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Cascade

気に障るとかいて気障(きざ)。
気負って描くと、気障というか、すかしてるというか、見てる自分が気恥ずかしくなって、結局ボツというケース多いです(ノ_・。)。
自分で見て恥ずかしいんだから、きっと他の人が見るともっとヤな感じがすることでしょう。

「気負わない」
絵を描くときだけでなく、これは私にとって一番の課題。
結局、一番大変なのは自分自身を観察ながら、自然体の良い状況にもっていくことでしょうか。
また、良いものが描けなくても、ちょっと凹んで、さっさと次に取り組むっていうタフさも大切。
あと、いろんなことに手を出して、気づくとあっちもこっちも中途半端。そろそろ収束に向かわねば…ねo(_ _*)o。

前向きが売りの私らしく、そう、ちょっと凹んだら次へ。
で、次へって英語でなにかなって調べてみたら、cascadeって言葉が出てきました。
さらに調べるとcascadeには、「次へとつなげる」の他に「滝のように落ちる」って意味も。
そうか、水のようにただ任せて落ちてけば、次につながるのね。ふむ。
スランプってほどでもないけど、もう一つサクサク制作が進まない日々の独り言汗


せつめい

顔を描いてみよう。
と思い、顔を描いてます。

これまでのスケッチや自分の記憶を組み合わせて、モデルさんなしで顔を描くと、
下手したら少女漫画か劇画の登場人物のようになってしまいます…。(´д`lll) 。
なんでだろう?
今日電車で見た漫画雑誌の吊り広告の絵が、テストで描いた顔となんか似てて凹みました。
最近の漫画家さんは、デッサン力のきっちりある美大出の人も結構いるので、
漫画とアートは何が違うの?
と問われると、明確に言葉にできないのですが、私的には、感覚で「違う」という線引きがあります。
どっちが良いかってことではなくて、ただ「違う」。
私の中には、アートのランク分けのライン(ホンモノかどうか)も存在しているのですが、
このラインは同一のもののような気がします。
で、私がやりたいのは、もちろんホンモノのアートの方です。

その違いって何かな…と考えるに、
絵を説明してしまっているか、どうかっていうのもあるかもしれません。
  そこにね、花瓶があってね、赤いバラが3本と白いかすみ草が活けられてるのさ…。
っていう状況説明型の絵と、
  バラのね、その赤、赤だったんだよ。
って、描いた人の感じたままがそこにある絵。デッサン力がない絵っていうんじゃなくて、感情や感覚に印象を残すかどうか。

デッサンって、状況説明の勉強とも言えなくはないので、アート志向の人が超えなきゃならない壁の一つに、状況説明の鎖を断ち切るっていうのがあるかもしれません。
断ち切って初めて、デッサンが道具になるのかも。ふむ( ・(ェ)・)。

「で、どうなのよ?」
状況説明型の絵に出会うと、私はこう問いかけたくなります。
自分の絵にこんな質問しなくていい日が来るといいなぁ…ぶーぶー




スキマとアソビ

平和を訴える映画を観ました。
映画…かな?資料映像って言った方がいいかな…。

観る側に共感する余裕を与えないと、ただ、映像から伝わってくる直球すぎるメッセージをドスンとおなかで受けて、かえって拒否反応を与えてしまうことがあるんじゃないかと思うのです。
今回の映像は、おなかでまともに受けて息が詰まりそうになった…そんな感じでした。
映画館を出た後、友達と顔を見合わせて出た言葉は「重かったねぇ…」「顔青いよ…」でしたもの(´_`。)。
映画そのものの主張は○ですが、作品としての映画で観客が引いてっちゃうのは、やっぱり×だろうなぁ…。
せめて、涙を流すことのできる場面が少しでも入っていれば、もう少し救われたかもしれません。

表現したいと思うとき、それを伝えようとするあまり、何でもかんでもそのまま出してしまうことで、かえって伝わらなくなってしまっているものって結構あるような気がします。
以前書きましたが、小林秀雄さんが白洲正子さんに教えられた「書きたいことをそのまま書かずに、その思いを秘めたまま書くと、文章にはおのずとその思いがにじみ、読者がそれを読みとる」って、こういうことなのかも。

読む人や観る人に、読みとる、感じ取る余裕、いわゆる、スキマとかアソビとかが、表現するものには不可欠なのかもしれません。
これが、一番に難しいとこですけどねぇドア


KAO

月1の人物画の会に行ってきました。
今日のモデルさんは、先月と同じ方。
安い費用でモデルさん描かせてもらってるのに、わがままかもしれませんが、あまり好みでないタイプです(ノ_・。)。
以前、どんなモデルさんが好きか書いたことがありますが、「ポーズに気合いが入っていて、何か表現しようとしている」っていう、私のモデルさんに求める条件がなかっただけなんですけどね…。
でも、合わないと描くものが全然違います。別人が描いた?くらいに違うもんなんです。
嘘はつけないよなぁ…とつくづく思いながら、「顔だったら面白いかもしれない」と、全身を描くのをやめて、小さいスケッチブックに顔だけ描いてみました。
先日観たマルレーネ・デュカスの顔には到底およびませんが、やっぱり顔って面白い。
今度から、煮詰まったら顔を描くことにしよう(°∀°)b !
描けなくてグジャグジャしてる時は、結構ストレスなので、今度からこの手でいきます。

そういえば、最近顔チェキっていうのが流行ってるらしいですね。
先日、似顔絵を描こうと思って、携帯で同僚の写真を撮っていたら、となりの課から「顔チェキですか?」の声。
なんでも、正面から撮った顔写真を顔チェキサイトに送ると、どんな芸能人に似ているかをあげて、返信してくれるのだとか。
本人の許可を得て、早速トライしました。
「香取慎吾に65%」。
??????
確かに同僚は濃い顔だけど、似てるかぁ…?
この納得いかなさから、目の高さや大きさなどの数値では表せない部分によって、顔の印象は大きく違うんだろうなと思った次第ですべーっだ!


立体の力

多摩美生涯学習クラス「紙を染める」最終日は、制作時間を早めに切り上げ、残り1時間半は講評会で終わりました。

初日に「どうしていいかわからない」などと言っていた方もいらっしゃいましたが、最後に机の上に並べられたのは、
掛け軸のように表装したり、
自宅で製本して絵本のようにまとめたり、
ランプシェードにしたり、
たくさんの立方体に仕立てて組み合わせたり…、

と様々な工夫を重ねられた、個性豊かな完成度の高い作品の数々。

私のものは、絵の延長の二次元の作品になりましたが、今回、染めた紙を立体にされた方の作品を見て、立体の力に圧倒された気がしました。
それまで二次元でしかみていなかったものが、いきなり高さと奥行きをもって、ものによっては光を加えて登場した目新しさもあると思いますが、「観せる」という気合いの差で、どこか「負けたな」って思いながら観てました。
たとえるなら、昼寝していたウサギの気分。

二次元のものは構図を固定されてしまいますが、立体や本の形にすると、観る人がいろんな順番や角度から見ることができるんですよね。あたりまえですが…(^^;)。
観る人の自由度も立体の魅力の一つかもしれません。
また、布にしろ、紙にしろ、染めたものをそのままで使用するよりも、別の形に仕立てる事の方が多いので、「染め」は手を加えることで引き立つ性質を持っているとも言えるかも。
時々見かける、デッサン力のみ際だった「上手な絵」を観て感じる浅さとは正反対の「形にするぞ!」という気持ちの強さ。
うん、立体とか平面とかの問題じゃなくて、惹きつける力の一番の違いはこれかなぁ。


せっかく道具をそろえたので、私も、これから一手間加える作品づくり、ギリギリまで作り込むってことをろうけつ染めでもやってみます。
負けのまんまじゃ悔しいし…ねにひひ



デュマス

これぞリアル!
マルレーネ・デュマス展(東京都現代美術館、本日最終日)で、久々にいい作品観せてもらいました。

先々月、地下鉄の広告で作品を目にして「おっ、これは…」と思うまで知らなかったのですが、マルレーネ・デュマスは、現存する女性アーティストで、今一番作品が高く(質・価格ともに)評価されているんだそうです。

おもに油絵・水彩を用いた人物画が主な作品でした。その中でも、素晴らしいのが首から上の顔だけ画面一杯に描いたもの。
以前、このブログに「人物描くときに、顔は面白くて、そこだけ描きたくなってしまうので、全身描くときはバランスが取れなくなるのを避けるため、できるだけ顔を描かない」と書いたことがあるのですが、その顔の面白さを思い切りパワーアップして表現したのがデュマスの肖像画です。
冒頭に書いた「リアル」というのは、形や色の写真のような正確さという意味ではなく、感情や性格・思想的なものまで表現されていることを言ってます。(私の解釈ですが…)
形は若干デフォルメている部分もされていますが、これが動きや感情や性格などを観る者に感じさせる要素。
また、パーツによっては(特に目!)、軽めのタッチで描かれているにもかかわらず、根底にある卓越したデッサン力により、非常に生き生きと表情豊かに表現されています。

先々月の日曜美術館で、ちょっとだけご本人の姿を拝見して「飾らない、バイタリティのある女性だなぁ…」と思ってましたが、今日みせてもらった作品から、その人柄やパワフルな女性性が存分にあふれているのを直に感じました。

キュレータートークは期待が大きかっただけに、ちょっとだけ(´□`。)でしたが、常設展では、岡本太郎の「明日の神話」もしっかり観て、久しぶりにアート作品からパワーもらった一日でした宝石緑


声の色2

やっと自分の声の色を見ることができました。
5月に録音した声が、一ヶ月でどのくらい変化したかを確認するための資料です。

どちらの録音も、短い詩を読んだ音声を記録したのですが、5月の声が全体的に暗いのに比べ、6月の声は明るくカラフルで、幅も少し拡がった感じ。
一番下にボイストレーニングを十分に積んだ人のサンプルが載ってるのですが、6月の声は、5月の声とサンプルの丁度中間ぐらいでした。
今受けているクラスは9月で終わりなので、それまでにはもう少しサンプルに近い、幅のある艶っぽい素敵な声になれると思います(たぶん(^^;))。

4月から始めて、この二ヶ月は毎回十分なストレッチをした後、お腹の底に響くような低い声の練習をしてきました。
なんでも、低い声を響かすことから始めると、きれいな高い声も出るようになるんだとか。

どのくらい低い声かっていうと、普段話すレベルの声より、さらに一段低いあまり自然とはいえないくらいの低さ。
先日、なにげなく話していて「ふーん」と声を出したら、「ー」音引きの部分が妙に腹の底に響き、ばつが悪くてあたりを見回しましたヽ(*'0'*)ツ。

そろそろ中域の高さのトレーニングに入るようなので、ふつうの会話に使う声の高さに違いが出てくることを期待してます。めざせ、声美人カラオケ


しにせ


老舗には長い年月で培われてきた「格」が備わっていて、お店に入るだけで気がピッと引き締まる感じが好きです。

版画で教えてもらった彫刻刀を扱う老舗は、棟方志功が生前贔屓にしていた「清水刃物店」。
地味で小さな店構えながら「匠の店」という雰囲気がそこかしこに漂い、お店で応対してくれる方も、まさに職人。
このお店で彫刻刀を買うと、なんだか一人前になったような気分になりますが、実際に余計な力を必要としない刀を使うと、下手でも上手く削れます。

今度、染色の講師の方に教えてもらった染色の道具や材料を扱う老舗は「田中直染料店」。
本店は京都で、東京渋谷のビル一画のお店は支店ですが、そんなに広くないスペースに「染料関連のものなら全て揃えてます」って感じの品揃えでした。
サイトを見る限り、享保18年(1733)創業で、もう2世紀半以上の大老舗です。
今度、京都に行ったら、本店を訪ねてみるつもり。

版画の先生が、「初心者ほど、下手な者ほど、本当は良い道具が必要なんですよね」という話をしてくれましたが、良い道具を使うと、その言葉が本当だなと実感できます。
道具や材料自体の性能が作業効率を高めるのに加えて、「良いもの使ってるぞ」と思うことで、つくる気持ちを盛り上げてくれるのかもしれません。

ちなみに、何で「老舗=しにせ」なんだろ?と思って調べてみたら、「しにせ」は「仕似す=しにす」(まねて似せようと努める。父祖の業を引き継いで守るの意味)の名詞形なんだそうです。
字自体は「古いお店」だけど、あてた読み方で意味を追加したってことでしょうか。

伝統的な技法は、まず「まねて似せる」ことから学ぶべし。ふむあし



絵画の三位一体

構図・コントラスト(明暗)・色味。

二次元で表される絵画には、これらの三つの要素があると思います。←私の持論
絵を描くにあたって、まずは形と色に大別し、さらに色を明度(明るい暗い)・色相(赤・黄・緑など)・彩度(鮮やかか、鈍いか)の3要素に分けるのが一般的ですし、学校でもこのように学びます。
でも、私のこれまでの経験から、色相に明度の違いを加えれば彩度の違いは出るし、彩度の基準(もちろんマンセルなどの記号はありますが…)や個人による感じ方って結構あいまいな気がするので、ここでは、色相=色味とし、あえて彩度を省略。
また、「形」という場合、モチーフの形状を指していると思いますが、背景とモチーフを分けて考えるのは好みでないので、形は構図に含みます。

構図が何を表すか?
これは、描き手の視点と、今描こうとしている絵にどのように対しているか(というか、何を描こうとしているか)、だと思います。
見上げているのか、見下ろしているのか、前から見ているのか、斜めから見ているのか…。
スピード感や時間感覚などを表す場合も。
描き手の人となりや考え方が、最も出る要素といってもいいかもしれません。

明度は何を表すか?
明度の違いで、最もはっきり表されるのは遠近感と立体感。
遠近感と立体感により空間や光が表現されます。
ドラマティックな感じは明暗の大きな違い、ソフトで静かな雰囲気は明度の差をあまり持たせない方が表せます。
また、明度にくっきり差を持たせるかどうかで、堅さ・柔らかさなんていうのも出ます。

【余談】よくいう「デッサン力のあるなし」っていうのは、構図と明度をできるだけリアルに表現する力のことをさします。
リアルであるっていうのは、見た人の記憶にある題材(たとえばリンゴ)が、リンゴらしい(←ここ重要)かどうか。「らしい」っていう感覚は、人に安心感を与えるんですね。
ユニークさや斬新さを表現したければ、リアルでない部分をつくる。
これにより
安心感は崩されるけど、「あれっ?」という感覚を、見る人に与えることができます。

●色味は何を表すか?
これは、色々な意見があると思いますが、それだけでははっきりと形にできないものすべて、抽象的なものを表現できると思います。
季節感や、温度、感情、匂いなどなど。色味でわかるのは、描く人の感性かなぁ。

抽象画であろうと具象画であろうと、これら三つ( 構図・明暗・色味)はどれも重要な要素。
名付けて、絵画の三位一体アート





しみる、しむ、そまる

「紙を染める」クラス第二回目は、いよいよ本格的な蝋(ろう)を使う段階に進みました。

持参したいろいろな紙に、ろうけつ染めを試した結果わかったのは、和紙とろうけつ染めの相性の良さ。
蝋のノリ具合、その上にかける染料の染み加減が、なんともいい感じです(^~^)。
染める素材(紙・木材・布など)の繊維の様子(短いか長いか、太いか細いか)によって、仕上がりがずいぶん違いますが、和紙の場合は、蝋の染みこみが弱いと薄く色づき、蝋がしっかりついていると、くっきりと白く抜け、幅広い表現が得られるようです。

染料は、顔料(油絵の具・水彩絵の具・日本画用絵の具・アクリル絵の具など、いわゆる「絵の具」一般)よりも粒子が細かい色素。

 粒子の大きさは  染料<顔料  こんな感じ。

染料・顔料の違いを「水や油に溶けるものが染料、溶けないものが顔料」っていう説明もあるようですが、要は水や油の分子と色の分子の大きさの大小ではないかと勝手に思ってます。

 たぶん  色<水・油 が「染料」、色>水・油  が「顔料」

水や油が染みこむことのできる素材には、溶けた色も一緒に素材の繊維に入り込んで素材に定着される…っていうのが「染まる」ってこと(たぶん)。
髪の毛を染めるのも同じかもしれません。(これもたぶん)

これまで、着色には顔料しか使ってこなかったので、染料の色鮮やかさ透明感が新鮮です。
染料の性質に慣れて、染料で描くっていうのを何とかモノにして、これまでやってきたものと組み合わせながら、新しい表現を模索してみますアート