歴史と文化の中の蛇について | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

 

イメージ 1

今年が丁度巳年であるのに因んで此の随筆を書くのだが、我が親父殿からの言い伝えによると我が家の別荘には着工以来(約50年)、代々複数の縞蛇(シマヘビ)が物置と縁の下に住み着いているらしい。
我が別荘は「お化け屋敷」の如く老朽化していて、密閉度が低いので出入りし易く、暑さ寒さを凌ぎ易い。
又、庭も雑草が生い茂って、其の周りは田んぼに囲まれていて、彼らの餌となる蛙や虫を容易に捕獲出来るからであろう。
余も週5回は此のボロ別荘へ行っているのだが、大抵1年に1回はこの縞蛇と顔を合わせるのである。
余は彼らに全く危害を加える事無く見守ってやっているので、縞蛇も余を見ても逃げる事が無いのである。
今年の6月には何と一度に3匹の縞蛇(恐らく夫婦と其の子供)と対面したのである。
此の様な事は初めてなので写真を撮っておいた。
ボロ別荘の近所に住む動物に詳しい余の親類の幼馴染に此の事を話してみると、此の時期は丁度蛇の交尾期なので一度に3匹も見たんだろうと言う。

扨、蛇について簡単に説明すると、爬虫綱・有鱗目ヘビ亜目に属する四肢の退化した爬虫類の総称である。
有鱗目Squamataは此のヘビ亜目Ophidiaとトカゲ亜目とで構成され、ヘビの祖先はトカゲのPlatynota群から分化した物と考えられている。
ヘビの現生種は約2500種が知られ、南極を除く世界の各大陸に広く分布し、一部のものは北極圏付近にも生息している。
大抵の蛇は全長1~2m以内なのだが、中には最大10m程にもなるニシキヘビやアナコンダから、10cm程のメクラヘビ類まで様々な種類がある。
尚、世界最大の毒蛇は、全長5m以上になるキングコブラである。
俗に蛇は獲物を丸飲みすると言われるが、動物解剖学的に説明すると実際は2つの顎の関節によって開口角度を変える事が可能なのである。
更に下顎は左右2つの独立した骨が靭帯で結合されている。
又、上顎骨も頭骨と一体ではなく、必要に応じて前後に動かす事が出来る。
これ等によって獲物を咥えながら顎を動かす事により少しずつ呑んでしまうのである。
『聖書』の中のParadies(楽園)に住む人間の祖先AdamとEvaに禁断のリンゴの実を食べる事を唆した罰として、万物の創造主である神から手足を奪い取られた話が有名であるが、実際は長い年月を経て前述のヘビの祖先トカゲ種のPlatynotaから生息環境に応じて次第に四肢が退化して、遂には無くなったのだろう。
実にメクラヘビやニシキヘビ科等の一部の原始的なヘビには腰帯の痕跡を持つ種類がある。
四肢が無くなったと言っても、蛇はその細長い体によって地上、水中での移動、木登り等を可能にする高い適応性を持っている。

世界の古い民話、伝説の中で蛇は「金運」や「再生能力」や其の他の超能力を持っているとか、「執念深い」等とよく語り伝えられている。 

其れ等の話を幾つか紹介して行くとしよう。


ドイツの有名な"Kinder und Hausmärchen"(グリム童話)の中に"Die weiße Schlange"(KHM.17)(白い蛇)と言う物語の中で、知識豊富な王の宮廷に使える召使が、王の秘密の鉢の中に白い蛇が入っているのを見つけ、其の身を食べた途端に全ての生き物の言葉が分かると言う超能力が付いて、其れによって王妃の無くした大事な指輪を見つけたり、旅に出て難儀をしている3匹の魚や、蟻の王や、3匹の烏の子供達を助けて行く。
最後にある王国に着き、此の国の美しい王女と結婚する為、彼女から出される難題をかつて助けた生物達の助けによって次々と克服し、念願を叶えるのである。

我が地元Brandenburg州の伝説"Märksche Sagen"の中にもNierderlausitz地方に以下の民話がある。

"Die Schlangenkönigin"(蛇の女王)
昔、Straupitz町とCottbus市の間にあるBurg村にMalkus-Weideと言う名の空ろのある古い柳の木が立っていたそうである。
其の空ろの中に蛇の女王が住んでいて、毎年の3月18ないしは21日の夜中に女王を中心に蛇の大集会が行われる。
其の夜、村に住む粉引きの男が粉引き小屋に行く途中で大量の蛇の群れに出会い、其の中で女王が沢山の宝石をちりばめた金の王冠を被っているのを見つけ盗ろうとしたが、数匹の蛇に噛まれて失敗した。
其れ以来、男は回り道をして自分の粉引き小屋へ行くと言う。

"Die Schlangenkrone" (蛇の王冠)
昔、Cottbus市の近郊の村に百姓の家族が住んでいた。此の夫婦は田畑に仕事に行く時は、いつも家の戸に鍵をかけ、自分達の稚児に黍(きび)と牛乳の粥を与えて家に残していた。
ある日、子供のいる部屋の隅の穴から一匹の美しい蛇が現れた。
蛇は暫く子供と一緒に遊んでいたが、黍粥を全部食べて、元来た穴へと消えて行った。
百姓の女房が家に帰って見ると、子供が泣き叫んでいるので、何故泣くか聞いてみると、子供はスプーンで部屋の隅を指すだけなので、百姓の夫婦は訳が分からなかった。
次の日、女房はいつもより早く帰宅して、子供の部屋を窓からこっそり覗いて見ると、再び一匹の美しい蛇が出て来て子供と一緒に遊んでいたが、黍粥を全部食べてしまったので、子供は泣き出してスプーンで蛇を叩いたら、蛇は部屋の隅の穴へ消えて行った。
百姓夫婦はどうしたら良いか分からないので、村の隣人達に相談してみると、其の中の一人が「子供の部屋の中に真っ白な布を広げておけ。さすれば其の蛇は自分の王冠をそこに置いて帰るだろう。」と助言してくれた。
百姓夫婦は助言通りにして、子供の部屋を窓からこっそり覗いて見ると、やはり一匹の美しい蛇が現れて、美しい王冠を白い布の上に置いた。
其れを見ていた百姓夫婦が一気に部屋に入ると、蛇は慌てて部屋の隅の穴へと消えて行った。
其れ以来、王冠を残した蛇は二度と現れなかったと言う。

次に日本の昔話から以下の例が挙げられる。
道成寺」(安珍と清姫)
延長6年(928年)夏の頃、奥州・白河より紀伊・熊野に安珍と云う名の僧が参詣に来た。
彼は僧の中でも大変な美男子であった。
安珍が紀伊国牟婁郡(和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)真砂の庄に来た時、当地の庄屋清次の家敷に宿を取った。
ところが娘の清姫は安珍を見て一目惚れし、女だてらに夜這いをかけて彼に迫った。
安珍は僧侶の身として彼女の恋心を受け入れる訳には行かなかった。
そこで方便として帰りには必ず立ち寄ると言ったものの、参拝後は再び立ち寄る事無く行ってしまった。
騙された事を知った清姫は怒り、裸足で安珍の後を追い、道成寺(和歌山県日高郡日高川町の天台宗寺院)までの道の途中(上野の里)で追い付く。
安珍は再会を喜ぶどころか別人だと言い訳し、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする始末である。
此れにて清姫の怒りは頂点に達し、遂には大蛇に化けて安珍を更に追いかける。
やっとの思いで道成寺に着いた安珍は住職に理由を話し、止むを得ず鐘楼の鐘を下ろしてもらい、其の中に身を隠したのであった。
しかし大蛇と化した清姫は容赦なく鐘に巻き付き、口から火を吐いて鐘の中の安珍を焼き殺してしまう。
安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水したのであった。
邪道に転生した二人は其の後、道成寺の住職の元に現れて自分達の供養を頼む。
住職の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、其の後、天人の姿で住職の夢の中に現れたと言う。

猟師と大蛇
昔、手だれの猟師が仕事を終え、夕方家路に着こうとした時、目の前に大蛇が現れた。
大蛇は猟師に一騎打ちを要求して来たが、不都合にも彼は鉄砲玉を全て撃ち尽くしていた。
そこで賢い猟師は今日はもう遅いので、勝負は次回にお預けにし、其の前に互いに苦手な物を白状しようと大蛇に言ってみた。
すると大蛇は「わしは煙が大の苦手なんじゃ。それでお前の苦手は何じゃ?」と言った。
何と猟師は「わしの苦手は銭なんじゃ。中でも特に金貨が恐ろしゅうてのう。」と返答した。
次の朝、猟師は狼煙に使う葉っぱを沢山集めて、大蛇の寝ている森の洞穴を見つけ出して、其の前で葉っぱに火を付けて洞穴に煙を煽った。
すると大蛇は激しく咳をしながら、のた打ち回ったのであった。
何日かして今度は大蛇が猟師の家に仕返しに来た。
そして猟師の言葉を真に受けて、体の鱗を大量の金貨に変えて、家の煙突から注ぎ込んで行った。
猟師は「止めてくれーっ!こりゃかなわん!」と大声で叫んだのを聞いて、大蛇は「ざまーみろ!」とばかりに意気揚々と帰って行ったのである。
一方、猟師はどうしたかと言うと、策略がまんまと当たって、大金持ちに成って大喜びしたそうである。
(此の話には余も思わず爆笑してしまった!)



 ✠奧山実秋 作 『五大明王像』より「軍荼利明王」

仏教では「軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)の手足にい蛇が巻き付いている。
蛇には元々性的な力があるとされ、蛇を纏ったこの明王もヨガで言うGundalini(性力)を司ると信じられ、障害を取り除く力もあるとされて崇められた。
此の明王のサンスクリット語の元の名はKundaliと言い、「とぐろを巻く物」と言う意味である。
又、この尊格は不老不死の妙薬、「甘露」の入った水瓶を持っている事から甘露信仰にも結び付き、故に別名「甘露明王」とも呼ばれて、人の健康を守ると云う功徳もある。

又、白い蛇は「弁財天」の使いとされ、日本では其の像を「縁起物」として飾る事が多い。
古代インド神話の中で彼女はSarasvathiと言い、聖なる河の化身であり、同時に家庭円満、性の調和、音楽等を司る女神として崇められていた。
日本の寺院境内で、「弁天堂」が池や小川の水辺に建っているのは其の為である。

其の他、ギリシャ神話では商業と交通と雄弁の神Hermesの持っている杖Kerykeionに蛇が巻き付いているし、「医学の祖」と称されるAsklēpiosの杖にも同様に蛇が巻き付いている。
此の事から現在でもヨーロッパでは此のAsklēpiosの杖が医学、薬学、病院、衛生等の象徴として用いられている。

一方、キリスト教では蛇は前述の聖書の物語が示す様に、「邪悪」や「陰険」の象徴とされて忌み嫌われている。
例えばドイツ語ではSchlange(蛇)は俗語で「性悪な人」(特に女性)を意味するし、英語でもSnakeは人目を盗んで悪事を働く者を意味している。
Dualismus(二元論)に代表されるが如く、「悪」に対しては「善」が必ず存在する。
即ち、蛇が「邪悪」「闇」の象徴なのに対して、ヨーロッパのみならず、ほぼ全世界の文化、文明に於いて『鷲』は「正義」「光」「力」そして「不滅」の象徴、又は神の使いの「聖鳥」として重宝されている。
例:鷲はギリシャ神話では主神Zeus、そしてゲルマン神話でも主神Odinの使いとされている。
インド神話でも創造神Vishunuが乗る鳥Garudaも鷲がモデルになっているし、エジプト神話の火の鳥Phoenixも鷲と関連がある。
そして美術、工芸の分野に於いても正義の象徴である鷲が悪の象徴である蛇と戦い、此れを退治する場面が何百年もの歴史の中で数多く表現されているのである。

最後に巳年生まれの偉人を紹介するとしよう。

「戦国最強」といわれた甲斐の国の守護大名、武田信玄公(1521年生まれ)

"Virgin Queen"の異名を持つ、イギリスを当時のヨーロッパ最強の国にまで押し上げたElizabeth.Ⅰ世(1533年生まれ)

IQ210とまで推定される大天才のドイツの文豪J.W.v Goethe先生(1749年生まれ)

"Liederkönig"(歌曲の王)と称されたオーストリアの天才作曲家F.Schubert(1797年生まれ)

対デンマーク、オーストリア、フランスの戦争に3連勝して、ドイツ帝国を成立させた初代皇帝Wilhelm.Ⅰ世陛下(1797年生まれ)

「東海道五十三次」「名所江戸百景」で知られる、日本の浮世絵師、安藤広重画伯(1797年生まれ)

「19世紀のMozart」とまで称された、ドイツの天才作曲家F.Mendelssohn(1809年生まれ)

流行に迎合する事無く、所謂“Neoklassiker“(新古典主義者)として独自の道を歩んだドイツの作曲家J.Brahmus(1833年生まれ)

“Pra Raphaelit“ (ラファエル前派)の代表者であるイギリスの画家でありデザイナーでもあるE.Burne Jones(1833年生まれ)

スウェーデンの伝説的美人女優Greta Garbo(Gustafsson)(1905年生まれ)

 

:当ブログに登場する人物、:当ブログに登場しない人物)

Kunstmarkt von Heinrich Gustav   
All rights reserved