【過去の自分】こうして私は鬼ママになった⑤ | 【手帳術×アドラー×Photo】鬼ママのまま自分らしく幸せに♡家庭もやりたいこともどちらも叶える方法

【手帳術×アドラー×Photo】鬼ママのまま自分らしく幸せに♡家庭もやりたいこともどちらも叶える方法

自分軸がなく子どもにキレてた鬼ママが【アドラー心理学】で家庭を立て直し。

【手帳術】を通して自分のやりたいことを発見。ママでもできる!やっていい!を証明すべくカメラを手に♡

すべての女性の輝く瞬間を【写真】を通してお渡ししていきます♡

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名古屋市在住
三児の母

ライフバランスマップ講師
Being upリーダーの
なっちゃんです流れ星

自己紹介はこちら


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今、過去にあったできごとを振り返り、

どうして私が鬼ママになったのか?

を綴っています!


話は
現在7歳になる長男の
出産にさかのぼっています。


(これまでのお話はこちら↓)


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丸ブルー子育てのスタートラインでつまづいた私

息子に会えたのは
出産して2日後くらい、だったかな。

そのあたりの時系列は
自分ではあまりよく覚えていません。


覚えているのは

戸惑い  困惑  不安  落胆 

といった気持ち。



赤ちゃんを産んだのに赤ちゃんのお世話ができない

貧血がひどすぎて母乳が出ない

まず一人で歩けない動けない

どうしてこんなことになったのか?

どうして…


なんで私が…。



きっと私は、

雑誌に書いてあるような

大変だけど幸せなお産をして

大変だけど幸せな子育てが始まって

大変だけど幸せな生活を送れる



そう夢見ていたんだと思います。


だからこそ、
こんなことになっている状況が
まったく受け入れられなかった。


また、
周りの人が言っていることも
更に私を混乱させました。


「母体の体力を優先させて」
「授乳はしんどくても続けて」
「回復するまで病院にいて」
「貧血は病気じゃないからもう平気」


いろんな人が
いろんな事を言う。


またもや
私の気持ちはおいてけぼり。


息子と私、

路頭に迷ったような気分でした。





丸ブルー自分の性格が首を絞める

退院日を大幅に延長し、

出産から二週間ちょっとして退院
  ↓
実家に帰りました。


重度の貧血といっても

自覚症状はほとんどなし、
まだ20代半ばで体力もあったのかもしれません。


でも、

母乳が出ないこと

これは本当に悩みました。



さっきも言いましたが、

私は「普通に産んで、普通に育てられる」と
なぜか思い込んでいたので(笑)、

「当然、完全母乳で育てられる」
と思っていました。


でも母乳=血液なので、
出るはずがないんです。

今日明日を生きていく血ですら
不足しているわけだから。




長男は一月生まれ。

寒い寒い夜中に、
ギャンギャン泣いてる息子を待たせて
ミルク作り。

その間、母がオムツを替えてくれたり
抱っこしててくれました。


そのたった数分ですら



ごめんね…



罪悪感いっぱいでした。


ミルクをごくっと飲み干しても
全然寝ない息子。

おっぱいだったら
ずーっと飲ませてあげられるのに。。

ミルクの飲ませすぎはダメ!
絶対三時間は空けて!
↑そんな指導に完璧に従う私。


一人目の育児
頭カッチカチ

「あれはいい」、「これはダメ」
に完全に振り回されていました。


添い乳したり

別に母乳とミルクの混合でもよかったのに。


このときの私は
そんなこと、頭をよぎりもしなかったんだろうな~。


とにかく、

真面目
神経質
完ぺき主義

な性格が、
自分自身を追いつめる材料にもなっていたと思います。



(⑥へ続きます。

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