とりあえず、そういうこと
再放送で白洲正子さんのインタビューをやってました。
「書きたいことは、あえて書くな。」が師の教えだったそうです。
師とは文芸評論家の小林秀雄さん。
書きたいことをそのまま書かずに、その思いを秘めたまま書くと、文章にはおのずとその思いがにじみ、読者がそれを読みとるのだ…とか。
なるほどぉ…(ノ゚ο゚)ノ。
自分の思いを表したいとジタバタしている自分が、なんか浅くて軽くて薄っぺらに思えてきました。
安易にストレートに表現しようとする心には「芸」がないってことか。
「表したい気持ちを表すことがかなわない…、でも表し続ける」というので、いいのかもしれない。
…うん、そうかも。
今のところは、そういうことで
。
「書きたいことは、あえて書くな。」が師の教えだったそうです。
師とは文芸評論家の小林秀雄さん。
書きたいことをそのまま書かずに、その思いを秘めたまま書くと、文章にはおのずとその思いがにじみ、読者がそれを読みとるのだ…とか。
なるほどぉ…(ノ゚ο゚)ノ。
自分の思いを表したいとジタバタしている自分が、なんか浅くて軽くて薄っぺらに思えてきました。
安易にストレートに表現しようとする心には「芸」がないってことか。
「表したい気持ちを表すことがかなわない…、でも表し続ける」というので、いいのかもしれない。
…うん、そうかも。
今のところは、そういうことで
。心が観る色
色を視る心
べつに詩的な比喩ではなく、科学的な表現のつもりです。
NEWTON最新版「光とは何か?」の第2章「色とは何か?」に「色は物理的な量というよりも、人間の視覚がつくりだす心理的な量なのです」という記述をみつけました。
「おぉ、やっぱりそうか」と嬉しくなったのは、先日受けたカラーワークショップでの色の表し方に、納得いかなかったから。
カラーワークショップでは、モチーフである果物や、背景にした壁や紙の個々の持つ色を、絶対的なものとしてとらえ、それを再現することに重点をおいていました。
でも、日頃絵を描く中で、隣にどんな色がくるか、形はどうか、面積はどうかで、同じ色でも違って見えることを体験的に知っていたので、私自身は色を相対的なものとして認識しており、ベティ・エドワーズさん(「右脳で描く」ワークショップの創始者)の色のとらえ方,表し方がしっくりこなかったのです。
もちろん、色を絶対的にとらえる必要が場合(デザインの分野)もあり、その時は、インクの濃さの数値やインクの調合を決めた色チップと呼ばれる道具をつかいます。
色を決める人(デザイナー)が、色をつくって塗る人(印刷所や工場)に印刷物や製品などの色を、この道具を使って指示するケース。
ただし、ふつうに絵を描く場合には、色を決めてつくって塗るのは、とぎれることのない一連の作業であり、かつそれは描く人の意思や感性にまかされているので、つくり手が特別に意図しない限り、客観的に「絶対」である必要はないと、私は思っています。
同質の「色」を複数つくるための時と、唯一それのみの「色」(それは作者の心の中にしかない)を表す時の違いかなぁ。
結局、クリスティンには、いろいろと思っていたこんなことを伝えないままワークショップは終わってしまい、なんとなくもやもやと若干後味のわるいものが残りました。
でも今回NEWTONの記事読んで、すっきりo(^▽^)o!
今度彼女に会ったら、自信を持って自分が感じていたことを伝えます。
それにしても…
色は心がつくるものなり
なーんか抹香くさくって、すきだなぁ
べつに詩的な比喩ではなく、科学的な表現のつもりです。
NEWTON最新版「光とは何か?」の第2章「色とは何か?」に「色は物理的な量というよりも、人間の視覚がつくりだす心理的な量なのです」という記述をみつけました。
「おぉ、やっぱりそうか」と嬉しくなったのは、先日受けたカラーワークショップでの色の表し方に、納得いかなかったから。
カラーワークショップでは、モチーフである果物や、背景にした壁や紙の個々の持つ色を、絶対的なものとしてとらえ、それを再現することに重点をおいていました。
でも、日頃絵を描く中で、隣にどんな色がくるか、形はどうか、面積はどうかで、同じ色でも違って見えることを体験的に知っていたので、私自身は色を相対的なものとして認識しており、ベティ・エドワーズさん(「右脳で描く」ワークショップの創始者)の色のとらえ方,表し方がしっくりこなかったのです。
もちろん、色を絶対的にとらえる必要が場合(デザインの分野)もあり、その時は、インクの濃さの数値やインクの調合を決めた色チップと呼ばれる道具をつかいます。
色を決める人(デザイナー)が、色をつくって塗る人(印刷所や工場)に印刷物や製品などの色を、この道具を使って指示するケース。
ただし、ふつうに絵を描く場合には、色を決めてつくって塗るのは、とぎれることのない一連の作業であり、かつそれは描く人の意思や感性にまかされているので、つくり手が特別に意図しない限り、客観的に「絶対」である必要はないと、私は思っています。
同質の「色」を複数つくるための時と、唯一それのみの「色」(それは作者の心の中にしかない)を表す時の違いかなぁ。
結局、クリスティンには、いろいろと思っていたこんなことを伝えないままワークショップは終わってしまい、なんとなくもやもやと若干後味のわるいものが残りました。
でも今回NEWTONの記事読んで、すっきりo(^▽^)o!
今度彼女に会ったら、自信を持って自分が感じていたことを伝えます。
それにしても…
色は心がつくるものなり
なーんか抹香くさくって、すきだなぁ

ふわ・ほの・しん・すん・やわやわ…
敷き詰められた白州に反射するやわらかい太陽の光が、ふんわりとあたり全体を明るくし、緑に囲まれ、音もなく、澄んだ気の満ちる場所…。
こんな場所を訪れると、時間の流れがゆるやかに感じられ、自分がまわりにじんわりと溶けていってしまうような何とも穏やかな気持ちになります。
京都の泉涌寺の一画で、久しぶりにこんな気持ちを味わいました。
これまで、同じような感覚を得たのは、ハワイ島のホナウナウの遺跡(以前に書きましたが、古代ハワイアンの聖地跡)と、愛媛の大山祗(おおやまずみ)神社。
また、これらのような特別な場所ではなかったのですが、少し似ているのが、学生時代白馬で風景を描いていて味わった「しあわせ」の感覚(これもまた以前に書きましたが…)。
この「しあわせ」感を言葉で表すには語彙に乏しく、絵で表現するには、まだまだ自意識が頑張りすぎです(>_<)。
大げさかも知れませんが、こんな感覚を何らかの形で表現できれば「もう何もいらない」…そんな風にすら思います。
ふんわり、ほの明るく、静かで、澄んでいて、やわらかい…。
これら全部が一緒になったような感覚なんですよねぇ…。
うぅぅ…、表現しきれないのがじれったい
。
こんな場所を訪れると、時間の流れがゆるやかに感じられ、自分がまわりにじんわりと溶けていってしまうような何とも穏やかな気持ちになります。
京都の泉涌寺の一画で、久しぶりにこんな気持ちを味わいました。
これまで、同じような感覚を得たのは、ハワイ島のホナウナウの遺跡(以前に書きましたが、古代ハワイアンの聖地跡)と、愛媛の大山祗(おおやまずみ)神社。
また、これらのような特別な場所ではなかったのですが、少し似ているのが、学生時代白馬で風景を描いていて味わった「しあわせ」の感覚(これもまた以前に書きましたが…)。
この「しあわせ」感を言葉で表すには語彙に乏しく、絵で表現するには、まだまだ自意識が頑張りすぎです(>_<)。
大げさかも知れませんが、こんな感覚を何らかの形で表現できれば「もう何もいらない」…そんな風にすら思います。
ふんわり、ほの明るく、静かで、澄んでいて、やわらかい…。
これら全部が一緒になったような感覚なんですよねぇ…。
うぅぅ…、表現しきれないのがじれったい
。紙染め1
またまた、生徒になりました。
5~7月にかけての土曜、計5回で行われる多摩美生涯学習講座の「紙を染める」クラスです。
3月のクラスは抽選ではずれたので、今回の受講をとても楽しみに待っていました。
新しい技法を教えてもらえるのって、いくつになってもワクワクします。
染色は小学校時代の布のろうけつ染め以来で、紙を染めるのは初めて。
以前から「紙」のあるところ(例えば本棚とか本屋)にいると妙に落ち着き、できれば作品も紙を使ったものにしたいなぁ…と思っているので、今回の「紙染め」も表現の一つに加えるつもりです。
講座第一回目は、先生の紹介を聞き、いろいろな染色作家の作品を見て、染めの技法を簡単に説明してもらった後、早速簡単な染色の作業にかかりました。
蝋の代わりに白いクレパスを用い、
紙に好きな柄を描き、
染料で染めて(クレパス部分ははじきます)乾かし、
新聞の間に紙をはさんでアイロンがけし、
クレパスの油分を取って完成。
幼稚園や小学校低学年の図工でやるクレヨンで描いた上から水彩絵の具を塗るのとほぼ同じで、手軽に楽しめる技法でした。
ただ、人気講座なだけあって受講生が多く、しかもその中では若手の部類に入るようなので若干の遠慮もあり、使いたい染料の筆の順番がなかなか回ってこなかったのが難かなぁ(^^;)。
自由制作のお題は「七夕」。講座最終日が7/7だからだそうです。
どんな作品にしようかな…。
いろいろ構想を練っていたら、以前パソ通で連句をやっていたころ、私の番でつけた下の句を思い出しました。
銀河の逢瀬 十二ヶ月待つ
上の句忘れてしまいましたが、「銀河の逢瀬」うん、いいかも、これでいこうかな
。
5~7月にかけての土曜、計5回で行われる多摩美生涯学習講座の「紙を染める」クラスです。
3月のクラスは抽選ではずれたので、今回の受講をとても楽しみに待っていました。
新しい技法を教えてもらえるのって、いくつになってもワクワクします。
染色は小学校時代の布のろうけつ染め以来で、紙を染めるのは初めて。
以前から「紙」のあるところ(例えば本棚とか本屋)にいると妙に落ち着き、できれば作品も紙を使ったものにしたいなぁ…と思っているので、今回の「紙染め」も表現の一つに加えるつもりです。
講座第一回目は、先生の紹介を聞き、いろいろな染色作家の作品を見て、染めの技法を簡単に説明してもらった後、早速簡単な染色の作業にかかりました。
蝋の代わりに白いクレパスを用い、
紙に好きな柄を描き、
染料で染めて(クレパス部分ははじきます)乾かし、
新聞の間に紙をはさんでアイロンがけし、
クレパスの油分を取って完成。
幼稚園や小学校低学年の図工でやるクレヨンで描いた上から水彩絵の具を塗るのとほぼ同じで、手軽に楽しめる技法でした。
ただ、人気講座なだけあって受講生が多く、しかもその中では若手の部類に入るようなので若干の遠慮もあり、使いたい染料の筆の順番がなかなか回ってこなかったのが難かなぁ(^^;)。
自由制作のお題は「七夕」。講座最終日が7/7だからだそうです。
どんな作品にしようかな…。
いろいろ構想を練っていたら、以前パソ通で連句をやっていたころ、私の番でつけた下の句を思い出しました。
銀河の逢瀬 十二ヶ月待つ
上の句忘れてしまいましたが、「銀河の逢瀬」うん、いいかも、これでいこうかな
。思い出ガチャ
会社帰りに寄った書店のレジで順番を待っていて、ふと目にとまった高さ6~7cmくらいのミニチュア石膏像。
「へっ、何これ?」
学生時代さんざん描いた懐かしい石膏像(高校の美術室には、どこも最低2つくらいある白い大きな胸像or頭像)の数々が、ちんまりとレジ横のガチャガチャの上に乗っているのです。
レジでお金を払った残りのおつりの中から、200円を機械に入れてつまみを回し、大きめのカプセルに入ったミニチュア石膏像を一つget(ノ´▽`)ノ。
電車の乗り換えのホームで、待ちきれずにカプセルを開けてみると、
「石膏デッサン入門」というタイトルの下に下記の情報が
通 称:セント・ジョセフ
正式名称:聖ジョセフ
モデル :アリマタヤの大工ヨセフ(キリストの養父)
スタイル:円柱人像
作 者:工房
制作地 :フランス ランスの大聖堂外壁にある彫刻の一部分
時 代:ゴシック期 1245~55年頃
所 蔵:ランス大聖堂(仏)
背中にに半円柱の一部がついているのでわかりますが、柱の飾りの一部として制作された全身像の胸から上を切り取ったのが、このセント・ジョセフ像です。
私は、たぶん一度か二度しか描いたことないのですが、石膏像の中ではメジャー度は二番手か三番手(20年前情報)。
普通の高校の美術室でみかけることは希だと思います。
驚いたのは、これがジーザスクライストのおとっつぁんだったってこと(ノ゚ο゚)ノ。今まで知りませんでした。
絵画や彫刻を専門に学んだ人間が受験や授業で描く石膏像のメジャー度を3ランクくらいに分けると、
Firstグループ :ブルータス・ミロのヴィーナス・アポロ・マルス・ヘルメス
Secondグループ:モリエール・パジャンタ・アグリッパ・アリアス・メジチ・カラカラ帝・ラボルト・大胸像闘士
Thirdグループ :ガッタメラ・ギリシャ婦人・フレンチ・セントジョセフ・セントジョルジュ・ミケランジェロ
神話の神様やら、実在の有名人が多いですが、特に固有の名前のないものも中にはあります。ただ、このランク分けも20年前の記憶なので、今は人気のある石膏像って変わってるかもしれません。
特に思い出深い石膏像は、ブルータス(大村高校美術室)・ラボルト(すいどうばた美術学院)・マルス(大学推薦入試会場)・ミケランジェロ(大学の入試本試験会場)かなぁ。
緊張のあまり体調を崩して泣かされたマルス、推薦ダメで本試験で救ってくれたミケランジェロ。それぞれ、描いた場所も時も違うのですが、その時々の状況などが思い出されて懐かしい。大学の大石膏室には、巨大なダビデなんてのもあったっけ…。
ガチャガチャのカプセルの中の用紙に書いてあった、Yujinという会社のサイトを検索してみると、カプセル玩具やおもちゃの企画をしている会社でした。
ほかのカプセル玩具は、キャラクターものや飴や商品のブランドの面白さを売りにしていて、この石膏像シリーズはかなり異質。
きっと、美大出身の人が企画したんじゃないかなぁ。
うぅぅぅ、他のも欲しい…
。
「へっ、何これ?」
学生時代さんざん描いた懐かしい石膏像(高校の美術室には、どこも最低2つくらいある白い大きな胸像or頭像)の数々が、ちんまりとレジ横のガチャガチャの上に乗っているのです。
レジでお金を払った残りのおつりの中から、200円を機械に入れてつまみを回し、大きめのカプセルに入ったミニチュア石膏像を一つget(ノ´▽`)ノ。
電車の乗り換えのホームで、待ちきれずにカプセルを開けてみると、
「石膏デッサン入門」というタイトルの下に下記の情報が
通 称:セント・ジョセフ
正式名称:聖ジョセフ
モデル :アリマタヤの大工ヨセフ(キリストの養父)
スタイル:円柱人像
作 者:工房
制作地 :フランス ランスの大聖堂外壁にある彫刻の一部分
時 代:ゴシック期 1245~55年頃
所 蔵:ランス大聖堂(仏)
背中にに半円柱の一部がついているのでわかりますが、柱の飾りの一部として制作された全身像の胸から上を切り取ったのが、このセント・ジョセフ像です。
私は、たぶん一度か二度しか描いたことないのですが、石膏像の中ではメジャー度は二番手か三番手(20年前情報)。
普通の高校の美術室でみかけることは希だと思います。
驚いたのは、これがジーザスクライストのおとっつぁんだったってこと(ノ゚ο゚)ノ。今まで知りませんでした。
絵画や彫刻を専門に学んだ人間が受験や授業で描く石膏像のメジャー度を3ランクくらいに分けると、
Firstグループ :ブルータス・ミロのヴィーナス・アポロ・マルス・ヘルメス
Secondグループ:モリエール・パジャンタ・アグリッパ・アリアス・メジチ・カラカラ帝・ラボルト・大胸像闘士
Thirdグループ :ガッタメラ・ギリシャ婦人・フレンチ・セントジョセフ・セントジョルジュ・ミケランジェロ
神話の神様やら、実在の有名人が多いですが、特に固有の名前のないものも中にはあります。ただ、このランク分けも20年前の記憶なので、今は人気のある石膏像って変わってるかもしれません。
特に思い出深い石膏像は、ブルータス(大村高校美術室)・ラボルト(すいどうばた美術学院)・マルス(大学推薦入試会場)・ミケランジェロ(大学の入試本試験会場)かなぁ。
緊張のあまり体調を崩して泣かされたマルス、推薦ダメで本試験で救ってくれたミケランジェロ。それぞれ、描いた場所も時も違うのですが、その時々の状況などが思い出されて懐かしい。大学の大石膏室には、巨大なダビデなんてのもあったっけ…。
ガチャガチャのカプセルの中の用紙に書いてあった、Yujinという会社のサイトを検索してみると、カプセル玩具やおもちゃの企画をしている会社でした。
ほかのカプセル玩具は、キャラクターものや飴や商品のブランドの面白さを売りにしていて、この石膏像シリーズはかなり異質。
きっと、美大出身の人が企画したんじゃないかなぁ。
うぅぅぅ、他のも欲しい…
。三重螺旋
二日間のRBRのコーラスワークショップを受けました。
昨年のTerriのクラスは、歌そのものよりもイベントとして楽しみましたが、今回は歌うこと、特にハーモニーを満喫。
講師はValとEmily母娘で、ワークショップを専門にやっているだけあって、あっという間バランスの良いきれいなハーモニーができあがりました。
歌った歌は、おもにカントリー(彼女たちのジャンル)中心でしたが、複雑なコーラスや輪唱などを楽しむための50's popsやシリアルのコマーシャルソングなども(^^;)。
日本の歌でも、たしか「もしもしカメよ」と「浦島太郎」かなんかを一緒に歌うと、不思議と調和するっていうのがあったと思いますが、メロディが異なるだけでなく、歌詞まで違うパートをうまく合わせてきれいな歌に仕上がった時の喜びは、ひとしおでした。
完全に英語だったので、誤解してるかもしれないけど、Valは、このような複雑なハーモニーを、いろんな文化や民族などのいろんな人たちが共鳴して一つの世界をつくりあげることに例えていたようです。
ワークショップの中で、一番印象深かったのは、Liaさんと真由美さん、そして私の三人が、それぞれパートに別れて歌い、なんとも不思議な感覚にとらわれたこと。
どのパートが強いというのではなく、それぞれが、ほぼ同じ力でバランスがとれていて、まさに「一つの響き」になっている状態。
視覚的に例えると、三つの声が三重螺旋で昇っていくって感じでしょうか。
久々に心から「楽しかったぁ!!!」と思える体験でした。
また、自分の知ってる英単語を捜したり、Valの表情や行動から話の概要を推測するということを集中してやっていたので、久々にヘトヘトになった体験でもありました
。
昨年のTerriのクラスは、歌そのものよりもイベントとして楽しみましたが、今回は歌うこと、特にハーモニーを満喫。
講師はValとEmily母娘で、ワークショップを専門にやっているだけあって、あっという間バランスの良いきれいなハーモニーができあがりました。
歌った歌は、おもにカントリー(彼女たちのジャンル)中心でしたが、複雑なコーラスや輪唱などを楽しむための50's popsやシリアルのコマーシャルソングなども(^^;)。
日本の歌でも、たしか「もしもしカメよ」と「浦島太郎」かなんかを一緒に歌うと、不思議と調和するっていうのがあったと思いますが、メロディが異なるだけでなく、歌詞まで違うパートをうまく合わせてきれいな歌に仕上がった時の喜びは、ひとしおでした。
完全に英語だったので、誤解してるかもしれないけど、Valは、このような複雑なハーモニーを、いろんな文化や民族などのいろんな人たちが共鳴して一つの世界をつくりあげることに例えていたようです。
ワークショップの中で、一番印象深かったのは、Liaさんと真由美さん、そして私の三人が、それぞれパートに別れて歌い、なんとも不思議な感覚にとらわれたこと。
どのパートが強いというのではなく、それぞれが、ほぼ同じ力でバランスがとれていて、まさに「一つの響き」になっている状態。
視覚的に例えると、三つの声が三重螺旋で昇っていくって感じでしょうか。
久々に心から「楽しかったぁ!!!」と思える体験でした。
また、自分の知ってる英単語を捜したり、Valの表情や行動から話の概要を推測するということを集中してやっていたので、久々にヘトヘトになった体験でもありました
。かもしだすもの
どうして行ったかの経緯はおいといて…、先週国会議事堂に行って来ました。
都内の小学生なんかは社会科見学で一度は訪れるらしいのですが、私は地方で生まれ育ったので、直接足を踏み入れたのは初めてです。
内部の改装はしてあると思うのですが、基本的な造りは1936年(昭和11年)竣工、臨時議院建築局設計のままと見受けました。
今時のオフィスビルなんかに比べたら、廊下の幅など狭いし、天井も低めですが、なんとなく落ち着く感じ。
建材が石と木がメインであるということや、柱などに刻まれた彫刻などから、華美でなく、かといって素っ気なくなく、適度な重みのある「ていねいにつくりました」感と「品」・「格」が漂ってました。
他に、以前に見た建造物の中で
「品」・「格」を感じたのは、1896年(明治29年)竣工、辰野金吾設計の日本銀行本館旧館。
まず、勇気を出さないと入りにくい入り口をくぐり、ほぉーっとため息。…すごい。
その後、通った廊下は、建て増し建て増しで変な造りになっているなぁと思いましたが、本来の建物部分に入ったとたん、歴史の重みと、ある種荘厳な感じさえ受ける彫りを施してある石の柱に圧倒されました。
今のところ、私の中では日本の洋風建築物No.1。「やはり、国内のお金の源となる場所はこうあってほしいよね。」という建物でした。
昨年暮れに、ミーハー心丸出しで日本橋にできた一泊8万円(( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚)とかいうラグジュアリーホテルを覗いてみました(もちろん泊まれません(^^;))が、確かにセンスも良いし、お金もかけてるからゴージャスな雰囲気なんだけど、ちょっと薄っぺらい感じでした。同じホテルでも、やっぱり帝国ホテルなんかの方が、「格」が上。
また、元三木武夫首相のお宅を丸ごと会場にした写真の個展を見せてもらったことがありましたが、ここでも、建物内外に漂う「品」を感じました。
住宅の場合は、調度品などのインテリアも、その雰囲気を構成する大きな要素なので、住んでる人の美意識や生き様も出てるのかもしれません。
私が感じてる「品」や「格」って、ただ美しいだけじゃなくて、そこに善や真、または叡智が加わった感覚かなぁ。
人の手を介して生み出されるすべてものがまとう空気というか、醸し出す雰囲気の質を決定づけるのは、つくる人の本質かもしれない…と思いました。
「ものをつくる」って、そういうことですよね…。ふー
。
都内の小学生なんかは社会科見学で一度は訪れるらしいのですが、私は地方で生まれ育ったので、直接足を踏み入れたのは初めてです。
内部の改装はしてあると思うのですが、基本的な造りは1936年(昭和11年)竣工、臨時議院建築局設計のままと見受けました。
今時のオフィスビルなんかに比べたら、廊下の幅など狭いし、天井も低めですが、なんとなく落ち着く感じ。
建材が石と木がメインであるということや、柱などに刻まれた彫刻などから、華美でなく、かといって素っ気なくなく、適度な重みのある「ていねいにつくりました」感と「品」・「格」が漂ってました。
他に、以前に見た建造物の中で
「品」・「格」を感じたのは、1896年(明治29年)竣工、辰野金吾設計の日本銀行本館旧館。
まず、勇気を出さないと入りにくい入り口をくぐり、ほぉーっとため息。…すごい。
その後、通った廊下は、建て増し建て増しで変な造りになっているなぁと思いましたが、本来の建物部分に入ったとたん、歴史の重みと、ある種荘厳な感じさえ受ける彫りを施してある石の柱に圧倒されました。
今のところ、私の中では日本の洋風建築物No.1。「やはり、国内のお金の源となる場所はこうあってほしいよね。」という建物でした。
昨年暮れに、ミーハー心丸出しで日本橋にできた一泊8万円(( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚)とかいうラグジュアリーホテルを覗いてみました(もちろん泊まれません(^^;))が、確かにセンスも良いし、お金もかけてるからゴージャスな雰囲気なんだけど、ちょっと薄っぺらい感じでした。同じホテルでも、やっぱり帝国ホテルなんかの方が、「格」が上。
また、元三木武夫首相のお宅を丸ごと会場にした写真の個展を見せてもらったことがありましたが、ここでも、建物内外に漂う「品」を感じました。
住宅の場合は、調度品などのインテリアも、その雰囲気を構成する大きな要素なので、住んでる人の美意識や生き様も出てるのかもしれません。
私が感じてる「品」や「格」って、ただ美しいだけじゃなくて、そこに善や真、または叡智が加わった感覚かなぁ。
人の手を介して生み出されるすべてものがまとう空気というか、醸し出す雰囲気の質を決定づけるのは、つくる人の本質かもしれない…と思いました。
「ものをつくる」って、そういうことですよね…。ふー
。声の色
声には色があるらしいです。声色って言葉もあるくらいだし…ホントカ(^^;)?
以前、声について書いたことがありましたが、最近ボイストレーニング(歌のためのではなくシンプルな発声)を受けられるところをみつけて通ってます。
声の色っていうのは、ここで見せてもらったグラフ?のようなもののこと。
周波数の違いなどを色で表す装置を用いているそうです。
二ヶ月ごとに声を録音してデータ化し、最終的にトレーニングによってどのように変化したかをグラフで見せてもらえる予定です。
まだ最初の録音をしたばかりなので、自分のグラフは見られませんでしたが、過去の受講生のサンプルを見せてもらうと、最初は暗い色で、だんだん明るく色鮮やかになっていました。
お手本としてのトレーナーのサンプルは、色鮮やかなだけでなく、幅もあり、見ただけで艶のありそうな良い声の感じ(^O^)。
今はまだ、みぞおちあたりに声を響かせる練習をしているところですが、この部分に声が響いていると、なんとなく落ち着きます。
また、「あっ焦っているな」と思うと、声がうわずっている自分にも気づきます。
このボイストレーニングのいいところは、声も出す前に、身体の緊張を徹底的にほぐすことから始めること。
下手なマッサージにいくより、よっぽどリラックスできて、かつ発声法も習得できるとても充実した内容です。
半年後には、どんな色の声になれるでしょうか。楽しみです
。
以前、声について書いたことがありましたが、最近ボイストレーニング(歌のためのではなくシンプルな発声)を受けられるところをみつけて通ってます。
声の色っていうのは、ここで見せてもらったグラフ?のようなもののこと。
周波数の違いなどを色で表す装置を用いているそうです。
二ヶ月ごとに声を録音してデータ化し、最終的にトレーニングによってどのように変化したかをグラフで見せてもらえる予定です。
まだ最初の録音をしたばかりなので、自分のグラフは見られませんでしたが、過去の受講生のサンプルを見せてもらうと、最初は暗い色で、だんだん明るく色鮮やかになっていました。
お手本としてのトレーナーのサンプルは、色鮮やかなだけでなく、幅もあり、見ただけで艶のありそうな良い声の感じ(^O^)。
今はまだ、みぞおちあたりに声を響かせる練習をしているところですが、この部分に声が響いていると、なんとなく落ち着きます。
また、「あっ焦っているな」と思うと、声がうわずっている自分にも気づきます。
このボイストレーニングのいいところは、声も出す前に、身体の緊張を徹底的にほぐすことから始めること。
下手なマッサージにいくより、よっぽどリラックスできて、かつ発声法も習得できるとても充実した内容です。
半年後には、どんな色の声になれるでしょうか。楽しみです
。感情の出し加減
外で絵を描いていると、同じ場所に長い時間とどまるので、いろんな人の会話が耳に入ります。
先日は、私が菖蒲を描いている場所の隣の広場の親子の会話が気になりました。
「ねぇ、パパとママ、一緒に四つ葉のクローバー捜そう!」(子ども)
「あっ、ママもうみつけちゃったぁ」(ママ)
…ふむふむ、絵に描いたような親子の幸せな休日よのぉ。
「わぁ、また四つ葉みつけちゃった」(ママ)
…ほぉ、たて続けに幸せの象徴みつけたんだ。ラッキーですね(^.^)。
しばらくして、
「ママ、あっちいって…」(パパ)
…???
「なかなかみつからないから」(パパ)
「ねぇ、パパあっちいこうよ」(子ども)
「いや、(四つ葉のクローバー)みつかるまでやる」(パパ)
…ははぁ、パパどうやら、ママだけ四つ葉を二つもたて続けにみつけたのに、自分はみつけられないのがくやしいんですね。
「ねぇ、パパむきにならないでっ!」(子ども)
「いいから、ママと一緒に行っておいでよ。四つ葉のクローバーさがす意外は何やってもいいから」(パパ)
「むきにならないでって言ってるのに!」(子ども)
「○○ちゃん、アイスクリーム食べに行こうか」(ママ)
…ママ、大人の対応ですね。
そして、残ったパパは一人もくもくと四つ葉のクローバーを探し続けてました。
私は、悔しかったら悔しいって表に出せる方がいいなと思うので、表現の仕方は子どもっぽいけど、このパパは素直な人だなぁと思いました。
とはいっても、他人だから面白がって聴いてましたが、もし自分のパートナーだったら「ったくっ!子どもの前で『大人げない』」って、腹たてるでしょうね…(^^;)。
先日あるサイトで「人は大人になんかならないんですよ。大人のふりをするだけです。」って、言葉をみて、なるほどなぁと納得。
大人になると子どもほど感情の表現をしませんよね。
でも、本当に感情が動いてない?
私も今は、めいっぱい感情的な人間になりましたが、数年前まで肝心の所で感情をうまく出せないところがありました。
抑え込んだ感情が大きいと、永久凍土が解けてマンモスが姿を現すかのように、忘れた頃にひょっこり出てくるっていうことがあるんですね。
出てくるのは、感情を抑え込んだときと似たような状況になったとき、そして、その感情を受け止める準備が自分にできているって条件が整っている場合のような気がします。
できれば、リアルタイムで感情が起こったときに、その場でさっさと表に出した方が楽に生きられると思いますが、「社会」ってのは、感情をできるだけ表に出さないことを「大人」として賞賛し、「大人のふり」をすることを要求します。
社会でうまく生きていき、自分の感情ともうまくつきあうために、起こった感情のケアと、どうやって摩擦を起こさず表に出してやるかの技を習得したいもんだなぁ…
。
先日は、私が菖蒲を描いている場所の隣の広場の親子の会話が気になりました。
「ねぇ、パパとママ、一緒に四つ葉のクローバー捜そう!」(子ども)
「あっ、ママもうみつけちゃったぁ」(ママ)
…ふむふむ、絵に描いたような親子の幸せな休日よのぉ。
「わぁ、また四つ葉みつけちゃった」(ママ)
…ほぉ、たて続けに幸せの象徴みつけたんだ。ラッキーですね(^.^)。
しばらくして、
「ママ、あっちいって…」(パパ)
…???
「なかなかみつからないから」(パパ)
「ねぇ、パパあっちいこうよ」(子ども)
「いや、(四つ葉のクローバー)みつかるまでやる」(パパ)
…ははぁ、パパどうやら、ママだけ四つ葉を二つもたて続けにみつけたのに、自分はみつけられないのがくやしいんですね。
「ねぇ、パパむきにならないでっ!」(子ども)
「いいから、ママと一緒に行っておいでよ。四つ葉のクローバーさがす意外は何やってもいいから」(パパ)
「むきにならないでって言ってるのに!」(子ども)
「○○ちゃん、アイスクリーム食べに行こうか」(ママ)
…ママ、大人の対応ですね。
そして、残ったパパは一人もくもくと四つ葉のクローバーを探し続けてました。
私は、悔しかったら悔しいって表に出せる方がいいなと思うので、表現の仕方は子どもっぽいけど、このパパは素直な人だなぁと思いました。
とはいっても、他人だから面白がって聴いてましたが、もし自分のパートナーだったら「ったくっ!子どもの前で『大人げない』」って、腹たてるでしょうね…(^^;)。
先日あるサイトで「人は大人になんかならないんですよ。大人のふりをするだけです。」って、言葉をみて、なるほどなぁと納得。
大人になると子どもほど感情の表現をしませんよね。
でも、本当に感情が動いてない?
私も今は、めいっぱい感情的な人間になりましたが、数年前まで肝心の所で感情をうまく出せないところがありました。
抑え込んだ感情が大きいと、永久凍土が解けてマンモスが姿を現すかのように、忘れた頃にひょっこり出てくるっていうことがあるんですね。
出てくるのは、感情を抑え込んだときと似たような状況になったとき、そして、その感情を受け止める準備が自分にできているって条件が整っている場合のような気がします。
できれば、リアルタイムで感情が起こったときに、その場でさっさと表に出した方が楽に生きられると思いますが、「社会」ってのは、感情をできるだけ表に出さないことを「大人」として賞賛し、「大人のふり」をすることを要求します。
社会でうまく生きていき、自分の感情ともうまくつきあうために、起こった感情のケアと、どうやって摩擦を起こさず表に出してやるかの技を習得したいもんだなぁ…
。No.6
海の底深く響く鯨の超低音は、会場全体を不思議な感覚で包みこみました。
これは、地球交響曲第6番(ガイヤシンフォニー NO.6)の1シーン。
龍村仁監督の地球交響曲最新作(東京都写真美術館にて6/8まで上映)を観てきました。
1992年にNo.1、1995年にNo.2、1997年にNo.3、2001年にNo.4、2004年No.5が発表され、そして今年2007年に発表のNo.6が最新作。
地球交響曲はドキュメンタリー映画で、美しい自然の映像と音楽、そして地球と共鳴しながら生きている人たちへのインタビューで構成されています。
私が地球交響曲を初めて観たのは一昨年のはじめの横浜で行われた第5番の上映会。
このNo.5のテーマは「全ての存在は時空を超えて繋がっている」で、龍村監督ご夫妻の二番目のお子さんの誕生も映画の大きな軸になっています。
No.6は、「全ての存在は響き合っている」というメッセージを軸として、さまざまな音や音楽、鯨の鳴き声、音を奏でている人々の映像と話で構成されていました。
観終わった後、会場を出て歩きながら、ふと「何かがうまくいかなくなった時、自分は周りと響きあっていないのかもしれない」と思いました。
直感で「これはいける!」と思ったら突っ走りがちな私は、たまに行動力があると言ってもらうこともありますが、悪い場合は周りの調整を忘れて一人先まで走っていって、「なんでついてこない!」と勝手に憤っていることがあります。
そんな時は、きっと一人ラッパを勇ましく吹き鳴らし、周りに共鳴していない状態なんだろうなぁなんてイメージが…。いえ、つい昨日会社で心当たりがあったもんで…(^^;)。
「心地良くいい感じ」っていうのは、きっと自分と周りがきれいなハーモニーを奏でている状態なのでしょう。
帰宅後、龍村監督にもらったサインに添えられた「魂の友へ」という文字をみて、「響き合っている?」って自分に問いかけるのを習慣にしようと心に決めました
。
これは、地球交響曲第6番(ガイヤシンフォニー NO.6)の1シーン。
龍村仁監督の地球交響曲最新作(東京都写真美術館にて6/8まで上映)を観てきました。
1992年にNo.1、1995年にNo.2、1997年にNo.3、2001年にNo.4、2004年No.5が発表され、そして今年2007年に発表のNo.6が最新作。
地球交響曲はドキュメンタリー映画で、美しい自然の映像と音楽、そして地球と共鳴しながら生きている人たちへのインタビューで構成されています。
私が地球交響曲を初めて観たのは一昨年のはじめの横浜で行われた第5番の上映会。
このNo.5のテーマは「全ての存在は時空を超えて繋がっている」で、龍村監督ご夫妻の二番目のお子さんの誕生も映画の大きな軸になっています。
No.6は、「全ての存在は響き合っている」というメッセージを軸として、さまざまな音や音楽、鯨の鳴き声、音を奏でている人々の映像と話で構成されていました。
観終わった後、会場を出て歩きながら、ふと「何かがうまくいかなくなった時、自分は周りと響きあっていないのかもしれない」と思いました。
直感で「これはいける!」と思ったら突っ走りがちな私は、たまに行動力があると言ってもらうこともありますが、悪い場合は周りの調整を忘れて一人先まで走っていって、「なんでついてこない!」と勝手に憤っていることがあります。
そんな時は、きっと一人ラッパを勇ましく吹き鳴らし、周りに共鳴していない状態なんだろうなぁなんてイメージが…。いえ、つい昨日会社で心当たりがあったもんで…(^^;)。
「心地良くいい感じ」っていうのは、きっと自分と周りがきれいなハーモニーを奏でている状態なのでしょう。
帰宅後、龍村監督にもらったサインに添えられた「魂の友へ」という文字をみて、「響き合っている?」って自分に問いかけるのを習慣にしようと心に決めました
。