我が家の鼠退治の事と我が猫の思い出 | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

いつもなら本来芸術家として読者を啓蒙する高尚な主題で随筆、論文を書くのだが、今回は平凡且つ世俗的な事を書く。 

とは言え家庭が鼠の被害に悩まされている方々には多少は為になると思われる。
昨年の12月初め頃から、我が館に何処からともなく鼠(ハツカネズミ)が侵入して来て、住み着く様になった。
ただ住み着くだけなら別に構わないのだが、鼠は有害小動物として家屋の柱、梁、扉、等の木造部を齧るのみならず、場合によっては電気ケーブルを齧って、最悪の場合そこから漏電して、火事になることも希にある。
又、その排泄物によって家屋を汚染して、場合によっては蚤、ペスト菌、サルモネラ菌、等の人体に有害な病原体をも媒介する事もあるので注意が必要である。(詳しくはネズミ駆除の専門サイト参照)
古より、鼠は小さいながら狡猾な動物であると言い伝えられている。
我が館に寄生する鼠は冬の寒さと食糧不足から、そこいらの平凡な民家より、遥かに大きくて(三階建て部屋数11室)、室内の保温効果に優れ、其の上食料が十分にある我が館を選んだのであろう。
(人が借家に寄宿するには条件に応じて家賃を払わなければならないが、鼠は家賃を払わないので一番快適な住居を自由に選ぶ事が出来る。)
当初は夜中に1階の台所にある豆類、芋類、等を齧っていたので、全ての食料品を冷蔵庫ないし頑丈な容器に収納して被害を防いだのだが、今度は2階の食事室に入りキウウィを齧り、更に3階の仏間にまで侵入して仏壇の供え物まで齧るという罰当たりな事までしたので、流石に余も此れには頭に来たのである!
当初は市販の殺鼠剤を各部屋に設置して鼠が其れを食べて死ぬ事を期待していたのだが、敵もさるもので2か月程様子を見ていたのだが、一向に食べて死ぬ様子もなく、相変わらず夜中に天井裏を走り回ったり、こちらが隙を見せると食卓に置いてある食物を齧ったりしていた。


そして遂には今月1日、2日と我がAtelier(仕事部屋)に侵入して、余の仕事机やKamingesims(暖炉の上の飾り棚)の上等を走り回って数個の美術品を倒した上、(幸い美術品は全て無事)余が毎日3時に食べるチョコレートケーキまで齧っていたのである。
それまで夜中に幾度か此の鼠を目撃したのだが、其の運動能力には流石の余も呆れ返るばかりで対応出来なかった!
僅か体長6cm程(尻尾を除く)の小さな体で階段を楽々と上り下りし、家屋面積155㎡の館の1階から3階までいずれの階の部屋にも出没するのである。
しかし此のままでは我が館の内部の柱、梁が齧られるのみならず、100年以上の歴史を有する、王室御用達の美術品コレクションまでもが被害に遭ってしまう危険があるので、もっと本格的に駆除しようと決心した。
そこで余はウェブ上でネズミ駆除の専門サイトを参考に閲覧したり、熟練の大工の友人、建築業の社長の知人、我が家の駐車場を貸し出している近所の薬局の薬剤師、等に状況を説明して意見を聞かせてもらった。
専門業者に依頼して一時的にネズミ駆除をしたとしても、其の侵入経路(例:通気口、下水管、家の各隙間)を遮断しなければ、再び鼠は侵入、寄生する事が往々にあるそうである。
又、普通の場合、鼠一匹見かけたら30~40匹は潜んでいると見なすべきなのだが、どうも我が館の場合はそれ程深刻な状況でもないので、殺鼠剤や鼠捕り器具を仕掛ける等して気長に処理するのが得策であるとの結論に達した。
其れから誘引粘着シートを余のAtelier(仕事部屋)の倉庫内のチョコレートケーキの箱の上に仕掛けて置いた処、何と余が別荘でウェイトトレーニングを終えた後、夜帰宅すると早速1匹の鼠が誘引粘着シートに張り付いていたのである!
此れだけ重ね重ねの悪さをして来たのだから、罰として石油をかけて焼き殺してやろうと思っていたのだが、我が母上は「たとえ下等動物でもそんな残忍な事をしてはいけません。」と言って此れを咎め、我が家の経営する駐車場にあるゴミ箱に鼠を捨てに行ったのであった。
我が親ながら其の慈悲深さには感心したのである!

其れ以来我が館には鼠がいる気配さえ無くなった。

どうやら此の鼠一匹だけが寄生していた様である。
人間の泥棒位なら余の長年ウェイトトレーニングにて鍛えた剛力と格闘技、又は我が館に備えるArmbrust(洋弓銃)、Hellebarde(西洋矛)、日本刀、特殊警棒、其の他の武器でいとも簡単に討ち取る自信がある。
(討ち取ると、たとえ相手が泥棒でも「殺人罪」になるので、取り押さえて警察に通報する事にしている。)
しかし相手が小さ過ぎて、其の上俊敏で狡猾であるとそう簡単には行かない。
丁度、日本昔話の中で譬えれば「一寸法師」が人間より遥かに大きい怪力の鬼を懲らしめるのに似ている。
我が館は完成度、密閉度共に優れているので鼠の侵入する隙間等無いと思っていたのだが、改めて一通り見回してみると、表面上は気付かないが外壁の一番下に平手が入る程の隙間、そして大広間の隅に削られて出来た穴が見つかったので、早速これ等をそれぞれコンクリートとアルミ板で塞いでおいた。
如何なる分野にも共通して言える事だが、何か問題が発生した時には其れをだらしなく放置せず、其の解決の為迅速に対処する事が肝心である。
そして問題が解決した後も其の原因について分析し、二度と起こらない様に心掛ける事が大切である。

鼠の天敵と云えば何と言っても猫と蛇である。
因みに最近は独居老人が増加している関係で、手軽に飼えて精神的な癒し効果(所謂"Animaltherapy")がある事から、日本全国で飼い猫が約960万匹と需要が増えている様である。
一方で人間の利己主義と無責任が原因で、途中で捨てられて悲惨な末路を迎える猫、其の他の愛玩動物も多いので、飼い主は変わらぬ愛情と責任を持って動物を最後まで大切に飼ってもらいたい!
当ブログ「動物愛護の為に」参照

我が田舎のボロ別荘には縞蛇と青大将の一家が相変わらず住み付いている。
当ブログ「歴史と文化の中の蛇について」参照

かと言って先程の日本昔話の様に「「蛇さん、すまんが我が実家に来て鼠を食って退治してくれんか。」等と言って来てもらう訳にも行かない。

かつて我が家では雌の黒猫を飼っていて、名をドイツ語名でDorotheaと云った。
彼女は我が祖母の飼っていた白猫の娘で1980年6月20日に生まれた。
ヨーロッパの女性名Dorotheaは元来ギリシャ語で「神の贈り物」と云う意味で、キリスト教の神話の中にも此の名の有名な女性聖人がいる。
フランス語ではDorothee、英語名ではDorothyで、Lyman Frank Baumの小説を映画化した"Wizard of Oz"(オズの魔法使い)の主人公が此の名前である。
日本人には此のドイツ名は余り馴染みが無いのでDorotheaの愛称"Dora"で呼んでいたので、本人も自分の名は"Dora"だと認識していた様である。
丁度、日本でもアニメ化されて有名なスイスの教師Johanna Spyriの小説※"Heidis Lehr und Wanderjahre"(アルプスの少女ハイジ・1880年)の主人公の本名はAdelheideだが愛称でHeidiと呼ばれていたのに似ている。

(※最近の研究ではドイツの小説家Adam von Kampの作品

"Adelaide, das Mädchen vom Alpengebirge"1830年からの模倣作の疑いがある。)
元来猫の祖先はジャングルの様な雑木林で単独又は夫婦で住んでいたので、猫にとって街中よりも、樹木の生い茂る田舎の別荘の方が理想的な環境なので彼女はそこに住んでいた。
我が家の別荘の隣に我が祖母の住む家があったので、彼女は専ら我が祖母に飼われていた様なものである。
彼女は狩の名人で、15年間の生涯で、鼠、雀、百舌鳥、蝉、等、計230匹以上の成果を挙げている。
彼女はいつも獲物を家族に見せに持って来ていたので、余と祖母は御褒美に子魚の煎り干しを与えていた。
彼女は獲った雀や蝉は食べていたが、鼠は不潔な生き物である事を知っていたのか、獲っても決して食べなかった。
奇妙な例を挙げる様だが、第二次世界大戦中、Luftwaffe(ドイツ空軍)の戦闘機パイロットが1人で230機も撃墜したなら、先ずRitterkreuz mit Eichenlaub und Schwertern(柏葉剣付き騎士鉄十字勲章)を叙勲したであろう。


余は此の勲章のレプリカを持っているので、彼女が200匹目の獲物を仕留めたのを確認した時には、面白半分で此の勲章を彼女の首に掛けてやった事がある。


因みに第二次世界大戦中、Luftwaffe(ドイツ空軍)の60名の(昼間)戦闘機パイロットが100機~150機を撃墜し、其の上150機を超える撃墜を34名が果たしており、即ち94名のエースパイロットが合計1万3997機を撃墜した記録がある。(※これ等の成果の80%以上は対ソヴィエト戦である。)
Dorotheaの御蔭で1985年頃には我が別荘と祖母の家に棲む鼠は絶滅した。
本来猫は魚類を好んで食べるが、彼女は其の外にも南瓜と海苔とカルビーの「かっぱえびせん」が大好物であった。
動物医学の理論上、猫科の動物は色が識別出来ないとされているが、何故か不思議な事に彼女は遠くからでも「かっぱえびせん」と其の他のスナック菓子の袋を正しく見分けていたのである。
「犬は人に付く、猫は家に付く。」と言う諺の如く、彼女は家を守る意識が大変強く、見知らぬ者が尋ねて来ると激しく怒って訪問者を威嚇していた。
其の一方で、彼女は猫と思えない位家族に誠に忠実で思いやりがあったので、余にとっては掛け替え無き存在であった。
余が自転車で別荘に着くと、彼女はいつも迎えに出てくれたのを今でも覚えている。
又、猫が時計を読める筈がないのに、彼女は時間にとても正確で生活態度が非常に規則正しかった。
其れ故に没後20年経っても、1日たりとも彼女を忘れる事無く、其の肖像画(1994年作)を我がAtelier(仕事部屋)の壁に掛けている。
此の絵を余は2015年の鳴門市ドイツ館に於ける我が個展の中で展示したのだが、此の作品は彼女を等身大で描いている事もあり、鑑賞者達から「まるで生きている様だ。」とか「絵の中から飛び出して来そうだ。」との感想があったらしい。
そして余は田舎の別荘の敷地内にある彼女の墓に、ウェイトトレーニングをする前には必ず参っている。
彼女が1995年1月に他界して早20年も経つが、彼女の存在は我が心の中で決して薄れる事は無いのである。

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