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大人の決断

(´_`。)
いやぁ、そんなにうまくいくわけないと思ってました。
そういやぁ、前回も前々回も早め早めを心がけましたが、
結局ギリギリまで時間使いましたよねぇ…。
同じ状況にならないと思い出さないなんて、学習能力ないんじゃないのぉ?私(-""-;)。

版画が…
やっぱりダメです。

年末年始に、
「うん、これでいこう!」
とサクサク仕上げに入りましたが、ここにきてどうにも納得がいかない。
…攻めてないんですね。
甘いんです。

こんな時は、やり直すしかないのは重々承知ですが、
アートの何たるかを知らない心の中のもう一人の私が
  「っえぇー、あの時間は?労力は?紙は?板は?」
と騒ぎます。
騒ぐだけ騒がせたら潔く諦めるのが大人ってもんです。(そうかぁΣ\( ̄ー ̄;)?)

ということで、DMに版画を載せられるかどうかわかりませんが、
残りの時間で、途中から仕切り直しです。
前も思ったんですが、
結局時間って余りなんてなくて、必要な分きっちりなんですよね。そうなんです叫び


Team RBD

Team RBD Club Special Eventがあるから来ない?
というメールを受信。

そろそろ個展の打ち合わせにいかなきゃと思っていたし、
他ならぬKristinの誘いなら、ぜひ行かねば(≡^∇^≡)。
ということで、昨晩久しぶりにRBRに行ってきました。

チームRBDっていうのは、
Right Brain Drawingクラス(通称5Days)を受講した人は、誰でも参加資格があって、
クラス受講後の様子をシェアしたり、
いろんな人の話を聞いたりするグループなんだそうです。
で、昨日がその記念すべき第1回目のSpecial Event。
講師は、RBRでペースメソッドという方法でピアノを教えている広子先生。

面白かったのは、描いた絵を譜面化して演奏してみるというもの。
私が描いた絵は三次元を意識していたので、左から時間を追って演奏というのが難しく
「部分的にしか音出せないんですよねぇ」
という私に
「そんなことないわよ。好きなパートを好きな順番で演奏するって方法もあるよ」
と広子先生、私の譜面(抽象的な絵)を鍵盤の前に置き、
「ほら、ここの固まりっぽいのは、拳固をつかってひくと…」
と、いきなり奏でられる現代音楽\(゜□゜)/。

自分では、同じようにひけないけど、
アナログな手段で、絵をそのまま音楽にするっていうのが面白かったです。

ギャラリー担当のNicoleとも、少しだけですが個展の話をしました。
すっかり忘れてましたが、RBR Galleryには二ヶ月前までにDMつくらなきゃいけないって
ルールがあるのです。
忘れてた事に慌てましたが、今回は今までより早めに、作品をデータ化してるので、
なんとか間に合いそう。
館内の写真もあちこち撮ってきたので、これからどこにどれをかけるかの構想を練って…
具体的になってくると、だんだんプレッシャーも感じてきます。
がんばろ馬

素描

お題
「『過去のわたし』というテーマで800~1000字の文章を書きなさい。」

多摩美生涯学習のDMの中に、どうしても気になった講座があり、申し込んでみました。
「エッセイで自分を見つめる」講師は太田治子さん(全3回)

太田治子さんといえば、ご自身も作家ですが(すみません、作品読んだ事ないですm(u_u)m)、
あの太宰治氏の娘さんで、そのお母さんは「斜陽」のモデルということで有名。
確か、私が高校生か大学生くらいのときの日曜美術館のアシスタントでもありました。
タレントではないので、愛想振りまく感じではなかったと思いますが(^_^;)、
(あっ、今の檀ふみさんは、女優さんだけあってにこやかですね)
静かな語り口の、芯のしっかりした印象の方だなぁと記憶してます。

で、早速宿題の「過去のわたし」。
これが予想以上に難航してます。
とりあえず、書いてみて2~3日おいたのですが、どうもしっくりこない。
そんなんで、別に書き直してみました。
  「なんとかいけるかな…」
という気がしてきたので、これを土台にする事に決定。

入れ替える
言い換える
削る
加える


これまで自分自身の文章を、こんなにこねくりまわしたことはなかったかもしれません。
まるで、絵を描いている感じ。

ある程度描いたら、少しおいて遠くから眺めてみて、
手を加えたり、消したりする。
なおしたら、また全体をみて…


そうか、文章でも絵と同じように素描=デッサンができるんだぁ…と、ちょっと感動。
どこまでやれば完成か、どこで落とすかっていうのは、
絵と同じように自分の感覚で決めること。

講座初日までは、納得いくまでこねまわしてみようかと思っているところです足あと
(個展前なのに余裕じゃん、私。これって一種の逃避だろうか(^_^;))

衣装合わせ

そろそろ順番に展示できる形にしておこうと、
いくつかの作品を
スキャニングしてもらった後、
額を発注してきました。

スキャニングしておくのは、
サイトにupしたり、DMつくったりするためと、
運良くお嫁に行ったときに、どんな作品だったか何も残らないのは寂しいから。

データにしてパソコン画面で見ると、
いつも見慣れたスッピン顔の人が、突然フルメイクで現れたような驚きがあります。
コントラストが強くなるのが、その原因ですが、
画面見ながら照れている自分が変…(^_^;)。

額は、これまでと同じように、ある程度の品揃えがあって、割引のきく世界堂に頼みます。
前回までは、展示した時の統一感を重視して額を選びましたが、
今度展示するRBRは、前回までの画廊専用のスペースとは異なり、
ワークショップを行う教室の壁に作品を展示することになるので、
統一感を求めるのは無理。
そこで、それぞれの絵に合うものを選ぶことにしました。

ためつすがめつしながら、作品を合わせ、仕上がりをイメージして額を選び、
マットの色や額から作品までの長さを決める…。

正直言うと、昨年までは、ちょっと他人事感があったのですが、
だんだん気持ちも乗ってきて、
  「個展やるんだ!」
と、自分の中ではっきりくっきり現実感を帯びてきました。

額装っていうのは、絵に服を着せるような感じかな。
他のものも、早めに服着せてやれるように、着々進める予定です走る人


MA・N・GA

「これ面白いよ」
昨年の暮れ、友人がDVDを貸してくれました。

欲しいものは、自分でさがして手に入れるってことに変な満足感を覚える私は、
人から勧められた時点で、大きく興味を失ってしまうのが常。
  (勧めてくれた人にもよるけど…(^^;))
しかも、総ざらいで大忙し、年賀状も出来ていないという状況の中だし、
「あ゛ー、ったく…、なになに?『鉄コン筋クリート』?ふーん…」
とか言いながら…、結局観ました(*゚ー゚)ゞ。

…………
…………アートだな…これは…
…………すごい…

宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』を初めて観た時に、
「アニメで泣けるなんて」と感動しましたが、
この『鉄コン筋クリート』(2006年公開、マイケル・アリアス監督、STUDIO4℃制作)で、
初めてアニメにアートを感じました。
言葉にしてしまうと薄っぺらいのですが、結局発する言葉は「すごい」の一言。

まったく読まない訳じゃないけど、漫画の世界に疎い私は、
原作者の松本大洋さんを知らず、
どうしても原作(10年前に連載)を読みたくなって、Amazonで購入。

一気に読んで、もう一度味わうように読み直す…。
マンガだアニメだデザインだイラストだ…って
ジャンルで括ってどうこういうことのくだらなさを思い知らされました。
それでもあえて言うならば、現代版ピーターパンってとこかな。
「絵本」か「おとぎ話」
(中途半端な教訓抜きのヤツ、毒気の生きてるオリジナルなおとぎ話)
の世界です。

何かや誰かに例えること自体、愚かなこととは思いつつ、
絵についてもあえて例えるならば、イラストレーター伊坂芳太良さんの作品が
各コマに凝縮されているような感じ。

いいものは、波として伝わっていくもの。
マイケル・アリアス監督が、
原作を読んで「どうしても映像化したい!」と思った気持ち、
わかります。

美しさの中に、かすかににじみ出る毒気
毒気の中に、にじみ出る美

ピタっとこないなぁと思いつつ、
私の語彙の中では「毒気」っという言葉しか思いつかないけど、
私が「アート」だと感じるのは、こういう部分さそり座




A Happy New Year!

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

何とか大晦日には、最後に残ったアトリエ(とよんでいる部屋)の掃除を終えて、
穏やかな新年を迎えています。

今年二日目、まず行ったのは
  ぼ~~~~~っと( ̄ー ̄)
すること。

いろんな考えが涌いてきて、つまんないことが頭から離れなかったりするのですが、
それもそのままにして、自分でいい加減イヤになるまで放っておきます。
するってぇと(何で落語調?)、つまんないことがホントにつまんなくなってきて、
だんだん小さくなったり、すとんと腑に落ちる瞬間がきたりします。(大抵は)
頭の掃除とでも申しましょうか、私にとっては結構大事。
そうしてるうちに、
  ふむ、次のテーマはこれにしよう( ・(ェ)・)
なんて、考えが浮かんで、資料を集めたり、本を開いたり、
ゴソゴソと動き始めます。

資料を眺めながら、スケッチブックに何やら描いてみる。
  何かしっくりこない…(´□`。)
それでも、いくつか描いてるうちに、最初の考えとは方向違うけど、
  あっ、これでいってみよう(・∀・)!
って、ひらめいたりして、だんだんと形になっていきます。

最初の考えって、結構頭の表面の部分で考えているので、
ボツになることが多く、途中で方向替えたり、やり直したりしたものの方がうまくいきます。

気負いなくいい感じでスタート切れたかなぁ(^.^)、
なんて、ちょっと幸せ感じてるお正月鏡餅


賀状製造工場

年末の総ざらいが思いの外大変で、今頃、年賀状つくってます。
(元日着はすでに無理ですね(^^;))

以前にも書いたことがあるのですが、
年賀状は、その時々の自分の状況の記録みたいな意味もあるので、
ちょっとこだわりたいのです。

まずは、来年の干支ねずみの絵を描いてみました。
 おっ、何かいいかも(・∀・)。
ねずみは、これでいくことにして、あとは全体のデザイン。

毎年紙の種類も貼り方も違うのですが、ここ数年は「紙を貼る」っていうのを続けていて、
今年もその要素を取り入れることに決定。

ねずみの絵をスキャナで読んで、パソコンに取り込み、
ねずみの位置とその他の文字の位置決めをし、
出力紙を持って、芸と手作りホビーのコミュニティ「ユザワヤ」へ。
何となく目出度そうな雰囲気をキラキラしたもので出したいので、
ラメ入りの糸を入手した後、
和紙のコーナーで合いそうな色合いの紙を購入して帰宅。
 しかし、………(ノ_・。)
 むんぅ…どうにも収まらない…。゚(T^T)゚。。
なんとか糸を使おうと試してみるのですが様にならず、
また、買ってきた紙も切り方が一定にならず、
100枚くらいのものを同じ質に仕上げるのは、相当な労力を要することが判明。
問題発生です。

年賀状を作る際に大事にしているのは、一手間かけた感の演出と効率。
効率が悪いと、出来具合にばらつきが出るので、
自分で気に入らない出来のものを誰かに送ることになります。
それは、避けたい。

「絵を描くところからやり直そうか」
それとも「他のアイディアで何とか修復できるか」
と、悩むこと数日(_ _。)。

結果、「他のアイディア」を模索することにして、伊東屋の和紙コーナーへ。
ある程度のキラキラ感をそなえた紙をみつけ、
色違いの紙と組み合わせて、アイディアを練ります。
 うん、何とかいけそう…(*゚.゚)ゞ
な気がしてきたところで、紙を購入。

最初のデザインを手直ししながら、パソコンでシミュレーションを重ね、
買い直した紙を使ってテスト。
2008年の年賀状のデザインが決まり、
ようやく、気持ちが落ち着き、これで年が越せます。

来年は、どんな年になるでしょう?
今年より、ぜったいにいい年になるってことに、根拠のない自信を感じる私ですグッド!

Code

片付け・整理は、いよいよ、これまでつくってきたものに及びます。

まずは、「ボツ」という判断を下したもののゴミ箱行きにはせず、
そのまま重ねてあったものをチェック。
大概は、そのままゴミ箱行きなのですが、
「これはとっとこうε=(。・д・。)」
と思うものもありました。
ゴミ箱行きか、そうでないのかについては、
私なりの決まりというか線引き=Codeがあるようで、
結構悩まずに、ぱっぱか作業は進みます。

次に、作品として表に出そうと思っていたものもチェック。
「これはゴミ箱(´_`。)」
というもの、やはりありました。

判断の基準になっているCodeって、どういうものなんだろ?
と、頭で考えて挙げると、
・描きたいものが表れているか?
・バランスがよいか?
など、いくつか出ますが、
結局は理屈じゃなくて、感覚が決め手になっていて、
きれいな部分と、かすかな毒気みたいなもの(?うーんうまく言えてない)がバランスできてると感じるものには、文句なくOK出してるようです。

作品に限らず、いろんなモノを整理してみると、
今の自分が何を大事だと思っているのかが、ちょこっと見えてくる気がします。

制作の方も、もう一頑張り整理して、新たな気持ちで再スタートする予定走る人


2Rで締め

Accomplish
英会話のレッスンの中で、先生が使ったこの言葉がわからず、意味を聞きました。
たとえば…と、いくつか例をあげてくれるんだけど、
説明がよくわからない(-""-;)。
かれこれ、10分近く説明を受けて、私の方が、もういいやモードになり、
何となく「前向きに何かを行動すること」みたいな感じをつかんだところで、
腑に落ちてないけど、先に進みたいので、とりあえずI see┐( ̄ヘ ̄)┌.

帰ってから辞書を引くと、「仕上げる」とか「成し遂げる」って意味でした。
今年「成し遂げたこと」…、
振り返ってみると、特に後半は自分の意思や意図とは別のパワーに振り回されて、
精神的にくたびれきって、同時並行的に身体面もあっちこっちガタガタ。
こんな状態で作品も一向に進まなかったしなぁ…、
目標に向かってパッパカ駆けていくのが大好きな私としては、
accomplishできたものが思い当たらないのは、むなしいです(w_-;。


心身共にメンテして、元気になってきた今、
無性にやりたいのが「捨てる」ことと、新しいものに「替える」こと。
クローゼットの整理をしたら、はずみがついて、
「あれもいけるかも」「これも捨ててみよう」「これは新しいものに」
と、いろいろ欲(?)が出てきました(^^;)。
今年最後の総括は、
Reduce(削減する)とReplace(切り替え)
の2Rで締めくくりです。

捨てて、替えて、すっきりして来年に備えますカメ


体験→経験→体験→経験→体験→経験…

「体験」を「経験」するためには、なんらかの言語化が必要である。

先日聞いた教育学のえらい先生の講演のなかで、この言葉が残りました。
ふーむぅ…( ・(ェ)・)。
辞書なんかを見ると、「経験」は知性的な一般化がされていて、
その点で、「体験」は「経験」よりも人格的、個性的なんだとか。

私の勝手な解釈ですが、
「うわぁーっ!!!」\(゜□゜)/って感じが、
「うわぁーっ!!!」だけだと体験で、
「うわぁーっ、何これ?!!!」「うわぁーっ、きれい!!!」「うわぁーっ、きもい!!」
ってなると、経験って言えるってこと何じゃないかと思います(そかな(^^;?)。
「経験」は体験してない第三者と共有できるけど、「体験」は当事者にしかわからない。

体験→経験への以降は、たぶん言語化だけじゃなくて、
視覚化であっても、聴覚化(って言う?)であってもいいはずで、
あらゆる表現は、体験を経験に変えるという行為。
そして、表現されただれかの経験は、それを読んだり、観たり、聴いたりした人に体験を生み、
さらにそれの経験を表現するとすると、だれかに体験として伝わり…。

つまりは、That's Communication!ってことでしょうか。
体験→経験→体験→経験→体験→経験…
無限に続く可能性もあるけど、誰かが体験で止めたところでは終わるんだよなぁ…、
んっ?表に出さず自分の中で経験として留めるというケースもありかぁ…。

なんて、ちょっと面白かった体験を経験にしてみましたビックリマーク