Steveがやってきた!
ついにSteveがやってきました(_ _。)。
今回、私は参加しませんが、
今日から三日間の休みと、来週の土日、RBRで「右脳で彫る」というワークショップをやってます。
4月(下記)にも書いたように、
Steveには、会いたいけど、約束守れてないので、会うのにためらいが…。
http://ameblo.jp/honu-turtle/theme-10002511970.html
このまま、知らん顔してようか…なぁ(´_`。)と、情けない考えが優勢になりつつあったのですが、
今日、RBRのマネージャーのはるかさんから
「Steveが会いたいって」
というメールを受信。
ためらいを振り払い、
最後の日の講評会に会わせてRBRに行くことを決め、
はるかさんに、「30日に会いに行くからってSteveに伝えて」
というメールを送信。
今回、クリスティンも受講しているようなので、
頼めば通訳もお願いできそう。
スティーブには、
「まだ英語は聞くのも話すのもダメだから」
って伝えてもらってありますが、
あと1週間の間に
ずーっとお休み中の英会話スクールに復帰して、
付け焼き刃でもいいから、ちょっと慣らしておくことにしましょう
。
今回、私は参加しませんが、
今日から三日間の休みと、来週の土日、RBRで「右脳で彫る」というワークショップをやってます。
4月(下記)にも書いたように、
Steveには、会いたいけど、約束守れてないので、会うのにためらいが…。
http://ameblo.jp/honu-turtle/theme-10002511970.html
このまま、知らん顔してようか…なぁ(´_`。)と、情けない考えが優勢になりつつあったのですが、
今日、RBRのマネージャーのはるかさんから
「Steveが会いたいって」
というメールを受信。
ためらいを振り払い、
最後の日の講評会に会わせてRBRに行くことを決め、
はるかさんに、「30日に会いに行くからってSteveに伝えて」
というメールを送信。
今回、クリスティンも受講しているようなので、
頼めば通訳もお願いできそう。
スティーブには、
「まだ英語は聞くのも話すのもダメだから」
って伝えてもらってありますが、
あと1週間の間に
ずーっとお休み中の英会話スクールに復帰して、
付け焼き刃でもいいから、ちょっと慣らしておくことにしましょう
。Cocoon
ゆっくりの よ う な…
ゆるい よ う な…
やすらいでる よ う な…
ねむい よ う な…
一昨日帰宅したら、マンション全体が白いネットで覆われており、
何とも不思議な雰囲気になっていましたヾ( ´ー`)。
最初に見た時の驚き加減は、朝目覚めて一面銀世界!っていうのにも似てるんだけど、
包まれてるって感じが雪景色とは違ってて、初めてのホアンとした感覚。
時々近所でも見かけていた集合住宅の外壁修繕工事を、今年うちのマンションでも始めたわけですが、
白いネットが、こんな効果を生むなんて思いませんでした。
まるで繭の中にいる感じで、これって妙な安心感と眠気があるんですね。
繭の中のサナギも、こんな感じでうつらうつらしてるんだろか?
繭って言葉を日本語の事典で引いてみましたが、もうひとつ面白くないので、英和辞典でCocoonをみました。
━━n. 繭(まゆ); (繭のように)すっぽりくるむもの, 覆い, 保護するもの.
━━ vt. ((普通受身で)) すっぽりくるむ, 覆う ((in)); 保護する, 守る ((from, against)).
co・cooned ━━ a. (現実との接触を絶って)大切に保護された(人など).
co・coon・ing ━━ n. 家庭の中にこもること; (社会との接触より)家族との生活を重視すること.
(goo辞書:三省堂提供「EXCEED 英和辞典」より)
面白いのが「 cocooning=家庭の中にこもること」。
いわゆる「引きこもり」っていうのは、ネガティブな感じだけど、
繭の中で、変態するのを待ってるって考えると、
そういう時期も必要だよなって思えてきますo(^-^)o。
ネットは数ヶ月かけられたままの予定なので、
はずした時は、また違う感覚を味わえるのではないかと楽しみです
。
ゆるい よ う な…
やすらいでる よ う な…
ねむい よ う な…
一昨日帰宅したら、マンション全体が白いネットで覆われており、
何とも不思議な雰囲気になっていましたヾ( ´ー`)。
最初に見た時の驚き加減は、朝目覚めて一面銀世界!っていうのにも似てるんだけど、
包まれてるって感じが雪景色とは違ってて、初めてのホアンとした感覚。
時々近所でも見かけていた集合住宅の外壁修繕工事を、今年うちのマンションでも始めたわけですが、
白いネットが、こんな効果を生むなんて思いませんでした。
まるで繭の中にいる感じで、これって妙な安心感と眠気があるんですね。
繭の中のサナギも、こんな感じでうつらうつらしてるんだろか?
繭って言葉を日本語の事典で引いてみましたが、もうひとつ面白くないので、英和辞典でCocoonをみました。
━━n. 繭(まゆ); (繭のように)すっぽりくるむもの, 覆い, 保護するもの.
━━ vt. ((普通受身で)) すっぽりくるむ, 覆う ((in)); 保護する, 守る ((from, against)).
co・cooned ━━ a. (現実との接触を絶って)大切に保護された(人など).
co・coon・ing ━━ n. 家庭の中にこもること; (社会との接触より)家族との生活を重視すること.
(goo辞書:三省堂提供「EXCEED 英和辞典」より)
面白いのが「 cocooning=家庭の中にこもること」。
いわゆる「引きこもり」っていうのは、ネガティブな感じだけど、
繭の中で、変態するのを待ってるって考えると、
そういう時期も必要だよなって思えてきますo(^-^)o。
ネットは数ヶ月かけられたままの予定なので、
はずした時は、また違う感覚を味わえるのではないかと楽しみです
。ロンリとカンセイ
宿題にあんなに力入れる必要なかったな…。
これが、RBRの「右脳で書く」講座に参加した感想。
宿題のエッセイは、結構気持ちをこめて重いものを書いてみたものの、クラスの雰囲気からは、若干浮いてしまった気がして、ちょこっと後悔…(^^;)。
講師の考える「右脳で書く」っていうのは、感性の入った文章を書くことでした。
普段の仕事では、できるだけ主観を削いで、平均的にわかりやすい文章にすることが目的なので、
「右脳で書く」文章って、どんなものだろうと、ちょっと期待しすぎたかもしれません。
論理だけで展開する報告書や、感性で書かなきゃ成り立たない詩でない限り、
単純に「文章を書け」と言われれば、論理と感性の混在した文章を書く場合の方が多いのではないかなぁ…。
要は、「お題をもらって、一定の時間と字数の中で、普通の文章をいくつか書く」というのが今回のクラスだったってことです。
せっかくいくつか課題をやったので、参加記念にこの場にも一つ。
【課題】コピーで配られた「百福図」(浮世絵)をみて、絵から感じたことなど何でも良いから、第三者に伝えるための文章を書きなさい。
・頬をゆるめる福の神
「百福図」。
タイトルを見て、思わずもう一度絵の隅々まで見回した。そこに書かれているのは、あまりにも日常的な情景だったから。
容姿端麗の美男美女が並んでいるだけでもなく、馳走の宴が描かれているのでもなく、また、金品お宝の類もない。
画面にあふれているのは、おたふく顔の中年の女性たち。彼女たちに一番ふさわしい呼び名は「おかみさん」。
このおかみさんたちが、家事や子育てする姿、だらしなく寝ころんでの一服や、お茶をすすりながらの談笑の様子からは、
いろんな匂いが漂い、「ふーっ」と煙を吐く音や、甲高い笑い声の混じった近所のうわさ話が聞こえてきそう。
一人一人に目を移していくうちに、頬がゆるむ。
もしかすると、おかみさんの「かみ」は、神様の「神」?これは福の神満載の図だろうか。
気取らないおかみさんたちの風情は、観る者の気持ちを和らげる。ふっと力が抜けてくる。
自然に笑顔を誘うもの。これこそが「福」なのだと納得。

これが、RBRの「右脳で書く」講座に参加した感想。
宿題のエッセイは、結構気持ちをこめて重いものを書いてみたものの、クラスの雰囲気からは、若干浮いてしまった気がして、ちょこっと後悔…(^^;)。
講師の考える「右脳で書く」っていうのは、感性の入った文章を書くことでした。
普段の仕事では、できるだけ主観を削いで、平均的にわかりやすい文章にすることが目的なので、
「右脳で書く」文章って、どんなものだろうと、ちょっと期待しすぎたかもしれません。
論理だけで展開する報告書や、感性で書かなきゃ成り立たない詩でない限り、
単純に「文章を書け」と言われれば、論理と感性の混在した文章を書く場合の方が多いのではないかなぁ…。
要は、「お題をもらって、一定の時間と字数の中で、普通の文章をいくつか書く」というのが今回のクラスだったってことです。
せっかくいくつか課題をやったので、参加記念にこの場にも一つ。
【課題】コピーで配られた「百福図」(浮世絵)をみて、絵から感じたことなど何でも良いから、第三者に伝えるための文章を書きなさい。
・頬をゆるめる福の神
「百福図」。
タイトルを見て、思わずもう一度絵の隅々まで見回した。そこに書かれているのは、あまりにも日常的な情景だったから。
容姿端麗の美男美女が並んでいるだけでもなく、馳走の宴が描かれているのでもなく、また、金品お宝の類もない。
画面にあふれているのは、おたふく顔の中年の女性たち。彼女たちに一番ふさわしい呼び名は「おかみさん」。
このおかみさんたちが、家事や子育てする姿、だらしなく寝ころんでの一服や、お茶をすすりながらの談笑の様子からは、
いろんな匂いが漂い、「ふーっ」と煙を吐く音や、甲高い笑い声の混じった近所のうわさ話が聞こえてきそう。
一人一人に目を移していくうちに、頬がゆるむ。
もしかすると、おかみさんの「かみ」は、神様の「神」?これは福の神満載の図だろうか。
気取らないおかみさんたちの風情は、観る者の気持ちを和らげる。ふっと力が抜けてくる。
自然に笑顔を誘うもの。これこそが「福」なのだと納得。

じこ・ジコ・自己
ワークショップ好きの私が、来週末受講するのは、
「右脳で文章を書く!」produced by RBR
です。
踊ったりヾ(@°▽°@)ノ歌ったりヾ( ̄0 ̄ノ、いろいろやってきましたが、
文章を書くことについて何か特別に教えてもらうのは、初めて。
仕事柄、人の文章にケチ付けていじりまわしてますが、たまには、いじられ役を経験するのもいいかもしれません。
で、今度の「右脳文章」は、事前に宿題をいただきました。
自己紹介と自由なテーマでのエッセイです。
エッセイはいいとして、自己紹介。
書こうとして、ふと考えました。
「自己」ってなによ?
普通に自己紹介っていったら、名前と出身と年齢と、職業と趣味と…って、いろいろな項目を、誰に向けての紹介か考えて、選びながらあげるわけですが、
それじゃつまらない気がして、とりあえず書きだしたら、3通りくらいの文章ができました。
まず、自分が持つ最も古い鮮明な記憶(子どもの時の最初の記憶です)
次に、自分にとって、絵がどんなもので、どうかかわってきて、今どうしてるか(ブログの「これまで」に書いたものを短くした感じ)
最後に、自分と父との関わり
父が亡くなって、もう25年がたちますが、生前はかなりの確執がありました。
亡くなる直前に、「ようやくコミュニケーションできた」と思う瞬間もありましたが、
かなり精神的に痛い体験だったので、父が亡くなった後も、長く深くいろんな面で影響してました。(現在形か?)
これを語ると結構暗めの話になるので、最近もういいんじゃない…とも思いますが、インパクトが強すぎて、どうやらまったく消えてしまうことはないようです。
「自己」を辞書で引くと
1)何らかの同一性・統一性をもった存在自身。
2)行為・実践の対象となるものとしてとらえられた自分自身。
なんて書いてありました。
古い記憶と、絵との関わりは2)の意味での自己紹介で、父との関わりは、1)の意味での自己紹介ってことになのかなぁ…。
まだ、宿題の締め切りまで1週間ありますから、どんな側面の「自己」を紹介するか、も少し悩むことにしましょう
。
「右脳で文章を書く!」produced by RBR
です。
踊ったりヾ(@°▽°@)ノ歌ったりヾ( ̄0 ̄ノ、いろいろやってきましたが、
文章を書くことについて何か特別に教えてもらうのは、初めて。
仕事柄、人の文章にケチ付けていじりまわしてますが、たまには、いじられ役を経験するのもいいかもしれません。
で、今度の「右脳文章」は、事前に宿題をいただきました。
自己紹介と自由なテーマでのエッセイです。
エッセイはいいとして、自己紹介。
書こうとして、ふと考えました。
「自己」ってなによ?
普通に自己紹介っていったら、名前と出身と年齢と、職業と趣味と…って、いろいろな項目を、誰に向けての紹介か考えて、選びながらあげるわけですが、
それじゃつまらない気がして、とりあえず書きだしたら、3通りくらいの文章ができました。
まず、自分が持つ最も古い鮮明な記憶(子どもの時の最初の記憶です)
次に、自分にとって、絵がどんなもので、どうかかわってきて、今どうしてるか(ブログの「これまで」に書いたものを短くした感じ)
最後に、自分と父との関わり
父が亡くなって、もう25年がたちますが、生前はかなりの確執がありました。
亡くなる直前に、「ようやくコミュニケーションできた」と思う瞬間もありましたが、
かなり精神的に痛い体験だったので、父が亡くなった後も、長く深くいろんな面で影響してました。(現在形か?)
これを語ると結構暗めの話になるので、最近もういいんじゃない…とも思いますが、インパクトが強すぎて、どうやらまったく消えてしまうことはないようです。
「自己」を辞書で引くと
1)何らかの同一性・統一性をもった存在自身。
2)行為・実践の対象となるものとしてとらえられた自分自身。
なんて書いてありました。
古い記憶と、絵との関わりは2)の意味での自己紹介で、父との関わりは、1)の意味での自己紹介ってことになのかなぁ…。
まだ、宿題の締め切りまで1週間ありますから、どんな側面の「自己」を紹介するか、も少し悩むことにしましょう
。終わらないディナーパーティ
ふっと、ジュディ・シカゴの名前を思い出してネットで検索。
なんと先月末、16年ぶりに来日して女子美で講演を行ったんだそうです。
行ってみたかったぁ。とても残念( ´(ェ)`)。
Judy Chicago(ジュディ・シカゴ)は、シカゴ生まれのフェミニズム・アートの先駆者です。
私の卒論は「女性像の象徴的表現」と題したものだったのですが、
女性がアーティストであることの意味と、男性アーティストとの違いの疑問を呈することから始まり、
古今東西の女性アーティストを並べて、最後は現代の女性アーティストとしてジュディ・シカゴを取り上げて締めくくりました。
何でジュディ・シカゴだったかっていうと、たまたま本屋で「花持つ女」(PARCO出版)っていうジュディの自伝をみつけ、面白かったから。
作品を真似ることはありませんでしたが、当時の私は闘う彼女の半生をカッコイイと思ったんですね。
「ディナー・パーティー」っていうインスタレーション作品が代表的で、これはテーブルに歴史的に有名な女性の席を設定し、それぞれにデザインされたテーブルクロスと、女性器をイメージした絵柄のお皿が並んでいるものです。
16年前、ジュディ・シカゴが来日することを知った私は、神奈川での講演会に行きました。
何もつくらず、何も描いていなかったし、辛い結婚生活でくたびれ、アートのにおいのするものから遠ざかっていた当時の私にとって、その講演会は刺激的でした。
その時、確かジュディ・シカゴは、パワーゲーム(だったかなぁ)というテーマで、力を振りかざしてきた、あらゆる男性性への抵抗みたいな作品に取りかかっていたように記憶してます。
まさにパワーに押しつぶされそうになっていた私は「そぉなのよっ!!」とえらく心動かされ、アンケートに、その時の感動を支離滅裂に書き殴って会場を出ました。
この時は、すぐに何か影響があった訳じゃないけど…、私が今日ふっとジュディ・シカゴの名前を思い出したのは、「パワー」ってことについて考えていたから。
「パワー」について思いを巡らすきっかけは、先日見たDAYS JAPANの記事。
写真から放たれる負のパワーに、みぞおちのあたりにドスンと鉛の玉を打ち込まれたような怒りと、胸が悪くなる感じを味わいました。
たぶん、パワー自体に良い悪いがある訳じゃなく、要はどう使うかってことなんだろうけど、それが男性性と結びつくのは、本能的に「パワー」を志向する人が男性に多いからなんじゃないかなぁ…。
ってことから考えると、私から見るとジュディ・シカゴさんって、結構男性的なアーティストなんですよね。力に力で対抗してる感じが…(^^;)。
「パワー」に対して、多くの女性(女性性?)が本能的に志向するものって何なんだろうな?
20数年前の私の拙い卒論は「結局、何が言いたいの?」という中途半端なまとめ方でしたが、これをつきつめれば、卒論の結論にたどり着くのかもしれません
。
なんと先月末、16年ぶりに来日して女子美で講演を行ったんだそうです。
行ってみたかったぁ。とても残念( ´(ェ)`)。
Judy Chicago(ジュディ・シカゴ)は、シカゴ生まれのフェミニズム・アートの先駆者です。
私の卒論は「女性像の象徴的表現」と題したものだったのですが、
女性がアーティストであることの意味と、男性アーティストとの違いの疑問を呈することから始まり、
古今東西の女性アーティストを並べて、最後は現代の女性アーティストとしてジュディ・シカゴを取り上げて締めくくりました。
何でジュディ・シカゴだったかっていうと、たまたま本屋で「花持つ女」(PARCO出版)っていうジュディの自伝をみつけ、面白かったから。
作品を真似ることはありませんでしたが、当時の私は闘う彼女の半生をカッコイイと思ったんですね。
「ディナー・パーティー」っていうインスタレーション作品が代表的で、これはテーブルに歴史的に有名な女性の席を設定し、それぞれにデザインされたテーブルクロスと、女性器をイメージした絵柄のお皿が並んでいるものです。
16年前、ジュディ・シカゴが来日することを知った私は、神奈川での講演会に行きました。
何もつくらず、何も描いていなかったし、辛い結婚生活でくたびれ、アートのにおいのするものから遠ざかっていた当時の私にとって、その講演会は刺激的でした。
その時、確かジュディ・シカゴは、パワーゲーム(だったかなぁ)というテーマで、力を振りかざしてきた、あらゆる男性性への抵抗みたいな作品に取りかかっていたように記憶してます。
まさにパワーに押しつぶされそうになっていた私は「そぉなのよっ!!」とえらく心動かされ、アンケートに、その時の感動を支離滅裂に書き殴って会場を出ました。
この時は、すぐに何か影響があった訳じゃないけど…、私が今日ふっとジュディ・シカゴの名前を思い出したのは、「パワー」ってことについて考えていたから。
「パワー」について思いを巡らすきっかけは、先日見たDAYS JAPANの記事。
写真から放たれる負のパワーに、みぞおちのあたりにドスンと鉛の玉を打ち込まれたような怒りと、胸が悪くなる感じを味わいました。
たぶん、パワー自体に良い悪いがある訳じゃなく、要はどう使うかってことなんだろうけど、それが男性性と結びつくのは、本能的に「パワー」を志向する人が男性に多いからなんじゃないかなぁ…。
ってことから考えると、私から見るとジュディ・シカゴさんって、結構男性的なアーティストなんですよね。力に力で対抗してる感じが…(^^;)。
「パワー」に対して、多くの女性(女性性?)が本能的に志向するものって何なんだろうな?
20数年前の私の拙い卒論は「結局、何が言いたいの?」という中途半端なまとめ方でしたが、これをつきつめれば、卒論の結論にたどり着くのかもしれません
。思い出ガチャ2
ブルータスGet!
以前、御茶ノ水の書店レジ脇でみつけた石膏像の出るガチャガチャを、
モナリザもびっくりの新宿の画材屋さんでみつけました。
1)1階下りエレベーターつきあたりに、ガチャガチャマシンが20個くらい上下に並んでいるのを発見。
2)「ぜったいあるはず」と確信を持って、ガチャガチャマシンを見回すと…、ほらあった。
3)さっそく、100円玉を2枚取りだしマシンに投入。
………が、気が急いて取っ手のまわし方が悪いのか出てきません。
あせって取っ手を何度も回しているうちに「ゴトン」という音とともに出てきました。
「前回(聖ジョセフ)と同じものでありませんように」と祈るような気持ちでカプセルを取り出すと、
やたっ!ブルータスヾ(@°▽°@)ノ!
「ブルータスおまえもか!」っていうシーザーの名セリフでおなじみの、あのブルータスです。
たぶん、デッサン回数の多さは3本の指に入るくらいだし、一番思い出深い石膏像かも。
長崎県大村市にいた高校時代、近所に美大受験対応の研究所のようなところがなかったので、
1年生の間、すいどーばた美術学院(通称どばた)っていう目白の美術予備校の通信教育を受けていました。
放課後に部活で描いた石膏デッサンにトレペをかけて送ると、添削して送り返され、夏休みには東京でスクーリングを受けました。
毎年行われる夏期講習には、全国各地から美大をめざす学生が大勢集まるのですが、通信教育のスクーリング受講生は少なく、あまりストレスもなくサクサク描け、
また、次の年のどばたのパンフレットの通信教育紹介ページに私のブルータスのデッサンを載せてくれることになったものですから、
「これはいけるかも?」
と大きな勘違いして、翌夏の夏期講習に参加。
そして、思いっきり自信をなくして帰宅しました(x_x;)。
芸大をめざして浪人している人や、学校が終わったら毎日どばたに通っている都内の高校生の作品は、
細々と美術室の隅でデッサンしている田舎の高校生とは、レベルがまったく違うわけです。
このまま美術めざしてよいものかどうか、ちょっとは迷いましたが、
身の程を知ったよい体験として、その後の勉強に生かすことができました。
ブルータスの載った20数年前のパンフレット?
これは私にとってお宝ですから、大切に大切にとってあります。
今回のミニチュアブルータスは石膏仕上げバージョンだったようで、前回の聖ジョセフ(大理石仕上げ)よりも白いです。
形は20種あって、さらに仕上げが2タイプってことは、全部で40種類。
次はどんな石膏像が、思い出を背負って出てくるかなぁ
。
以前、御茶ノ水の書店レジ脇でみつけた石膏像の出るガチャガチャを、
モナリザもびっくりの新宿の画材屋さんでみつけました。
1)1階下りエレベーターつきあたりに、ガチャガチャマシンが20個くらい上下に並んでいるのを発見。
2)「ぜったいあるはず」と確信を持って、ガチャガチャマシンを見回すと…、ほらあった。
3)さっそく、100円玉を2枚取りだしマシンに投入。
………が、気が急いて取っ手のまわし方が悪いのか出てきません。
あせって取っ手を何度も回しているうちに「ゴトン」という音とともに出てきました。
「前回(聖ジョセフ)と同じものでありませんように」と祈るような気持ちでカプセルを取り出すと、
やたっ!ブルータスヾ(@°▽°@)ノ!
「ブルータスおまえもか!」っていうシーザーの名セリフでおなじみの、あのブルータスです。
たぶん、デッサン回数の多さは3本の指に入るくらいだし、一番思い出深い石膏像かも。
長崎県大村市にいた高校時代、近所に美大受験対応の研究所のようなところがなかったので、
1年生の間、すいどーばた美術学院(通称どばた)っていう目白の美術予備校の通信教育を受けていました。
放課後に部活で描いた石膏デッサンにトレペをかけて送ると、添削して送り返され、夏休みには東京でスクーリングを受けました。
毎年行われる夏期講習には、全国各地から美大をめざす学生が大勢集まるのですが、通信教育のスクーリング受講生は少なく、あまりストレスもなくサクサク描け、
また、次の年のどばたのパンフレットの通信教育紹介ページに私のブルータスのデッサンを載せてくれることになったものですから、
「これはいけるかも?」
と大きな勘違いして、翌夏の夏期講習に参加。
そして、思いっきり自信をなくして帰宅しました(x_x;)。
芸大をめざして浪人している人や、学校が終わったら毎日どばたに通っている都内の高校生の作品は、
細々と美術室の隅でデッサンしている田舎の高校生とは、レベルがまったく違うわけです。
このまま美術めざしてよいものかどうか、ちょっとは迷いましたが、
身の程を知ったよい体験として、その後の勉強に生かすことができました。
ブルータスの載った20数年前のパンフレット?
これは私にとってお宝ですから、大切に大切にとってあります。
今回のミニチュアブルータスは石膏仕上げバージョンだったようで、前回の聖ジョセフ(大理石仕上げ)よりも白いです。
形は20種あって、さらに仕上げが2タイプってことは、全部で40種類。
次はどんな石膏像が、思い出を背負って出てくるかなぁ
。蓮の元にて…
「まだ咲いてますよ」の言葉をたよりに、三渓園に蓮を訪ねました。
7月末から先週まで、週末のみの早朝観蓮会なるものが行われていたらしいのですが、今週からは通常営業。
花の数が少ないかなぁと心配してましたが、結構花もつぼみも残っており、花が散った後のシャワーの頭みたいな部分(何て言うんだ?)も面白くて、十分に堪能できました。
つば広帽子に長袖と紫外線対策は万全のはずでしたが、炎天下でスケッチするには、修行に近い暑さ。
サンダル履きの足の甲がジリジリ焦げ、汗がツーっと流れ落ちるのを感じつつ、スケッチすること2時間弱。
熱射病になって倒れても迷惑なので、絵の具をしまって、この期間限定で公開されている臨春閣・白雲邸という建物を観に行きました。
これまでも、園を訪れたことはあるのですが、建物内部を観るのは初めて。
何でも重要文化財に指定されている臨春閣は、江戸初期に紀州徳川家が建てたものを移築したものだそうです。
8畳間(畳の敷き方が変わってました)4部屋が、田の字型に配置されているのがめずらしいんだとか。
晩年過ごしたという白雲邸も、書斎のつくりや、瀟洒な螺鈿の細工などが素敵でした。
幼い頃から南画を学び、漢学、詩文の素養もあったという横浜の実業家原三渓さん。
「的」ではない、確かな「眼」の持ち主だったようですo(^-^)o。
最後に三渓記念館で原家の調度品や、三渓さん自筆の絵や書を拝見。
花は蓮がとくにお好みだったそうで、8/16が命日だとか。
願わくば、蓮の元にて夏死なん…
と言ったどうかは知りませんが(^^;)、何とも見事に名を残す一生だな…と思った夏の一日
。
7月末から先週まで、週末のみの早朝観蓮会なるものが行われていたらしいのですが、今週からは通常営業。
花の数が少ないかなぁと心配してましたが、結構花もつぼみも残っており、花が散った後のシャワーの頭みたいな部分(何て言うんだ?)も面白くて、十分に堪能できました。
つば広帽子に長袖と紫外線対策は万全のはずでしたが、炎天下でスケッチするには、修行に近い暑さ。
サンダル履きの足の甲がジリジリ焦げ、汗がツーっと流れ落ちるのを感じつつ、スケッチすること2時間弱。
熱射病になって倒れても迷惑なので、絵の具をしまって、この期間限定で公開されている臨春閣・白雲邸という建物を観に行きました。
これまでも、園を訪れたことはあるのですが、建物内部を観るのは初めて。
何でも重要文化財に指定されている臨春閣は、江戸初期に紀州徳川家が建てたものを移築したものだそうです。
8畳間(畳の敷き方が変わってました)4部屋が、田の字型に配置されているのがめずらしいんだとか。
晩年過ごしたという白雲邸も、書斎のつくりや、瀟洒な螺鈿の細工などが素敵でした。
幼い頃から南画を学び、漢学、詩文の素養もあったという横浜の実業家原三渓さん。
「的」ではない、確かな「眼」の持ち主だったようですo(^-^)o。
最後に三渓記念館で原家の調度品や、三渓さん自筆の絵や書を拝見。
花は蓮がとくにお好みだったそうで、8/16が命日だとか。
願わくば、蓮の元にて夏死なん…
と言ったどうかは知りませんが(^^;)、何とも見事に名を残す一生だな…と思った夏の一日
。かなめ
ロウケツ染めの手法で、扇をつくってます。
昨年、個展をやらせてもらった山荘画廊で購入した扇の用紙を引っ張り出してきて、ロウと染料を用いて紙染めし、抽象っぽい作品にしてみてます。
もう少し作品がたまったら、扇の骨をつけてもらって仕上げる予定ですが、畳んだときにどんな風になるかがちょっと不安でもあり、楽しみでもあります。
ところで、この扇の骨を止める金具を「要(かなめ)」っていいますが、要の下は「女」。
どんな意味かなぁ…と、久々に漢字事典を開いてみました(^.^)。
「女子の腰骨の形」
だそうです。「腰」って右側が「要」ですもんね。
腰は人の身体のもっとも大切な所だから「かなめ」。
ちなみに「くび」も重要な部分で「領」と表し、
要とくっつけて「要領」で、物事の最も大切なことの意味なんだとか。ふぅ~ん( ・(ェ)・)。
実は今日から夏休み。
明日は久々にスケッチに行く予定。
暑いけど、「腰」すえてがんばろ
!
昨年、個展をやらせてもらった山荘画廊で購入した扇の用紙を引っ張り出してきて、ロウと染料を用いて紙染めし、抽象っぽい作品にしてみてます。
もう少し作品がたまったら、扇の骨をつけてもらって仕上げる予定ですが、畳んだときにどんな風になるかがちょっと不安でもあり、楽しみでもあります。
ところで、この扇の骨を止める金具を「要(かなめ)」っていいますが、要の下は「女」。
どんな意味かなぁ…と、久々に漢字事典を開いてみました(^.^)。
「女子の腰骨の形」
だそうです。「腰」って右側が「要」ですもんね。
腰は人の身体のもっとも大切な所だから「かなめ」。
ちなみに「くび」も重要な部分で「領」と表し、
要とくっつけて「要領」で、物事の最も大切なことの意味なんだとか。ふぅ~ん( ・(ェ)・)。
実は今日から夏休み。
明日は久々にスケッチに行く予定。
暑いけど、「腰」すえてがんばろ
!的・てき・TEKI
「的」がついているのと、ついていないのではどう違うのだろう?
「縁は異なもの」という河合隼雄さんと白洲正子さんの対談本の中に、
青山二郎の「精神は尊重したが、『精神的』なものは認めなかった」は名言である。
という一文を読んで思いました。
河合隼雄さんは、白洲正子さんの「いまなぜ青山二郎なのか」の中のこの言葉がいたく気に入られたようで、この本の中で何度も引用されています。
ここでいう「的」は、ホンモノじゃないのにホンモノらしく装っている…ってことでしょうかね。
「的」がつくのか、つかないかを判断するのは、おそらくは観る人が持っている「眼」。
「モットモらしいんだけど、なんかウソ臭いんだよな」って時は、「的」だと思った方がよさそうです。
本の中で河合さんは白洲さんをサムライと称していますが、
確かに「精神は尊重したが…」は、名刀を一はらいしたようなスパッとした切れ味。
「的」では吐けないセリフですね。
冒頭の「揺れる世紀末日本」では、BIGなお二人だから言えるよね、というストレートな言葉の応酬。
また、全編を通してお互いを持ち上げあうところが、ちょっと気恥ずかしくはありますが、
こんなBIGな人たちって、アイドルとして「いて欲しいな」と、「的」な私は思います(b^-゜)。
このような方たちも世を去ってしまい、
現存するBIGなアイドルって誰だろう?
「縁は異なもの」という河合隼雄さんと白洲正子さんの対談本の中に、
青山二郎の「精神は尊重したが、『精神的』なものは認めなかった」は名言である。
という一文を読んで思いました。
河合隼雄さんは、白洲正子さんの「いまなぜ青山二郎なのか」の中のこの言葉がいたく気に入られたようで、この本の中で何度も引用されています。
ここでいう「的」は、ホンモノじゃないのにホンモノらしく装っている…ってことでしょうかね。
「的」がつくのか、つかないかを判断するのは、おそらくは観る人が持っている「眼」。
「モットモらしいんだけど、なんかウソ臭いんだよな」って時は、「的」だと思った方がよさそうです。
本の中で河合さんは白洲さんをサムライと称していますが、
確かに「精神は尊重したが…」は、名刀を一はらいしたようなスパッとした切れ味。
「的」では吐けないセリフですね。
冒頭の「揺れる世紀末日本」では、BIGなお二人だから言えるよね、というストレートな言葉の応酬。
また、全編を通してお互いを持ち上げあうところが、ちょっと気恥ずかしくはありますが、
こんなBIGな人たちって、アイドルとして「いて欲しいな」と、「的」な私は思います(b^-゜)。
このような方たちも世を去ってしまい、
現存するBIGなアイドルって誰だろう?

紙の原型
最近、出張やら、マンションの理事会やらバタバタしていて、
落ち着きません(´_`。)。
それでも、せっかく道具を揃えたロウケツ染めを何とかモノにしたいと、
筆を動かしては、ボツが増えていく…。
コツをつかむには、もう少し経験が必要なようです。
そんな中、染める材料として、出張先の盛岡駅でみつけた「経木(きょうぎ)」に注目しています。
材は南部赤松だそうですが、材木としては商品にならない木を、紙のように向こうが透けるほどに薄く削ったものです。
今はほとんど発泡スチロールの容器に代わりましたが、昔は、おにぎりや納豆、おさしみなんかを盛るのに使われてました。
この経木に染料をかけると、何とも言えない蝶の羽のような美しい光沢が出るのですw川・o・川w。
木目がそのままなので、意図的に何か描くのは結構大変で、筆にまかせて色をのせていく方法がよさそう。
これからいろいろ試して、色と光を楽しんでみようと思っています。
この経木。
死者への供養のための経文を書き込むのにも(というか、きっとこちらが元)使われたりして、
紙が普及する前に、何かを記録するためのものだったようです。
紙の原型なんだと思うと、感慨ひとしお
。
落ち着きません(´_`。)。
それでも、せっかく道具を揃えたロウケツ染めを何とかモノにしたいと、
筆を動かしては、ボツが増えていく…。
コツをつかむには、もう少し経験が必要なようです。
そんな中、染める材料として、出張先の盛岡駅でみつけた「経木(きょうぎ)」に注目しています。
材は南部赤松だそうですが、材木としては商品にならない木を、紙のように向こうが透けるほどに薄く削ったものです。
今はほとんど発泡スチロールの容器に代わりましたが、昔は、おにぎりや納豆、おさしみなんかを盛るのに使われてました。
この経木に染料をかけると、何とも言えない蝶の羽のような美しい光沢が出るのですw川・o・川w。
木目がそのままなので、意図的に何か描くのは結構大変で、筆にまかせて色をのせていく方法がよさそう。
これからいろいろ試して、色と光を楽しんでみようと思っています。
この経木。
死者への供養のための経文を書き込むのにも(というか、きっとこちらが元)使われたりして、
紙が普及する前に、何かを記録するためのものだったようです。
紙の原型なんだと思うと、感慨ひとしお
。