紫源二の啓示版 -24ページ目

曇り夜空



悪夢が剥がれ落ちていくような感じ

ぐりゅーあっぷして、また元の地点にスパイラルアップしただけなのか

空はどんよりと曇り

自分の脳内を内側から眺めているよう







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これから何処へ行くのか?


モンクが大きな鉢に、折った線香をくべている

この安普請のプレハブ住宅の一室で、誰かの葬儀が行なわれているのだろうか

線香の煙が靄って部屋に漂う

それにしても、ここは私の部屋なのに、見知らぬ参列者がモンクの他に二人いる

二人は私の知らない、これからの計画を心得ているらしい

ここから何処かへ移動するのだ

それにしても何故、何処へ?

誰の葬儀なのか、それとも、そもそも葬儀ではなく、ただの儀式なのか?

バスに乗って移動する

大きなエントランスのあるホテルのような建物だ

吹き抜けのガラス張りのロビー

二階に上がる広い階段

案内係の女従業員に付き添われて、地下の会議室に行く

ここで何か会議が始まるらしい

でも集まるのは3、4人。多くて5、6人

でも自分では何の会議かわからない

忘れてしまったのか、覚えていないのか

いずれにしても、この女従業員にそんなことは聞けない

当然知っていることを前提に、ここに案内しているのだから

「部屋を間違えていませんか?」と訊くと、無言で怪訝な顔をされた

私は何も聞かされていない

あのモンクのことも、参列者のことも、誰と会って何の会議をするのかも、これから私は何処へ行けばいいのかも…









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この脳は誰のもの


この脳が楽しいのは極彩色の夢

肉体の怠惰な涼しさ

あり得ない美に耽溺すること

まるで棺桶に載ったまま三途の河を大洋まで流されていくように

僕の葬儀が宇宙の果てで行われるときのみ

この脳神経を所有するぼくは楽しいに違いない


ただ、今は違う

眠剤を飲んだら脳神経が不自然にぼやけて余計に眠れず

明日のことを不安に思う

結局、明日の白昼、自らの意志でこの肉体を移動させなければならないから

筋肉に脳が命令するのだが

目を開けたまま外に出るのは辛い

そこには極彩色の宇宙もシュリヤントラの美しい図形も見えなくて

何の知性も感じられない人間の形をした見るも無惨な身体達がせわしなく行き来しているから

下手をすれば醜悪な貌をした怒りに満ちたエゴイストにぶつかるかもしれないし

ピカピカに磨き上げられた新車のレクサスに、クラクションを鳴らされるかもしれない

そんなとき僕は目を開けて見ている現実に適合出来なくなるくらいの怒りと絶望の内に、いともたやすく病んでしまうかもしれないから

この脳は、初めにインプットした行動だけに集中し、ノルマのように正確に実行するように、イヌに調教するように、この脳を調教してから

僕は街に繰り出さなけばならないのだ

太陽がどんなに無言でダイヤモンドの光線を燦燦と放ち続けていたとしても

僕は街の雑踏の中から、光を賛美することなど、到底できない

奇矯な振る舞いとして、この脳はそんな行為を拒絶するように、あらかじめプログラムされているから

だから明日僕が君を迎えに行ったとき、両目がウサギの目のように真っ赤だったとしても、許して欲しい

僕は夜を愛し、眠れない夜を過ごし、夢の見られない昼を倦むあまり、両目の視界に赤い毛細血管で、自ら紗を張るつもりだから

つまり、きみがよく見えなくて見つめてしまっても、許して欲しい

きみだけは、現実に存在する、僕にとっての唯一の美なのだから

















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プラトニックタントラマントラヤントラ


プラトニック
タントラ
ヤントラ
マントラ

イデア
チャクラ
マハムドラー
アナッタ

ソフィア
ハンニャパラミータ
マンダラ
セフィロト
アートマン

完全なものなど存在しない
電子があって陽子がある
僕は男で貴方は女
夜があって昼がある
光があれば闇がある
生の裏側に死が張り付いていて
プラスとマイナスは必ず引きつけ合う







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たとえ1時間の自由ですら


 
彼は彼女を忘れた訳ではない

彼の脳がいくらいかれているからって、そこまで狂ってはいない
 
でも彼は彼女に連絡できない
 
理由はいろいろあるが
 
どれも本当の理由のようには思えない
 
911が近付いてきている
 
でも彼には自由にできる時間がない
 
彼を必要としている人が何人もいて
 
面倒を見なければならないから
 
飯を喰わせたり、買い物をしたり、寝かしつけたり
 
ただそれだけのために彼は存在しているように感じている
 
彼にとっての楽しみってなんだろうと最近考えるが
 
最近それさえもわからなくなってきている
 
どこかで自由に食事でもしたいと思っているが
 
あれやこれやから解放されて
 
自由に行動することは例え1時間の食事だけでも
 
お茶を喫茶店で飲むことだけでも難しくなってきている
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

転げ落ちるボールのように


山があると谷がある

天国のような、夢を見ているような快楽を味わったからなのだろうか?

今は逆に感情が平坦になり、坂道を転げ落ちるボールのように、止め処もなく下がって行って、何もできない状態になってしまった

壊れて錆び付いたブリキのロボットみたいに冷たく死んでいる







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炎と水


今、水風呂に浸かっていた

インドの虎が身体を冷やすために、白昼、川に浸かっているように

僕は今日、亜熱帯の太陽に照らされた訳ではないが

自らの欲望によって、常に焼かれている

水風呂に浸かっていると、身体が冷えて、頭が冷えて、脳味噌が冷えて

心臓が冷えて

意識が冷えて

なくなってしまえば、いい

この僕が無くなれば

この苦しみも消える

そうに違いない

でも、この苦しみは、希望でもある

この肉体が存在していることの

そして息をし、血液が循環し、心臓がはち切れんばかりに鼓動していることの

そして僕は、魂だけの存在ではなく

この肉体でもあることの

そして、このカラダを、何か別の生き物のように感じる

コントロールできない、調教できない野生の虎

もう老いてはいるが

絶対に手なずけられない本能

一度それに火がついたら

水に浸かって心臓を凍らせるしかない

つまり、このカラダは、氷のように死ぬしかないのだ



僕の頭が言葉を紡いでいる

でもそんなこと、なんの役にも立たない夢なのだ

赤い炎が揺らいで

言葉すら焼き尽くそうとしているとき

必要なのはバプテスマの水

そして、あなたしかないのだから
























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不公平


彼は不公平だと思っている

なぜなら、彼は彼女より少なくとも十倍彼女を愛してる

愛の量など誰にも測れないと一般には思われているが

大切なのは量ではなく質なのだ

そう思い至って彼は思った

そのことに関しては、彼は時々思い悩むことを

これは愛ではなく、恋かもしれないと

それなら更に彼は百倍彼女に恋してる

本当は、何兆京という天文学的数字で表現してもいいのかもしれない

でもそんな数字なんて、無意味だと彼は思った

これは数学じゃないんだから

でも、数学のように証明できなければ、虚偽だ

そう思った彼は、恋の証明に取り掛かることにした








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ラブレター


言葉に色彩はない

言葉に個性はない

言葉は逐次的で全体性はない

言葉に隠匿性はない

でも、そんな言葉すら失いつつあるとき

僕はあなたに、どう伝えたらいいのだろう

いったい何を伝えたいのか、それすらも分からなくなってしまったとき

きっと言葉では掴むことができない具象を

僕は抱きしめたいだけなのだ

そして嗅覚によって、あなたの記憶に酔いたい、酔い痴れたいのだ

そして、その記憶を、現在によって、より甘美なものに更新することを望んでいる

僕は毎日、思考の内、95%、記憶の中で生き

その記憶を、繰り返し繰り返し

愛おしく

獣のようにも貪欲に

自らの魂に爪を立て

胸を掻きむしって

せめてもリアルにならないものかと

そのために言葉にして伝えることができないものかと

自問自答しながら

いつか、見知らぬ土地を走る夜行列車に乗って

言葉を探しに地の果てまで行こうと思っている

あなたへのラブレターを書くために











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アールブリュット(?)

今日は日曜日。
小雨が降っていて憂鬱な日曜日。
早朝目覚めたが、ベッドの中にいた。
昼前に母の所に行き、車に載せてファミレスで食事をさせる。
認知症と糖尿病の薬を飲ませるのを忘れてはならない。
帰りに、車の停められるスーパーに行き、トイレットペーパーや食べ物などを買って母の家(僕の実家)に送る。
それから僕は独りで、適当に車を走らせる。車は乗らないとダメになると車屋から言われた。バッテリーも上がってしまう。だからクーラーを切って窓を開けて走らせる。今日は風が車内に入ると涼しいくらいだった。
帰ってきて、芥川賞の小説を読んでいるうちに、いつの間にか意識を失っていた。朝、薬を飲み、夕方、多分、薬を飲み、夜もまだ飲んでいないと思ってまた薬を飲んだ。
夕方頃、意識を失っていた自分に気づいて起き上がった。
録画していたテレビを見た。広島にある商店街の便所掃除をして暮らしている画家のガタロさんのドキュメンタリーだった。
僕も高校を卒業して始めてやった仕事が、新宿の地下のショッピングモールとそのさらに地下の駐車場の清掃だったから、ガタロさんに共感できた。体験で知っているから。
ガタロさんは、便所のタイルを磨くモップをデッサンしていた。
汚いものを文句一つ言わずにキレイにするもの言わぬ道具が、美しくないはずがない、とガタロさんは言っていた。
底辺で仕事をしていると、世界が見えてくる。
地下のゴミ集積場でゴミの仕分けをしているガタロさんが、そんなことを言っていた。世界が、そして人間がはっきりと見える、というようなことを。
ガタロさんほどでもないが、18才で新宿の地下街で便所掃除をしていて、僕もそんな風に感じたことがあった。
僕が高校を卒業して一番始めにやった仕事が便所掃除だったことは、僕にとって最良の仕事だったのだと密かに誇りに思ったりしている。
ガタロさんがデッサンする姿を見て、僕はいつの間にデッサンをしなくなってしまったのだろうと考えて、落ち込んだ。
男女が合体している絵。
非難されて描く場所がなくなった。
最近は、アールブリュットとかアウトサイダーアートとか言われるアートのジャンルが社会的にも認知されるようになった。
僕は知的障害者でも精神障害者でもないが(?)、というより、そうなりたくてもなれない半端者だか、僕の絵や彫刻は、アールブリュットの分野に入るのが一番ピッタリするのだろうと思ったりする。でも僕の外見は、そのように見えないみたいだから(?)、僕がそういうおかしな絵を描いていると、やめてくれと身近な人達から言われる。だから、子供が物心がついた頃から、そういう絵は描かなくなり、つまり、今ではもうほとんど絵も彫刻も作らなくなった。
僕ほど単純な人間もいないのではないか。
アートも宗教も生命の表現であり、生命と美の源は、男と女、プラスとマイナスの結合に他ならない。それは、小さな虫けらから、高等な霊長類にいたるまで、総てに共通する生命の法則であり、男女の愛の法則でもあるのだ。
でもそれを直に感じたり、表現したりすると、世間からは変な目で見られてしまう。オブラートに包むか、初めっからそんなことを感じもできない人が、それらしき片鱗を感じて表現されたものくらいがちょうどいいらしい。
光だって直接見れば目が潰れる。
厚い雲を通過した、薄ぼんやりした光を見るのが、臆病者にはちょうどいいのだ。








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