紫源二の啓示版 -23ページ目

道端


 
 道端の店先でメチャクチャ語を話して
 
 チューインガムを盗んで逃げる
 
 走りながらチューインガムの包み紙を開けて
 
 道に沿った川に捨てる
 
 風が吹いていて
 
 ガムの包み紙が宙をクルクル舞っている
 
 ガムをクチャクチャ噛みながら走っていると
 
 後ろから自転車が走ってくる
 
 ガチャガチャ音を立てて追いかけてくる
 
 横道にそれてすぐにまた横道にそれて
 
 自転車を上手く撒いてから
 
 ゆっくり歩きながら
 
 チューインガムをクチャクチャ噛んで
 
 道端にプッと吐き出してから
 
 さっきの道に戻って橋を渡る
 
 むこうからフエルトのベレー帽を被った人が歩いてきて
 
 肩で擦れちがいざまに帽子を掴んで逃げる
 
 ピカピカの禿げ頭だ
 
 男がギャーギャーわめきながら追い駆けてくる
 
 横道にそれてすぐにまた横道にそれて
 
 禿げ頭を上手く撒いたと思ったら
 
 本屋があって
 
 雑誌がガラガラ沢山並べてある
 
 立ち止まってペラペラめくると
 
 なんだか欲望がフツフツと湧いてきて
 
 ジージャンを脱いで肩にかけ
 
 またブラブラと歩き始める
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 世界の終わり


 
 いったい何が起こっているんですかね。
 
 世界が終わりそうらしいですよ。
 
 どんな風に?
 
 さあ? どうやら、貨幣価値がなくなるみたいだけど、詳しいことはよくわかりませんがね。

 ほう。それはたいへんだ。でも反面、喜ばしいことでもありますな。
 
 喜ばしい?
 
 そうです。とても喜ばしい。
 
 そうですか。
 
 そうですとも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

あまりにも



 あまりにも死を多くみると、おかしくなる。

壊れることと治癒すること


 
 動物は肉体的に壊れるけど、人間は精神的に壊れる
 
 動物は医者もいないのに、壊れた身体が治るけど
 
 人間には医者がいるが、壊れた精神は治らない
 
 本当は動物のように、なにもしないのが一番いい
 
 治そうとしたりしなくても、自然治癒力で自然に治るのだから
 
 それでも治らないなら、死というものが必然的に待っている
 
 でも、死は必ず訪れる自然の摂理だから死を恐れることはない
 
 
 自然界に存在するものは全てが循環している
 
 創造主は完璧なものを作り出すが
 
 この世には壊れたものもたくさんある
 
 それでも生きているということは
 
 その裏で、自然治癒力が働いているということだ
 

 自然に朽ちるものは醜くはない
 
 傍目には醜いかもしれないが
 
 生老病死は自然の営みの中に組み込まれている
 
 全てが健康で美しいだけではない
 
 それでも美しいものを愛するのはなぜか
 
 醜いものを忌み嫌うのはなぜか
 
 
 人間の中には美しいものを追求する欲望がある
 
  
 若くて健康であることは美しい
 
 人間も動物も植物も
 
 生殖期がもっとも美しい
 
 子孫を残した後は、老いて枯れていく
 
 
 春の後には夏があり、秋になり冬になる
 
 冬になり全てが死滅したように積もった雪に閉ざされたとしても
 
 生命は死んでいる訳ではない
 
 
 壊れたもの、病んだもの

 
 自然界では淘汰されていくが、人間界では同情し、健康にしようとする
 
 しかし、やはり、自然治癒力が基本なのだ
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

目を瞑って


 
 目を瞑っていては字は書けない
 
 でも今は目を瞑っていたい気分だ
 
 
 腹が空いている
 
 中途半端にダイエットなんかするからだ
 
 うどんが食べたい
 
 かけうどん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

壊れている


 
最近は頭が壊れている。
 
腹に力がはいらない。
 
持久力がない。
 
あたまがボーとしている。
 
 
それにしても寒くなりましたね。
 
ついに、車を買い替えることにしました。
 
前の車に無駄にお金を使ったので、それなりに節約した予算内で買えるものにしました。
 
 
他になにか書くことがあったか思い出せません。
 
 
新しい車が来たら、ドライブしましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

消えてしまった


昨日、何かを書いていたんだけど、保存し損ねて消えてしまった。

明日は寒くなりそうだが、楽しそう。

警告の手紙

「今度会うアメリカ人に注意していてねって、言ったよね」

「そうね」

「そんなアメリカ人に会うなんてあの時はぜんぜん考えていなかったんだ。正直言って、きみの言葉なんて本気にしてなかったんだよ」

「それはそれはありがたいお言葉ね。でもわたしもそんなあなたの考えに気付いていたわ」
 
「でも、最近、デニス・バンクスというアメリカ人に会ったんだよ」
 
「本当のアメリカ人ね。ネイティブと言われるのはきらいみたいだから、本当のアメリカ人と呼ぶことにするわ」
 
「そうなんだ。彼は来年、アメリカ大陸をオートバイで横断するんだって。僕も行ってみたくなったよ。でも本当は今はそれどころじゃないんだ。ほとんど動けないし、体力も気力も血の底に堕ちてしまっている。ねえ。どうすればいいと思う?」
 
「あなた、フェースブックでいろいろな国の人とお友達になったわね。でも、アメリカ人が一番多いんじゃない? でも、アメリカ人に媚びてはだめよ。いくら力があって、軍事力をもっていたって、ペンは武器より強しよ」
 
「あなたの身体は、脳を含めてボロボロね。これじゃあいくら精神がしっかりしてても何もできないわ。苦しいでしょ? 」

「苦しいよ・・」

「か;あflkkllkg;あ;こpろえ

90年代のペインター


90年代、日本のアートで一番尖っていたのは、星太郎、AKIRA、相原ヤス等の通称D・E・S ( Dead End Street ) のグループで作品を発表していたアンダーグランドのペインター達であって、村上隆や合田誠等の芸大出のキャリア・アーティストではなかった。後者をキャリア・アーティストと呼んだが、だとすると前者は、エッジ・アーティストと呼びたい。芸術とはある意味で常に反社会的である。逆に言えば、その時代の社会に包摂されてしまう芸術というのは、後々何の印象も残さないただの商品に過ぎなかったことが判る。印象派の時代は言うに及ばす、ルネッサンスにおいても同じ現象が見られることは、誰でも知っている。

パソコンのメンテで半日潰れる


今日はダラダラと、コンピュータのデータの整理をしている。

マックのパフォーマにはハードディスクが二つ繋がっているが、本体自体がすぐフリーズするようになってしまった。
WindowsXPのノートパソコンはほとんど使っていないし、WindowsVistaのノートパソコンは、Cドライブが一杯で動かなくなってきた。
みんなだいたい動かないものばかりだが、そうしたパソコンの中にデータが入ったままだと使えなくなってしまう。
だから今日は思い切ってデータの整理を始めた。
そして、WindowsVistaのCドライブから、思い切って不要なプログラムをアンインストールしていたら、逆にディスクの空き容量が少なくなってしまって、700MBしかなくなってしまった。
何故なのだろう。よくわからない。
だから今、ハードディスクの最適化を始めたところだ。
コンピュータは、使うより、メンテの方により時間を割いているかんじだ。
なんだか馬鹿馬鹿しい。
そんなことで、連休最終日は、もう昼過ぎになってしまったのだった。