「縁」は人も物も導き結び着ける | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

今までの我が人生に於いて、世の中の「縁」とは誠に不思議な物であると感じた事が何度もあった。
又してもその様な事があった故、此れを機に「縁」について書き記して行く。


昨日3月6日、注文していた※「絵本源平盛衰記」(明治20年発行)が群馬県の古書店より届いた。
(※本書は「国立国会図書館」のホームページ:http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/880084 にて閲覧可能)
此の本には題名通り計26点の挿絵(銅版画)が織り込まれているのだが、これ等の作者・尾形月耕の事をウェブ上で調査してみた処、何と彼の生年月日は安政六年九月十五日(西暦に換算して1859年10月10日)である事が分かった。
此れは我ら天台宗開組※最澄大師の太陽暦の御誕生日9月15日と同じで、更に彼の生年は余が少年時代に憧れて研究し模写していたフランスNeo-Impressionismus(新印象派)の画家で"Pointilismus"(点描法)の創始者である※Georges Seuratと同年の生まれなのである。
(※最澄大師については当ブログの記事:「天台宗開設記念日と最澄大師の御教え」参照)

(※Georges Seuratについては当ブログの記事:「若き天才画家G.Seurat(スーラ)の生涯と点描法」参照)

 

其の他の例を挙げると、余がドイツのKunstakademie Dresden(ドレスデン国立芸術大学)の学生であった頃(1991~95年)、当市の郊外の村Liegau-Augustusbadの一軒家に住んでいたHans Barthel氏(1938~1992)の元に下宿していた。
我々は出会って間も無く意気投合し、大家と間借人の関係を通り越して、親友として生活を共にしていた。
と言うのも元々彼は当地の出身ではなく、旧ドイツ領であった※Schlesien州の町Freiburgの地主の息子で、若い頃は都市の自動車レースのカーレーサーであり登山家であった事が縁で当村に住んでいたのである。
(※Schlesien州は1138年以来Herzogtum(公爵領)であったが、1336~1526年までKönigreich Böhmen(ボヘミア王国)に属し、1526年よりオーストリア帝国領となる。 Preußen王Friedrich大王陛下が1740年から始まる3度の"Schlesischer Krieg"(シレジア戦争~1762年)にてオーストリアと其の同盟国軍を打ち破り、1742年其の大部分を占領し、更に勝利して1745年以来正式にPreußen王国の領地となった大変肥沃な州。)
しかも彼の母親は元々我が地元Brandenburg州の町Pritzwalkの出身であった事から、当市にも度々滞在していたらしい。
其の上彼は以前には仕事で長い間首都Berlinにも住んでいた事にも余は多大な共感を得たのである。
Sachsen人共は「余所者」に対して排他的な事で有名なので、(他州のドイツ国民からも嫌われている)

故に余にとって彼は有り難く、心強き存在であった。
彼は余がドイツの歴史(特にPreußen王国)の歴史を研究している事に共感して、親切にも自分が長年所持していた第一次世界大戦勃発の年1914年に発行された本※"Für Vaterland und Ehre"(祖国と栄光の為に)を余に贈呈してくれたのである。


(※本書については当ブログの記事:「Der neue Deutsche Jugendfreundと読書の勧め」 の画像右下参照)

此の本の表紙の裏には前の持ち主の名前Max Salzwedel、住所Pritzwalk町と彼の生年月日が刻印されているのである。
驚いた事に前の持ち主Max Salzwedel氏の誕生日が余と全く同じで、年齢も丁度60年違うだけなのである!
此れを見た時には、まるで彼が>Nimm mal bitte dieses Buch !<(此の本をどうぞ貰って下さい。)と言ってくれている様に思えたのである。

又、余が2011年に大阪の友人を訪ねた折に、彼の家の近所の古書店で「信州歴史の旅」(1996年発行)と云う本を購入して見ると、後ろ表紙の裏側に前の所有者の印鑑「奥山蔵書」が押されていたのである!
確かに(清和源氏の流れを汲む)余の先祖は信濃国と境を接する美濃国・遠山荘の出である故に、成程余と同じ先祖の里を離れ、他県に移住している同姓の奥山氏が、先祖の里に思いを寄せて此の本を所蔵されていたのだろうか?と推理している。
しかしながら日本国内には13万種を超える苗字がある中、此の様な「縁」が有るのだろうかと不思議な思いに駆られたのである。
過去に多数の古本を購入して来たが、此れ程までに偶然が重なるとも思えない。
やはり「縁」とは人だけでなく物までも導き結び着けるのだろうと、つくづく思わされたのである。

因みに古い中東の商人の格言に「お金の性質とは人間に似ている。即ち自分の仲間が沢山いる所に集まって行き、自分を粗末にする者の所からは逃げて行く。」と言うのがある。

更に昭和時代の経済学者・齋藤栄三郎氏は其の著書「お金の使い方」の中で、「お金には磁石に似た性質がある。即ち御互いに引き付け合うのだ。そしてお金の量が多い程、其の引き付ける力は強くなる。」と書き記している。

これ等の金言は美術工芸品、骨董品、貴金属・宝石、等の所謂「資産物品」にも、そっくり該当していると思えるのである。(此の事は余自らが身を以って十分に経験している。)
 

更に余の人間関係にも多くの「縁」を感じさせられる共通点がある。
例えば余が高校生以来大変お世話になった茨城県の親戚の叔父(1939~2012)と前記のKunstakademie Dresdenの入学試験の折、余を推薦で採用して下さったSiegfried Klotz教授(1939~2004)と我が地元Brandenburg州の都Potsdamの映画会社DEFA・Kostmüstudioの当時の課長で衣装デザイナーであった※Christiane Dorstさん(1939~)が全員同じ卯年の8月生まれの「獅子座」なのである。


(※1993年は丁度Potsdam市の創設1000年記念の年、そこで彼女の好意で余は18世紀のPreußen(プロイセン)軍のDragoner(竜騎兵)将校の軍服を当時と同様の素材と技術で特別に仕立てて貰ったのである。)
そして我が家のBoxer犬Benjamin(1999~2009)までも同様に卯年生まれで7月下旬生まれの「獅子座」なのである。
彼等以外にも余は今までの日本とドイツの両国に於ける人生の中で数多くの人格、能力共に優れた御仁達との良縁に恵まれ、其の良縁を今でも変わる事無く大事にして来ている。
余にとって大変悲しき事ではあるが、彼等の中には既に御他界されている御仁が何名もいる。
しかし縁とは本来姿形が無い物なので、人が他界したからと言って消滅する事はないと余は信じている。
彼等の思い出と存在が余の心から消える事が無い限り、其の人との縁は延々と続くのである。

天台宗の根本経『法華経』の中の「方便品」に「十如是」(じゅうにょぜ)と云う理論があり、其の構成要素は「如是相」(にょぜそう・形相)、「如是性」(にょぜしょう・性格)、「如是体」(にょぜたい・実体)、「如是力」(にょぜりき・能力)、「如是作」(にょぜさ・作用)、「如是因」(にょぜいん・原因)、「如是(」(にょぜえん・縁)、「如是果()」(にょぜか・結果)、「如是報」(にょぜほう・報い)、「如是本末()」(にょぜほんまつ・終局)である。
此の理論を元に説明するなら、仮にある人、又は物に「縁」があって、其の人、又は物の形相、性格、実体、能力に価値、魅力ないしは必要性を感じて(此れが原因、理由)、其れを受け入れたら(此れが作用、行動)、即ち良好な報いが来ると云う結果が成り立つ。
逆にたとえ縁があっても其の人、又は物に価値も魅力も必要性も感じないなら、作用、報い、結果も全て生じないのである。(即ち縁が無縁となる。)
「縁」とは「因」の様な必然的な要素ではなく、人が願わずとも、意識せずとも偶然に、言わば「自然現象」の如く訪れる物であると解釈するべきである。
そして「縁」を語る上でもう一つ大事なのは、大別すると「良縁」と「悪縁」に分けられる事である。
当然の事ながら「良縁」は人に幸福、勝利、成功、繁栄をもたらし、逆に「悪縁」は人に不幸、失敗、最悪の場合は破滅をもたらす。
故に折角授かった「良縁」は、神仏の御導きとして感謝を以って永く大事にし、逆に「悪縁」は即座に断ち切らねばならないのである!



扨、最近の余の制作状況の報告であるが、2月12日に滋賀県大津市の「朝日山・義仲寺」の絵を完成させ、翌13日より香川県さぬき市の『補陀落山・長尾寺』の絵を制作に取り掛かっている。
当寺院は開基された時は真言宗であったが、江戸時代初期、天海大僧正により天台宗に改宗された。
「四国八十八箇所霊場」の第八十七番札所であり、本尊は聖観世音菩薩で、香川県内の天台寺院としては筆頭格である。
又、かの源義経の愛妾・静御前が、兄頼朝に追われる身となった義経に(身の安全の為)離縁された後、彼女の母親に従い此の寺を訪れ得度した伝説がある。
故に当寺院には彼女の剃髪塚があり、其の位牌も安置されている。
因みに余は此の物語を描いた1956年の大映・角川映画「静と義経」をDVDにて所有しているが、淡島千景さん演ずる静御前の悲劇的な運命に襲われながらも、夫義経への愛を貫く姿が何とも美しくも切ないのである。
此の物語については、前記の「源平盛衰記」の中の章「義経都落」及び「於吉野別静」(吉野に於いて静に別れる)にも書き記されている。
余が2014年の3月に当寺院を参拝し、近所に住む我が親戚蓮井氏と落ち合った折にも、同市出身の我が祖母(1916~2014)の為の菩提寺の宝蔵院・極楽寺への彼岸参りを兼ねて、静御前の事をも思い浮かべたのであった。 丁度今年の4月で我が祖母の生誕100周年となる。
今回製作する絵の構図は「本堂」を中心に向かって右側に「大子堂」左側に「護摩堂」と3建の主要な御堂を描いており、3月6日に前景の松の木を描いて完成に至った。

追伸:10月24日にウェブ上で神奈川県のリサイクルショップに、ドイツの陶磁器工房Scheibe-Alsbachで制作されたJuliette Récamier(1777~1849年)の像(1931年作)が競売に出されているのを、破格値で落札した。


彼女は18世紀当時、フランスで最高の美女の誉れ高く、其の肖像画は当時の巨匠Jac Louis Davidや François Gérardによって描かれ、其の美しさは今日でも讃えられている。
これ等2点の彼女の肖像画を余は1987年にParisのMusée du Louvre及び1989年にひろしま美術館の「フランス革命200年記念展」にて観ている。

Jac Louis David:  Portrait de Juliette Récamier (1800)

François Gérard:  Portrait de Juliette Récamier (1805)

又、此の陶磁器の像をJ.L.Davidによる肖像画を元に3次元上に制作した彫刻家Otto Poertzel(1876~1963年)の事をウェブ上で調べてみると、何と余が此の陶磁器像を落札した日、即ち10月24日が彼の140回目の誕生日だったのである。

日本国内に此れ程の作品が輸入され残存している事自体極稀な事なのに、よく此の様な偶然が重なった物だと驚いている。

尚、余が個人的に収集したドイツ、フランス、イギリス、イタリア、ハンガリー、デンマーク、日本、中国、等の代表的な陶磁器のコレクション”Porzellansammlung”(54点収録。解説:ドイツ語/日本語)は我がヤフーボックスの次のアドレスにて閲覧出来る。
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