼と話をしたら、どんな話になるのだろう。マッチョな話になるのか、政治的話になるのか、それとも精神的スピリチュアルな話になるのか、それとも美学の話になるのか。
その三島が、あまりにも偉大だから、三倍も大きな人間として夢の中に登場したのだろう。そして、彼は怒り狂っていた。文字通り怪物のように辺り一面にあるものを投げ散らかして暴れていた。僕にはこの怪物の胸の内が見えた。悲しくて暴れているのだ。なにが悲しいのか。それは、だれも美を知らない、知ろうとしない、求めない、求めようともしない。そのことに怒っているのだ。「きみも美を探究しろよ。そうして、きみも美しくなれよ。」まるで自分が認める美が、誰にも理解されていないような、それでいて、自分が書いた美を、自分が体現し、あるいは、演じなければならないような。最後は死の美学を自分で演じて見せた。ある意味で狂気かもしれないが、文学とか藝術っていうのは、はじめっから狂気であるし、宗教も思想も、本気であればあるほど、気ちがい沙汰に感じられるものだ。
でも、人間はそこまでいかないと満足しない動物なのだ。ある意味で狂気のように見えるほど純粋に一途になること。純粋になって、さらに純粋になって、純粋になり切ったとき、その純粋さは世間では狂気に見える。一途で純粋なこと。これを藝術において行おうとしたときに、その表現はある種の狂気的な熱を帯びてくる。他人はその熱を異常だと感じる。まるで熱にうかされているような。尋常でないものがとり憑いているような。でも、藝術家は、純粋に藝術に没頭すればするほど、尋常でないものごとに殉教することに憧れをいだくようになる。
散文はどんなに美しくても意味の限界があるが、詩には言葉の意味すら限界にならない尋常では意味しない意味が立ち上がる。文学に殉教することは、自分が書いた藝術の化身であるプロトタイプを自らが演じ、芸術そのものになってみる。自らがそのもになるのではなく、役を演じてみること。実人生を演劇の舞台とみなして、美に殉教したマッチョを演じてみた。それを書いて創造した創造者である自分が自らその創造した人間になり切ってみる。それが彼にとっては美しいことだったからに違いない。
自分の役を自らよく理解して、その役を実生活の中で演じてみる。自分とは誰であるかを演じる。しかも、できるだけ上手に、巧みに演じることができたら、それはひとつの美しい物語になるだろう。でもそれは、私の物語ではない。私が演じた物語に過ぎない。
しかし同時に、演じることに純粋になればなるほど、ある種の真実味を帯びてくる。その一途さは狂気のように見える。狂気とは、純粋性であり、最小公約数で約分できない素数であり、常識的な意味を破壊するものだ。そこに、まったく新しい意味が立ち上がってくるのを感じることが出来るとき、過去の言語で語られた何物にも比較できない。オリジナルであり、個人言語であるが故に、他の誰も、それを100%は理解できないものだ。ただ、感じることはできる。そして、その感じは、きっとあなたの感じているものと私の感じたものは同じであろうと信じることができるもの。照明はできないが、信じることができるもの。ただ感じて確信できれば、数学的に証明する必要も、論理的に証明する必要もなくなる。
話が脱線してしまったが、そもそも夢の話など、他人に伝わるはずがないし、そこで感じた雰囲気などは、言葉ではとても表わせそうにない。けれども、あの夢の不思議な感じというのは、誰でも経験したことがあるし、言葉である程度通じるものだ。それが、僕が語った夢のイメージと、あなたが受け取った僕が見た夢のイメージが同じものであると証明されなくても、また、それが科学的に違うものであると証明されたとしても、それはそれで、価値あることだと僕は思う。
結局、芸術が何を表現しているかなんて、そもそも言葉で語り尽くせそうにないものだから。
それが芸術という範疇に入るものならば、それはある種、夢の中で起きることに少し似ているに違いない。