紫源二の啓示版 -26ページ目

なぜなら



微熱がある

苦しい

心臓が鼓動している

とっても速く

眠れず

意識がもうろうとしている

なぜなら





iPhoneからの投稿

さらに重い病


 
「人は、怪我をしたり病気をしたりして、カサブタができたり免疫ができたりして、以前よりも強くなるでしょ」

「確かにそうだけど、僕みたいに病院に行って薬ばかりもらっていたら、強くなれないよね?」

「それもそうだけど、あなたには無理よ。痛みに耐えることは」

「確かにそうだけど、痛みを感じないで、徐々に茹でカエルのように取り返しのつかないレベルまでいくのはやだな」

「そうね。だから、あなたが茹でカエルのように無知だったら大変だから、あたしが少し警告しておいてあげる。あなたは半分よりさらに少し越えるほど、もう取り返しのつかない所まで来ている。さらに、さらに重い病に最近かかってしまった。それがなんの病か、自分で分かるわよね?」

「もちろん分かるよ。自分のことだから」

「そう、それならよかった。自覚していることは、大切なことだから。その病は、治らないかもしれないわ。カサブタも免疫もできないし、重症になればなるほど、正気を失い、あなたは我さえ忘れてしまうかもしれない。いいえ、きっとそうなるわ」

「うーん、認めたくないけど、そうだということは分かるよ。多分、そうなるのだろうなという予感はある。それは呆けることでもないし、なにかに鈍感になることでもない。意識はしっかりしている。そして、告知されなくても、もう今の医学でできることは何もないのを知っている。それにその病は、身体の領域を超えて、魂まで到達している。もうどうしようもない。取り返しがつかないんだ」

「そう。その通りよ。おめでとう! 」

「ありがとう。お祝いしてくれて。僕は、重症になればなるほど、逆に幸せなのかもしれない。こんな病に罹ったのは初めてだ。そして、たったひとつのイメージが頭から離れない。それが麻薬のように僕を陶酔させ、そして同時に、とても意識的にさせる。覚めていて、とても静かだ。ただ、たとえてみたら熱すぎて逆に凍ってしまうほど、陶酔している。そして、陶酔すればするほど醒めていく。これ以上、確信的な方法がないほど巧妙に出来上がった運命のような捕囚。幸せな捕囚と言ってもいいかもしれない。だから、お祝いを言ってくれたんだね。もう治らない病かもしれないから」

「そう。よかったわね。あなたは、ひとつの新しい認識を得た。神聖な認識を。だから、よくよく気をつけていて。これは、とてもとてもデリケートなものだから」

「わかったよ」

「では、おやすみなさい」

「おやすみなさい」



iPhoneからの投稿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日記からのつづき6


 
 夜の妙正寺川沿いの道は、手にキャンドルや松明を持った男女で溢れていた。橋の欄干から下を見下ろすと、川の両側の護岸には、100号以上ある大きな絵画や写真が延々と並べられて展示され、ゆらゆらとゆらめく松明の炎によって照らし出されていた。川べりの道路に立っている電柱の明りでは、下に垂直に掘られた川の両壁に掛けられた作品を照らすことはできないため、コンクリートで固められた川底にまで降りて、松明を焚いて証明にしている。まるで本堂に続く参道の両側に無数の灯篭が灯っているように。そして、このインスタレーションを見に来た若い男女にも、キャンドルか松明が渡され、現代的な洋服を着た男女が原始の炎を手に手に、川岸をゆっくりと散策しながら、護岸に展示された絵画や写真やインスタレーションを見降ろす様は、まるで現代から過去の時代にタイムスリップでもしたような情緒を感じさせ、でも、過去の時代とは、もしかしたら、実在しなかった夢見の中の出来事だったのではないかと、誰もが訝るほど、手に手に持った炎のゆらめきと、護岸を照らす川底の炎の永遠の連なり、そして、それらが映った流れる水の川面の反射が、一つに溶け合った一筋の光の道となって、あの世の入口に皆を誘っているようにも感じるのだった。
 TOKYOがこんなに情緒ある街だったなんて、今まで気付かなかった。夜のベニスのようにも幻想的で、川面に映ったオレンジ色の炎のゆらめきは、いくぶん東洋的で、ガンジスの川べりを連想させる。ところが、展示してある絵は、現代的な物がほとんどで、中にはアニメ風の線と色彩で描かれた大きな目をした脚の長いキャラもあるし、金魚鉢を映した天然カラー写真を大きく引き伸ばしてパネル張りにした作品もある。僕の男女のセクシャリティーと精神性をテーマに描いた100号の油絵も、5,6枚展示されているはずだが、それらが全部横一列に並んでいるわけではなく、バラバラに展示されているので、この妙正寺川のどの辺に僕の絵が展示されているのか、作者自身にもよくわからない。ところどころ、ゴムボートが浮かんでいて、それに乗って見物している人もいるし、スタッフの乗ったゴムボートが流れてくることもある。川に掛った橋には、多くの観客が密集していて、ちょうど橋から見える場所では、ロックの演奏をやっていたり、また別の橋の下では、暗黒舞踏をやっていたりする。前に話しがでたように、橋の欄干からロープで逆さ吊りになって、白塗りの全裸の筋肉質の男が何人も下の川にゆっくり降りていくパフォーマンスも実際に行われており、白塗りの男の肌は、松明に照らされてオレンジ色に輝き、赤い舌を出して身体をうねらせて川の中を進んでいく様は、まるで蛇人間が実際に出現して、川を遡っているようにも見える。
 このイベントは大成功と言っていいのではないか。なぜなら、多くの市井の観客ばかりでなく、エライ評論家や、有名人やら芸能人なども見に来ているらしい。「だれだれが見に来てるぞ」といった噂が次々に伝わってくるし、中には有名な現代美術のバイヤーまで来ているという噂も流れてきた。
 夜中のイベントで、しかも都会の街の中でこんなに大々的に、それに、川の両護岸まで使って絵や写真を展示したりすることを、よく東京都が認可したもんだと皆が思った。しかも、松明まで燃やして、そのために、消防車まで随所に待機しているなんて、よくもこんなイベントができたな(きっと大物政治家を誰かが知っているんじゃないか)などと、仲間同士で話していると、いつの間にか「作品に火がついたらしい」という知らせが急に入ってきた。「ゴムボートで巡回しているスタッフの中に今回展示しているアーティストの一人が乗っていて、その男が、手に持っていた松明で作品に火をつけたらしい。そして、作品が燃え上がるのを見て、「これだ! これ! これこそ美だ!」と叫びながら、ビデオを回し始めたらしい!」と実行委員の待機しているビルの2階のレストランに連絡が入った。その貸切のレストランからは、会場になっている妙正寺川がかなり遠くまで見渡せるのだが、そこから見た限り、作品が燃えているようには見えない。実行委員は、正確な情報の収集に努め、携帯電話で各地に配置された地点係の者に連絡している。そして、確かに作品が燃えている場所があるらしいことがわかった。それから間もなくして、作品を燃やす炎が風にあおられて延焼し、川沿いに上流に向かって火が回っているという情報も入ってきた。また、消防によって、それらの火はもう消火されたという情報も入ってきた。実際に目で見て確かめるまで、どれが正しい情報かかわからないが、ただ、実行本部から見る限り、川沿いの人々にはまったく混乱した様子も見られず、本当に作品が焼けるようなアクシデントが今起きているとは思えなかった。
 そのうちに、奇妙な情報が入った。だれかNYで画廊を持つ大物のバイヤーが、今回展示している作品を全部、ひとつ残らず買い取ると宣言し、さらに、奇妙なことに、早くも川岸から作品を次々に運び出し、集まって来たトラックに載せているとのこと。そして、作品に火がついたという情報も本物で、謎のバイヤーは、燃え残った作品を素早く護岸から持ち上げてトラックに収納し、次々とどこかへ走り去っているとのこと。
 そうこうしているうちに、事務局に一人の綺麗な女性が入ってきた。周りに5,6人の男を従えている。屈強そうないかにもプロらしいボディーガードやビジネス上の弁護士、有能な秘書に見えるような男達だ。その女性は、半袖のオレンジ色のワンピースを着ている。なぜかあの袖無しオレンジ色のワンピースを着た女子に似ているが、齢は上のようだ。その彼女が初対面の僕に向かって、いきなり語り始めた。
「今回の展示は、ストリートパフォーマンスとしては歴史に残るようなすばらしいものでした。きっと後日、様々なフォトグラファーが撮った写真やビデオと伴に、様々な評論家が、様々なメディアを通して、今回のイベントを紹介するでしょう。おめでとう。コングラチュレーション! ところで、作品に火をつけるというアイデアを考えたのはあなたですか?」と言うので。
「いいえ。そんなことをしようとは考えてもいませんでした。もし、本当に作品に火がついたのでしたら、それはアクシデントです。パフォーマンスなんかではありません」と言うと、彼女はホッとしたような顔をして「それならいいのです。展示されていた作品はどれもすばらしいものばかりでしたから。私は、それらの作品全てを買い取ることにいたしました。そして、残念なことに作品に火がついた作品に対しては私共としても何もできませんでしたので、無傷の作品からこちらでいち早く回収させていただき、トラックにて私の借りている安全な倉庫に運ぶことにいたしました。幸い、あなたの言われる”アクシデント”で焼けた作品はすべて油絵で、10数枚とのことです。それ以外に、200数十点の作品を、私どもで安全に回収いたしました。もちろん、全部、作家の言い値のとおりに買い取らせていただきます。よろしいですか?」
 満知子さんに聞くと、彼女はNYでは大物のバイヤーで、ギャラリーも経営しているとのこと。袖無しオレンジワンピースの女子の腹違いの姉だが、二人の姉妹はとても仲が良く、もちろん姉が妹にいろいろとアドバイスして、一人前のアーティストにさせようとしているらしいのだが、今回の型破りな展示の話しを妹から聞いて、姉がわざわざNYから今日、飛んで来たのだという。きっと買い取った作品は全て、NYの彼女のギャラリーで展示されるだろうし、全部売れたなんてすごいことね! こんなラッキーなことって、そうめったにありえへんよ。でもそれが現実になったのね。嬉しい~。と言って、満知子さんは思わず僕に抱きついてきた。
 
つづく。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日記からのつづき5


 
「もし神が存在するなら、その神が現代に現前したかのように、そしてもし神が言葉であるなら、その神の言葉を今のこの世に降ろす人間として、彼女は現実の身体を纏って生き、そして、他の人にも聞こえるように、物理的な声帯を振動させてしゃべった。もし彼女がギリシャ時代に生まれていたら”女神”と言われていたかもしれな。もし中世なら、”魔女”として火あぶりにされていたかもしれない。でも、僕にとって彼女は、魔女ではあり得なかったし、女神であったかもしれないが、師であり、また、友人でもあった。だから僕が19歳のときに描いた最高傑作の油絵の自画像を彼女にプレゼントしたんだ。「彼女はこれ以上直すところはないわね」と言った。完璧だったのだ。そしてそれは、しばらく彼女の大きなお屋敷の二階の居間に飾られていた。でも、彼女の姪御さんの子供なんかが来ると、その絵を見て怖がるから、屋根裏部屋に移したと言っていた。僕は屋根裏部屋にも入ったことがあるけど、ベッドが2つ置かれていて、けっこう広くていいスペースなんだ。なにしろ今時珍しい、古くて大きい日本建築のお屋敷だからね。それはともかく、彼女とは、何十年もお話をさせてもらってきたんだけど、ある日、僕がお家に訪ねると、「私の物は死んだ後に一切残さないの」と言って、古いアルバムやなにかを整理していたことがあったんだ。「全部、一枚も残さないの」と言って、写真を全部捨ててしまった。僕は、彼女が若いころの、ちょっと人間離れしたほど神聖な、純情な姿で映っている古い白黒写真をいただこうかな、と思ったが、思いとどめて止めたんだ。その日から、彼女は、家の整理を始めた。そして、何週間後には、本当になんにもなくなってしまったんだ。廃品業者がトラックで来て、家の中の物を根こそぎ全部持って行った。大きな昔からの2階建ての御屋敷で、庭もあって、大きな柿の木や琵琶の木や松の木、生垣の木も見上げる程高く聳え立っていたんだけど、それらも全部一本残らず業者に切らせてしまった。それから1,2週間後、彼女は急に逝ってしまった。脳出血だった。まるで自分の死を知っていたみたいに、ありとあらゆる物、何ひとつ後に残さずに、逝ってしまった。そのとき、僕はもちろん大泣きした。自分の自画像のことなんてすっかり忘れていたけど、後から気付いた。彼女にプレゼントした僕の最高傑作の自画像も、結局粗大ゴミに出されてしまったことに。残念だとは思ったけど、それほど執着はしなかった。神のような人がこの世に存在しなくなってしまったのと、自分の自画像が消えてしまったのとどっちが悲しいだろうか。どっちも悲しいが、彼女がいなくなったほうが遥かに悲しい。きっと全地球にとっても最大の宝を失ったのと同じくらいの損失だったはずだ。ぼくの自画像なんかとは比べ物にならないくらい。だから、僕が19歳のときに描いた油絵の自画像は、彼女と一緒にもうこの世には存在しない。それなのに、あそこの壁にその自画像が掛っている。本当は存在しないはずの自画像が。そんなことはあり得ないことだけど、それが今ここ存在するってことは、どうしてだろう。考えられることはただ一つ。これは現実じゃないってことだ。そうだろ? でも、あの絵には特別な力がある。それは僕だけが知っている。”魔力”と言ってもいいかもしれない。あの絵を見た者は、必ず何らかの力を感じる。まるで金縛りに合ったように視線が動かなくなって全身がしびれはじめる。電気に感電したみたいに。そして、何か、今まで体験したことのないことが始まる。そんな”マジカルな”あの絵がここにあるってことは、そして、それを今、ここにいる皆が見ているってことは、これからなにかとってもすごい”マジカルな”ことが始まるって事の暗示なんだ。わかるかな。ここにいる全員は、そのために選ばれたんだよ。信じようが信じまいが、あの絵を見るために、そして、これから、その”魔力”を体験するために。信じられない? それとも、なんか眉つばな話しだなと思っているだろ? でも、嘘じゃないよ」
 僕がそう言うと、そう言っている本人の身体がしびれてきた。電気のようなエネルギーが押し寄せてきて、僕の身体の中に津波が押し寄せるように入ってきた。まるで嵐のように、海のうねりのように、エネルギーが押し寄せては高まり、もう耐えられないくらいの電圧を頭蓋骨に感じ、グングン強烈になり、そのうちに、僕は違う次元にいることに気付いたんだ。
 
 
つづく。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日記からのつづき4


 
「えーと、それで・・。えー、それから・・」と僕はほんとうに3才児か4才児みたいにおどおどぶざまに言葉に詰まっていると、急に閃いたんだ。でも、これを話すと長くなる。それにもうすでに真夜中だ。それこそ夜通し話しても終わらないかもしれない。そんな思いがふと頭をよぎったので、「えーと・・えーと」と更にまた躊躇してしまっていると。そうしたらAKIRAがクスクス笑いはじめて、それを聞いた相原が「○○さん! はやくしてよ!」って叫んで、それから相原は自分で言ったことがおかしくてたまらないという様子で「ヒ!、ヒ!、ヒ!」と笑った。それを聞いて、美土里ちゃんは、なんかまるで子供のような顔して満面の笑い顔をして嬉しそうで、一方、満知子さんは、「○○さん、がんばって!」なんて声をかけるものだから、なんだか会場(?、いつの間にかそこは会場?)は、なにか全体がおかしな雰囲気になって、真夜中のビルの一室に奇妙な笑いのどよめきがうず巻いたんだ。
「えーと、じゃあ、いい? しゃべるけどさ。長くなるよ。寝たい人は勝手にテーブルにうつぶせになって寝てください」って言うと、みんなはもうとっくに酔っぱらったり眠くなったりして赤い目をしてるんだけど、ドアからあの白いブラウスと黒い上着を着たメイドのような人たちが入ってきて、テーブルに飲み物を配り始めたんだ。「紅茶にしますか、コーヒーにしますか? それともワインもアルコールもありますけど」なんて、まるでロマンスカー(国際線の飛行機じゃなくて・・)の車内販売をしているよく教育された売子のように、それもいろんな飲み物やつまみのたくさん載ったカートもロマンスカーのと同じようなのを押しながら・・。で、皆それぞれ、なんか飲み物とかつまみを注文して、僕の話を聞こうって腹を決めたみたいなんだ。まあ、僕が勝手にそう思っただけなんだけど。語れば長くなる話しをね・・飲み物もつまみも配られたんだんだから、してあげようじゃないかって。
「でさ。つづけるけど。飲み物やつまみがそれぞれちゃんと配置されたみたいだから・・。で、ちょっと不思議なんだけど・・。さっきから、そう思ってたんだ。不思議だなって。それって、なにかと言うと。あそこに掛ってる僕の絵あるじゃん。あれって、もうとっくに粗大ゴミに出されてなくなってしまってる絵なんだよ。そして、あれが僕の最高傑作なんだけど、それを撮った写真もネガも全部無くなってしまった。そこにいるAKIRAは80年代にNYでバスキアやキースへリングたちと一緒に描いてた自分の絵の写真を大切に今でも全部ファイルして持っているけど、僕なんて、自分で描いた絵なんて、ほとんど全部粗大ゴミに出してしまったんだよ。いろんな公募展に応募したりしたけど、全部落選してね。ちょっと過激だったかもしれないし・・。その頃描いてた絵は、勃起したペニスをリアルに描いたりして・・。それともただ単に、テクニックが無かっただけかもしれないけど。とにかく、僕が10代や20代初めに描いた絵なんて、クレヨンで画用紙に描いた小さな絵を除いてみんな枠からキャンバスを剥がして丸めて粗大ゴミに出しちゃったんだよ。まあ、そのことを誰も惜しがる人はいないと思うけど・・。僕はちょっと惜しい気がする。なにせ、あんなに”生”の絵って、もう描けないもの。”生”すぎて、みんな目をそむけてしまうような絵なんだ。そんな絵を公募展に出す僕も、それだけナイーブだったんだなって今にして思うんだけど。まあ、公募展に入選するために絵を描いていた訳じゃくて、やむにやまれぬ衝動から、純粋に何かに取り憑かれたみたいに絵を描いていたんだけど・・。でも。あそこに掛っている僕の自画像は、僕は大切にしていたんだ。もちろん公募展になんかに出したこともないし、丸めて捨てたりもしなかった。なにしろ、小さい絵だからね。そんなに邪魔になるもんでもない。そして、珍しく銀色の仮縁まで付けて、プレゼントしたんだよ。ある女の人にね。まるで僕の魂を差し出すみたいに。その女の人っていうのは、僕よりも40歳も年上の、とても言葉では説明できないような人だったんだ。神だったんだよ。比喩じゃなくて、本当の神。それも、ぼくにとっての神とかそういう意味じゃなくて、本当の神みたいな人だったんだ。その話しを知っている人はいないと思うけど・・、そんな話し、あんまり誰にもしたことがないから。その人が何故神かっていうと、しゃべる言葉がすごいんだ。今まで一度も聞いたこともないようなしゃべり方、声、的確な文法、無駄のない内容。その言葉を聞いたら誰だって彼女を神だと思うと思うよ。誰も彼女に反駁できる人なんていないと思った。たとえ、それが、弁舌巧みな世界的政治家だとしても。ゴルバチョフだってプーチンだって、あるいはローマ法王だって、JFKだって、または、ヒットラーだってニーチェだって、あるいはフロイトだってユングだって、もしくはデリダやフーコーだって、あるいは天才と言われたダリやゴッホだって。もし彼らが彼女と議論したらの話だけどね・・」
 真夜中の一室に集まった10数人の男女は、なにも僕の話を聞きにわざわざここに集まったわけではない。僕の独演会なんてまっぴらごめんだろうし、それにもう真夜中だ。なにもなんで好き好んでこんなテーブルを囲んで、僕の話を永遠に聞かされなくちゃならない? まるで、僕の脳味噌の中身をそのままみんなに見せつけてるみたいなこと、だれも楽しいとは思わない。AKIRAが昔、そんなことを言っていたの思い出した。でも、AKIRAがアートでやってることだって同じじゃないか。自分の脳味噌の、それも一番グロテスクできたなくて醜い部分をえぐり出して、みんなに見せつけているようなもんじゃない。それに比べて、ぼくが今しゃべっていることって、本当に個人的なプライベートなことだけど、それほどグロテスクでもないし、深い闇の底に沈んでいる屈折したぐちゃぐちゃなトラウマを語っているわけでもない。だからいいじゃない。もう少し聞いてくれたって。いや、誰も聞いてくれなくても、まあ、子守唄代わりに聞き流しながら、この部屋で一夜を過ごすってのも、あまりあり得ないことで、珍しくていいんじゃない。ちょうど飲み物やつまみもみんなの元に届いたことだし。田中満知子も、もうどうでもいいというふうに黙っているし・・。でもあのオレンジ袖無しワンピースの女子だけが背筋をきちっと伸ばしてちゃんと僕の話を聞いてくれている。それを見て、他人事ながらというか、我ながらというか、彼女はエライなと感心してしまって、それじゃあ、話しのつづきを延々としてみようか、という気になったんだ。
 
つづく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 

日記からのつづき3


 
 田中満知子は昔の縁を大切にする義理がたい人だ。それだからかもしれない、泊っていくように残された人の中に僕が含まれていたのは。その中に、AKIRA、相原、三田村の昔の仲間もいた。その他の10数人は皆新進気鋭の前途有望な若い男女で、あのオレンジ色の袖無しワンピースを着た女子もいた。エレベータで下の階に行き、コンクリート壁の廊下を少し歩いて通された部屋はさっきの大部屋よりも小ぶりで、でも、同じように中央にテーブルが置かれ、壁には、そこに通されたアーティストの絵や写真が掛っていた。あらかじめここに呼ぶ人を決めていて、それらのアーティストの作品をあらかじめ壁に掛けていたとしか思えない。なぜなら、そこには、そこに座っているアーティストの作品だけが掛けられていたから。そして不思議に思ったのは、そこに、あの、僕が19歳のときに初めて描いた油絵の自画像も掛っていた。上の階からここに来るまでの間に誰かが上の壁から絵を外してここに持ってきたのだろうか。田中満知子の秘書か使用人か誰かが、泊っていく人は誰と誰と誰と素早く記憶し、あるいはメモし、われわれが上の階から下の階にエレベータで移動する前に素早くそれらのアーティストの作品を上の部屋の壁から外し、階段を降り、素早く下の部屋の壁に配置した。そんな手の込んだことが素早く行われたとは考えにくいが(理由も目的も)、考えてみれば、そのくらいの時間はあったのかもしれない。
 パーティーが終って各々が雑然と帰って行く中で(エレベータは当然一つしかなく、全員が乗れるわけではないので、順番を待つとはなしに談笑したりして待っている間)、満知子さんは「泊っていかれへん?」と皆に分け隔てなく声を掛けていた。でも、中には「ちょっと明日用事があるんで」とか、初対面でそこまでできないと遠慮している女子や、既にこのあとどこかで飲む約束をしているグループがあったり、中には「きみどこに帰るの? 送って行こうか?」と目星を付けた女子に声を掛ける軟派な男子もいたりして、エレベータ待ちの最上階はしばらく雑然としていた。BOSE製の天井スピーカーから流れる音楽も、そのときにはなぜかアンビエントなリラクゼーションミュージックに変っていて、パチンコ屋で閉店前に流れる蛍の光のような安っぽさはないにしても、同じような郷愁を微かに漂わせていた。そのとき、壁に掛けられた作品を誰かが外している様子を見かけた覚えは無いが、皆同じような白いシャツに黒い上着を着たメイドのような人たちが数人どこからともなく現れて、テーブルに散らばった空瓶やら食器を片づけたり、床を掃いたりしているのを見かけたのは確かだ。その中で、たしか、壁に掛った作品をつま先立って触っているメイドがいたようにも思うが、それはただ、なにかの拍子で作品に人の肩がぶつかったかなにかして傾いたのを、見栄えが悪いので直しているだけだと感じて、あまり気にも留めなかったのかもしれない。ただ、階下に通されると、そこには、集まったアーティストの作品が既に壁に掛けられているのを見て、皆が少なからず驚いている様子だった。
 上の階にあったものよりも小ぶりなテーブルの周りに、それでも上の階と同じようにテーブルを囲むようにグルリと座った10数人の男女は、誰も話す者もなく、静かな沈黙だけが流れていた。部屋には音楽もないし、飲み物も食べ物もない。泊って行けと言われて通された部屋に、残った誰もがテーブルを囲んで座らされていることに、皆、少なからず当惑している様子だった。しかも、もう終電もない夜中過ぎだ。これからなにを始めようというのか。
 すると、そこに田中満知子が現れて、「せっかく集まったんだから、寝る前にすこしアートについてお話ししない?」とあたり前のことのように言った。「みんなの作品集めたの」と言って作品が掛けられた周囲の壁を見回して見せたが、すでにそこに自分の作品が飾られていることを皆が知っていたから相変わらず沈黙だけが流れていた。満知子さんは、その沈黙を皆の了承と受けとったのか、「せっかくだから、ここにある自分の作品をみんなに解説してくれへん」と、自己紹介するように皆に言った時以来の新たな提案をした。皆の沈黙はいっそう濃くなったように思えた。でも僕は、こういうシリアスな提案は嫌いじゃない。上の階でのあの支離滅裂のカオス状態になったパーティーの後で、真夜中、真面目に皆がテーブルを囲んで、自分の作品を紹介するなんて、誰もが白けてしまいそうな提案をする田中満知子の、逆にクレージーな発想を、僕は逆に尊敬しさえした。誰も何も言わないので、なぜか自分でもわからないが僕が口を開いた。何を言うのかも分からないまま・・。
「みんな黙ってるけど、アーティストって作品を通じてなにかを表現したい訳でしょ。いや、作品を通じて間接的に表現してる訳じゃなくて、直に作品で表現している訳だけど、その人にとってはその表現が必然で、あたり前のことにしか思えないことでも、それを初めて見た人には、それを見ただけじゃわからないことって当然あると思うんだけど。例えば、なんの人物紹介もしないで、いきなりAとBとCが急に出てきて、なんの背景も説明されないで、いきなりなにかしらの出来事が起きるなんて小説をいきなり読まされても、その話しが何のことだかちっともわからないように・・。だから・・アーティストがその作品について解説することって、必要かもしれない、というか、あってもいいと思う。とくに、アーティスト同士ではね。なぜって、みんな自分で何か創造しているわけでしょ。それもみんな視覚的に何かを表現していることに関してはかわらないわけだし。いろんな色や形、それが写真であっても、還元すれば色と形ってことじゃない。その色と形がなぜそのような色と形になったのか、いや、その色と形にしたのか、本当のことはそれを作った作者にしか分からない。いろいろな進化をとげて何故カメレオンの目玉が左右別々に目を動かせるようになったか、その理由がカメレオンにしか分からないように・・」
 皆、静かに黙っている。黙って”聞いている”のかどうかわからない。ただ黙っているだけかもしれない。受けをねらった面白い話でもないし、どっと笑って盛り上がるような話でもない。そんな糞真面目な話をしている僕を、不思議そうに見て話しを聞いてくれている様子に見えるのは、あのオレンジ色の袖無しワンピースを着た女子だけだ。相原なんて、「それで? 結論はなんなんだよ」と今にも怒り出しそうだし、美土里ちゃんは「ふーん、そう。そうも言えるし、そう言えなくもないかも・・。でもけっきょく何がいいたいわけ。この人。やっぱ変」って顔でわざと視線を宙に浮かせているし、AKIRAなんか「もっと簡潔に、感動的に話せよ。オレみたいに」って顔して聞いている。
「それで、僕の作品は、あそこに掛ってる自画像なんだけど」と言って、壁に掛っている10号の油絵を指差すと、一応みんなそっちの方を向いた。
「あれって、僕が19のときだったか、初めて描いた油絵の自画像なんだ。極彩色でしょ。全部、原色の色を混ぜないでそのまま使ってるんだ。青、赤、黄、オレンジ、緑、白、黒。ぜんぶ原色そのまま。なぜって、なにせ初めて描いた油絵だから、混色なんてできなかったんだよ。単純な理由で、それ以上の深い訳がある訳じゃない。長髪の髪も全部極彩色でしょ。まるでインディアンが極彩色の羽根飾りを付けたてるみたいに見えると思うんだ。当然ぼくの自画像なわけで、僕は前世でインディアンだったことがあるから、僕にはそれがインディアンに見えるのはあたり前のことなんだけど・・。これを描いていたときは、6畳一間のアパートに一人で暮らしていて、部屋に簡単な水道が付いているだけで便所も何もない部屋で、イーゼルにこの絵だけがあって、それ以外、あ、そう言えば、前の住人が置いていったソファベッドが一つだけあって、それに布団を敷いて寝てたんだけど、その他の物は、本当になんにもなくて、イーゼルに掛ったこの油絵をただ毎日描いていたんだ。仕事から帰るとね。宝石売ってたんだけどね。その頃。でも、純粋にこの絵に没頭していたんだ。それを描くことだけが僕の生きがいのように取りつかれてた。そして、これを描いているときに思っていたことはただ一つ”より強く”ってことだけ。絵を描いている人だったらわかるかもしれないけど、絵を描いてる時いろいろ思ったり考えたりするじゃない。”より巧く”とか、”より繊細に”とか、”よりリアルに”とか、”より超現実的に”とか、いろいろ考えてペインターは絵を描いているんだと思うけど、僕がそのとき考えていたのは、”より強く”ってことだけ。それで・・それで・・えーと・・」
 それから、何を言いたいのか分からなくなって、起承転結の結のない知り切れトンボの話しになって、皆が白けて、「それで? それで結論はなんなんだよ。なにか落ちはないの? 結局なにが言いたいわけ」って顔して、まるで、話には必ず落ちがあって、それも皆が大受けして大笑いして話が終る落ちが最上だっていう”常識”というか”ドグマ”に洗脳された狂信的カルト信者みたいな顔をして、皆一斉に僕の方を見て「それで?! 最後の結論は?! みんなが大受けする落ちにしろよ! しないとぶっ殺すぞ!」みたいな凶暴な目つきになって、皆が言葉に詰まった僕を睨みつけて、嫌~な空気がだんだん凍りついていく中で、あのオレンジ色の袖無しワンピースを着た女子だけが、なにか僕を尊敬するような眼差しで謙虚に僕の話を聞いてくれていることが分かったんだ。そのとき、ぼくは、そんな”謙虚”な子が好きなんだということも同時によくわかった。自分から自己主張していろいろ語らないけど、人の語ることは、それがどんなにつまらなくても”謙虚”に耳を傾けて聞いてくれるような子。その他の連中ときたら、「さっさと落ちをつけて話を終わらせろよ」ってことしか考えてなくて、それも、話しの初めっからそういう態度で、それで、ちょっとでもシリアスでつまらない話になって、それが長引いたりしようものなら、それこそそれを聞いているのは時間の無駄みたいに、もうなんにも話しを聞いちゃいないんだ。シャットアウト。それも話し初めて1.5秒くらいのうちからね。だから真面目に語るだけ無駄なんだけど、あのオレンジ袖無し女子だけが、少なくとも1人だけでも聞いてくれているんだから、と思って、その他大勢の氷のような反感を無視して、さらに語ることにしたんだ。
 
つづく。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日記からのつづき2


 
  
 ひととおり、自己紹介が終った。話す内容のみではなく、話す言葉の抑揚、声の質、語るセンテンスの長さ短さ、何を話題として取り上げるか、受けをねらっているのか、真面目に話しているのか、照れているのか、自己に陶酔しているか、自己嫌悪しているか、語っている人たちを尊敬しているか、軽蔑しているか、なにを経験し、どんな魂の持主なのか、立ち上がって1分でもなにかしゃべれば、その人の全てがだいたいわかってしまう。総勢50人もいるから、一度始まったこの自己紹介が、この会合のほとんどメインイベントとなってしまい、それが終る頃には、もう何時間も経過して夜中になってしまっていた。当然みんなアーティストだから皆個性的で、自己紹介をするだけで飽きないのだが、そして、その間に、テーブルの真ん中に置かれた様々な飲み物の瓶(赤、白、ロゼ、スパークリングのワイン、シャンペン、ウイスキーやらバーボン、ジンやテキーラやらラム、高級そうな瓶入りのオレンジジュースやパッションフルーツの生ジュース、ミネラルウォーターも何種類もあり、ソーダだっていろんな瓶があって、もちろん氷も大量に用意され、その他、食べ物としては、スパゲッティだの肉団子だの、シーザーサラダやフルーツ各種、一見したところイタリアンぽく、全体として、「ここはバーか、それともイタリアンレストランか?」というくらい飲み物も食べ物も充実していて、大きなテーブルの中央に置かれたそれらの飲み物食べ物は、それぞれのスピーチが始まってしばらくすると、誰彼ともなく食べたり飲んだりされ始め、だんだん、自己紹介のスピーチは、それら飲み食いの肴の一部となり、それに近くの人たちとの談笑が加わって、いつの間にか音楽が会場に流れ(軽いダンスミュージックぽいものから始まり、ときにインドのシタールとタブラの音楽がかかったり、なつかしいマドンナ、ニルヴァーナだったり、だんだん席順に回っているスピーチを誰も聞いていなくなり、逆に面白いと急に突拍子もなく大うけしたりして、支離滅裂状態になり、僕は時計周りの6の位置、ちょうど半分の所に座っていたのだが、その頃になると盛り上がりも最大になっていて、幸いだれも自己紹介など聞いていない状態になっていたので、僕の番が回ってきたときは、ただ立ち上がって「○○です。よろしく」と言っただけで終わらせることができた。それを聞いていたのはAKIRAと田中満知子だけくらいで、AKIRAは、まあ、あいつらしい自己紹介だと鼻で笑っているのが見え、田中満知子は一人で手を叩いて笑っていた。そういうわけで、自己紹介が終る頃にはテーブルの上もカオス状態で、あんなにあった飲み物も食べ物もさんざんな食べカス飲みカス状態となり、整然とテーブルの周りに座っていた人たちも立ち上がったり歩き周ったり、中には床に座り込み(さすがにテーブルの上に上る奴はいなかったが)人も飲み物食べ物も動ける者と動かせる物はさんざんなカオス状態となり、このビルの最上階の中は、大きなテーブルと壁、そこに掛けられた様々な絵、写真、オブジェなど動かせない物、動かしてはいけないと感じる物を除くと、その他の物は全てエントロピーの法則の通りに撹拌され、あと、なんとか経済学の理論の通りに人の活動は飲み食いの消費にエネルギーを消費し、なんとかダイナミック理論の通りにエントロピーの逆のインフォメーションが人間によって生成されてあふれ、なんとかコミュニケーション理論のとおりに各自が各自と情報をやり取りし、なんとかコロニー理論のとおりにあっちこっちで話の輪ができ、いろんな計画が持ちあがり(じゃあ今度一緒に飲みに行きましょうか、というプライベートなものから、こんどわたし個展やるんで見にきてください、こんどライブやるんで・・というようなフライヤーが何10種類何100枚も交換され飛び散ったり床に落ちて踏まれたりしながら、中には、じゃあこんど一緒にイベントをやりましょう、あなたと彼と彼女と君とあなたと・・という公共の約束まで話しが持ちあがって、さらに、じゃあ、それだったら、いっそ街に出てイベントやらない? 例えば、川あるじゃん、川、水が流れてる川、東京のさ、あれって護岸の下に川が流れてて周りコンクリートの壁じゃん、あれって、永遠に何mも続いているカベじゃん、あれって、ギャラリーの白い壁面なんかよりずっとよくない? つまり、あそこに展示するの。われわれでさ。われわれの作品をさ。もちろん、晴れてるときだけど。雨降ったら水かさが増して作品みんな流されちゃうでしょ。だからもちろん晴れてる時だけどさ。そういうのどう? どうって?って、みんな笑ってるけど、あのコンクリートの川の下に降りてさ、舞踏やったり、ところどころで、橋の下なんかでさ、今はやりの橋下じゃなくってさ、橋の下なんかでさ、ところどころバンド演奏なんかやったり、舞踏やったり、白塗りの舞踏家が橋の欄干からロープでぶら下がったりしてさ、ところどころ壁に大きな丸い穴があいてるじゃん、川のコンクリートの垂直の壁にさ、そんなか入って、中からポエトリーリーディングしたりさ。どう? いいね、それ。やろうやろう。)なんて、具体的にイベントの内容まで話されるようになって、まあ、アーティストが50人集まれば、もう収集のつかないことになるのは決まっていて、誰が何を企画したなんていうんじゃなくて、自然発生的にいろんな話が持ち上がって、それもみんな田中満知子は既によく知っていて(計算ずくで)、それで超近代的ビルを建てたものだから、その最上階にめぼしいアーティスト集めて飲み食いさせるだけで何か始まると思っていた。その予感は的中して、それが、盛り上がりの発端になって、あとから評論家みたいのがなんとか雑誌だのブログとかに書いて、現代アートのひとつのエポックメーキングになるのだが、はたして、本当にすごい(すごいというのは立派というのではくて、とっても型破りなという意味だけど)企画が既にその場で人知れず出来上がっていた。自己紹介が終る頃には既に・・。そして、パーティー(と今は呼んでもいいような)は、もう夜中なので終電がないという人もいて、お開きとなったのだが、当然そこは、オーナー所有のビルだから、階下に寝るところはたくさんある、泊っていってと声を掛けられて、僕はそこに泊ることになった。
 
つづく。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 2013.5.5 子供の日の地球上、異教巡礼の果て


 
高度に進化した宇宙人の意識でもいいし
 
単純な反射神経しかもたない小さな虫の意識でもいい
 
今更、そこら辺にいる標準化された日本人の言葉でなど
 
お話などしたくないから
 
男にしても女にしても
 
宇宙語でテレパシーを使って
 
地球外生命体とコミュニケーションするか
 
虫の気配だけで単細胞生物とコミュニケーションするか
 
残されたのは、首を吊るくらいの選択肢だから
 
今更、声帯を震わせる言語だとか
 
文法を伴った目で見る文字だとか
 
そんなのに興味などなく
 
シリアでは核爆弾のような爆弾をイスラエルが爆発させ
 
生物化学兵器が使われ
 
日本では、誰誰と誰誰が
 
醜く並んで、なんとか栄誉賞って
 
そんなに栄誉なのかよ
 
自爆攻撃じゃあるまいし
 
弾を投げることが
 
打つことが
 
そんな栄誉なエンターテイメントだった日には
 
自分の玉でも握ったり蹴ったりすりゃあ、パレスチン栄誉賞もんだが
  
ラスベガスで玉を蹴ったら、マフィアに殺されたり
 
NASAの圧力釜がカマを掘ったり
 
そんなに走って、自虐的にエンドルフィン出して偉いのかよ
 
34.195だったかなんだか
 
まったく無意味な近代オリンピック精神
 
ギリシャ時代にはソフィストがいて
 
真剣に真理について、言葉で議論していたが
 
今では全ての言葉はマスコミ化し、コマーシャル化し、形骸化し
 
ただのアカデミック言語と数学の明証性だけが知性だって?
 
ノーベル爆弾賞ねらって
 
文学しこしこ書いてるベストセラー作家までいて
 
大勢が並んでそいつの中身空っぽの本買って喜んでる知性が
 
蟻の神経ほどにも真実を宿してないことを明らかに証明して見せてる
 
ニュース映像を見て
 
ただ札束刷って、お買い物エンターテイメント
 
それが政治だったり、消費者だったり、デイトレーダーだったり
 
たまにはライオンやハイエナのように
 
街の雑踏の中で狩りでもしろよ
 
秋葉でナイフを振り回したり
 
バスソルト喰ってゾンビになったり
 
悪魔カルトで性交なんてしてないで
 
クローンとトカゲがハイブリッドになって
 
シリウスじゃなくてがプリプリプリウス、プリンセス
 
クイーンが毎夜、生き血を飲んで
 
クリントン夫人がクローンのドリーで
 
牛乳瓶底の老眼鏡かけて次期大統領に選ばれたって
 
インチキ改宗ユダヤロビーに操られて
 
ナチ狩りがミイラ取りがミイラになったようにナチそのものになって
 
嘘八百、ビル解体業で石綿ばら撒き
 
アメリカ万歳!
 
アッラー、アクバル!
 
ハイル、ヤハウェ!
 
我らの罪を我らが許すごとく我らの罪をも許したまえ!
 
キリスト教原理主義、テレビ礼拝万歳!
 
アーメン!
 
アメンラー!
 
アメンホテプ!
 
アクエンアテン!
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 チェンバロを弾く


 
バロックのチェンバロの音
 
そのひとつひとつが溶解した夜空の
 
柔らかい素肌のようなビロードに覆われた
 
自転と公転周期に突き刺ささり
 
噴煙に包まれる地球
 
結局は
 
人間は脳ではないことを証明するため
 
最後は自らの脳を破壊し
 
そのとき湧き上がる黄金の入道雲
 
スローモーションのように動き
  
思いもよらない文法を持った詩が生まれる
 
すでに予言された運命のように
 
決して同じ形に戻ることはなく
 
同じ言葉をしゃべることのない人間は
 
オレンジの大木によじ登り
 
枝伝いに窓から侵入する
 
教室の中では
 
生徒に
 
思考の定型文法と
 
決断の初歩的命題の証明法が教えられている
 
その怖ろしく難しい授業とは対照的に
 
もう一つの方法があることを知っているある生徒は
 
歴史や推論的思考を用いることなく
 
直感を使うやり方をのみ試みる
 
すでに揮発してしまった記憶の断片が意識下に押し寄せ
 
それはかつて話した女の子でもあり
 
そこで話したことは
 
一杯のコーヒーを飲みながら
 
直感でしか
 
無言でしか会話できないことではあるが
 
チェンバロの演奏と
 
よく似合っている
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
  

眠い


“眠い”というのも、ひとつの快楽だ。




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