紫源二の啓示版 -27ページ目

二卵性双生児のように似ていない妹


「聖子はもうあなたのことなどなんとも思ってないわよ。あなたのことを覚えているとしたら、ただそれは、あなたへの憎しみがそうさせるだけ。でもそれさえも忘れることができるのは、あなたが死んだときだけね」
「それはそれは光栄なことで。人を憎む者は、自分を愛せない。自分を愛せない者は、永遠に不幸のまま。だから、ぼくには、聖子の不幸についてはなんの責任もないし、ましてや、彼女の幸せのためになんにもできやしない。早いとこそんな女のことなど忘れちまいたいだけだよ。少なくともぼくが死ぬ前にね」
「ちょうどよかった。あたしが死んだこと、つまり、死んでいること、知ってるでしよ? 一度聞いておきたかったの」
「もちろん知ってるよ。第二次世界大戦のときナチの作った強制収容所で殺されたんだろ。場所は…」
「ポーランド。よく覚えておいてね。それから、殺されたのは私一人じゃないってこと、あなたにだけ教えてあげるわ。私たち双子の姉妹なの。妹がいるんだけど、今ここに呼んでみる? 顔も性格も違うのよ。あたしたち一卵性双生児じゃないから。たまたま同じ日の同じ時間の同じ病院の同じ母胎から生まれただけ」
「今すぐここに呼べるの?」
「そうよ。地上の科学技術の発達と同じように、霊界の通信方法も日々進化してるのよ。今じゃ霊媒のエクトプラズムなんて、とっくに必要なくなっているの。それが証拠にあたしだってあなたの前にこうして物質化してるでしょ。あたしにできるのに、妹にできないはずないでしょ」
「じぁあ、呼んでみてくれよ。きみの妹なんて、いることさえ知らなかったんだから」
「じゃあ、呼んでみるわね。イキスコ カシスコ ナカシスコ」
アンは、なにやら呪文のようなものを唱え始めた。


暴力は楽しいこと?


 
「昨日は飛び降りようと思った。一番高いだけじゃなく、一番気に入ってるビルだから。でも最上階はガラス張りになっていて、それを割るのはたいへんだと思った・・・そうしたら、一匹の小さい小さいハエのような羽根蟻のようなのがガラスの向こうにへばりついていた。あんなに軽かったら、風に飛ばされて45階の上空から下のコンクリートに真っ直ぐ頭から落下することもなく、風にどこまでも漂って行くのだろうなと思った。」
 
「ちょっと試してみたようだけど、沢山薬を飲んだって、そんなにすぐに脳が壊れるってことでもないわ。ただ、いずれそうなるかもしれないけど。あなたという人格の方が、物理的脳味噌より影響力があるということ。あなたの日常の幸不幸にとってね」
 
「それはよくわかるよ。僕は他人に危害を加えたりしないけど、自分にはいろいろと危害を加えている。そして、よくよく駄目な奴だということを自覚して、さらにいじめをエスカレートさせる。許されざる暴力、暴言の数々」
 
「それって、あなたがいなくなれば無くなるはずだけど、なかなかそうはならないわね。逆説的だけど。あなたがイジメたくなりのは、他ならないあなた自身。なかなか引っ越さない虐められっ子がいつまでも教室で目立っているから、いじめっ子だってなにもしないわけにはいかない。でも、暴力ってそんなに楽しいもの?」
 
「楽しいふりをしてるだけじゃない。それに、目障りだから、視界から消えるまでイジメてやりたくなる。でも本当は怯えているんだよ。自分がやられるんじゃないかって。本当はなんの力もないから。そのことを自分はよく知っていて、その弱みを隠すために、弱い物をいじめて見せている」
 
「たしかにそうね。もっと強い物にやられたら、本当はなにも出来ないはずよ。でもこの場合、あなたはあなた自身を恐れ、あなたはあなた自身を目障りに思い、あなたはあなた自身をイジメずにはいられない。」
 
「なんだか情けないね。世間にだけじゃなく、自分の中にも暴力の序列があって、まるで暴力団のヒエラルキーみたいに、こいつさえいなくなれば、暴力団のボスになれる。この弱い自分を粉々にしてしまえばね」

「そう。たしかにこの世の中にはヒエラルキーがある。だから、外ばかりに目を向けていて、そこでうんざりするようなヒエラルキーをみつけたら、内側に視線を向けても、そこにはバラレルな世界がある。その正体を見破るには、自らに問い続けるしかない。この私は誰か?って。」
 
「それは毎日やってるよ。でも、余計に理不尽なことばかりが降りかかってくるよ」
 
「そう思っているだけじゃない。楽しいことをした方がいいわよ。どうせエネルギーを使うんだったら、自分にしかできないことをするべきよ」
 
「わかった。試しにやってみるよ」
 
 
  
 
 
 
 
 

感じられる思考と洗練されたアートと自由を理想とするアメリカ


 
とっても精密な機械が壊れたら直せないときいていたけど
 
ついに今日、壊れたみたいに熱をもって暴走したり、動かなくなったり
 
オイルを交換したり、ガソリンを入れてみたり
 
そのくらいしか思いつかなくなったのも
 
ぼくの思考回路がいろんな塩基ペプチドをチャンポンに流し込んだから
 
暴走したりショートしたりして
 
ぼくは「頭が痛いな」なんて思考しているけど
 
はっきり言って、どう直したらいいのか分からない
 
きっと誰にも分からない
 
大脳生理学者の先生でも、製薬会社で働いている生物化学者でも
 
そんな人体実験までして、つまり、あれやこれやの複合汚染の
 
順列組み合わせを全ての合成物質で実験して検証した訳ではないから
 
この21世紀という新世紀を生きる脳内はいわば
 
フィールド実験場となっているのだ。
 
そうだよね。
 
テイラー?
 
「そうよ。だから、言わんこっちゃないでしょ?」
 
「言わんこっちゃない? それってどういう意味?」
 
「つまり、言わずもがな、だから自由にさせていたのよ。あなたの」
 
「それはそれはとっても優しいことで。感謝しますよ」
 
「アプリシエート? それには及ばないわよ。なぜって、あたしはなにもしていないもの」
 
「ねえ。どうすればいいんだろう? きみならわかるだろ」
 
「そうね。ダイエットしてジムに行って汗を流すのね。脳内の血管が切れる寸前まで心拍数を上げて、脳内の神経伝達物質の濃度と伝達速度を上げること」
 
「それはすでにやったよ。そうしたら、常時、心拍数が高くなって夜も眠れなくなっちゃたんだよ。まるで心臓が送り出す血が一斉に逆流しているみたいに、激流のように僕の身体の中を流れるもんだから、ぼくは悪魔憑きになったみたいにベッドから心臓を中心にして上半身が天井に持ち上げられるみたいに空中に持ち上げられるんだから、不気味だよ」
 
「ねえ。あなた、また、アメリカに来ない? あなたがかつてネイティブだったアメリカ大陸に来れば?」
 
「今じゃ白人だらけ、でもそうでもないかな、黒人もいるし、移民もたくさんいるからね。でもどうしてアメリカに?」
 
「アメリカは今、小さく小さくなっていってるの。建国の理想もすっかり自信を失って、アメリカの美徳である自由すら、窮屈なこじんまりとした自由になり下がってしまったの。だから、もう一度、クレージーな時代が来ることが必要なのよ。あなたがアメリカに行けば、本来の自分を発見すると思うの。ワンダラーとしての自由奔放なサバイバーよ。あなたは」
 
「たしかにそうかもね。ぼくが十代だったときは、カリフォルニアの白人に”カウボーイ! カウボーイ!”って笑われたよ。それがどんな意味なのかよく分からなかったけど」
 
「アメリカ人のカウボーイよりもカウボーイぽかったのかもね」
 
「アメリカか。いいかもね。やっぱりカリフォルニアがいいかな。大きな家がいいな。二階にアトリエを作って、そこで絵を描くんだ。ヨーロッパ的な繊細で暗い絵をカリフォルニアで描くんだ。少しエロティックで宗教的なヨーロッパの絵画の伝統と、日本や中国の書道の伝統を合わせ持ったような、かなり繊細な哲学を持った絵を、大雑把なアメリカのカリフォルニアで描くんだ。溢れんばかりのカリフォルニアの太陽の下で、イタリアルネッサンスのブルッネレエスキの作った礼拝堂の中の闇のような絵を描くんだ」
 
「そうでしょ。どんどんイマジネーションが湧いてきて止まらなくなるでしょ。いいんじゃない。片道飛行機のチケットを持って、1000ドルか2000ドル持って行くのよ。どう? 今のあなたに出来る?」
 
「ちょっと考えてみると、無理そうだな。だって、ぼくにぶら下がってる人がたくさんいるもの。インドのサドゥーのように、家族も何かも捨てて無一文の放浪者になるなんてぼくにはできないよ」
 
「あなたは、まるでサドゥーみたいにずっと自由でいようと思っていたのに、それができなかったのよね。どうして?」
 
「それは、”愛”があったからじゃないかな。それがとっても価値のあるものだと思ったんだ。それに勝るものは何もないと思ったから、だから、だんだんと身の回りが重くなってきて、もう一生、放浪なんてできないほど、身が重くなったのだと思うよ」
 
「あなたが今、若かったら、どうする?」
 
「今はもう時代が変っちゃって、今ぼくが若くても、今のカリフォルニアに行っても何もないと思うよ。でも、あの頃の時代に戻れるなら、僕はカリフォルニアで植物を栽培するだろうな。そして一年に一回、アメリカ大陸の東の端のニューヨークに行くんだ。そこで絵具だとかキャンバスだとかを仕入れて、カリフォルニアに戻って大きな絵を描くんだ。そして、個展を開くのはNY。ちょうど、ニューペインティングが始まる少し前の頃だよ。クッキ、キア、クレメンテ、そしてシュナーベルが人気者になる少し前だよ。きっとバスキアなんかとも友達になったかもしれないね」
 
「あなたなら、メアリー・ブーンに気に入られたに違いないわ」
 
「ぼくも、彼女が嫌いじゃない」
 
「でも、あのペインターの黄金時代は終わってしまったわ。もうとっくの昔に」
 
「そうだよね。だからぼくは、世紀末には、新しい宗教画を描いたんだ。ぼくが描いた天のウズメは新しい宗教画だったんだ。誰にも理解されなかったけどね」
 
「そうでもないわ。地球に来ている宇宙人たちには人気があったみたいよ」
 
「地球人はエログロとか、便所の落書きとか言ってたけどね」
 
「話しは飛ぶけど、分子生物学っていうのができて、脳内ホルモンの分子言語というのが分析され始めたのはつい最近だよね。そして、人間は自分の脳内物質と同じような化学組成を持つオピュームだとかモルヒネだとかを発見して使ってきたことが分かった。つまり、自分の脳の中に楽園があったってわけだ。今では、いろいろな薬が”精神の病”に処方されるようになった。大製薬会社の臨床実験を経て、日本では厚生省に認可されている訳だ。でも、太陽フレアとか、中心太陽のアルシオネとかフォトンとかの影響によって、人間の脳は変化し始めている。一昔前のケミカルドラッグの流行と違って、今では脳に変調をきたす人も増えていると思うよ」
 
「そうね。あなたもそうでしょ。とっても早く頭が回ったり、なにもしたくなくなったり、ただ寝て夢見ることがとても気持ちが良かったり。ときには夢の中でガイドと話をしているのだけど、あなたはそれをはっきり覚えていられないわ。揮発してしまうのよ。でもぼんやりとは覚えている。今日だってあなたのガイドから助言されたでしょ」
 
「たしかにそうだ。でもあれはただの夢か、ぼくの想像力が創作した人物にすぎないと思ったりしたよ。実際のところ、最近、ぼくは、何が良くて何が悪いのか、どうしたらいいのか、何をすべきなのか、まったくこんがらがってわからなくなってしまっているんだよ」
 
「あなたは混乱の波から脱け出せずにいるわね。もう少し、自分自身に安住してみたら。ひとつひとつ確認するのよ。そしてそれがふさわしいことなら、あなたはただ手を放して風船が飛んで行く所に自分も行くだけ。あなたはもともとワンダラーなんだから、風船のように風に吹かれて何処にでも行くことが得意なはずよ。いい? 今度、アメリカ人の友達ができたら、私が言ったことを思い出してね。ヨーロッパよりも洗練されたギャラリーをカリフォルニアで作るのよ。そのことを頭の隅の方でもいいからしまっておいて」
 
「わかったよ。もともとぼくはインディアンだった。だから、カリフォルニアはぼくの故郷だよ。そこで、ヨーロッパよりも洗練された最先端のアートをやるというのはいいよね。なんかヨーロッパ的な洒落たコンセプチャルなアートなんかよりも、もっとずっと実質的な魂を揺さぶるようなアート」
 
「そのために、あなたの頭の状態を良くしないとね。あなたはいろいろ実験しているみたいだけど、よくよく注意してね。自暴自棄になったりしないでね」
 
「わかった。おやすみ」
 
「おやすみなさい」
 
 

 

 
 
 
 
 

暖かい風


ちょっと頭に熱があって
外では暖かい風が吹いていて
ぼくはもう何も考えられなくて
眼を瞑ると天使がいて
ぼくのお葬式はきっと楽しいにちがいないなと思って
脳の中で記憶と時間が溶け合って絡み合って
雨となって地上に降り注いでも
ぼくは今一番行きたいところへ
自由に何処にでも行ける
たとえ誰かがだめだと言っても
たとえそれが何処にあるのかも分からなくても
ぼくは何処にでも行ける










iPhoneからの投稿

単純すぎてなかなか分からないこと


 
「今日は、新しくわかったことを書こうと思っていたんだ。”私”についてわかったこと。それは、私には”私”以外に世界を認識する道具が他にないということ。つまり、私は私のこの身体の五感を使ってしか世界を認識できないってこと。そしてそれは他のどんな人にも言えることだし、人間じゃなくても動物でも昆虫でも、猫はその猫である自分の五感を使ってしか世界を認識できないし、ハエはそのハエの感覚器官を使ってしか世界を認識できないってこと。そして、更に、私は、私の思考しか認識できないってこと。私の思考していることが私であって、私にはこの私の思考していることしか認識できないってこと。そしてそれは他の動物にも昆虫にも言えることであって、イヌはそのイヌの感じた感情しか感じられないし、蜘蛛にはその蜘蛛の知覚したことしか知覚できないってこと。それがあたり前だと、なにも不思議でもないし、とりたててことさら言うべきことでもないって、君は思う?」
 
「いいえ、そうは思わないわ」
 
「そう。ぼくは、そのことを今まで知らなかったし、どうして知ったかというと、瞑想してそれがわかったんだよ。つまり言葉で言えば、なんだあたり前のことだとしか思わないようなことだけど、本当にそのことを知っているかっていうとそうじゃない。そんなこと、誰も考えていないんだよ」
 
「まあ、世間の人は、そんなことをいつも、四六時中考えているわけではないわね。だから、あなたがもし誰かにそんなことを話しても、だれもそんな話題に受け答えする人はいないと思うわ。ただ、あたしだけがあなたの言っていることがわかるし、話し相手になれるってこと」
 
「たしかにね。 
 ぼくは思い出したんだよ。ガンジス河の砂の数ほどおわす仏たち、だったかな・・、そもそも仏教って”仏性”なんて小乗ではなかったんだけど大乗になって出てきた概念で、禅なんかでも「猫に仏性はあるか?」なんて訊いたりしてるんだけど、ぼくに”私”があるように、猫にだってその猫だけが見ている世界があるし、一匹の魚だって、その魚だけが感じている世界があるはずなんだ。まあ、それが仏性だとすると、それが永続する、なにか実体のあるものかって問われると、それは”縁起”によって生じているだけで実体などない、と仏教では答えるんだろうけど、実はそうでもなくて、仏教ですら如来蔵というものがあって、仏になれる元の要素がそもそも人には備わっているんだと大乗の最後の方では説かれるようになってきた。つまり、輪廻転生する”実体”があるっていうことは、仏陀の宇宙の一切には実体などなく、ただ生成流転しているだけどする仏陀本来の教えと真向から対立するんだけど、今では、インドのバラモンの教えと仏教とほとんど変らなくなってしまった。本来は、仏陀はバラモンの教えから独立して生々流転する縁起の世界を説いたんだけど、そして、死後の転生のことなんかは仏陀はわざと一切語らなかったんだけど、だんだん時代が進むにしたがって、死後の世界のことや、輪廻転生する”実体”なんかも仏教の中にとりこまれていって、今じゃ、仏教って、葬式仏教がほとんど、死後の世界が無けりゃまったく商売にならないインチキ宗教になり下がったよね」
 
「一時期、禅が流行って、理性とか理屈ではわからない語れないことこそが真理だなんて言って、一切の思考を否定したけど、まったく意味のわからない呪文がありがたいなんていう密教にだんだん様変わりして、結局、インドでは仏教が消えてなくなってしまった。小難しい六波羅蜜から、まったく理論も言葉もいらない禅、そして、呪文で超能力を発揮する密教まで、なんか仏教ってどれをとっても全部胡散臭いよね」
 
「そう。悪人正機説だって、仏教の論理を勉強しなきゃ本当の意味がわからない。単なる悪人が救われるってことでもないしね。仏教の小難しい文法があって、その文法の中でのみ成り立っているちっぽけなゴミみたいな命題なんだよね」
 
「まあ、そんなもんに真理のかけらもないし、仏陀だってそんなありがたいものでもないわよね。もうとっくの昔に死んでしまってるし、その化身が大日如来だなんて言われたって、そんな宇宙論、あとから誰かがつくったものでしょ。キリストだって同じこと。神が世界を創造した最初からキリストが神と伴にいた。宇宙開闢時から父と子と聖霊の三位一体だったんだっていう理屈だってまるでカルトの神秘主義だし、贖いのための十字架上の死と復活だって、ミトラ教の生け贄の理論でしょ」
 
「ぼくもそう思うよ。でも、そんなこと言ったら、仏教徒もキリスト教徒もかんかんになって怒るよ。マホメットの後継者だって、今更そんなのだれだっていいじゃないか。それを未だにマホメットの息子が正統だの兄弟が正統だのと争ってるなんて無意味だよ、なんて言ったら、それこそ、スンナ派にもシーア派からも殺されかねないよね」
 
「それって、宗教が無意味だと感じる一番の典型よね。本来、人間が持っている宗教心って、そんな人間がひねくり回してつくった理論とか大げさに預言者を神格化した伝説とかとは無関係のはずだと思うんだけど」
 
「宗教心って、人間が死んでも、永続するものがあると信じることから始まっているとぼくは思うよ。それが、全知全能の創造神が最初に宇宙を作ったなどという夢物語ができたときから、おかしくなって、初めに絶対的創造主があったっていう仮定がなんの検証もされずに肯定されて、いつの間にか権威になってしまった。もっと身近なところから宗教的な感情を理解しないと、なんだか全部うさんくさい権威になり下がって、それが実社会の政治的軍事的権威にすり替わってしまって、本当に迷惑だよね。ローマ教会だって、仏教の本願寺だって、なんであんなに富を独占してんだって思うよ。言ってることとやってることが180度ちがうじゃないか。ローマ法王は、あのバチカンにある宝物を全部売り払って、貧しい人たちになぜ施しをしないんだろう。逆に、信者から献金させてるみたいだけど、そんなに富を独占して何に使うつもりだろう。仏教だっておんなじ。西本願寺だの東本願寺だの、悪人が救われるように施しをすればいいのにと思うよ。だけど、やってることは檀家から富を搾取しているだけ。本当に葬式仏教。仏陀の教えの真逆を行って、それで偉い坊さんだなんて、ほんとうに笑いすらでないくらいつまらない冗談だよね」
 
「でも、これくらいにしておいた方がいいわよ。どうせだれも私たちの会話を聞いていないから大丈夫だと思うけど、権威になった宗教ほど怖ろしいものはないからね。殺人だって平気でするのが愛だの慈悲だの言ってる宗教の権威だからね」
 
「あーおそろしや、おそろしや、だまってもう寝よう」
 
「そう。何も言わなかったことにして、もう寝ましょう」
 
「おやすみ」
 
「おやすみなさい」 
 
 
 
 
 
 

 至福の演技


 
「僕は病気なんだ。それも生まれ落ちた時から。そもそもこの世に生まれたのが間違っていたから、この世で健康に生きられるはずがない。もちろん、生まれていなかったら、そもそも僕なんて存在しないんだから、話にならない。だから、そんな想定はしない。無意味だから。だから、そもそも僕が存在していること自体が間違っているんだ。僕の母もそう言っていたし、自分でもそう思う。自分を愛せない人間が他人を愛せる訳がない。でも、僕の生命は、ほとんど他人のために存在している気がするんだけど。でも、生まれてきて、それなりに生きてきて、いわゆる分別なんかついてくると、人間ってもんは、一人前にいろいろと思索するもんなんだ。そして、あながち、その思索がまったく見当違いってわけでもなく、それなりに筋が通っていることもある。人間の智慧だってそんなに捨てたもんじゃない。つまり、死ってもんをそれなりに考えるわけだ。そして、思ったりする。このまま漫然と生きていても、死んでいるのとたいして変りはしないのではないかって。正直な話し、ぼく自身は本気でそう考えているんだ。つまり、僕の存在なんて、本当にたいしたもんじゃないって」
 
「そう。なかなか面白いお話しよね。私の思うに、間違ってるかもしれないけど・・たぶん十中八九当たってると私は思ってるけど・・あなたに足りない物があるのよ。それはなんだと思う? あなたに自分のことがわかるかしら?」
 
「なんだろう。見当はつきそうだが、なんだか、考える気がしないんだ。そんなこと。どうでもいいじゃないか。ぼくに足りないことなんか! それがどうしたって、そんなの地球が回ってることとなんの関係もないだろ!って、今にも怒り出しそうな気分だよ」
 
「あなたが考えないなら、かわりに私が考えてあげる。いいわね。あなたに足りない物、それは、快楽よ。どう? そのとおりでしょ? 反論できる?」
 
「いやー驚いたな。僕に足りない物は快楽ってか? 確かにそんな気がしていたよ。いや、そんな気がしていたような気がする。でも、そんなこと、君にはなんの関係もないだろ。それとも君が僕の快楽になってくれるっていうのかい? もしそうなら、僕は君に感謝するけど、それ以外、君には何も与えられないよ。知ってのとおり、僕は一文なしだし、明日泊る所でさえわからないんだから。実際の話し」
 
「あなたが私にあなたの快楽になってもらいたがっているのなら、その答えはノーよ。つまり、あなたの至福は、あなたにしか作れないってこと。作るっていう言葉が作為的だったら、こう言い換えてもいいわ。あなたの至福をあなたが認識するには、あなたが至福という役者が着る衣装を自ら作らなければならないの。そうでなければ、あなたにはそれを着た役者が至福だということがわからないから。そして、さらに、その至福の衣装を着て実際に演じるのは、あなただってこと。わかる? あなたが役を作って、衣装を作って、あなたがそれを着て演じる、そうして初めてあなたは至福がどんなものだかわかるでしょう。だから、その劇には、私の出番などないのよ」
 
「それは残念だ。でも、僕は至福を自分一人では演じられないと思うよ。たぶん君がいなければ、その至福の演劇は、第一幕すら開幕できないと思うよ。まあ、シェークスピアに訊いてもらえばわかると思うけど」
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ターン・トゥ・ザ・ライト!


 
「真っ直ぐ行って、右に曲がる。」
 
「Go straight and turn to the right !」
 
沢山の外人が来ている。
 
いろいろの人種の外人が集まっている。
 
彼ら彼女らに道順を教えなければならない。
 
それが「Go straight and turn to the right !」
 
でも、right に the は付けなくてもいいのかな
 
迷っている。
 
でもなんか付けたい気分。
 
「右、右、右だよ、右に曲がるんだよ!」
 
と強調して言ってやりたい気分だから。
 
それにしても、この外人たちは、どこから集まってきたんだろうか?
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 メディテーションと自己言及


 
「瞑想って言葉の響きが好きなんだ」
 
「英語だとメディテーションでしょ?」
 
「そう。メディテーションって言葉の響きも好き」
 
「どうして?」
 
「だって、なんだか神秘的だし、静かで、知的で、なんだか宇宙の秘密が隠されているみたいだし」
 
「宇宙の秘密?」
 
「そう。内なる宇宙。もしかしたら、自分の中にもコスモスがあるのかもしれない。その内なるコスモスが、外の宇宙と照応している」
 
「あなたの中にあるのは、カオスだけじゃない?」
 
「そういう気もする。なんだか、存在に意味などないんだと・・。そして、僕は死にたくなるんだ。死にさえ意味なんてないんだから、僕の存在なんてなおさら無意味でしかないだろ」
 
「まあ、あなたは、なにもしないから、存在している意味もないかもね」
 
「でも、瞑想しかできないシッダルータは、他人に「あなたは何ができますか?」と尋ねられて、『私は瞑想ができる。断食ができる』と言ったそうじゃないか。それがそんなに自慢できることなのか、僕は最近分からなくなってきたけどね」
 
「あなたは瞑想できる?」
 
「いや、できない。いや、できないと思うよ。瞑想しているつもりでも、ただ瞑想なんてしているつもりだけで、本当はなにもできてやしないんだと最近そう思うようになったよ。シッダールタのように自慢できるほどの自信は近頃どんどんなくなってきている。やっぱり仏陀はそのことひとつをとってみてもすごい人だと思うよ。”私は瞑想できる”と断言しているんだからね」
 
「瞑想って、できるとかできないとか、そういうことなの? まるで自転車が乗れるとか、英語が話せるとか、逆立ちで歩けるとか・・」
 
「いいや、僕はそうは思わないね。瞑想って、できるとかできないとかの範疇にそもそも入らないものだと思うよ。だって、瞑想って何をやるのかも、そもそもまったくわからないものだもの」
 
「じゃあ、あなたは瞑想じゃなくて、なにをやっているの?」
 
「たぶん、瞑想ってどういうことだろうって思ってるだけかも」
 
「瞑想しながらそう思っているの?」
 
「そう。おかしいだろ。瞑想の自己言及を、ただ無意味に延々と続けているだけなんだ」
 
「自己言及って、合わせ鏡の”鏡の迷宮”のことでしょ? 自己言及する命題は、永久ループの罠にはまってしまって、結局、論理的には真偽が判定できないって、なんかの本に書いてあったわ」
 
「そう。瞑想って自分を見つめることだから、モロ自己言及だし、ガチで鏡の迷宮無限ループなんだよ。仏陀はそれができるんだと自信を持って他人に言えたんだ。たぶん仏陀は若い頃、自己言及のループから脱け出したんだろうね。それとも、合わせ鏡の鏡像世界の罠にはまらずに済んだのかもしれない。鏡に映った鏡像を見るのではなく、実在しているものを見たのかもしれない」
 
「合わせ鏡の無限の空間って、本当は存在しない無限空間だものね」
 
「逆に、無限の宇宙空間は、鏡に映ったただの見せかけだけなのかもしれない」
 
「見せかけ?」
 
「そう。見えるってそもそも見せかけを見ているだけなんじゃないかって思ったんだけど」
 
「光、よね。それって、光が一番速いから、時間を過去にはさかのぼれないっていう物理学者が考えたことじゃない?」
 
「そう。この物理的宇宙は、光が最速らしいよ。でも、それって、目玉に物理の理論を還元させた結果じゃないかって思うよ。そもそも人間には光しか見えないから・・。でも、それってただの見せかけを見せられているだけだったら、光も実在するんじゃなくて、見せかけだけかもしれない」
 
「なんか、ギリシャ時代のソフィストみたいな話しになってきたわね」
 
「そう、思考による推論って、ギリシャ時代からなにも変っちゃいないのさ」
 
「その思考も、見せかけ?」
 
「そう。思考していることが現実だとか、無矛盾の思考が真理だとか思っていること自体が見せかけにだまされているってことだと思うよ」
 
「そもそも人間は、そう考えるように仕組まれているってこと?」
 
「そう。でも、そうすると、僕は逆に神が存在するんじゃないかって思うんだ。なんか矛盾しているようだけど」
 
「つまり、人間があらかじめそう思考する、つまり、デカルトで言えば万人に共通に分配されている理性にしたがって思考するように仕組まれているなら、それを仕組んだなにものかがそもそも存在する、あるいは存在したことになるんじゃないかってこと?」
 
「そう、まさにそのとおり、ぼくは考えていたんだよ!」
 
「そうでしょ。だったあなたは私、私はあなただもの」
 
「そして、神には、私を通してしか近づけない。その私は、万人に共通に分配されている主観ってことだけどね」
 
「そうね。『私には、私によってしか、私は神を知ることはできない。』。論理学の三段論法とはまったく別の、それこそ自明な命題だわ」
 
「そう、誰も証明する必要のない、あらかじめ真であると万人が認める、認めざるを得ない自明の命題」
 
「それって、でも、言葉そのものがそのように出来ているだけじゃない?」
 
「そう。そのように出来ているって逆に不思議だよね」
 
「そうね。言葉が本来持っているロジックって、本当に不思議ね。言葉によって語られ得なければ、誰にもわからない真理って、そもそも言葉によって成り立っている言葉そのものかもしれないわね」
 
「ほらね。今度は言葉の自己言及だ。その罠にはまってしまうと永久ループしちゃうよ」
 
「でも、永久ループすること自体が、なんらかの実在の証明なのかもしれないわ。例えば、”私”っていう抽象が実在していることとか、”言葉”っていう抽象がそもそも存在しているってこととか」
 
「そうかもね。でも、もう今日は夜遅いから、この辺でやめておこうよ」
 
「そうね。そうしましょう。では、おやすみなさい」
 
「おやすみ」
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

自分と向き合う方法


 
じぶんと向き合う方法。
 
目玉では自分が見えない。
 
でも鏡で見ると見えるから。
 
たぶんこの顔のこの頭の中にある脳がこう考えているのだと思う。
 
「考えている自分を客観的に見つめられるか?」と。
 
でも、私はそう考えている思考を意識しているだけで、自分を見つめている訳ではない。
 
では自分、私とは何だ?
 
思考でもない、呼吸でもない、身体でもない。
 
でも、もしかしたら、思考であり、呼吸であり、身体かもしれないもの。
 
それらの総体?
 
だから、じぶんと向き合うとき、それらの活動をできるだけストップさせてみる。
 
そして、意識してみる。
 
「私は意識している」
 
「意識している私」
 
「意識を意識することはできるか?」
 
「私を見つめる私は、私を見つめている私を意識できるか?」
 
「呼吸なら意識できる」
 
「ゆっくり吐いて、ゆっくり吸って、それを見つめる」
 
「息をしている私。息を能動的にしている私」
 
「能動的に息をしている私を静止させる。それでも呼吸は可能か?」
 
「呼吸を止めると苦しくなる。だからといって、呼吸を全て自然にできるわけではない」
 
「止めた時だけ、苦しくなって思わず能動的行為から解放されるが、それも束の間、今度もまた、能動的呼吸が始まる」
 
「意識が始まる」
 
「思考している時、私は私を忘れる。でも、思考は私の思考。なくなりはしない。束の間、思考しなくなる時があるだけ」
 
「座っている、この身体全体が私」
 
「呼吸している、この身体全体が私」
 
「でも、この身体は動かない。動かさない。ただ座っているとき、私は存在しているか?」
 
「何かの刺激に反応して活動が始まった時、私はその反応として、その行為として存在している」
 
「なにもしないでただ座って呼吸しているとき、私はどこに存在するのか?」
 
「この意識が私か? だったら眠くなったときは、私がいなくなったのか?」
 
「そうではない。ただ、忘れただけだ。意識を失っただけだ。集中が切れたからだ」
 
「ただ集中していると、なぜ?、何のために?、」
 
「そして、本当に? 何に? 私は(この私は何だ?)何に意識を向けているのか?」
 
「なぜ? 何のために? 何に?」
 
「呼吸か? 身体か? 思考か?」
 
「呼吸するときの息の流れ、身体の膨らみ、腹と胸に流れ込む空気、そして吐き出す時、鼻から出ていく息」
 
「思考? 思考を思考している思考? 思考って何だ? 私がしている思考は私ではない?」
 
「組んだ脚が痛い。背骨が伸びていない。顎を引いて。脚に重力がかかる。頭は天を指している。でも、私はこの身体から離脱できない」
 
「もしかしたら、思考しか、自分に役に立つツールは存在しないのかもしれない」
 
「私のする思考だが、それは、なにか私以外のものを導き出す通路となるのかもしれない」
 
「デカルトもそう言っていた。そして、シュタイナーもそう言っていた」
 
「クリシュナ・ムルティやラジニーシは逆のことを言っていた」
 
「思考は中古品だ。思考を落とせ。と」
 
「思考を無くしたときに、初めて大いなるものと一つになると」
 
「確かにそうだ。大いなる全体には、私はいなかった。そして、私以外の全てがあった」
 
「でも、思考によってそこに近付く方法もあるのかもしれない」
 
「思考によって、思考を落とすのだ」
 
「さもなければ、人間が言葉を使う意味など無くなってしまう」
 
「名付け得ぬものを名付け、言い表せないものを言い表す」
 
「肉体では近づけない形而上の、より高き至高の存在に、言葉によって近付いていく」
 
「そして、思い出す。とても不思議な体験として、なつかしいものをことを思い出す」
 
「はたして、僕は、チャクラのエネルギーを循環させる」
 
「そして、意識の流れが、肉体を超える抽象的世界と混交させるために」
 
「意識の働き、呼吸の働き、イメージ、抽象の働き、そして、物理的ではないエネルギー、このエネルギーって何だ?」
 
「単なる、重さ×異動した距離×速さではない、何かの仕事をする抽象的エネルギー。たとえば、思考。たとえば、イメージ」
 
「思考、イメージを自由自在にできること」
 
「それこそ、超越」
 
「自分の枠を超えた思考、イメージこそ超越」
 
「真理とは、思考によって行きついた故郷」
 
「不思議な感覚と伴に思い出す」
 
「今まで忘れていたものを、それが初めからそこにあったように」
 
「私の記憶なのか、全体の記憶なのか、私の想い出なのか、全体の想い出なのか」
 
「なつかしくもあり新鮮でもあり、それを思い出すことが自分自身を思い出すことだったかのように」
 
「間違った夢から覚めて、全てが夢であるような夢に目覚めたような」
 
「言葉をしゃべれる私が、新たに思い出した最も古いことは、言葉を超えた記憶にアクセスするには、言葉の階段を最新の最先端まで昇らなければならず、その至高の高みで見える景色の中に、もっとも遠い事象の地平線に、原初の太陽が爆発している、時間の始まりの光景が描きだされていること。そして、今現在までの全てが既に今ここにあるということ。そして、時間は未来とも分化していないということ。」 
 
「私とは、宇宙にあまねく輝く意識の一つの輝き」
 
「存在する宇宙の数だけ、意識があるはずだ」
 
「存在する宇宙の事象の数だけ、意識があるはずだ」
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

揺れる大地に降りやまぬ雨



ゆっくりと地上の大地が揺れている
 
人間の抱いてきた恐怖、狂気がすっかり全部吐き出され、
 
浄化されるのを待っている
 
でも、それらのネガティビティーを表に出すと
 
今までじっとこらえてきた大地が
 
大きく揺れ始める
 
愛や慈悲よりも憎しみやさげすみの方が
 
この地上の俗世間では頻繁に表現されてきたし
 
さげすみ、差別、憎しみだけが
 
国家財政の借金のように大量に蓄積されてきたから
 
やむを得ず、この地上に生きるのだったら
 
これら醜い差別が存在することを認めざるを得ず
 
でも、できるだけその悪臭を嗅がないように、目に触れないように
 
今までは、鼻をつまみ、目を伏せて
 
避けて通るしかなかったのが
 
それらを根こそぎにしようと思えば
 
本当は、この地上にも
 
美や愛や平和を表現しなければならないのに
 
地上の僕は今ではもうすっかり、
 
表現する恐怖、美に対する罵倒、平等への憎しみ、金銭欲の狂気にすっかりとり囲まれて
 
天上の平和のパワーよりも地上の諍いのパワーの方が大きく
 
あの世の幸せよりもこの世の怒りの方が大きいから
 
グラグラと天と地が揺れて
 
嵐が吹き荒れて
 
全てを根こそぎにしてしまうまで
 
地上を浄化するために
 
大地は揺れ
 
大雨が降り
 
嵐はやまず
 
雷は鳴りやまない
 
それでも、天にあるごとく地にもあらしめたまえと祈るとき
 
地上に破壊が始まるのは避けられない