日韓年の差夫婦☆バイリンガル☆脱ステ -27ページ目
毎日が楽しくて高収入な
夜の仕事、ホステス
そんな 20年間に終止符を打ち
ハワイに渡ることを決意 
心が子供から大人へと
成長する過程での
私の思考と価値観の変化を
ここに書いて残そうと思います
2016年から書き始め
途中で放置をしてしまったので
リタイプしながら再投稿します。
水商売次代のお話が主になりますが
良かったら読んでください 
時給が高くて
名前が格好が良い英語
黒とシルバーを基調とした
CooLなお店だったので
ビリヤード台のあるBarだと
勘違いした末に
ホステスデビューを
することになった、私
そんなお話の続きです 

私は171cmと長身なので
17歳当時も、黙っていれば
20~23歳に見られることが
多かった気がする。
でも、喋れば
中身はまだまだ子供で
そんなことも知らないの?
っていうことが沢山あった。
例えば、お店でお客さんに
おつまみの注文を受け
それを厨房の男の人に
伝えにいくと
レバ刺しにタコわさ?
居酒屋じゃあるまいし
そんなメニューうちにはないよ
と、言われ、お客さんに
からかわれているのもわからない。
うちの父は
お酒を一滴も飲めなかったので
家にアルコールはなかったし
どんなものが酒のツマミで
なにが居酒屋のような
メニューなのかも
わからないし
居酒屋で「お通し」というものが
存在することも知らない。
そして、そのお店で
初めて知ったのが
酒に酔う人の存在
お酒を飲んでいても
全然、いつもと変わらず
温厚の人もいるのに
入店した時から
いやに横暴で横柄で
目に付いた人に絡んでいく人いて。
そういう男の人が来店すると
猛獣使いのような女の人が
その人を担当して
上手に機嫌をとり
他のお客さんに迷惑が
かからないよう
良い子にいさせていたり
するんだけど。
そんな感じで
お酒を飲んでいる大人たちが
私にいろいろと
話しかけてくるんだけど
それらが
ジョーダンなのかも
本気でいっているのかも
全然区別がつかなかった
当時17歳の私。
だって、誰かに
からかわれる経験?
今で言うと「いじられる」
経験っていうの?
そういうのがなかったし
酔った大人の中で
面白い会話をしながら
笑いあう
なんていう経験はゼロなわけで。
大人が言ったことは
なにも疑わず
すんなり、ふーんと
受け入れてしまうというか。
ソロで来ていたお客さんに
ほうじ茶ちゃん、自転車でしょ?
帰り、後ろに乗せて行って!
と言われて
その人のことは嫌いじゃないし
別に普通に、あ、いいよ!
って答えて
帰りは一緒に
帰るつもりでいると
他のお姉さんたちが
こらこら、だめだめ!
この子、なんでも
信じちゃうんだから!
ほうじ茶ちゃん
お客さんを乗せていくとか
送るとか
そんなの絶対しちゃだめよ
そんな感じだったと思う。
(そう言われても心の中では
え?なんでダメなの?
みたいな 
)
スマートフォンもSNSもない
あの時代
電波に乗ってくる映像や文字から
新しい世界を知って
知識を得るなんてことは
ほぼ出来なかった
だから
人との繋がりを作るのも
知らない世界を知ることも
本や新聞、テレビ、ラジオ
あとは、口伝えで聞いた話とか
そんな手段を通じて
新しい世界に繋がっていってたよね







私は、夜の世界に入ることになった
このお店で2年半、働きました。
以前にこの話を書いたときは
あまりお店での出来事は
書いていなかったんだけど
このお話を読んでくれた
本当に沢山の方々に
夜の世界のお話が大好きです!
との、お声をいただいていたので
(みなさんがホステス話を
楽しんでくれたのが
私には嬉しい意外でした!)
これから、色々とぶっちゃけた話を
追加しようと思っているので
良かったら、読んでください

こちらの⑤へ続く

毎日が楽しくて高収入な
夜の仕事、ホステス
そんな 20年間に終止符を打ち
ハワイに渡ることを決意 
心が子供から大人へと
成長する過程での
私の思考と価値観の変化を
ここに書いて残そうと思います
2016年から書き始め
途中で放置をしてしまったので
リタイプしながら再投稿します。
水商売次代のお話が主になりますが
良かったら読んでください 
の続きです 

夜の仕事でもらえるお金が
コンビニのバイトとは
全然違うことを
知ってしまった私
そのお店は、時給のほかに
お客さんがご馳走してくれる
自分が飲んだドリンクの数だけ
ドリングバックがもらえる
システム
(ドリンク代の60%がお給料に加算)
当時、ホステスがなんなのか
よくかわかっていない17歳。
サービス業と言われている
接客をしているという自覚が
全くないまま
数か月が過ぎまして....。
相変わらず
指示された席に付き
お客様となんてことない会話を
するだけ
そんな中
どうしても嫌だな~と感じる
なんていうのか
その方は 「俺は客だぞ!」
みたいな横暴なタイプでもないし
おさわりをしてくる
タイプでもない
着ているものがちょっと個性的で
一匹オオカミ的な雰囲気で
変わってる感じなんだけど
私がおもいっきり
嫌いと意思表示しても
「そのわがままさがいいね!」
「商売っ気がないところが
汚れてなくていい」
とか言って
私がなにを言っても
めげないし
気分を悪くするわけでもないし。
とにかく話しかけてくる
しつこい。
当時の私のは
「うざい」
としか思えなかったね~ 

彼は
私が違う席についていても
私が彼のそばを通りかかると
口説くとかではなくて
小説の話とか馬の話とか
一方的に話しかけてくる感じで
もう、それが
嫌で嫌で.... うざくてウザくて




とにかく存在すらも嫌
って感じになってしまって
彼が私にドリングをくれると
言ってきても
聞こえてないふりで
ガン無視していました
(今考えるとありえないけど
)
実際に私はその方に
「あなたと話したくない
あなたからのドリンクもいらない」
と、ストレートに
言っちゃっていたので
お店のママや
マネージャーの男性には
ほうじ茶ちゃん
これはお仕事なんだよ
いやでも我慢しないと
飲まなくてもいいから
お給料に加算されるし
ドリンクをいただいて
テーブルに置いておけば
いいんだよ
彼の隣がいやならば
席を一個飛ばして座ってもいいし
とにかく、彼の席に座ってて!
話さなくていいから
ドリンクだけ頂いて
横に座っててほしいの
ママたちは
あの手この手で
私をその人の横に
座らせようとしてきてね
(てか当たり前だよね
それが仕事なんだもの
)
ある日
本当にもう
その人の横に座るのが嫌で嫌で
どーしょもなくて
とうとうお店で
泣きだす ....私 ...
(本当にありえん 
)
話したくない
あの人、嫌い。。。。
と、ぐずり泣く私に
当時27歳のママは
怒ることも、叱ることもせず
とにかく根気よく
ほうじ茶ちゃん
これがこのお店の仕事なんだよ
と、私に
言い聞かせてくれました。
今思うと
首にならなかったのが
本当に不思議

多分だけど
「まだ若いから」 って理由で
許されていたというか
私が育つまで
待っててくれたんじゃないかな?
(本当に感謝です)
結局、その
私が泣いてしまった日は
じゃ今日はもう帰っていいから
明日、絶対また来てね!
と言ってくれたママ。
で、私もなにも考えていないので
早退した翌日も
晴れやかに出勤~ 
お店に行きづらい...とか
ママたちに合わせる顔がない
.....とか
申し訳なかった.....とか
反省の心なんて
1mmもなかったね 
ただ
あ~、あのお客さんと
話さなくてすんで良かった~
って思ってただけという。
(嫌なことから逃げれれば良し!
みたいな)
接客の仕事を理解していない
証拠ですよね~ 

続きはこちらの④へ

毎日が楽しくて高収入な
夜の仕事、ホステス
そんな 20年間に終止符を打ち
ハワイに渡ることを決意 
心が子供から大人へと
成長する過程での
私の思考と価値観の変化を
ここに書いて残そうと思います
2016年から書き始め
途中で放置していたので
リタイプしながら再投稿します。
水商売次代のお話が主になりますが
良かったら読んでください
ホステスとは知らずに
ホステスになった話①
の続きです。
『ホステスとは知らずにホステスになった話【①37歳で留学】』 毎日が楽しくて高収入な夜の仕事、ホステス そんな 20年間に終止符を打ちハワイに渡ることを決意 心が子供から大人へと成長する過程での私の思考と価値観の変…
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高校卒業後は
美術が好きだったのもあるし
先生に勧められたので
美大に行ってもいいかな
なんて、思っていたんだけど
普段あまりものを言わない父が
それは、よく考えた末での
進路なの?と。
それで飯を
食っていけるの?
好きなことをやって
金を稼げるやつは
ほんの一握り。
それほどに
好きなことなの?
趣味にするのか
職に出来るのか
もう一度考えてみたら?
そっか、なるほど....
と、父の言葉に
あっさりと納得した私は
高校3年生の時に
初めて真剣に考えたの
じゃあ
稼ぐためには?
自分はどれくらいの
お金が欲しいの?
どんな
仕事をしたいの?
その頃、ちょうど学校では
大学の進学の話とか
就職先の各企業の話とかを
聞かされていたんだけど
私のやりたい事は
これらじゃない....
もっと高収入な
仕事がいいな
という結論に
いとも簡単に達してしまい
だからと言って
高収入の仕事がなんなのか?
なんてことは
具体的に、知らないし
調べもしないし。
そんな心の動きがあった
高校3年生の夏休み。
たまたま目に止まった
時給が良いバイトを見つけて
引き寄せられるように
面接へ行き
で、採用されて
ホステスになった。
水商売という言葉を
聞いたことはあったけど
それがなんなのかさえ
よく知らない
純粋な(無知な)17歳が
そんな流れで夜の世界に
足を踏み入れました。
当時の私は
怖いもの知らずで
好奇心だけはあったので
どんな物事に対しても
ネガティブな
不安感情みたいなものが
全くなくって
接客をするのに
男性のすぐ横に
座わらせられても
男性がなぜ
女性がいる店に
飲みにくるのかとか
いわゆる、男性の下心
みたいなものも
全く理解していないから
不快感もないし
怖さもないし。
ただ
指示されるがままに動く
みないな、ね。
要するに
なにも考えていなかったんだと
思う。
でね
その後、すぐに
知ってしまうのよ
夜働くと
こんなにも
お金がもらえるんだ
コンビニの収入と
全然違うじゃん
・・・って 

そんな感じで
お金を稼げる面白さを
知ってしまった私は
高校3年生の2学期からは
ほとんど学校にいかなくなった。
だって、私のしたいことに
高校卒業は関係ないと
思ったし
教習所と車の購入費が
欲しいと言う目的があって
なのに学校にこのまま通っても
時間の無駄だなと思ったし
大検で高校卒業同等資格は
得れることは知っていたし
必要なら後で受ければいいや的な。
とにかく仕事がしたかったの
お金がもらえるのが楽しくて。
そんな感じで
時々、気が向くと
友達に会う目的で
学校に行ったりもしてたけど
卒業アルバムの撮影も終わって
あとは卒業式を待つだけの
高校三年生の3学期
私は中退しました。
もちろん
私が卒業間近でやめると
言い出したので
母親、校長先生、担任との
話し合いの場を持たれて
大人たちには
いろいろ言われたけど
(なにを言われたのかは
よく覚えてないけど....)
時間がもったいない
ここにいても
意味がない
と、自分の気持ちは
決まっていたので
揺らぐことなく中退しました。
このときは両親はまだ
私がホステスのバイトを
していることを知りません
(後にばれます)
そうそう、お店でもね
入店時に17歳で働いていたことが
オーナーにバレた。
でもその時はもう
あと数日で
18歳の誕生日だったので
小言を言われながらも
許してもらえたけど 
(あの店は身分証明書の
提示もなかったな....)
読んでくれて
ありがとうございます~ 
こちらの③へ続く

毎日が楽しくて高収入な
夜の仕事、ホステス
そんな 20年間に終止符を打ち
ハワイに渡ることを決意 
心が子供から大人へと
成長する過程での
私の思考と価値観の変化を
ここに書いて残そうと思います
2016年から書き始め
途中で放置していたので
リタイプしながら再投稿します。
水商売次代のお話が主になりますが
良かったら読んでください
私がハワイへ留学したのは
37歳の時
それまでの20年間は
ホステスをしていて
そのうちの13年間は
小さなお店を自分で経営していました
事の始まりは17歳
高校3年生の時
自動車免許の教習所代と
車を買うためのお金が欲しいので
時給の良いアルバイトを
探していたら
ある看板に目にとまったの。
なんのお店か不明だけど
外装の雰囲気から
ビリヤードの台が置いてあるような
BARみたいな所かな~と思って
即、面接に行ってみたら
その店は、夜のお仕事
と言われるものだった
その日、ほっぺの赤い
丸顔のアンパンマンみたいな
おじさん社長に面接された私は
なぜだか、即採用となり
(年齢は18歳と嘘をついた)
その時に、最初に出勤してきた
従業員らしき女の人が
『 ここ働きやすいよ
お客さんもいい人多いし 』
と声をかけてくれたんだけど
ビリヤードをするお客さんに
飲み物を届けるのが
仕事だと思い込んでいたので
なんでこの人
ウエイトレスの制服を
着ていないんだろうと思って
『 制服はないんですか? 』
と聞いてみたら
『 うん、ないよ、
スーツなら何でも大丈夫だよ 』
と教えてくれた。
え~なんでスーツ?っと、一瞬
スーツなんて堅苦しいし
面倒臭いなと思ったけど
翌日
スーツ系の服を
沢山持っている友達から
何着か服を借りてきた。
当時はまだ現役高校生。
ホステスというものが
なんなのかが
全くわかっていなかったし
単純に
コンビニのバイトは
21時までしか出来ないけど
18歳といつわれば
この店は
夜中までアルバイトが出来るんだ~
それくらいにしか
思ってなかかったんだよね 
にしても
バイトに行くのに
スーツを着て家を出るというのは
母親になにか言われそうだし
根掘り葉掘りと
色々、聞かれるのも嫌だし
私服で家を出て
お店で着替えることにしました
(最初は自転車通勤でした)
で、すぐに 迎えた
バイトの初日
別に緊張することもなく
戸惑うこともなく
言われるがままに
動いてただけというか。
1つだけ覚えていることが
『 あ~、想像してた仕事と
違ったね~ 』
って、思ったことだけ。
別に動揺するわけでもないし
怖いわけでもなく。
目的はお金が欲しくて
仕事しているわけだから
ま、なんでもいっか
みたいな、本当に軽い感じ。
なので当初は
それが水商売、ホステスと
言われる仕事だってことは
全然知らなかったし
仕事内容なんて
全く知らなかったの。
バイトの初日に
『水割り』という物の
作り方を教わったんだけど
ブランデーとかウイスキーとか
銘柄も初めて聞くものばかりだし
お客さんのタバコにも
火をつけなきゃいけなくて
これを作って.... 火をつけて...と
なにも考えず、なにも感じず
ただ、言われた通りに
するだけの私。
初日はもちろんだけど
働き初めて数ヶ月経っても
ほかの女性からも
お客さんからも
『 あなたは
座ってるだけでいいよ~ 』
と言われてたので
私はお客さんにポッキーを
あ~んとか食べさせもらって
なにもしゃべらず
ただ横に座って
ウーロン茶を飲んで
目の前にあるお客さんの
おつまみを食べて
(食べていいよって言うから)
みんなが話してるのを
ただ聞いていただけ。
(でも聞いていても、話の
内容は理解できていない
)
それで終わったのが
初日です 

その後
自分の店を持ち
お水街道まっしぐら~
だった私が、なぜ
お店を閉め
海外留学を選んだのか?
これから
留学をするまでのお話を
書いていこうと思います
こちらの➁へ続きます

最近は、気がつくと
やりたいことが盛り沢山で
アレコレと忙しい日々を
そういや~
それもそうよね... と

占星術で言うと
もうすぐ冥王星が完全に
山羊座から離れ
水瓶座に移動するんだったwa
15年間続いた
山羊座冥王星時代は
11月19日で終わり
本格的に冥王星
水瓶座時代の到来
私は、若い時から
『占い』と言うものに
全く興味がなかったので
占星術などにも
詳しくは、ないのですが。
ある時、易学、気学に出会い
その学問の深さが面白くて
深堀で学び続けていると
『占い』と呼ばれているもの
ほぼ全てのベースが
宇宙の法則、惑星の配置や
宇宙からのエネルギーに
通じているということが見えてきて
なるほどね~ と
全ては、宇宙からの
エネルギーなんだ....と
ガッツリと腑に落ちまして。

何故だかは分からないけど
私は、幼少期から
月とか太陽とか
神様や龍神、妖精たちに
お願い事というか
話しかけることを良くしていた。
中学生くらいになると
寝る前に意識を宇宙に飛ばして
宇宙遊泳なんかをしたりして
誰かに教えて貰ったわけでなく
宇宙からの壮大な
エネルギーみたいなものを感じて
よく天に祈っている人でした。
私は、基本、気学から
自分に影響のある
エネルギーの流れを読み解き
その自然界のエネルギーで
健康、幸福、繁栄を
向上させることに利用している
プラス、天体の動きが良くわかる
占星術で惑星の大きな動き
運気の流れなんかも見て
月光浴の日のチェックや
潜在意識へのアプローチ
などもしているんですが。
今回、山羊座冥王星時代の
完全の終わりを前にして
過去の自分を振り返ってみたら
改めて気がついたことがあってね。
それは
私は、かなり動物的というか
本能的、右脳的に
宇宙からのエネルギーをキャッチし
突き動かされて来たんだな
と言うこと。
それの1つとして例をあげると
山羊座冥王星時代が始まりが
2008年
冥王星の象意は
変容、力、極端、死と再生
冥王星は潜在的な力
無意識の動機
深層心理を示すんだけども
エネルギーが強力で
劇的な変化をもたらすことが多い
私は、毎日が楽しくて
天職だと思えた
20年間続けたホステスを辞めて
ハワイに渡ったのが
2008年なの。
この年に動いたのは
まさに、冥王星の
破壊と再生のエネルギーを
ガッツリとキャッチしてたから
なんだなと、今だからこそ思う。
当時は、ホロスコープは
全く見ていなかったので
この年が
山羊座冥王星だったことは
知らない。
2008年の2月を
渡米の日に決めた理由は
『気学』から割り出した
私にとって
最高の学びの実りが多い方位
最大吉方位だから 
で、さらに興味深いのが
私が渡米したのは2008年だけど
ハワイの方角が
最大吉方位になるのを
3年間待っていたので
留学を決意したのは
正確に言うと2005年あたりなの。
このね
破壊と再生のエネルギーが強くなる
山羊座冥王星に入る数年前から
私は
自由でお金にも困らなくて
仕事とは言え
異性を自分に惹きつけることも
簡単に出来て。
やりたいことは何でも出来る
時間もあって
応援してくれて
金銭援助をしてくれるお客様も
数人いたり
なんの不満もない
満足した日々を過ごしていた
なのにね
それは、突然に
襲ってきたんだけど
で?
この先には
なにが
あるの?
って。
その日から
私は、自分の次なる場所
言うのを探し始めるんですが。
その事を書いておこと思って
2016年から
『37歳からの留学』
っていうカテゴリーで書き出した
どうやってホステスになって
何故、渡米することにしたのか
っていうお話を書いていたのに
完結せずに放置していました~
(アメブロ繋がりの人には
ホステス記事が好きでした

とのお声を多く頂いていたのに
すっかり忘れて今や2024年💧)
山羊座冥王星の完全なる終了の
今年の11月19日まで
このお話を書き終えれるか
わかりませんが
過去記事をリタイプしながら
再ポストしていくつもりなので
良かったら読んであげてください


韓国のチュソク(Chuseok)
日本のお盆に似た
先祖や亡くなった人を
供養し感謝の気持ちを伝える日
義母の好きだった
ぶどうを用意しました
シオモニ

可能ならば
旦那と娘の夢に
出てきてあげてくださいね~
そういえば
このぶどうを買った
道の駅での話
チュソクのお料理
シャインマスカットだけじゃなく
ぶどうを数種類
用意するのはどう?
シオモニも、食べ比べ
してみたいんじゃない?
と、私が提案したら
旦那が、
それいいね~
って、答えたのと同時に
テーブルにおいてあった
旦那のスマホが
誰も触ってないし
当たってもないのに
突然
Youtube musicが
大きな音で流れました
すぐさま、旦那が
おおお
オンマが、ぶどう食べたいって
返事してきたじゃん 
と、めちゃくちゃ
喜んでたな。
良かったね

